![]() |
それにしてもずいぶんと複雑な立場になってしまった。
オレは大統領来国を阻止する目的の爆弾を隠し持ち、一方で大統領来国のための作業に忙殺されたのだ。矛盾だよーと思いながらも、やるべきことは山のようにあり、ぼんやりしていると増えていく一方だ。とにかく職場に来たら働くしかない。目の前の仕事を、エシルさんと共に、ダッシュで片づけていく。
「エシルさんって、本当によく働くよな」
と、オレは午後の通路をエシルさんと早足で歩いているときにしみじみと言った。
「働けるときに働かないとね。いつまでも働けるとは限りませんから」
苦笑する屈託のない彼女。その表情に接したとき、きっとそれは『女性』としての年齢的なことを言っているのだろうな、と思った。しかし実際は別の意味も含まれていた。
アドクリフ政府からの電信は、オレたちが整理して各課に配る。基本的な仕事の一つだが、あるとき偶然、書類の中に気になる一文を見つけた。
「・・・『グレートヒーロー』についての調査資料を用意しておくように・・・」
オレは見て見ぬふりをして、速攻でグリベラ所長のデスクに届けたけど、発信人は副大統領のカーリー・マクドナルドとなっていた。
パティの注目する『グレートヒーロー』は、やはり重大なことと関わりがあるらしい。あのエミリオ老が、わざわざオレに会いたがったのも『グレートヒーロー』がらみだったのだろうか。
エミリオ老・・・あの人は、よくわからない人だった。威厳たっぷりで雲の上の人のようだったら納得できたのだけど、妙に自然で話しやすかった。わざわざ庭に出て鳥を呼び寄せる不思議な技も見せてくれた。それがどういう意味があるのか、エシルさんともあとで話題にしたけれど、はっきりとはわからなかった。
もちろん、あの人がオレとパティの関係を知っていて「王家に伝わる伝統を教えようとした」ということなら話の筋は通るのだが、いくら楽観的なオレでも、そこまで好意的に受け取るのは抵抗を感じた。
むしろ『グレートヒーロー』が問題であり、その使い手にコンタクトした、という解釈なら、まだわかる。
でも、なぜ『グレートヒーロー』なのか?
持ち主であるオレ自身が、そこのところをわかっていない。飛ぶことだって、オレは全く知らなかったし、一万二千年前の船だなんて、そんなこと、考えたこともなかった。
もちろん、悪いのはあいつらだ。22年前に優勝して、大喜びして、『グレートヒーロー』だけ残して、勝手にいなくなっていった、オレの両親。
思えば、あのときも、喜んでいたのだ。オレと幼いキーロウを北の村の教会に預けて、去っていったオレの母親。ゴメンね、の一言も言わなかった。ただ「新しいことが始まるの。私たちはいつもいっしょ」と嬉しそうに目を輝かせて。
だから、オレは何も不安に思わなかった。ちゃんと『いい目的』のためなのだから、悲しむ必要なんて何もない、と。
ある日、急に悲しみが襲ってきた。教会で暮らし始めて二年もたってからだった。夏の終わりの夜、湖を照らす明るい月を見ていたら、急に本物の悲しみがやって来たのだ。それは「ゴメンね」と「さよなら」を、百万個ほど袋に詰めて後頭部をガツンと殴られたような、理由のわからない激しい衝撃だった。
そのとき身体に食い込んだ何かは、夜が明けても重く残っていた。
目覚めたオレは、いてもたってもいられなくて、まるで救いにつながる細い糸をたどるように、祭壇で一人で祈った。
すると『オヤジ』がやってきて、静かに言ったのだ。
「リュウ、いずれヨットが届くだろう」
「え?」
「少し古いが、いい船らしい」
オレは、その瞬間、喜びを感じた。
自分の中の『悲しい気持ち』なんて、なんの理由もなくて、現実は、新しいヨットが届くという、想像もしていなかった嬉しいニュースが待っていた。
そして、オレは悲しみを忘れた。いずれ届くヨットを夢見て、勉強することが、希望の入り口と信じて。
ずいぶん待たされたが、オレが16の時に『グレートヒーロー』が届いた。それ以来、オレはもう根拠のない悲しみで泣くことはなくなった。
なにはともあれ、オレはグリベラ所長の下で働きまくった。徐々に周囲にも解けこみ、信頼を獲得していた。
オレとエシルさんの部署には、他に八人のスタッフがいたが、皆、暗黙のうちにオレたちの関係に気を使ってくれた。
いろいろ事情があるオレとしては、困った状況とは思ったけれど、それでもエシルさんみたいな素直でかわいい女性と楽しく働けるのは嬉しかった。
だから、なんとなくずるずると、職場の雰囲気を肯定していた。
もちろん、エシルさんも神ではないので、ときには愚痴をこぼすこともある。上からの計画変更は日時用茶飯事で、その度に資料の訂正などで対応に追われた。
「無理ですよー、私たちが悪いんじゃないのにー」
「うそー、道の計画、また戻すんですって。いい加減にしろ、って言いたくなりますよね」
「すみません、リュウさん、また変更です。もー、あのバカ所長!」
オレはまだ入ったばかりだから、あまり詳しい内容はわからない。とにかくエシルさんの苦労を軽くできるように頑張った。使い走りでも、作り直しでも。
「エシルさん、太めの赤ペン、どっかないっすかね」
「エシルさん、少しはみ出しちゃったけど、いいかな?」
「エシルさん、何枚くらい印刷紙ときます?」
「エシルさん、電信の用紙の予備ってどこですか?」
「エシルさん、この資料、どこに持ってけばいいですか?」
そんなやりとりの一つ一つが、オレたちの関係を確かなものにしていった。
ある夜、帰りの馬車で、エシルさんは『秘密』をうち明けてくれた。
胸にしこりのようなものができていること。これが身体の他のところにもでき始めると、死ぬかもしれないこと。
「だから、私は、誰かを好きになったりしてはいけないんですよね。しない方がいいんです」
「どうして?」
「だって別れは、悲しいから。私だけじゃなくて、相手の人も、悲しませてしまうから」
オレは、そんなことないよ、と言いたかった。むしろ逆だよ、と。エシルさんが生きていた証を、この世にきちんと作っていくことこそが大切なんじゃないか、と。
でも、実際には、オレは、何も言えなかった。
「まあ、悩んでも、仕方ないですよね」
「でも、それ、本当に深刻な病気と決まったわけじゃないんだろ?」
「そうだけど、アドクリフから来ているお医者さんが『可能性は低くない』って。海を渡ってあちらで検査すれば、はっきりわかるらしいのだけど、はっきりしたからって、治す方法がないのだったら、ね」
「そうなのか?」
「うん」
オレは、彼女に身体を寄せて、夜空を見上げた。
「エシルさん、知りたい星の名前ない? なんでも教えちゃうし」
「もしも『希望の星』ってのがあるなら、知りたいな」
「星なんて、全部『希望の星』だ。ホントだぜ」
「そうなの?」
「だって、星を見て絶望することなんてないだろ。いつも希望を感じるんだ」
「そっか」
「そうだよ。空にあんなに星がいっぱいあるんだから、エシルさんも絶対に希望を捨てちゃダメだ」
と、オレは本気で言った。
「リュウ」
「ん?」
「ありがとう」
「礼なんかいいよ。それより、無理しすぎるなよ。オレ、なんでも手伝うから」
「うん」
オレの中に、奇妙に熱いものが渦巻いた。エシルさんの存在が、オレの中で大きくなっていく。エシルさんの笑顔、仕事でふてくされた顔、すれ違ったときの微かな匂い、優しくて前向きな声、それらは、まるで郷里の風景のように、優しくオレになじみ、安心できる何かに変わりつつあった。
むしろ本当の異性との信頼関係とは、こういうことなのかもしれない。もちろんオレとしても、エシルさんとの関係を『恋愛』に発展させるわけにはいかなかったけれど・・・
ある朝、出勤してすぐにエシルさんに質問した。
「ちょっと荷物があるんですけど、どっか置かせてもらえませんか?」
「書類倉庫の奥とかなら。でも、何ですか?」
「そろそろオレも徹夜になりそうだし、ちょっと私物を」
「はあ・・・」
オレはずっしりと重いバックを、着替えが入っている程度の重さであるかのように偽って、書類倉庫に隠した。
「あれ、オレのバンツとか入ってるんで、見ないでくださいね」
エシルさんは微笑んで、素直に頷いてくれた。
そして、いよいよ明日、副大統領を含めた大人数の先発チームが来国する、という夜になった。
その夜は、オレは疲れの激しいエシルさんをむりやり最終馬車に乗せてから、数人の事務所スタッフと残業を続けた。
三時ころになると、さすがに仮眠をとるために席を離れる人が多くなった。オレは「ちょっと気晴らしに散歩してきます」と言って部屋を出た。
書類倉庫に寄って、重い荷物を持ち、建物の外に出た。
設置する場所はもう決めてあった。ポモタン採掘用の吸引装置の本体だ。蒸気動力で動く装置で、これを破壊すると、おそらく蒸気が噴き出し混乱を招く。音もでかくなるだろう。それでいて普段は人が近づくことはない。
オレはもう一度タイマーを確認して、起爆装置のスイッチを入れ、荷物を装置の下に押し込んだ。
迷いはなかった、というと、ウソになる。けれども、オレが、オレの立場でいくら考えても、何が正しいのかなんてわからない。
オレは、エシルさんと共に働くこの職場に愛着を感じていた。アドクリフの要人たちの来国が100パーセント友好目的の来国なら、オレだってもちろん歓迎したかった。
けれども、この国を悪意ある大国の餌食にさせるわけにはいかない。
つまり、この爆破も、より深い意味では、エシルさんのためなのだ。エシルさんや、キーロウ、パトリシア、フルブラウトさん、オヤジと母さん、兄弟たち、『グレートヒーロー』・・・
確かに、オレは爆弾を引き受けてから、何度も『グレートヒーロー』で眠り、問いかけを続けた。おまえはどう思うのか、と。
しかし『グレートヒーロー』からの明確な返事はなく、どちらかというと、肯定しているように感じられた。
それが、結局は、行動の決め手だった。
夜明け頃から、早くも事務所はバタバタとし始めた。多くのスタッフが朝の打ち合わせを終えると、港に移動していった。グズリアにできた新港は、もともと関係者しか入れない場所だったから警備が難しいということは特になかったのだが、なにせ、来国する人数が多い。軍関係や事務方など、末端のスタッフまで含めると200人を超える。準備作業は、やってもやってもきりがないくらいあった。
下船を終えた人々と共に、そのまま港で歓迎式典が行われた。オレとエシルさんは事務所に残ったが、隙を見て屋上に上がると、式典の様子を遠くに眺めることができた。
「ついに、きちゃったな」
オレのかすれた声を聞いたエシルさんは「どうしたの、振るえてるの?」と聞いた。
「緊張しちゃってさ」
「私もわかる。このために準備してきたんだもんね」
その後、要人たちは採掘場の視察にむかうスケジュールになっていた。
オレはそのスケジュールを細部まで把握してた。
予定していた爆発は、要人たちが視察に入る直前、採掘場前に集まったところで起きたはずだ。
地震のような震動と、重い何かがはじけたような音。
オレのいた事務所のスタッフは、何が起きたのか想像できずに、無視して仕事を続けようとした。しかしあわてて駆け込んできた男が叫んだ。
「大変だ、爆破テロが起きた!」
一瞬で事務所が凍り付いた。
すぐに電話が鳴り響いた。怪我人の確認、要人の安全の確保、マスコミの対応・・・連絡事項が事務所に集中し、オレも忙殺された。エシルさんは所長に呼ばれ、急いで走っていった。
どのくらい時間がたったろう。感覚的にはほんの数分だが、時計を見るとあれから2時間以上過ぎていた。
グリベラ所長が、エシルさんや、5〜6人の職員と共に、事務所に入ってきた。厳しい顔をして、オレの机のところに来た。
「リュウ君、君は、これに見覚えがあるか?」
それは焦げたバックの持ち手だった。
「え・・・いえ・・・」
「リュウさん、違うって言ってください!」
と、エシルさんが狂ったように叫んだ。
しかしオレは、とっさには否定できなかった。
あいまいな態度のオレを、男たちが取り囲んだ。
「所長の私自身、君が何か持ち込むのを目撃している。確証はないが、これはその一部のように思える」
「そ・・・それが、どうしたんですか?」
「爆破現場から発見された。爆弾を入れていたバックのようだ」
「それ、オレのバックの一部と思うけど、オレはそんなことはしてません」
「しかし、君は昨夜、ここで徹夜したな。途中、気晴らしに長い散歩に出たことも複数のスタッフが証言している。どこに行っていた?」
「どこにって・・・散歩は、散歩です・・・疲れて・・働き過ぎで、ボーっとして・・・」
苦々しげに顔をしかめた所長が頷くと、男たちがオレを強くつかんだ。むりやり両腕を後ろに回し、手首をローブでしばった。別の男たちが、オレのズボンのポケットを確認した。危険なものを持っていないかの確認だった。
オレは、ただ、エシルさんに謝りたかった。
あの夜に「別れは、悲しいから。私だけじゃなく、相手の人を悲しませてしまうから」と言っていたエシルさんを、オレは、オレの行為で、悲しませてしまった。
全部わかっていて、やったんだ。
オレは戸惑いつつも、最後にエシルさんの目を見た。
その目には、すでに悲しみを通り越し、明確な『怒り』が宿っていた。
オレが仕事の立場を利用し、彼女を裏切ったことを、察したからだった。
ヘンな話だけど、最後にエシルさんの怒った目を見て、オレはむしろホッとした。
国家反逆罪。
爆弾テロリスト。
それがオレの新しいレッテルだ。罪の重さなんか、正直、オレには実感ないままに。
幸い爆破で死者は出なかったが、それでも怪我人は出たらしい。
捜査官の短い尋問のあと、いったん書庫に閉じこめられた。その後、半日かけて調査が進んでも、疑いが晴れないどころか、ますます疑いが深まることを確認した上で、あらためて首都の留置場に移されることとなった。
もちろん、こういう状況は誰かが説明してくれたわけではない。オレの勝手な想像だが、まあ、だいたい間違ってはいないだろう。
書庫から出されたオレは、手をがっちりとしばられて、外の馬車まで歩かされた。事態の深刻さとは無縁の、うららかな春の日差しが心にしみた。
馬車に乗せられたオレの両脇には、採掘現場の警備主任と、アドクリフから来た巨体の軍人が乗った。
よけいな説明は一切なく、ただ「これから首都で尋問が行われる」とだけ伝えられた。
尋問?
オレはどこまで耐えられるだろう。
むしろ素人のオレとしては、耐える必要などないのかもしれない。
こうなってしまっては、賢いミカやシュージは、とっくに場所を移しているだろうし、彼らが主犯であることは警察も察しがついいるだろう。
ただ、オレが肯定するかどうかだ。
尋問を受けるなんて初めてだが、やっぱり痛いのだろうか・・・
移動の途中で、王宮の前を通りかかった。留置場は城の中にあったのだ。市民から隔離された聖域、という意味で共通するらしい。
そこに、ちょうど白い王室専用の馬車が停まっていた。アドクリフから来た要人の対応(晩餐会?)のために、王室の人々が出かけるところなのだろう。
オレは手はしばられていたが、目と口は自由だった。
だからそこに、パトリシアがいることに気がついた。白い豪勢なドレスを着て、ちょうど馬車に乗り込もうとしているところだった。馬車の席にはもう一人、着飾った女性が先に乗り込んで座っていた。あの女王杯のときに声をかけてくれて、ランチを共にした人だ。たしかフィーリー・コタンという名前だ。パティの従姉妹だった。
「あの、すみません」
とオレは両脇の二人に言った。
「オレ、あの人たちと知り合いなんです。もしかしたら、オレを弁護してくれるかもしれません」
「本当か?」
と採掘現場の警備主任は真っ直ぐにオレを見た。
「そもそも、オレ、『春の女王杯』で優勝したから、エミリオ閣下に声をかけていただき、あの事務所で働いていたんですよ」
「うむ・・・」
アドクリフの軍人は無視したそうだったが、アムンの人間としては、もし王室との関わりが本当なら、無視するわけにはいかない。
「困ったな。こういうことは、きちんと段取りを付けるべきだが、事態は切迫している。もしもおまえが犯人でないなら、別の対応が早急に必要だ。あちらには大変申し訳ないが、ここは無理を言って、おまえのことを確認させてもらおう。ちょっと待て」
馬車が止まり、アムンの警備主任が扉を開けて降りた。そして王室の警備担当者に駆け寄った。相手は迷惑そうだったが、説明を聞くと、渋々承知したらしく、白い馬主の中の二人のお姫様に声がかかった。
フィーリーは、オレを見て頷いた。そして、あっさりと何かを告げた。レースの日にランチをいっしょに食べたことを言ったのだろう。「ただ、それだけよ」と。
パトリシアは、上体を傾げて、白く長い手袋をはめた手を頬にあて、冷たい目でオレを見た。確かにそれは、パティだった。しかしオレといるときのように表情を崩したり、わずかでも笑顔を見せるようなことはなく、そっと首を横に振るだけだった。「知りません」と答えたらしい。
もどってきた警備主任が、勢いよく乗り込んできて、ばたんと扉を閉めた。
「よけいなことさせやがって。ただで済むと思うなよ。『オレ』が、全部吐き出させてやる!」
そしてやつはオレの顔を横から殴った。護送中に暴力ってアリかな、と思ったけれど、オレがやったことを思えば、仕方がなかった。
というか、そんなこと、オレにはもう、どうでもよかった。
あいつは笑みを見せることもなく、冷たく首を横に振ったのだ。
オレを殴りたいなら、誰でも、いくらでも殴れ。
痛みなんて、感じない。
血が流れたって、そんなことはどうでもいい。
もちろん、わかっている。
たとえオレが犯罪者あつかいされていなくても、白い馬車に乗ったパティが、一市民のオレを肯定することはできないのだ。
わかっていたけれど、でも、それだけではない何かを、オレは期待していた。
オレの愛する人が、確かにあの人であると、信じられる何かを。
ほんのわずかなことでもいい。変装して逃げ出しているときの秘密の関係というだけではない、リアルな『絆』を。
彼女は、無視した。
要するに、全部、夢だ。
オレは自虐的に笑った。
オレは、ひりひりする顔の痛みを感じながら、やがて来る『拷問』のときが、逆に楽しみになってきた。
もっと激しく殴ったり、蹴ったりしてほしい。
ボロボロにしてほしい。
できればそのまま、殺してもらっていい。
生きる意味がなくなったのだから。
全てが夢だったのだから。
オレは縛られた脚で、前の座席を力いっぱい蹴って「あー、めんどくせー」と叫んだ。
アムンの警備主任が横からオレの腹を殴り、アドクリフの無口な軍人が鉄柱のような腕でオレの胸押さえ込んだ。
「あんたら、やっぱ暴力かい。世の中なんて、くだらねーな」
「黙れ、こいつ」
今度は顔に平手が飛んできた。ひりひりとした余韻が残る。
「なあ、あんたら、なんでこんな仕事してんの? 金のため?」
「おまえみたいなバカがいるから、こうして仕事しきゃならないんだ」
「オレがバカなのは認めるけどさ、この世の中は全員バカばかりだ。未練なんか何もない。さっさと殺せ。拷問なんかしないでさ」
「おまえの都合はどうでもいいんだ」
「オレも、あんたらの都合なんかどうでもいいよ。いや、この国がどうなったってしらねえよ。オレは頼まれた爆弾を仕掛けただけ。民主革命派のやつらにな。どうせ、もうずらかってるだろう。それだけだ。他に話が必要なら、小説家みたいにべらべらでっち上げを語ってやってもいいぜ」
二人は、すでにオレを無視して、前をむいたままだった。
「おい、オレが語ってんのに無視すんなよ」
すると無口だった軍人が「そんなに拷問が怖いか、情けないやつだ」とつぶやいた。
「はあ?」
ははは、そういう理屈ね。怖くて、しゃべった、と。逆なのにな。オレは何もかもどうでもいいから喋ってるだけなのに。
「ま、好きにしろよ。オレなんか、好きにする価値もないバカなんだからな。だいたいオレ・・・」
口にテープを貼られてしまった。
声が出ない。すると抵抗する気もなくなり、オレは頭を後ろにもたれて、目を閉じた。こんな状況になっても、まだオレの心を縛っている『絆』があることに気づいた。こいつは、手足を縛っているロープよりも、はるかにたちが悪い。存在が見えず、通りがかっても無視されて、信じられることは何もなく、それでもまだ、オレの心をがっちりと縛り続けている。
馬車が城の裏に到着すると、オレは大男たちにゴミくずのように引き立てられ、カビ臭い地下の牢屋に投げ込まれた。きしみながら鉄の扉が閉まると、明かりは扉の小窓からの、わずかなものだけになった。
しばらくは何も見えなかった。
壁にもたれて、身体のあちこちのしびれるような痛みを堪能した。
目が慣れてくると、長椅子のように簡素なベッドが見えた。そこに毛布が一つあった。
オレは本当に罪人になってしまったらしい。
それも軽い罪ではない。
人生は、これで終わり。
ま、最後は、いろいろあって楽しかった。
奇跡のように空を飛んだり、初恋の人に似た女性事務員と親しくなって、いっしょに毎晩、星を眺めて語り合ったり。
キーロウには、申し訳ないことをした。あいつは、たった一人の血のつながりのある身内だ。あいつに人生にとっては『犯罪者の兄』ということになっていくだろう。迷惑だろう。
でも、なんとなく、あいつなら大丈夫、と思う。オレの普通ではない事情もわかってくれたし、偽キーロウのカッコウであいつが現れても、すぐにトイレに隠れようとするくらいだ。
オレよりも賢いし、しっかりしてる。うまく生きていくだろう。
で、あいつ。
オレのこと、無視したが、あのとき、一番傷ついたのは、あいつ自身なんだ。
わかっている。
オレの立場で、公務中のあいつに声をかけようったって、うまくいくわけがない。でも、そこにいた姿を見てしまったら、どうしても試してみたくなった。
オレも、悪いわけじゃない。
運命。
とりあえず、運命のせいにするしかない。
この、オレの心を縛り続ける『絆』ってやつも。
どうせ運命に逆らうことなど、できやしないんだ。
つきあってやるよ、最期までな。
それにしても静かだ。
いつまでたっても、物音ひとつしない。
この国には、オレに並ぶ罪人は、他にいないらしい。
『よい国』なのだ、本当に。
この牢獄だって、使われるのは何年ぶり、って感じだ。
詰め所の人も、鍵の開け閉めに、ずいぶんてこずっていたっけ。
ま、ジタバタしてもどうにもならない。
堅いベッドだって、寝れるだけマシさ。
徹夜明けだしな。
ていうか、オレはもう眠って、夢の中にいるのかもな。
暗くて区別がつかない。
どっちでもいいけど。
あいつのことを思い出そうとする。
しかし、どの声で思い出せばいいんだ? エミリオの意地悪そうな声か、パトリシアの優しくて上品な声か?
意外に耳に残っているのは「リュウにい」と、キーロウの真似を練習していたときの声だ。あまり似ていなかったけれど、何度もあいつに「リュウにい」と呼ばれると、くすぐったいような喜びを感じた。
あいつ、まさか、オレのことを、助けに来たりはしないよな。
助けに来ることを、期待してるのか、自分。
牢獄は王家の城の地下にあるから、という理由で?
バカバカしい。
オレは毛布をかぶり、固いベッドに横になった。
涙も出ない。
『時間』という痛みが、身体のしびれと区別がつかない。
落ちるところまで落ちて、眠くなる。
眠ることと、食うことは、どこまでもつきまとってくるんだな。
足音が聞こえた。
暗い中にいると時間の感覚がない。
意外に長く時間がたっているのかもしれない。
がちゃがちゃと鍵を選ぶ音がして、何度か失敗したあとに、ようやく扉が開いた。
「助けに来ることを、期待していたか?」
やっぱり、夢らしい。
期待して、何もなくて、絶望する、の繰り返し。
出口のない夢の迷宮。
「こんなことになるとは、僕も想像していなかった」
オレは『絆』で縛られた身体が動かない。
でもな、夢でおまえに会うのは、これが最初じゃないんだ、わかるよ。
「ポビーが待ってくれている。急ぐぞ」
急いでも、迷宮に出口はないのさ。
知ってるんだ。
出たと思っても、そこもまた、夢の中。
「リュウ、私よ。まだわからないの?」
と、しびれを切らし、やつは女の声に戻り、オレの肩を揺すった。
確かに目を開けても、ほとんど暗いままだったが、のぞき窓の明かりをさえぎる姿は確認できた。
「え? これ、夢じゃねーの?」
「バカ。現実よ。さあ、はやく」
オレは、闇を探り、やつの手に触れた。しなやかな手が、しっかりと握り返してくる。確かな温もり。今になって、あふれてくる涙。バカだ、オレ。
「リュウ、歩ける?」
「ああ。しこたま殴られたけどな」
「ごめんね」
「パティのせいじゃないって」
オレは暗さをいいことに、絞るように涙を流し、腕でふき取った。
「で、どうするんだ?」
「あのね、この地下には、死体を運ぶ裏通路があるはずなの。城の中を通らずに川に捨てられるように。あまり知られてないわ。ここの監視役の人すら知らないと思う。私たちだけが知っている秘密の抜け道よ」
パティは小声で説明した。
「来るでしょ?」
オレは「ありがとう」と言うことすら忘れて、黙って立ち上がった。
この場に及んで、オレを動かすものがあるとしたら、あいつとの『絆』しかない。それが、ここに来てくれた。
「ついていくよ。どこにだって。地獄でもな」
「じゃ、こっち」
通路には、人の気配はなく、所々に弱い明かりが点っているだけだった。それだけでも、オレには眩しく感じられたけど。
足音を忍ばせ、一番奥まで来ると、パティは壁の岩の一つを押した。それは見た目は他の岩と同じだったが、強く押すと引っ込み、一メートル四方くらいの隠し扉になっていることがわかった。
「この先が川よ。冷たいかもしれないけど泳ぐの。城の裏のはず。レースのときの待機場まで行くと『グレートヒーロー』があるから」
「え?」
「あなたが先にいく? それとも私?」
「『グレートヒーロー』が?」
「時間がないの、何度も言わせないで」
「君もいくのか?」
「当たり前よ。だって、そのために、あなたは『ここ』に来たのでしょ?」
「え?」
「捕らわれていると知らせるために、わざわざ馬車を止めて」
「いや、そういうわけじゃないんだけど・・・」
「ひどいことするわよね。あなたを無視することが、私には、この世の中のどんなことよりもつらいってこと、知らないわけでもないでしょうに」
「ごめん」
「とにかく、まだ無事でよかった」
パティの言葉の重みがオレの心にしみた。
「ここ、オレが先に行くよ。おまえだって知ってるだけで、通ったことがあるわけじゃないんだろ?」
「死体を捨てる裏通路なんて、誰も通った人なんていません」
「死体のための、か」
「それもまた、よろしいんじゃなくて、私たちには?」
「そうだな。いいこと言うな」
「今さら気がついたみたいな言い方しないで」
オレが笑うと、やつも笑った。あの白い馬車にいたときの冷たい表情は、やはり本心ではなく演技だったのだ。
「パティ、キス、していいか?」
「ここで?」
「ああ。『グレートヒーロー』はないけど、オレたちに必要なのは、やっぱり『愛』だと思う」
「急いだ方がいいんだけど・・・」
「牢獄の罪人だからこそ、見える光を、刻んでおきたいんだ」
パティは頷き、胸元から光るビアトリスの玉を取り出した。
オレは玉を見て頷き、パティを抱きしめて、キスをした。
顔を離すと、先に狭い通路に飛び込んだ。
急斜面を滑り落ち、あっという間に、冷たく暗い川に落ちた。
水中から浮かび、顔を出すと、「いいぞ」と穴に向かって言った。
すぐにやつも落ちてきた。水が大きくはね、数秒後に顔が浮きあがった。
「冷たいね」
「ああ。急ごう」
外は夜だった。
凍える身体を無理に動かし、城の水路から、川にむかって泳いだ。
レースのときの待機場あたりには、確かに本物の『グレートヒーロー』が待っていた。
なんとかたどり着くと、手の力が入らないくらいに凍えたオレたちを、黒服を着たポビーさんが岸に引き上げてくれた。
「成功ですな、お嬢様」
「だめ。ここからは、僕はエミリオだ」
「はい、失礼いたしました」
「それよりも、よく間に合ったな」
「証拠として押収され調査された『グレートヒーロー』が戻ってきたのが、つい今さっき。ギリギリのタイミングでした」
「荷物は?」
「そちらに」
船の先の方には、いつか見たような荷物が積まれ、いつかと同じように布がかけられていた。
「着替えはあるか?」
「はい」
「リュウの分も」
「もちろんでございます」
オレたちは濡れた服を脱いで、タオルで身体を拭き、新しい服に着替えた。
それは意外なことに、学生が着るようなきちんとした服だった。ショルダーベルト付きのズボンに、白いシャツ。
「なあ、よけいなことかもしれないが、田舎風に川を行くなら、もう少し田舎風の格好の方が目立たないんじゃないか?」
「いや」とエミリオはすぐに否定した。「僕たちはこれから海を目指すのだ。海岸を西に辿り、リセに行く」
「なんで?」
「リセ大学に『ビアトリスの玉』と『グレートヒーロー』の謎を解く鍵があるはずなんだ」
「おい、そんなことしてる場合か?」
「リュウ、君は、この奇跡の、本当の意味を知りたくないか? なによりも、そこからすべてが始まるんだ」
やつは凍えて、歯の根がガクガクと合わないのに、必死でまくし立てた。
「リセか。あまり賛成したくないな」
「リュウ、本当の奇跡は、これからなんだ。そうだろ? 僕たちは、ここでダメになるわけにはいかない。幸せになるために、乗り越えるべきことを乗り越えるんだ」
「頭がおかしいくらい前向きな考えだな」
「まあな。けれど僕は、不可能だとは思わない。それに、面白い」
「しかしだ、現実的なことを言わせてもらうが、この小さな船で外洋を行くってのは大変だぞ。リセまでだったら、かなりある。少しでも海が荒れたら転覆するだろう」
「おいおい、リュウ、君は大変なことを忘れているぞ。なあ、ポビー」
話を振られたポビーは深く頷いて言った。
「リュウ殿、答えはあなた自身の中に存在しますぞ」
オレは、またそれか、と思って苦笑した。
「なあ、それ、『絆』ってやつか? それとも『愛』か?」
「そうだよ、リュウ」とエミリオは月明かりの元で目を輝かせた。「まさに『愛』ってやつさ」
オレたちは、船の脇に立っているポビーに礼を言うと、抱き合ってキスをした。オレはもう躊躇しなかった。かび臭い牢獄から出てきたオレとしては、相手が男の格好であろうが、そんなことはもうどうでもよかった。ただ、腕の中の大切な人への熱い感謝でいっぱいだった。
『グレートヒーロー』は重力から解き放たれ、ゆっくりと舞い上がった。手を振っていたポビーの姿は、すぐに夜の闇にまぎれて消えた。
上昇が続き、まもなく首都全体がぼんやりと見下ろせるまでになった。
さて、浮き上がったのはいいが、風はほとんどなく、西のリセの方向にむかうには、正しい方向の風ではなかった。
どうするのかと思ったら、やつは淡く光る『ビアトリスの玉』を片手に持ち、西にむかって差し出した。すると『グレートヒーロー』がゆっくりと方向を変えた。そして西にむかって、滑るように加速を始めた。
そうか、これが『ビアトリスの玉』の、本当の使い方なんだ・・・
「知ってたのか?」
「いいえ、なんとなく、偶然に」
やつの目が少年のように輝いた。
まあ、『少年』なのも、悪くない。
脱走したり、夜空を飛んだり。
イタズラ好き、って感じ。
オレは、やつを、後ろからギュッと抱きしめた。
お互いに身体は冷え切っていたけれど、腕の中には確かな温かみが存在する。
これがすべてだ。
ここからなら、始まっていける、と思った。
<<back top next>>