GREAT HERO  1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15

 11章


 朝には、ミカとブラザースはいなくなっていた。サイモン夫妻は驚くことなく「いつものこと」と当然のように受けとめていた。やはり人物の大きさが違うようだ。
 朝食をいただいていると、天気がよくなってきて、ルーシーが『グレートヒーロー』に乗りたいと言いだした。確かに水上から街を観察しておくことも、オレたちにとって有意義かもしれない。そこで三人で出発することにした。さっそくルーシーはランチバスケットを幸せそうに用意した。勘違いしている部分はあるようだが、とりあえずよしとしておく。
 このあたりは大型船が通るらしく、橋はマストよりも高い巨大なものばかりだった。それはありがたいのだが、本当に大型船とすれ違うと、小さな『グレートヒーロー』は波を受けて水が入りそうになった。異臭を発するほどではなかったが、緑色に濁っていて、入ってきて嬉しい水ではなかった。
 高層ビルの建ち並ぶビジネス街の脇を進み、広く穏やかな湾に出た。ブイが航路を定めている。航路外には桟橋料を節約するための貨物船が多数錨を降ろしていた。
 ルーシーは工業地帯のむこう側にあるマリーナに向かうことを提案した。ずっと興味があったらしく、今回は本物のヨットで堂々と入っていけるのが嬉しいらしい。
 楽しげにはしゃぐルーシーに、エミリオは何も言い返せず、仕方なさそうに船をそちらに向けた。風は横から安定して吹いており、船は快調に水面を割いていく。
 大小の白いヨットが並ぶマリーナに入ると、奥に『ペディキアンホテル』の文字を見つけた。
「エミリオ、もしかして、ここって、あのペディキアンのやつらと関係あるのか?」
「関係あるなんてもんじゃない。ここはペディキアンのマリーナさ」
 皮肉っぽく言い捨てるエミリオだった。
「知ってたなら、教えとけよ」
「べつにペディキアンのマリーナはここだけじゃない」
「だとしても」
 ルーシーは、女の感で何かを察し「なになに?」と聞いてきた。
 しかしエミリオは、ルーシーを無視して、オレを真っ直ぐに見た。
「リュウ、会ってみるか?」
「誰によ」
「いわゆる『ライバル』ってやつさ。まさかと思ったが、やつのクルーザーが来ている」
「はあ?」
「青い旗を上げているやつだ」
 エミリオの視線の先にあったのは、クルーザーというよりも、ちょっとした客船みたいなんですけど。
「どうした、怖じけずいたか」
「バカ、決勝をやっていたら勝ってたのはオレの方だ。別に怖じけずく必要はないはずだ」
「なるほど、確かにそうだな」
 オレはルーシーに女王杯でのいきさつを説明した。最高の装備で出場してきた、いかにも嫌みっぽい金持ち集団のことを。
「リュウが来たとなれば、きっと歓迎してくれるぜ」
 エミリオは皮肉っぽく言った。
「おまえの知り合いか?」
「男の僕は知り合いではないが、それ以外ならば、よく知っている」
「いいのか、『男のおまえ』がそんなことして」
「いいだろ、僕には自信があるんだ」
「何の自信よ?」
 エミリオは何も答えず、さも可笑しそうに口元を歪めた。
 説明しろよ、と言いたかったが、ルーシーがいては、ここでは説明できないことがあるのも現実だった。
「エミリオ、おまえ、ときどき自虐的な趣味に走るよな」
「話を面白くするのも僕の役割だ」
「やれやれ、なに夢見てんだか」
 オレたちの会話について来られないルーシーは、自分が着てきたギャザーのスカートをいじくり「もっといい服着てくるんだったな」とつぶやいた。

 船をビジター用のスペースに停泊させて、とりあえずランチボックスを広げる場所を探そうと桟橋を歩いていると、やつはむこうから来やがった。
「おいおい、『グレートヒーロー』じゃないか。どうしたんだい、こんなところで」
「挨拶に来てやったのさ」とオレは言った。「近くまで来たんでな」
「海を渡ってきたのか? 無謀なことをするな。ま、君たちらしいか。いきなり参加した『女王杯』で優勝しそうになるし、爆弾テロを起こすし。そして今度は、危険を承知で海を渡ってきた。さすがの僕も、敬意をいだかずにいられないよ」
 大きく勘違いしているようだが、まあよしとしておこう。
「紹介しよう。エミリオと、ルーシーだ」
「え?」
 と、やつが息をのんだ。
「エミリオ?」
「よろしく、エミリオです。会うのは初めてですが、あなたのことは従姉妹から、かねがねうかがっています」
「従姉妹?」
「はい。たしか、あなたとは親しかったはず」
「ということは、君は?」
「僕は母方の従姉妹で、ただの田舎のヨット好きですよ。ただし、話は多少・・・、お二人の関係は、残念な結果に終わったとか」
「いや、あまりに面影が似ているから混乱してしまった。君は『あの人』の、母方の従姉妹なんだね。あまり悪い噂が届いてないといいが」
「さほどでもないです」
「そ、そう・・・」
 やつは苦笑して、首を振った。
「まあ、僕としても隠し立てする気はないが、どうか心の傷はそっとしておいてくれよ」
「わかっています」
「ありがとう。僕は、ウイリアム。ウイリアム・マクドナルド。ウィルと呼んでくれ。勇気ある逃亡者を心から歓迎しよう」
「おい、おまえ、逃亡者だってことを知って、歓迎しちゃっていいのか?」
 と、オレは逆に心配になって質問した。
「僕の大切な人の従姉妹の知り合いとなれば、歓迎しないわけにはいくまい。それに、その船が本物の『グレートヒーロー』とわかる人間は、他にここにはいないよ。ははは」
 オレは『大切な人』って誰よと、と突っ込もうとしたとき、突然、雷に打たれたように気が付いた。鈍いオレでも、おそまきながら気が付きました。こいつ、最近までパティとつきあっていたやつだろ。婚約しかかった、という。パティもそれを知ってて、拒まずに来たわけか? おいおい・・・
「ルーシー」
「なに?」
「世の中には、わからないことってあるもんだな」
 オレはしみじみと言った。
「何のこと?」
「女心と春の空」
「は?」
「とにかく、オレたちはどんなことがあってもパティを守るぞ」
「パティって?」
 オレは「えへん」と咳払いした。「そのランチボックスのことだ。部外者に美味しいサンドイッチを食べさせるわけにはいかない」 
「私はいいですよ。みんなで食べたら幸せ。とくに、ウィルのような『かっこいい人』となら、なおさらよ」
 おい、ルーシー、君はやっぱりそこですか・・・

 オレたちはウィルの案内で丘を登り、ホテルの一角の眺めのいいテーブルに付いた。香りのいい茶や、フレッシュジュースを出してもらい、持ってきた手作りランチを開けて。
 いきなり現れたウィルは相当にヒマなやつだ、と最初は思ったけれど、実際には楽器のセミナーに参加中らしい。
「こんど、メッセン交響楽団の首席奏者に来てくれた人がソロ活動もするほどの名演奏家でね。僕も末席ながら参加させてもらっている」
「何の楽器ですか?」
 とルーシーが首を傾げた。
「トランペット。とてもシンプルな楽器でね、ごまかしがきかないのが難しいところだけど、面白くもある。明日の夜には、先生と合同発表会をするから、よかったら来てくれ」
 こいつ、本当に嫌みなやつだ。ヨットの次は音楽かい。いろいろ贅沢な趣味をお持ちのようで。
「ま、オレたちには結構やることがあるし、無理だろうな。悪く思わないでくれ」
 とオレは断定的に言ったが、エミリオは首を振った。
「いや、大丈夫だと思う。いい機会だ。聴いておきたい」
「はあ?」
「私も」とルーシー。「だって、演奏者自らお誘いいただいているのに、お断りしては申し訳ないわ、ね、エミエミ」
「うん」
「おいおい、そんなことしている場合かね」
 と、オレはふてくされたが、今度はウィルがオレに同意した。
「確かに、僕ものんびりランチをしているヒマはなかったんだ。ちょっと気晴らしに外に出たつもりが、すっかり長くなってしまった。あとで招待状を続けさせるから、連絡先を教えておいてくれ」
 ルーシーがテーブルに立ててあった紙ナプキンに教会の住所をメモして渡した。
「ありがとう。君たちはここでゆっくりしていってくれ。すぐに係りのものをよこすから、僕のスケジュールや連絡の取り方は彼女に聞いてほしい。では」
 礼儀正しく去っていく好青年。
「エミリオ、どうしておまえの従姉妹はあんなやつとつきあったんだ?」
 と、オレは正直な疑問を口にした。
「運命」
「ていうか、どうして別れたんだ?」
「運命」
「いいのか、それで。自分の主張ってものがないのかよ、まったく」
「リュウ、ヘンな嫉妬はみっともないぞ」
「わ、わ、わ、わかってるよ。でもさぁ、トランペットって何よ、あのうるさいやつだろ。お城の兵隊がパンパカパーンって吹くやつ」
「ユング氏はもっと繊細な演奏をする人だ」
「ユング氏?」
「彼が言っていた先生さ、メッセン交響楽団の首席奏者」
「そんなことまで知ってるのかよ」
「世界的に有名な演奏家だからな。心のゆれを繊細に表現できる素晴らしい芸術家だ」
「はいはい。ちなみに、エミリオも何か楽器ができるのか?」
「いろいろと」
「なんだよ、その『いろいろと』って」
「習ったし、できないことはないけど、僕はもうちょっと別のことに興味があるんだ」
「なによ」
「『未来』を作っていくこと」
「・・・」
 オレはいつもの妄想話にあきれつつ、残り少なくなったサンドイッチを遠慮なく口に運んだ。
 ルーシーは立ち上がり、ポットから三人のカップに茶をつぎ足した。
「それにしても、やっぱりエミエミってすごいのね。こんなところの人と仲良くなっちゃう従姉妹がいるなんて」
「すごいかどうかというのは、現実における社会的な問題だ。僕たちは、もっと精神的な価値を探そうとしている。それは、例えば、君の屈託のない笑顔や、美味しいサンドイッチに通じるものだ」
「エミエミ・・・」
「僕は、この美しい空が好きなんだ。このような、和やかな時間が、大好きだ。ささやかな思いを、つむいでいくこと。迷ったり、失敗することもあるけれど、それは誰だってあることだろ。仕方がないんだ。ただ、こうやって仲間と出会えたことの幸運を、感謝するばかりさ」
 エミリオが何のことを言っているのか、オレにはだいたいわかったけど、他の人が聞いたら、きっと誤解するよな。特にルーシーは。
 何かフォローしておかないと、と考えていると、ウィルが『係りの人』と呼んでいた女性がやってきた。ノースリーブの白いワンピースを着たセクシーな女性だ。モデルのようなスタイルだが、親しげな笑みを浮かべている。
「ウイリアム様から御伝言です。今夜の夕食会にご招待したいと」
「はい?」とオレはあきれた。「明日の発表会の誘いの間違いじゃないですか?」
「もちろんそちらも来ていただきたいのですが、急な話ながら、ぜひ今夜も、と申しております。よほど、みなさんにお会いできたが嬉しいのでしょう」
 セクシー女性がにこりと微笑むと、屈んだ姿勢で胸のふくらみも見えてしまう。
「オ、オレたち、そんなにヒマじゃないんだけどな」
「ご都合が難しいようでしたら、エミリオ様だけでも、ぜひ」
 そしてペディキアンのロゴの入った、いかにも上質そうな白い封筒を、エミリオの前に置いた。
 ルーシーは、白羽の矢が自分に立たなかったことを残念そうにしていたが、もしもルーシーあてにこんなことを申し出ていたら、オレはマジで腹を立てただろう。男と知ってエミリオに、ということなら、まあ許容範囲かもしれない。パティに関して何か相談したいのかもしれない・・・って、それって逆に、もっとヤバイ状況だろ。行くのなら、絶対オレたちもいっしょだ!

 それからのルーシーが大騒ぎだった。
「そうとなったら、急いで帰ってお買い物しなくちゃ。だって素敵な夕食会に参加するなら用意がいろいろと・・・」
 エミリオが笑って否定した。
「ルーシー、気を使う必要はないよ。僕たちはしょせんアムンの田舎者だ。ヘンに取りつくろう方がみっともない。それに、ルーシーも、リュウも、教会に暮らす者だ。正装といえば、本来は教会の礼服だ。そんなの、いやだろ?」
 ルーシーは意外なほど素直に頷いた。
「そうね。ありがとう、エミエミ。あなたにそんなふうに言ってもらえると、私、すごくホッとしちゃう」
「案ずることはないさ。しょせん人は人だ」
「慣れない無理したって、いいことないわね。私はやっぱり、あなたについていきます」
 オレの方が赤面しちゃうほど恥ずかしいセリフ。
「しかし、まあ、買い物なら、僕も行きたいな。ルーシーは、いい店を知ってるか?」
「えっと、ドルフィン通りのブティックがお薦めかも。お金持ちしか相手にしない超高級店とは違うけど、サッパリとしたセンスのいい品揃えで評判がいいの。私の憧れのお店よ」
「素晴らしい。ぜひ行こう。リュウも来るか?」
 オレはもう、どう突っ込んだらいいのかもわからなくて、「勝手にどうぞ、オレは昼寝でもしてる」と断った。
「じゃあ、リュウの分は僕たちにまかせてもらおう」
「オレはこのままでいいっちゅーの」
「公の場に出るとなったら、多少は繕わないと。それに、テロリストとばれては大騒ぎになる」
「はいはい」
 とりあえずまっすぐに『グレートヒーロー』で教会に戻り、二人が買い物に出かけたあと、オレは本当に昼寝をした。
 巡礼者用のベッドに横になって。
 そして夢を見た。


  街の中の、狭い水路。 
  マストを外し、キールを上げた『グレートヒーロー』を
  オレはオールを使ってゆっくりと進めていく。

  水路の先の遠くに、光は見えるのに、なかなか近づけない。
  「ヒュー、ルールールー」
  と発してみる。
 
  声が街に木霊する。
  迷路の複雑さを感じる。

  すると、パティの声が聞こえる。
  「ヒュー、ルールールー」

  彼女は確かにいる。
  
  パティは、川の土手で野草を摘んでいた。
 「草、食べるのか?」
 「そう。美味しいよ」
 「料理できる?」
 「あなたのためなら」
 「心配だな」 
 「私も食べるよ。わかちあおう」
  
  こうやつて、ひとつひとつ、つむいでいくんだな
  と思った。
  
  大きなことも、小さなことも。
  水路の向こうの光を求めて。

 夕暮れが近づき、でかい黒塗りの迎えの車が来たときには少しあせった。エネルギー浪費の罪悪感なしには乗れない贅沢な車だ。
 それにしても、いったいどんな豪勢な夕食会か、と思ったら、実際には、自分たちで皿に料理を取ってくるという、合宿ではよくあるスタイルだった。もちろん料理は贅沢なもので、料理人がその場で調理したり、切り分けたりしてくれるものもあった。しかし本当に贅沢だったのは、その場に居合わせた人たちの仕事や家柄だったのかもしれない。もっとも、そんなことはオレやルーシーにはわからない。エミリオは内心わかっていたとしても、全く表情には出さない。『内心わかっていても表情には出さない』というのは、あいつの得意技らしく、感心するほど平然としたものだった。
 ウィルはオレたち三人を平等にあつかってくれた。女性のルーシーを丁寧にエスコートし、ヨットのライバルのオレには敬意を持って接し、パトリシアの従姉妹であるエミリオには敬愛を込めて語りかけた。
 音楽の先生たちにも紹介してくれたが、オレは苦笑するばかりで、そういうのはむしろ困った。エミリオが小声で説明してくれたが、そもそも交響楽団の演奏ってやつを生で聞いたことがないオレとしては、ちょっとくらいの説明ではどうしようもなかったわけだ。
 とにかく、ビジターのわりには孤立せずに、楽しく食事をいただいた。ここでの海老のグリルと、ローストビーフの美味しさは、たぶん一生忘れない。
 食事が一段落したところで、やはりウィルが『グレートヒーロー』のことを聞きたがった。
「僕もあれから調べたんだ。22年前の奇跡的優勝というのは、リュウの両親のことだね?」
 オレは不愉快な気持ちを隠さなかった。
「いろいろ複雑なんだ。オレ、あの両親に捨てられた子供だから」
「え? でも、今は『グレートヒーロー』を操っているのだろ?」
「置きみやげみたいなもんさ。『アンタはこれで遊んでなさい』ってな」
「今はどうしている?」
「さあな。天国か、地獄か。オレの知ったことじゃない。おまえの知ったことでもないはずだ」
「リュウ、失礼な質問だったら謝る。しかし、そんなに悪い人だったという記録はないようだが?」
「世間的に名声を博したって、家の中はむちゃくちゃ、そんなのはよくある話じゃねーのか」
「確かに。僕のところにしたって、実はいろいろある・・・」
「おいおい、人んちのことを聞きたかったら、まず、自分の話をしようぜ」
「落ち込むから遠慮するよ。それより、エミリオ」とやつは身体の向きを変えた。「『彼女』は元気かい?」
「僕と同じくらいには」
「誰かとつきあっているという話は聞くか?」
「心の絆を信じているようでした」
「僕ではない誰か、というわけだな?」
「運命です」
「エミリオ、君はクールだな。君は女性に振られて、ただ『運命』というだけで納得できるかい?」
「むしろ、自分を納得させるために、あえて『運命』と言い聞かせますよ」
「それは多分、君がまだ本当の恋をしたことがないからだ。失礼を承知で言うが、僕の気持ちは『運命』という説明で納得できるような、そんな軽いものではないんだよ」
 ルーシーは身を乗り出して「その方のこと、まだ忘れられないの?」と質問した。
「忘れる? どうやったらそんなことができるのか、教えられるなら教えてほしい。あの人の特別な輝きに比べたら、全ての女性が、いや、男性も含めて、全ての『人』が、凡庸な雑草に過ぎないんだ」
「恋は妄想というが、そうとう酷いな」とオレはため息をついた。「ウィル、もしもおまえが彼女に会ったら、今は何を伝えたい?」
 やつは首を振った。
「伝えられることなど、何もない。彼女は、すべてを知り、すべてを奪い、そしてすべてを拒んだのだ」
「どうして、そう断言できる?」
「それについては、答えにくいな。最も強く、かつ多くを感じたのは、抱きしめたときの身体を通して」
 エミリオが「えへん」と咳払いした。
「え、じゃあ、抱き合ったの? キスも?」
 とルーシーが目を大きく開いた。
「いや、まあ、それ以上のことはないが、それ以下でもない」
 オレはエミリオを見た。
「そうなのか?」
「ぼ、僕に聞くな」
「いろいろあったんだな」
「ところで」とウィルは改まってエミリオに向かって言った。「君は男だから、遠慮なく言わせてもらうが、今度いっしょにヨットに乗ろう」
「なぜ僕が?」
「ヨットは嫌いか?」
「嫌いではないが、僕はリュウと組んでいる」
「しかし『女王杯』のときは、確か『グレートヒーロー』には、リュウの弟が乗っていたはずだが」
「よけいなこと憶えてるな」とオレは苦笑した。「あいつはもう田舎に帰ったぜ。物騒なことには関わらせたくないんだ」
「物騒なこと? では、エミリオはいいのか?」
 オレも「いいの?」と、改めて疑問の視線をエミリオに送ると、やつはしっかりと頷いた。
「ウィル、僕たちは、いわば『探求者』なんだ。アムンの未来を支える、大切な何かを探している。本当の意味で覚悟もしている。もしも『愛』をささげることと、『愛』を信じることが同義だとすれば、それすらも包括した聖なる挑戦だ。まあ、それにしたって、アムンという辺境の小島の、ささやかなドタバタに過ぎないけれどね」
「アムン、か」とウィルは少し寂しそうにつぶやいた。「確かに素晴らしい国だな」

 オレは、例によって、エミリオとつれションに席を立った。
 二人だけになると、エミリオはトイレの前に、オレの袖を引っ張ってベランダに誘った。
「ふー、さすがに疲れるわ」
 と、女のパティに戻ってタメイキ。
「堂々としたもんだ。感心するよ、ホント」
「あなたも、予想以上に堂々としてる」
「そりゃどうも」
「彼には、本当に悪いことをしたと思ってるの」
「好きだったのか?」
「よくわからない。大切にしたいという想いがあったことは事実だけど、私にとっては、大切なものを探すプロセスというしかない」
「クールだな」
「こういうことは『クールな説明』が必要なのよ。自分が翻弄されてしまうから」
「『好き』という気持ちに?」
「あなたこそ分析してどうするの。これは『私たち』の問題よ」
「だな。少なくとも、オレは楽しませてもらってる。いろいろあって、ホント、退屈しないよ」
「私たちは、二つ、大きな課題を抱えている。ひとつは、ミカさんが残していった『寝室』というキーワード。もう一つは、シーラさんの、困っている人々への援助。それは、どちらも、きちんとやるつもり。それを経てこそ、私たちのゴールが待っているの」
「ウィルの発表会もあるぜ」
「ウィルの両親は離婚していて、今は母親の姓を名乗っているけど、本当はマクドナルドという性なの。カーリー・マクドナルドの子供よ」
「なんか、それ、聞いたことあるな・・・って、あのアムンで、オレが爆弾を仕掛けたときのやつか?」
「そう。アドクリフの副大統領カーリー・マクドナルド。彼はその実子よ」
「おまえ、そんなやつとつきあってたのか?」
「つきあってはいないわ。つきあいかけただけ」
「きっかけは『ビアトリスの玉』だったんだよな」
「そう。迷いながら、だったけど」
「パティ、おまえ、エミリオとして、ウィルとのホットラインは残しておこうな。きっと何か役に立つ」
「そんなこと・・・言われなくても、そうします」
「そっか。パティは、それがあるから、こんな無謀なことしたんだな」
「そうよ。ありがとう。わかってくれて」
「オレ、なんかの『趣味』かと思ったよ。でも、そういうことなら、礼を言うのはオレの方だ。ありがとう、パティ」
 そしてオレたちは人目を盗んで、少しだけ唇を重ねた。
「さて、僕はまたエミリオに戻る。リュウ、トイレに行くぞ」
「はいはい。ところで、いつも大変だよな。今度オレの方が女装して、二人で女子トイレに入るってのはどうだ? ・・・いや、二人で女子トイレに入るというのはどうかしら。あなたがこんなに頑張っているのに、私がなにもしないなんて心苦しいの」
 エミリオは、オレの尻をおもいっきりつねって「バーカ」と一言。
「痛いって。おまえ、ひでーな。言っとくけど、オレは、エミリオのことなんか、絶対に好きにならねーぞ。これだけははっきり言っておくからな。オレが好きなのはパティで、パティがエミリオみたいなことやったら絶対ゆるさねーからな、ていうか、パティがエミリオをやってるのはいいとして、パティがパティのままエミリオみたいな性格になることだけは絶対にゆるせねーからな! って、わけわかんねーよ、ったく」
「リュウ、男として忠告しておくが、女は恐いぞ。気を付けることだ」
「けっ、おまえが言うな」

 少しウィルと二人っきりになったとき、ヘンな告白をされてしまった。
「リュウ、人間というのは不思議なものだな。いろんな可能性を秘めている」
「はあ?」
「そうは思わないかい?」
「見る立場でいろいろだと思うけどな」
「確かに。では、こういう『立場』はどうだろう。僕が、エミリオにときめきを感じているとしたら」
「な、なんですかあ?」
「もちろん、彼が女性ではないことはわかっている。わかった上で、ときめく自分に、戸惑っているとしたら」
 オレはため息をついた。
「オレんち、アムンの教会でさ、いろいろ教えは知ってるわけ。こんなのがあった。『人は自分にないのを求めたがるものである、それはそういうものだから、うまく利用して、よい結果に結びつけよう』・・・わかる?」
「アムン教にはそんな教えまであるのか」
「日常べったりの信仰だからな、むしろこんなのが多い。参考にしてくれ」
「ありがとう」
「ひとつ言っておくが、エミリオにしても、やつの従姉妹にしても、恐ろしく強い信念を持ったやつらだ。その場の感情でふらふらするタイプじゃない。というか、もしも少しでもふらふらしたとしたら、それはとても珍しいことなんだ。そこんとこは、知っといてほしい」
「リュウ、君はどうして、そんなに理解しているんだい?」
「教会の息子として懺悔を聞いてあげたんだ」
「マジか?」
「ウソだ」
 やつは怖そうな目でオレをにらんだ。
「どういうことだ。教えてくれ」
「教えてくれと言われたって、そんなの、困る」
 オレは首を振った。
「正直、オレにもよくわからないんだ。何か大きなことに向かって運命の歯車が動き始めているような気はするが、どこに向かっているのか、オレにもわからない。さっぱりわからん」
「リュウ」と、やつはカップの茶をすすってから言った。「君はうらやましいやつだ」
「なんでよ。貧乏な田舎もんだぜ。こんなところに来たのだって初めてだしな」
「僕は、あのヨットレースの時もそうだったが、今また、君に負けた気がするよ」
「よせよ。レースの勝負はついちゃいないし、エミリオとはただの友達だ」
「しかし、僕には、勝ち目はないらしい。そうだろ?」
「バカ。勝手にきめつけんなっちゅーの。それに、勝ったから何だって言うんだ。どうなるんだ。それがサッパリわかんねーし、早く教えろ、って言いたいよ」
「だから、君は探求しているんだな?」
「『探求』か。ま、客観的に言えばそういうことかな。実感はないけどな。いつも成り行きでバタバタしてるばかりで」
 ウィルは急に腰を浮かせて、真っ直ぐに手を差しだしてきた。
「リュウ、君の成功を祈るよ」
 オレは、あまり気乗りはしなかったけど、とりあえず握手した。
「ありがとう。でもな、いくらウィルがヘンな趣味だからって、オレのことは好きになるなよ」
「どうかな」と彼はいつになく楽しそうに笑った。「それは保障できないよ。それだけは」

 結果的には、けっこう楽しんだオレたちだった。来たときと同様、でかい黒塗りの車で川縁の教会まで送り届けてくれた。美味いものをたらふく食べて、しっとりとした革張りのソファーに座っていると、豊かであることの幸せを実感してしまった。

 教会には、学生風の若い男の使者がいた。
「先にシーラさんが旅立ちました。もしも可能なら、いそいで船で荷物をとどけてほしいそうです」
 そのシリアスな伝言に、オレたちは酔いがさめたような気分になった。
 それはかなり北の街だった。海を渡り、北上した先にある国。直線距離だと、アムンよりは少し近いが・・・
「しかし、予防接種の免疫が働き始めるには一週間以上かかるはずだが」
 とエミリオは冷静に言った。
「大丈夫です。お願いしたいのは北の国ですから。ただ、予防接種の効かない別の病気は広まっていますが」
「やばいじゃん。今はそんなとこ行ってるヒマはないよ」
 と、オレはめんどくさい気持ちを隠さずに言った。
「しかし、シーラさんからは、ぜひお願いしてくれ、と。というのも、経済が崩壊した貧しい国で、他に輸送手段がないのです。組織の資金で薬剤は調達しましたが、送り届けることにまでコストをかけるのはちょっと・・・」
「『薬剤』なんですか?」
 と、エミリオが聞いた。
「春になって、暖かくなってきたところで、新しい病気が広まり始めています。その対策です。早ければ早いほどいいのです」
「わかりました」
 と、よい返事。
 え? マジ?
「ただし受け渡しには必ずシーラさんが立ち会ってくれるように手配してください。我々の船は競技用の高速艇です。そこのところを理解してくださるように」
 使者は連絡用に携帯電話を置いていった。衛星回線を使うので、世界中、たいていのところで使用できるとのこと。そして荷物の届け先となる港への地図をくれた。
 使者が帰ると、さっそくシーラさんに連絡を取ってみた。
 エミリオは、まるで何かにとりつかれたように、真剣にやりとりしていた。場所と時間を正確に定めて、受け取りにはシーラさんだけが立ち会うように、と。そして、その場で知ったことを、絶対他言しないように、と。
「僕たちは、この行為が、多くの人々の命と関わっていることを理解しています。シーラさんも、僕たちのこの行為が、僕たちの命と関わっていることを知っておいてください」
 エミリオの説明を聞いて、普通は『外洋を超高速でぶっ飛ばす』という意味に受け取るだろうけど・・・ 
 扉のところからこちらを覗くルーシーが見えた。オレは立ち上がって、彼女に声をかけた。
「ルーシー、心配いらないよ。すでに、いろんなことやって来たオレたちなんだ」
「でも、荷物をたくさん積んでの北の海は、あまりに危険すぎます」
 オレは苦笑して「大丈夫。本当に心配いらない。信じてくれ」
「でも・・・」
「残念なのは、これは、オレとエミリオでなくてはならないことだ。ルーシーとエミリオでもダメだし、オレとルーシーでもダメなんだ」
「なぜ?」
「信頼の深さだ。オレ、あいつとだったら、命をかけられるんだ」
「そんなこと言ったって、死んだら終わりよ」
「そうでもないさ。簡単に死ぬことはないし、死んだら全てが終わるってこともない」
「終わります」
 と、断言した彼女の目に、涙がにじんでいた。
 ルーシー、もう少しの辛抱だから、とオレは思った。エミリオが『グレートヒーロー』を使うと決めたからには、関係者には隠し通せない。オレたちは、あり得ない短時間で、航海の苦労も見せずに帰ってくるだろう。そのとき、ルーシーも、何かを悟らずにはいられないはずだ。イシキカイカクしないわけにはいかなくなる。
 しかし、今は、そのことを口で説明するわけにはいかない。
 オレは、ただ「ごめん」と言って、ルーシーの清らかな涙を一生忘れないと心に誓った。

 翌日も天候は上々だった。帆を掲げた『グレートヒーロー』で、シーラさんの組織である国際難民援助隊の倉庫にむかい、荷物を積み込んだ。いつか、エミクストでデニスと積んだビラの箱のような重さはなかったが、量は同じくらいあった。つめるだけ積み、ひもで固定すると、船首と船尾にオレたち二人の空間が残るだけだった。
 スタッフは心配したが、オレたちはその心配を笑って受け流し、食料や地図を受け取って、いったん湾の中央に進路をとった。
「リュウ、マリーナにむかおう」
 船首で箱に腰掛けていたエミリオが、舵を取っているオレに言った。
「はあ?」
「演奏会がある」
「ま、あるなあ、今日はその日だから」
「そっと忍び込んで聴いちゃおう」
「そんなことしてる場合かよ」
「だって、飛んでしまえば、すぐに着くんだ。夜まではやることがない」
「今のうちに、どっかで眠っておく方が健康と美容のためだぞ」
「惰眠で時間を無駄にするのが得策とは思わないが」
「ていうか、オレ、おまえが男のままだと、『グレートヒーロー』でも空を飛べないかもしれないって思うぞ」
 やつは立ち上がって、荷物越しにイタズラっぽい笑顔を見せて「やってみる?」と聞いた。
「お願いだから、そんなふうにオレを翻弄するのだけはやてくれ。ウィルのことを思い出す」
「どういうこと?」
 と、ようやくパティの声に戻ったあいつだった。
「あいつ、おまえにときめくそうだ。『男のエミリオ』に、な」
「えー、じゃあ、私はどうしたらいいのよ」
「逃げ場がない、とはこのことだな」
「逃げ場はあるわよ。あなたという、立派な逃げ場が」
「そりゃそうだけど、ここまで聞いたら、もう演奏会は遠慮するだろ?」
「いいえ。行きます。約束は守りたいの」
「でも、オレたちの衣装は演奏会に参加するようなものじゃないぜ。招待状だって持ってこなかったし」
「だから、ナイショで、そっと。演奏会といっても、セミナーの打ち上げみたいなものよ。関係者を装って入り込むぐらいのことはできると思うわ」
「パティのその度胸は、ある意味、図々しいとも言いたくなるな」
「まあ、きっと、これが最後のことだから。ちゃんと、良い意味でけじめをつけられたならと思うわけ」
「『けじめ』か」
「リュウだって、ルーシーとはちゃんと『けじめ』をつけなさいよ」
「オレは、別に、なんでもないさ。ふられただけだから」
「そんなことないわ。わからない? ルーシーが私に見え見えのアプローチするのは、別の心の内を隠すためだということが」
「はあ?」
「恋とは言わない。けど、彼女はリュウのことを、とても大切に思っているわ。自分の存在の原点、と言っていいくらいに」
「考えすぎだよ、それは」
「意味は少し違うかもしれないけど、でも、『けじめ』が必要なのは同じだと思う」
 オレとしては、あまり同意できることではできなかったけれど、ただし、あいつが何のためにこういうことを考え、行動しようとしているのか、その根本の目的のことを思うと、笑ってすますわけにはいかなかった。要するに、全てオレのためなんだ、というピュアな結論。それは、ありがたいけれど、少しまったりとして重い。その『重み』に向き合うことが、オレの責任ってものなのだろう。たぶん。

 演奏会はホテルのホールで行われた。いわゆるパーティー会場ではなく、階段式の客席がある立派なホールで、演奏会や芝居が頻繁に行われている所だった。
 オレたちは、援助隊から預かっていた携帯電話でルーシーと連絡を取り、ジャケットだけは持ってきてもらった。三人で席に着くと、すぐに演奏会が始まった。
 ウィルのトランペットは、完璧で、繊細だった。オレは内心、こんなふうに楽器を奏でるやつと、女として抱き合ったらどんな気持ちになるのだろう、と想像したりした。完璧かつ繊細に、めろめろにさせられたりするのだろうか? 身体は、あるいは、そうかもしれない。けれど、心は、違う。それは、いわばパズルみたいなものかもしれない。合いそうでも、合わないときは、どうしても合わない。合うときは、サクッと、合ってしまう。
 オレたちが『サクッと合っている』のかどうか、よくわからないけど、不思議と『合わない』という感じはしない。もちろん、存在そのものがイコールという意味ではない。生い立ちも、性格も、趣味も、ずいぶん違う。けれども、二人の接点は、まるで一枚の板を切り分けたパズルのようにかみ合って・・・

 別れぎわ、心配そうなルーシーに、オレは真面目に「ありがとう」と言った。
「そんな、帰って来ない人みたいな言い方、やめてください」
「帰っては来るよ。でも、エミエミは、オレのものだから」
 ルーシーは「ぷっ」と吹き出して笑った。
「悪いけど、私、リュウには負けませんわ」
 オレは笑って、ルーシーのふくよかな身体をそっと抱きしめた。そして心の中で「ありがとう、さようなら」と念じた。

 二人でマストをつかみ、キスをして宇宙に飛び出ると、オレは壮大な眺めとは逆に、現実的なことを話題にしたくなった。
「あいつ、ただの金持ちのいけ好かないやつかと思ったら、なかなか良いやつだったな」
「ウィルのこと?」
「ああ」
「リュウ、人には、両面があるのよ。悪い人と思ったら、良い面があるし、良い人と思ったら、悪い面もある。私が、いい例」
「一人で男と女をやれる人はあまりいないと思うが」
「これは、努力と決意。そして『ビアトリスの玉』の奇跡」
「はいはい。でも、ホント、パティが、パティだけだったらよかったのにな。エミリオ抜きで」
「そうかしら? それって、スパイスのない料理みたいで面白くなさそう」
「オレ、はっきりいって『面白い』から人を愛するってわけじゃないと思うけど」
「いいえ。お言葉ですが、大切なことよ、『面白い』って。私たちには、欲望があるの。それは根深く、際限のないもので、人を不幸にもするけど、でも、『面白い』という形で、素直に表現できたとき、人は、幸せになれる」
「『欲望』の散発的発散か?」
「そう。リュウは、私とセックスしたい?」
「そ、そりゃあ、もう、すごく、慢性的に、したい気持ちだらけ。男装してくれてるから、まだ気が楽になっている、って感じ」
「それに、君は教会の人だもんね。アムンの教えその一、『あまり姦淫するべからず』」
「『あまり』なんて、わけわかんねーよ。それに、おまえに言われたくない」
「したいけど、今はまだできない。とにかく、それって、すごく面白い」
 あいつはまるで学者のように真面目に「うんうん」と頷いた。
「あのなー、『面白い』じゃねーよ。こういうのって、本当の男としては、すげー、つらいんだぞ。ニセ者には実感ないだろうが」
「つらいから、『面白い』」
「もー、バカ! オレ、叫んでもいいか?」
「どうぞ、どうぞ。遠慮なく。宇宙は広大よ」
 オレは息を大きく吸った。 
「パティとエミリオのバカヤロー! 早くセックスしてー!」
 パティは、げらげらと大笑いした。
 あのー、そんなにオレの苦しみって『面白い』ですか。 





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