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Naoki's Stories The Website
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トニオ・クレーゲル 投稿者:Naoki 投稿日:2017/04/26(Wed) 17:42 No.6589  
久しぶりにトーマス・マンの「トニオ・クレーゲル」を読み返してみた。
やっぱ、いいわぁ、としみじみ。
この作品自体はマンが20代後半に書いたもので、
作中で語られるいろいろな芸術論に関しては、あるていどつっぱって先走ったような、
独断的内容も含んでいるとは思うんだけれど、
でも、なにより、芸術をテーマにしている小説、という、そこがしびれる。
中学時代に読んだときもしびれたし、今も恐ろしく同様に。

というのは、要するに、わかりやすく断じてしまうえば
「自分が感心あることが書いてある」ということなんですよね。
ケーキ好きの人が、ケーキの製法に関する本をむさぼり読んだり、
魚釣り好きの人が、釣り紀行の本をたまらない気分で読みふけったり、
イグザイル好きの人が、イグザイルに関する本をかき集めたり、
つまり本の純粋な良し悪しとはべつに、自分の個人的なバックグラウンドとの重なりが
あるとないとでは、興味も重みも共感も、全くちがってくるわけです。

そういう意味で、芸術というものを前面に出した小説が、どれだけあるか・・・
正直、この「トニオ・クレーゲル」だけなんじゃないかな、と思う。
もちろん、純文学と呼ばれる芸術的な小説というものはあるし、
哲学的なアプローチで芸術を論じるという本はいろいろあるわけだけれど、
芸術家が、芸術作品を製作する舞台裏を、精神的な裏事情もふくめて、
登場人物があけすけに語り合うような小説というのは、自分は他に思い当たらないです。
たとえてみれば、旋盤職人がテレビの「職人の技」みたいな番組の取材を受けて
旋盤の難しさや、旋盤機械との付き合い方を語る、みたいなこと。

しかしそれを語るには、作者自身が芸術家でなくてはならないですよね。
他の短篇で接する20代後半のマンが、真に芸術家と呼べるほどの作家だったのかどうかは
少し疑問が残らないでもないんだけれど、そんなことはさしおいて、
「芸術家の悩みとリアル」を、正面から書いてしまう作品というのは、それだけで最高です。

好きなことに関わるということ、そのシンプルで真っ直ぐな大切さ。
とかく世間の風潮や、他人からの意見にまどわされると、
その一番大切なところを見失ってしまいがち。
けれど、一番大切なところを見失っては、生きている意味はない、って話です。



Yuja Wang plays Rachmaninoff : Piano Con... 投稿者:Naoki 投稿日:2017/04/25(Tue) 00:19 No.6588   HomePage
最近、中国のことを悪くいう人がとても目につく。
身近に接する中国の人のマナーの悪さは確かに少なからずあって
反感を持つのもいたしかたない部分はあると思うんだけれど
そういうことは大きな中国のほんのわずかな一面であるということは
知っておかなくてはならないことだと自分は思う。
まあ、日本人だって何人だって、外国に出てまで金を稼ごうとする人って
旅の恥はかきすてというか、あまりマナーのいい人はいないものだしね。

かつて「料理の鉄人」という料理対決番組がありました。
あれでは中国料理の陳さんがかなりの勝率を誇っていたのだけれど
陳さんの料理こそが、自分がイメージする中国らしさだったり。
とにかく、毎回、時間ぎりぎり。
終了数分前に炒め始めたりする。
でも、その食べる直前にぐわっと加熱する大胆さが、
じつは素材の美味しさを最大限に引き出す調理法だったりするんですよね。
しっかり下ごしらえして出汁を使って丁寧に作り上げていく日本料理とは
根本から発想が違うわけです。
日本料理から見ると、雑で、節操なくて、バタバタして、なんでも大皿料理に見えるけれど、
それはそれでちゃんと美味しいものを最大限に美味しく調理する方法だったりするんですよね。

そんな中国のフリーダムっぷり。
若手のピアニスト、ユジャ・ワン (Yuja Wang)さん がたっぷり感じさせてくれました。
上の家マークにリンクしたのが、スイスのヴェルビエ祝祭管弦楽団とのライブで
ラフマニノフのピアノ協奏曲2番。

中国人ピアニストというとラン・ラン氏が有名ですが
ランさんの演奏は自分はあまり共感したことがないです。
でも、ワンさんはいいわ〜
ムッチャ速弾きテクニシャンのようでいて、じつは、指先も心もとても繊細。
半面、脱力してスピードを出すタイプなので、音の重みはないほうかも。
しかし、とにかく、箱庭的演奏の日本人とは全くスケールのちがう、雄大さが素晴らしい。
ぶっちゃけ、中村紘子の演奏でラフマニノフのコンチェルト聞いても意味不明で眠くなるだけだったけど
ユジャ・ワンの雄大な叙情表現にひたったら、猛烈に感動しましたから。

アメリカも、中国も、大陸だし、基本的にフリーダムだし、
悪いこともたくさん目につくけれど、
よいこととなると日本をはるかに凌駕するすごいものがたくさんある、
ということは、知っておくべきことじゃないかな、とあらためて思ってしまった。



そろそろ花粉はおわりっぽい 投稿者:Naoki 投稿日:2017/04/20(Thu) 17:42 No.6587  
自分は自宅でテレビを見ない人で、ほとんどの情報をネットから得ているわけですが、
外でたまにテレビを見ると、おどろいてしまう・・・

最近、NHKのニュースは今すぐにでも米軍空母が北朝鮮に空爆をおこなう可能性があり、
北はその反撃でサリンや核を使うかもしれず
日本はその攻撃に巻き込まれる可能性がある、ふうの話になっていたみたいですが・・・

実は、米空母ははるか南方インドネシアにいたのでした。
艦載機の作戦攻撃半径は600キロ程度ですから、
5000キロ離れていたら完全に蚊帳の外なんですよね。
テレビ報道のでたらめぶり、いったいなんなんでしょう。
首相のスキャンダルを隠すためなら「戦争おこる」
というデマまで流す、ということなのか・・・

まあ、批判ばかりしていてもだめですし、
自分なりに前向きであろうとは思うところです。
そろそろ花粉も終わりっぽいですし。
今年の花粉は、量はそこそこあったはずなんだけど、雨の日が多くて、
とくに都市部では舞いおりた花粉が再び舞い上がらず雨で流れてくれたので、
シーズン後半が思いのほか楽でした。

まあ、痒み痛みでつらい日はあったし、ダメージ受けて寝込んだりもしたけれど
一昨年のように体重10キロ減らすほどの深刻な状況にはならずに済みました。
今年は、いよいよギターのコンクールで結果をねらっていきたいし、
文章でも新しいものを形にしてみたいし、
いろいろがんばるのです。



すみません(_ _) 投稿者:Naoki 投稿日:2017/04/12(Wed) 00:04 No.6586  
しばらくホームページがストップしていてすみません。
クレジットカードが新しくなったので
自動支払い設定を直さなきゃいけなかったんですが
失念しておりまして・・・(^_^;)
以後気をつけます、すみません。

今日も雨で、いやだなと思う人は多いかもだけど、
花粉被害者の自分には本当にありがたい今年の春。
いつもはこの季節は全く外出しないんだけど
今日は傘を差して気持ちよくお茶の水の楽器店に行ってしまった。
弦を買って、れいのロバート・ラックを試奏させてもらって・・・
いやぁ、いいなぁ。
むっちゃ素晴らしいというのではないんですよね、
スモールマンや、ダマンや、ハウザー二世のような
問答無用の押し出しがあるタイプではないんだけど、
自動車で例えればマツダのロードスターみたいな
ここちよい人馬一体の感覚。
うちのラミレスもだいぶ弾き込んでいまして
人馬一体的な感覚もないわけじゃないんだけど
ラックのバランスがとれた生来の自由さには、やはりかなわないですね。
まあでも、スペイン王道ラミレスの良さもありますから
いまはまだ、このままで。
目標を持つのは素敵なことだ、ということで(笑)



雨の桜 投稿者:Naoki 投稿日:2017/04/09(Sun) 22:24 No.6585  
今年は三月後半から、雨の日が多いですね。
花見で騒ぎたい方々には困った天気かもしれないけど
花粉被害で苦しんでいる自分にとっては、予想外の福音。
もっと雨が続いてくれたらな、と願うところです・・・

でも、雨の日の花見というのも、実は、悪くはないんですよね。
酒飲んで騒いでいる人がいないぶん、静かに観賞できるし。
靴が濡れるほど土砂降りだったらそれどこではないですけど、
春雨のしとしと天気ぐらいだったらね。
傘を差してノンビリ歩くのはよいものです。
都会の濁った空気も、雨で濾されてすがすがしいし。

雨の日に、ひんやりとした公園で花を見て歩いたあとは、
たとえば、ふらっとクラシックのコンサートの足を運んだりしたくなるわけで、
つまり、そこはかとなく心がデート的な気分になりがち。
そんな淡い憧れをいだいて、なお一人で歩くのもわるいことではありませんし、
実際にだれかと歩いて、しっぽり気持ちを共有するのも有意義かと。

ところで、よく思うんだけど、花見って、なんなんでしょうね。
花を見て、何かをもとめて、みんなどこにたどり着こうとしているのか。
異性と親しくなるというのは現実的な方向性ではあるけれど、
それが花の帰結点かというと、自分は、ちがう気がする。
花のやわらかな色彩。
その色彩の中に何があるのか。
はかなさ?
美しさ?
短い命の華やぎ?

正直、いつも、よくわからない。
そして、少しとまどうのです。
花を愛でたいけれど、一体にはなれい何かが、自分の中にはある。

そんなことを思索して、あやうげにさまよってみるのも、春という季節の
春らしさなのかもしれません。



表と裏の関係 投稿者:Naoki 投稿日:2017/04/02(Sun) 22:43 No.6584  
いまさらですが、INとOUTのギャップをあらためて感じてしまうこのごろ。
INというのは、自分の中の思いや、良さ、こだわり、美学、表現など、
それがあるからこそ、何かを作りたくなるという大切なもの。
内面に起因し、内から発する行動の動機であり、原点。

しかし、他者に伝えようとするとき、自分の想いのままに、
だけではなかなか伝わらない。
そこを伝えようとするために、一般化がおこなわれる。
わかりやすいのは「典型」という入れ物に従うこと。

たとえば、言葉もそう。
日本にはさまざまな方言が存在する中で、
標準語というルールを、みんなが共有することで、
誤解のない認識をやりとりすることができる。

ちなみに自分が、言葉による誤解を、最初に強く体験したのは
だいぶ前だけれどパソコン通信の議論で「○○ですよね?」とこちらが書いたことに
モロ感情的な反応が来てしまったときのこと。
こちらとしては丁寧な確認のつもりだったのだけれど
これを関西の人が、大阪弁で読解すると、完全な挑発言葉になってしまうのですね。
狭い日本というけれど、関東と関西とで、これほど極端な違いが生まれてしまうときもある。

世の中は、そういうあいまいさをふくんでうごめいているのだから、
共通ルールを理解し合う大切さ、ということは確かにあるわけです。

しかし、なにもかも世の中の一般的認識の範囲内にとどまってしまえば、
話はとても凡庸で、高い価値が消失したダメなことになってしまう。
なにより、一般的なことや典型的なことでばかりに努力を使い果たせば、
ベートーベンのような優れたオリジナル作品は絶対に生まれてこない。

INとOUT、表と裏の関係。
その差異はけっして相いれず、妥協のための答えがあるということではないのだけれど、
ある程度慣れてくると、それとは別の第3の視点から客観視できるようになる
ということはあるのかもしれない。

IN側の、わがままで、ついつい力が入りがちな自分。
0UT側の、凡庸で理解力低いくせに現実を支配している気になっている一般社会。
そのおりあいを、コントロールしていく「なにか」。

その「なにか」が、実はとても重要で、それがあるかないかが、
案外、プロと素人をわける一線だったりするのかも・・・



言葉・文章の可能性のこと 投稿者:Naoki 投稿日:2017/03/28(Tue) 15:55 No.6583  
ちょっとあやしげだけど、ベツにあやしくはない話・・・
最近ツイッターで「GLA」というワードを目にしました。
なんだか液化天然ガスの短縮用語みたい・・・?
じつはこれは宗教団体の名前なのですね。
GLAとはGod Light Associationの略だそうで、
「高橋さんのやっている宗教団体」と知れば、わかる人はわかること。

自分はGLAという名ををまったく知らなかったのですが、
その内実は、わりとむかしから知っていたりして。
現主宰は高橋佳子さんという女性のかたなのですが
実は自分は、高橋佳子さんの本を子供のとき(たしか中一)に読んで
どでかい衝撃を受けた経験があります。
でもまあ、新興宗教なんてよくないな、と
表面的には「ただの読書体験」としておきましたが
ずっと気になる存在ではあったのです。

あらためて調べてみると、この団体は、
もともと電工会社の社長だった高橋信次さんというかたが霊的体験を経て、
社長業とは別に、話を聞く人たちが集まり始めた、というのが
そもそものきっかけだったらしいです。
高橋信次さんは、わりとはやく、48才でなくなってしまうのですが
そのスピリチュアルな本質を、長女の高橋佳子さんが引き継いで今に至ると。

ちなみに、この高橋さんの宗教は、別の信仰や教団などのルーツがあるのではなく、
たまたま個人の霊的深みから、すでに世の中にある宗教的なものとシンクロしていったという、
けっこうピュアな本質から発している、というのが浅はかながらも自分の理解です。
ネットで散見してみても、実際、宗教団体と言うよりは、
「スピリチュアルなうねり」と解した方がいい気もします。
すごくいいなと思うのは、高橋佳子さんご自身、
「これが啓示です」的に高飛車になるのではなく、
なによりも本人が迷い、悩み、良いものをもとめて
全身全霊で歩みを進めているのが、わかるんですよね。

とはいえ、自分は教団名すら知らなかったくらいですから
あまり詳しい内容については語れるわけがないんです。
この機会に何十年ぶりにインターネットで高橋佳子さんご本人の文章に接してみて、
なんだかとても懐かしく感じました。
昔の自分が感じたのと同じような、悩みつつ反省しつつも伸びようと輝く
ナチュラルで善良な魅力が「文章」にあふれている・・・

言語なんて記号の集積と知りながら、心に作用する強い可能性も秘めているのだ、と
自分なりに信じてきた理由のひとつが、ここにあったんだ、とあらためて気がつきました。
もちろん僕だって、文学の可能性を文学作品から感じたということはあって、
ゲーテだったり、トーマス・マンだったり、いろいろあるわけですけど、
文学とはまた違うアプローチでありながら、
言葉・文章をもってして、人の心をつかみうること。
宗教とどうどう名乗られてしまうと自分は腰がひけてしまうけれど、
きちんと良きものがあるのは感じますし、
むしろ政治もマスコミも穢れて迷走気味の日本にあって
貴重な清泉のようにも感じられました・・・



自然な感じで 投稿者:Naoki 投稿日:2017/03/24(Fri) 20:54 No.6574  
花粉シーズンもなんとか半分は乗り切ったでしょうか。
杉は先日の連休あたりがピークだった模様です。
まだダラダラと続きつつ、じきに桜が咲く頃になるとヒノキ花粉がピーク。
自分的には、杉の方がメインのハズなんですけど
長期にわたる戦いで回復力がそがれていくぶん
毎年、四月のヒノキの害の方が悪くなる傾向です・・・

でも、それが終われば、あとはパラダイス。

ところで、ここしばらく(数年)けっこう食べてきたんですよね。
ギターを弾く手にパワーをつけたくて。
筋肉というものは使うより入るカロリーを多くしないとつかない、という
ボディビルダーさんの明言がありましたが、それは本当にそうなのです。
でも、そろそろ方向転換しようかと。
指も、腕も、肩も、一回り力をぬいて、自然な感じで弾いていきたい。
そう意識したら、食欲もなくなって、体重も減ってきた。
力の入らない姿勢って、人生のベテランぽいですよね。
うまくすると、これは、かっこいいかもしれない・・・



たしかにギターは 投稿者:Naoki 投稿日:2017/03/15(Wed) 17:56 No.6573  
たしかにギターは調子がよくて、
例えてみれば開発が進まなかった地方都市にやっと開発の波がやってきた状態なんですが、
ギターばかりやっていると、書くことがなくてさびしいですね・・・

関係ないけど、最近某幼稚園問題でいい仕事してらっしゃる
フリージャーナリストの菅野完さんって
自分は以前からツィッターでフォローさせてもらっているんですが、
日本会議関係もさることながら、この方って暴力団関係にやたらくわしくて
山口組の分裂関係のときに、あまりにレアな情報が出てくるから
それで、フォローさせてもらった方なんですよね。
いま、内閣を吹っ飛ばしかねない仕事を一人でやっているというのも
ちゃんと裏の世界を、半分の視野で見続けているからなんでしょう。
そこに危険水域の判断がある、と。
すごい方です・・・





花粉たけなわ 投稿者:Naoki 投稿日:2017/03/11(Sat) 15:27 No.6572  
花粉たけなわですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか・・・
自分は今年は、シアバターという優れものを知りまして、
花粉性皮膚炎のカサカサ感はかなり改善されている状況。
しかしそもそもアレルギー反応を起こしてしまうこと自体は変えられず
苦しみながら、可能な限り眠ってばかり、といういつもの春です。

でも、ギターだけは、やはり調子いいかも。
左手をフレット位置に合わせて正確におさえる、という最近の気付きは、
結局、ギターにおいては核心だったのかもしれない、と思う。

たぶん、なんにでもこういうことはあるのではないでしょうか。
あるポイントでの厳密さの重要性。
すべてを型どおりやろうとしても、たいがいは逆に進歩が阻害されるし
いろいろ自由に動いて、自分なりにベストを目指していく中で、
でも、ここだけは絶対的にきちんとやらなくてはならない、という
小さいけれど、大きなポイント、というもの。

ソルのグランソロや魔笛など、テクニカルな曲も
今まで弾ききれなかったところが弾けるようになっていくのがわかる、
という、これはまるで成長期の子供のような気分。

しかし、へんなもので、弾ければ弾けるほど、少しもの悲しくなっちゃうんですよね。
なんでいまさら弾けるようになるかなと。
これだけの素質があるなら、若いときにちゃんとやっていれば、今ごろどうなったか。
でも、それは考えてもしかたがないことなので、
この平和な時代の中で文章を書いたりギターを弾けたりできることに感謝しつつ
やれるだけのことをやってみましょう、ってことで。

まああれです、FF10のアーロンじゃないけど、
若くない人がやってやろうと決意する姿勢って、
なんか、妙にかっこいいじゃないですか。

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