ルーツとしての小学生時代

 小学生の頃には当たり前で、大人になると当たり前ではなくなってしまったことは、誰でもいくつか思い当たるんじゃないかと思うけど、僕にとって『手をにぎる』というのがそうだった。小学生時代に好きだったのだ。朝礼とか、卒業式の練習とか、真面目な集会の場で、隣の人の手を握って静かにふざけあうのが。
 けれども中学に入って、気安く手を握ろうとしたら、別の小学校から来た人に「ホモか」と指摘されて、その微笑ましくも美しい習慣はあっけなく終了した。
 手を握ること、それは子供時代の夢・・・。大人の今は、ノロウイルスなどもあるしなるべく他者との直接接触は避けた方が賢明、などと公衆衛生的発想までも割り込んでしまったり。(苦笑)



 僕の小学校時代は、かなり幸せな方だったと今になって思う。特に『学校が好き』というわけではなかったし、夏休みと、冬休みと、春休みと、週末休みを貴重な心の支えとして、なんとか乗り切っていた毎日だったけど。

 特に先生に関しては、ラッキーと言っていいほど、恵まれた方だと思う。

 最初の1、2年の担任は、昔の師範学校出身の古き良きおばちゃん先生。特に作文にこだわる人だった。『よくできました』のハンコを押すだけではなく、文章を校正して「ここがおかしいから直しなさい」とか「ここをもう少し工夫しなさい」とか、いろいろアドバイスをくれて、再提出をくりかえし、ようやく『よくできました』となる。僕が文章について考えるときの基本的な姿勢は、この先生に身につけさせてもらったことだと思う。
 おかげでその後の小学生時代に、僕は作文で『長考』の入ることがよくあった。夏休みの読書感想文など、単にその場の接続詞をどうするかというようなことだけではなく、全体の流れの中でどう持っていったらいいか、などと考えてしまって。
 文章について悩むことは、子供にとってはつらいことだし、僕も好きなことではなかったけれど、文章表現で工夫していくことの基礎を身につけることができたのは、ものすごくラッキーだったし、感謝してます。

 小学校では、音楽の先生にも恵まれた。はっきり言って音楽に関しては、小学校で教わった以上のことを、中学でも高校でも教わらなかったと言っていいほどだ。
 リコーダーの練習でも、教科書とは別に先生が自分で作った練習曲集をプリントしてくれて、難易度が上がるとシンコペーションや三連符、いろんな調への展開などもあり、まさに『音楽のレッスン』だった。お金を払って音楽教室に通った人には当然のことだろうけど、公立学校の授業でこれだけきちんと音楽を教えてくれたというのは、本当にラッキー。
 リコーダーは僕の趣味にはならなかったけれど、のちにギターを独学していく上で、易しいものから順にステップアップしていく作法のようなものは、きちんと小学校で身につけてくれたことだと思う。
 音楽の先生について、ここで特筆しておきたいのだけれど、いつも『よい曲を聴かせること』を大切にしてくれた先生だった。教科書で紹介されている小学校の鑑賞曲なんて、たいして長いものはないし、授業の最初にかければ数分から10分程度の良いオープニングとなる。ふざける子供には遠慮なく厳しい『女のにらみ』を効かせて、美味なお菓子のように何度もレコード鑑賞させてくれた。
 サン・サーンスの『動物の謝肉祭・白鳥』から始まって、ロッシーニの『ウイリアム・テル序曲』、チャイコフスキーの『組曲・クルミ割り人形』あたりまで。
 一回聴くだけでなく、授業の度に聴かせてくれるから、そのうちメロディを覚えてしまう。僕なんか学校までの片道10分ほどの歩きの途中、頭の中で曲を演奏してたもの。旋律を忘れたら、思い出すまで立ち止まったりして。『ウイリアム・テル序曲』が特にちょうどよい長さで、これをとどこおりなく完奏して朝の校門をぬけられると、むちゃくちゃ幸せだった。チェロの夜明けから始まって、嵐のトロンボーン、嵐の後のフルート、フルオーケストラの勇ましい行進まで。
 ちなみに、誰が選んだか知らないが、小学校にあったオーディオも素晴らしかった。オーディオマニアの間では2007年の現在でも語り継がれているビクターの銘器SX-3。古い木造の音楽室で、このシルクのような音色のスピーカーで繰り返し名曲を聴かされたら、そりゃあ誰だって弦楽器の美しさに惚れ込みますって。



 さほど高価なスピーカーではないし(ペアで当時5万くらい)歯切れの良いポップス向きなスピーカーではなかったけれど、しなやかな紙の振動板のよる音色の表現力は抜群。英国高級オーディオのような格調がありました。・・・ま、でも、小学校の音楽室でクラシックにはまりこみ、そこで鳴っていたスピーカーのメーカーや型番まで覚えてるのは、たくさんの卒業生の中でも僕ぐらいかもしれないけど・・・(笑)

 いちおう埼玉県の県庁所在地・浦和市だけど、市の一番外れの木造校舎の『田舎の小学校』だ。学校以外に音楽芸術に触れる機会は全くなかったから、これも本当にラッキーでした。感謝っス。

 本当は最も重要なキャラとして、5、6年のときの担任教師がいるんだけど、この話は長くなりそうなので、まだ場を改めて書こうと思います。失礼。



 さて、実は今日は小学校のことを書きたくて、夕方に自転車でわざわざ現地まで行って来たのだ。冷たい北風が向かい風となり、行きはものすごくつらかったけど、なんとか日没前に間に合って、少し写真を。


 


 学校の裏はこんな感じ。右の斜面の上が校庭、左に田んぼ用の用水が流れてる。冬の寒々とした写真はどうよ、って行く前は思ったけど、実際には葉が散って、レポート写真としてはむしろわかりやすくなってますね。

 斜面の上から、学校を背にして、下に広がる田園風景を眺めた写真がこれ。


 


 そして、学校からは少し離れたところだけど、用水の流れるいい感じの風景なども少し。誰がどう見ても都会ではありませぬ。だいたいこんなところなのだ。
 まん中に写っているのは旅の連れの自転車っス。



 今までも小学校を通りがかりに正門から見たことはあったけど、裏から校庭を見たのは今回が初めて。
 以前は左側に木造の校舎があり、右側が校庭でした。しかし今は真逆。右側に鉄筋の校舎が建ち、左側が全て校庭。
 つまり以前の面影はゼロなのでした。


(左) 

(右)


 でも不思議なものだけど、建物などは全て変わっても、校歌は変わってないのね。
 インターネットで検索したら、小学校のサイトがヒットして、まだ作りかけっぽくてコンテンツはさほどなかったけど、昔と同じ校歌がMIDIで流れてきたのにはまいった。嬉しいような、恥ずかしいような。
 今の子供たちも同じ歌を歌ってるんだな、と思うと、なんだかあの小学校の究極の精神的アイデンティティとは『校歌』なのかもしれないと感じてしまった。形あるものはみな消えていくけれど、歌は永遠だ。
 音楽って、すごい!



 ついでにまだ行ったことなかった近くの公園によってみる。
 既にほとんど暮れかけた池の側に、白いネコがいた。
「どうせすぐ逃げちゃうんだろうな」と思いつつも「にゃぁ」と声をかけると、意外なことに「にゃあ」と返事をくれました。んで、人恋しそうにこっちにすりよってくるじゃないか。
 何か食べるものでも持っていればよかったんだけど。ていうか、こいつ、すげーいい恰幅ですので、公園に居着いて食べ物には不自由していないご様子。
 ただ、あまりにもすり寄ってくるから「おいおい、蚤でも移そうってんじゃないだろうな」と、むしろこっちが逃げ腰だったりして。
 しばらくじゃれ合いまして、あちらとしては「一人のクリスマスイブなんてイヤだ、つれてって」という心持ちだったようだけど、心を鬼にして「僕にはやることがあるのだ、ばいばい」と別れてきた。
 写真はうまく撮れなかった。逃げるのではなく、よってきすぎ。こちらが離れても、すぐによってきてすりすり。ぶれてますけど、これでせいいっばいにゃん。


 



 関係ないけど、日が暮れた用水の先に大きなお月様。月明かりを受けた水面にはカモがいて、ときどき「グワッ」とつぶやいたり。


 




 北風に森の木々がゆれて、少し恐ろしげなざわめきをたてる。

 都会からさほど遠くはないところだけど、ずいぶん遠い田舎に来たような気分に包まれる。冬の夜の森の神秘が、自分の中の古いルーツとつながる。

 ここには、ワクワクするような答えがあるというわけではない。それははっきりしている。帰ってくるたびに感じることだ。

 しかし、なんとなく、ずっと自分が思いこんでいたよりも『良いもの』だったのかもしれないと、素直に感謝したくなる。 
 
『良いもの』と感じられたら、そこから新しいワクワクが始まっていく。



 ヘンな話だけど、寒い夜道を一人で自転車を走らせながら、自分って幸せ者だな、と思ってしまった。「ありがとう」という気持ちがいっぱいになって、その幸せを、僕の文章を読んでくださる方々にも、伝えていけたらもっと幸せだ、と思った。

 公園に取り残してきた白ネコさんには申し訳ないのだけど、君は美人で御飯もたっぷり食べているようだから許してください。僕には他に大切なことがあるから。
 大切なこと。大切な人。

 言葉のプレゼントを届けるという秘やかで幸福な仕事とかね。

 

(2007 12/24)