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 8章

 
「あのさあ」
「なに?」
「オレ、ずっと『愛』について考えてたんだ」
「私も」
「べつに、ヒマだから、ってわけじゃないぜ」
「私だって」
「でも、よくわかんないよ」
「私も」
「やっぱり?」
「うん」
「不思議なもんだな」
「同じこと考えてた」
「『絆』ってやつか?」
「そう。ご不満でしょうか、リュウさま?」
「よせよ。不満なわけないだろ。現実ってやつには不満たっぷりだけど、でも、オレ、パティに関しては、オールオッケーだから」
「私のこと、もっとたくさん知っても、同じように言える?」
「ああ。ていうか、そう言うしかないだろ。こればかりは、他の人が代わりになれるってわけじゃないんだ」
 二人を乗せ、風を切って進む『グレートヒーロー』。オレは夜空の星を読み、パティはその通りに『ビアトリスの玉』を差し出した。
 鼻をくすぐるパティの匂いに、すべてを超えて心が優しくなる。
「大切な関係ってのは、あるものなんだな」
「ねえ、私が、どうしてあなたにたどり着いたか、知りたい?」
「そんな話があるのか?」
「もちろん」
「知りたいけど、怖い気もするな」
 パティはエミリオの声で「リセにつく前に君には説明しておきたいんだ」と言った。
「あのー、急にエミリオになるの禁止!」
 パティは可愛らしく微笑み、素の声で「そんなに嫌がらなくてもいいでしょ?」と言った。
「リアリティありすぎるんだよ。むしろ男が女装しているように感じる」
「まあ、失礼ですこと」
「上手すぎるから悪いんだ」
 パティはオレの腕の中でくすくすと笑った。
「ま、それはさておき・・・じゃあ、女の子らしく説明いたしますわ。えっと、最初に『ビアトリスの玉』が私のところに来たのは、五年ほど前なの。私が初めて公務に参加したときのご褒美として。大学の学生の人たちに向けて演説したのよ。ものすごく緊張しちゃった。文章は決まってたし、私はそれを読めばいいだけだったのだけど、でも、単純な割には評判がよくて、感謝の手紙もいただいたりしたの。そのときに、たまたまそこに居合わせていた大学の方が、これをわざわざ届けてくれて」
「だから、オレたちはリセ大学に行くのか?」
「そうだけど、それだけだったら『ビアトリスの玉』だけの話よ。正直言って、私、これが最初はそれほど意味深いものとは思わなかった。中途半端な大きさだけど、きれいだな贈り物だな、って思っただけ。部屋に飾って眺めてたの。でもこれは、ただの飾りじゃなかったのよね。意志を持ち、光を発するとわかったのは、あの、ちょっと不幸な夜だった・・・」
「不幸な夜?」
「私の初めての愛が破綻した日です。趣味や感じ方の共通を信じてつきあっても、男女の関係はうまくいかないものなのだ、と悟った夜」
「お姫様でも、そんなことあるんだ?」
「他の人はわからないけど、私にはあった。私、そのとき、すごくいやな女になっていたよ。激しく相手を傷つけて。自分でもわかっていた。全部わかっていながら、コントロールできなかった」
 オレには経験がなくて、どう反応したらいいかわからなかったけれど、パティにそういう激しい一面があることは、なんとなく想像できなくもなかった。
「自分が最悪になるって、本当に最悪なのよ。まわりが悪いとか、彼が悪いとか、そういうことだったら、いいわけになる。でも自分が原因だったら、どうしようもないの。私が悪いことを、他の誰も救うことはできない」
「オレでも、ダメかな?」
「それは、話が飛躍しすぎです。そのときは、まだあなたのことを知らなかったから。とにかく、死にたい気分でベッドに入って、ふと見ると『ビアトリスの玉』が光っていたの。私を慰めているんだ、と直感したよ。あなただけはわかってくれるんだ、って思った。それから、私は『ビアトリスの玉』を肌身離さず持ち歩くようになったの。少し大きいけど、ネックレスとかにして。私も、最初はあまり光を感じられなかったし、その意味もわからなかった。でも、何年か持ち歩いているうちに、いろんなことがわかってきた。確かにこれは意志を持ち、何かを伝えようとしているんだと」
「『意志』か」
「そう」
 実際に『ビアトリスの玉』が進路を定めている『グレートヒーロー』に乗っている自分としては、ただの妄想話と聞き流すわけにもいかなかった。
「一年ほど前になるんだけど、ヨットの夢を見たの。レースに参加する白いヨットと、体を鍛えたクルーたち。これは何か自分の将来と関わりがあると思って、ヨットの練習を始めたわけ。そして、ある日、ある男性と知り合った。アドクリフの人で、ヨットレースに参加する予定の人。不思議な縁を感じた・・・」
 それはペディキアン・レッド・ワークスのあいつだ、とすぐに察せられたが、オレは黙って話の続きを待った。
「どうして、私たちはいつも『縁』のことなんか考えちゃうんだろうね。たいがい、ろくな結果にならないのに。とにかく、そのころから『ビアトリスの玉』が頻繁に光を発するようになったの。私は、彼とは何度も会った。まだ異性としてつきあったわけじゃないけど、あちらがその気なのはわかった。そんなある日、『ビアトリスの玉』がかつてないほどの輝きを発したの。それは、伝説となった幻のヨット『グレートヒーロー』の名を目にしたとき」
「おいおい、オレの『グレートヒーロー』は、伝説で幻なのか?」
「昔を知る人にとってはね。資料室で『春の女王杯』について、私なりに調べて勉強していたときのことなの。20年以上前になんの予想もなく、いきなり優勝して、一回きりで消えてしまった『グレートヒーロー』のこと。最初はただの好奇心だったけど、不思議なことに『グレートヒーロー』について調べていると、『ビアトリスの玉』が光るのよ。まるで、ずっと昔に離ればなれになった恋人が、愛しい相手を探し求めているかのように」
「それで、探し始めたってわけか?」
「苦労したのよ。国中のヨット関係者に質問したけど、消息を知る人はいなかった。あらゆる港を調べたわ。それが、まさか、あんな湖にあるなんて」
「わざと見つけられにくい場所にかくしたのかな。オレのところに届いたのは、だいたい五年前なんだ」
「私が『ビアトリスの玉』を受け取ったのもそのころ。話が合うわ」
「そして、パティはついに『グレートヒーロー』の所在を知り、エミリオの格好でオレのところにやって来た、というわけか」
「私も、何かが起きるとは予感していたの。でも、あんなにはっきりとした、素晴らしい玉の輝きを見るのは初めてだったし、玉とヨットの出会いは、私自身の大切な出会いとも、区別がつかなくなっていた」
「それ、良い意味で?」
「良いか悪いか、決めるのは、他でもない、あなたですわ」
「だよな。マジで責任重大だ。わかってる」
「そうよ。だって、私は普通の女の子じゃないから」
「ふー」とオレはため息をついた。「そういう玉と、ヨットの出会いによって、オレたちがここにいるわけだな」
「ええ。『空を飛ぶ』という、この現実がね」
 オレはパティを抱く腕に力を込めた。
「ちなみに、今さら言うのもなんだけど、オレ、子供のころはリセで育ったんだぜ。それも、大学の中でな」
「あの・・・ごめんなさい。そのへんのことは、もう調べさせてもらいました」
「ああ、そうか。なんてったって、この国のお姫様だもんな」
 するとパティは声を低くして「リュウ、そんな言い方すると、僕はエミリオに戻るぞ」と言った。
「うっ、ごめん。それだけはやめてくれ。でも、オレの素性を勝手に調べたのはそっちだと思うけど」
「そうね、それは認めるわ、ごめんなさい」
「いずれにしても、オレたち、そのリセにむかっているわけだな」
「リュウの故郷かもしれない場所にね」
「『ビアトリスの玉』と『グレートヒーロー』の、だろ」
 オレは笑ってパティの目をのぞき込んだ。
「全部、かも。私、みなさんのお邪魔にならないといいけど」
「バカ。パティがいなかったら話にならないだろ。ま、たぶん、もう知ってると思うけど、いちおうハッキリ言っとくと、『グレートヒーロー』はオレ一人で乗っていたら、ただのヨットなんだ。全ては、パティと玉があってこそ、だ。そこんとこ、よろしく。マジで」
 パティは微笑んで『ビアトリスの玉』を左手に持ち替えた。しばらく使って疲れたらしい右手を、オレに差し出すので、マッサージしてあげた。
「私たち、リセによって、調べものをしたら、西のアドクリフに渡るからね」
「え? これで海を渡る気か?」
「そう。そのために、まず西のハズレにいくの。あなたをただの反逆者にしないためには、秘策が必要だから」
「『秘策』って?」
「ズバリ言うと、アドクリフの弱みを握ることよ。決定的な何かをね。私たちのような小国が立ち向かうためには、それしかない」
 オレは、いきなりの話のでかさに戸惑った。シュージら民主革命派が探していたこととも、重なる部分はありそうだが・・・
「アドクリフの弱みなんて、そんなこと、できるのか?」
「必ずできるという保障はないけど、でも、やってみたい。それに、今となっては、やらないわけにはいかなくなってしまった」
「そっか・・・オレ、国家反逆罪の爆弾テロリストだからな」
「でも、私は、それにはきっと『意味』があると思っているよ。ネガティブにはとらえないで。ネガティブなことは、知っておくだけで十分。心の中には持ち込まなくていいんだよ」
「ありがとう」
「それにしても」とパティは前にさしだしている腕を見た。「こうしてるのって疲れるね」
「進む方向が決まったら、あとは前の方に玉を置いとくだけじゃダメか?」
「いいのかもしれないけど、でも、もしも何かあって、落としたら大変よ」
「そうだな。ここは温泉の湧く浅瀬じゃねーからな」
「私には私の役割があるの。大切な役割が。そうでしょ?」
「立派な心がけだ。オレも見習わなきゃな」
「ううん」とパティは小さく首を振った。「リュウは、あまり見習わなくていいよ。今のままが一番」
「そう?」
「私、はっきり言って、あなたが私と親しくなることで、あなた自身が変わってしまうことが一番心配です。変わらなくてはならない部分もあると思うけど、なるべくなら今の自分も大切にしてほしい」
「なぜ?」
「だって、それが、私が好きなあなただから」
「は、はあ・・・」
「ねえ、雲が増えてきてるけど、南の星はきれいね。私、星の名前はたいてい言えるの。勉強したんだよ」
「星、好きか?」
「うん」
 オレはしみじみと「よかった」と言った。
「え?」
「パティが、星が好きで、すごくよかった。オレも、星は好きだから」
 オレたちは風を切って進む『グレートヒーロー』の上で、頬を寄せて、一つ一つの星の名を確認していった。ときどき、オレが知らない名をあいつが知っていたり、その逆もあった。
「やっば、パティと星を見るって最高だな」
「どうしたの、急に?」
「なんでもないよ。ただ、ちょっと嬉しいだけさ」


 リセに近づくと、いったん大きな川に下りた。いつも通りのふわりとした着水の後に、帆を上げて夜明け前の静かな風を受け、大学に近い川縁へと移動した。ちょうど釣りに出る漁師がいたので、ビジターが係留できる場所が近くにないかと質問してみた。
「大学の桟橋はいつも空いてるからいいんじゃないか?」
 とのこと。
 正式な手続きは改めて日中にするとして、とりあえず、その桟橋に『グレートヒーロー』をつないだ。
 そして、ひと休み。
 オレたちは前部に積まれた荷物を布団代わりにして、一つの毛布を二人でかぶって、目を閉じた。
 すると、あろうことか、オレは『結婚式』の夢を見てしまった。


 祝い事だからって、嬉しいばかりではない。
 やらなくてはならないことがたくさんある。
 必要かどうかなんて考えているヒマもない。
 はっきり言って、これが『愛』の儀式であるかどうかも疑わしい。
 でも、あいつのためだから、と思って頑張った。
 オレは、あいつのためなら、何でもやってやるって心に誓ったんだ。
 いろいろ面倒な着替えやら、予備的な儀式の後に、いよいよクワイ鳥を呼ぶ番になった。
「ヒュー、ルールールー」
 二人で呼んだ。
 一羽のクワイ鳥がやってきて、パティの白いドレスの肩にとまった。
 しかし、オレには何もやってこない。
 ヤバイ。この状況、すげー、ヤバイ。
「ヒュー、ルールールー」
 あせって、冷や汗を流しながら何度も呼んだ。
 やっとオレのところにもクワイ鳥がやってきて、むちゃくちゃ、ホッとした。


 と、思ったところで、目がさめた。
 そうか、オレもちゃんと練習しておかないとな。
 横を見ると、パティは雲からの白い光を受けて、陶器のような寝顔が美しすぎる。
 オレ、結婚しちゃったよ、と、そっとつぶやいた。
 オレの中では、すでにそれは事実だった。
 なによりも『グレートヒーロー』がもたらしてくれた夢と、オレにはわかったから。


「リュウ、会いたい人がいるの。『宇宙研究室』の教授。まずは、そこに行こ」
 とパティの提案により、オレたちは早朝の大学キャンパスに入っていった。というか、このあたりの川縁は大学の敷地らしく、さほど歩かないうちにいきなり校舎の裏側に出てしまった。
 裏側だと、敷地内のインフォメーションがない。当たり前だけど、どこに行けばいいかわからず、ちょっと困った。建物に入って、通りがかりの学生に声をかけ、パティが探している研究室の場所を聞いた。最初は首を傾げられたが、三人目に質問した女子学生は、あいまいながらもおよその場所を知っていた。
「大丈夫か、パティ?」
 と、オレは心配になって聞いた。
「リュウ、第一に、僕はここではもうパティではない、エミリオだ。ルールを守ってくれ。第二に、『宇宙研究室』という少々奇妙な名前は、本質を隠す隠れ蓑だ。一般の学生が知らなくても、決して不思議ではない。オーケー?」
 オレは頷き「わかりやすい説明、ありがとう、エミリオ」と言った。
 そしてオレたちは『宇宙研究室』に向かった。そこに在籍しているアンザイ教授という人が、エミリオが探している人だった。
 アンザイ教授は、幸い研究室にいた。壁際に本が並ぶ雑然とした部屋で、一人窓辺の観葉植物に水を与えていた。
「おはようございます」
 と、エミリオは初老の教授に声をかけた。
「おはよう。おや? 君は?」
「この大学のものではありません。東の街から来ました。あなたを、最も信頼し、尊敬する者として」
「?」
「ただし、僕は自由に出歩くときは、性を偽ることがあるのを、教授はご存じないはず。このたびは、突然の話で申し訳ありません。お察しいただけることを、期待しております」
「はて、『性を偽る』? それは、名前のことか?」
「雄鳥が、性を偽れば、卵を産むでしょう」
「朝から、妙な謎解きじゃな。宇宙の神秘と関わりがあるというわけか?」
「それはもう、まさにこれこそが宇宙の神秘そのもの。僕は、エミリオ。彼は、友人のリュウです」
「君たちが、神秘だとすると、さて、女性はどちらだね?」
 オレは「答えるまでもないと思いますが」と本物の男の声で言ってやった。
「そして、性を偽る来客は、東の街からいらっしっゃたとおっしゃる。それは、もしかすると、小鳥が守り神の家かな?」
「はい、お察しの通り」
「そうか。ひさしぶりじゃな」と、教授は嬉しそうに目を細めた。「ご立派に育ったお姿に、朝から感激が隠せませんぞ。それにしても、いきなりどうしたことだ」
「このたびは事情があって訪ねてきたのです。急な話で恐縮ながら、少し時間をとってもらえないでしょうか」
「『今』ですか? それとも『今日』ですか?」
「できれば『今』。いろいろ話をうかがいたいのです。アンザイ教授がご専門の『神秘』について」
 教授は嬉しそうに笑った。
「どうせ今日の授業は午後しかない。午前の思索を、若い二人と共にするのは、悪い話ではない。まして、あの家の方となれば、歓迎の気持ちがあふれて洪水となりましょう」
 
 こうして、オレたちの奇妙な訪問が実現した。
 まずは研究室のまん中のテーブルにつき、教授自ら用意してくれた茶をいただきながら、話が始まった。
「まず」とエミリオが真顔で言った。「僕たちは『ビアトリスの玉』と『グレートヒーロー』のことをうかがいに来たこと、これを知っておいてください」
「ほー、懐かしい名前じゃな」
「懐かしいだけではありますまい。僕の元に『ビアトリスの玉』を届けてくれたのも、リュウの元に『グレートヒーロー』を届けたのも、あなたの指示であったことはわかっているのです」
「尋問かな?」
「いいえ。ただ、僕たちは、真実を知りたいだけです。全ての真実を」
「う〜む」とアンザイ教授はうなった。「期待は野を潤す春の雪解け水のようにたっぷりあふれているようだが、残念なことに私が伝えられる真実は、たった一つの小さな雪割草についてだけじゃ」
「というのは?」
「宇宙全体の神秘に比べれば、ということじゃ」
「教授、ことの大小を問題にしているのではありません。どうか、この迷える二匹の子羊に、時を越えた真実をお伝えください」
「私が多くを知らないのは、残念ながら事実なのだ。いや『肝心なこと』と正すべきかな。逆に、もしも君たちが知っていることがあるなら、教えてほしい。君たちこそ、何を知っている?」
「アムン教の文献に現れる『愛を持って空を飛翔する英雄』について、それは宗教的、あるいは文学的な意味あいだけでなく、この国の永遠の真実であることを」
「今、君はエミリオ君だったな」
「はい」
「君たちは、それを体験したのかね?」
「それを体験した二人が、その力によって、今日、ここにまいりました」
「そうか」と教授はため息をついた。「どこか、昔と似ているな」
「昔というのは?」
 教授は椅子から立ち上がり、二人のやりとりを黙って聞いていたオレをじろじろと観察してから「外に行こうか」と言った。
「外ですか?」
「今日は昼から天気が崩れるらしい。今のうちに行っておきたいところがあるのでな」
 
 オレたちは、あまり手入れが行き届いているとは言えない雑々とした中庭をぬけて、海に近い丘に向かって歩いた。
 まずは、そこを見てから、という意図だったらしく、教授は歩きながらほとんど言葉を発しなかった。
 樹木の中の道を登り、丘の上に出ると、オレは息をのんだ。
 そこには視界の限り墓地が広がった。
 オレは、急に、心臓が締め付けられたように感じた。
 墓地を前にしただけで、全てを察したからかもしれない。
 アンザイ教授は、小石の敷き詰められた道を迷うことなく辿り、やがて一つの墓石の前に立った。
 刻まれた名は、アズナブル。
 オレと同じ性。
 つまりオレの両親の墓だった。
 アンザイ教授は祈りをささげてから、ゆっくりと語り始めた。
「二人は、私の研究室の学生でね、珍しくやる気のある二人だったよ。うちの大学博物館に保管されていたものに興味を持ち、アムンの文献を探っていった。そして、二人はある秘密を共有するようになったのだ。その本当の核心は、私にもわからない。しかし、彼らは真剣だった。そして、あろうことか、博物館でホコリをかぶっていた太古の船で、あの『春の女王杯』に出場すると言いだしたのだ。あまりに非現実的な申し出だったが、なにせうちの研究室は非現実的なことが専門だったので、私は積極的に動いてやった。なんとか許可が下りて、参加してみたら、まさかの優勝だ。私にも信じられなかった。むしろ、頭を下げて、その秘密を教えてください、と言いたいほどだった。でもな、世の中というのは、良いことばかりではない。素晴らしいことが起これば、反動として、不幸なことも起こる」
 エミリオは、遠慮がちにオレを見た。
 だから、はっきり言ってやった。
「で、どうしたんですか? 教えてください。オレたち、もう子供じゃないんで、知る権利があるはずです。教授が言いたいのは、オレの親のことでしょ」
 オレの焦る気持ちを制するように、教授はゆっくりと話を続けた。
「二人はな、文献の中の『6-2』というパートに興味を持ったのだ。それは破損がひどく、解読は不可能といわれていた部分だ。はっきり言って、今でも『解読不能』の常識は変わっていない。ただ、二人は何かを察し、試してみることで、結果的に解読にたどり着こうとした。何を試してみようとしたか、わかるかね? 人として、最も大切なことじゃ。最も大切なことは何か、という問題じゃ」
「『愛』ですか?」
 と、エミリオは首を傾げた。
「そうだな。二人は、きっと、そう考えたのだろう。結婚して、子供を生み、研究生として、貧しいながらも幸せな暮らしを営んでいた。君も、憶えているだろ?」
 オレは、黙って、頷いた。
「君は、幾つまでここにいたんだい?」
「7歳です」
「なら、いろいろ憶えているはずだ。両親は、最後に、なんと言っていた?」
「楽しそうでしたよ。これから素晴らしいことが起きるかもしれない、って。それが最後なるなんて、ちっとも教えてくれなくて、ワクワクして待ってました」
「弟がいたな?」
「はい。キーロウです」
「元気か?」
「はい・・・たぶん・・・」
 オレは、テロリストの弟となったキーロウの行く末を案じて暗い気持ちになった。
「そして、君の元に『グレートヒーロー』が届いたのが、五年前、と」
「僕の元に『ビアトリスの玉』が届いたのもそのころです。アンザイ教授から、僕のところに」
「わかったの?」
 と、教授はいたずらっぽい目をした。
「わかったのは、最近です」
「だろうな。そうでなくては困る」
「でも、僕が幼いときからお世話になったアンザイ教授ならば、すぐに納得できました」
「私は、君の家の伝統行事が専門だったからな。論文書きを精力的にこなしていたころは、何度も君の家にお世話になった。君のお父さんは、とても理解がある方で、地下の牢獄まで私を案内してくれたものだ」
「そのときの記録は、じつは最近、大いに役立たせていただきました」
「ほほう」
 と教授は微笑んだ。
「まあ、そのころは、私も、あんたがたも、皆、幸せだったということじゃ。昔のこと、というには、悲しすぎるな」
 オレは、感傷に浸る前に、事実を知りたかった。
「教授、もし知っていることがあるなら、はっきり教えてください。なぜ、オレの親は死んだんですか?」
 オレのしびれを切らした問いに、教授は静かに首を振った。
「わかっていることは、多くはない。二人は、ある覚悟を持って、夏休みの一ヶ月を研究に没頭した。文献類に関しては、それ以前にできるだけの精査を済ませ、実際に行っていたのは、精神的な何かだったようだ。古い玉と、船と、寝起きを共にして」
「何をしたんですか?」
「正確には、どう言ったらいいかわからない。ただ、その夏の終わりに、ひどく衰弱した二人を私が発見した。部屋に倒れていたんだ。病院に運んだが、助からなかった。それだけだ」
「それだけ、ってことはないんじゃないですか。何か理由があるんでしょ? 若く健康な男女が、原因もなく衰弱して死んじゃうことなんてあり得ない。違いますか?」
「私だって、理由はあると思っている。しかし、本当のところは、わからないのだ。すまない」
 オレには、すまないと言った教授が、とても小さく見えた。だから、仕方がないんだ、と悟った。
 三人で、もう一度祈りをささげ、大学にひきかえした。
 
 研究室に戻って話の続きを聞こうと思ったが、途中で騒々しい人々の群れとすれ違った。彼らは新聞の号外を手にしていた。
 一人が「教授もどうぞ」と手渡してきた。
 そこには大きな文字で印刷されていた。


   グズリアで爆弾テロ
     来国したアドクリフ副大統領狙われる


 昨日の午前のことだが、早くも国中に号外が出回っているらしい。
 そして、その記事には、犯人のことがはっきりと記されていた。

 
  ティエコ村から働きに来てたリュウ・アズナブル(21)が
  容疑者として即日逮捕された。


「リュウ・アズナブルとな?」
 アンザイ教授が紙面から目を上げ、オレを見つめた。
「君か? いや、グズリアで昨日起きたことだったな。同一人物であるはずがない。馬車を飛ばしたってもう少し時間がかかるはず・・・いや、君たち・・・」
 教授の顔色が急に変わった。
「まさか、飛んできたのか?」
 エミリオは、小さく、しかし明確に頷いた。
「なんということだ。君たちは民主革命派だったのか? どうりで、こそこそと、性を偽ってやってくるわけだ」
「いいえ、僕たちのこれには、きちんとした別の理由があります」
「しかし、だとしたら、どうして国に背く大罪を犯した者と行動を共にしておる?」
「教授、それはメディアが伝える表面的な事象です。僕たちの真実は、別のところにあります」
「いや、君がそのように考えること自体が、まちがっておる。はっきり言おう。君たちは、間違っておる。私は、偶然、君たち二人の両親を共によく知っている。だからこそ、はっきり言わせてもらう。民主革命派は亡国の迷走思想に染まっておる。人々の不安をあおり、無駄に大国に刃向かい、この国を戦渦に落としいれんと画策している。破壊主義者だ。戦争愛好家だ。君たちは、決してそんなことに協力してはならない。私だからこそ、はっきり言わせてもらう。わかるか?」
「思想の議論は、話が長くなると思います」とオレは言った。「それに、知っている情報が十分かどうかも問題です。新聞を鵜呑みにすれば、民主革命派の悪いところが浮き彫りになるのは当然でしょう。情報は管理されていますから。しかし、大国アドクリフが何をたくらんでいるかを知ることも、この国にとって重要なことです。それを知らずに、一方的に否定されても、納得することはできません」
 教授はエミリオを見た。
「君も、同意見なのか?」
「はい。僕たちは、まだこの件に関して、きちんと話し合ったわけではありません。しかし、なぜか、全く意見が同じなのです」
 教授は渋い顔をして首を振った。
「だとしたら、私に協力できることは何もない。すぐに出ていってもらおう」
 教授はオレたちに背を向け、歩き去った。
 オレは「でも」と反論しかけたが、エミリオはオレを引きとめた。
「リュウ、いいんだ、もう」
 
 オレたちは、人目を避けて、急いで『グレートヒーロー』に戻った。途中、学生食堂に立ち寄り、トイレを済ませ、パンだけは買った。
 もちろん日中に空に飛び立つことは目立ちすぎるので、帆を上げて、川から海に出た。しかし低気圧が近づいており、波が高く、とてもこの船では沖に出れらそうもない。仕方なく、海岸線を辿り、入り江を探し、日暮れまでそこで隠れることにした。
「ごめんな」
 と、オレは改めて謝った。
「オレがやっかいごとに巻き込まれていなければ、もう少しすんなりと話が進んでいただろうに」
「いいよ、仕方がないもの」
 と、女性の声に戻ったパティが言った。
「オレ、本当に、爆弾でぶちこわしたいってわけじゃないんだ。ただ、アドクリフのいいなりになるアムンじゃいけないと思ったから」
「わかってる。私も同じ意見だから」
「王室の中ではどうなんだ?」
「大国にすり寄る人は多いみたい。それは見返りが期待できることだから。資産家と組んで、大儲けしようとして。でも、それは、この国のありようを、精神的に捨てることと思う。私は許せない」
 濃い雲から、雨が降り始めた。オレたちは帆を半分外して、屋根のようにして雨をしのいだ。
 入り江の水面に、水滴がはねて、たくさんの輪が重なる。
「私、アンザイ教授なら、わかってくれると思ってたの。この国の、いろんな昔話をしてくれた人よ。たまにお仕事で来てくれると、私、いつもお話をねだって困らせてた。『おいおい、またかい』って。でも、お話で期待を裏切られたことは、一度だってなかった。私は、この国の真の意味を、あの教授から教わったと言ってもいいくらい。だから、大好きだったの。『ビアトリスの玉』も、あの人が送ってくれたものと察して、きっと今度も期待に応えてくれる、って思って。でも、私たちはもう子供じゃないし、教授は、老いて、頭が固い人になっていた。ごめんね、リュウ」
「謝るなよ、パティが悪いんじゃない」
「ううん、本当に、ごめんなさい」
 大きく見開いたパティの目から、急に大粒の涙があふれてきた。最初の一粒が、頬を伝って下に落ちると、あとは子供のように泣き崩れた。
「ごめんね、リュウ、私、バカで、何もできなくて、いつも迷ってばかりで、あなたのこと、こんなに大切な思っているのに、ちっとも役に立てなくて・・・」

 涙の入り江。
 いつかオレたちが再びここに訪れることができたら、そう呼んで、今日のことを懐かしむだろう。
 いつか、パティと二人でゆっくりと再訪して、そんな昔話をできたらいいな。
 あのときは、牢獄から逃げ出して、大好きだった人からも否定されて、誰もいない雨の入り江で、二人だけで凍えて、抱きしめ合った。

 そんなときもあったな、って。






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