2005 「原爆の日」広島へ


 瀧村仁監督「地球交響曲」という素晴らしいドキュメンタリー映画シリーズがあります。人々へのインタビューを通して、人や地球のあり方を考えるもので、ダライ・ラマ、エンヤ、宇宙飛行士のラッセル・シュワイカート、素潜りのジャック・マイヨールなど、著名人の登場も多いし、東北の佐藤さんというおばちゃんや、杉並の産科医など、一般的には無名の人も丁寧に取り上げられています。
 僕が最初に見たのは渋谷の映画館でしたが、一般的に映画館上映はほとんどされておらず、もっぱら各地で行われる自主上映によって見るのが一般的となっているようです。

 2005年夏、『地球交響曲 第五番』という最新作を地元で見る機会がありました。我々の市から広島に『平和の折り鶴』を届ける行事の一環として、自主上映されたものでした。
 映画はやっぱり素晴らしかったです!! 監督の奥さんの出産ドキュメントシーンが大感動。監督自身はもう60代半ばですから、僕の親とあまり変わらない世代みたいですが、それでも新しい命を生み出してしまう、スゴイです。一万個の実をつけるトマトもすごいけど、正しくスピリチュアルに生きている人のエネルギーって、ホントにすごいと思います。

 で、この企画をしたのHさんが、広島へ『平和の折り鶴』お届けツアーに行くのに「同行しないか」と僕に。自分は広島は初めてですが、前々から一度は行ってみたいと思っていたので、お金はないけど思い切って参加することに決めました。



 8/6の朝、新幹線で東京を発ち、昼に広島着。さすがに噂の『のぞみ』は速い。



 生まれて初めて広島の地に降り立ち、平和公園に続く大通りを歩いていると、なんだかわけもなく胸がジンとなりました。小さな記念碑がところどころに作られ、それぞれに花がそえられていました。広々した明るい夏の大通りで、不思議と涙が出そうになって。ま、とりあえず腹がへったので、ラーメン屋に入りましたけど。


 さすがにワールドクラスのイベントだっ!! 平和記念公園の入り口では、その建物やら看板やらのでかさに圧倒されました。べつに平和活動は規模の大きさが一番というわけではないと思うけど、これだけの規模のことが実際に行われている凄さを強烈に実感しました。







 我々が着いたときには、午前の行事が終わり、夜のイベントに向けてステージ直しの作業が進められているところでした。横に平和の祈りを捧げる場所があります。順番待ちの人がたくさん並んでいたので、我々はとりあえず先にサダコの像へ。
 


 サダコのことはご存知でしょうか。2歳で被爆し、10歳になってから白血病で死んだ少女です。日本ではあまり知られていませんが(自分も知らなかった)海外では複数の小説が出版され、反核平和の象徴になっているらしい。「鶴を折れば生きる望みがつながる」とサダコは病室で折り続けた、ということになっています。広島の平和記念行事・イコール・折り鶴の原点はここだったんですね。



 みんなから届けられた千羽鶴は、すっごく綺麗だった!! 鮮やかなグラデーションでつなげてあるものや、コピー用紙のあまり紙で作られた真っ白な千羽鶴・・・。美しいたくさんの千羽鶴を前にして、サダコの碑の鐘がコンー、コンーと響くんです。なんかもう胸がいっぱいになりました。あふれそうになる涙を、なんとかこらえて。多くの人がここに来て祈りを捧げる気持ちが、ホントによくわかりました。



我々も持ってきた折り鶴を捧げました。



 サダコの碑の川向こうが、有名な原爆ドームです。爆心地はここからさらに100メートルほど離れたところみたいですが、実際には上空600メートルで炸裂したので、要するにここら一体は爆心地そのものと言えるらしい。



 公園を回ってから、いよいよ広島平和記念資料館(原爆資料館)へ。
 最初の方では、原爆以前の広島の街の様子が紹介されていたんですが、想像をはるかに超えて巨大軍事都市だったと知りました。呉・広島は海軍の本拠地として有名ですが、そのための膨大な人員や弾薬を用意する必要があったわけで、末期には広島の土地の1/3以上が軍関係だったようです。日本本土で最大の軍事基地かも。すでにここに悲劇は始まっていた、と言える気がしました。










 そして運命の8時15分です。









 二階の渡り廊下から別棟に移り、遺品などの展示が続きました。







 サダコの折った本物の折り鶴です。






 さて、次の予定までしばらく時間があるので、厳島神社で有名な宮島に行ってみることにしました。こういう日だから外人もいっぱい来てるかと思ったけど、実際にはさほどでもなく、全体的にのんびりムード。ただし噂に聞いていた鹿たちの襲撃は事実でした。







 宮島までは広島市内から市電で40分、フェリーで10分の距離。フェリーに乗って思ったのは、波が静かだなということ。台風が西の方にあったので、南風はかなり強く吹いていたんです。それでも海岸には波らしき波はなし。これが瀬戸内海なんだと、しみじみ悟りました。



 思えば古事記にも縁の深い瀬戸の島々は、日本の原点と言えるもの。以前アメリカのギター制作家とメールをやり取りしたとき「日本の文字は繊細で美しいが、パソコンでも同じ文字を表示できるのか?」と質問されたことがあります。パソコンのことはともかく、日本のことを全く知らないアメリカ人が『美しい』と感嘆する日本のかな文字。僕は普通に奈良・京都あたりが原点と思っていたけれど、むしろ『和』のしなやかな調和は、このおだやかな瀬戸内にこそルーツがあるのかもと感じました。
 こういう穏やかな瀬戸内に、世界と戦うための巨大軍事基地を作ってしまったこと、これはやはり悲しいことです。






 夜は川べりで野外コンサートに。
『広島メサイア・レクイエム合唱団/オーケストラ』という、まさに原爆記念日のための楽団が、原爆ドームの川沿い500メートルほど上流の芝生の土手で、野外演奏会を開いたのでした。

 僕とHさんが着いたときには、まだリハーサルをやっていて、いい感じとカメラを向けたら、ちょうど小雨がパラパラと降ってきて、ささっと団員が去ってしまいました。そりゃそうですよね、高そうな弦楽器、濡らしたくないし。



 雷雲と思われる黒く空に広がって、ドバッとふってきたらどうしよう、なんて心配しつつ、開始定刻を待ちました。鑑賞はただですが、1000円でキャンドルが販売されていて、それを募金にするとのこと。買って火をつけたはいいけど、嵐を予感させる気まぐれな風で、すぐに火が消えてしまう・・・



 雨は大丈夫なのか、本気で心配したけど、ヒロシマの祈りが通じたのか、本降りにならず、無事にコンサートが始まりました。あまり安易に『祈り』なんて言葉は使いたくないけど、ホントにこの場には『祈り』という表現がふさわしいと思いました。その後も雨は降らず、感動的なモーツアルト『レクイエム』が奏でられていきました。



 僕は『レクイエム』と知らされていただけで、てっきりフォーレのレクイエムだと思いこんでいました。静かに祈りを込める鎮魂歌として。しかし、全然違いました。ドロドロ全開のモーツアルトの『レクイエム』でした。

 冗談じゃない!!  激しい!!




「水を、水を」と息絶えた人。真夏の被爆で、死肉は腐り匂いが被う。焼けただれた皮膚には蝿がたかり、生きている人の身体をウジが食い回る。彼らは罪人でも、凶悪な犯罪者でもない。普通の学生、普通の母、普通の人たち。音楽を愛していた人もいたろうし、このオーケストラでは実際に被爆バイオリンが使われているとか。
 今夜、ここで演奏している人たちや、聞いている我々と、被爆した人たちとの違いは、60年という時間だけ。60年前の今夜は、我々と同じような人々が、被爆後の最初の夜をここで過ごしていたのです。おそらく水を求めて、動ける人々はこの川辺に集まってきたことでしょう。






 演奏が続くと、僕はいろんなことを、思いました。現代のハリウッド映画の技術だったら、きっとCGでリアルそのものの原爆映画が作れるはず。タイトルは「HIROSHIMA」。ユダヤ人の悲劇を描いた『シンドラーのリスト』のように、クールに事実を語る映画です。キノコ雲の原爆でなく、それが消えた跡に現地に入って、全てを見てしまう。人々の死。焼けただれた人たちや、ガラスの破片を全身にあびた人たちが、痛みをこらえて救いを求めるけれど、薬も水もなく、何もしてあげられないままに死を待つ。一人、一人と、死が続いていく。何もしてあげられないから、せめてその顔を記憶にとどめようと、必死で見てまわる。そういうシーンに、激しいモーツアルトの『レクイエム』が重なり響く・・・




 コンサートが終わり、帰り道の川べりから、静かに流れていく灯籠が見えました。






 夜が明けると、僕は早い時間に広島を発ちました。駅に向かったのはタクシーだったけど、着いたところはちょうど市電の発着所で、ホントに広島って市電の街なんだなとあらためて感慨深く、朝写真など数枚。



 呉線(くれせん)という瀬戸内沿いのローカル電車に乗りました。どこから見ても瀬戸内の海はおだやかでした。だから造船業が発達したのかな、と思ったり。そんなことを思いながら、朝の広島駅で買ったアナゴ弁当を食べたのでした。
 僕はアナゴは実は大好きで、回転寿司でも必ず食べるアナゴ派なんですが・・・、いや、確かに美味しい。やや泥臭いアナゴと、上品なタレの、不思議なコントラストは、東京の回転寿司で食べるアナゴとはずいぶん違います。でもこの身の薄さで、ウナギと同クラスの値段というのはちょっと・・・
 とかいって、食べるだけ食べて、レポート用の写真残すの忘れてるし。ま、写真撮るの忘れるほど美味しかったってことか。
 かわりに瀬戸内の素敵な夏空を。
 夏です。確かに夏なんです。






 このあと、僕は岡山で友人に会って、いろいろあったような、ていうか何もなかったけど、だからかえっていろいろあったような、なんとなくホッとする楽しい時間を過ごさせていただきました。
 お土産に岡山放送のマスコット『OH!クン』をいただきましたヨ。目がくりくりしてて可愛いんだけど、オレンジ色のふんどしって、どうなのよー。ない方がシンプルで可愛いのにー。
 でもねー、こういうセンスのなさが岡山らしさやん? (. 。)☆\バコ







 今回、お誘いうけて、思いきって広島まで行って、本当によかったです。世界の人々が広島を訪れる理由がよくわかりました。本物の悲惨さが、この街の空気から痛いほど伝わってきたし、広島には今でも、その記憶がリアルに受け継がれているんですね。皆さんもぜひ一度行ってみてください。僕も機会があれば、また原爆の日の広島に行きたいと思います。




広島メサイア・レクイエム合唱団/オーケストラ
ホームページができたとご案内いただきました。
ぜひ場所と時間をチェックして感動的な名演を体験してみてください。




(2005年8月・・・この夏の後に『ARIA』が始まったのでした・・・笑)