GREAT HERO  1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15

 12章


 もちろん、シーラさんは驚きを隠さなかった。どんな高速艇だって三日はかかる距離だった。それを翌日の朝には、余裕で到着してしまったのだ。
 オレたちは船を岸壁に横付けし、荷物をさっさと台車に移し始めた。
「しかし、これはいったいどういうことだ?」
 と、シーラさんは、潮風に当たって変化した様子もない医薬品の箱を確認して言った。
「『グレートヒーロー』の奇跡です。どうか、他言なさらぬよう」
 エミリオは真面目に答えた。
「いろいろ苦労してるんです」とオレはやけくそ気味に言った。「欲求不満で爆発しそうです」
「爆発?」
 シーラさんは荷物を持ったまま顔を上げてオレを見た。
「ヒーローにはヒーローの苦しみがあるってことです。だから、どうか他言しないでください。かっこいいとこだけ知られて、ヘンに誤解されたらたまんねーし」
「それにしても、このようなことが可能なら、お願いしたいことはたくさんあるのだけど」
「シーラさん、オレ、協力はします。でも『たくさん』は勘弁してください。オレにも『体力の限界』ってものがあります」
 エミリオは可笑しそうに笑った。
「シーラさん、リュウのことは気になさらず。遠慮しなくていいです。ただ、僕たちにもやらなくてはいけないことがあって、あまり時間に余裕はないんです。これからも密かにお手伝いはしますが、連続しては無理だと思います。可能になったら、また連絡させてもらいます」
「ぜひ、そうしてください、お願いします」
 
 二台の台車に荷物を移し、キャンプ地に行くことになった。石ばかりで草木のほとんどない道を丘へと上がっていく。振り返るとオレたちが到着した小さな港が一望できた。
 丘に上がって見回すと、どこにも人影がないことにあらためて気づいた。丘の上部は集落になっていて、看板を掲げた店のようなものもあったが、全て戸を閉め切っている。
 病気のせいだろうか、と思ったが、この村の衰退は最近のこととは思えない。道ばたに落ちててる色あせた古い雑誌が、悲しい時間の経過を物語っていた。
 丘の向こう側に、国際協力隊のキャンプが見えた。作物の育っていないひからびた『畑』に、白いキャンプが10ほど並び、オレンジ色のシャツを着たスタッフの姿が見えた。
 村人たちは、そこに降りる緩やかな斜面の中段付近に集められていた。ロープを張られた四角い場所で、全員で何かを叫んでいる。そこには女性もいたし、幼い子供たちもいた。
「なんて言ってるんですか?」
 と、オレはシーラさんに質問した。
「漁業用の燃料をよこせ、と。政府が燃料の配給を取りやめたのです。正確に言うと、新しい軍事政権が」
「港町なのに、漁に行けないってことですか?」
「農業を行えとの指示ですが・・・」
 シーラさんは砂漠のような周囲を見回して肩をすくめた。
「バカじゃねーの」とオレはあきれた。「国とか政府ってのは、人々を幸せにするためにあるんじゃねーの?」
「幸いなのは、ここは辺境なので、虐殺までは行われてはいないということです。あそこに集まっている人の半分は近隣から逃げてきた難民です」
 オレの中から、怒りとも、悲しみともはっきりしない、経験したことのない強烈な『気持ち』が沸き上がってきた。
「なんで、こんなことがありえるの? 同じ人間なのに」
 シーラさんは冷たく「世界中によくあることです」と言った。

 人々は、必死に叫んでいた。
 汚れた髪を結い上げ、腕を振り上げて叫ぶ男たち。
 涙ながらに叫ぶ女たち。
 子供たちも、オレたちを見て、精一杯の大声で叫んでいた。

 え? オレたちに?

「今日は久しぶりに『外からの人』が来ると言うことで、デモと集会が認められたのです」
 と、シーラさんが説明してくれた。
「あのロープの中で?」
「それがルールです」
「まるで動物園の動物みたいじゃないですか」
「はっきり言って、それ以下でも、それ以上でもありません」
 オレはシーラさんの説明にあきれ、沈黙しているエミリオに「どーなってんだよ、これ」と言った。
「見るべきものを見ておくのが、僕たちの使命なのだと思う」
「そーいう問題かよ。軍事政権て言うが、戦車や戦艦を動かすために燃料を使うなら、ちゃんと漁船に回せよ。戦争に勝ったって、食料がなければ意味ねーだろ」
「政府は」とシーラさんは冷たく言った。「餓死に直面すれば、国際援助が入ることを知っているのです」
「はあ?」
 オレは、あきれすぎて、天を仰いだ。
「リュウ、エミリオ、彼らは来訪者を襲う暴徒となる可能性があります。どうか目を合わせず慎重に。本当は荷物もスタッフが取りに行った方がよかったのですが、それはエミリオが拒んだので。早く運んでしまいましょう。待っている者も大勢います」

 皮肉だったのは、そこで働いている援助隊のスタッフが、ほとんど大国アドクリフの人だったということだ。少なくともアドクリフ語で会話していたから、その関係者だと思う。
 二回に分けて荷物を運び終えると、スタッフは質素な食事をオレたちに出してくれた。豆のスープと、発酵させずにこねて焼いただけのパン。
 そしてこの国の情勢について教えてくれた。鉱物資源を確保した新政府軍と、燃料資源を確保した旧政府軍が、対立していること。新政府軍にはアドクリフが関わり、大量に武器を供給していること。
 つまり、軍事政権をあおって武器を売って儲けるのもアドクリフ人なら、困った人々を助けるために動いているのもアドクリフ人というわけだ。
 シュージやミカが語ってくれた最低の現実が目の前にあった。もしも方向を誤れば、これがアムンの未来ともなりうる・・・
 
 オレたちの担当となった通訳は、エムニという色黒の少年だった。オレは、エミリオをキャンプに残し、エムニと二人で群衆にむかっていった。いったんは静かになっていた人々が、再び大声を張り上げ始めた。
 オレは、人々に手振りで「わかった」と伝え、ロープを留めている杭に近づいた。そこには幼い姉妹がオレを見上げていた。
 オレは、ロープ外した。
 そして、近くの岩に腰掛けて、人々にも座るように伝えた。
 腕組みをしたいかつい男たちは、ぎょろりとした眼差しで気を許す気配はなかったが、多くの人々はホッとしたように静かになり、オレのまわりの地面に座った。
 オレは、エムニに、オレの名と、アムンから来たことを伝えてもらった。

「オレは、アムンという小さな国の、ティエコっていう小さな村から来たんだ。ヨットが好きで、荷物を運んできたわけ。オレは、湖でしかセイリングしたことなかったけど、みなさんは、最初から海なんですよね?」

「オレ、海のことはよく知らないんだけど、どんな魚がいるんですか?」

「オレ、漁のこともよく知らないんだけど、どうやって魚を捕るんですか?」

「オレ、ここのこと、できるだけ多くの人に伝えますから。オレなんか、大きなことは何もできないけど、ここのことは決して忘れませんから」

 そして、そばにいた幼い姉妹に「ヨットに乗りたいか?」と聞いた。
 姉妹は素直に頷いた。
「ヨットに乗りたい子供たち、おいで。乗せてやるよ。港に行こう」

 そして、オレはリーダーらしい老人の許可を得て、五十人ほどの子供たちを引き連れて、その場をあとにした。手振りでキャンプで心配そうにしていたエミリオも誘い、みんなで丘の向こうにむかった。
 帆を上げた『グレートヒーロー』に、子供たち十人くらいずつのせて、港の外に出て、一回りして帰ってくる。
 オレは船の傾きのコントロールについて教えた。風向きによって、みんなで身体を右に寄せたり、左に寄せたりしてバランスを取った。風にあおられるたびに子供たちは大騒ぎで喜んだ。
 
 夕方になって、風が静かになるころ、ようやく全員が終わった。
 船の帆をたたみ、みんなで手をつないで、キャンプに戻った。
 丘からの眺めが、とてもきれいだった。太陽はすでに雲に隠れ、海面は鉛色だったけれど、たくさんの子供たちといっしょに眺めると、それも貴重な生命の宝庫と感じられた。
 丘の上まで来ると、エミリオが何も言わずに、一人で高いところに登って行った。何をするんだろうと思ったら、目を閉じて天を仰ぎ、不思議な声を発し始めた。
「ヒュー、ルールールー」
 宇宙にまで響くかのような声を、ゆっくりと何度もくり返した。
 首をかげていた子供たちが、急に騒ぎ始めた。驚いた表情で海を指さしている。
 オレは、違うよ、と言おうとした。これは鳥を呼び寄せる声なんだ、と。
 しかし、子供たちの指さす先を見て、オレはぶったまげた。
 クジラだ。
 巨大なクジラが、まるでエミリオの声に答えるかのように、水を噴き上げ、ゆったりと身体を上下させていた。
 それはまるで、海自体が、エミリオと対話をしているかのようだった。
 
 オレは、どうしてだかわからないが、何かが破裂したように、突然、涙があふれてきた。こらえようがなくて、隠すこともできず、バカみたいに大泣きした。
 
 帰り道で、子供たちは歌を歌ってくれた。
 この村に伝わる不思議なリズムの楽しい歌だった。
 すっかりヒーローとなったエミリオに、オレは子供たちを分けて近づいた。
「エミリオ、オレたちも、手、つなごうぜ」
「ああ」
 ヨットの操舵で赤くなったやつの手をしっかり握り、子供たちの歌にステップをあわせて、手を振りながらキャンプに戻った。

 子供たちと別れ、キャンプに戻ると、さすがに疲れてしまい、すぐに横になった。スタッフに「夕食はどうしますか?」と聞かれたけど、オレとエミリオは「夜食に何か残しといてもらえればいいです」とだけ答えて、しばし熟睡した。
 子供たちの楽しそうな歌が、いつまでも遠くから聞こえていた。

 夜中に目が覚めたオレたちは、そっと暗いキャンプをあとにした。
 星は全天に美しく輝いていて、それは素晴らしいのだが、かなり気温が下がっていた。こうなると早く『グレートヒーロー』で高空に出てしまいたい。あのシールドの中なら、寒さも感じないから。
 オレたちは岸壁につないでいたロープを外し、足で蹴って船を離すと、すぐに抱きあってキスした。寒かったから、ということもあるけれど、この村に来てたくさんの『愛』を受け取ったような気もしていて、それはいわば、オレたちの飛行燃料だった。どんなに生活が困難でも、政治的逆境であっても、『愛』を見つめることだけが、オレたち人間には一番大切なことだった。
「ただ、届け物をするだけだったのに、去るのがとてもつらいね」
 と、女性の声に戻ったパティは、眼下に去っていく村と港を見ながら正直につぶやいた。
「オレも。いつか、また来られるだろ。この『グレートヒーロー』があれば」
「誓う?」
「オレはいいけど、でも、どうせなら、ただ来るだけじゃなく、この国の政治をなんとかしてやりたいな。アドクリフが関わっているようだから、オレたちが何かをつかめれば、ここにも良い影響があるかもしれない。それで『戦い』って、終わるかな?」
「難しいでしょうね。いったん砂漠になった土地を森に戻すのが難しいように、人の心は憎しみを忘れないものだから」
「だよな。時間は、かかるだろうな」
 オレは、どうして人間はこんなことばかりするのか、そして、どうやったらうまくいくのか、と考えをめぐらせた。しかしパティは、ここで急に現実的な提案をしてきた。
「リュウ、このまま、今夜は、私の部屋に来てみる?」
「え?」
「どこでも短時間で移動できることを知ってしまったから、アドクリフの教会に居続ける意味はあまりないし、でも、いちおう私たちはあそこに滞在していることになっているから、戻るのは確かなんだけど、ちょっとだけ。どう?」
「オレ、ダメ元でいちおう確認させてもらうけど、それって、エッチな誘いじゃないんだろうな」
「はい、エッチな誘いではありません」
 やっぱり。
「まあ、それはわかっちゃってますけどね、それにしても、オレ、おまえのリッチなところに行ったら、落ち込むかも。生まれの違いをまざまざと見せつけられたりして」
「それほど贅沢をしているわけではないのよ。アムンなんて小さな国だし、市民と乖離した貴族になることの害は、伝統の教えにもちゃんと述べられているし」
「そういえば、おまえの父さん、野人だったんだよな」
「はい」
 と、素直なよい返事。
「島の中か?」
「ポモタンが発見される前のグズリアの森で」
「ああ、クワイ鳥がいるところな」
「クワイ鳥を声で集めて、焼き鳥にするとうまい、と父は申しておりました」
「まじ?」
「冗談です」
「はいはい」
 と、オレは苦笑した。
「それにしても、ちゃんと入れるのか? 城だったら警備も厳重だろうし」
「大丈夫。ちゃんと警備の巡回は把握しているし、私たちが近づけば、ポビーが必ずなにか対応をしてくれるはず」
「スゲー信頼関係だな。どうしてわかる?」
「わかるわけではないの。ただ、信じるだけ。神さまを信じても実現してくれることはあまりないけど、私が信じていると彼はたいてい応えてくれるの」
「それ、大変な仕事だぜ、きっと」
「リュウも、私が信じていると、たいてい応えてくれるよ」
「はあ?」
「あなたには、あえてあまり語らないけど、私はあなたを信じているの」
「そ・・・そうか?」
「『女王杯』には、きっと来てくれると信じていたし」
「あれ、もしもオレが行ってなかったら、今頃あいつと婚約してたんだろ?」
「はい」
 と、また素直な返事。
「よくそんな危ない橋わたれるよな」
「ほんとね。自分でも不思議」
「オレと『グレートヒーロー』が来なかったら、とか考えないのか?」
「不思議だけど、そうなるときには、そうならないことは、頭に考えが浮かばないの。信じるって、そういうことだと思う。そして、今、私は、あなたと幸せになれると信じてる。だから、御招待するの」
「うん・・・ありがとう。なんか、オレ、もう君のことでは、全く驚かなくなってきてる。これも、一種の『信じる』ってことかな?」
「そうよ」
 パティは、にこっと笑った。そして、ふと思い出したように、ポケットから預かりものの携帯電話を取りしだした。
 ディスプレイで電波を確認すると使える状況らしい。衛星回線を使うというのは本当だった。パティはすぐにダイヤルボタンを押した。
「もしもし、ポビー? ごめんね、こんな時間に。私、今夜、これから行くから、用意、お願いしていい? そうなの、空から。悪いんだけど、部屋の片付けも、ちょっとお願い。リュウが来てくれるの。食事はいいわ。ただ、お茶くらいはあった方がいいかも。夜明け前にアドクリフに戻るから、明日の手配は必要ないわ。そう、そんな感じ・・・」

 って、携帯電話で連絡するかな。
『信じる』って、本当にすごいことですね。
 奇跡ですね。
 やれやれ。

 屋上のテラスは常に警備員がいるとのことなので、直接、部屋のベランダから進入してみることにした。もちろんオレは「そんなことできるのかよ」と思ったが、パティはここでも何かを信じているように、自信を持って頷いた。
 手に持った『ビアトリスの玉』を慎重に操作して『グレートヒーロー』をベランダの脇に降下させる。オレがベランダに飛び移って、とりあえず欄干にロープを結んだ。『グレートヒーロー』は宙に浮いた格好だ。
 パティは『ビアトリスの玉』をあちこち移動させて、船が静止状態で安定するポイントを探した。船のまん中に置くと、ちゃんと宙に浮いたまま留まった。それはまるで、『グレートヒーロー』は本来このように空中に繋留するのが正しいやり方、と思えてしまうほどの自然さだった。
「恐れ入りました、パトリシア様」
 と、オレは彼女の手を取り、ベランダへと導いた。
「ありがとう、リュウ」
 と、あいつも高貴な態度で自分の部屋の前に降り立った。
 部屋の中は、外から不審に思われない程度に、ロウソクの明かりがいくつか用意されているだけだった。個人の部屋にしてはかなり広くて、そのロウソクだけでは全体を観察することはできなかった。
 とにかく、本が多かった。壁の一面は全部本棚で、大小様々な本が並んでいた。家具は、ピアノ、ソファー、勉強用の椅子とテーブル、贅沢なサイズの鏡台、そんなところだった。フリルの着いたクッションや、棚の小物類が、いちおう女性の部屋であることを感じさせてくれた。
「ちらかっていてごめんね」
「いや、そんなことないって。十分きれいだと思う」
「そう?」
「ああ。本が好きなのか?」
「うん・・・本当は、あまり読んでないけど」
「その『謙遜』には、だまされねーぞ。パティが読書好きなのはわかっている。調べごともよくしているみたいだし」
「調べるのは、面白いから」
「そうだな」
 親しい会話の流れで、オレがさりげなく身体を寄せようとすると、奥からポビーが現れた。
「ようこそ、お帰りになりました」
 オレはパティの腰に回しかけた腕を戻した。
「ごめんね、ポビー、こんな時間に」
「姫様らしいですよ」とポビーはしわの多い顔をゆるませて言った。「お茶になさいますか?」
「お願い。あなたもいっしょに、ね」
「よろしいので?」
 ポビーはオレを見た。
「いいに決まってるだろ。ていうか、オレ、こんなところで姫様と二人でいたら頭おかしくなる。ブレーキにも限度があるんだ。ポビーさん、むしろお願いだから、いっしょにいてください」
 彼は頷いて奥に戻っていった。
「そうだ」と、パティは急に思いついたように言った。「今夜はポビーもいっしょに『グレートヒーロー』に乗ってアドクリフに戻るっていうのはどうかしら」
「どうしてさ?」 
「だって『二人でいたら頭おかしくなる』んでしょ?」
「それとこれは違うだろ。オレが言いたいのは『彼女』の部屋に来て、何もしないのは頭おかしくなる、っていう意味。いつも三人がいい、って言いたいわけじゃない」
「でも、つらくない?」
「おまえに言われたくねえ」
「そんなにつらいの?」
「ああ」
 するとパティは、ものすごく嬉しそうに笑った。
「リュウの苦しみは、蜜の味っ」
「おまえ、そういう趣味か?」
「もっと苦しませてあげようか、ね、ね?」
 するとパティが、ルーシーの『いしきかいかく』のように、胸をオレの腕にすり寄せてきた。
「いや、オレ、おまえの胸がほとんどないのはわかってるから」
「『わかってる』って、あのー、わかってもらうためにやったんじゃないんですけどー」
「無駄な努力はやめよう。人にはできることとできないことがある」
「リュウのバカ」
「ていうか、オレをいじめようとしたのはそっちだと思うんだけど」
「素直にいじめられておきなさいよ」
「やだよ、だって、オレ、マジでつらいんだから」
 パティは「ふー」とため息をついた。
「男の人って大変ね」
「おまえも半分男だろ?」
「違いますっ! 努力して演じているだけです」
「オレとしても、そうあってほしいよ。少なくともパティが男を演じているときだけは、オレ、冷静でいられるから」
 パティは、またエミリオの声を発しようとしたようだが、この部屋ではふさわしくないと悟ったのか、言葉をのみこんで、小さく首を振った。
「まあ、今はお互いつらいけど、ゴールがないわけじゃないわ。それを信じているから、ここに来たのだし」
「どういうことだ?」
「作戦会議よ。ね、ポビー」
 ハーブティの香りを振りまきながらポビーが戻ってきた。カップを受け取ったパティは、立ったまま二口ほどすすり、ノートや本を机に広げ始めた。
「簡単にアドクリフの概要を説明しておくわ。民主議会や政党のことぐらいなら知っていると思うけど、現在の政治家のつながりや、企業との金の流れなど、最新情報をいろいろと。これ、あなたとも無縁じゃないのよ」
「はあ?」
「あなたのご両親の研究には、アドクリフから大量の助成金が出ていたの。出所は、わかった?」
 パティに話を振られたポビーは、しっかりと頷いた。
「ホワイトサロンと呼ばれるグループです。おそらく中心にいるのは、次期大統領と噂されるカーリー・マクドナルド氏」
「やっぱりね」
「それ、このあいだ来国した副大統領だよな」
 と、オレは口をはさんだ。
「リュウが爆破で驚かせてしまった人ね。彼は若いときにリセで学んだことがあるのよ。アムンの宗教神話を学びに」
「親アムン派ってわけか?」
「それはわからない。あるいは実子の縁談が、ひとつの分かれ目だったのかもね。親戚となれば、親しくなるけれど、それがうまくいかなかったとなると・・・」
「おいおい、おまえ、もしかして、アムンの未来をぶち壊したのか?」
「壊したわけじゃないわよ。私たちは、私たちだけで、ちゃんと幸せなるの」
「そ・・・そりゃそうだけど、でも、あいつらって、すっごいんだろ。とにかく、何でもかんでも、すっごくて、いざとなったら、報道をでっち上げて、軍隊で制圧するなんてことも平気でするらしい」
「知ってる」
「おいおい、知ってるのかい」
「でも、そういう情報操作の真実を、あちらの国民が知ったら? 民主国家のいいところは、一部のリーダーが永久不変に存在しているわけではない、ということよ。あまりにも人の道に反することを行い、国民がそういう行為にノーを突きつければ、罪人たちは選挙で失脚する」
「それこそオレたちがやろうとしていることか?」
「だいたいね」
「パティ、簡単に言うなよ。それって、むちゃくちゃ大変なことじゃないか」
「私だって、何もサポートがなければ無茶はしない。でも、今は、リュウがいるし、『ビアトリスの玉』と『グレートヒーロー』がある。可能性がないとは思わないの。ね、ポビー」
「はい」
 このとき、オレは気づいてしまった。本当はこういうことの全てを裏で仕切っていたのは、ポビーさん自身なのかもしれない、と。この人が、王室に乗り込んで、何かを成し遂げようとしている・・・きっと、この人なりの強い決意を秘めて・・・
「ポビーさんも、自信あるんですか?」
「私は可能性を信じているだけです」
「オレ、あの『女王杯』のときに、宿のオヤジに言われたんですよ。アンタたち、絶対優勝するよ、って。『愛』があれば、勝てるよ、って。最初は信じてなかったし、昔のオヤジたちの優勝が載っている新聞記事とか見させられてむかついたけど、結局は、そこなのかもしれないな」
「答えは、あなた自身の中にあるのです」
 と、ポビーはいつものセリフをくり返した。
「ありがとう、ポビーさん、オレもその通りだと思えるようになってきた」
 オレは、改めて、パティが育った部屋を見回した。
 贅沢というだけではない、不思議に温かい和やかさ。
 ここには『愛』が息づいていた。オレはまだパティの両親とは会ったことがないけれど、その存在は、よきものとしてここの気配を作っている。
「オレ、ここに来てよかった。ポビーさんも、来る?」
 しかし彼は明確に首を振った。
「リュウさん、『愛』に怖じけずいてはいけません。これは、あなたたち二人の問題なのです。二人でクリアすべき困難なのです」
「なぜ?」
 オレが何気なく聞き返すと、ポビーはオレが持っていたカップに手を伸ばし、オレの指を外して、カップを机に置いた。
 そしていきなり、腹を殴ってきた。
「え?」
 うずくまりかけたオレの顔を、金属のように固いものが叩いた。ポビーの脚だったらしい。
 オレはピアノの脚のところまで吹っ飛んだ。
「な、なにを・・・」
 ポビーは、鋼鉄のような腕で、オレの胸ぐらをつかみ上げ、ソファーに投げた。
 オレは為すすべもなく、紙くずのようにソファーに寝ころび、苦しみでもだえた。
「な、なんだよ、いきなり・・・」
「リュウさん、これが私の現実です。私は、心の芯まで憎しみに染まり、決して引き返せない人間です。死ぬまで『愛』を手にすることはできない。だから、私にはない未来を信じ、全力を尽くすのです。ここにある、あなたたちの『愛』のために」
「ポビー・・・」
「リュウさん、あなたは、この世の中のもっとも尊い『愛』について、まだ気づいていらっしゃらない。しかし、それは、必ずお気づきになるときが来るはず。答えは、あなた自身の中に存在します。決意と、勇気と、自信を持って、お進みください」
「それ、どういうことですか?」
 と言って起きあがりかけたオレの顔を、重い平手が襲った。脳が振動し、鼓膜が麻痺した。それは一度では終わらず、反対方向からさらに一度。
 ショックで目を見開き、呆然とするオレにむかって、ポビーさんは、頭を下げ、パティにも礼をして、部屋を去っていった。
 パティは心配そうにオレに駆け寄ってきた。
「大丈夫?」
「わ・・・わかんね・・・すごいけど・・・でも、怪我はしてないかも」
「ホントに?」
「ああ」
「あんなの、初めて。私も驚いたよ」
「オレ、わかった。これ、全部、質問の返事だ」
「え?」
「やっぱ、ハンパじゃねーよ、ここは。王室ってやつは。こんなすごいところで生まれ育ったおまえが、なんでオレのことなんか好きなんだ?」
「そんなの、言葉では説明できない」
「だな。でも、オレがそれに応えるってことは、やっぱ命がけなんだな。よくわかったよ。来てよかった。さあ、戻ろう。資料とか本とか、必要なら積んで持っていけばいい。夜明け前までに『ブルームーン』に戻るぞ」
「はい」
 と、素直ないい返事。

 ありがとう、パティ。そしてポビー。





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