GREAT HERO  1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15

  3章


 一週間が過ぎ、各地の同士から「進展が早い、時間がない」との知らせが届き始めた。シュージは改まって、オレを呼びだした。
「リュウ、危険な仕事だが、首都ファスティコに、まとまったビラを運んでもらえないだろうか」
「船で、ですか?」
「ああ、川からだ。知っていると思うが、二ヶ月後にアドクリフの大統領が来国する。アムン王室との友好のためという理由だが、国の未来が決しかねない」
「そんなに重要なんですか?」
「考えてもみろ。空港がないこの国に、大統領が直々に来国するとなったら、それなりに大きな意味があるはずだ。すでに首都では、我々の行動は厳しくマークされている。印刷所が押さえられ、ビラも作れない。おそらく道の通過も容易ではないだろう」
「川は安全なんですか?」
「わからないが、我々はまだ川での運搬はほとんどしていない。盲点のはずだ。やってくれるか?」
「やるのはいいです。・・・でも、むしろ問題は、むこうに着いてからかもしれませんね」
「その通り。しかし、リュウなら、きっと良い働きをしてくれると信じている」
「オレが?」
「リュウの目の輝きは、この国の未来に関わっているはずだ。オレは最初に気づいた」
「え? なんのことですか?」
「おまえは、ここで下働きしているべきじゃない、ってことだ。ビラだけじゃないんだ。おまえ自身が、首都に行く必要がある」
「あっちで、どうしろと?」
「それは自分で考えろ」
 また『自分で』か・・・オレは暗闇に放り出されたような気分に戻った。
「国の未来は我々一人一人が考えて作っていくことだ。それは、リュウ、おまえも例外ではない」
「そう言っちゃえば、そうかもしれないけど・・・」
「心配するな。オレの予感はだいたい当たる」
「『予感』ですか?」
「そうだ。不満か?」
「シュージさん、あなたは、神を信じますか?」
「安易に神頼みする気はないが、我々を包む宇宙としての神ならね」
「それ、アムン教ですね?」
「我々が認識する『神』は、しょせん人間の認識に過ぎない。本当の『神』は、そんな認識をはるかに超えている。アムン教のいいところは、その事実に謙虚であることだ。ここにあるのは、ほんの入り口に過ぎない、と。そんなアムン教に、ミカもデニスも共感している。だから、この国に来た」
「オレは、あなたは、民主革命派のリーダーであるより、宗教家とか、予言者であるべき、という気がしてなりません」
「光栄だな」
「シュージさん、あなたも、どうかご無事で。あなたこそ、この国にとって大切な宝だと思います」
「ふん」と彼は鼻で笑った。「恥ずかしいセリフは人を酔わす。程々にしておけ」
「す、すみません」
「いずれにしろ、あと二ヶ月だ。わかっているな。時が来れば、オレたちは、武器を取ることをためらわない。死を覚悟で、大国に一矢を報いることを選ぶだろう。そうなる前に、互いにベストをつくす。わかるな?」
「はい」

 オレはデニスと二人で台車を使い、印刷された紙を詰めた木箱を船に運んだ。橋の多い川を進んでいけるようにマストは引き抜いてある。マストのない『グレートヒーロー』は、なんだか化粧を落とした役者のような、言葉にできない寂しさに包まれていた。
 ビラは精一杯積んで5000枚というところだった。それでも、もともと運送用ではない小舟で、これだけ積めたらいい方だろう。
「ミカが先にむかってる」
 とデニスは言った。
「え? そんなこと聞いてません」
「町に近づいたら、橋を超えた先に製材所がある。丸太が川に浮かんでいるからすぐにわかるはずだ。そのへんで待っててくれってことだ」
「ミカさんは、顔が知られているのでは?」
「あいつはプロだ。この国の警察につかまるほどヤワじゃない。しかし、かさばる『現物』があるとなると、話は別だ。簡単じゃない。危険なのは、むしろおまえの方だ」
「そうなんでしょうね、わかってますよ」
「幸運を祈ってる」
「あの・・・」
 オレは躊躇しながらも、親しくなったデニスに、どうしても質問したいことがあった。
「ひとつ、質問していいかな。デニスは、パトリシア・エミリオ・ローゼンバーグって人、知りませんか?」
「そりゃ、おまえ、王室の一人娘のことだろ。ミドルネームまでは定かじゃないが、『パトリシア』と『ローゼンバーグ』は間違いねえ」
「よく知ってますね?」
「おまえこそ、この国の人間だろうが」
「普通は『王様』と呼ぶだけで、個人名まで言うことはないから」
「ちゃんと勉強しとけ。で、それがどうした?」
「い・・・いえ・・・でも・・・そんなことって、ありえると思います?」
「そんなことって、どんなことだ?」
「たとえば、オレ、その人と恋愛するとか」
「王室の一人娘とか?」
「そう」
 デニスは大笑いして「おまえ、けっこう好きだぜ」とオレの肩をでかい手で叩いた。「ま、ヘンな妄想ばかりしてないで、気を付けて行って来いよ。危険な任務なんだ」
「わかってます」
「向こうの仲間と、その『お姫様』にも、よろしくな」


 民主革命派の拠点での一週間は、オレをすっかり変えていた。
 偶然の出会いだったけれど、人生なんてこんなものかもしれない。オレにはやるべきことがあった。なによりも、それが心の底から嬉しかった。オレの行為が、この国の未来を決めるかもしれない。このビラが、無事に届いて首都ファスティコの市民に読まれるか、読まれないか、それで歴史は大きく変わるだろう。
 シュージさんも言っていたが、人は『知っている』か『知らない』かで、行動が変わるものなのだ。『知っている』から全てが正しく行動できる、というわけでもないだろうが、最低限、事実を知らなければ、正しい判断なんてできるわけがない。つまり、首都の市民の正しい判断は、オレの運ぶ荷物にかかってる。責任重大なのだ。
 もちろんオレは、今の首都がどうなっているか、ほとんど知らない。新聞を見る限り、アドクリフとの友好は手放しで歓迎されているようだ。「豊かな新時代の到来をめざして」と、そんな書き方されたら、誰だって『素晴らしいこと』と思うだろう。疑問なんか湧かない。しかしシュージさんたちに言わせれば、これこそが策略であり、悲劇の始まりなのだ・・・
 パティ、君はどうしているだろう。
 オレは船の舳先でオールをあつかい、川の流れにまかせて進んでいると、この船であいつと二人でいたことが強烈に思い出された。あいつの衣類はまだここに積んである。かわいい下着も、まとめてギュッと布袋に押し込んである。
 あいつも、きっとこの時代の流れと無関係ではないはずだ。実際に、あいつは『追っ手』と呼んでいた人々にとらえられた。それはきっと、何かに逆らおうとした結果だ。だとしたら、今のオレがやろうとしていることと、共通点があるかもしれない。
「あいつがいれば、もっと面白いのにな」
 とつぶやいて、オレは『グレートヒーロー』の縁をポンポンと叩いた。

 数時間下ったところで、木製の小さな船着き場に、女性が立っているのが見えた。農作物を運搬するために、ボートの到着を待っているようだった。
 しかしその人が待っていたのは、オレのボートだったのだ。オレが近づくと、地味な農婦のワンピースを着たミカが、農婦っぽくない鋭い眼差しでオレを睨み、「こっちに来い」と指示してきた。
 オレが素直に横付けして、杭にロープをまくと、ミカはいきなり言った。
「バカか、おまえ」
「は?」
「こんな、箱が丸見えじゃあ、捕まえてください、って言ってるようなもんだろ」
「でも、これはデニスが・・・」
「わかってるよ」
「それよりも、ミカさんは、先にファスティコに行ってるはずじゃあ?」
「敵をあざむくときは身方から、ってな。花をかぶせるぞ。手伝え」
 たしかに、側にあった荷車には、黄色い菜の花が山のように摘まれていた。
「ホントは赤い薔薇といきたいところだが、今は菜の花が旬なんだ。茹でても、炒めても、美味しく食える」
「オレも知ってるけど、苦みがあるやつでしょ。あまり好きじゃない」
「お子さまだな」
「ぶー。ほっといてくれ」
「私が上から落とすから、おまえは落ちないように、上手くかぶせるんだ」
「はいはい」
 こうして『グレートヒーロー』は、濃い蜜の香りのする菜の花を満載した、春の運搬船へと姿を変えた。
「リュウ、なかなかいい感じじゃないか」
「そうスッね」
「ちなみに、こういう状態となれば、おまえのカヌーみたいなオールは似合わねえ。やっぱ、こっちだろ」
 と、ミカは荷車から手こぎボート用の長い一本オールを引っ張り出した。
 そして、『グレートヒーロー』に乗り移り、船尾にオールを下ろし、こぎ出さんとするカッコウをした。
「では、リュウ、下りてくれ」
「はあ?」
「農婦姿の私がこいでいくから、安心してほしい」
「『安心』って、そーゆー問題じゃないんですけど。これ、オレの大切な船で、人に貸したり渡したりってことは、絶対・・・」
「わかっている。成功したら、きちんと返す。少なくとも、箱むき出しでおまえが運ぶより、はるかに安全なはずだ」
「そ、そうかもしれないけど・・・」
「では。幸運を祈る」
「いや、ここで幸運を祈られても」
「リュウ!」
「はいっ」
「てめえ、さっさと、お・り・ろ!」
「うっ・・・」
「殴り落としてやろうか!」
 ミカは水中から長いオールを引き上げ、槍のように高く掲げた。
 オレは、ものすごく腹が立ったけど、『安全』ということを言えば、確かにここでチェンジした方が合理的だった。それに『グレートヒーロー』なら、きっとオレの元に返ってくるはずだ。
 渋々ながら桟橋に移り、杭にまいていたロープを外し、船に投げた。
「ラララ、菜の花はいい香り、私は春を届けるの〜」
 ミカはこぎ出すと、上機嫌で歌を歌い始めた。
「ミカさん、そんな歌、似合いませんよっ!」
「リュウ、その荷馬車、片づけといてくれ。そこの家のだ、あの白壁の家。よろしく。あと、むこうに着いたら、オレンジ・キャットという宿を探せ。海の近くだ。じゃあな」
 そして、鼻歌と共に去ってしまった。
 今度は『グレートヒーロー』まで行ってしまった。
 ついに、完璧に、独りぼっち・・・

 それからオレは、しかたなく陸を移動した。エミクストの町なら汽車が来ていたが、中途半端に移動してしまったので、もう汽車での移動は無理だった。人目に付くのはどうかと思ったが、まだ『活動家』と評判になるには早すぎると思ったし、適当に乗合馬車を利用することにした。
 とりあえず、なるべく近い乗合馬車のある村を探し、そこで一泊して、翌朝から移動を始めた。乗合馬車を乗り継ぎ、無事に首都ファスティコに着いたのは夜になってからだった。
 街の手前で検問はあったが、オレのことは『ティエコ村のリュウ』で通してくれた。「オレって、そんなに有名人?」と、一瞬信じられなかったが、高官試験のためのリストが配布されているらしい。試験は一次・二次・三次と三回行われ、その最終回はまだこれからだった。一次で落ちたオレだったが、そこまで配慮されていないのは、何かとおおざっぱな、この国の役人仕事らしい。
 ミカに教えてもらったオレンジ・キャットという宿は、乗合馬車の案内所で調べてもらうと、なんと首都の一番南の海沿いにあった。
「歩くとかなりありますよ。もう乗り合いはありません。馬車をお雇いになりますか?」
 オレはため息をつき「仕方がないっス、お願いします」と一頭立ての馬車をオーダーした。自分としては信じられないほど贅沢なことだが、事情が事情だけに仕方ない。この国の未来がかかっているのだ・・・たぶん。
 ところが、ようやく着いたオレンジ・キャットには、何の連絡も入ってないし。
「あのねー、お客さん、いきなり来られてもねー、部屋、ないあるよ」
 って、オヤジ、そりゃどういうことだい。
「でも、ここに泊まるようにって言われていまして・・・」
「なんか、手違いかも。よくあることね。きっと、無理すればなんとかなるよ。待てる?」
 小太りの脂ぎったオヤジが、オレに生暖かい眼差しを向けてきた。
「まあ、待ってなんとかなるなら・・・」
「お金、ある?」
「はい・・・まあ・・・」
「たくさん?」
「とりあえず、ある程度は」
「5000ラーだ。ど?」
 まじかよ! 普通、こういう庶民の宿なら1000ラーがいいとこだろ。かなりぼったくりかも・・・
「高いな」
「私たち、無理する。いやなら、よそに泊まるね」
「4000なら」
「4800」
「もう少し」
「のんのん、いやならよそ」
 と男は人差し指を扉に向けた。
 しかたない。
「じゃあ、たのむよ」
「ありがとうね。今、稼ぎどき。悪く思わないでね。来週のレースがなければ、普通は空いてるけどね」
「レース?」
「ヨットレースよ」
 あっ、とオレは手を打った。
「まままままさか、あの『春の女王杯』?」
「そうそう。みんな張り切ってるよ。今年は天気もよさそうだし」
「そうかー、ずっと見たかったんだよ。憧れだよ。偶然だなー」
「あんた、それで来たんじゃないの?」
「い・・・いや、もちろん、それで来たんだよ。決まってるじゃん、ははは」
「ヘンなお客さんね、いきなり来るし。ま、お金払ってくれればオーケーよ。まってて。今、私の部屋、片づけてくるね」
「えっ? おじさんの部屋?」
「そうよ。他はいっぱいある。『部屋ない』って、私、言ったね。私、ウソつかない。アムン教の熱烈信者ね」
 それでも幸いなことに、この脂ぎったオヤジと同じ部屋に寝ることはなかった。用意してくれたのは、彼の『趣味の部屋』という、釣り道具が壁にぎっしりと飾られた小部屋だった。
 オレはシャワーを浴びてから、床に布団を引いて眠った。様々な釣り竿や疑似餌に囲まれていると、追い込まれた魚のような気分になったが、身体が疲れていたせいか、思いのほかぐっすりと眠り、朝まで夢も見なかった。

 オレンジ・キャットの朝は、妙な活気にあふれていた。ここは『春の女王杯』ヨットレースの関係者が集う宿だったのだ。
 食堂では二の腕の筋肉がオレの倍もあるすごいやつらが、モリモリと朝飯をカッくらう。そして今日の天気や海流の議論で、朝からワイワイ言っている。
 オレは、複雑な気分だった。場違いのようだけれど、耳を傾けてみると、話している内容はよくわかった。少しでもヨットのスピードを上げるための技術的な話題だ。オレにヨットを教えてくれたのは、あのボート屋のフルブラウトさんだが、あの人だって若いころはヨットレースの関係者だったのだ。
 さらにオレが興奮したのは、その宿に集っているのは、二人乗りディンギークラスの関係者だったということ。『春の女王杯』は、いにしえのスタイルに乗っ取り、ジブ(前の帆になる小さいセール)のないシングルセールのみの戦いだ。まさに『グレートヒーロー』のクラスだった。
 何という偶然!
 オレは朝食を終えると、さっそく宿を出て、周囲に泊まっているヨットを見て回った。最新式の軽量艇たちが、ほれぼれするような優美な姿で朝日に輝いていた。なによりも白く真っ直ぐに伸びたマストの林立が、オレたちヨット乗りの晴れ晴れしい世界の証明だった。
 そこに一つ、マストを立ててはいるが、泥臭い色の船があった。オレは苦笑した。『グレートヒーロー』じゃないか。おいおい、おまえ、レースにエントリーでもしているのか?
 オレはすぐに宿に戻り、一つだけある古めかしいヨットについて質問した。オヤジはニコニコして答えてくれた。
「あれは、北のシラー湖から来た預かりものよ。あとで乗り手が来るからって」
「その『乗り手』って、オレなんですけど」
「ははは、やっぱりそうか。私、そう思ってたあるよ。田舎の船の、田舎の人ね。がんばってね。応援してるよ」
 そして改めて話を聞いてみると、『グレートヒーロー』は本当に仮エントリーを済ませているらしい。さすがにミカ、プロの手際のよさだ。こうしておけば怪しまれる心配はない。
「では、さっそく手続きするね」
 と、宿のオヤジは棚から書類を取り出した。
「手続き?」
「そう。これが日程とかルールとか書いてある書類ね。初めてなら絶対に目を通しておくことよ。とくに、練習の割り当てと、当日の待機については、一つ一つ違ってるから、間違わないようにしてね。んで、保証金が10万ラーね」
「はあ?」
「ホショウキン。わかる?」
「わからんっ。わかりたくないっ!」
「レース参加者は、協会にお金預けるね。デポジットってやつね。うちの宿は協会公認だから、ここで預かるよ。オーケー? レースが無事終了したら、参加料だけ差し引いて返すよ。もし事故したら、全部返らないね。あと、もしも優勝したら、10倍になって返ってくるね」
「100万ラー?」
「そよ。すごい賞金でしょ?」
「だって『優勝したら』だろ」
「ははは。あなた、優勝するよ。私、わかるね」
「はあ?」
「だって、あれ『グレートヒーロー』でしょ? 久々に見た伝説のヨットね。今の人は知らないみたいだけど、私は忘れないよ。リセ大学チームの華麗な優勝、伝説の逆転劇、男女クルーによる愛の勝利・・・おや、あんた、何、驚いてるね?」
「なんだか、オレ、いやな予感がしてきた」
「疑うか? ちょっと、待つね」
 オヤジはいったん奥に引っ込み、アルバムのようなでかいスクラップ帳を持ってきた。
 そこには大魚をつり上げた釣り新聞の記事がスクラップされていた。
「あら、これちがた」
 オヤジは苦笑して引っ込み、別のスクラップ帳を持ってきた。
「ほら、ちゃんとあった、ここよ」
 それは、20年以上前の色あせた新聞記事。
 喜びを爆発させている男女の写真が載っていた。
 おそろいのポロシャツ。
 まったく、あんたら、何、喜んでんだよ。
 こんな記事、オレ、見たことないっつうの。
 初めてだっつうの。
 こんなとこでいきなり見ちゃったら、どうリアクションしたらいいかわかんないっつうの。
 そりゃ、オレも相当にバカだけど、あんたらも十分バカだぜ。
 こんなとこで『息子』に発見されるなんて。
「ラブラブ過ぎて、バカまるだしだ。こんなの、こっちが恥ずかしくなるな」
「あんたも、かわいこちゃんのクルーと二人か?」
「いや、そんな予定はない。一切、ない」
「でも、女物もあるって、荷物預かってるよ」
「そ、それは、クルーとは関係ないの。ただの友達の分」
「ほー、ま、いいけど、あんた、『愛』がないと勝てないよ」
「はあ? 『愛』?」
「だって、ここにはっきり書いてあるね」
 オレはオヤジの指さす新聞記事に目を落とした。


  「これは『愛』の勝利です。『愛』があったからです。ありがとう」と、
  優勝者クリス・アズナブルは、クルーであり婚約者でもあるユキナ・ヘミの
  肩をしっかりと抱いた。


 やれやれ、この新聞のスクラップ、もしも宿の持ち物でなかったら、オレは即座に火を付けて燃やしてるね。マジで。

 オレは動揺を押し隠しながらエントリーの手続きを終えた。そして、さっそく午前のうちに、キーロウに宛てて手紙を書いた。


 相変わらずヘンなことが続いているが、ここに書くことはさすがに信じられないかもしれない。なんとあの『春の女王杯』に、『グレートヒーロー』でエントリーしてしまった。急な話で悪いが、こっちに来て手伝ってほしい。ひょんなことから、金の心配はいらない。ここにも少し入れておくから、速攻でファスティコの南部、海辺のオレンジ・キャットという宿に来てくれ。


 手紙を出してくる、と言って宿のオヤジに自転車を借り、街の中心部にむかった。
 中央郵便局で用を済ませると、王宮に続く公園が目に入った。木々の間から、遠くにいかめしい建物も見えている。オレは観光してみようと思った。試験で来たときはさすがにのんびり回るヒマはなかったが、千年続く王宮は国際観光地としても有名なのだ。もちろん今の王家の人々が暮らす宮殿には出入りできないが、そのまわりの施設や、石造りの旧宮殿は、観光のために整備されている。
 本では見たことがあったが、オレは実物は初めてだ。概観だけでも、すごいもんだな、と思ってしまう。自転車をとめて、受付を済ませて中に入ると、白い石に細かく彫られた文様が、通路の壁に延々と続いていて圧倒された。美しく庭木の整えられた中庭や、厳かな雰囲気の祈りの間、天井いっぱいに神話に基づく絵が描かれた広間など、素人目にも相当な美術作品だとすぐにわかる。
「世界の城には戦闘のための要塞として建てられたものが多いが、ここは平和な小国アムンらしく、古くから文化的な拠点としての機能が高度に発達している」というのが、壁のボードに書かれた解説だった。
 確かにここは『文化的な拠点』の風情たっぷりだった。しかしここに暮らす人はどうなんだろう。エミリオみたいなやつだったら、あまり文化とは縁がなさそうだ、と皮肉っぽく考えてみる。まあ、本当はあいつは、オレなんかよりはるかに文化的な暮らしをしてるんだろうけど。
 それにしても、あいつ、どうしてるかな。
 あいつは、こういう場所で育ち、こういう重みから逃げていたのかもしれない。文化や、伝統や、しきたり。その気持ちは、不思議とオレにも理解できた。こういうところで暮らす素晴らしさはあるにしても、オレだったら逃げ出したくなるだろう。たまにはいいけど、毎日っていうのは、ちょっと息苦しい。
 旧宮殿に隣接した国立資料館にも入ってみた。宝石で飾られた剣や、古いアムン教の本など、ガラス越しに整然と陳列してある。
 資料館には『アムン国の未来を担う資源』として、ポモタンの実物見本もあった。正式には『ポスモ炭』という名で、この国に古くから伝わるラータント(太陽人)神話に出てくる飛龍の名前『ポスモ』に因んで名付けられたらしい。
 まあ、それは高官試験の勉強でも学んだことだが、本物を見るのはオレも初めてだ。縦長のガラス管に入れられた豆粒ほどのポモタン。ガラス管の下には共鳴振動を発生させる装置が付いていて、観客がボタンを押すと作動し始める。まるでマジックのように、ダークグレーのポモタンが、ガラス管の中でふわりと浮き上がり、頂点に張り付いて、ブルブルと振るえる。やがて装置が切れると、下降してくる。急激な落下のようでいて、着地間際に減速し、フワッと綿毛のように下についた。
 子供たちは面白がり、またすぐにスイッチを押した。しかしオレは神秘的な着地を見て、思わず固まってしまった。これに似たものを、見たことがある。・・・っていうか、経験したことがある。
『グレートヒーロー』が湖で宙に浮き、ボートハウスを超えて、馬のつながれた台車に降り立ったときが、まさにこんな感じだった。あのとき、ずいぶん高く舞い上がったはずなのに、着地の衝撃は全く感じなかった・・・
 オレは「よけいなこと、考えるな」と自分に言い聞かせつつ、資料館を出ると、噴水の音の響く中庭に戻って、木々のむこうに見える建物を眺めた。我々一般人が立ち入れない宮殿がそこにあった。
 あいつは、あそこで暮らしているのだろうか?
 もし本当にそうだとしたら、おそらく来週には会える。
 なぜなら、ヨットレースの『春の女王杯』は、王宮主宰の行事だからだ。王家の人々も、必ず観戦するはず。
 そこに、あいつが同席していれば、間違いなく王室の娘、ってわけだ。
 さて、どうなることか・・・


 王宮観光の帰り際に、大きな張り紙が目に入った。
 役所の出張所があり、その入り口に貼ってあるポスターだった。


  労働者求む。
  当日応募可。
  06:00〜12:00
  13:00〜19:00
  二交代制。
  ポモタン採掘現場での簡単な作業です。
  希望される方は05:30もしくは12:30に当所へお集まりください。
  送迎馬車がここから出ます。


 オレは、その出張所に入って、この募集に関して質問してみた。本当に人手が足りなくて困っているらしい。やれる日だけでもいいからぜひ参加してほしい、とのこと。
 やってみようと思った。
 第一に、我々民主革命派が問題にしているポモタンの採掘の現場を、この自分で見てみたかった。第二に、あいつの荷物の中にあった金を、あまり勝手に使いまくるのもどうかと思い、仕事をできるならやるべきと考えたのだ。
 シュージやミカの許可を、もらえるものならもらいたかったけれど、今はこちらからは連絡のとりようがない。『女王杯』のための準備も必要だったが、それは午前中だけで十分だろう。午後からなら働ける。
 とりあえず、明日から、オレは善良な労働者になるぜ。





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