マサラさんの写真


  1

 僕たちが子供の頃、近所にサマラさんというおばさんが住んでいた。子供はなく、わりと金がありそうな、おしゃれな人で、よく高価な一眼レフで僕たちのことを写真に撮ってくれた。逆に言えば、彼女の写真作品の被写体として、僕たちは利用されていたわけだ。しかし言われたとおりに協力すると、いつもおいしいお菓子(バターの香りのする焼き菓子など)をくれるし、上手に撮れた写真は大きくプリントしてタダで分けてくれたりもした。
 親しくしていたわりには、彼女の経歴というか、人生の背景を知る機会はほとんどなかった。「昔は男で苦労したらしい」とか、そういううわさはあって、それで郊外の実家に戻ってきているのだろう、とうちの親は安易に想像していたが。

 そんな独身のマサラさんも、僕が中学に進む頃、ついに結婚して遠くに去ってしまった。ちょうど我が家では、長男(僕)の小学校卒業・中学入学というイベントに気持ちを取られていたから、マサラさんとのお別れはあまりきちんとできなかった。本当は、夏の花火や、冬の凧あげのこととか、楽しかった思い出についてきちんとありがとう、と言いたいところではあったけれど。

 そんなマサラさんが「戻ってきた」と、弟からメールをもらったのは、先月のことだ。三◯年ぶりくらいになる。実は彼女は、今回の大事故となった原子力発電所の近くに暮らしていたらしい。強制避難地域に含まれていたことから、これを機会に郷里の老人施設に入所することがきまったとのこと。
「お見舞いというわけでもないけど、一度訪ねてみようよ」
 と、弟から。
 弟のシュンは、長男の僕とはちがい、いろんな意味で真面目に暮らしている。会社に努め、結婚し、子どももいる。僕は、売れない小説を書き続けて、四十過ぎていまだに独身で、しかも子供みたいにアニメを見て喜んでいたりするのだが。

  2

 ゴールデンウィークの最後の休みの日に、僕たちは二人で訪ねてみることにした。
 老人施設の近くの駅まで僕は電車で向かい、弟に車で迎えに来てもらった。僕は最近の車の名前は一部しか知らななくて、弟が乗ってきた車に記された名前は知らないものだったが、素直なパワーのあるいい車だった。
「ありがとう。最近、どう?」
 と僕が前席のシールとベルトを探しながら質問すると
「まあまあだね。みんな元気にしてるよ」
 と弟は応えて、指でシートベルトの位置を教えてくれた。
 車を発進させると、弟は学生時代と同じように長めに伸ばした前髪を掻き上げて
「母さんが写真を持って行けって、預かってるんだ」
 と言った。なれた道らしく、迷うことなく順調に車を走らせながら。
「へー。どんな写真? 子供の頃の?」
「そういうのもあるけど、多分アッちゃんが知らないのもあるよ」
 僕のことを、弟は「アッちゃん」と呼ぶ。ひところは、大人になったんだから、とちゃん付けはやめかけたこともあるが、なんだか妙に違和感が強くて、今は子供時代に戻っている。
「どんな写真?」
「結婚してむこうに行ってすぐの写真じゃないかな。なんだか祭りみたいなやつ」
「村祭りかなにか?」
「いや、『祭り』っていうのは、皮肉だよ。原発の恩恵で派手なことがいろいろあったらしくて、そういう写真」
「社会派か?」
「見様によってはそうとも言えるけど、まあ、そんな人道的テーマがあったわけではなく、ただ、珍しいからって送ってきた、ってところじゃないかな」
「そうか?」と僕は腕を組んだ。「シュンは知らないかもしれないけど、マサラさんって実は結構、社会派だったりするんだぜ」
「そうなの?」
「一回、週刊誌で見たことがあるんだ。古いことだからはっきりしないけど、たぶん原子力発電所の写真だったと思う。そこに『写真だれだれ』って、あの人の名前があった。珍しい名前だからすぐに気づいた」
「へー、そんな仕事もしてたんだね」
「まあ、仕事ではなかったかもしれないけど。ただ、実際に編集関係の仕事はしていたみたい」
「知ってるの?」
「表向きな情報は、今じゃネットですぐに」
「載ってたんだ?」
「少しだけだけどね」
「なるほど」
「で、これから向かう施設の場所は、バッチリ?」
「ああ。よく通るところだから大丈夫。きっと驚くよ。お城みたいなんだ。ていうか、ラブホか」
「ラブホ?」
「まさにそんな感じ。いまどきの老人施設はなに考えてんだか」
「金持ち相手の商売だからなんだろうな。東京で働いている人が、田舎で暮らしていたじいさんばあさんを呼び寄せて住んでもらうパターンが多いらしい。自分で生活できるうちは田舎がいいだろうけど、動きがきつくなったら、誰かが面倒みなくちゃいけないからね」
「マサラさんも子供いないし、親や旦那がいなくなれば天涯孤独な感じだもんな」
「ああ、そうだね。元気かな」
「認知症は入っているらしい。アッちゃんは、あの人の正確な年齢、知ってた?」
「さあ」
「八二だって」
 僕は、我々が子供時代だったときの、マサラさんの実年齢を頭の中で逆算した。四◯代後半くらいか。僕には子供ながらに、もう少し若い印象があったけれど。

  3

 その老人施設は、たしかに贅沢さと奇抜さで群を抜いていた。広い駐車場には贅沢な車が並び、入り口にはホテルのようにコンシェルジュの男性が待機していた。エレベーターもあるのだが、二階、三階にはそれぞれ直通のエスカレーターがあり、人が近づくと動き始める。施設の名前も、内装も、老人施設というより、郊外型のリゾートホテルか結婚式場といった感じ。きっとカタログには「医療スタッフも一流をとりそろえております」と記されているのだろう。

 三階のフロアステーションでスタッフに「面会したいんですけど」と声をかけた。ここで対応してくれたのはライムグリーンの前掛けを身につけた、いかにも老人施設のスタッフらしい女性だった。少しほっとする。
「マサラさん、ですか?」
 と、彼女はいったん近くにいた看護師に確認してから続けた。
「朝方、ちょっと具合悪くなっちゃって、いまは病院ですね」
 僕は苦笑して「どうする?」と弟を振り返って聞いた。
「とりあえず、メモでもして、写真、置いて行こうよ」
「そうだな」

 僕たちは、子供時代にマサラさんにお世話になったことをスタッフに伝え、身分証を提示し、フロアリーダーの許可を得て、部屋に通してもらった。実は、彼女には本当に身寄りがなくて、現在も資産管理の後見人が関わっているとのこと。「もしも保証人になっていただけるのでしたら、この機会にぜひどうぞ」と言わんばかりの親切サービスぶりに、逆に僕たちのほうが警戒心を持ってしまった。

 部屋は南西向きで、広くて明るかった。西日は強いかもしれないが、ブラインドカーテンがきちんとあって(よれたりはしていない)しっかりした空調と相まって、なかなか快適そうだ。入って右奥にベットルーム、正面にダイニングもどきのテーブル、左にトイレやバスルーム。
「マサラさんの貴重品は施設で預かっていますし、どうぞ自由にお過ごしください。コーヒーでもお持ちしましょうか?」
 とスタッフの女性は朗らかな笑みを浮かべた。
「でも、待っていれば、帰ってくるのでしょうか?」
「点滴をしたら戻ってくるとのことです。多分、一時間ほどしたら」
「それなら」と弟はさっさと椅子に座り「コーヒーでももらって、待ちますか」と頷いた。

 清掃の行き届いた贅沢な個室。コーヒーも喫茶店で飲むものと大差ないホンモノ。しかし唯一、老人施設らしさを感じてしまうのは、やはり匂いだった。消毒剤っぽい匂いと、大便の匂いが、どこに行っても、受付でも、廊下でも、この部屋でも、常に混ざり合い、せめぎ合っている。
「あずかってきた写真、これなんだ」
 と、弟は肩にかけて持ち込んだナップサックから紙袋を取り出した。
 写真はモノクロだった。さすがにカラー写真が存在しないほど古い時代のことではないのだが、あくまで作品としてモノクロを選んだらしい。そのほうが説得力があると考えたのだろう。
 たしかに、普通の写真ではなかった。
 なにより『灯り』が多い。夜の街や、人波や、夏祭り風の風景が、たくさんの照明で彩られていた。その場が実際にどの程度の明るさであったのかはわからないが、とにかくやたらと光源の『数』が多い。一般的常識の三倍くらいだろうか。まるで流し灯篭の密集したロウソクの灯りのように、どの写真も光源であふれかえっている。それを、あえて地味なモノクロで撮っている。
「『祭り』って感じだなぁ」
 と僕は一枚一枚めくりながらつぶやいた。
「さて、マサラさんの人生が祭りだったのか、その頃がマサラさんにとって祭だったのか」
 その弟の洞察に、僕は急に悲しくなってしまう。祭りの人生だった人が、今は身寄りのない一人ぼっちの老人であること。それはそういうものかもしれないけれど、光にあふれた写真をこの場で見てしまうと、おもわず涙が出そうになってくる。
「マサラさんって、かっこよかったもんな」
 と僕が思いをおさえて言うと
「今だって贅沢してるじゃん。交付金かなんだか知らないけど」
 と弟は苦笑した。
「なあ、この写真、本当にマサラさんに見せるのか?」
「そのつもりで来たんですが、なにか?」
「ショック、でかすぎないかな。こういう派手派手なことって、今にして振り返ると、やっぱつらいことだと思うぞ」
「じゃあ、そこはアッちゃんが判断してよ。長男だし。マサラさんのこと、オレよりよく知ってるはずだし」
「だな。うん。考えてみる」
「ところで、この臭い、気にならない?」
 弟は周囲を探るようにか顔を振った。
「気になるって言えばそうだけど、老人施設なんだから、いろいろ臭うのは基本的に仕方がないんじゃないのかな」
「ちょっと、調べてみるよ」
 そう言って弟は椅子から立ち上がると、奥のベットルームから匂いの調査を開始した。

 僕は、モノクロ写真を数枚めくり、そこにある『祭り』の気分を引き受けてから、汚れのないガラス窓の外の風景に視線を移した。埼玉県の郊外の、住宅や木立のありふれた風景がそこにある。そのことが、無性に悲しい。
 マサラさんの人生や、埼玉県の郊外のありふれた風景に、どんな意味があるというのか。もしもそこにきちんとした意味がないとしたら、ないままで、この世を去ってしまっていいものだろうか。子どもを持つか持たないかということだけではなく、生きていたことを肯定できるような何かが、本当はほしいのではないだろうか。いや、ほしいという願望ではなく、それはむしろ絶対的に『なくてはならないもの』なのではないのだろうか。それが、ないままに終わる、ということを、シニカルに苦笑して受け止めるのが、まあ、普通の死に様というものかもしれない。体の痛みや、認知症は、そんな苦しみから本人を救ってくれるだろう。しかし、第三者である僕はどうか。その、過去と現在とにまたいだ現実を知りうる立場として、重い悲しみを引き受けなければならないというのは、とてもつらい。

  4

「いやー、すげー」
 と、急に弟の大きな声が響いた。
「なに?」
「風呂の配管だよ」
 確かに声はバスルームから聞こえた。僕は思考を中断して席を立って移動し、樹脂製のクリーム色のドアを開き、中をのぞくと、ゴキブリと格闘している弟がいた。その数がすごい。
 慌ててドアを閉めて
「なんだよ、それ」
 と僕が言うと
「洗面台の下にもう一本殺虫剤があるはずだから持ってきて」
 と弟が妙に冷静に要求してくる。
 風呂とトイレのトアのあいだにある、鏡付きの洗面台。その下の物入れを探してみたが、あるのは洗剤の類だけだった。
「ないな。洗剤だけみたい」
「じゃあ、どこかから借りてこれないかな」
「わかった」
 僕は急いで廊下に出ると、近くにいたまえかけ姿のスタッフに殺虫剤がないかと聞いた。彼女はいったんテーションルームに戻ってから、スプレー式の殺虫剤を見つけて戻ってきてくれた。ハエや蚊に効くタイプで、ゴキブリ用とは書いていなかったが、効果がないわけではないだろう。事を荒立てないよう、さりげなく「ありがとう」と伝えて、早足で戻り、バスルームへ。
 ドアを開けると、浴室に向かって屈んでいる弟の青いセーターにもゴキブリがいて、僕は慌ててそれを払いのけて、着地と同時に薬剤を集中散布した。他にも樹脂製の床に数匹のゴキブリが固まっていたので、遠慮無く薬剤を噴射。しかしこちらはすでにヘロヘロになっており、少し余計に足を動かしただけだった。
「いったいなにが起きたわけ?」
「ニオイのもとは浴室の配管だと気づいて、塩素漂白剤を流し込んだよ。そしたら、想像以上の大ビンゴでさ」
 なんだか、楽しそうだ。弟のシュンは子供の頃から虫好きだったけれど、ゴキブリの大群と格闘して楽しめるというのは、やっぱり才能かもしれない。
 配管からはいあがってきたゴキブリたちは、急角度の樹脂製風呂の壁に四方を囲まれ、弟のスプレー式殺虫剤の餌食となっていた。すでに浴槽の底は黒く染まり、死体の数は二段目へといきそうな勢いだ。ほとんどのゴキブリは殺虫剤でもがいていた。完全昇天しているものはまだ少ないらしい。
「すごい数だな。これ、つかう?」
 と僕が持ってきたスプレー缶を差し出すと、
「よかった。足りなくなるかと思ったよ」
 と弟は密室の二刀流に顔を輝かせた。
「空気、悪くなるな。換気扇入れて、窓開けてくる」
 と僕は前線の戦いを弟に任せて、サポートへと回った。

 戦いは三◯分ほどで終了。もう新たなゴキブリは現れなくなり、もがいていたゴキブリたちも全て昇天し動かなくなった。
 さて、どうするか。スタッフを呼んで片付けてもらうか。あるいは施設長を呼びつけて怒鳴りつけるか。どちらも、僕たちには気が進まなかった。この戦いは、僕達とゴキブリたちの個人的問題、と思いたかった。だから、テッシュの箱と、スーパーでもらう白い袋を探した。だいたい老人というのは、スーパーでもらってきた白い袋を一回結んで貯めておくものだ。案の定、ベッド脇にそれをたっぷり見つけた。僕は結びをほどきながら風呂に戻って、弟に差し出した。弟はテッシュを数枚重ねて、包むようにゴキブリたちの死体を持って、僕が差し出す白い袋に入れていった。
「ゴキブリって、元気だけど、軽いね。これだけいたらもっと重そうなのに」
 と僕が感想を述べると、
「足とか、かさばるからね。もしもダンゴムシや芋虫たったら、相応の重さが感じられただろうね」
 と弟はちょっとした昆虫マニアのような応えを返した
 
 僕たちは、さながら持ち込んだおにぎりやパンの食べ残しであるかのように、袋を三重にして部屋の隅のゴミ箱に入れ、浴槽をシャワーからの熱い湯で洗い流し、戦いの終了を確認した。

 大幅に軽くなってしまった殺虫剤の缶は、二本とも洗面台の下にしまった。そして何事もなかったかのように、コーヒーのおかわりを内線電話で頼んで、気分転換をすることにした。

 僕は本当は、モノクロの写真たちも、ゴキブリの袋と同じように、ゴミ箱に捨てておきたかった。それは、とても似ている、と感じられたからだ。不自然にざわざわして、エネルギッシュで。
 
「帰ろうか」
 と僕がおかわりのコーヒーを半分ほど飲んだところで、試しに言ってみると
「そうだね。やることはやったし」
 と弟は苦笑しながら、きっぱりと立ち上がった。

  5

 マサラさんはその日、点滴だけでは済まずに入院となり、老人施設にはもどらなかった、とあとで知らされた。入院先を教えてもらった僕たちは、一週間後にあらためて病院を訪ねた。
 相部屋の白いベットに横たわり、透明プラスチックの酸素マスクをしているやせ細った老女に、あのモノクロ写真を顔に寄せてゆっくり見せていくと、彼女は目を細めて、言葉なく笑みを浮かべた。その表情は、優しく微笑んだように見えたけれど、おそらくそれは体力がないからであって、本当はゲラゲラ大笑いしたかったんだ、と僕は察した。
 まるで、人生そのものがまるごと『ジョーク』であったかのように。

 そして、やっと、すっきりした気分になった。
 やっぱりマサラさんは、死ぬまでおしゃれな人だった。





 
(2011 5/24)

 



写真素材 足成