GREAT HERO  1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15

 5章


 予想通り快晴の朝、打ち上げ花火の音響が祝いの日の開幕を告げた。
 コースとなっている川縁には、朝からたくさんの観客がつめかけていた。オッズ表を手に悩むオヤジたちや、お弁当持参の家族連れなど。
 王宮裏の桟橋には、目がくらむほどたくさんの船が集まっていた。白いマストが華々しく林立している。
 競技は三種類だ。一人乗り、二人乗り、そして定員制限のない長距離レース。
 まず長距離レースのクルーザーたちが歓声の中を次々と出発した。外洋に出て、アムン国の東端にある建国の碑を回って帰ってくるコースだ。スタートが川の中からなので『大型帆船』と呼べるほどのものはなかったが、帆船乗りの憧れと言いたくなる優美な二本マストの中型船が、それぞれの国旗をマストトップに掲げて、名前を呼ばれた順に旅立っていった。中には奇をてらい、海賊船を模したものもあった。クルーも海賊の仮装をしており、観客たちの喝采を浴びた。
 サイズの大きな船が旅立ってしまうと、一転して一人乗りの華麗な競争となった。すでに陸地にむかって海風が吹き始めており、カヌーのような小型船は、まるでバッタのように水面をはねていく。
 一人乗りの午前予選が終了すると、いよいよ二人乗りの出番だった。王宮脇の公園に集まっていた軍楽隊から、メインイベントを宣言する雄大な演奏が聞こえ始めた。
「リュウにい、見えないな」
 キーロウが背伸びして見ようとしているのは、王宮の観客席のことだった。
「このへんからだと無理だな。スタートポイントに行けば絶対見れる。そんなことより、気を抜くなよ。あいつが見ている前で、みっともないことはできないからな」
「わかってる」
 オレは『グレートヒーロー』のへりを叩いて「おまえもな」と言った。
 やがてスタッフが、『グレートヒーロー』の舳先に結んだロープを引いて、スタート地点へと移動を始めた。オレは舵を握り、緩やかな水圧を感じる。この水圧を、常に感じ続けることが大切だった。繊細に、かつ力強く。全てはそこから始まる。
 いっしょに走る船は、帆に赤いラインの入った外国の船だった。ピンク・キャットの宿泊客ではない。舵を握るスキッパーは、髪の禿げかけたおじさんだった。若いオレたちを見て、笑みを浮かべる余裕もあった。オレは軽く頭を下げ「『春の女王杯』に、栄光あれ」と挨拶した。
 そして、見てしまった。
 すぐ近くにせまっていた王室専用の観客席のど真ん中に、あいつがいたことを。白いドレスに身を包んだあいつが、微かに、しかし確実にオレにむかって、なにごとか口を動かした。
「ひさしぶり」か「がんばって」か、まあそんなところだ。
 オレは、本当はウケ狙いでヘンなことをしたかったが、初レースを前にして、そんなことして楽しむ余裕はあるわけがなく、ただ「見てろ」と口を動かした。
 伝わったのかどうか知らないが、やつは小さく頷いた。
 けっ、ドレスなんか着やがって。おまえは『そこ』から逃げようとしていたみたいだけど、こうなっちまえば、何の違和感もなくピッタリじゃないか。
 まあ、いいさ。
 キーロウが、舳先のロープを外した。
 空砲の発射を合図に、オレたちのレースが始まった。

 最初のブイにむかって進もうとすると、さっそく赤ラインのやろうが前に割り込んできた。
「じゃまだよ」
 とキーロウが叫んだ。
「いいんだ、ほっとけ」
 とオレは言ってやった。
「なんでさ」
「ここはテクニカルなとこだ。安全運転でいく。テールをうまく回せば技術点が入るんだ。あせることはない」
「できるの?」
「たぶんな。ロープを引いて、さきっぽで体重をかけるんだ」
「そ、そんなの、やったことないんだけど・・・」
「今だ!」 
 赤ラインに続いて『グレートヒーロー』がブイの横を通過する。オレは舵に角度を付け、セールを反転させ、舵と帆の両方をロープで固定した。一人で湖に出るときはよくやる方法だった。そしてセンターボードを引き上げ、前にジャンプして、キーロウのロープを握り、いっしょに前に引き倒すように体重をかけた。
『グレートヒーロー』は急角度でドリフトした。すぐにボードを押し戻し、舵と帆をとめていたローブを外す。次のブイにむかって一直線で進み始めた。
 赤ラインは、まだターンの途中だった。
「リュウにい、ぶっちぎったぜ」
「今のは風がよかったからな。次は正攻法で行く」
「わかってる」
 なんとかコースアウトすることなく三つのブイをクリアすると、河口にむかう広いコースとなった。障害物はないが、逆風が強く、なかなか難しいところだ。
 いったんは差を付けたはずなのに、この逆風で、赤ラインが追いついてきた。さすがにベテランは風のいなしかたを心得ているようだ。
 河口の出口のあたりで追いつかれた。その上、オレたちの苦手な波のある海面を、やつらはものともしないで強引に突き進んでいく。
「リュウにい、やばくね?」
「やつら、海の船だな」
「そーいうの、ありかな」
「いい歳してたし、漁師かもしれねえな」
「反則だよ、それ」
「キーロウ。グチ、言ってないで、追いつくぞ」
「どうやって」
「前に体重かけていけ」
「いやだ」
「『いやだ』ってなんだよ」
「おいらは、ここでは、死にたくないの」
「ちんたら漂ってたら差がつくぞ」
「だって、うわっ」
 キーロウが波をかぶった。
「ほらー、無理だって」
「そうだ。キーロウ、大波が来たら、こっちこい」
「え?」
「舳先を浮かして、飛ぶんだ」
「だって、逆風だろ」
「いや、そうでもないんだ。ここまで来れば。西の季節風に変わってる」
「うわっ」
 大きな波を前にして、キーロウがこちらにやって来た。
 オレは左手で舵を握ったまま、右手で『グレートヒーロー』の舷側を握った。
 目をつぶり、祈るように語りかけた。
 飛べ、と。
 心の中に疼く、やつとの『絆』を感じて。
 波を超えたとき、確かに少しは飛んだ感触があった。悪くない。
 キーロウはすぐに右前に身体を乗り出して船のバランスを戻そうとする。
「キーロウ、成功だろ?」
 弟は振り返り「どうかな」と微妙な顔つきをした。
「飛んだじゃん」
「これって、飛ぶときはもっと飛ぶんじゃねえの? 波なんていやだから、ここ飛んでこうよ、ぱーっと。リュウにい、お願い」
「いや、オレたちだけでは、それは無理だし」
「なんで?」
「どうしても」
「・・・うわっ」
 ゆだんして、また波をかぶったキーロウだった。

 なんとか沖合のブイを回ったときには、だいぶ離されていた。しかし、コツはつかんできた。ここからは『飛んで』いく。帆はたっぷりと風を受けてふくらみっぱなしだ。波に近づくと、キーロウはサッと船尾に来て、『グレートヒーロー』は飛んだ。水の抵抗から放たれた船体は、大きく距離をかせぐ。船底から突き出たキールだけが、わずかに海面をとらえて安定を維持する。
 河口に近づいたとき、オレたちは赤ラインをとらえていた。あちらは『重い』らしい。だから波に翻弄されないが、最高速は出ない。漁師らしい船だと思った。それに比べると、オレたちのは、確かに競技用ヨットなのだ。いざとなったら、ドリフトしたり、ジャンプしたり、なかなか華麗じゃないか。
「キーロウ、もう一回やるか」
「え?」
「『シケイン』の最初んとこ、ドリフト」
「風は?」
「悪くない」
「りょーかいっス」
 先に入った赤ラインがブイを回り込んでいる内側に、オレたちはつっこんでいった。そのままならば衝突するところだ。すぐにキーロウが舳先に体重をかけた。オレはセンターボードを引き上げ、メインセールの留め具を外して、セールごとぐいっと船尾に押しやった。『グレートヒーロー』はケツを回し、一瞬でくるりと反転した。すぐにセールとボードを元に戻す。
 あとは失敗しないように、もう一つのブイをまわり、ゴールするだけだった。
 初戦の赤ラインには勝った。
 評価得点は?
 ゴールを過ぎると、まもなく、ボードに三枚の数字が掲げられた。
 750点。
 悪くはないが、優勝を狙えるほどには良くもない。
 どうやら、オレたちがとっさに編み出したテクニックが、評価の対象外だったらしい。「おつかれ」とガイドロープを投げてきたスタッフが、笑顔で採点基準について教えてくれた。センターボードの操作は評価の対象外だよ、と。
 ま、いいさ。対象外でも、減点じゃないんなら。
 オレは観客席のお姫様に、勝利の眼差しを送ろうとした。しかし、やつはそこにいなかった。
 まったく、肝心なときにいなくなるのは相変わらずだな。

 午前の予選は、ギリギリながらも通過することができた。初参加で予選通過できたのは快挙だけれど、今の成績で優勝を狙うのは夢のまた夢だ。どうしたらいいのだろう。やはり『愛』がないとダメなのだろうか・・・
 オレとキーロウは『グレートヒーロー』を決められた位置に停泊させてから、昼食をとるために散歩することにした。オレンジ・キャットのマスターによると「祭りみたいなものだから出店がたくさん出ているよ」とのこと。選手としてではなく、一般客に混じってなごむのも気分転換になっていい・・・とは思ったが、他のチームの豪勢なランチ風景を目撃したら、さすがに落ち込んだ。本物のコックたちが芝生の一角で美味しそうな匂いをたたよわせて調理しているじゃないか。ヨットなんて、もともと金持ちがやるスポーツだし、当然といえば当然なのかもしれないけれど、やはり実際に目撃するとショックだった。広告のために国際企業もだいぶ関わっているらしい。田舎から個人で参加するなんて、右を向いても左を向いてもオレたちぐらいのものだ。
 観客が集っている公園にむかって歩いていたら、一人の女性に呼び止められた。白いエレガントなドレスを着た女性が、垣根の近くでオレたちに声をかけてきたのだ。
「もしかして、あなたたち、個人参加なの?」
「はい。兄弟で」
 この答えは、彼女にはかなり可笑しかったらしい。
「では、お昼は?」
「そのへんでなんとかしますよ」
「本当に二人だけなの?」
「そうだけど」
 と、オレはキーロウを見た。
 キーロウも「うん」と頷いた。
「じゃあ、ご招待いたしますわ。どうぞ、ご一緒に。すぐそこのゲートを回りになって」
 オレたちは恐縮しながらも、このありがたい誘いを喜んで受け入れた。いったいどこの金持ちだろう、と思ってゲートにむかったら、なんとそこは王室関係者の昼食会場だったではないか。彼女は嬉しそうに手招きしてオレたちを中に入れた。
「私はフィーリー・コタン。あなたたちの頑張りようは特に印象的だったわ」
「ていうか、ここって、王室関係者の場所っスか?」
「そうよ」
 オレの疑問に、当たり前のように答える彼女だった。
「じゃあ、君も?」
「もちろん。でも、ここの関係者ですけど、本家ではないの。だから少し気楽なんです。ちょっとだけアウトサイダー。あなたたちと同じかしら、ふふふ」
 いたずらっぽい彼女の目を見て、オレは苦笑してしまった。
「オレは北のティエコ村から来たリュウ。こっちは弟のキーロウ。初参加だけど、いちおう優勝するつもりなんだ」
 すると彼女はますます可笑しそうに笑った。「そういう自信って、とても素敵よ」
 オレは、もちろんパティを目で探した。しかしやつの姿はなかった。国王と王妃のいらっしゃるあたりは、この美しい昼食会場の中でも別格で、おいそれとは近づけそうもない雰囲気がオーラのように漂ってた。
 オレたちはフィーリー・コタンと、そして彼女と親しい何人かと共に食事をした。同席したのは経済学者と資産家の二人。
「やはり自由は素晴らしい。君たちみたいにスポンサーもない初参加でも、こうして堂々とわたりあっている。これはしきたりに捕らわれた古い人たちへの良き警鐘となるでしょう」
 と、50歳ほどの男がニコニコしていった。経済学者のシュビツリンさんとのことだった。
 オレもその意見には賛成だったが、キーロウはもっと心の底から大賛成のようだった。大きく頷きながら、海老のサンドイッチを頬張っていた。
「君、この海老のサンドイッチはうまいだろ?」
 キーロウの食べっぷりに感心した小太りの資産家が言った。
「はい、こんなの始めて食べました」
「アムン国の近海で取れる大型の海老で、高級食材として有名なんだ。木くずに埋めて生きたままメッセンまで運ぶ」
「メッセンって?」
「アドクリフの都市だよ。エンバイロメント・インパクト以前のままに、高いビルが建ち並ぶ世界一の大都会だ」
「ふーん。おじさんは、商人か何か?」
「ははは。私は商いはしない。投資するだけさ。海老でも、ポモタンでも。そして、儲かったら、このようなお祭りで、みんなで楽しむ。素敵なことだろ?」
「はい!」
「せっかくだから、君たちに投資してもいいが、優勝は可能かね?」
「そのつもり。簡単じゃないのはわかってる。でも、そのために頑張ってます」
 キーロウの正直な答えに、おじさんは「だめだめ」と手を振った。「正直なのはほめてあげたいが、ビジネスはもっと上手に頭を使わなくては」
「?」
 キーロウはきょとんとしてオレを見たけど、オレもその答えはわからなかった。
「君たちが勝つためには、二つ方法がある。まず、君たちが強くなること。もうひとつは、相手が負けることだ。君たちは、今、王室のランチに招待されている。ここで、もし、君たちのライバルが負けるように、しかるべきお願いを、しかるべき人たちにしたとしたらどうだい?」
「そんなの、無理に決まってます」
「いやいや、君たちはとても倍率が高い。つまり、君たちは極めて投資のしがいがある対象なのだ。そこにいろんな可能性が発生する。これがビジネスってもんだよ」
 オレは心の中でオレンジ・キャットのオヤジを思いだして苦笑したが、キーロウは教会の子供らしく不愉快そうに言った。
「でも、それって、ズルじゃないですか」
「たしかに。きれいな話ではない。しかし、きれいではない話に、人は関心を持つのだよ。そこに、投資のチャンスが生まれる。わかるかな?」
「ん〜、わかるような、わからないような・・・」
「ま、投資というのはそういうものだ。なあ、シュビツリン先生」
「いわゆる『悪の経済学』は、決してテキストだけのことではなく、むしろ現実そのものだと言えます。しかし、それは、一面、自由への『警鐘』を投げかける。悪が本質なら、自由は制限しなくてはならない、という発想になる」
「しかし、先生は、自由を推薦してらっしゃる」
「そのとおり。私は自由の制限には反対です。なぜなら、人は失敗からしか、大切なことを学ぶことができない生き物だからです」
「学者でありながら、勉強だけでは人は成長できない、とおっしゃるか?」
「私がただの無欲な学者ならば、こんなところでご馳走を楽しんだりはしていないでしょう」
 おじさんの二人は楽しそうに難しい話をしていたが、フィーリー・コタンは不満顔だった。
「ねえねえ、そんなことより、パトリシア様の婚約のお話ししましょうよ」
「投資家として? それとも経済学者として?」
 と、投資家のおじさんは腹をブルブル震わせて大笑いした。投資としての婚約、経済学としての婚約。意味がわかれば笑えるのかもしれない。
「もー、私たちにとって、人生とは何? 愛よ、愛! あの男の求めを、ずっと避け続けてきたパティ様も、ここで優勝されちゃったら終わりよ、きっと」
「それ、なんの話ですか?」
 と、オレはせいいっぱいの無関心を装いながら質問した。
「アドクリフの副大統領のお身内。ポモタン開発会社の御曹司。かっこよくて、頭よくて、スポーツ万能。そりゃあ、王室の一人娘と結婚となったら、実質、次期王様だから、頑張っちゃいたくなる気持ちはわかるの。ただ、パティ様がそんなに魅力的かしら、とも思うわけ。私はそこに素朴な疑問を感じないではいられない。どうお考え、みなさん?」
「ていうか」とオレは話に割り込んだ。「その男って、レースに出場してるわけ?」
「おっと、一番重要なことをご存じないのか」と資産家が目を丸くした。「優勝候補ナンバーワンのチームが、それというわけですよ。ははは」
「ペディキアン・レッド・ワークス!」
 と、オレとキーロウは同時に叫んだ。
「そうよ。最高の装備で臨んで、ちょっと他に勝ち目はないの。唯一『意外性』という意味で可能性があるとしたら、あなたたちかな、って」
「フィーリー殿、それはジェラシーですか?」
 と経済学者が目を細めた。
「いいえ。『好奇心』よ。正直、あの女が誰と結婚しようと、私には関係ないの。ただ、せっかくなんだから、楽しまないと。でしょ?」
 本人は否定したけど、オレにはジェラシー丸出し、と思えた。
「いずれにしても、パティ様も追い込まれていることは確かね。今度ばかりは、逃げおおせるのは無理じゃないかな、と予想するの」
「今日の午後に決してしまいますか」
「そうよ。はっきり言って、彼女には、かなりもったいない相手だけど、この国のことを考えたら、幸せになってもらうしかないわ。動くなら今よ、投資家さん。でしょ?」
「私は人の婚約に乗じるなど、そんな無粋なことはいたしません」
 と、男はたるんだ頬を振るわせて否定した。
 フィーリーは肩をすくめた。
「じゃあ、おうかがいいたしますが、誰が優勝すると?」
 太った投資家が、オレたちを見た。
 経済学者も、フィーリーも、オレたちを見た。
 そして三人で爆笑した。
「リュウって言ったわね。いっしょに昼食を楽しめたこと、嬉しく思います。はっきり言うと、私、あなたに少しプレッシャーをかけたかったの。もし、何も知らないまま、無心で奇跡を起こされてしまっては困るから。『ここ』には、いろんな大人の事情があるのよ。アドクリフとの友好もその一つ。大国との友好と資本交流は、時代の流れなのよ。あなたたちも、国を愛する気持ちがあれば、よけいなことはできないわね。身の程をわきまえるのも大切なこと。そうでしょ? ふふふ、悪く思わないでくださいませ」


「結局、なんなんだ?」
 と、とりあえず美味しいもので腹いっばいになったキーロウは、船に戻りつつ首を傾げた。
「つまり、オレたちは優勝しなくちゃならない、ってことさ」
「どうして?」
「決まってるだろ。婚約阻止!」
「なるほど。でも、この国のためを考えたら、身の程をわきまえた方がいいらしいよ」
「バカ。そんなこと、信じるな。やつらは、ただ、金儲けしたいだけ」
「えー、そうなの?」
「信じろ。オレもいろいろ勉強してるんだ」
「なんだか、ややこしいな」
「そういう世界なんだよ。関わるとなったら、な。でも負けないぜ」
「そうだね、負けちゃダメだよね」
「ああ」
 オレたちは『グレートヒーロー』に戻る前に、王宮に近いところにあった石造りのトイレに入った。並んでおしっこしていると、後ろから声をかけられた。
「なんなんだ、あの走りは」
「え?」
 振り向くと、エミリオがいた。それも、キーロウと全く同じ服装をしてやがる。
 あまりに意外すぎて、オレは喜ぶこともできなかった。
「あんなことでは優勝できないじゃないか」
「初参加で予選突破したんだ。ほめてもらいたいぐらいだぜ」
「バカ言うな。『グレートヒーロー』だぞ。優勝しなくてどうする。そのために参加したのだろ」
「おまえに言われたくない。これはオレたちの問題だ」
「君たちが優勝しなくては、僕が困るのだよ」
「期待してくれるのは嬉しいけど、アンタの事情なんか、オレたちに関係ないし」
「そうか? 本当に関係ないか?」
「うっ・・・」
 まあ、正直に言えば、関係あるか。
「それより、なんだよ、せっかく再会したのに、男子トイレってのはないだろ。キーロウ、出ようぜ」
「待て」
 と、問答無用の一言。
「は?」
「ここで、僕とキーロウは入れ替わる」
 オレたち兄弟は、目が点になり、返す言葉を失った。
「僕だって、こんなことはやりたくはない。しかし『グレートヒーロー』が優勝するためには必要なことなんだ」
「入れ替われば優勝できるって言うのか?」
 オレの疑問に、やつは躊躇なく頷き、ポケットから『ビアトリスの玉』を取り出した。薄暗いトイレの中で、玉は白い光を発していた。
「奇跡が起きようとしている。僕はこのチャンスに掛けようと思う」
「また『奇跡』かよ」
 オレはあきれたが、キーロウは「じゃ、二人でガンバってね」と大便用の個室に入っていった。
「ありがとう、キーロウ。きっと君の分も頑張ってみせる。レースが終わったら、すぐに船に戻ってきてくれよ。表彰台には、君たち兄弟で上がるんだ」
「わかった」
 それにしても、こんな大会の真っ最中に、男子トイレで我が国のお姫様と会ってるオレたちってなんなんだ、と思った。あのフィーリーなら『大人の事情』と説明するところだろう。オレなら『男の事情』と言いたかったけど。しかし、いちおうエミリオは女なんだよな。それも、ヘタしたら今日、婚約が確定してしまうかもしれない女だぜ。やれやれ、だ。

「リュウにい」
「なんだ」
「リュウにい」
「だから、なに?」
「いや・・・このぐらいでいいかな、と思って。声の高さが」
「好きにしろよ。べつに声でばれることなんかないだろ」
 トイレを出て船に戻る途中に、やつは立ち止まって首を傾げた。
「リュウにい・・・いや、もう少し低い方がいいかな・・・」
「おいおい、研究するなって」
「いいだろ。好きなんだ、こういうの。ずっと一人で、こういうことばっかりやってた」
「寂しいやつだな」
「違う」とやつは首を大きく横に振って歩き始めた。「寂しいとは思わない。ただ、僕は、こういう性格なんだ。君には、知っておいてもらいたい・・・」
 オレは思わず苦笑した。
「ああ。オレも、おまえのこと、できることなら全部知っておきたい。ちなみに、下着のことなら、もう知ってるぞ」
「なんで・・・あっ!」
「悪いけど、使わせてもらってる」
「うそだろ!」
「いや、使わせてもらってるのは、いっしょにあった金の方だ。だからこの大会にもエントリーできた」
「金のことはいいよ。でも、下着は恥ずかしいから、ちゃんと処分しておいてくれ」
「もったいない」
「うぐっ・・・そ、そうだな、これから、何かのおりに役に立つかもしれない」
「ちゃんと宿の人に頼んで大切にしてもらってるから心配するな」
「あのー、『大切にしてもらってる』ほうが、むしろ心配なんですけど」
「おい、オレをヘンタイあつかいするなよ。言っとくけど、オレはおまえの下着なんかで欲情しないからな」
「男として全く欲情しないのもどうかと思うが」
「いや、全くとは言ってないし」
「じゃあ、どのくらい欲情したの?」
「少し・・・というか、ほっといてくれ、そんなこと。ただ、ちょっとばかりドキドキしただけだよ」
「純粋なんだな。女とつきあったこと、ないの?」
「ない」
「マジ?」
「好きな人はいたさ。アムンとアドクリフのハーフの人で、夏だけいつも遊びに来てたんだ」
「リュウにいって、見かけによらずロマンチストなんだな」
「おまえは違うのか?」
「僕は、ロマンチストじゃない。夢見る乙女の時代もなかったわけじゃないが、現実は甘くないんだ、いろんな意味で」
「ま、大変そうなのはオレにもわかるよ。王様の一人娘じゃあな」
「うん」
 素直に肯定されてしまうと、意味の重さがオレにも伝わってきた。
「リュウにい、僕が背負うものは小さくないんだ」
「だろうな」
「でも、運命は信じている。希望という名の灯台を見失いたくない」
「キーロウ、っていうか、今はこの呼び名で呼ぶけど、おまえ、婚約するって本当か?」
「どこで聞いたの?」
「ランチに誘ってくれた人がいて、そこでちらっと」
「まあ、そのとおりだけど」
「だから逃げ回ってたのか?」
「それだけじゃない。でも、それだけじゃないことをわかってくれる人は、あまりいなかった」
「ポビーさんは、どう?」
「軟禁状態だけど、元気にはしているよ」
「あの人、オレに『答えはリュウさま自身の中に存在しますぞ』とか言ってた。わけ、わかんねーつうの」
「でも、それは本当だと思う」
「なんでよ」
「だって」と、やつは男の声のままオレに腕を絡ませた。「アニキだもん」
「ますます、わけわかんねーし」
 嬉しいような、いらつくような、不思議な気分で、オレたちは『グレートヒーロー』にたどり着き、午後の帆走の支度を始めた。

 とりあえず、最初はオレがスキッパーとして舵を握った。やつは前でバランス担当だ。海で落ちるのが心配だったが、いきなり最初から操舵をやつにまかせて失敗するわけにもいかない。
 今度の相手は学生チームの軽量艇だった。小回りは利くが、海に出て苦労するのはオレたちと同じだろう。
 海風が強くなっていた。スタートすると、オレは前部のやつに指示を出しながら、最初の『三つのブイ』を回った。さすがに本物のキーロウのように馴れた動きではないが、経験が浅いわりにコツをつかむのは早い。最後のブイを回るところでは、やつは船縁に足裏をひっかけて、ロープだけを頼りに海面に身体を投げ出した。真っ直ぐに伸ばした身体の重みが、風でふくらんだセールの角度を支える。オレは大胆に舵を操作して、一気に向かい風に入った。
 とりあえず、初回のレースタイムくらいはクリアできそうだった。しかし、もちろんその程度では優勝などできない。
 力を込めて、ギリギリのタッキングをくり返し、川を下っていく。むこうが先を走っているが、差はさほどでもない。
 きっと海で挽回できるだろう・・・と考えたオレが甘かった。やつらは海に出ると、タッキングと大波のタイミングを合わせる高度な技で、着実に進んでいった。もちろんオレたちには、そんな技を見せつけられても、いきなりまねできるわけがない。
「リュウにい、やばいぞ。やつら、離れていく」
「わかってるって。もう少し前で体重かけてくんないかな」
「いやだよ、怖い!」
「優勝しないと、婚約だぞ!」
「おどすな!」
「事実だろ!」
「でも、ここで死んだら元も子もない。うわっ」
 すでにやつは何度も波をかぶってびしょぬれだ。
「お姫様、何か秘策はないのか!」
「秘策? あるある、ありますよー」
「じゃあ、さっさと使おうよ」
「だめ。とりあえず、自力で沖に出るの」
「沖に出たら何かあるのか?」
「ありますよー。キス! うわっ」
 また波をまともにかぶってるし。
 その頑張る姿勢は、なんだか愛しいほどだったけど。

 ようやく沖のブイの近くまで来た。競争相手は、こちらがうねりの頂上にいないと見えないくらい先の方を進んでいた。
 やつが、オレのところにやってきた。
「リュウ、わかってるわね?」
 やっと懐かしい女の声。
「ああ。なんとなく」
「私たちが勝つために必要なことは?」
「『愛』だろ」
「『ビアトリスの玉』と『グレートヒーロー』に誓って、私はあなたを愛します」
「うん、オレも」
「ダメよ。きちんと誓いなさい」
「わかった。『ビアトリスの玉』と『グレートヒーロー』に誓って、オレは君を愛します」
「約束よ」
「そっちこそ。勝手にいなくなったりすんなよ」
「ごめんね。でも、また会えてよかった。私、ずっと、会いたかったよ」
「パティ、オレたちの心は、永遠に離れないから」
 オレたちは誰も見ていない沖合で、固く抱き合ってキスをした。
 すると『グレートヒーロー』は、熟した果肉を裂くように、滑らかに走り始めた。船体が浮き、もう波の影響を受けていない。
 すると、やはり、やつは人目を気にしたらしく、「ありがとう」と口を動かしてから、船首に戻った。さながら大型帆船のフィギュアヘッド(船首像)のように身を乗り出し、風を切っていく。
 水の抵抗から解き放たれた『グレートヒーロー』は、ピッチャーが投げた玉がキャッチャーのミット目指して飛んでいくかのように、海風に乗って川に入り、一気にシケインまで突っ込んでいった。その手前で着水すると、水しぶきが輝く回廊のように立ち上がった。オレは力を込めて舵を押し込み、セールを調整して、勢いのままにシケインをクリアした。
 オレたちがゴールするとき、競争相手はまだこれからシケインに入るところだった。
 すごい。これが伝説の『グレートヒーロー』なんだ、と思った。宙に浮いた船が、追い風を受けて、一気にぶっちぎる。
 勝利の瞬間、オレは、ずぶぬれの相方を見つめた。キラキラと瞳を輝かせているあいつを、もう一度強く抱きしめたかったけれど、それはさすがに遠慮した。
 歓声を受けながら、失速させずに、一気に所定の停泊位置まで戻った。
 近くの物陰にキーロウがいた。ニセ・キーロウの手招きで、すかさず入れ替わった。
 本物のキーロウは、濡れていないので、とっさに川に飛び込んだ。そのままジャブジャブと泳いで、腕を突き上げて「やったぜ!」と叫んだ。
 上出来の演技だった。
 オレが振り向くと、すでにパティはどこかに消えていた。

 さて、問題は、このあとだ。
 最終決勝に進出したのは、オレたちと、PRW(ペディキアン・レッド・ワークス)。 そのスキッパーこそ、パティの婚約者候補らしい。

 ところが、ここで問題が起こった。『グレートヒーロー』の浮遊に対するポモタン利用疑惑だ。もちろん協会に抗議したのは、優勝に不安を感じたペディキアン・レッド・ワークスのやつらだった。
 オレも、正直、やばいなと思った。ドリフトはともかく、ポモタンを使って浮いたとなれば、失格は当然のこと。
 ちょうど王宮の近くに、ポモタンの研究施設があったらしい。急きょ、共鳴装置が運ばれてきた。これで反応したら、間違いなく失格だ。
 疑惑解明の用意が進む中、大会は進められていった。一人乗りの決勝が行われ、最初の大型船が帰還していた。あとはオレたちのクラスの決勝戦を待つばかり。
 ところが、オレの心配をよそに、『グレートヒーロー』は全く反応しなかった。
 調査員たちは首を傾げつつ「違うようだ」と言った。
「すみません、お騒がせして」とオレはすぐに関係者たちにわびた。「紛らわしいテクですが、追い風を受けて、うまく波を利用すると、ああいうふうに飛んだようになるんです。純粋にヨットしての技なので、反則にはならないと思うんですが」
「うむ・・・そのようだな。『グレートヒーロー』のベストタイムを公式に認めよう」
 オレはキーロウと頷きあった。
 ちょうどそのころ、観客席の方が騒がしくなった。
 白い馬に乗った数名の男たちが、ビラをまいて場内を混乱させていた。銃声も何度か聞こえた。

「大国アドクリフに癒着する王室を、断固、糾弾する!」
 
 民主革命派?
 いよいよミカさんが動き始めたのか、と思ったが、しかしやつらはオレには見覚えのない男たちだった。遠くからだったので確証はないが、ミカやシュージたちの仲間ではなさそうだ。主張していることは民主革命派とに似ていたが、内情をよく知っているオレに言わせれば、こんなパフォーマンスは、いかにもニセモノっぽい。
 白い馬の男たちはじきに取り押さえられた。しかし市民の中にも民主革命派を支持する意見は多く、小競り合いなどの混乱が続いた。
 治安を優先して、今回の『春の女王杯』は、ここまでで終了となった。天候が崩れた場合の規定が適用され、二人乗りクラスは、PRWと『グレートヒーロー』のダブル優勝となた。
 記録上はダブル優勝だが、賭けを楽しんでいたものたちにとっては、優勝者未定の大会であり、低い配当に落胆を隠せない。その後の表象式も、王室関係者不在のまま、代理人によって簡単に行われただけだった。
 妙な後味の悪さが漂う、中途半端な幕切れとなった。

 そして気がつくと、オレは再び『あいつ』と別れ別れになっていた。石造りの王宮に消えた『あいつ』を、この日、再び目撃することはなかった。
 勝利の瞬間の、ずぶぬれのまま目を輝かせていた姿が、オレの心に焼き付いて残った。





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