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気持ちが落ち着いてから、いったんパティを横に寝かせて、馬に川の水を飲ませているポビーのところに行ってみた。
一晩走った馬からはたくさんの湯気が上がっていた。立派な馬だったが、こんなのどこにいたっけ? まあ、いつのまにか馬車まで用意していた、と気付いても、オレはもう驚かなかったけど。
とりあえず、オレにはやりたいことがあった。シラー湖を離れた『グレートヒーロー』としては、底のキールを外して、自由に出し入れできるセンターボード式に替えておくべきだった。もしも川を走らせるとしたら必要なことだ。もともと替えられる仕様になっているから、あまり難しいことではないのだが、問題はスパナなどの工具がないことだった。
「ポビーさん、そのうちどこかで食事したり休んだりすると思うんだけど、そのときに工具を借りて欲しいんですよね。直しておきたいところがあって」
すると彼は、馬車の脇の小箱を探り、工具類を出してくれた。
「これでよければ」
「なんだ、ちゃんとあるんですね」
「敵はあなどれません。常に用意周到を心がけています」
「ははは」
オレは苦笑した。
「ところでリュウさま、何を直されるので?」
「これ、川でも使えるように、キールを出し入れできるセンターボードに、と思って」
「それは賢い選択です。お手伝いいたしましょう」
オレは、いいですよ、お疲れでしょう、と言いたかったけれど、やはり一人で簡単にこなせる作業ではなかった。ありがたく手伝ってもらうことにした。
浸水を防ぐ枠を外し、ボードを船底に固定していたボルトを外し、引き抜く。高さを固定できるように両側にレバーを取り付けて、ぴったりした元の隙間に差し込み、再び枠を取り付ける。
「サンキューです。これで川でも大丈夫っス」
ポビーは笑顔を見せ「あと二時間ほど走った先に、仲間の宿があります。もう少し頑張りましょう」
そして馬の用意に戻っていった。
「ねえ、パティ」
「なに?」
「あの人、体力あるね」
「そりゃそうよ。世界のポビーだもの」
「どういう意味?」
「元格闘技世界チャンピオン」
「はあ?」
「体重別だから、とは言ってたけど。まあ、あまりあの人を怒らせないようにした方がいいわ。怪我したくなければね」
「それ、面白い冗談には聞こえないんだけど」
「熱のある私に、面白い冗談なんか期待しないで」
「はいはい」とオレは首を振った。「あと二時間だってさ。頑張れる?」
「私は頑張ります。死にたくありませんから」
「なんだかなぁ」とオレはつぶやいた。「君が言うと、それも冗談に聞こえないよ」
「リュウ、移動は頭に響きます。もう少し抱きしめていてもらっていいですか?」
「あ、ああ・・・もちろん、それはいいけど、役に立った?」
「はい。癒されます。幸せです」
「な、なんだかな・・・男のなりでそんなこと言われても・・・」
「私、心と身体は女です」
「もちろん、わかってるけど・・・」
再び移動を始め、やっとたどり着いた宿。その庭木に囲まれた広い庭園に入ると、馬車置き場に馬車を停めた。ポビーさんは『仲間の宿』と軽く言っていたが、煉瓦造りの立派な屋敷で、普通の人が宿屋として利用できそうなところではなかった。
それでも中に入ってみると、働く人々の馴れた対応は、やはり宿屋のものだった。物腰の上品な数名の女性たちが、丁寧に迎えてくれた。
食堂からは激しくよい匂いが漂っていた。まだ昼には早かったが、すでに食事の用意はできているとのことなので、焼きたてのパンと、キノコたっぷりのシチューをいただいた。疲れた身体と心にあたたかく染み渡る。ぐったりしていたパティも、美味しい食事でしっかりと栄養補給し、薬を飲んですぐにベッドにむかった。
オレも二階の部屋に上がり、春の匂いのするベッドで、ようやく安らかな眠りについた。
ちょうど一日前も、オレはこんな感じだったな、と思いながら。あのときは弟のキーロウに起こされたっけ。せっかくの眠りを中断されて、そこから、このヘンな展開が始まったのだ。
今度は大丈夫だろう。
リッチな感じの屋敷だし、世界チャンプのポビーさんも、ここには信頼をおいているようだし。
そして、オレは夢を見た・・・
嵐が吹き荒れる中、オレたちは丘を歩いていた。
道は、落ち葉やゴミで一杯になり、埋もれていく。
行く手を阻まれた。
オレたちは最新式の機械で、溜まったゴミを吸い取った。
その力はとても強く、一瞬でごみを吸い取ってしまうほどのものだった。
なんとか道は開けた。
ところが行く手に巨大な穴があった。
オレはヨットの汚れを取るためのヘラを持っていた。
その大事なヘラが誤って穴に落ちてしまった。
穴に入るのは危険だと感じた。
しかしポビーが「戻り道はあるので入っても心配ない」と助言をくれた。
オレたちは助言を信じ、穴に入った。
降りていくと、すぐに入り口の壁が崩れた。
戻れなくなった。
手遅れだった。
しかし「大丈夫、奥まで行けばきっと出口がある」と『天使』は言った。
オレたちは決意を固め、穴の奥まで降りて行った。
地下は溶岩流が流れる灼熱地獄さながらのところだった。
命の危険を感じた。
最深部まで行くと、地下の部屋にたどり着いた。
事務所ふうの部屋だった。
そこは普通に光があった。
オレたちは地上へとつながる自動階段に乗ることにした。
階段自体が動く、不思議な『階段』だった。
外に出ると、綺麗に整地された広場だった。
街路樹が整然と並んでいた。
右手には、見たこともないのっぽの建物が何本もそびえ立っていた。
不思議なデザインだった。
板チョコレートのような概観をしていたが、どこも丸みを帯びていた。
その広場から出ると『天使』としばし別れることが予想ついた。
だから広場から出るのを躊躇した。
しかし事態は進み始めたのだ。
オレたちは勇気を出して進まなければならなかった。
先立つ二人が、左手にある超巨大な自動階段に乗り込んだ。
オレたちも意を決して乗ることにした。
「リュウさま、大変です、起きてください」
「な、なんだよ・・・」
「新たな追っ手が現れました。彼らは危険です。急いで、お支度を」
「はあ?」
「時間がありません」
オレは一瞬、高層ビルが建ち並ぶ都市か、目の前のポビーか、どちらが夢なのか区別がつかなかった。
そのとき、窓ガラスが割れた。うなりと共に光るものが飛び込んできた。火の矢だった。続けざまに飛び込んできた火の矢は、油の焼ける匂いを放ち、家具やカーテンに火を移そうとする。
マジかよ。
「パティは?」
「連れ去られました」
「はあ?」
「うかつでした」
オレはたった今、夢で見た灼熱地獄のシーンがフラッシュバックした。
「とりあえず、逃げるんだね?」
「はい。リュウさまと『グレートヒーロー』があれば、必ず道は開けます」
おいおい、オレに何ができるんだよ、と言いたかったけれど、議論してるヒマはない。
オレはベッドから飛び降りると、シャツとズボンを探した。見あたらない。立ち上がって戸棚を開けると、きれいなものがいろいろ用意されていた。適当にシャツとズボンをはくと、ぴったりだった。オレのために用意してくれたものらしい。
「これ、持ってっていいかな?」
「賢い考えです」
オレは乱暴に半分ほどをひっつかんで、ベッドのシーツにくるめて背負った。こういうのは一瞬の早業だ。その間にポビーは火の矢を外に投げ捨てた。
「さあ、おいで下さい」
ポビーが身を翻し、扉を出ていった。
オレはその姿を追った。
扉を出ると、もうポビーは階段を走り下りている最中だった。
さすが、世界のポビー、速い!
一階では、女たちの悲鳴が響いていた。黒服の男たちの乱入が始まっていたのだ。
ポビーは、フロアの入り口で立ち止まり「突破いたします、お離れにならないように」とオレに言って、走り込んでいった。捕まえようと寄ってくる男たちを、ポビーは素速く払ったり、蹴りを入れたりして、道を作ってくれた。オレは衣類をまとめたシーツを棍棒のように振り回し、男たちの手をはらい、無我夢中でポビーについていった。
さすがに正面玄関からの突破は無理だった。
裏口に回り『グレートヒーロー』を収納してある厩(うまや)に走った。
厩は、裏が川に面していた。
オレたちは相談する間もなく、厩の裏の扉を強引に外していた。
そして『グレートヒーロー』を台車ごと川に押し出した。オレは押しながら船体を固定しているロープをほどき、着水と同時に船に飛び移った。
しかしポビーは、飛び乗らなかった。オレは船底からオールを取って、差し出した。
「はい、つかまって」
すぐに『グレートヒーロー』は着水の勢いで岸から離れてしまう。そして川の流れに乗り始めた。
「ポビーさん、早く!」
「いえ、私はここに残ることにいたします」
「はあ?」
「リュウ様、お元気で。必ず姫様をお助け下さい」
「わけわかんねーよ。どーしたらいいんだよ。説明とか聞いてないし。だいたい『追っ手』ってなんなんだよ。どこに行けばいいんだよ」
「あわてなさるな。彼らは、姫様を殺しはしません。利用するだけです。私が残れば、やつらは、リュウ様まで追うことはないはず。あなたはご自分の成長を優先なさい。答えはすべて、リュウ様ご自身の中に存在しますぞ」
「ふざけんなよ!」
オレは涙声になっていた。
「ポビーさん、あんたはどうすんのさ?」
「ご心配なく。私はもう、老いた身ですゆえ。さあ、帆を上げて。急いでお行き下さい」
流されていく『グレートヒーロー』は、ぐんぐん岸から遠ざかり、ポビーの姿が小さくなっていった。
追っ手たちが、ポビーに襲いかかった。数人は払いのけたが、世界チャンプの彼を持ってしても、すべて倒すことはできず、ついに手を後ろでねじ上げられ、腹を蹴られ、地面に伏せられた。
「バカ」
と、オレはつぶやいた。
オレなんか、何もわかんねーつうの。
逃げろって?
答えはオレ自身の中にあるって?
むちゃくちゃだよ。
どうしたらいいかわかんないよ。
とにかく『わかること』から、始めねーとな。
今は、遠くに逃げて、よく調べて、それから、必ずあの二人を助け出すんだ。
パトリシア・エミリオ・ローゼンバーグ・・・
オレは、思わず手のひらで、マストをぶっ叩いた。
ここにいたやつ。
ここにいなくちゃいけないやつ。
強がったり、熱出してうずくまったり、女か男かわからない澄んだ目をしたやつ。
会いたい。
こんな別れじゃ、オレは納得できねーつうの。
絶対、再会してやる。
そして「ふざけるな」と言ってやるんだ。
勝手にやってきて、オレの心を痛いくらい鷲づかみにして、それで突然消えるなんて、絶対ゆるせねえ!
オレは、やけになって、帆を張った。
幅のない川を、無茶なくらい爆走した。
そういえば、一日前の午後にも、あいつと爆走してたっけ・・・と思いながら。
数時間進んだところで、オレは『グレートヒーロー』に積まれていた荷物が気になってきた。何もなかったはずなのに、いつのまにかトランクひとつ分ほどの荷物が積まれ、麻布でおおってある。
オレは追っ手がこなさそうなのを確認して、川がカーブしている場所の内側の砂利にいったん船をひきあげた。そして荷物を覗いてみた。
主なものは衣類だった。男物と女物が混ざっているのは、やはりやつが用意した証だ。あの『追っ手』が来なければ、この船で旅をするつもりだったのだろう。それにしても『女物』とは、どうよ。下着までちゃんとあるし。ドキドキしてしまうじゃないか。オレは「あいつは女ではない、憎たらしいエミリオなんだ、こんなのエミリオの女装道具だ」と、むりやり自分に言い聞かせて、なんとか落ち着こうとした。
ところで『姫』というのは、どこの姫だろう。
オレが知っている『姫』といえば、王家の娘くらいだ。自分は田舎者だし、都会の騒々しいニュースなんかに興味はないが、それでも先代の王が引退し、今の王に大代わりしたときに盛大な祭りが行われたことはよく知っている。村でも祭りが行われた。
そのとき「王には息子がなく、娘しかいない」ことが話題になっていた。もちろんオレなんか、誰が次の王になろうと知ったことじゃないが、娘が一人というのも大変なんだろうなぁ、と思ったものだ。名前や顔は憶えてないが、その一人娘なら『姫』と呼んで間違いないだろう。もちろん、その『姫』が、あいつと同一人物であるとは思えないが。
いや、万が一にも同一人物で、ここにあるのが『国王の一人娘の下着』ということになったらどうだろう。オレはとんでもないお宝を手にしてしまったことになる! ・・・いやいや、そんなことは絶対にあり得ないので、よけいなことを考えるのはやめよう、自分。
だいたい(くどいようだが)これが本当にお姫様の下着だとしたら、ちょっとシンブル過ぎる気がする。素材がいいのは手触りでわかるが、もう少しレースとかついて、おしゃれなものではないのか。もちろん、ここにも少しはついているけど、これでは機能優先でサッパリしすぎだろ・・・いやいやいや、妄想がふくらむだけなので、女性下着のデザインのこととか考えるのはやめよう、自分。
むりやり思考を切り替えようとして、他を探ってみる。毛布やフライパンもあった。本格的にキャンプ生活をしようとたくらんだわけではないだろうが、宿から便利で使えそうなものを選んでもらってきた、という感じだ。ついでに何か美味いものでも隠していててないかな、と探ったが、食料はこれから積み込むつもりだったのだろう、バターが一缶あるだけだった。まあ、ないよりはマシだけど。
最後に一番奥に発見したものを見たとき、オレは「さすがじゃん」と、うなってしまった。札入れだったのだ。見たこともない大金だ・・・なんていうのは少し大げさすぎだけど、淡いピンクの札入れは本のような厚みがあった。どのくらいの価値なのか、オレにはすぐには判断できなかった。取り出してざっと計算してみたら、高官試験で首都に二週間滞在したオレの旅費の約50倍というところだった。やっぱ、すごい。態度がでかいだけのことはある。
オレはやつの荷物に、シーツでくるんだままのオレの衣類ものせて、投げやりに麻布をかぶせ、その上に横になった。白く曇った空を見上げて「あー、いったいどうなってんだろうなー」とつぶやいた。
腹がへってきていたが、食料はバターだけ。それって、なんだか今の状況を象徴している。パンとかスープとかなしでバターだけ。少し食べてみた。上品な味だったが、空腹が充たされることはなかった。
とりあえず世の中のことを探らなくてはならない。情報収集ってやつだ。そのためには、まず『グレートヒーロー』の置き場所を決めなくては。
近所の人は親切だろうか、と前向きに考えたオレは、札入れだけズボンのポケットに入れて、中州から土手を上がり、川縁の家を訪ねてみた。
農家らしい庭には、背中に赤ちゃんを背負い、さらに幼い子供たちの面倒もみている若い母親がいた。
「あの、すみませんが、オレ、わけあって船で流れ着いたカッコウなんですが、少し頼み事をできないでしょうか」
「はい、どうしましたか?」
親切そうな人だ。よかった。
「とりあえず、船と、積んである荷物を、見ておいてくれないかな、と」
「村の方に行くのですか?」
「『村』みたいなの、あります?」
「ええ。家の前の道を少し行くとお店とかもありますよ。船はべつに心配しなくても、置いたままで大丈夫と思いますけど。でも、もし、流されるのが心配なら、浅瀬を回った奥に杭が打ってあります。結びつけておいた方がいいかも」
「あ、じゃ、そうします。ありがとう。ちなみに、この村は、なんて言うところですか?」
「エミクストです。あなたは、初めて?」
「はい。流れ着いたもので。でも、いきなり親切な人に出会えてラッキーでした。きっといい村ですね」
母親はくすくすと笑い「川から人が来るなんて初めてですよ」と言った。
初めて会ったのに、オレは郷里に帰ってきたかのような安らぎを感じた。うちの教会でも『旅人への親切』をよく説いているが、この人もアムン教を信じているのだろう。
「すみません。オレ、ヨットが好きなんです」
「ヨットですか?」
「今は帆を下ろしてますけど」
「珍しいですね。あの、よかったら、なにか、食べていきますか?」
「いや、腹は減ってるけど、村の方に行ったら何かありますよね?」
「まあ、それはいろいろいと」
「だったら、そっちにします。子供たちがいて、世話になるの、わるいし。むしろ村に行きついでに、何かお使いしてきましょうか?」
「いいんですか?」
「もちろんです。お礼したいし」
「じゃあ、もし差し支えなければ、あとでベーコンを買ってきてもらえますか。少なくなっているのを忘れていて、買いそびれてしまいました。ふたかたまりほど、お肉やさんで」
「オッケーです。今日中には、必ず」
「お金は・・・」
「いえ、とりあえず、オレが払っておくので、持ってきたら返してください」
「ありがとう。私も便利な人が現れてくれて助かったわ」
「よく言われます。うちも、兄弟多くて。自分、長男なんです」
「お手伝いが得意なのね」
「得意じゃないけど、嫌いじゃないから」
「きっと、幸せなお家なのね」
「それは、どうかな・・・」
オレは苦笑して、とりあえず川に下りた。
船を水面に押し出し、教えてもらった杭のところまで移動して、ロープでがっちりと固定した。ちょうど頭上には木の枝がせり出していて、遠くからだと見つからない。素晴らしい。
村に行く前に、もう一度さっきの人に声をかけて、名字を教えてもらった。ウーさんという憶えやすい名前だった。
これで遠くに行っても船に戻れるはずだ。
丘を回り込む道を歩き、家が多く集まっているところに出た。予想以上にきちんとした村だった。商店街のようなものもあるし、学校もある。うちと似たような教会があったのには、思わず苦笑してしまった。
時間が中途半端だったので、とりあえずパンとハム(もちろんベーコンのふたかたまりも)を買って、歩きながら食べた。レストランと、酒場を、それぞれ通り沿いにみつけた。夜になったらこのへんで情報収集しよう。
歩いていくと、なんと駅に出た。鉄道が通っていたのだ。これだけの村なら意外ではないけれど、その『エミクエスト』という駅名を自分が知らなかったのは、これいかに。それだけ田舎者ということなんだけど、こんなことでは国の高官試験に受からないのも仕方ないぜ、自分。
オレはとりあえず、教会に寄ってみた。アムン教の、どこにでもありそうな白い建物で、予想通り入り口の鍵はかけられておらず、誰でも自由に入れるようになっていた。
しんとした広間で、長椅子に座り、祈りをささげる。
やっと心が落ち着いてきた。
良くも悪くも、アムン教ってのは、落ち着くのだ。子供のころから馴染んでいるということもあるけど、そもそも壮大な救済計画とか、精神の崇高さとか、そういうことはあまりなくて、人の普通の暮らしを大切にする素朴な信仰だからだ、とオレは思っている。
要するに『人の幸せ』ってことだ。
もっとも、村の人たちは『素朴さが一番』と激しく狭い意味で解釈して、新しいことを否定しようとするけど、オレはそうじゃないと思っている。新しいものがあったら、試してみるのも人の幸せってもんだ。ちょっとぐらい失敗したり、振り回されることもあるだろう。そういうことも経験して、そのあとで、正しい判断すればいいのだ。
オレの今回のドタバタだって、本当は、この多くが、大した意味はないのかもしれない。火の矢が飛んできたり、下着が船に積んであったりすれば、当然驚くけれど、そんなのは、本当は大したことではないのだ。そういう表面的な出来事の裏に、きっと何か大切なことが隠れている。オレがまだ知らない何かかが。
ていうか、実際、知らないことばかりなんですけど。
オレは学校から引けた子供たちの声を耳にして、そろそろ潮時と思い、祭壇にむかって頭を下げ、教会から足を踏み出した。
祈りをささげて気持ちが落ち着いたからか、食べるものを食べたらからか、妙に眠くなってきた。
オレはいったん船に戻ることにした。ウーさんの奥さんにベーコンを届けてから、川に下り、船に横になり、毛布をかぶって目をつぶった。
また、夢を見た。
困った『客』。
今日は、あいつが来る日だった。
わがままで、迷惑ばかりかけるやつ。
事情に詳しい女性客が、気を利かせて先にオレに教えてくれた。
頭がおかしいんだ、気をつけなよ、と。
店の人たちも、うんざりした表情だった。
うんざりしながらも、仕方がないらしい。
『客』は、若い女だった。
カウンターに座り、いきなり「何かマシなものないのかね」と早口の大声で言った。
「あんたたち、こんなまずいものよく食べられるわね」
まわりの客たちは、「は、はあ・・・」と、特に反論はしない。
反論してはいけないらしい。
間もなく、注文していないのに、店の方から特別料理が運ばれてきた。
女は、適当に口に運び、不満そうに皿をかさねた。
高価な皿が、ガチャンとかさねられ、割れたり欠けたりする。
さんざん食い散らかして、女は礼も言わずに、立ち去ろうとした。
それって、あんまりだろ。
オレは、なんとか言ってやりたかった。
オレが「警察を呼んできましょうか?」と小声で聞くと、店の人は首を振った。
「事を荒立てないで。これで去ってくれるなら、それが一番なんだから」
すると、やつがオレに気付き、鋭い目で睨んできた。
「おまえ、文句あるのか。え?」
そしてやつは、腕を伸ばし、手刀をオレの身体に突き刺し、心臓を握った。
「ちーせー心臓だな。ひっこぬいちまってもいいかい?」
オレは突然の恐怖で声も出ない。女は高らかに笑い、一気にオレの心臓を引き抜いてしまった。
「バーカ。てめえが悪いんだ。さえない顔しやがって」
けれども、オレは心臓を抜かれても死ななかった。
そして、優しく言った。
「バカは、そっちだろ。強がってばかりで。ま、わかるけどさ。そういう人生だったんだな、パティ」
はっ、と目がさめた。オレはあわてて自分の胸に手をあてた。心臓はちゃんとあるようだ。よかった。
夢の中の『あいつ』は問答無用の最低さだった。ザラリとした不快な何かが心に残った。しかし不思議なことに、オレはあいつのことを、以前よりも理解できたような気がした。
夢を通して、オレは何かを学んでいる。
オレは『グレートヒーロー』の縁に手をあてて「おまえが伝えてくれているのか?」とつぶやいた。
目覚めたときには、空に柔らかいグラデーションの夕焼けが広がっていた。そして夕暮れせまるころ、村の通りに戻った。
オープンしていたレストランは、デートにむいていそうな小ぎれいな店だったので、あまり情報収集にはむいていなさそうだ。
まだ時間は早かったけれど、オレは最初から酒場に入ることにした。こういう場所は、年上の知人に連れられて何度か入ったことはあるが、一人で入るなんて生まれて初めてだった。緊張したけれど、やらないわけにはいかない。
とりあえず、カランとベルを鳴らして扉を開けて、目の前のカウンターに腰掛けた。マスターにワインとフライドポテトをたのんで、不安をごまかすように足を組み、ぐるりと室内を見回した。テーブル席が12、うち半分は壁際のボックスシート・・・って、いったい何の観察だ、自分。
まだ他に客はいないので、ワインを持ってきてくれた初老のマスターに話しかけててみた。
「オレ、通りがかりなんです。ここ、初めてで」
「何の用で?」
「特に用はないんだけど、まあ、道にまよっちまった、みたいな感じ」
「何もないとこですが、ワインは美味いでしょ?」
オレは本当は味はよくわからなかったけれど、無理して頷いた。
「では、ごゆっくり」
オープンしたてのマスターには、まだやることがあるらしい。丁寧だが問答無用の態度で奥に消えてしまった。
間もなく三人組の男女が入ってきた。二人の男と一人の女。三人とも大柄で、酒場に似合う荒々しい雰囲気。こんなやつらに質問していいのか迷ったが、オレとしては目的があるのだ。やつらが注文を終え、くつろぎ始めた頃合いを見計らって、思い切って声をかけてみた。
「あの、みなさん、ここの人?」
「そうだが」
と、口ひげを生やした知的な男が答えた。
「偶然辿りついて、迷っちゃって。みなさんはどんなことをしてるんですか?」
すると、もう一人の、特に恰幅がいい男が立ち上がり、オレの胸ぐらをつかんできた。
「おまえ、なにもんだ?」
「いや、迷っちゃって・・・」
「あやしいな。ちょっと来い」
オレは胸ぐらつかまれたまま、怪力にあがらうすべもなく、酒場の裏口へと連れて行かれた。
そして腹にイッバツ。ぐほっ。な、なんでだよ、いきなり。
「てねえ、みえみえのこと、すんじゃねーよ」
「はあ?」
「オレたちを探ろうって、また、のこのこと。今度は道に迷ったフリか。ふざけんな。なめるのもいい加減にしろよ」
「な、なにか、勘違いしてるみたいだけど」
「ごまかそうったってダメだ。その服をみたら、イッパツでわかる」
「こ、これ?」
あの『宿』で襲撃を受けたときに、あわてて着たものだった。
「そのこざっぱりとしたなりが気にくわねえ。おまえ、グズリアからきたな。新政府軍の犬だ。そんなにオレたちのことを探りたいかよ」
「い、いや・・・この服は、行きがかり上、とりあえず借りて着てるだけで・・・」
「おまえ、まだ言い訳する気か」
「あのさー、お願いだから、ちょっとは話を聞いてくださいよー」
オレは泣きそうになりながら、必死で事情を説明した。何もわけわかんないこと。シラー湖のあるティエコ村から来たこと。ほとんど村から出ずに暮らしていたので、世間のことがまるでわからないこと。今日の午後、たまたま宿に泊まっていたら、何かの襲撃があって、巻き添えになりそうになり、あわてて裏から船で逃げ出したこと。
「そりゃ、サギエリの宿のことか? だとしたら、いちおう説明は付くな。ちょっとこい」
オレはがっちりと腕をつかまれ、近くの金物屋に連れて行かれた。そこの店員は商売でティエコ村にも行くことがあるらしい。彼は確かにオレのことを知っていて「まちがいね」と保障してくれた。神さま、ありがとう。
「けっ、おまえが紛らわしいことするからいけねえんだ、オレはあやまらねえぞ」
と、やつはその体格同様にデカイ目でオレを睨んだ。
「いや、そ、そんな。わかってもらえただけで、十分です、はい」
「じゃ、わびの印に、酒でもおごるわ。オレはデニス・リトラー。やつらと組んで活動してる」
「やつら?」
「シュージとミカは、この国の問題を憂いて、活動してるんだ。おまえも、何も知らねえなら、よく話を聞いとけや」
とにかく話をしてくれるのは大歓迎だったので、誤解された恨みも忘れて、素直に巨漢のデニスに付いていった。
酒場には話しかけやすそうな人たちも増えていたが、妙な誤解から始まった縁により、危ない雰囲気の三人と酒を飲むこととなった。
オレを裏に連れだしたデニスは、本物の軍人だった。喧嘩好きとか、格闘家ということではなく、金のために戦争に参加してきた男だったのだ。
「で、そんなオレが、どうしてここにいるのか、知りてえだろ?」
「も、もちろんっス」
「それはな、戦争がおきるからさ」
「はあ?」
オレが世間知らずなのは当然としても、戦争なんて聞いてない。オレが真顔で驚いていると、口ひげの知的なシュージが笑って助けてくれた。
「デニス、おまえが言うと冗談に聞こえないからやめとけ。オレたちはな、平和なこの国が大好きだ。それは本当だ。ただ、平和な国を守るためには、ときには戦うことも必要ってことだ」
「それは、つまり、戦争?」
「安直に結論付けるな。大切なのは、人々が何を知り、何を信じるかだ。オレたちは、真実を知っている。そうだろ、ミカ」
ミカと呼ばれた青いシャツの女性は、オレと同じくらい身長があって、がっしりとした運動選手のような女性だった。
「アタシらは、知ってしまったのさ。人の欲望ってやつは、限りがないってことをね。ブタは、ブタとして太るのみ。あんたと同じよ」
話を振られたデニスが「ブタと言うな」とふてくされた。
「あんたは、まあ、いいわ。問題はアドクリフさ」
「世界一でかい『国』の、アドクリフ?」
と、オレは首を傾げた。アドクリフなら、いくらオレでもよく知っている。アムン国から海を隔てて西にある大国だ。
「その通り。血も涙もない残忍な欲望のかたまりさ」
「でも、アドクリフは普通の『国』ですよ。別に犯罪集団じゃない。オレは、いい人たちもたくさんいると聞いてますけど」
「そういう宣伝が得意だから、ますます最低なのさ。おまえに真実を教えてやるよ。やつらは、アタシの家族を一人残らず殺した。そのいいわけが『テロリストを狙った爆撃』だとさ。焼き魚の好きなじいちゃんや、石蹴り遊びの好きな妹の、どこがテロリストなんだい」
「本当に?」
「この国でのことじゃないけどね。遠い遠い東の国での出来事さ」
「そう、だからミカは一人でアムンに来た」とデニスが太い声を響かせた。「この平和な国で、同じ悲劇をくり返さないためにな」
オレは、どう答えたらいいかわからなかった。ワインを口に含むと、その味からパティとのキスを思い出し、彼女が言ってた『絆』という言葉が心に浮かんできた。
「あの・・・うまく言えないけど、オレ、親がいないんです。両親が行方不明で、11歳から教会で育ちました。だから、はっきり言って、死んでもいいんです。大切なことのためなら、命をかけることを恐れたりしない。恐れる必要がないんです。だから、できれば、もっと詳しく話を聞かせてください。そしてオレにできることがあったら、協力させてください」
「リュウは、命を捨てる覚悟があるのか?」
シュージは冷静にオレの目を見た。
「はい・・・いや、断言は、できないかも・・・どうしてだろう、教会の家族が気になるのかな・・・血のつながった弟が一人いるからかな・・・」
「リュウ、おまえは、愛する女がいるな?」
「え?」
オレは、かたまった。
「リュウは、絆を信じる男だ。そして、なにも知らない。そこには、意味がある。そして、おまえは、決して、おまえが愛する女を裏切らない。おまえは、不器用だ。戦争は、できない男だ。しかし、だからこそ、おまえには存在意義がある。リュウ、『アムン民主革命派』に、ようこそ。今からは、ここが、おまえのリアル・ワールドだ」
オレは酒の酔いも忘れて、三人の話に夢中になった。
高官試験の勉強では知り得なかった、この国の真実がたくさんわかったし、国際的にこの国が置かれた難しさも察することができた。
もともと人口200万人ほどの島国であるアムンは、公海上の交易ルートからも外れ、のんびりと農業主体でなりたってきた。かつての大規模地球破壊の反省に立つアムン教や、長く続いている王室の存在にも、そののどかさが反映されている。
しかし近年、新エネルギー資源として、ポモタンが発見された。ある振動共鳴を起こすと、大地の重力に反発して動く不思議な物質で、様々な応用研究が始まっている。世界的にもまだ稀少な物質だが、それがアムンの南、ズグリア近辺で産出することがわかった。すでに実験段階の採掘は終え、発掘工場の建設が始まっている。
「その採掘をリードしているのが、いわずとしれた大国アドクリフってわけさ」
と、ミカが吐き捨てるように言った。
「アタシの知る限り、やつらのやり方はいつもいっしょさ。まず『ポモタンは金になる、たっぷり儲けて、古い暮らしとはおさらば』と宣伝するんだ。うまい話につられて『自由』を主張するやつらが出てくる。そこに待ってましたと武器商人が店を開けば、大繁盛まちがいなし。武器が手に入れば、人は使わずにいられない。そして利権をガードする」
「それが、いわゆる自由開放派の『新政府軍』ってやつだ」とシュージが続けた。「今はまだ名前ばかりで、軍隊の形は成していないが、王室の一部と組み、アドクリフのバックアップを受け、警察組織を軍隊に引き上げようと画策している。次に来るのは、わかるな?」
シュージの問いに、オレはわからずに首を振った。
「貧富の差ってやつだ。富めるものは富み、貧しきものは生活を破壊され、ますます貧しくなっていく。そして内戦だ。大国アドクリフは外から見物しながら、ポモタンの収穫と、武器の販売で、二重に儲けることになる。そんな悲劇が世界中にあることは、最近の学校では学ばないのか?」
「あまり・・・」
「はっきり言って、アドクリフというのは、そういう国だ。まず、産出国の一部の特権階級に、富と武器を持たせて、共同で利益を確保する。反対するものをテロリストと名付け、攻撃する。治安が乱れれば、武器が売れてさらに儲かる。方程式みたいなもんだ。そこにあるのはイデオロギーではない。ビジネスだ。アドクリフに学んだオレが言うんだから、間違いない」
「シュージさんは『学んだ』んですか?」
「ああ。高官試験に受かった者の中から、優秀なのが毎年二、三人、アドクリフの大学に留学するんだ。費用は全てあちら持ちで、基本は三年。自由経済の素晴らしさを、みっちりとな」
シュージは、自虐的に笑った。オレが受からなかった高官試験に、この人はトップに近い成績で合格した過去があった。この人は暴力だけでなく、知性でも超一流らしい。
オレはその夜は、民主革命派のアジトに泊まった。印刷機のある古い倉庫のソファーで、いびきのすごいデニスと共に。
本当は金はあるので、ちゃんとした宿に泊まりたかったけれど、金のことを明かすと怪しまれそうだったし、勧められたものは断るわけにはいかない。
川に留めてある船が心配だったが、それを言うと、デニスは「今夜は雨は降らない」と断言した。だから『グレートヒーロー』も放っておくしかなかった。
シュージたちの元での、新しい生活が始まった。
確かにオレたちの国で産出した貴重な物質を利用して、他の国のやつらが儲けるのは、すごく腹が立った。この現実は、アムンの人々、みんなが知った方がいい。新聞では書かれない真実を、民主革命派は、このエミクスト村を拠点とし、印刷し、全国に配っていた。『知らせること』が、今のオレたちの戦いだった。
ビラを配送している仲間が警察に逮捕されることは、最近は珍しいことではないらしい。いちおう『ビラ配り』はこの国の人権として保障されているが、挙動不審や住居侵入など、別の罪をかぶせて行動を妨害しようとしてくるのだ。
危険な作業だが、オレはむしろ興奮した。真実を伝えようとして、警察が妨害してくる現実。こんなのは間違っている。正さなくてはならない。オレたちの行為は、人としての正しき義務である。
まあ、とりあえずキーロウには「心配しないように」と手紙を書いておいた。エミクストという村で、仕事を得て暮らしている、と。
パティにも伝えたがったが、その方法はわからなかった。
あいつならどう考えるだろう。
あいつが王室の関係者かどうかは定かではないが、少なくとも豊かな特権階級であることは間違いなかった。それでも、本人は逃げたがっていたようだから、オレが知った真実は理解してくれると思うが・・・
しかし、あいつのことを全てを楽観しようとすると、ふいに『心臓をつかみ出されるイメージ』が襲ってくる。声が出ず、呼吸もできない。
のどかな暮らしと、戦争や死が、こんなにも近いとは、オレは本当に知らなかった。
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