3/11の夢


 尻の生地がかなり薄くなりはじめているジーナズと、黒いハイネックシャツ&紺のセーターという、この冬の個人的定番服装で、僕は一人台所に立ち、昨日の残りのナメコの味噌汁を片手鍋ごとガスコンロで温めながら、このすべてが夢であることを自覚していた。
 
 今の時間は、昼を過ぎたところ。春というにはまだ早いが、寒さはあまり感じない。僕自身が、状況を意のままに選択できないのは、現実も夢も変わらないのだ。受け入れるべきことは、受け入れざるを得ない。人としての悟りを開いたとか、そういうことはないにしても、状況ありきで思考するのが人間というものだからだ。

 ジスイズ・ジャスト・ザ・ドリーム。

 夢。この中で、僕は目覚め、味噌汁を温めている。僕も味噌汁も、夢の中の存在。味噌汁を観察してみると、昨夜から汁に浸っているナメコはかろうじて原形をとどめているが、おそらく歯ごたえは全く期待できないだろう。まるで染色したミニクラゲのようだ。汁が煮詰まっているぶん、水を足して味噌を追加すれば少しは美味しくなるのかもしれないが、それもめんどう。そういうことは、僕の使命ではありません。

 自分の使命とは、何なのか? とても大切なことがある、ような気がする。鍋の縁から少しずつ沸騰していく粘性を持った味噌汁をじっと見つめながら、僕は内面からわき上がってくる神聖な予感に身体が震えた。ノー、寒いからではない。僕は今、人類の未来を託された特別な立場なのだ。

 たぶん。

 夢というものは、不思議なものだ。本当はこれは全て現実の僕の脳の産物だ。それは疑いようかない。しかし『僕』という、今、思考している自分自身は、この状況の全てを知っているわけではない。ここはどこなのか、とか、今はいつなのか、とか、ヒントを求めて、これから棚の引き出しを開けたり、村人たちに質問したりしていくわけだ……

 というのは、冗談です。ま、場所は考えないでもわかる。親と住んでいる一軒家。埼玉県の郊外にある昭和の建物。夢なんだから、ビバリーヒルズの高級住宅でもいっこうにかまわないはずなのに、なんでこうなるかな。

 冷蔵庫の上に時計が置いてある。小さな肉球付きの二本の針が動く猫型時計だ。超リアルな猫イラストが文字盤に描いてあったり、針に肉球がついていることが、すばらしいこととは僕には思えないが、そういうデザインにされてしまったことが、時計自身の罪の重さを意味するわけでもないし、無意味に奇抜なものがさりげなく部屋の中に置いてあることは、どこの家でもよくあることだろう。問題は、その肉球付きの二本の針の差している時間だった。
 若干の長針のズレを気にせずに、だいたいのところをいえば、一時二十分。もちろん磨りガラスの窓からは午後の健康的な光が部屋に流れ込んでいるので、ヘビがおならをしたとて今は夜ではない。昼過ぎに起きだし一人で味噌汁を温めている、それが自分だった。

 いや、今が昼過ぎであることを、僕は時計を見る前から知っていたはずだ。そういう直感は存在した。神のお告げだったのか? エスパー? おそらく逆だ。暗黙のうちに、夢の設定によって、夢の状況設定ゆえに、猫型時計はこの時間を表示したのだ。乙。

 そんなことを考えているうちに、味噌汁が突然、沸騰状態にいたり、容積を加速度的に増加し始めた。パンの発酵かよ、なんてツッコミを入れる前に、火を消せ、自分。なんとか吹きこぼれる直前でガスの消火に成功した僕は、おたまでお椀によそい、白木のダイニングテーブルにつく。このテーブルと椅子だけが、なぜかアーリーアメリカンな装いなのは、美学としての統一性のない人生感、というか行き当たりばったりで選択枠のなかった両親の人生そのものを象徴しているが、その点、自分はどうなのか、と問われると、そういえば統一性なんてものはまるでないので、人のことは言えないわけだ。まあ、それはそれとして、箸立てに並んだ多様な色彩の中から、なんとかブルーの対の箸を選び出して、熱いナメコの味噌汁を食し始めた。

 ところでなんでナメコの味噌汁かな……と考えてみてもはじまらないので、テーブルの隅に置いてあったT新聞を手にとって、あれ、うちってT新聞だっけ? これ、何かの伏線? とか疑問を持ってみる。疑問を持つことは、フリーダム。その思考がどんなに非生産的なものであったとしても。

 まあ、ここは夢の中なのだから、何新聞でもいいのだが、総理大臣という日本のトップに対する不満が紙面をにぎわせていることは変わりないのだった。大人は誰もが、すべてを『上のせい』にしたがる。総理が誰であるかは全く問題ではないのだ。誰がなっても、みんなが不満をぶつけてやめさせてしまう。社会的ガス抜きというわけだ。僕はそう思うし、すごく不毛なことだと考えざるを得ないのだけれど、このごろは少し大人の気持ちもわかるようになってきた25歳の自分としては、要するにみんなそういうことを『やりたいんだ』と懸命にも察し始めている。有意義か、不毛か、なーんてことはどうでもよくて、『やりたい』だけなんだ。風呂に入ってサッパリすることと、総理大臣を替えることは、同じなのだ。
 
 こうして僕も大人になっていく。そんな25歳の春でした。

 しかし、いい歳をした自分が、こんな時間に台所で何をやっているのだろう? なぜ優秀な頭脳をフル回転させて国際通貨の売買を担当したり、次世代PC設計の一端を担ったりしていないのか?

 答えは、全て自分の中にある。

 思い起こしてみよう。(面白い話ではないが、状況の源流を探るのも立派な思考なのだ)
 思い起こせば……昨夜はファミレスでバイトだった。(もちろん夢の中の設定であり、生身の自分のオキュペーションについては思い出せない)
 ファミレスでバイトというと、女子を含めた多くのスタッフたちとわいわい働いているというイメージになりがちだが、思いっきり郊外店の深夜営業ともなれば、スタッフは三人だけ。リストラされた元証券会社営業の大月さんが料理作り、帰国子女で英会話バリバリなのにアニメオタクですっかり人生迷走ぎみの英子さんが料理を運び、客たちが食べ終えた皿を僕がディッシュウォッシャーマシンに並べて押し込む。いわばアメリカの古いロードムービーに出てくる、壊れかけたネオンがちかちかしているドライブインみたいな風情だ。音楽がカントリーやジャズではなく、和やかなイージーリスニングであることと、電球切れだけはこまめにチェックしてとても明るい店内が、いちおうジャパン・ファミレスをけなげに主張しているが。

 それにしてもナメコの味噌汁だけでは、なんだかものたりない。コーヒーを作ろう。ていうか、最初からコーヒーとパンでよかっただろ、と考えて、一人、苦笑する。まあ、味噌は身体にいいということもあるらしいし、特に放射能に汚染されたときにはいいらしいし。本当かどうか知らないけれど、そんな話もあるので、よしとしておく。
 僕はもう一度台所に立って、ケトルで湯を沸かし始める。こういう手順を一つ一つ、夢の中でやっていく自分が『美しい』と思う。何でもボタン一つで片づけてしまう機械化社会は人間を堕落させる。まだ沸騰には早いケトルから湯を少しカップに移して温めておく。一人用の小さい方のドリッパーを取り出し、コーヒーの粉を入れる……って、フィルターの紙、セットしろよ、自分。「う〜」とうなる。おみくじでいえば凶を引いた気分。夢の中でこういう失敗をすると、とてつもなくヘビーな失敗に感じられてしまう。しかたなく粉を捨てて、フィルターをセットしなおし、あらためて粉を入れる。この凶事は、これから夢の中でいろいろ尾を引きそうだ。気をつけろ。

 ところで、夢を見ている僕もなんだかだんだん面倒になってきて、気がつくと椅子に座ってコーヒーを飲み、メロンパンをかじっていた。やればできるのだ、僕だって。
 そして、もう一度新聞に目を落とし、重大な予感が現実のものであることを悟った。それは3月11日の朝刊だった。今日は東日本大震災の日ではないか。

 混乱した状況を、きちんと整理しておこう。
 僕は今、夢の中にいる。そして3月11日、午後1時半。埼玉の自宅の台所で遅い朝ご飯中。
 しかしこの夢の主である生身の僕は、もっと先の時間に生きている。あいにく夢の中にいる僕には、あちら側の『生身の僕』が何をやっている人で、いつ頃の時間軸にいるのかは、わからない。ただ、東日本大震災からかなりの時間が過ぎていることは、まちがいない。なぜなら、僕は東日本大震災に関して、いろいろ知っていることがあったからだ。

 たしか、現実のあの日、僕は同じように遅くに起きだしてコーヒーを作って、親とケンカして、うんざりした気持ちになって、死ねよオヤジ、とか内心思ったら、本当に地震が起きて、落下してきた瓦に父は頭を打って死んでしまう。
 そういうことは、僕はわかっているから、もう、夢の中でケンカはしないつもりだ。まあ、大学を出たというのに深夜ファミレスでバイトをしながらアニメばかり見ている自分の側に問題がないわけではないし、父親もまだ死ぬには早すぎる。
 そんなわけで、まあ、自分としては、自己反省もふくめて、カップを流しにおいて水をかけると、書斎を覗き、きわめて穏便に「いい天気だね」と自宅持ち込みの編集仕事をしていた父親に声をかけ
「いまごろ起きてきたのか」
 と挑発されても、夜に働いたんだからこれが普通なんですけど、そんなこともわかんないの、とか反抗的に答えることなく、
「今日は外に出ない方がいいよ」
 と神のように優しく微笑んだ。
「やることあるんだよ、庭に出ている場合じゃない」
「うん、それがいいね」

 僕は自分の手の平を見つめて、再び内面からわき上がる神聖な予感に身体が震えた。この夢の中で、未来を知っている自分には、やれることがある。イエス。たくさんの人の命を救うために、やれることが。我こそが救世主だ。
 
 しかし、時間はどのくらい残されているのだろう? あいにく僕は地震発生の正確な時間を憶えていなかった。たぶん午後3時すぎだ。あと1時間半か。

 我が家的には、このあたりは震度5程度、家がつぶれるほどではない。父親のことだけを心配しておけばいいはず。
 まずは、マスコミに知らせよう。次に政府だ。この地震で巨大津波が来ることを知っておいてほしい。できれば沿岸の市や町の全てに伝えたいが、そこまでやっている時間はない。そして、津波のあとに事故を起こす福島第1原子力発電所のことも。この事実は、ぜひ多くの人に知ってもらいたい。放射能被曝というリスクを少しでも減らせるように。

 時間がないのだ、急げ、自分。

 階段を駆け上がり、二年だけ正社員で働いたときの最後のボーナスを惜しみなくつぎ込んだ高速中古ノートパソコンを全力で立ち上げて、インターネットにアクセスした。
 まずは電話番号調べだ。
 ポキポキと指の関節をならし、キーボードを乱れ打つ……ていうか、作文じゃないので検索扉に単語入力をする程度だけれど。
 いや、放送局の問い合わせ先を検索しようとして、それよりもヤフーのテレビ覧を見ればいいじゃん、と気がついた。天才か、自分。だんだん思考も、感性も、鋭さを増している。救世主らしくなってきたではないか。神よ、僕は頑張ります、どうか見ていてください。
 予想したとおり、テレビ覧には各放送局へのリンクがあった。
 とりあえずNHKのリンクをクリックする。NHKのホームページが開いていく。僕のインターネット環境は十分に高速のはずだが、それでもこの間がもどかしい。大きすぎるページだ。いろいろ親切そうだがよけいにわけがわからないバナーの連なりにクラクラし、どこに連絡すればいいのか意味不明。電話番号は……、下にちいさな「ご意見・お問い合わせ 」を見つけた。その小ささを動物にたとえれば、ライオンの耳についた麦の種のようだ、って、それは動物じゃなくて植物じゃんよ。とにかく期待を込めてクリックすると「NHKふれあいセンター」のフリーダイヤルが大きく表示された。メールやFAXを送っている暇はないから電話による直接トークしかないと思うけれど、「NHKふれあいセンター」でいいのかな。ていうか、これ、普通新聞のテレビ欄に載っている番号だろ。新聞見ろよ、自分。

 とにかく、迷ったり、悩んだり、動物にたとえて考えたりしている場合ではない。旧式の携帯電話を握りしめ、勇気を奮い起こして番号をプッシュする。

「お電話ありがとうございます、こちらはNHKふれあいセンター、担当の小山です」
「あの、すみませんが、すごい緊急連絡なんですが、今日の午後、東北で大地震が起こるんです」
「それは、番組へのご意見ですか? それとも、ご質問ですか?」
「番組じゃなくて、日本がどうなるかって問題です。番組よりも、ずっと重大事項です。信じられないかもしれませんが、これ、本当にたくさんの人の命に関わることなんで、真面目にお願いします」
「お願いします……ですか?」
「時間がないんです。だからこんなときは、段取りとか、いろいろ大人の事情とかあるかもしれないけど、みんなが最善を尽くすべきでしょ?」
「もうしわけございませんが、おっしゃりたいことがよくわからないのですが……」
「僕だって、どう伝えたらいいのかわからないです。ただ、みんなに知っておいてもらいたいし、NHKなら、きっとやれることがあるんじゃないか思って」
「通報か何かでしょうか?」
「通報なんかじゃありません。期待してるんですよ。期待してはいけないんですか?」
「あの、失礼ですが、あなた様は、大学の方ですか?」
「普通の市民ですけど。夢を見たんです。じゃなくて、これは夢だから、僕は、生身の身体がべつにあるから、未来に起きたことを知ってるんです」
「未来予知のようなものですか?」
「そんなありもしないSFアニメといっしょにしないでください。もー、わかんないかなぁ、あなたがわからなくて、多くの人が死んだら、あなたのせいですよ、悪いけど」
「では、そのような『予知』があったことを、担当の者に伝えておきますので。お電話、ありがとうございましたっ!」

 き、切りやがった……
 てか、完全、頭がおかしい人と思われたな。
 なんなんだよ。
 人が本気で言ってるのに。
 受信料払わねーぞ。
 ていうか、受信料を払っているのはうちの親だし、こういう腹立たしい対応をしてきたのは、現実のNHKの人ではなく、夢を見ている僕自身が『NHKの人』を演じていたわけだが、それにしても、もっとなんとかならないものか。
 僕は自らの行為の不毛さに早くも打ちのめされた。しかし救世主という立場の者が、無理解な民衆に裏切られるのは古今東西よくある話だ。自分だけがつらいんじゃない。「立て、立つんだ」と、自らにエールを送り、次の放送局に意識を集中した。
 
 結果は、語るまでもない。同じようなことでした。
 
 不毛なやりとりを民放5局としたあとで、新聞社にも当たってみたが、こっちはさらに最悪だった。過去の出来事に関しての情報収集がやつらの前提であって、未来に関しての情報提供など、全く受ける用意がないのだ。なんというシステム的欠陥だろう。未来からの情報こそが最重要であることは子供にだってわかるはずなのに。やつらにとってそんな情報提供は、仕事のじゃまをする西日のようなもので、それがどんなにすばらしい輝きを放っていたとしても、ブラインドをクローズして終了。
 
 何なんだろう、人間って……
 過去しか、信じない。
 未来は、信じない。
 まあ、信じなくてもいいです。
 ただ、可能性を考慮するくらいのことはしてほしかった。歴史に残る大天災となれば、敏感な人は事前に何らかの察知をすることくらい、実際にあるかもしれないではないか。全面的に信用しないまでも、そういうことは柔軟に対応したらいいではないか。
 
 そう考えると、結局、これは天災というより、人のバカさ加減がもたらした『人災』だ、と結論したくなる。まあ、埼玉の片隅で、僕一人がどんな結論を出したところで、日本としては何も変わることはなかったが。
 
 マスコミに相手にされずに落ち込んだ。しかし、もう一つの大問題である原発事故に関して、それを考えると、はてしなく憂鬱な気持ちになった。これこそ、どんなに誠意を込めて、下手に出て、頭を下げて、涙を流して説得したとしても、絶対にだれも相手にしないだろう。もともと原発には反対意見がたくさんあるから、一般市民からの「危ない」という忠告なんて聞く耳を持たないのだ。なんとかとオオカミ、というやつだ。
 生身の僕は、水蒸気爆発が起きてから、2ちゃんで議論していろいろ学んだ。素人のわりには格納容器の構造やベントの意味について理解している自分がいる。そういう自分が見ている夢となれば、フライング的な情報は多量に持っているわけだ。
 そういう知識を総動員してさえ、原発事故に関しては、今、誰に未来の事実を伝えるべきかわからない。
 時計を見ると、すでに2時を過ぎていた。あと1時間くらいか。まあ、原発のことは、地震や津波の後でもいい。1号基の爆発は地震の翌日だ。
 それよりも、今は、津波だ。地震後に予報は発令されるが、そんなものよりもはるかに大きなものが押し寄せることを、多くの人は知らない。僕はすでに知っていて、今ならネットも携帯も普通に使えて、伝えることが可能なのだ。頑張れ、自分。救世主のありがたさを、盲目の愚民たちにわからせる絶好のチャンスだ。

 とりあえず沿岸の市町村、と思って、最初に思いついたE市の名前でネット検索、市役所の電話番号をみつけて、携帯電話を力強くプッシュする。
「はい〜、E市役所です〜」
 間延びしたおじさんの声。
「なんか、のんびりしてますね」
「はあ?」
「地震起きて、津波来ますよ」
「え? おたく、どなた?」
「誰だっていいでしょ。僕は事実を伝えているだけです」
「それ、いつ起きたの? だいぶ昔?」
「今日ですよ、今日!」
 僕はマスコミとの不毛な対応の連続で、すっかり言葉が荒くなっていた。
「そんなの、起きていませんがね」
「過去の話をしているんじゃない、未来の話です」
「あの、こちらもヒマしてるわけじゃないんだから、いたずら電話はほどほどにしてよね」
「地震の後、予報なんかよりはるかにすごい津波がきますから、頼みますよ」
 僕は、ボタンを押し、通話を遮断した。
 やることはやった。
 いたずら電話と思ったら、本当に地震が起きる。そのときに彼は悟るはずだ。いたずらと思った電話が、ありがたい救世主からであったことを。そして、それに気がつけば、津波にむけて最善の対応をするだろう。
 あとは、彼の問題。
 僕は、やれることはやった、と自らに言い聞かせた。

 きっと、歴史に残る偉大な救世主たちも、同じようなことを思っただろう。「あとは、あいつらの問題。私は、やれることはやった」と……

 あと何カ所、電話できるだろう?
 地図とか、確認しているヒマはなさそうだ。
 ニュースで話題になった津波被災地の名前を、思いつくままにネット検索して、役所の電話番号を探し、電話をかける。

「地震が起きます。そのあと、むちゃくちゃすごい大津波が来ますから、全力で逃げてくださいよ」
「それ、いつの話?」
「もうすぐ……」
 
 と、そのとき、ゆれ始めた。
 いや、いくら夢だからって、まだ早いだろ。
 本当の地震の前に、予震みたいなものがあったっけ?
 パソコンの時間表示を確認すると、まだ14時46分だよ?
 しかし、すごくね?
 この強さ、ホンモノ?
 自分の15時すぎの記憶って、あれはもしかして、津波関係の記憶だったの?
 もう、ケイタイで会話なんて、していられない。
 こちらも切ったが、むこうも切ったはず。
 埼玉なのに、かなりの揺れだ。
 あわてるな、僕はわかっている。
 これは歴史に残る大地震なのだ。
 僕は部屋の入り口の柱にしがみつく。
 現実の自分も地震のときにその柱にしがみついたのだが、それは自分を支えるためではなく、僕がゆれる柱を持って支えることで、家の倒壊を防ぐ役割をはたしたのだ。いや、これは笑い話ではない。古い木造2階建ての我が家としては、本当に横に大きくゆれたし、その揺れはだんだんと激しさを増したし、結果的に家は倒れなかったわけだが、それは僕が二階で柱をささえて守ったからだと言っても、誰も否定できないはずだ。
 それにしても、あらためて驚かされるのは、加速度的に強まる揺れのすごさ。最初の普通の地震がきっかけとなり、海底のプレートがザクザクと動き始め、それが始まっちゃったら、止まらなくなって、たくさんイッちゃった、みたいな。普段真面目でおとなしい人が、ストレスを貯め込みすぎて、軽く一杯のつもりで飲んだら、イッキイッキが始まって収拾がつかないほどぐでんぐでんになってしまいました、みたいな。 
 ていうか、ここまで考えても、まだ揺れは止まらない。冗談ではなく、強まっている。もういいよ、これが大地震なのはわかったから。もう知ってるから。そんなに自己主張しなくても。十分だから。
 とか考えたら、神さまの怒りをかったのか、ますます本気の揺れがやってきて、ついに机からノートパソコンが転落し、本棚の一番上にかくすように貯め込まれていた大人買いアニメ関係商品があられもなく床にぶちまけられ、あっ、と思ったときには、その本棚が倒れた。ありえないことに、僕の部屋は、美少女フィギュアの大量虐殺現場となってしまった。
 僕が悪かったです。十分です。必ず悔い改めます。
 そんな本気の悔い改めまでやっちゃって、あとは何を考えればいいの?
 究極の思考に至ったころになって、ようやく揺れは収まった。

「おーい、大丈夫か?」
 階下から父親の声。
「うん。本棚倒れて、ちらかったけど」
「こっちもすごいよ。テレビつけるから、降りてこれるなら降りてこいよ」
「わかった。でも、少し片づけてからね」
「手とか切るなよ」
「うん、わかった」
「お父さん」と母の声。「買い物、しといた方がよくない?」
「まずはテレビで情報収集だ。停電はしてないな、よかった」

 よかったのは、あんたの方だよ、と僕は思う。
 父の救命に成功した。
 僕は、とりあえず、涙が出てみました。

 救世主であるということは、本来なら死んだ人を、死なないようにする、という行為。
『時間軸上の改変』にあたるのではないだろうか?
 とか、ちょっとバカなことを考えてみる。
 考えるのは、フリーダム。誰にも僕を止められない。
 事実としては、この世界は夢なのだから、現実の時間軸とは関係がないのだ。まあ、いわば『きやすめ』にすぎない。今、ここで、頭を打たなかった父が、震災の速報をテレビでながめていたとしても、現実の父はすでに死んでいる。その事実は、かわらないのだから。
 しかし、だとしても、僕は今いるのは、この夢の中だ。夢の中の出来事に過ぎないとしても、実際に今、この世界で父は生きているし、僕はそのことで涙を流し、悔い改めている。

 オーケー。多くの破損したフィギュアは、運命として受け入れよう。実際、いつまでもこんなことに萌えている場合ではない、と少しは反省心が芽生え始めている自分だったりもする。
 ていうか、アニメといえば、バイト仲間たちはどうなっただろう。「アニメで関連づけられても、それはちがう」と否定されてしまうかもしれないが、それはともかくとして、今夜は店を開けるのだろうか? 早めに行って片付けの手伝いをした方がいいのだろうか? ていうか、今、店はどうなっている?
 ケイタイの登録番号を選択して「会話します」の了承をプッシュして待つも、反応なし。さっそく機関の妨害工作か? いつの世も救世主は人民の虐待にあうものなのだ。ていうか、混んでいてつながらないだけだ、とか、そんなこと、自分は受け入れたくないし。ケイタイがつながらないのでは、救世主としての自分の存在意義がなくなるじゃん。津波のこととか、原子力災害のこととか、みんなに電話して教えたいのに。

 まあ、いいか。
 どうせ、僕がなにを伝えたって、愚民どもはスルーするだけなんだから。「精神科の受診をお勧めします」と、いつわりの愛情にみたされたアドバイスをもらうのが関の山。だったら、それはそれで、現実を受け入れるしかないではないか。僕が悪いんじゃないもん。救世主だって、なんでもかんでもできるわけじゃないんだもん。

 いや、そうか?
 
 よく考えてみれば、これは夢だ。リアル状況ではないのだ。僕が本気で望めば、何でも可能になっちゃうのではないか?
 たとえば、これから津波が押し寄せるまで、30分ほどはある。この時間を利用して、僕自身が現地に飛べば、何かできることはありそうだ。口で説明して理解してくれなくても、自分が行動するなら、それを止められる人はいないはずだ。
 
 そして僕は、ある海辺の町に立っていた。
 海辺の町は、港の周囲を丘が囲んでいる。
 海面が目に見えて下がり始めている。
 波の警報が拡声器から流れ、まったりしたおじさんの声で高台への避難を訴えている。

 ここは、こんなもんだろう。
 危機感は十分ではないと感じられたが、人々はちゃんと避難を始めている。

 救世主が立ち会うべきは、きっとここではない。

 そして僕は、べつの平らな土地に立っていた。
 ここには港も丘もない。東に防砂林が見えるし、潮の匂いがするから、海に近いのはわかるのだが。

 なぜ、こんなところに立っているのだろう、と逆に疑問に思った。
 地震の揺れは大きかったはずだが、特に倒壊した建物もなく、目の前のラーメン店は閑散とした午後の営業を続けていたし、そのむこうにあるホームセンターには自家用車がいつものように出入りしている。動物園でたとえれば、ちょっと像が暴れたが、全体的には脱走する動物もなく、そろそろ晩ご飯のことをみんなが期待し始めている、そんな風情。
 しかし、僕がこの場にやって来たのは、「津波で全てが破壊されたあとのコンクリートの土台しか残っていない自宅跡に戻って苦笑してコメントしている住民のニュース」を、テレビで見た記憶があったからだ。それはまるでモンゴルの大平原のように、なにもないぽっかりとした空間だった。家も、電信柱も、防砂林も、なにもかもが流されていた。そりゃあ、古い木造二階建てが津波に勝てないのはしかたがないとしても、ホームセンターやら工場やら、けっこう大きな建物もこのあたりには目につく。ネジの会社だろうか、三階建てのビルみたいな建物もあるし、ああいうところに逃げておけば大丈夫と、普通は誰だって考えそうなものだ。
 ていうか、そういうものもみんな破壊されて流されるというのに、僕はそんなところに来てしまったんですか?
 は……はいぃ?
 いやいや、いくらなんでも、ここはやばすぎでしょ。救世主としても、ここだけはキャンセルさせてください。こんなところにいたら、僕が助かりません。ごめんなさい。命あっての救世主。死んではもともこもありませんから。

 ところが、夢というものは皮肉なものだ。
 もう、僕は移動の能力を失っていることに気がつき、ため息をつき、腹をくくるしかなかった。

 いいでしょう。
 ここが、今日の僕の戦場だ。
 死んで悔いなし。
 とにかくやれることを全力でやるだけだ。
 
 そんな決意を胸に秘め、あらためて丘も山もない周囲の風景を見渡したとき、少し前にマスコミに電話をかけて不毛な会話をしたとき以上の、絶対的な無力感に襲われた。
 だめじゃん。
 避難するところなんて、ないじゃん。
「戒名でも考えることだ」とクールな美少女の台詞が思い出される。
 救世主至不願望至不若死師、とか、いちおう考えてみる。
 おいおい、常識的に考えて、救世主が自分の戒名を考えるってありか?

 僕は、なんだか、思いっきり笑いたくなった。
 勉強とか、就職とか、歴史とか、国際情勢とか、どんどんかわる日本の総理とか、どんなことがあったにしても、自分が死んだら、みんな終わりじゃん。
 だって、この世界は『僕が見ている夢』なのだから。
 僕は救世主である以前に、そもそも僕が死んだら、この世界は消えてなくなるのだ。
 この世界が、たくさんの人々の夢とリンクしていて、僕が消えてなくなっても、他のみんなで支えて継続してくれるとか、そういうネトゲ的な状況にはなっていないのだ。
 目の前にある、今日初めて目にしたあのラーメン屋でさえ、僕がいなくなると消えてしまう存在なのだ。
 この足下のアスファルトも、道を走っていく車も、ホームセンターで働いている社員も。

 僕は、自分に言いたくなる……「精神科の受診をお勧めします」

 ふとそこに、消防車が通りかかった。彼らは、全力で本気だった。
「津波がきます、急いでできるだけ西に避難してください、緊急津波警報が発令されました」
 僕にはその赤い車体が、動物にたとえればフェニックスの舞いのように力強く見えた。おお、同志よ。君たちは正しい。とにかくここからは全力で逃げることだ。
「おい、君、早く逃げろ!」
 あれ、逆忠告?
 僕がぼやぼやしているように見えてしまいました?
「それは失礼」
 と、僕は決戦を前にした宮本武蔵のようにつぶやき、剣を振りかざした気分になって身構え、ダッシュを始めた。
 とにかく、人を見かけたら、全力で忠告。

「逃げろ、早く」

「車ある? ここは高台がないから、車の方がいいよ」

 東に向かって走っていく車に遭遇したら、道に飛び出て両手を振る。
「津波きます、早く西に!」
 半信半疑なおばちゃんドライバーに、僕は怒鳴る。
「死にてえのかよ、さっさと行け!」
 
 孤軍奮戦していると、ふと、あれが、目に入ってしまった。工務店らしき建物で、家主が人々を「屋上に避難して」と誘っている。屋上と言っても、二階建ての建物だ。あんなところに逃げても、助かりっこないのに、その工務店の店主はこの近所では信頼されている人なのか、ずいぶん多くの人が集まっている。年寄りや、小学生くらいの子供たちもふくめて数十人はいた。

 ぼく、涙が、吹き出てきましたよ。
 今、そこで人々が、生きるということに終わりの時をむかえようとしていらっしゃるのです。

 無駄であることを承知の上で、走っていって叫んだ。
「そこじゃあダメです、車で西に逃げて!」
「バカ。車はダメだよ」
 と、人々から信頼されているらしい父親風の男性店主が即否定。
「渋滞して動けなくなる。水に飲まれたらドアも開かない。今は少しでも高いところに避難するのが正解だ。さあ、君も早く上に」
 僕?
 いいんですよ、僕なんか、どうでも。
 だって、これ、夢だし。
 でも、ま、いいでしょう。
 助けることができないというなら、せめて、ここに居合わせた全ての人を、僕は記憶に刻ませてもらいます。それが、僕にできる、唯一のことだから。

 普段は初めての人に声をかけたりするのが苦手な僕だけれど、災害に遭遇すれば、みんな仲間。目を見て「地震大丈夫でしたか?」「怖くありませんでしたか?」と声をかけていく。

 小学五年くらいの男子が「塾があるんだけど、行っちゃダメ?」と大人に質問している。
 僕は苦笑して「君、何の勉強、しているの?」と質問した。
「いろいろ」
「国語とか、算数とか?」
「まあ、そりゃあそうだけど」
「君は、勉強、好き?」
「好きってわけじゃないけど、やらなきゃいけないと思うし、算数とか、けっこう好きだけど」
「じゃあ、ここに何人いるか、数えてみようか」
「人数?」
「そう」
「えっと、むこうにいるのが6人、そっちで固まっているのが8人、佐々木さんの家族が6人、あれ、憶えられない、ちょっと待ってて」
 彼は年季の入ったランドセルから、ノートとシャープペンを取り出した。
「むこうが6人、そっちが8人、佐々木さんが6人、工務店の人たちが10人、階段にいるのが3人、あと知らない人が……7人だね。全部で42人だね」
「え? 41人じゃなく?」
「だって、僕とお兄さんも入れるから」
「ああ、そうか。ノートに書き出したのは合計40人だけど、君と僕が加わるんだね」
「正しいでしょ?」
「いや、まちがってるよ」
「どうして?」
「僕は、人数に入らないからなんだ」
「?」
 と少年は首をかしげた。
「主体と客体、っていうモンダイなんだ。でも、この話はむずかしくなるから、まあ、君の計算で正解ってことにしておくよ」
「小学生だもんね」
「何年?」
「四年」
「なんだ、五年生くらいかと思った。四年でも塾に行くの?」
「毎日じゃないけどね」
「何曜日に行くの?」
「月・水・金」
「週に三回も行くのか」
「まだ四年だから少ないんだけど」
「小学四年生で、津波か……。君、名前は?」
「りゅうた」
「りゅうたは、今までの人生でなにが一番好きだった?」
「ディズニーランドかな」
「夢があるね」
「一回しか行ってないけど」
「みんなはもっと行ってるの?」
「知らないけど、たぶん」
「今日、お父さんとお母さんは?」
「船で沖に出てる」
「漁師さんか?」
「養殖だよ」
「養殖の人は、漁師さんとは呼ばないのか?」
「正式にはわかんないけど」
 と小四の男の子は困った顔をした。
 海、ですか……
 僕は、東の方角に目を向けた。
 水しぶきが見えた。
 こんなところから、見えてしまう水しぶき。
 全くありえない位置に。
 その高さ、まるで『天空の水しぶき』だ。
 人々が驚きの声を上げた。
 すげー、とか、なんだあれー、とか。
 なぜか時間がスローモーションで、僕は周囲を見回し、一人一人を目に焼き付けようとする。
 あとから警察に人に「居合わせた人たちの特徴や衣服を教えてください」と質問を受けても、たぶん僕は多くは答えられない。暗記するのって、苦手なんです。ただ、ここにいっしょに居合わせたことの『想い』は、できる限り共有したかった。そんなことしかできないくせに、救世主を名乗るのはおこがましい話ではございますが、僕だって長年救世主をやって失敗も成功もたっぷり経験を積んでいるとか、そういうことはないわけで。ド新人なわけで。
 水の流れの最初のものは、バケツをひっくり返した程度の、常識的レベルの流れだったけれど、その後ろから木や家の隙間からあふれてくる水は、上から見ても角度がわかるくらいに、急に高さを増して押し寄せてきた。高さというか、水深というか。すぐに車が浮き、だらしなくブロック塀に押しつけられて、数台が斜めって重なった。車たちからクラクションの音が響き始めた。電気関係がショートしたのだろう。まるでこの天変地異のBGMのように「ブー」「ブー」と鳴り続ける。うるさいが、いらついてもしかたがない。あれはあれで、車たちの断末魔の悲鳴なのだ。
 と、周囲が黒い水で埋まったころ、僕は見てはいけないものを見てしまった。先ほどは『天空の水しぶき』と思ったのだが、それすら、ただの前座にすぎないほどの巨大水しぶきが、東の海辺で高々と舞い上がった。手前の二階建ての民家がオモチャのように小さいではないか。水しぶきは二階建ての家の四倍はあった。そのむこうに、悪魔のような黒い壁が見えた。まさに『黒い壁』だった。
 ただし巨大津波といえども、海から離れたここまで来る間には、水しぶきが吹き上がるような猛烈な勢いはなくなっていた。しかし迫り来るものを止めることはできない。黒い壁が近づいてくると、水位は一気に上がっていき、東の方から建物が壊され始める。家々が流れに逆らえず横ずれし、流れに乗ってべつの建物に衝突して、ウエハースのボックスのように砕け散る。ホコリが舞い上がり、火が走ったりする。そこに人が残っていないことを祈りたくなるが、そんな祈りさえ、もう意味があるとは思えない。『黒い壁』に押し流されるのは、この工務店も同じなのだ。

 祈りに、意味があるのか?
 それは、僕の最期の疑問だった。
 意味があるかないかというよりも、『意味』とはなんなのか、それがわからなくなっていた。

 ていうか、わかることなんて、何か、あるのかな?

 愛?

 正社員として働いていたときにつきあっていた清美との関係が愛というなら、それもありだとは思う。でも、それが死に際して回想すべきことかは、ちょっと疑問。セックスはしていたけど、心が通じ合った感じは、最後までなかった。もちろん、人と人が、心を通じ合わせることができるのかというと、親を見ている限り、あまり希望は持てないと思う。長年連れ添ったからといって、すれちがいとか口論ばかりしているし、愛というよりは、社会的事情によるところの共同生活って感じ。それが家庭。母親があの人である必要はないし、息子が僕である必要もない……。
 いや、それは、やっぱ、ちがうね。
 ごめん。
 
 ていうか、これは僕にとっては夢であり、ここに居合わせた人たちは、僕の夢の登場人物たちなわけだが、主体と客体は、入れ替えることができるはずだ。
 本当は、彼らこそがリアルであり、僕という存在は夢に過ぎないのだ、と。
 僕は、現実には存在しない、ただの救世主なのだと。
 みなさんを救うためだけに、ここに存在しているのだと。

 最後の流れは、渦を巻く濁流となって、建物の屋上を周囲から孤立させ、そのままフェンスから流れ込み、足下を満たしたかと思うと、今度は視界から建物が消え、濁流のまん中に人々が固まって立ちつくしているという恐るべきシーンとなった。この流れの底は、僕が目の前のラーメン屋を見ながら思考した、あのアスファルト。それが水深10メートル以上の海中に没したわけだ。ホームセンターも、消防車も、クラクションを鳴らしていた車たちも、みんな飲み込まれてしまった。消防や救急のサイレンすら全く聞こえない。ただ、見渡すかぎりの濁流があるばかりだ。
 僕は両手から光のロープを出した。左手からのロープをみんなに伸ばし、つかまるように伝えた。反対の右手のロープは、天に伸ばした。地上にあるものが全て壊されてしまうのだから、方法はこれしかない。天の何かにひっかかるよう、祈りを込めて、全力で伸ばしていく。僕が本当に救世主なら、この行為は人々を救う最後の手段となるはずだ。神が僕をここに使わしたことに意味があるのなら、救いという答えを用意していないわけがない。信じるとか、祈るとか、願うとか、そんなことは、もう、どうでもいい。ただ、自分にできることをするだけ。
 りゅうたが、黒く濡れながら、光のローブにつかまり、びっくりした顔でこちらを見ている。すごいと思うかい? ディズニーランドのヒーローみたいだって? 知らないだろうけど、こっちだって、ぎりぎりなんだ。ダメかもしれないんだ。
 絶望しかかったところで、僕のロープは、天でなにかを捕らえた。星のようだった。たくさんある。それは、そもそもこの地震と津波を起こした原因である星の集積だった。まあ、地震のエネルギー自体はプレートが移動で貯め込んだものなのだが、地震のきっかけを作ったのは、アンタたちだ。僕としては、頼りたくはなかったけれど、しかたがないこともある。まあ、ヘンなことに頼ったら、あとでそのつけを払わされるのが常だとしても、今の僕には選択枠などない。ただ、星々にすがって、激流にあがなう。すでに体力は限界だったが、この事象は、長くは続かないはずだ。最大の波はすでに到着しているようだし、これからは徐々に水位が下がるはず。それが唯一の救い。
 そのとき、ついに『足下』がなくなった。工務店の建物が、流れに負けたのだ。でも、僕は、まにあっていた。全員が光のロープの中にいる。まにあったぜ清美、と、僕があいつに言ったら、きっと清美は「そういう問題じゃない」と言い返してくるんだ。じゃあ、どういう問題なんだよ、と僕はいらつく。いらつくと、ダメになりかけた両腕に、再び力がみなぎってくる。変なもんだな。これが愛なら、それもありか。まあ、清美はもうべつの人と結婚してしまったから、いいんだけどね。救世主ってのは、だいたいそんなものだからな。苦労ばっかりして、いいところはなにもゲットできないんだ。
 ていうか、不謹慎にも救世主でありながら、元カノを思い出していらついたりしていたら、上流から家の屋根が流れてこっちにやって来た。折れてささくれ立った木材やら、切りやら釘やらが出まくっている流れる凶器から、人々を救うために、また、僕はむりをする。身体が痛い。ちぎれて裂けそうだ。すでに全身内出血しているだろう。夢で身体が内出血、というのもヘンな話だが。ていうか、ヘンで悪かったね、どうせ自分はそういう人間だから、と清美に言うと、あいつは「愛してたのよ」って、何かのドラマの台詞の引用みたいで、引用するなら出展を明確にしなくてはならない、と言い返したくなるようなバカっぽい台詞を言いやがるから、僕は再び身体に力が戻ってきた。
 そんな悲観的な思考ループをしているうちに、水位が下がり始めた。人間にたとえれば、ぴちぴちギャルの巨乳が50歳を過ぎて痩せたおかげで張りがなくなってしまいました、という感じ。おそらく山に囲まれた港などだったら、引きの濁流がすごいのだろうが、このような平地だと、人の逃げ場はない代わりに、水の逃げ場は多いので、強い引き波はおこらないのかもしれない。川とか、水が出ていくところはすごいだろうけど。今、ここは、戻っていく水の流れの速さより、下がっていく水位の方が関心事だ。黒くて全く透明度がないから、足下に何があるかわからない。ウンコがあっても、ガラスがあっても、忍者屋敷の隠しワナのように釘が真っ直ぐに飛び出ていても、誰もわからない。一番安全なのは、たぶん道だろう。水位が下がって、街路樹らしきものが一本、水の中から出てきた。あの横だ。あそこなら、きっと安全。いや、危険なものは流れてきているかもしれないけれど、たぶん、ああいうところの方がいいはず。
 なんとか足が地面についたとき、安堵して、急に寒くなってきた。
 そうだ。これ、三月の海の水だったんだ。

 この冷たさでは、じっとしていると凍え死んでしまう。水が引いたら、すぐに暖をとらないと。もう夕方。じきに日没だ。なにもかも濡れて、乾いた着るものもないし、燃やせるものなど全く何もない。流木ならいくらでもあるが、みんな濡れている。火すら起こせない。唯一の手段は、西に向かうことだろう。津波が届かなかった内陸まで歩けば、そこでなんでもできる。救助を求めるとか、乾いた服を着させてもらうとか、焚き火を起こしてフォークダンスを踊るとか。
 希望はある。
 そう思ったけれど、黒い水が膝下まで引いてなんとか歩けるようになるまでに、寒さが人々の命を奪っていった。みんなで固まって温め合っていたはずなのに、たましいが、身体からぬけていくのだ。りゅうたの小四の身体からも、小さな光が頭のてっぺんから出て、音もなく舞い上がっていった。

 たくさんの光が、何万という小さな光が、音もなく、どこか高貴な余韻を残しながら、星々にむかって、舞い上がっていく。

 みごとな、天空の光じゃないか。津波なんかより、よっぽどすごい。本当に、僕はそう思った。僕だけは絶対に、そう思い続けるから。愚民たちに言って、わかってもらえないことなんて、もう慣れっこだし。でも、みんながみんな、わからないってことも、ないと思う。きっと、今、目の前で光っているたくさんの小さな光のことを、僕なりの言葉でせいいっぱい伝えたら、きっと、わかってくれる人はいるはずだから。無駄じゃないから。僕なんか、救世主として失格で、なんの役にもたたなかったかもしれないけれど、僕は、こうして、ちゃんと見て、伝えるから。

 夢……
 しかし生身の現実の方に、夢以上の大きな意味があるかどうか、よくわからないから、僕はこの広大な破壊された大地にたたずみ、目を閉じる。
 一つはっきりしているのは、悲劇はこれで終わったわけではない、ということ。地震と、津波と、そして、もう一つ、これから大きなものが日本を襲う。

 それについても、僕は救世主なのだろうか? すでに自分の実力のなさは痛いくらい思い知らされているというのに、神さまはまだ僕にこの役をやれと? 

 どうせ夢なら、救世主はもういいから、モンテカルロのクルーザーで、絶対領域的美女とドンペリを飲み交わして「あん、さ、さすがね、すごいわ」とか言われて、僕は内心、ただ男としてやれることをやっているに過ぎないよ、女なんかみんな同じだな、とかクールに思考して、次は美女よりもむしろ普通の娘がいいな、とか、リアルの女に知られたらグーパンチものの不謹慎思考を余裕でしてしまうような、そんな王様みたいな展開がよかったのに。
 しかし現実は、というか、この夢においては、次に来るのは福島第1の爆発のはずだ。明日が1号基、そのあと、たしか15日が三号基。そして関東が大汚染される。当時、テレビでは「ただちには健康に影響がない」とくり返され、放射能が飛来することはわかっていたのに市民にはなにも告知されなかった。
 いずれにしても、チェルノブイリ原発事故と並ぶ大惨事が、これから日本で起こる。起きてしまう。

「神さま、あなたは、僕になにをやれっておっしゃるのですか」
 と、西に沈む夕日を見つめながら、心の中で語りかける。
 この現実ってやつは、神さまが送った救世主が束になったって、なにもよくなりませんよ。救世主なんて、一束300円でスーパーで売っちゃえばいいんです。そうすれば、少しは神さまの資金が潤います。

 それはそれとして、僕は、少し、疲れました。
 まだ原発のこと、なにもやってないけど、夢は無限じゃない、ってことで。
 しかたがありませんよね
 そろそろ、目覚めます。
 ごめんなさい。

 でも、みんなのことは、忘れないから。
 たぶん、それが僕にできる、唯一のこと。
 それすらできないなら、全てが意味がないということになるし。
 それだけは、必ず。
 約束します。



  
 目を開くと、横に、父と母がいた。
 ああ、父は死んだと思ってた。
 僕が救ったの?
 いや、あれは夢の中の設定、ってことか。

「よくがんばったわね」
 と母が丸い目を見開き、歯を食いしばるようにして言った。
 僕は「どのくらい眠ってた?」と質問しようとしたが、しゃべろうとすると、うまく口が動かず、しかたがないので「うん」とだけうなった。
「まだ麻酔が効いてるのね」
 と母が、横の父に問う。
「だな。口がしびれるんだろ? しかたがないよ、そのへんの手術だから」
 そのあっけらかんとした言い方、嫌いじゃないですよ。内容的に正しいかどうかは、べつとしても。
「でも、まあ、なんだ。おまえも、よくがんばったよ。悪いのはおまえじゃないのにな。でも、医者が、もうがんばらなくていい、ってさ。だから、あとは、好きなことをやれ。もう、文句は言わんから」
 てか、なんで、涙流してんだよ、父親のあんたが。そっちが泣くと、泣く気もないのに、こっちまで涙が出そうになるじゃないか。バカ。

「あとで、フルーツ、持ってきてあげるね。お汁くらいなら、いいと思うから」
 と母の愛情たっぷり発言に、それ、普通はお汁って言わないでジュースって言うんじゃないの? とつっこみたかったけれど、まあ、よしとしておく。

 二人が去ると、僕はわずかに頭の位置をずらして、天井を見上げた。顔を完全に上に向けることはできなかったので、ちょっと斜めに見上げるヘンな姿勢だったが、こういうとき、なぜか天井を見上げたくなるのが人間というものらしい。シリアルを食べるときにパッケージの説明を読みながら食べるのと同じだ。なんとなく、人間というのは、だいたい、そういうものなんだ。

 病院の天井は、真っ白と言うことではなかったけれど、ほぼ全面が白だった。何かのムラが多少みられるのが、なんだか不思議と癒される。そのムラを、月の模様をウサギの餅つきと解釈するように、なにか僕の好きな女性キャラとかぶせられないかな、顔ではなく、太ももとかオッパイでもいいぞ、と努力してみるが、そんなことを思考しながらも、内面では、確かに、思い出していた。
 ずっと父が頭を打って死ぬと思っていたよ。
 そのことで泣きまでしたんだ。
 夢の中で、だけど。
 そして、津波で光になっていったみんなのことを忘れないって、3/11の夕日に強く誓ったのに。
 約束、守れない。
ごめんね。

 現実としては、僕は救世主ではなく悪性腫瘍。
 あの春から三年。
 死ぬのは、僕なのでした。





(2012.1/17)
(2012.1/27改)