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午後はじっくりと二人で語り合った。アムン国の成り立ちのことや、国際情勢など。・・・というのも、理由がある。
人目に付かない場所で女子と二人でいたら、ついついエッチなことを考えがちで、ましてキスして抱き合ったこともある相手となれば、なおさら。側にいるだけでクラクラしてくる。
しかし、パティはルールを重んじる人だった。エミリオを演じることについてもそうだが、エッチなことをすることに関しても、時が来るまではしないと心に誓っていた。嫌いだからではなく、愛しているからこそ、ハッピーエンドをむかえるには必要なことがある、というわけ。
理屈はわかるのだが、とりあえず男子のオレとしては、ひじょーにつらい。だからこそ、あえて国際情勢など、おもいっきり難しい話題が必要だったのだ。
もちろん、タイミング的にも、そろそろ深く語り合うことは必要だった。民主革命派のシュージに教わった危機感、あるいは逆に、ポモタン採掘場での大国歓迎の雰囲気。何かと質素なこの国に、新しい欲望が渦巻き始めているのは、オレみたいな田舎者でも、ハッキリと感じられた。あちこちでオレが知りえた現実は、パティにも、リアリティを持って理解してもらえた。
王宮で暮らすパティにも、あいつなりの危機感があった。祖先からの教えに反して、豊かさという甘い蜜に、急速にのみこまれていく王室の現実。その不安と、疑問。だからどうしたい、という具体的なアイディアが固まっているわけではなかったのだが、とにかく「ながされるままではいけない、自分自身できちんと物事を見て、自分自身で考えよう」と決意したのだ。
「私は、たぶん、国政の内部の情報は詳しいと思う。でも、逆に、外の出来事に関しては、間接的にしか知りようがない。そこがもどかしかった」
「それで『エミリオ』か?」
「男子を演じて外に出たのは、『ビアトリスの玉』の謎を解き明かすのが目的で始めたことなんだけど、でも、今はそれだけではないと感じているよ。ものすごくプライベートな『愛』についても。そして、もっと広く社会全体のありかたを考えることについても」
やがて雨がやんだ。
「腹へったな」
と、ふとオレがつぶやいたとき、初めてオレたち二人は現実を悟った。これから、かなりの『大航海』になるのだから、水と食料が必要ではないか。今度ばかりは近場にピクニックに行くのとは違うのだ。生きるための『買いだし』が必要だった。
「すでに新聞の号外が出回ってしまった以上、リュウが出歩くのは危険ね。私が行ってくる」
「大丈夫か? 上品にナイフとフォークで食べるものとか買ってくるなよ」
「それはわかっているけど、でも、正直、どんなものを買ってくればいいのか、想像がつかない・・・」
「普通は外洋に出るって言ったら、もっと大きな船で、煮炊きできる台所くらいあるもんだろ。それなら材料のままの肉とか野菜でいいんだけどな。いっそおまえの金と権力で、『グレートヒーロー』ごと大型船に運んでもらうっていうのは?」
「そんなの無理です」
「そりゃそうだ。ま、無事に飛び続けてくれれば何日かで着くと思うから、空腹でも死にはしないよ。まかせるから、何でも好きに買ってきてくれ」
「後悔しない?」
「しない。パティの努力を全面的に受け入れる。誓うよ」
パティが去ると、オレは『グレートヒーロー』の舳先近くに袋を取り付けておいた。『ビアトリスの玉』を入れておけるように。真っ直ぐ進むだけならこれでいいはず。こうしておけば、これからの長い航海も安心だ。
やがてパティが篭を下げて帰ってきた。結局、近くの船宿で、干し肉、ピクルス、牛乳など、みごとに一式、大きな篭に入れて用意してもらってきた。出発前に食べられるよう、ライ麦パンのサンドイッチまで調達して。想像以上の完璧な調達だった。
「リュウ、この社会で生き抜くことは、案外と簡単なのかもしれない」
とパティは自信たっぷりに言った。しかし、船宿にいくらの金を払ったのか、オレはあえて質問しなかった。まあ、これも、大きな目的のためだからよしとしよう。
夜に備え、いつもの体勢で眠った。目がさめたときは、夕暮れが近づいていた。
オレたちは、物陰でトイレを済ませてから、航海への決意を込めてキスをし、『ビアトリスの玉』を高く掲げて飛び立った。まだ曇っていたので、星を確認するためには、雲の上まで突きぬる必要があった。雲に入ると視界が奪われ、辺り一面ダークな灰色になったが、確実に上昇を続けていることはわかった。
そして急に、雲海の上に飛び出した。
無音の、広大な、空間。
濃い紺色の空に、月と星が輝いている。
あまりの美しさに、オレたちは言葉を失った。
「おい、すげーな」
「死んだら来るところみたい。リュウ、今、私、生きているよね?」
「さあな。オレだって、疑いたくなる」
パティは指でオレの頬をつねった。
「あの・・・そうゆう確認の方法は、やめてもらえませんか」
「やはり、リュウはリュウらしい」
「当たり前だ」
「ねえ、このままもっと、どこまでも上がっていったら、星に届くかな」
「やってみっか?」
「え?」
パティとしては、叙情的な気分で言ったことだったらしいが、『グレートヒーロー』は引力をうち消して上がっていくのだ。理屈の上では、どこまでも行けそう。乗船しているオレたちが苦しくなってきたら、下がればいいだけのこと。やってみようと思った。
「ものは試しだ。どこまで行けるか、やってみようぜ」
「う、うん・・・」
高い山に登ると、気温が下がり、空気が薄くなることは知っていた。そうなってきたら限界だろう。しかし『グレートヒーロー』は、そうはならなかった。高度が上がってくると、何かに包まれているのがわかった。ドームのように船を包み、守ってくれている。手を伸ばして触れても、はっきりわかるようなものは何も存在しないのだが、透明な何かを境にして、内側と外側では空気の濃さや温度が違うのだ。
やがて、地球の丸みがリアルに観察できるほどの高さになった。それでもオレたちは、苦しくなかった。
「リュウ、本当に他の星までいけそうね」
「ああ。でも、今はこのへんにしておこう。宇宙で迷子になったら、大変だからな」
「それにしても、『ビアトリスの玉』と『グレートヒーロー』の奇跡が、私たちを宇宙まで連れてってくれるなんて想像しなかった」
「もしかしたら、これって、そもそも、宇宙船なのかもな」
「そうか!」
パティは急に納得した。古い文献をパティなりに読んでいたからだろう。
「リュウ、これは本当に宇宙を旅する乗り物なのかもしれない。すごい。こんなものが手に入ったのだから、きっと世界は変えられるね! この世界は私たちのものだね!」
「おいおい、欲望丸出しの言い方はやめようぜ」
「欲望ではありません!」とパティはムキになって否定した。「欲望ではなく、希望です。私たちだけの問題ではなく、人類の希望なのです」
「はいはい。とりあえず、こんなすごいところに来たんだから、何か記念になることでもしようか」
「じゃあ、お茶、しましょう!」
やつは嬉しそうに篭からポットを取り出した。
いや、パトリシアさん、船宿の人に作ってもらったお茶をここで飲むのも素敵ですが、オレはもう少し『愛』を実感できるようなことを、内心では期待していたんだけど・・・
宇宙の大きさに比べたら、地球なんて小さなもの。
何日もかかる大旅行を覚悟していたはずが、街の明かりがきらめくアドクリフの首都近くの川縁に降り立ったのは、まだその日の夜中だった。
「なあ、アムンとアドクリフって、けっこう遠いはずだったよな」
「そりゃそうよ」
「たった数時間で着いてしまった」
「すごいわ。飛行機だって無理よ」
「小さな小舟なのにな」
「奇跡はここにあるのね。私たちの『大切な出会い』と共に」
「はあ・・・」
そこまでかっこつけて言われてしまうと、オレはひいてしまった。無理にでも現実的に考えたくなる。
「ところで、これからどうする? とりあえず『グレートヒーロー』の置き場所を決めないとな」
「う、うん・・・それはそうね」
オレたちの『グレートヒーロー』は確かにすごいが、使い終わったらコンパクトにたためるとか、ランプに引っ込むとか、そういう便利な代物ではない。
「私はとりあえず、教会に身を寄せようと思っているの」
「どこの? 調べてあるのか?」
「川のそばにアムン教会があるはず」
「そりゃあ、いい」
オレんちもそうだが、アムン教会は普通、旅人用の宿泊部屋を持っている。昔の名残で『巡礼者用』と言うけれど、特に巡礼地でなくても、同様の部屋を設けている場合がほとんどだ。
というのも、アムン教は『強欲に基づく贅沢』を否定する半面、人としての素朴な喜び(エンターテイメント)は積極的にサポートしているのだ。『誰でも低予算で旅を楽しめるように』というはからいもその一つ。
オレたちはオールでこいで、深夜の川を移動した。
目指す教会の屋根には、アムンの丸い象徴がついていたので、遠くからでもすぐにわかった。なるべく近い川縁に船を寄せ、土手の街路樹にロープを結び、船を固定した。
深夜だが、オレたちは疲れていて、少しでも早く横になりたかった。荷物はそのままにして、教会に行ってみることにした。さほど高くないコンクリートの土手を超えると、すぐそばに教会の木造の建物があった。
オレたちは、表の玄関に回って、白木の扉をノックした。
「全ては、よき未来のために。あなた方に、祝福を」
しばらく待つと、中から中年の女性が出てきた。
「どうなさいましたか、こんな時間に」
「突然で申し訳ありません。巡礼者としての宿泊をお願いしたいと思います」
と、ここは男のオレが礼儀正しく申し出た。
「まあまあ、さぞ、お疲れでしょう。どうぞ、中に。お食事は朝にならないと用意できませんが、ベッドでしたら空いていますので自由にお使いください。それでよろしいですか?」
「痛み入ります」
淑やかな中年女性に導かれ、静かな聖堂に入った。そこで挨拶代わりの短い祈りをささげてから、今夜泊まるゲストルームに案内してもらった。二段ベッドが四台あった。全部で八床のゲストルーム。あまり広くはないが、十分に清潔な感じだった。
オレたちはトイレと洗面だけ済ませ、ベッドに身体を横たえた。久しぶりのベッドは最高に気持ちよかった。
「では、また明朝」
と、案内してくれた女性が、部屋の明かりを消して去っていった。
「ここって、本当にアドクリフなんだよな」
オレは暗闇の中でつぶやいた。
「そうね、信じがたいけどね」
「オレたち、『女王杯』で優勝するくらいのことでは、驚いてちゃいけなかったんだな」
「それもそうだけど・・・」
「なんだ?」
「空でも、異国でも、こうしてリュウと二人ね」
「いけないか?」
「いや、ただ、びっくりです」
「今さら、何言ってるんだ」
「わかっているつもりだったけど、実際に、となると、なんだか不思議なものね」
「『絆』なんて言ってたのは、そっちだぜ」
「わかっているけど、言葉は、よく先走るものだから」
「いやなのか? それとも不安か?」
「私は・・・どちらかというと『怖い』」
「らしくないぜ」
「ええ。まあ、とにかく、時間もないし、やれることをやるまでよ。リュウと二人で」
「ところで、一つ質問だが、おまえ、ここではエミリオを通す気か?」
「そう。あなたと二人の時以外は、全部、男子でいきます」
ここで男の声をやるかと思ったら、やはり疲れているのだろう、パティにはその余力もないようだった。
「おれ、ヘンな夢見そうだな」
「ボーイズ・ラブ?」
「なんだ、それ?」
「知らないなら、知らなくていいわ」
「ま、オレとしては、おまえのやること、全部、応援するしかないよ。多少は心配だけどな」
「大丈夫、きっとうまくいきます」
その言葉は、癒しの魔法のように心にしみた。
「でも、言っとくけど、オレ、ポビーさんのように強くはないぜ」
「知ってます」
「調べたのか?」
「ううん」
パティは、一瞬躊躇して、寝返りを打ち、声を小さくして「抱かれたらわかるわ」と言った。
「バカ。おまえ、なに考えてんだよ」
「だって、ポビーの筋肉は、本当に固くてすごいんだもん」
オレは暗闇の中で苦笑した。
「どうしてるかな、ポビーさん」
「あの人なら、ちゃんと次の手はずを整えてくれているはず」
「わかっちゃうのか?」
「そう。わかっちゃうの」
「なんで?」
「世界チャンピオンだから」
「それ、説明になってねーし」
「私たちが、今、ここにいることは説明できるの?」
「それは『グレートヒーロー』だからだろ」
パティが淑やかに笑った。
「わかってきたじゃない」
「どうだか」
「ま、いいわ・・・おやすみ、リュウ」
「ああ、おやすみ」
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
オレは妙に懐かしい気持ちで目覚めた。
「リュウ、お久しぶりね」
「ルーシー? 元気そうじゃないか!」
「リュウも、お変わりなく。急な訪問でビックリしましたわ」
天窓からの朝の光を受け、白さがきわだつルーシーの顔が、オレの目の前にあった。服の上からもハッキリとわかる大きな胸も、以前のままにふっくらと。
彼女は嬉しそうに目を細めた。
目鼻の輪郭のくっきりした美しい笑顔。
そうだよな。
やっぱりオレたちは、運命の関係なのだ。
最初から君のことが好きだったよ、ルーシー。
これこそ『絆』ってもんだ。
・・・あれ、違う?
ルーシーの屈託のない笑顔の先に、ベッドに頬杖をついて、こちらをにらんでいる『エミリオ』がいた。
あれ? どういうこと?
「えっと・・・ここは、どこ? オレは、誰?」
「ここはアムン教の教会『ブルームーン』です。はるばるたどり着いたお二人を歓迎いたしますわ。外のヨットを見ましたけど、『グレートヒーロー』でしょ? 懐かしいわ。あの小舟でよく外洋を横断できたものです。きっともう本物のヨットマンなのね」
「は、ははは・・・」
「リュウが上手なのは知っていたけど、こんなにすごいなんて。『春の女王杯』の活躍も存じていましてよ」
「てことは・・・」とオレは小声でつぶやいた。「もしかして、爆破のニュースも?」
「はい。大洋をこの短時間で渡りきるなんて信じられないけど、さすが『女王杯』の優勝者ね。どうかご安心ください。私たちは、教会ごと、あなたがたの味方です。郷里を大国の悪意ある人たちから守るためには、協力を惜しみませんわ」
「ち、ちょっと・・・」
と、オレは彼女の言葉をさえぎった。
「あの、悪いんだけど、展開が早すぎて、オレ、意味わかんない。まず、君はルーシーだよね、間違いないよね?」
「はい。ティエコ村で夏を過ごさせてもらったルーシーです」
「なぜ、君がここにいるの?」
「父は商人、兼、司祭なのです。三年ほど前からこの教会で落ち着いています。というのも、私の母が、このメッセンの人だからです」
メッセンというのは、オレでも知っているが、アドクリフの首都の一地区だ。
「そうか・・・そういえば、ルーシーのお母さんって、アドクリフの人だったんだよな」
「はい。昨夜、お二人を案内したと思いますが?」
「え? あの人が君のお母さん? ・・・気がつかなかった」
「母は気がついていましたよ。だから、私に『起こしておいで』って。うふっ」
淑やかに微笑むルーシーを、エミリオに紹介しようとしたが、やつはすでに立ち上がって部屋を出ていこうとしていた。
「顔でも洗ってくる」
「まてよ、エミリオ。こちらは、ルーシー。オレの郷里に、よく夏休みだけ来ていた人なんだ」
「エミリオです」
「ルーシーです、よろくしね」
ルーシーは握手しようと手を伸ばしたが、エミリオは無視して外に出ていった。
「なに、あの人」
「少し態度でかいけど、勘弁してやってくれ」
とオレは言ったが、ルーシーは憎々しげにエミリオの去っていったあとを目で追った。
朝食の間もエミリオのぶっきらぼうな態度は変わらなかった。オレは、サイモン一家に囲まれて、懐かしい気持ちになっていたが、それがよけいに気にくわないらしい。
「リュウ、君たちのためなら、ワシらはできるだけのことをするよ」
と、肥満気味の身体に白いシャツを着た司祭のソウジロウ・サイモン氏は身を乗り出して言った。
「嬉しいんですけど、でも、それ、ちゃんとオレの立場を理解して言ってくれてます?」
「もちろんだ。ここは表向きには善良な教会だが、ワシらは民主革命派と親しいのさ。まあ、親しいのはそこだけではないがね」
「じゃあ、もしかして、こう、口ヒゲを生やしたシュージって人とか知ってます?」
「当然だよ。そうか、やはりシュージが関わっていたのか。シュージが、リュウ君とね。世間は広いようで狭いなあ」
そこまで知っているなら、オレとしても話が早い。この一家とは、昨日今日の知り合いというわけではないし、全面的に信頼してしまうぞ。
「オレ、どこまでお願いしていいかわからないけど、困っているのは、アドクリフ大統領の来国がせまっていることです」
「うむ、ま、大統領が訪問して友好を深めるのは悪いことではないと思うが、問題はその中身であるな。いろいろ情報は入っておるぞ。ポモタンをめぐる利権の問題や、投資家たちの動向。早くも武器商人たちが動き始めているという噂もある」
「オレたち、できるだけのことはしたいんです」
「うむ、気持ちはわかるが、さて、君たちに、何ができるのかな?」
はっきり問われてしまうと、オレは言葉に詰まり、パンをかじった。
エミリオは、オレたちの会話を完全無視して、黙ってさっさと食事を終えた。と思ったら、軽くお辞儀をして、すぐに部屋を出ていってしまった。
「なに、あの人?」
と、ルーシーが怪訝な顔をした。
「きっと、まだ、みなさんのことを信用してないんだと思います。けっこう難しい性格だし」
「信用、ね。ならば、この私が信用させてあげようじゃないの」
ルーシーは妙な決意を込めて、フォークでソーセージをズブリと突き刺した。
ルーシーの『エミリオ攻撃』が始まった。
とりあえず荷物を『グレートヒーロー』からベッド脇に運んだり、首都の地図を見て概要を頭に入れようとしているオレたちに、ルーシーがまとわりついてきた。
「ねえ、エミリオ、元気?」
「ねえ、どうして何も言わないの、エミリオ」
「はろー、エミリオさーん」
「エミエミー」
ついに、何かが切れたらしいエミリオが、地図から目を上げて「なに」とルーシーをにらみつけた。
「そんなに怖い顔しないでください。私、あなたの味方よ」
「信じられない」
「どうして?」
「信じる理由がない」
「理由がなくては、人は信じ合えないものかしら? そんなの、間違ってません?」
「うっ・・・」
「あなたの心が、氷のように閉ざされているのを感じます。私の真心で、溶かして差し上げましょう」
「よけいなお世話だ」
「そんなこと、おっしゃらずに」
「だいたい『胸の大きな女』は、信用しちゃいけないんだ」
「あら、どうして?」
「我が家の家訓」
「そんなの、ヘンですわ。胸の大きな女性への偏見です。わかりました。あなたは、そこのところから意識改革が必要なのですわ」
そして、あろうことかルーシーは、エミリオの背後に身体を寄せて「いしきかいかくぅ」と胸をすりよた。
エミリオは顔を真っ赤にして「やめろ!」と叫んで振り返ったが、その目の前には、ルーシーのくっきりとした胸の谷間が迫っていた。
「で、でかすぎるぞぉ、反則だぁ」
「そんなルール、世界のどこにもありませんわ」
「なかったら、僕が作るっ」
「そんなにお嫌い?」
「ああ、嫌いだ。大嫌い」
「あなたは?」
と、話を振られたオレは、すごく困ったけれど、ここは男として素直に「大きいことはいいことだ」と答えてしまった。
「ほら、リュウもああ言ってくれてます」
「リュウはリュウだ。ほっといてくれ」
と、がっくりとしょげるエミリオだった。
オレ、まずいこと言っちゃったな、と気がついて後悔です。ごめんなさい。
ルーシーという、半分異国の血が混ざった美人。かつての夏だけの訪問者。ずっと憧れの存在だった。村では彼女も異邦人として、孤独を感じているように見えた。最後のころは、いっしょに『グレートヒーロー』に乗って遊んだりしたけれど、それでも、どこか心を許してもらっていない気がした。
彼女は美しく、スタイルがよく、胸も大きい。男なら振り返らずにいられない魅力にあふれていた。しかしそれは彼女にとって心の負担にもなっていたのだろう。
オレが友達として親しくなることは歓迎してくれたが、異性として惹かれることについては、いつも距離を持とうとしていた。
そこのところを、オレもきちんと分けて考えられたらよかったのだけど、そんなことは無理ってもので、すっかり混乱して、オレの中では、ただ一言『好き』という言葉に要約するしかなかったのだ。
彼女は「ごめんね」と、丁寧な字で、真面目な手紙を書いてくれた。それが彼女と過ごした、最後の夏のことだった。
そして、あれから三年がたち「いしきかいかくぅ」とエミリオに巨乳をすり寄せるルーシーが目の前にいる。
なんでだ。
最大の後悔は、こんなことなら、オレもエミリオのように、最初からつっけんどんな態度をすればよかった、ってことだ。不機嫌そうに「なに?」「やめろ!」とか言って、心をふさいでいたら、ルーシーの態度は変わっていたのだろうか。
「リュウ」
「なに?」
荷物の整理をエミリオにまかせて、オレは昼食の用意をするルーシーを手伝っていた。
「彼、いつからあなたの相棒なの?」
「そんなに昔じゃない。ここ一ヶ月ほどのことさ」
「ふーん。それまでは、何をしていた人?」
「王室に出入りしていたらしいよ」
「だから、あんなに気位が高いのね」
「まあね。それより、ルーシー、オレ、再会できて本当によかった」
「私も」
「あのさ、一つ、お願いしたいことがあるんだけど」
「なに?」
「すごく、頼みにくいことなんだけど、いいかな?」
「どうぞ。遠慮なく」
三年前には見せなかったルーシーの優しい微笑みに、オレの心も正直になる。
「あの『いしきかいかくぅ』ってやつ、オレにも必要かもしれないんだ。やってみてくれないかな」
オレはルーシーに背中を向けた。
「いやだー、えっちー。そんなの、ダメです」
即答されてしまった。
なんでだ。
午後になって、来客が来た。シーラさんという女性で、国際難民援助隊に参加しているとのこと。
聖堂でお祈りをしたあと、食堂で司祭と茶を飲みながら談話しているところに、オレたちも誘われた。エミリオは断るかと思ったが、とりあえず情報収集の足しになると思ったのだろう、オレといっしょに来て椅子に座った。
「どうですか、最近のアムンは?」
と、シーラさんはオレたちに質問した。
「ポモタンがらみで大騒ぎですね。今は特に微妙なところだと思います」
と、オレは一身上の理由もまぜこぜにして答えた。
「資源の発見は、吉報だが、多くの問題を巻き起こします。美しいアムンが、他国のように悲惨な国にならないことを祈りますよ」
シーラさんは丁寧に茶を一口飲んだ。
「オレ、田舎者で、よく知らないんですけど、世界って、そんなに悲惨なんですか?」
「そうですね。人間の欲望には限りがありませんから。豊かな国にも、貧しい国にも、それぞれに悲惨さがあふれています。そして、豊かな国と貧しい国の摩擦が、さらに多くの悲惨な現実を生んでいます。おかげさまで、私はやることがたくさんあって、自分の歳も忘れて飛び回ってますけどね」
シーラさんは、確かにあまり若くはないけれど、魅力的な女性に見えた。人間として活き活きしている。
「それぞれの場所で、悲惨さがどうやって起こるかということは、私には十分には理解しかねるし、実際のところ、なかなか難しいのです。始まってしまえば、いったん起きた暴力の記憶は、深く心に刻まれ、消えることはありません。それでも、人は生きなくてはいけないんです。子供たちには今日の勉強があり、今日の遊びがあります。いろんな場所を訪ねていると、ときどき、錯覚に陥るんです。どこに行ったって、人間は、皆、同じじゃないか、と。実際、錯覚ではないかもしれない。要するに、それぞれの『立場』で、知っていることや、思いこんでいることが違うだけ。だから『チーム替え』と入れ替わったら、そのまま同じことが継続されると思う。そんなことで取り返しがつかないくらい悲惨なことを山のように産み続けている人間って、バカみたいだと思いませんか?」
「『言葉』についてはどうですか? 『チーム替え』ができないことでは?」
と、エミリオが冷静に質問した。
「私の体験では、言語は、信仰と似ています。もともと人間には、たくさんのスイッチみたいなものが用意されているんじゃないでしょうか。例えば、疑問文の作り方にしても、動詞の『位置』で表現するのか、動詞の『末尾変化』で表現するのか、どちらかという選択スイッチが人間にはあって、最初に接した言語でスイッチが入り、固定されるのです。宗教も同じだと思う。何をどう信じるか、というスイッチがたくさんあって、それがアムン教という形でスイッチが入れば固定される。これは人間の生理に根ざすことだから、いったん入ったスイッチを、もう一度外して切り替える、なんてことはできません。ただ、それが『スイッチ』なんだと、つまり、生まれ育った環境が違えば、どのようにでも設定されうるものなのだと、そう考えてみると、すべて後天的な事情です。普遍的で根元的なことのように信じて争うのは、間違っているような気がするんです。私たちが信じていることの多くは、じつは生まれ育った環境が変われば、変わることなんです。そう考えると、かなり『楽になれる』気がしませんか?」
「しかし、いったん入ったスイッチは、切り替えられないのですか?」
「基本的にはね。考えてみてください。いったん習得した言語を、完全にリセットして、他の言語を習得しなおすということは不可能でしょう。ただ、それがスイッチであることを自覚して、意図的に他のパターンをシュミレートすることは、いくらかは可能だと思います」
「なるほど」
エミリオは、オレを見て、にやりと笑った。
「な・・・なんだよ」
「きっと『恋愛』も、後天的スイッチと割り切って、他のパターンをシュミレートすることは可能なのだろうな」
「おいおい、シーラさんは、そんなことはいってないと思うけど」
エミリオは、しなやかな前髪をかきあげて「では、僕たちにできることって、何かありますか?」とシーラさんに質問した。
「第一に、他人のことより自分のこと、です。なにはともあれ、世の中がきちんと動くということは、それぞれが自分のことをきちんとやってこそです。自分のことを棚に上げて、他に手を出すというのはあまりよいことではない。まあ、私自身は、自分のことは棚に上げまくっていますが」
シーラさんは、空想の『箱』をせっせと棚に載せるような仕草をして笑った。
「ただ、もしも、私たちの活動に興味を持ってくれるなら、ぜひ参加をお願いしたい。人手が足りてないのです。実際のところ、私たちの活動は、燃えさかる大邸宅に、ホースで水をかけるようなもの。でも、そんな中で、救われている人はいるし、特に子供たちには、希望を持ってもらいたいと思っています」
「僕は、今すぐに何ができるかはわかりませんが、協力したいと思います」
と、エミリオは勝手に断言しちゃった。
「では、国際協力の基本として、まずは予防接種を受けておいてください。伝染病の予防をしておかないと、いざというときにどこにも行けない。病気になれば、かえって足手まとい。でしょ?」
「はい!」
意外にも、すっかり『やる気』のエミリオだった。
そんなことしている場合なのかな、と思うオレは、田舎者で、小市民だからか?
いやいや、そればかりではない。ふと気づくと、隅の椅子に座っていたルーシーが、真面目に質問しているエミリオのことを、幸せそうに見つめているではないか。
なんでだ。
言っとくけど、ルーシー、こいつは女だぞ、という一言が、オレには言えなくて。