GREAT HERO  1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15

13章


 明け方、アドクリフの川に着水し、ブルームーン近くの桟橋につなぎ止めて、大きな手提げバック二つ分の書籍を持って、教会に戻った。寝ているみんなを起こしては悪いと思い、裏から巡礼者用のベッドルームにむかうと、なぜか明かりがつき、人々が集まっていた。ルーシーらサイモン一家もいたし、ミカの部下の黒服ブラザースもいた。
 オレたちが怪訝そうに近づくと、ルーシーが走り寄ってきた。
「ミカさんが死んじゃいました」
「はあ?」
 それだけはあり得ないと思ったオレは、てっきり何かの間違いか、悪い冗談だと思った。
「ルーシー、ありえない。あの人は死なないよ」
「さっき、大怪我して戻ってきたんです。医者を呼ぶ間もなく・・・」
 オレは突然、ガクガクとふるえ始めた。
「医者を呼ぶ間もなく、がぶがぶ酒を飲み始めた、とか言うんだろ?」
 オレは、立ちつくして、つぶやいた。
 そんな願いも、冗談も、この場ではなんの支えにもならず、オレは思考停止した。
 握っていたバックを、エミリオが指の一本一本を外して下に置くと、オレの手を引いて、部屋に導いてくれた。
 エミリオのその行動や、泣く人々のことを、オレの心は、遠くから眺めていた。オレの『心』は、こことは違う遠いところに避難して、ぼーっとみんなを眺めていた。
 こんな現実に関われるほど『心』は強くないから。
 オレなんか、田舎者で、畑で野菜作ったり、波のない湖でヨットを走らせたりするのが好きなだけで、国の高官試験も全然ダメだったし、これからは田舎で過ごすのだ。ヨットレースとか、爆弾テロとか、そんなの、オレのキャラじゃないし。オレは、猫みたいに、田舎でのんびり暮らせたら、それでいいんだ。べつにお姫様と結婚したいわけじゃない。偉くなったり、金持ちになりたいわけじゃない。
 だから、この世界は、オレとは関係ない、ってことにしてくれないかな。
 ルーシーの父のソウジロウ氏が、薄い封筒をオレに差しだして言った。
「リュウ、大統領のアムン訪問が来週の木曜と正式決定したそうだ。そして、これを君に、と」
 オレは、まるで手品を見つめる観客のように、その封筒を見つめた。半分が赤く染まっている。きっと、これは、そういう手品なのだろう。手品というのは、いろいろ変わった小道具を使うものだから。
「ミカが自分でとどけてきたのだよ。リュウに渡せ、と」
 オレは、ふてくされた態度で「なんでオレなんすか?」と質問した。
「それは誰もわからない。ミカの判断だ」
「そういうの、嫌だって言ってるんですよ。よけいなことに巻き込まれたって、困るんですよ、オレ」
 ミカの部下のブラザースが、オレの両腕を握り、力ずくで空いているベッドに座らせた。
「リュウ、なぜ逃げる!」
 太った方。デュガルだっけ。
「なぜ関わらなきゃなんねーのか、それがわからねえからだよ」
「答えは君の中にあるはずだ」
 と、痩せたアーニー。
 オレはアーニーをにらみつけた。
「なんでアンタにわかる?」
 アーニーは、隣のベッドに向かって、あごをしゃくった。
 目を閉じた白い顔が、そこにあった。
 あり得ないはずの、強い人の死。
 胸がはだけたままになっているのは、何かの処置をしようとしたからだろう。
 いつものブルーシャツが赤黒く染まり、ボロ布のように腕に絡まっていた。
「オレ、ミカさんに会うと、いつも腹を立てていたんだ。でも、オレ」
 急に咽が詰まり、涙が吹き出してきた。何も言えなかった。意味にならない声を、うなったり、叫んだりした。
 でも、本当に言いたいことは、ひとつだけだった。
 好きだ。
 腹を立てたこととか、えらそうな指図や、そんなことは、みんなどうでもいいんだ。
 なんで、オレ、ミカさんのことなんか好きなんだ?
 頭を抱え、首を振った。
「リュウ、さあ、封筒を開けてくれ」
 と、エミリオの冷静な声が聞こえた。
 オレは、ソウジロウさんから封筒を受け取った。
 あまりの軽さに驚いた。
 こんなもののために、あの人は血まみれになったのか?
 魔法の扉を開く鍵でも入ってるのか?
 封を破くと、中から出てきたのは、一枚の紙だった。


  『寝室』は政府ビル西棟最上階の副大統領専用資料室


「これだけ?」
 オレの悲しい疑問。
 デュガルが、太い腕でオレの胸ぐらをつかんだ。
「おまえ、もう一度言ってみろ!」
 オレは薄っぺらな封筒の、短い一文の重みを、ようやく悟った。
「いや・・・他には、ないのかと思って」
 デュガルが握っていた手を離した。
「重要なのはそれだけだ。ただ、もう一つ、大切なことがある。遺体を、ここで隠してほしい。足はついていないはずだ。何事もなかったようにふるまうんだ。調査官が来ても見つからないよう処置をさせてほしい」
「では地下に埋葬しよう」とソウジロウ氏が言った。「穴掘りを手伝ってくれるかね?」
「いや、それはダメだ」とアーニーが否定した。「土を掘れば痕が残る。痕が残らない方法で隠さなくてはならない。例えば、何かに入れて、天井裏に隠す、とか」
「一日ぐらいはいいが、そのうち傷んでくるぞ」
 ソウジロウ氏の心配に、デュガルが答えた。
「だったら寝袋に入れて隠そう。中にたっぷり酒を入れて。ウイスキーのストレートだ。まさに、ボスらしい葬式だ」
 そりゃいいや、とオレも思った。
「みなさん、うちは教会なので、酒はたくさんありますよ」
 と、ソウジロウ氏が笑顔で言った。
「もちろん、お葬式もできます、教会ですから」
 と、サイモンの奥さんが、優しく言った。

 方向性が固まると、ソウジロウ氏が弔いの言葉を語り始めた。
 オレたちは頭を垂れて祈りをささげた。

 ミカさんの処置は、ブラザースが行った。彼らはそれが義務であり、権利であるとわかっていた。
 オレとパティの義務であり、権利であることは、メモの場所をなるべく早く調べに向かい、成果を上げることだった。
 そのために、ブラザースは、オレたちに睡眠を強いた。「眠ってる場合じゃない」と反論したかったが、無駄だった。夜の調査のために、昼は眠ること、これがオレとエミリオの義務である、と。
 食欲のないオレたちを気づかって、ルーシーとお母さんは、とびきり美味しいチャウダーを大鍋に作ってくれた。オレは発作のように襲ってくる怒りと、絶望と、涙の波に翻弄されながら、なんとか食事を胃に押し込み、清潔なベッドで横になった。

 待ちかねた深夜になると、オレとエミリオは濃い色の服装で教会を出て、『グレートヒーロー』のある川にむかった。そして決意を込めてキスをし、夜空に飛び立った。
 政府ビルは東と西の二棟があり、ここにアドクリフの政府行政組織が集中している。その西棟の最上階は、副大統領専用となっていたのだ。ブラザースが教えてくれた。
 まさか地上80階の高層ビルに、外から侵入者が来るとは、誰も予想していないはず。
 最上階近くに到着し、ガラス越しに船を進めると、資料室とわかる広い部屋を見つけた。そこにはテラスがあった。ベンチも設置され、外で読書できるようになっていた。オレたちはテラスに『グレートヒーロー』を着地させ、侵入場所を探った。
 オレは背のリュックを下ろし、透明テープと、ダイヤモンド刃のカッターを取り出した。ブラザースから借りてきていたプロの道具だ。ガラス窓の鍵の位置に穴を開けて、指を入れて鍵を外す。目立たないように切ったガラスをテープで留めておけば、次回もまた同じところから侵入できる。
 侵入は成功した。中には監視カメラなどもないようだった。ブラザースから借りたヘッドバンド式の照明も使いやすい。
 しかし問題は、そこにある資料の膨大さだった。どこから手をつけたらいいのかわからない。書籍も多かったが、書類の入ったボックスファイルも、天井近くまでぎっしりと並べられている。書架の数を計算したら、合計で100以上もあった。
「パティ、どうする?」
「リュウ、悪いけど、この作業中はエミリオでいかせてくれ」
 と、真面目な否定。
「うん、そうだな。で、問題は、どこに目的のものがあるかだ」
「あの扉はなんだろう?」
 てっきり出口かと思ったが、『関係者以外立ち入り禁止』と扉に書かれている。ナンバー入力式の電子ロックのかかった扉には、小型のガラス窓がついていた。中も資料室になっていた。しかし窓はステンレスの網入りで、これを切って開けるとなったら、ただごとではないし、明日には必ず見つかってしまうだろう。
「おい、ここはそうとうの重要書類らしいな」
 と、オレは中に光を届かせて言った。
「まるごと持ち出せたら無敵なのだろうけど」
「バカ、それこそ、軍隊に追いかけられる」
「うん。事を荒立てたら本末転倒だ。今夜はとりあえず、部屋の様子をきちんと探ろう。資料の分類もパターンがあるはずだ。書架は僕が探るから、リュウは室内の地図を書いておいてくれ。なるべく詳しく」
「次に来るときのためか?」
「ああ。この広さでは闇雲に探しても無駄だろう。別の情報源に当たってから、また来る」
「おまえ、心当たりでもあるのか?」
「ああ」
 エミリオは、説明する時間を惜しみ、書架に向かった。
 オレもやるべきことを、今はやるだけだ。それに『地図を書く』というのは、実はあそこでずいぶんやったからな。エシルさんと、連日の残業続きで・・・
 オレはリュックから、ノートとペンを取りだし、すらすらと部屋の概要を書き始めた。書架の中身についても、エミリオが調べたことを書き留めた。
 エネルギー政策や、軍の配備についての資料が見つかった。目的の資料ではなかったけれど、大国アドクリフの現実を知る手がかりにはなる。いちおう部屋にあったコピー機でコピーを取った。

 夜明け前に教会に戻った。そしてシャワーを浴びてから、巡礼者用のベッドに横になった。
「ここって、あの人が死んだばかりだし、ヘンな夢を見そうだな」
 と、オレはわざとふざけて言った。
「あの人はまだこの建物の中にいるよ」
「おまえ、なにげない顔して恐ろしいこと言うな」
「事実だ」
「そりゃそうだけど」
「それよりも、時間がないんだ」
「ああ。わかってる。でも、成果がなければ帰るわけにはいかない。だろ?」
「少し眠ったら、僕は出かけてくる。リュウは、今日は休んでいてくれ」
「はあ?」
「一人で行きたいんだ」
「どこに?」
「『彼』のところさ」
 と、やつは寝返りを打って、オレに背を向けた。
「『彼』って、副大統領の実子のやつのところか?」
「ああ」
 やっぱり・・・
「行って、何になる? きっと親父の資料室のことなんか何も知らないぜ」
「そうでもないんだ。彼は、あそこのことについて、語っていたことがある」
「オレも一緒に行ったら・・・ダメなんだろうな」
「うん」
「気をつけて、な」
「大丈夫。この幸せな教会のベッドを、血で染めるのは一人で十分だ」
「オレ、おまえがいなくなったら、速攻でオッパイ大きい美人とたくさんつきあって遊びまくるからな。だから、絶対、帰って来いよ」
「確かに、それは絶対に帰ってこなくてはならない理由だな」
「わかってると思うが、あのミカさんでさえ、やられるときはやられてしまうんだ。オレたちが絶対に大丈夫なんて言えない。でもな、やられるときは、いっしょでいよう。おまえだけやられて、オレが残されるなんて、そんなの絶対にダメだからな」
「リュウ」
「ん?」
「愛してる」
「バカ。それ、男の声で言うな」
「ダメか?」
「ダメじゃないよ。でもさあ」とオレは言葉に詰まった。「まあいいや。オレ、全部受けてとめてやるよ。エミリオでも、パティでも」
 

  ありがとう


 暗闇の中に、優しい女性の声が響いた。
 パトリシア。
 不思議なやつ。
 オレの一番大切なやつ。
 いつまでもいっしょにいなくちゃいけないやつ。

 昼前に男姿のパティが出ていくとき、寝ていたオレにキスしていった。オレは目覚め、やつの身を案じて、腕を伸ばして抱きしめた。
「むちゃするなよ」
「わかってる」
 そしてオレは、再び眠った。
 夢を見ること、それは言葉を超えた二人の関係の確認であり、自分自身の心の探索であり、自分の置かれた状況の観察でもある。

 
 なんでやられちゃったんですか?

 等価交換さ。ギブアンドテイクだな。

 でも、死んじゃったら終わりでしょ?

 そうでもないぜ。大切なものを引き継げるなら納得できる。

 それが、あの紙切れ一枚?

 私はおまえと議論しに来たんじゃない。

 じゃあ、何しに来たんですか?

 警告だ。

 はあ? ていうか、人に警告するヒマがあったら、自分が気をつけるべきだったんじゃないですか?

 気をつけていたさ。べつに不慮の事故じゃない。計画の一ページなのさ。私が存在したことも、死んだことも。

 むちゃくちゃです。

 言っとくが、これ、笑うなよ。私は、最初から死んでいたんだ。
 
 それのどこが笑えるんですか?

 最初から存在していなかった、ってところがさ。

 存在していましたよ。
 ルーシーの残りのワイン、飲んじゃったじゃないですか。
 自分だけ菜の花満載で鼻歌歌っていくのはいいけど、オレに荷車とかの後片づけ残して。
 オレの『グレートヒーロー』を勝手にもってったと思ったら、レースにエントリーしちゃって、おかげでパティが婚約を逃れられて。
 あんな紙切れの情報でなくて、その前に、立派に存在していましたよ。

 リュウは、いいやつだな。

 で、いいやつだけど、甘い、って言うんでしょ?

 甘さや、弱さも、価値なのかもしれない。きっと、答えはリュウ自身の中に存在するのだろう。

 それ、とっくに別のところで聞かされてるセリフです。

 夢だからな。

 わかってるんですか?

 私は、おまえが思っているより、よく事情をわかっているつもりだ。愛ってやつについてもな。

 そうかなぁ・・・

 言っておくが、私が死んだのは、おまえのためなんかじゃないぞ。おまえたちが、未来にもたらす『何か』のためだ。

 それ、なんですか?

 私に聞くな。おまえのことだろ。

 わからないんです。

 リュウ、いいか、よく憶えておけ。
『わかること』なんか、カレンダーの風景写真みたいなもんだ。
 平凡で、当たり障りなくて、薄っぺらで。
『わからないこと』にこそ、真実がある。
 真実を言葉で説明できるなんて思うな。
 そんなことができるなら、世に哲学など必要ない。
 
 言ってることはわかるけど、でも、答えになっていません。
 
 はっ!
『答え』?
 だから、おまえはバカなんだ。
『答え』なんか、ない。
 どこにもない。
 まだわからないのか。
 ないから、おまえたちが『作る』んだ。
 
 その一人は、今、どこか行っちゃってますけど。

 心のことだ。つながっているんじゃないのか?
 

「心のつながりなんて、ニセ魔法使いの呪文みたいなもんだ」
 と、オレは、目を開いて、自分に言い聞かせるようにつぶやいていた。
 わざと、自虐的に。
 どこまでが夢か、わからない。
 悲しみと無力感が、心に染みこんでくる。

 ところで、『グレートヒーロー』ならどう答えてくるだろう、と興味を持った。今は一人だし、ちょうどいい。
 オレは巡礼者用のベッドから出て、昼の食事に同席し、一人で水辺に向かった。ルーシーは朝から仕事に出ているらしく、姿を見かけなかった。
 一人で『グレートヒーロー』に帆を張って、川から湾内に出た。
 白い雲が全天を多い、あまりよい天気ではなかった。風もわずかにそよぐ程度だ。
 オレは大型船の通路から外れた静かな場所に来ると、帆をたたみ、さながら釣り糸を垂れる老人のように、ぼんやりと海を眺めた。
 やがて、なぜか身体の奥から『声』が沸き上がってきた。
 そんな体験は初めてだったので戸惑ったが、誰かに迷惑をかけるという場所ではなかったので、思い切って『声』を口から吐き出してみた。
「ヒュー、ルールールー」
 理由はわからない。なぜこんな声が自分の中から出てきたのか。
 しかし結果的には『できた』ような気がした。ここでは鳥もクジラもよってこないけれど、この声を出すときのパティの波動と、今のオレの波動は、きっと共通している。
 これが、オレたちの『心のつながり』と断じるのは、尚早かもしれない。
 しかし『声』が、実は『心のつながり』のヒントであると、オレはようやく気がついたような気がした。
 オレは『グレートヒーロー』の縁をそっとなぞった。
  
 ひとつ大きな発見をしたので、満足して教会に戻った。午後のシンとした教会は、退屈な雰囲気だった。
 オレは一人で街の方にも行ってみることにした。なんだかんだ言って、いろいろあったし、そろそろ土地勘もついてきた。
 子供のようにドキドキしながら、初めて街の中央に向かう路面電車に一人で乗り込んだ。
 午後の路面電車は、お年寄りたちや、学校帰りの女子学生たちが乗っているだけだった。病院の比較や、学校の教師の悪口。どこも同じだな、と思った。ときどき会話が聞き取れなくなるのは、アドクリフ語がオレには外国語だからだった。それでも小さいころから習ってきたし、ルーシーのお母さんのようなアドクリフ人と接することも少なくなかったから、ちゃんと聞こえさえすれば意味はだいたいわかったけど。
 外国語での人々の会話、しかしその内容は、オレの故郷の人々とさほど変わらない。それが、すごく不思議に感じられた。
 変わらないものは、他にもたくさんあった。
 空気、公園の緑、水、星・・・
 オレたちのアムンは、今でこそ、過去の反省にたち、謙虚な生活をしているが、昔はそれなりに贅沢をして、荒廃していた時代もあるのだ。あの首都の近海には、当時の贅沢な建物が沈んでいるらしい。そんな苦しい時代を経ても、まだ全ての資源が枯渇したわけではないから、強力な軍隊を持つ大国アドクリフは、世界のエネルギー資源を独占し、この贅沢な『夢』を続けている。
 でも、そういうのは、表面的なことなのだ、と思う。リンゴの皮が、赤いか、黄色いかの、違いだ。人の暮らしという中身は、笑っちゃうほど同じなのだ。
 それは、あの悲惨な難民キャンプでも、全く同じだった。貧しさや、怒りや、病が襲っていても、子供たちの笑顔や、リズミカルな歌は、人が生きているという現実そのものだった。
 オレは、オレの『小ささ』を実感する。
 路面電車の、ガタガタと揺れる車内で、冷たい金属ポールを握りしめて思う。
 オレってなんて無力なんだろう・・・

 贅沢なブティックが建ち並んでいる大通りの方が観光地としては有名だったけれど、オレはあまり興味がなかったので、目に付いた路地に入って歩き続けた。無機質なビルの谷間には、古い商店街が残っていた。朽ちかけた木製の門があり、それをくぐった先の店々では、電機部品のパーツや、アニメキャラクターのカードなどが売られていた。音楽ショップもあった。なんと店先にレコードが飾ってある。こんな大昔のものが平気で飾られているなんて、さすがアドクリフだと思った。
 音楽ショップに入ると、カートリッジ類が棚にぎっしりと並んでいた。シリーズものは輪ゴムでとめてセットの値札がつけてある。
 店内のBGMはミヤコ・マホだった。アムンの島歌を歌う歌手だ。最近は名前を聞かないが、昔はアムンを代表する歌手だった。うちにもその音楽カートリッジはある。オレが来て数年で亡くなった教会のおばあちゃんがいつも聞いていた。旋律に独特のコブシをつける歌い方が、なんとなく田舎臭くて、オレはずっと嫌いだったけれど、なぜだろう、こんなところで耳にすると、電撃に打たれたように感動してしまう。
 通りには贅沢な店がたくさん連なっているのに、このな場末の店で、身体が震えるほど感動しているなんて。
 パティが知ったら、笑うかな。
 それとも、いっしょに感動してくれるかな。
 いろんなことを、あいつに報告したいと感じている自分がいた。
 そろそろ教会に戻ろう、と思った。

 夕暮れに教会に戻っても、まだパティは戻ってきていなかった。シーラさんから預かった携帯電話は持ったままだったから、連絡を取ろうと思えば取れないこともない。しかし、あいつなりに頑張っているはずだし、それを信じるのも大切なことだと思った。オレは下着の洗濯など、身の回りの片付けをしながら時を過ごした。
 夕食の時にはルーシーも戻ってきた。ときどき臨時で、病院の検査の仕事を手伝いに行くことがあるらしい。
 食後に、二人でテーブルに残り、お茶を飲みながら語り合った。
「検査の仕事って、もちろん、だいたいは機会が自動でやってくれるんだけど、調子悪いと私達がよばれるの。『臨時』だけど、なぜかよく呼ばれるから、いい仕事になっちゃってるわけ」
「機械が古いのか?」
 ルーシーは指を立てて口にあてた。
「リュウ、わかっていても、それは言っちゃダメ。機械は機械なりに頑張っているの。今日もね、ホルモン検査の機械が『カートリッジを初期化しますか』っていきなり言うわけ。カートリッジなんて、何も入っていないのによ。『もー、おじいちゃん、カートリッジなんて入ってませんよ』と答えると、しばらくしてまた『カートリッジを初期化しますか』って言うの。すっかりボケちゃって」
「そういうときは、空いてるカートリッジを入れて、思いっきり初期化させてあげたらいいよ」
「そうね。『おじいちゃん、これならいくらでも初期化していいから、やりたい放題やって』って。今度はそうするわ」
「でもさー、そんな機械の検査結果なんか、信じて大丈夫なのか?」
「だいたい大丈夫みたい。患者の症状と検査結果が合っているから。それが合わなくなり始めたら、そろそろ潮時ってことよね、残念だけど」
「なんだか、とても『人間的』な職場だね」
「だって、病院ですから」
 シニカルに微笑むルーシーは、昔と同じように魅力的だった。オレの心の奥で、忘れたはずの気持ちがうずく。こういうことは、パトリシアという『絆』があっても、やっぱりあるんだな、とオレは苦笑する。それが男というものらしい。
 もちろん気持ちがうずいたからといって、それ以上のことを望むわけではない。『オレ・ルール』として、パティが最優先なのだ。あいつとやってないことは、他の女性とはしないし、あいつとやっていること(抱きしめてキス)も、今は他の女性とする気はない。頭の中でいろいろ妄想することはあるけれど、現実的には、決して。
 こんな『オレ・ルール』にこだわってしまうのは、やっぱり教会で育ったからだろうか。アムン教には『あまり姦淫するべからず』という教えがある。・・・さて、これを『明確』というのは、少し違うかもしれないけど。
「そんなことより、エミエミ、一人で大丈夫かしら?」
「あいつには、あいつなりの事情と決意があるんだ」
「それ、冷たくない?」
「男には、一人でやらなくちゃいけないこともあるんだよ」
「バカみたい。だからアムンの男って嫌いよ」
 その言葉とは裏腹に、ルーシーは嬉しそうに微笑んでいた。 
「ルーシーは、あいつのこと、好きか?」
「え?」
 オレのストレートな問いに、ルーシーは頬を赤く染めて横を向いた。
「どうだろう、あらためて聞かれると、困っちゃうな。でも、なんとなく物腰が高貴だし、かっこいいなと思う」
「言っとくけど、あいつ、ルーシーとはつきあえないからな。事情があるんだ」
「うん、なんとなくわかってる。ご心配なく」
「ごめんな、ルーシー。わかってくれて、ありがとう」
 そして、オレは、本当はこの勢いで、オレたちのことも話題にしたかった。好きだけど、つきあえない事情があるんだ、と。それは、エミリオのことを話題にするのとよく似ている内容だったのに、ここではどうしても口にできなかった。
 それは、ルーシーも同じらしい。
 ここにある『好き』という、気持ち。
 それが、オレたちの間には、出口がないまま存在していた。肯定できないし、するつもりもない。ただ、二人の間に漂い、オレたちを苦しめる。
「リュウ、死なないでね」
「はあ?」
「いきなり血まみれで帰ってきたりしたらイヤだよ」
「わかってるよ、そんなこと。オレだってイヤだ」
「エミエミも」
「ああ。あいつだってわかってるさ」
「また三人で『グレートヒーロー』に乗ろう。ね?」
「ああ。本当は、できることなら『シラー湖で、三人で』がいいな。ま、そのときはキーロウも混ぜてやるか」
「でも、ヨットをあんな湖まで持っていくって、大変じゃない?」
「ちゃんとヨット運搬用の馬車があるんだ。ポビーさんならやってくれるさ」
「ポビーさん?」
「ああ。元格闘技世界チャンピオン。エミリオの友人だ」
「会ってみたいな」
「『元』と付くだけあって、若くはないぜ。でも、いい人だ。いつも、オレの顔を見ると言うんだ。『答えは、あなた自身の中にあります』って」
「そうなの?」
「考え中」
 とオレは首を振った。
「ルーシーは、自分の中に答えがあると思う?」
「そんなふうには、考えたことないな」
「考えてみるといいよ。オレたちって、ついつい『答え』をまわりに探しがちだろ。そうすると、しばしば絶望するんだけど、もしも自分の中を本気で探ったら、自分だけの大切なものが見つかるかもしれない」
「『カートリッジを初期化しますか』みたいな?」
 オレは苦笑して『カートリッジ』という言葉と、『好き』という言葉を、心の中で比較した。
 似ているかもしれない。
 どちらも、初期化したくても、できないところ、が。

 エミリオはなかなか帰ってこなかった。オレは巡礼者用のベッドで、手に入れたコピーに目を通そうとしたが、あいつのことが気になって文字が頭に入らない。
 キーパーソンは、副大統領カーリー・マクドナルド。その実子のウィルのところに、一人でむかっていったエミリオ。いっしょに食事をしたときには「ヨットに乗ろう」などと誘われ、好意を示されてはいたが、いっしょに遊ぶくらいで国の重要秘密を漏らしてくれるとは考えにくい・・・
 きっと『何か』が行われる。それが何かは、オレにはわからなかった。王室やら、国のトップやら、オレの知らない世界の駆け引きだろう。
 何かの秘密を示唆して脅すとか? パティは、以前つきあっていた相手にかなり酷いことをしたらしいが、そういう素質があれば、人を責めることは、やってやれないことではないのかもしれない。
 でも、危険すぎる。もしも、あいつがパティ自身だとばれたり、何らかの暴力的な状況となれば、あいつにできることなど何もない。守ってくれる世界チャンプもおらず、むざむざとやつらの手に落ちるだろう。もちろん、その場にいないオレは、一切、何もしてやれない。
 もしも、やつの正体がばれて、国に護送されでもしたら、おそらくオレとの『関係』も終了だろう。立場をわきまえないおてんばを叱られた上で、本来の家柄正しい婚約者と結ばれるのだ。例えば、ウィルのような男と。
 結局のところ、パティは、一人の女性だ。心で強く想ったところで、毎日抱かれる男との関係を否定することはできないだろう。否定するなら、死しかない。死をあきらめたら、あとは『状況』の奴隷となっていくだろう。
 しかし、心配したオレが、いきなり乗り込んでいってなんになる? あの屈強な百戦錬磨のミカさんでさえ、やられるときにはやられてしまうのだ。それがこの世の現実ってものだ。ヒーローは死なない、なんていう気楽な前提のおとぎ話とは違う。
 オレは、バカだ。
 無力だ。
 金も、権力もない。
 愛する人のためにできることは、ただ、流れる時間と戦い、ここでじっとしているだけ・・・
 唯一、オレにできること・・・
 それは、あいつとの絆を信じて、トイレにいって、あいつを想って、自慰すること。男のイメージの向こうの、真実の存在を信じて。
 あまりの最低さに、涙さえ、出てこない。

 あいつが帰ってきたのは、夜中になってからだった。オレはまだベッドで頭に入らないコピー用紙の文字をぼんやり眺めていた。
 あいつは疲労しているのがわかる投げやりな仕草で、オレが見たことのない新しいバックを、どさっとベッド脇に置いた。 
「シャワー、浴びてくる。今夜は、休みにしよう」
 それは『グレートヒーロー』での捜索のことだった。
「ああ。その方がよさそうだな。大丈夫か?」
「なんでもない。心配するな」
 オレは、エミリオが帰ってきたことは嬉しかったが、その憔悴ぶりが気になった。あまり時間がないのは事実だったが、あのビルにただ闇雲に探しに行っても成果がないのは既にはっきりした。エミリオが、今日、何かの収穫を得て、明日改めて行くということでいいのなら、それに越したことはない。
 
 シャワーから戻ってきたエミリオは、オレを素通りして、倒れるようにベッドに横になった。
「どうだった?」
 と、オレは質問した。気の毒な気もしたが、今後の予定のこともある。確認は必要だった。
「中の扉のナンバーがわかった。明日は奥に入れる。ファイル名もだいたいわかった」
「おい、大収穫じゃないか」
「ああ」
 しかし、やつは全く喜んでいない。
「何か、あったのか?」
「そりゃあ、あるさ」
「何が?」
「リュウは、知らない方がいい」
 オレは、とっさに、真っ青になった。
「おまえ、まさか、女としてあいつに会ってきたわけじゃないんだろうな?」
「これは、僕の問題だ」
「おい、それを言うなら『僕の問題』ではなく『私の問題』だろ。何かされたのか?」 
「言いたくない」
 オレは、自分を落ち着けるために、大きく息を吸った。言いたくないことは、そっとしておいてやるのが、優しさというものだろうか? 普通はそうかもしれないけど、オレの立場はどうなるよ。オレは、パトリシアを、愛しているんだ。
 オレはベッドを下りて、向こうをむき枕を抱いているパティのそばに腰掛けた。
「何かいやなこと、されたのか?」
「いや、むしろ逆なの」
 と、女性の声に戻って応えた。
「どういうことだ?」
「ウィルの前で、イヤな私ではいられなかった」
「それって、まさか、『よかった』ってことか?」
 小さく首を振った。
「よかったなんて言ってないよ。ただ、あの人は、いい人だった。ずっと、自己中心的なイヤな人だと思っていたのに。最後までイヤな人のままでいてほしかった。反則よ」
「パティ・・・」
「リュウ」
「なんだ」
「私、また、こんな男の格好しているけど、抱きしめてくれる?」
「当然だよ」
 オレは部屋の明かりを消してから、パティのベッドに戻り、強く抱きしめた。
「ねえ、愛は、狂気。一歩間違えれば奈落の底よ。それでも、私を許してくれる? 愛してくれる?」
「仕方ないだろ。許したくなくったって、愛してなくったって、それでも、オレは、おまえと生きるんだ。いっしょに生きていければ、いろいろあるだろうし、いろいろ変えていける。今朝さ、夢の中でミカさんが出てきて説教していったよ。『答え』なんか、最初からない、って。おまえたちが作るんだ、って」
「私は、極悪人です」
「本当の極悪人は、自分のことを極悪人とは言わない」
「そう?」
「懺悔なら聞いてやるぜ」
「私、パトリシアは、あなたとした以上のことは、しておりません」
 オレは苦笑した。
「それを聞いて、むちゃくちゃホッとした」
「アムンの未来のための代償だから、許してね、リュウ」
「なに言ってんだよ、バカ。そんなことより、お疲れさま。オレ、キスしていいか?」
「お願いします」
 オレが労るように唇を添える。するとパティは身体を反らせ、オレを強く抱きしめてきた。
 オレはブレーキが壊れそうになった。
 今夜はパティもそんな感じだった。いつも冷静なはずのパティが、今夜は何かが壊れたかのように、全身でオレを求めてくる。
「ちょっと待て、パティ。ここは教会なんだよな」
「うん」
「やっぱ、教会で、これ以上は、まずいよな」
 パティは、薄暗い中で微笑んで、頷いた。
「それに、私、男のままだし。あなたに抱かれるときは、ちゃんと女の子の格好でしたい」
「たしかに」
「本当は、女の服は、そのバックに入っているけど、明日、全部捨ててね」
「なぜ?」
「全部終わらせてきたから。それより、明日は、私達にとって、大切な日にしよう。そうよね?」
「ああ。全てを無駄にしないために。いっちょ、やってやろうぜ」
「リュウ」
「なに?」
「大好き」
 オレは、やつの、男にしては華奢で小柄な、女にしてはやや長身の身体を、ぎゅっと抱きしめた。
「バカ。『好き』なんて、ボケた検査装置みたいなこと言うな。それだけじゃなくさ、オレたちは『二人で幸せになる』んだ。全部うまくいったら、結婚しよう。いいだろ? オレ、あの鳥を呼ぶ声も、沖に出て練習して、コツをつかんだんだ。きっと大丈夫だから」
「私と結婚したら、いろいろ大変よ?」
「今さらなに言ってんだ。既に十分大変だっちゅーの。でも、オレ、こういうの嫌いじゃない。思えば、湖におまえが来てくれたところから、全部、始まったよな」
 彼女は無言のまま頷いた。
 男の服を着ていても、一番大切な存在だ。
「ま、オレも頑張るから、こらからも、よろしくな」
「はい」





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