0344473
Naoki's Stories The Website
[おしらせに戻る] [当掲示板の利用上の注意] [ワード検索] [過去ログ] [管理用]
おなまえ
Eメール
タイトル
コメント
URL
添付File
暗証キー (英数字で8文字以内)
文字色
・画像は管理者が許可するまで「COMING SOON」のアイコンが表示されます。管理者の書名を禁止ワードに加えたので『オーヴェリク●』などでお願いします。

すてきな季節は終わってしまったっぼい 投稿者:Naoki 投稿日:2017/05/27(Sat) 00:05 No.6596  
ついに梅雨っぽくなってしまった・・・・
今年は四月の長雨で花粉シーズン後半がわりと楽だったので回復も早めです。
まだケロイドっぽさをひきずってはいるけど、
サッカーの練習をしてギドギドの汗をかいたあとに銭湯でサッパリ、
という超天国的経験を二回したし。
桜の花の季節は自分は外出もままならないけど、
ゴールデンウィーク後から、梅雨に入るのでのひととき、
この季節は本当にすてき、貴重なんです。

そのいきおいで、創作なんかもやっていきたいところですが、
実は、考えていることはあって・・・

それは文体からして、今までとは全く違うものなので
本当にやれるかどうか、まだ疑心暗鬼なんですよね。

でも、そうやって裸の自分自身が問われるような表現をしていくことも、
そろそろ「作れる」ように、なってきているかもしれなくて。

恥ずかしながら、最初の数段だけ、載せてみますね・・・ 




Re: すてきな季節は終わってしまったっぼい Naoki - 2017/05/27(Sat) 00:06 No.6597  

【オレたちのワッツ】

 世の中ってやつがけっこう立派にうそだらけで、ただのだましあいうばいあいばっかだ、ってことにようやくおまえのオヤジが気がついたのは、50才の春でした、と、熱いケチャップスパゲティをフライパンから直に口に入れて咳(せ)きこみながら、そのくせけっこううまそうに春らしい朝飯を食べつつ、オヤジは笑いながら、そんなことをオレに言った。くやしい、とかじゃないんだ。楽しそう、なんだぜ、って、なぜならきっと、そんなことに気がつくまでのナィーブな日常が、オヤジなりにわりかしワッツだったからだ。オレはそう信じる。悪いけど、信じる意外に道はない。おいおい道は自ら作れとか、ゼネコンじゃないんだからやめてくれ。
  
 セックスは、ワッツだ。けれど、一輪のユリだって、そういう意味では十分ワッツだ。だから、考えるだけムダなんだ。ダムの多くがムダであって、ただ公共事業で働くおじさんやおばさんが稼ぐ勤労感謝的な報酬社会事業だってことに、あらためて善悪を問うつもりはないけれど、そこで生産される絶対的な存在がウンチとあばら屋と酒瓶とわずかながらの消えゆくおもかげ的記憶程度の話だったなら、なんのためのワッツだとオレは言いたい。強く、言いたい。悪いけど、言いたくなる方なんだ。ケンカを売ってるわけじゃないし、とりあえずだれか個人を攻撃したいわけでもない。オレは聖なる存在として、ただオレたちのワッツを説く、ってハナシ。

 で、セックスはワッツなのか? もう一度問う。セックスはワッツなのか? って、なんでこんなことをくどいまでに問いただすかというと、人間てものは老いも若きもこの手のエロワードに敏感で、ついつい期待がふくらみます的な平均的真実と、謎めいていながら案外誰にとっても身近で日常的な肉体の一断面を写し出す鏡として、それはそれなりにワッツだったりするから、オレはそれを逆手にとってこの雑巾みたいな文章をお前らに読ませるために書いてるだけだぜ、ということは、うそです。うそだから信じない。うん、オレは人をだまさない。究極的にすべてが真実。オレはおまえたちを信じているぜ、カッコ笑カッコとじ。

 信じるって、まるで古い公園の噴水みたいにけだるげに水をはね散らかす行為だと、オレはあるときオヤジに言ってみた。そしたら、デートだとか、愛だとか、それはそれはセンシティブな発想談議に発展して、そうか噴水って愛のメタファーなのかって、オレは公的日本のふきあげるセクシーな社会投資と、健全な現実の裏のきつりつした真実に爆笑して、ざんねんすぎる先人の知恵にKOBEを垂れた。

 西の光をもとめよ。さあ、きみたち、これはワッツの啓示だ。目次録だ。目次録? にているような気はするが、いやちがうか。まあいいじゃないか。目次をめくれば人生の落とし穴がまっているかもしれないし、落とし穴にはまってみて、わざわざ金はらってずっぽしはまってみたというのに案外つまらねえじゃないかと、ネット通販サイトのレビューに30分だか1時間だかかけて作文投稿して、まるで社会的善行をしてしまったかのごとく満足するオレたちの日常イェー。

 ミニスカから伸びる女子の足がすてきなのか、そういうメスの形態を魅力的と感じるオスがすてきなのか。すてきなオスは、色眼鏡とか、いろいろ眼鏡とかで世の中をすてきに見てしまう。それはそうだ。どうせただのだましあいの世の中ならば、すてきに見て勝ち組気分でいた方が千倍お得な幸福感も、ただそれは千分の一の気の持ちようから、という気分ビジネス。気分ナビゲーター。気分ソーシャルワーカー。あんた、そんなに金が欲しいのか、え?

 すみません、お金欲しいです。と、ふと、自らのよって立つ下の方を見たとき、オレは下には下の世界があることに気がつく。たとえばもし貴方が絶対相対性理論を高等力学でくるりんしているときでさえ、靴下は靴下として、靴下の匂いをまとうのだ。くさいのかどうか、あるいはすごくくさいのかどうか、それはこのさいあまり関係ない。問題は、貴方の靴下がくさくても、絶対領域理論でYの方程式を逆演算式に正解と導くことは妄想架空領域において不可能ではないということである。せいぜいがんばりたまへ。

 私の血液型はABで〜、とかほざくまえに、ブラッドタイプの革ジャケットを着て腕から血をしたたらせてみろ。悪魔はそこにいる。攻撃的で、独善的で、平和を乱す軍拡主義のブラッドタイプが、獲物をもとめてうずくんだ。皮膚にさいた微細な花のように傷はまんべんなく全身をおおい、しょぼくれた聖なる泉のように天使の赤い涙をしたたらせる。破壊の激烈な快感のあと、必ず後悔がおとずれる。だれかに謝りたいわけじゃない。人に見られたら気まずくて反省するわけでもない。ただ、またやっちまった、と純粋に自ら絶望する。あんた、真なる血ってのは、そういう型だぜ。

 六本木ってのは、たしかにうごめき、強まっている。それはいわば、乳首だ。へそとかじゃない。かたくて、ツンとした、盛り上がった存在だ。しかし、よく考えて欲しい。男子諸君、君たちは「乳首」にロマンを感じるか? 断じて否だ。いや、もしかすると発育しかけの初々しい情景には特別な萌えがあるのかもしれないけれども、そんな奇跡的ドリームは神として祭っておくとして、日常的凡庸的にもとめられるのは、その周辺の脂肪を含んだソフトに肉の盛り上がる風情であり、その乳首の持ち主たる人物のスタイルや顔までふくめての結果論であるからして、六本木を取り巻く渋谷新宿のムダにうるさいボリューム感とか、反対には白金高輪の固めでとっつきにくくてたぶん自分で住んでみると違和感の方が強くなるかもだけどでもやっぱり憧れちゃうなぁ的な清楚感とか、地理的妄想にひたってみるテスト。

 とりま六本木にしてみたところで、そんなことはどこの村落にもありえること、と断じても過言ではない。かくされつつ魅力を香しくまとった見えざる何かが、あられもなく「乳首でした、うふ」と顔を出したとたんにスーとさめていく奇妙な心の万華鏡にもてあそばれるのも、乗り越えるべき試練と、けなげにがんばる日常系スポ根魂のオレたちに幸あれ。
 
 で、なによ、ワッツって? それについては、ま、今後の展開に期待ってことで。とりま、焼きハマ、食べます?




母作の絵画 投稿者:Naoki 投稿日:2017/05/17(Wed) 00:19 No.6595   HomePage
うちの母が、老後の楽しみで画を描いているという話は前から聞いていたんですが
それなら一枚描いてもらおうじゃないか、とお願いして、今年になって届いたのがこちらです。
サティのジムノペディをBGMとして、YouTubeにアップしてみました・・・

場所は、福井県勝山市。
禅寺で有名な永平寺に近い、雪の多いところだそうです、が、
自分は夏にドライブがてら通った程度で、冬の雪のことは知らないのですよね。
現代では、勝山には福井県随一のスキー場があって
雪が少ない方が問題になる土地柄になっていたりするようです。

福井県を豪雪地帯と言っていいのかどうか、自分にはよくわからないです。
地図でみるとほとんど黒部の手前、もちろん相当の量が降るみたいだけれど、
標高が低い分、降っても、融けてはいくみたい。
その雪解け水は、白山から続く九頭竜川(くずりゅうがわ)の豊かな流れとなって
勝山の街の中心を流れていくわけです。

人は、よく、川の土手に腰掛けて、物思いにふけるものですよね。
川の流れというのが、人生の比喩に感じられるのか。
おそらく少女だった母も、自分の未来を想いながら、
川をながめていたこともあるのではないかと。
どんな人と結婚し、どんな子供を持つのか、とか想像しながら。
まあ、それが結果的に、幸福だったかどうかはともかく、
時が流れて、生まれ育った町と川の風景を絵にしてみたところ、
なんと現代では、それが世界に向けてネット配信される、というのは、
なかなか面白いことじゃないかなと思います。
なんかちょっとハッピーですよね。

というわけで、次回作も期待しています!



脱力系 投稿者:Naoki 投稿日:2017/05/13(Sat) 21:04 No.6593  
クラシックギターではよく「脱力」の大切さが話題になります。
正直、自分はそのことに反感を持っているほうでした。
だって、力を入れない線の細い演奏を聞かされたって、面白くないし。
指先がどんなに速く動いても感動とはほど遠い。
というわけで、わりと力をこめて、
自分自身かなり感動しつつ、ギターを弾いてきたわけです。

それは、おそらく過程として、間違ってはいなかったと思う。
最初から脱力して小ずるくなるより、パワープレイで筋肉を作ることも大切なこと。
実際ここ数年メタボを気にせず多めに食べて、筋肉を作ることを優先してきたし。

そんな過程を経て、いまになって脱力をしてみると、
まるでばらばらだったパズルが組み上がっていくように
きもちよくまとまっていくような感じがしてしまう。
ていうか、そもそも自分、なまけて脱力することに関しては、他の追従を許さない自信あるし。
脱力ということにかけては、天才と断じても過言ではないのだ!!

いえ、これは冗談ばかりでもなく、たとえば、英会話。
日本語は母音と子音が交互に組み合わされているのできっちりした発音姿勢が最初からもとめられますけど、
英語って子音だけでゆるやかにつながったり、「あ」と「え」の中間くらいのだらしない母音があったり、
つまり、真面目な日本語発音と違って、でれ〜っと話すと、英語はむっちゃネイティブに近くなるのです。
日本語で例えれば「私は今日からがんばろうと思います」を、
「わ〜た〜しは〜、きょーから、がんばろ〜とおもいますぅ」
みたいな話し方をすると、英語はバッチリなのだ。
自分、米国旅行中に「君の英語は外国人とは思えない」とまで言われたことあるし。
まあ、でも、単語とか文法知識は無いのですが・・・

サッカーもそうです。
たとえば来たボールを蹴ってパスするにしても、きっちり蹴ろうとするとミスが多いものだけど、
脱力して、でれ〜っと足で受けて、返す足で送り出したりすると、ごく自然に相手の足下にとんでいく。
極めて正確に。
このとき、靴の横をすべらせてボールの回転を利用するのがコツなんだけれど、
うなぎのようになめらかなプレイって、
じつはほとんどミスがない、正確なコントロールにつながるんですよね。

水泳も、たぶんそう。
自分はクロールが全くできなくて(バタ足しても前に進まない)平泳ぎ専門なんですけど
まず全身脱力して、プールの壁を蹴って、すーっと、水に馴染んで前に進むんですよね。
できればそのまま最後まで進んでしまえば楽ちんなんだけど、どうしても減速してしまうから
それにあわせて手足を、でれ〜っとひらいて、ぐいっとこいで進む。
実は平泳ぎって、この「ひらくとき」に、無理な力が入ってしまうと、
水に抵抗が発生して、前に進む力を消してしまうのです。
形としては、どうしても水の抵抗を受けるところだけれど、
脱力してなるべく無理な力を入れずにひらく。
そうやって減速・エネルギーロスを最低限にする。
これが平泳ぎでの上手な泳ぎ方、と、自分は心得ているところです。

ついでに、ヘンな話ですが、マッサージや性感も、脱力が重要ですよね。
ちからづくでやられても、痛いし、かえって疲れたりするし。
そもそも「そーっと触られるのはいやらしい、」という感覚がありますが、
それはつまり「そーっと触られるのは感じる」という事実の裏返しで。

普通、世の中ではみんな「がんばれ」とはげまします。
力をこめたり、寝ないでがんばったり、みたいなことが賞賛されますけど、
でも、人という生物の本質は、じつはとてもしなやかで、ソフトなところにこそ、
貴重な価値があるような気がしてしまう。

もしそうだったとしたら、自分、すっごく可能性がある気がするんですけど。
でれ〜っとすることにかけては、それはもう、誰にも負けない自信ありですから。



おしらせ 投稿者:Naoki 投稿日:2017/05/12(Fri) 03:00 No.6592  
本日(正確には昨日)しばらくうちのホームページが閲覧できなくなりましたが
これは宇宙人による攻撃によるもので
はありませんが、実は経済的理由によるもので
ということでもなさそうだったのですが、さてその真相は?
たしかに料金引き落としの件はひっかかっていたらしく、そこは解決しました。
しかし、あわせてサーバーの容量も超えているとのこと。
仮復旧はしたけれど容量を減らさないとまたすぐに止まる、らしい。
でも、ごぞんじのとおり、ここしばらく更新してないし、
なんで今になって急に容量がいっぱいになったのか、
その理由がわからないので、問い合わせ中です。
大丈夫だとは思いますが、また一時的に止まることがあるかもしれません。
ご理解ください。



 投稿者:Naoki 投稿日:2017/05/05(Fri) 00:33 No.6590  
今年の花粉は終了ということで、もうガードなしで外に出てます。
この季節が、一番好き。
新緑の香りと、さわやかな夜風。
もうじき梅雨のじっとりした空気にかわってしまいますが、
それまでの数週間は、本当にすてきです。
この季節の花といえば・・・藤がきれいですよね。
桜は自分にはムリだけど、藤はいいわ〜

藤をめでるとき、いつも思うんだけど、
我々の日常に藤ってあまり縁がないわりに、
藤がつく名字ってすごーく多いですよね。
藤原、藤田、藤井、藤山、高藤、新藤・・・
昔は藤ってそれほど身近なものだったのでしょうか。
桜や稲のつく名字よりはるかに多いし、
日本の花といえば、本当はこの季節の藤なのかも・・・

ところで、これからは自分は文体をかえていくかもしれない。
あんまりきっちりやろうとしても、正直それに見合う頭脳を持っているわけではないし、
ギターもそうなんですけど、これからは人生のベテランらしく、脱力していこうかと。

ギターも、実はずっと力を入れて弾いていまして、
それが客観的に聞くと、よくないと知ったのは、昨年くらいから。
性能のいいマイクで音をひろって、ヘッドフォンで聞いて、初めて気がつくことだったんですね。
そうはいっても「自分の良さはダイナミズム」と思うところはあったんだけど、
最近になってようやく、本当の意味での脱力がわかってきた感じなんです。
力をぬきつつも、しなやかな反発の姿勢は残し、全体を中庸にたもつ・・・
面白いのは、ラミレスくらいの楽器になるとその微妙な中庸さを
ちゃんと音に表現してくれるんです、それがすごく楽しい。

とにかく、今年の花粉受難は乗り越えられましたので、
まだ後遺症は残っているけど、録音とか、作文とか、
時間をやりくりしつつ、また行動を始めていきたいと思うところです。



トニオ・クレーゲル 投稿者:Naoki 投稿日:2017/04/26(Wed) 17:42 No.6589  
久しぶりにトーマス・マンの「トニオ・クレーゲル」を読み返してみた。
やっぱ、いいわぁ、としみじみ。
この作品自体はマンが20代後半に書いたもので、
作中で語られるいろいろな芸術論に関しては、あるていどつっぱって先走ったような、
独断的内容も含んでいるとは思うんだけれど、
でも、なにより、芸術をテーマにしている小説、という、そこがしびれる。
中学時代に読んだときもしびれたし、今も恐ろしく同様に。

というのは、要するに、わかりやすく断じてしまうえば
「自分が感心あることが書いてある」ということなんですよね。
ケーキ好きの人が、ケーキの製法に関する本をむさぼり読んだり、
魚釣り好きの人が、釣り紀行の本をたまらない気分で読みふけったり、
イグザイル好きの人が、イグザイルに関する本をかき集めたり、
つまり本の純粋な良し悪しとはべつに、自分の個人的なバックグラウンドとの重なりが
あるとないとでは、興味も重みも共感も、全くちがってくるわけです。

そういう意味で、芸術というものを前面に出した小説が、どれだけあるか・・・
正直、この「トニオ・クレーゲル」だけなんじゃないかな、と思う。
もちろん、純文学と呼ばれる芸術的な小説というものはあるし、
哲学的なアプローチで芸術を論じるという本はいろいろあるわけだけれど、
芸術家が、芸術作品を製作する舞台裏を、精神的な裏事情もふくめて、
登場人物があけすけに語り合うような小説というのは、自分は他に思い当たらないです。
たとえてみれば、旋盤職人がテレビの「職人の技」みたいな番組の取材を受けて
旋盤の難しさや、旋盤機械との付き合い方を語る、みたいなこと。

しかしそれを語るには、作者自身が芸術家でなくてはならないですよね。
他の短篇で接する20代後半のマンが、真に芸術家と呼べるほどの作家だったのかどうかは
少し疑問が残らないでもないんだけれど、そんなことはさしおいて、
「芸術家の悩みとリアル」を、正面から書いてしまう作品というのは、それだけで最高です。

好きなことに関わるということ、そのシンプルで真っ直ぐな大切さ。
とかく世間の風潮や、他人からの意見にまどわされると、
その一番大切なところを見失ってしまいがち。
けれど、一番大切なところを見失っては、生きている意味はない、って話です。



Yuja Wang plays Rachmaninoff : Piano Con... 投稿者:Naoki 投稿日:2017/04/25(Tue) 00:19 No.6588   HomePage
最近、中国のことを悪くいう人がとても目につく。
身近に接する中国の人のマナーの悪さは確かに少なからずあって
反感を持つのもいたしかたない部分はあると思うんだけれど
そういうことは大きな中国のほんのわずかな一面であるということは
知っておかなくてはならないことだと自分は思う。
まあ、日本人だって何人だって、外国に出てまで金を稼ごうとする人って
旅の恥はかきすてというか、あまりマナーのいい人はいないものだしね。

かつて「料理の鉄人」という料理対決番組がありました。
あれでは中国料理の陳さんがかなりの勝率を誇っていたのだけれど
陳さんの料理こそが、自分がイメージする中国らしさだったり。
とにかく、毎回、時間ぎりぎり。
終了数分前に炒め始めたりする。
でも、その食べる直前にぐわっと加熱する大胆さが、
じつは素材の美味しさを最大限に引き出す調理法だったりするんですよね。
しっかり下ごしらえして出汁を使って丁寧に作り上げていく日本料理とは
根本から発想が違うわけです。
日本料理から見ると、雑で、節操なくて、バタバタして、なんでも大皿料理に見えるけれど、
それはそれでちゃんと美味しいものを最大限に美味しく調理する方法だったりするんですよね。

そんな中国のフリーダムっぷり。
若手のピアニスト、ユジャ・ワン (Yuja Wang)さん がたっぷり感じさせてくれました。
上の家マークにリンクしたのが、スイスのヴェルビエ祝祭管弦楽団とのライブで
ラフマニノフのピアノ協奏曲2番。

中国人ピアニストというとラン・ラン氏が有名ですが
ランさんの演奏は自分はあまり共感したことがないです。
でも、ワンさんはいいわ〜
ムッチャ速弾きテクニシャンのようでいて、じつは、指先も心もとても繊細。
半面、脱力してスピードを出すタイプなので、音の重みはないほうかも。
しかし、とにかく、箱庭的演奏の日本人とは全くスケールのちがう、雄大さが素晴らしい。
ぶっちゃけ、中村紘子の演奏でラフマニノフのコンチェルト聞いても意味不明で眠くなるだけだったけど
ユジャ・ワンの雄大な叙情表現にひたったら、猛烈に感動しましたから。

アメリカも、中国も、大陸だし、基本的にフリーダムだし、
悪いこともたくさん目につくけれど、
よいこととなると日本をはるかに凌駕するすごいものがたくさんある、
ということは、知っておくべきことじゃないかな、とあらためて思ってしまった。



そろそろ花粉はおわりっぽい 投稿者:Naoki 投稿日:2017/04/20(Thu) 17:42 No.6587  
自分は自宅でテレビを見ない人で、ほとんどの情報をネットから得ているわけですが、
外でたまにテレビを見ると、おどろいてしまう・・・

最近、NHKのニュースは今すぐにでも米軍空母が北朝鮮に空爆をおこなう可能性があり、
北はその反撃でサリンや核を使うかもしれず
日本はその攻撃に巻き込まれる可能性がある、ふうの話になっていたみたいですが・・・

実は、米空母ははるか南方インドネシアにいたのでした。
艦載機の作戦攻撃半径は600キロ程度ですから、
5000キロ離れていたら完全に蚊帳の外なんですよね。
テレビ報道のでたらめぶり、いったいなんなんでしょう。
首相のスキャンダルを隠すためなら「戦争おこる」
というデマまで流す、ということなのか・・・

まあ、批判ばかりしていてもだめですし、
自分なりに前向きであろうとは思うところです。
そろそろ花粉も終わりっぽいですし。
今年の花粉は、量はそこそこあったはずなんだけど、雨の日が多くて、
とくに都市部では舞いおりた花粉が再び舞い上がらず雨で流れてくれたので、
シーズン後半が思いのほか楽でした。

まあ、痒み痛みでつらい日はあったし、ダメージ受けて寝込んだりもしたけれど
一昨年のように体重10キロ減らすほどの深刻な状況にはならずに済みました。
今年は、いよいよギターのコンクールで結果をねらっていきたいし、
文章でも新しいものを形にしてみたいし、
いろいろがんばるのです。



すみません(_ _) 投稿者:Naoki 投稿日:2017/04/12(Wed) 00:04 No.6586  
しばらくホームページがストップしていてすみません。
クレジットカードが新しくなったので
自動支払い設定を直さなきゃいけなかったんですが
失念しておりまして・・・(^_^;)
以後気をつけます、すみません。

今日も雨で、いやだなと思う人は多いかもだけど、
花粉被害者の自分には本当にありがたい今年の春。
いつもはこの季節は全く外出しないんだけど
今日は傘を差して気持ちよくお茶の水の楽器店に行ってしまった。
弦を買って、れいのロバート・ラックを試奏させてもらって・・・
いやぁ、いいなぁ。
むっちゃ素晴らしいというのではないんですよね、
スモールマンや、ダマンや、ハウザー二世のような
問答無用の押し出しがあるタイプではないんだけど、
自動車で例えればマツダのロードスターみたいな
ここちよい人馬一体の感覚。
うちのラミレスもだいぶ弾き込んでいまして
人馬一体的な感覚もないわけじゃないんだけど
ラックのバランスがとれた生来の自由さには、やはりかなわないですね。
まあでも、スペイン王道ラミレスの良さもありますから
いまはまだ、このままで。
目標を持つのは素敵なことだ、ということで(笑)



雨の桜 投稿者:Naoki 投稿日:2017/04/09(Sun) 22:24 No.6585  
今年は三月後半から、雨の日が多いですね。
花見で騒ぎたい方々には困った天気かもしれないけど
花粉被害で苦しんでいる自分にとっては、予想外の福音。
もっと雨が続いてくれたらな、と願うところです・・・

でも、雨の日の花見というのも、実は、悪くはないんですよね。
酒飲んで騒いでいる人がいないぶん、静かに観賞できるし。
靴が濡れるほど土砂降りだったらそれどこではないですけど、
春雨のしとしと天気ぐらいだったらね。
傘を差してノンビリ歩くのはよいものです。
都会の濁った空気も、雨で濾されてすがすがしいし。

雨の日に、ひんやりとした公園で花を見て歩いたあとは、
たとえば、ふらっとクラシックのコンサートの足を運んだりしたくなるわけで、
つまり、そこはかとなく心がデート的な気分になりがち。
そんな淡い憧れをいだいて、なお一人で歩くのもわるいことではありませんし、
実際にだれかと歩いて、しっぽり気持ちを共有するのも有意義かと。

ところで、よく思うんだけど、花見って、なんなんでしょうね。
花を見て、何かをもとめて、みんなどこにたどり着こうとしているのか。
異性と親しくなるというのは現実的な方向性ではあるけれど、
それが花の帰結点かというと、自分は、ちがう気がする。
花のやわらかな色彩。
その色彩の中に何があるのか。
はかなさ?
美しさ?
短い命の華やぎ?

正直、いつも、よくわからない。
そして、少しとまどうのです。
花を愛でたいけれど、一体にはなれい何かが、自分の中にはある。

そんなことを思索して、あやうげにさまよってみるのも、春という季節の
春らしさなのかもしれません。

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9]
- 以下のフォームから自分の投稿記事を修正・削除することができます -
処理 記事No 暗証キー

- Joyful Note -
Edit by Lunar Studio