GREAT HERO  1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15

 4章


 ポモタンの採掘場は首都から乗合馬車で南東に30分ほどのところにあった。途中の道は森が茂り、島の原始的な自然が豊かに残されていた。
 ワクイ鳥という、この島にしか生息しない鳥の保護のためらしい。瑠璃色の羽を持つこの小鳥は、とても人なつっこいことで知られている。実際にオレたちが馬車で通り過ぎるときも、何羽かやってきて、オレの肩や腕に乗ってきた。話しかけると、まるで意味を理解しているかのように首を傾げる。まさか本当に意味がわかるということはないだろうが。
 いずれにしても、美しくて神秘的な鳥で、こういう鳥が住んでいる森を守ろうと考えるのは、オレにも理解できた。
 森をぬけると、海の近くの丘と町が見てきた。グズリアという古い漁師町で、最近はポモタン採掘で脚光を浴びている。早くも採掘場の近くにはモダンな集合住宅ができ始めていた。その間をぬけて、工事事務所の脇まできて、馬車は停まった。
「お疲れさまでした。みなさん、事務所で登録を済ませてください」
 御者の指示で、オレたち12人の日雇い労働者は、ぞろぞろと事務所に入っていった。
 囚人のような気持ちだが、受付をしていた『エシル』というネームプレートの女性は、朗らかな笑顔を向けてくれた。
「こんにちは、みなさん。午後の部の受付を始めまーす。二度目の方は名前を記入するだけで結構です。初回の方は簡単な説明がありますので、名前を書いたら隣の部屋に移って待っててくださーい」
 オレは台帳に『リュウ(ティエコ村)』と書いた。
「あら、名字は?」
 と彼女は首を傾げた。
「ないとだめですか?」
 すると彼女は、まるで面白いいたずらの共犯になったかのような、小悪魔的な目でオレを見た。
「まるでヒーローみたいですね」
「はあ?」
「悪人をやっつける英雄のリュウ。そういうお話、読んだことがあって」
「すみませんけど、オレ、ただの労働者なんで」
「私も、ただの受付ですよ」
 彼女はニコニコして「初回ですね、あちらにどうぞ」と隣の部屋を示した。

 説明は簡単だった。要は、土砂をすくって機械に入れ、与えた共振によって浮いてきたものを捕まえればいい。問題はその細かさだった。小石ほどのポモタンはめったに見つからず、多くは砕けて砂のようになっている。それでも資源としての役割は果たせるので、丁寧に回収しなくてはならない。だから、回収にはダクトによる吸引機がつかわれる。
 もちろん本格的な採掘は、これから導入される大型機械によって行われる予定だったが、今は設置場所を選ぶための試掘段階なのだった。
 オレたちはマスクと眼鏡を受け取り、採掘場に入った。かなり広い敷地の中に、試掘したくぼみが幾つもあいていた。くぼみの一つ一つは、家が一軒建つほどの広さだ。
 オレたちは監視役の指示で、くぼみの一つに入った。そして、スコップで土砂を機械に入れる作業と、ダクトによる吸引作業を、30分交代で続けた。
 ポモタンは、多くもなく、少なくもない感じ。最初は「ホントにあるのかなー」と疑問に思ったが、確かに吸引機の集塵ボックスにはダークグレーのポモタンが少しずつたまっていた。オレはポモタンの価格を知らないが、いくらくらいなのだろう・・・
 休憩時間になると、受付をしていたエシルさんが、事務員のブラウス姿のまま、オレたち労働者に飲み物を運んできてくれた。
「おつかれさま。どうぞー」
 オレはコップを受け取り、ついでにこっそり質問してみた。
「ありがとう。あの、質問なんですが、ポモタンの価格って知ってます?」
 オレの遠慮ない質問にも、彼女は嫌な顔はしなかった。
「詳しくは知りません」
「だいたいでいいんですけど」
「高価なものであることは間違いないと思いますが・・・」
「そ、そうっスよね」
「作用は半永久的と言われるし、うまく使うとずいぶん力も出るようです」
 誰でも知ってる教科書的な答え。正直、ちょっとがっくり。
「どうしたんですか? そんなに知りたいの?」
「いや、知りたいっていうか、オレ、田舎者で、知らないことばかりだから、つい」
「ごめんなさい。あとで調べておきますね。わからないこともありますけど、でも、私でよければ、いつでも何でも聞いてくださいね。遠慮なくー」
「は、はい」
 小顔ですらりとした親切な事務員さん・・・オレは思わず去っていく彼女の後ろ姿を見つめてしまった。
 エシルさんって、なんとなくルーシーに似ているな、と思った。ルーシーというのは、夏になるとボートハウスの横の宿屋に泊まりに来ていたサイモンさんの娘だ。ルーシーは胸が大きく、ぽっちゃりした感じで、スタイルはスリムなエシルさんと全く違っていたけど、少し遠慮しながらも優しい気づかいをする雰囲気が似ている。
 愛しいルーシー・・・最初のうちは『都会から来た美少女』という感じで、オレには遠い存在と感じられたものだ。しかしいつのまにかうち解けて、ボートで湖に出たり、釣りをしたりして遊ぶようになった。夏の後半にサイモン一家が去ってしまうのが、毎年とても悲しかった。
 ルーシー、彼女はオレが『好き』という気持ちを初めてはっきりと意識した女の子。夏しか来ない人を好きになっても、報われることはなかったけれど。
 オレはエシルさんの後ろ姿をもう一度見つめてから、ホコリっぽい労働現場に戻っていった。

 帰りの乗合馬車には、私服に着替えたエシルさんが乗ってきた。まわりの中年労働者がいやらしくちょっかいを出しかけて、オレは注意してやった。そういうのはよくないですよ、と。だから彼女は、オレの横に来て座った。
「ありがとうございます。私、今日は用があって、急いで帰らないといけないんです」
「いつもは違うのか?」
「ええ。いつもは、もう少し後の職員用馬車で」
「そっか」
「リュウさん、ですね」
「ああ。憶えられてしまったな。オタクは、エシルさん、ですね」
「はい。リュウさんは、しばらく続けられるの?」
「わかんないっス。とりあえず田舎から出てきて仕事ないんで、ちょうどいい感じなんだけど」
「どこから?」
「北のティエコ村。シラー湖があるところ」
「あ、名簿にそう記入してましたね」
 彼女のくるりとした目が、かわいく輝いてオレを見つめた。
「ヘンなこと憶えてるな」
「ごめんなさい」
「いや、べつに謝らなくていいけど」
「こちらには、何か用があっていらしたの? 勉強とか?」
「勉強はもういいよ、試験、ダメだったから」
 街までの30分の道のりで、オレは高官試験のことと、今の自分の状況について、差し障りない程度に語った。『差し障りない程度に』というのは、パティのことや、民主革命派のことは、ぼやかして、という意味だ。しかし、ヨットレースについては、ほぼありのままを伝えた。
「オレ、自分のヨットで川を下ってきたんだけど、ちょうど『春の女王杯』と重なって、エントリーしちゃったよ」
「まあ、すごい!」
「オレら、湖でしか走らせたことないだろ。あまりいい結果が出るとは思えないけどな」
「頑張ってください。レースで優勝したら、本物のヒーローですね!」
 オレは苦笑した。宿の前に集まっていた多数の優美な船のことが思い出された。急に現れた田舎者が、そう簡単に優勝などできるわけがない。
「女王杯は、事務所でも、みんな話題にしてますよ。どれに掛けるか、って。私、あまり興味なかったんだけど、リュウさんの船に掛けますから、ぜひ頑張ってください!」
「あまり期待しすぎんなよ。あと、このこと、事務所の人たちには内緒な」
「りょーかいです」
 馬車が王宮近くの停車場に着くと、エシルさんは本当に用があるらしく、早足で去っていった。
 まあ、オレは別件で『絆』ってやつを抱えているので、エシルさんがどんなに魅力的でも、異性として親しくなるわけにはいかなかったけど。
 それでも、ただ肉体労働して金をもらうだけよりは、やはり彼女のような人がいて、少しは心のときめきも感じつつ働ける方が嬉しい。

 宿に戻ると、キーロウからの電報が届いていた。明日の夕方に着くらしい。オレは店のオーナーに交渉して、二人で泊まれるように部屋の手配をたのんだ。
「あの狭いところに二人は、いくら何でもつらいよ。なんとかしてほしい」
「彼女か?」
「弟だ」
「それは、困る」
「なんでだ」
「アンタ、『愛』がないと、優勝できないよ」
「そういう問題かよ」
「優勝できないと、私、お金、はいらないね」
「あんたには関係ないと思うんですけど」
「せっかく世話しても、お金、はいらないとつまらないよ」
「オレたちでなくても、ここに泊まっている誰かが優勝すればいいんだろ?」
「のんのん、アンタたちでなきゃダメよ。アンタたち、めちゃめちゃ倍率高くなってるね」
「はあ?」
「ほら」
 やつは一枚の紙切れをオレに見せた。それはレースに参加する船の予想倍率表だった。
「あの、すみません、オレ、こんな話、なにも聞いてないんですけど」
「アンタには関係ないよ。参加者が掛けたら犯罪ね。けど、私には関係ある」
「いや、関係あるかないかという話ではなく、こんなことが行われているってこと、オレは知らなかったし」
 オヤジは、オレの不平不満を無視するかのように、ぎろりとにらんだ。
「いいか、アンタ、絶対優勝するね。こんなもうけ話、ちょっとないよ。22年前の『グレートヒーロー』が優勝すると思ってる人、誰もいない。そこを優勝しちゃえば、大儲けね。私、大儲け・キャットね」
「あのさー、何がアンタの思考の根拠になってるかしらねえけど、オレは、正直、優勝なんて無理だと思ってるよ」
「根拠は『愛』さ。決まってるね」
「わけわかんねー」
「アンタの両親、ここに泊まっているとき、そっと教えてくれたよ。『グレートヒーロー』は魔法の船なのだと。『愛』の波動が伝わると、何でもできるんだと。もちろん、私も最初は信じなかったよ。でも、正しいのは、アンタの両親だった。わかる?」
「わからん。絶対わからん。わかりたくもない」
「アンタ、ホントに何も知らないの?」
「いや・・・」
 オレは、思わず言葉を濁していた。全く知らないわけじゃないけれど、認めるかどうかは別問題だ、と思いながら。

 翌日は、ポモタン採掘の仕事は休みにして、キーロウの到着を待った。正直、身体の方も疲れていたし。
 オレンジ・キャットはやはり満室で、二人分の部屋は都合できなかった。かわりに、ボートハウスの中に、ベッドを二つしつらえてもらった。
 イベントが近く、天気も良好だったので、船はすべて出はらい、ボートハウスの中はがらんとしていた。特に寒い季節でもないし、ベッドさえ作れば悪いところではない。
 ボートハウスが『自分のもの』になったところで、オレは宿のスタッフに手伝ってもらって、いったん『グレートヒーロー』をロープでハウス内に引き上げた。レースに参加する以上、船底の掃除とワックス掛けぐらいはやっておこうと思ったのだ。フルブラウトのオヤジのところで普段の手入れはされていたが、ここしばらくはその暇がなかったし。
 小窓しかない薄暗いボートハウスの中で、一人で『グレートヒーロー』の手入れをしていると、つい話しかけたくなってしまう。
「要するに、おまえは『みんな』知ってるんだな。パティの話だと、一万二千年か? オレだったら、うんざりしそうだけど、おまえは頑張ったんだな。宿のオヤジは『愛』だっていってたよ。笑っちゃうよな。そんなこと、アンタが言うのは似合わねえよ、ってな。・・・でも、オレには、似合うかな・・・ ま、似合わなくても、オレ、あいつのこと、信じてるよ。あいつってのは、あの男装したお姫様のことだけどな。あいつ、バカだよな。熱出して湖に飛び込んだり、キスしてって、いきなり言ったり。普通、そんなことしないって。だからさ、あいつはオレみたいな男が、ちゃんと面倒見てやらなきゃダメなんだ。ヘンな話だけど、オレ、あいつの面倒は見てやれそうな気がするんだ。あいつの気持ちがわかる、っていうか。どうしてかな。もしかしたら、おまえが伝えてくれてるのかもしれないな。そんなの、よけいなことって言いたいけど、でも、ありがとうな。ま、女王杯に参加するなんて、とんでもないことになっちまったけど、この際だ、楽しもうぜ。古くたって、田舎もんだからって、バカにするなっての。風を受けて走る理屈は同じなんだ。明日から、本番のコースを走ってみるつもりだ。頼むぜ」

 予想はしていたけど、到着したキーロウはかなり興奮していた。
「空飛んだリュウにいが、今度は女王杯かよ。やるねー。さすがだよ」
「いや、成り行きでこんなことになってるけど、自信があるわけじゃないから」
「わかってるって。で、あの人は?」
「あの人?」
「ほら、あの、態度でかい人。あの人とレースに出るんだろ?」
 キーロウの純粋な目の輝きがまぶしすぎるぜ。
「いや、そうだったらおまえを呼んでないし」
「はあ? まさか、おいらと、リュウにい?」
「そう。二人で出場すんの」
「うっそー。あの人は?」
「どっか行った」
「どっかって、どこ?」
「知るかよ。知ってたら苦労しないっつうの」
「まじー。それはちょっと、オレ、心の準備が」
「明日は本番のコースに出てみるからな、よろしく」
「ひょえー。『本番』って、本当の本番?」
「ああ。オレたちの参加するクラスは、予選と決勝のコースが同じなんだ。で、三分の一くらい海に出る。川なら問題ないけど、問題は海だと思う」
「えー、大丈夫なの?」
「他の船はクリアしてるみたいだから、やってやれないことはない」
「リュウにいがそう言うなら、オレはついていくぜ!」
「とりあえず、目指せ、優勝!」
「おー!」

 夜になると、オレたちはワックスの匂いが漂う『グレートヒーロー』を間にはさんで、両側で寝た。
 オレにはこれが貴重な儀式のようにも感じられた。
 オレは、ここに来て知ったことについて語った。オレたちの両親の新聞記事。『グレートヒーロー』で優勝したこと。やたらと幸せそうだったこと。
「ねえ、どこかで見てるかな?」
「オレたちのことか?」
「リュウにいと、オレのこと」
「たぶんな」
「見てるだけじゃなく、いっしょに楽しめればいいのにな」
「いなくなったんだから、仕方ないさ」
「うん・・・」
「いなくなったやつらは、見てるだけさ。それで楽しめなくったって、自分たちの責任だ」
「そうかな?」
「当然だろ」
「あのね、本当は、いなくなったのには、理由があると思うんだ」
「そりゃ、理由ぐらいあるだろ。でも、そんなのオレたちには関係ねえ」
「本当に関係ないかな?」
「関係あったとしても、認めたくない。今さら、どうしろってんだ。勝手にいなくなったやつらに、同情なんてできないっつうの」
「でも、この『グレートヒーロー』で優勝したってのは、本当なんだね?」
「ああ。でかい新聞記事だった。22年前な。あとでおまえも見せてもらえよ」
「うん。よかった」
「ああ・・・そうだな。まあ、よかった」
「リュウにい」
「ん?」
「もしも、例えばだけど、リュウにいが、何か理由があって、急にいなくなったとして、オレはオッケーだから」
「バカ、んなこと、あるわけないだろ」
「だって、もしもリュウにいがいなくなるとしたら、本当にすごい理由があるに決まってるから」
「そんなこと、あり得ないっつうの」
「でも・・・」
「なんだよ?」
「高官試験受けたし」
「受けたけど、落ちた」
「そうだけど」
「縁起悪いこと、思い出させるな」
「とにかく、オレのこと、忘れないでよ」
「忘れるかっての。忘れるわけ、ないだろ。忘れたくても忘れられない。キーロウはオレのこと、忘れられるのか?」
「まさか」
「同じだろ。違うか?」
「違わない」
「ったく。寝るぞ」
「うん、おやすみ」

  
  オレはキーロウのこと、忘れられるのか?
  オレはパティのこと、忘れられるのか?
  
 「私は、あなたとの『絆』を信じます」

  絆って何だ?
  信じるって何だ?

  瑠璃色のワクイ鳥が首を傾げる。

  オレはルーシーのことが好きだった。(ふられたけど)
  オレはエシルさんのことが好きだ。(少しだけど)

  でも、オレはパティの熱のある身体を抱きしめるのだ。
  オレは、パティと、高い絶壁の上から『グレートヒーロー』で飛び出す。
  空にも、瑠璃色のワクイ鳥がいた。
  オレは苦笑する。
  
  クワイ鳥の鳴き声が響く。
  よく聞くと、その声の意味は『幸福な愛の死』だった。

  わかってる。
  なんとなく、わかってたよ。

  なにがどうってわけじゃないけど、なんとなく。

  いつか、それを、はっきり知るとき、そこに居合わせる人。
  オレは、その人と人生を共にする。

  笑うな、エミリオ、これは真面目な話なんだ。

 「リュウは、僕と結婚するのか?」

  悪夢・・・でもないか・・・
  金、使わせてもらってる、悪いな。
  
 「それよりも、私はいつになったらあなたに会えるの? 早く私を助けて」

  ごめんな・・・ビアトリス・・・
  ずいぶん時がたつが、何も変わってはいないんだ・・・
  


 いよいよコースに出る朝、オレとキーロウはぴかぴかにみがいた『グレートヒーロー』をボートハウスから川に下ろして、マストをセットしてから、ピンク・キャットの食堂にむかった。オレたちなりに、多少は誇らしい気持ちだったのだが、朝食を食べていると、隣のテーブルから悪口が聞こえた。
「あの古いやつ、なんとかなんねーのかな」
「ああ、ぶつけられたらたまんねえよ」
「むこうは廃船まぎわのポンコツだからいいだろうけどな」
 オレは「本当に『グレートヒーロー』の過去は知られてないんだな」と苦笑したが、キーロウは黙っていられなかったようだ。
「おい、古いやつ、って、なんのことだ?」
 たくましい男たちがキーロウをにらんだ。
「ほら、そこにとまってるだろ。一つだけ古いヨットがさ。おまえらのか?」
「そうだ」とキーロウは胸を張った。「『グレートヒーロー』って言うんだ。見た目は古いけど、いい船なんだぞ!」
「いいか悪いかは関係ないんだ」と頭のよさそうなスマートな男が言った。「まわりに迷惑かけないかどうか、それだけが心配なのさ」
「迷惑なんかかけないよ」
「どうだか。初参加だろ? ルールの掌握もおぼつかないんじゃないか?」
「ていうか、貧乏人は来ちゃいけねえんだよ、こういうとこ」と半袖シャツから太い腕を出しているゴリラのような男が言った。「貧乏ヨットが走ると、海が臭くなって、たまんねーからな」
 オレは、我慢しきれず、立ち上がった。
「おまえら、どこのどいつだ!」
「知らねえのか?」
「あたりまえだ」
 男たちはおかしそうに笑った。笑いは他のテーブルの男たちにも移った。
「僕たちはPRW、ペディキアン・レッド・ワークスっていうんだ。残念ながら、予想オッズが低くてね。僕たちに掛けてもあまり儲からないよ」
 頭のよさそうな男が、残念そうに首を振った。
 キーロウはオレを見て「リュウにい、つまり『弱い』ってことか?」と聞いた。
 すると、部屋中の男たちが爆笑した。
「手加減してくれよなー、たのむぜー」
 と腕の太い男が笑いをあおった。
 オレは、キーロウの肩を押して座らせて、周囲を見回して、笑いが落ち着いてきたところで、全員にむかって言った。
「オレの船は、あの『グレートヒーロー』だ。シラー湖から来た古い船だが、なぜか予想オッズが高くてね。誰でも儲けたいなら、オレの船に掛けることだ。ついでに言っとくが、オレたちは、優勝するために来た。本当に優勝してから、恨まれるのもいやだから、先に言っておくぜ。優勝するのは、オレたちだ。それさえわかってくれたら、あとは、何を言われたってかまわねえ」
 すると、男たちはあきれ、なぜか妙な拍手がわき起こった。
 ペディキアン・レッド・ワークスの知的な男が立ち上がった。
「君たちにもブライドがあるってわけだな。いいだろう。誇り高いヨットマンに対し、失礼を言ったことはわびる。励みたまえ。共に戦える日を楽しみにしている。『春の女王杯』に、栄光あれ」
 男たちは、コーヒーカップや、水のグラスを掲げて、乾杯のポーズを取った。
 
「なんだかなー」
 とキーロウは『グレートヒーロー』に乗り移りながらつぶやいた。
「気にするなって。お高くとまってるが、根は悪いやつらじゃなかったろ」
「そこが、なんか、はっきりしない、っていうか」
「はっきりしないのが、かっこいいと思ってるやつらもいるのさ」
「なんだか、よくわかんねえよ、おいらには」
 愚痴をつぶやきながらも、キーロウはロープを引いてセールを引き上げた。オレは船尾で舵を取り、滑るように船を走らせた。
 オレたちはルールブックから写した地図を持ってきていた。すでにスタートポイントのゲートや、コースガイドのブイは設置が済んでいる。まずは広い川をさかのぼり、王宮の近くのスタートポイントにむかった。
 そこでは階段状の観客席の設置が進められていた。最初からある石造りの立派な観客席は、王宮関係者が使うらしく、白布の日よけ屋根が設置されていた。それらの奥には芝生の整えられた公園が広がっていた。
 オレたちは、スタートポイントから、最初の『三つのブイ』を目指した。短い間隔でジグザグに設置してある。このへんは慎重にコントロールしないと、風によってはブイを外してしまうだろう。ブイを外したときの減点は、総合得点に大きく影響するので、慎重さが必要だ。
 戸惑いながらも、ジグザグコースは初回でクリアできた。さすが『グレートヒーロー』だ。
 最初のテクニカルな難所をクリアすると、加速して河口にむかう。とはいえ、海風をさかのぼるコースレイアウトにより、必然的にタッキングをくり返すことになる。徐々に海からの波が感じられるようになり、やがて本格的に波の立つ海へと出た。
 オレは、舷側に身体を出しているキーロウに叫んだ。
「キーロウ、もう少し前で体重かけろ、波で浮いてる」
「ダメだよ、今だって十分、波、かぶってんだから」
「押さえてかねえと、スピードに乗れねえだろ」
「無茶いうな」
「観光じゃないぞ、勝負なんだぞ」
「わかってるよ!」
 すると大きな波が船首にあたり、キーロウはまともに水をかぶった。
「大丈夫か?」
「ぐへっ、げほっ、もー、たのむよー、なんとかしてよー」
「おまえもちゃんと波を読めよ。大波はよけて、小波はつっこむんだ。頭使え」
「わかってるけど、いきなり、むりだっちゅーの。うわあ、また来たぁ」
 今度はロープを引いて上体を起こし、波をよけたキーロウだった。
 波に翻弄されながらも、なんとか沖の大きなブイを回る。そこからは一気に加速して王宮前までのスピードレースだ。ここは船が後ろから波を追いかける形になり、波に乗り上げて飛び越すのは、むしろ快感だ。
 王宮近くまで来ると『シケイン』と呼ばれる二つのブイがあった。短い間隔で二回ターンする必要があり、ここで一気に減速できないと、コースアウトは必然。最も安全なのはセールを落として、惰性でくぐり抜ける方法だが、それでは失速しすぎる。
 オレたちも、ここは何度も失敗した。川を下り、再度トライを、時間の限りくり返した。
 やがて他の船がやって来た。そろそろオレたちのソロ練習の時間は終わりだった。

 そのあと、オレたちは船を川岸に着けて、他の船の『シケイン』の練習を観察した。やはりここは難所らしく、バタバタと必死でバランスコントロールしながらも、スムーズに通過できる船はなかなかなかった。
 一番きれいに通過したのは、セールに『PRW』と書かれた船だった。やつらは、ここが難所であることすら感じさせないほど、するりと通過しやがった。ペディキアン・レッド・ワークス。こいつらに勝たないと、優勝はないってわけだ。
 
 それから一週間、キーロウと二人で練習に明け暮れた。身体が疲れて、もうポモタンの仕事に行く余力はなかった。これが終わったら、また考えるとして、今はレースに勝つことが全てだ。
 オレたちのクラスのエントリーは合計18隻だった。予選は2隻ずつコースを一周して、その得点によって競われる。
 午前の予選で成績上位6隻が選ばれ、本選は2隻ずつコースを二周して、総合得点を競う。
 最後に上位2隻が、優勝をかけて一騎打ちする。ここでは得点は関係なく、コースアウトせずに先にゴールした方が優勝となる。
 要するに、全ての競技は2隻ずつ走ることになり、風やコースの奪い合いという、難しい駆け引きが関わってくる。頭の中ではいろいろシミュレートしたけど、初めての経験のオレたちに、どこまでできるだろうか・・・

 大会の前日になると、川の周囲や、王宮や街の警備が物々しくなってきた。ライフルを肩に下げた警官たちが、馬の蹄の音を響かせて通り過ぎていく。
 オレはまだ『グレートヒーロー』が運んだはずの民主革命派のビラを、街で一度も見かけていなかった。おそらくこの大会に合わせて、何かが行われるのだろう。あのミカさんなら、抜け目なく利用するはずだ。
 そして、大会の日、それはオレの『絆』を確認する日でもある。
 きっと、あいつは、あそこにいる。あの、白布の屋根がついた観客席に。
 あいつは、本当は、何者なのか。
 早く知りたい。
 しかし、当日が近づくと、むしろ怖くなってきた。
 オレが向き合おうとしているものの大きさに。

 



<<back top next>>