未来型電話機


  
 そして幹次の和田君が立ち上がった。
「今日は皆さん、ありがとうございます。結局、全部で32人。本当の結婚パーティーみたいになってくれて、企画したかいがありました。では、ここで新郎となられる予定の福富大地(ふくとみだいち)さんから、みなさまにご挨拶を」
 人々が拍手をし、グラスを持って立ちあがり、にやけた視線が一斉に僕に集まってしまう。
「えっと、お忙しところお集まりいただき、真にありがとうございます。いわゆる『婚約披露パーティー』と言ったら、教会で結婚の誓いをしてからの食事会だったりすると思うのですが、なんだがそういう話の前に『結婚することになりました披露パーティー』というだけで、こんなに集まっていただいて、おいおい、ホントはみんなあまり忙しくないんじゃないの、ヒマなの、とつっこみたくもなりますが、ちょうど自分の目の前に救急隊のかたもお二人いらっしゃって、仲間うちではよく知られた名物隊長というか、どんなときにもあわてない頼りがいのあるお二人なんですが、このたびめでたく……というか、自分が『めでたく』というのは、なし? わからない? まあいいです。とにかく、互いに結婚を前向きに考えている相手である菊入沙織(きくいりさおり)さんとは(僕とはかなり離れた席で立っている彼女が目が合うと頷いた)、同業仲間というか、彼女も以前は医療秘書をしていまして、小説を書きながらも医療事務として働かせていただいてきた自分としては、四人は仲間、って感じなんです。ただ、それが僕たちの知り合った理由かというと、そういうわけではなく、知っている人はよく知っていることで、こんな場で説明するのは想像を絶して恥ずかしいことですが、僕が初めてきちんと好きになった人が、彼女だったんです。中学のときの話で、そのへんの詳しいことは、自分も文章を書く人間なんで、フィクションだかノンフィクションだかにして、腹をくくってまとめたいと思っていたりしますが、たまたま最近、同窓会で再会し、彼女の旦那さんがすでに天に召されていることを知り、むかし言い出せなかった気持ちを伝えたら、こういう場を持つに至ってしまったわけです。いいのかな、こんな挨拶で?」
 僕の不安な言葉に、全員、笑いながら拍手してくれた。
「あの、みなさん、すみません、もし本当に結婚の日取りがきまったら、あらためてご案内させていただくつもりですが、今日のところは、企画してくれた幹次の和田君に感謝しつつ、『福富をうまくダシに使って飲み会、大成功』みたいな感じで、楽しく有意義なひとときを送ってくださるといいなぁと考えております」
 幹次の和田君は、小声で「さすがだね、いい挨拶だったよ」と僕につぶやいてから、全員にむかって手を上げた。
「では、乾杯!」

 パーティーが終了し、大半の人々は騒がしくJR駅の方に向かったが、やや距離のある地下鉄の駅まで歩くものもいた。僕と、救急隊の一人である関口さんと、幹次の和田君の三人。
「どうしよう」
 と、男三人だけになってから、僕はついに不安を口に出した。
「どうしよう、とは?」
 救急隊員の関口さんは、仕事がらみの知り合いというだけで、僕のことを昔から知っている人ではない。昔から知っているのは、小説仲間の和田君だが、僕が重大なことを隠していることまでは、彼もまだ知らないのだ。
「僕、まだ、あの人とちゃんと話したことないんだよ、じつは」
「はあ?」
 二人の声が裏返って調和した。
「あの人って、まさか婚約者のこと?」
「うん」
「話してないってどういうこと?」
「文字通り『話していない』ってこと」
「なんでさ」
「どうしてもダメなんだよ、緊張しちゃって」
 関口隊長があきれて笑う。
「緊張しちゃって、って、あのねぇ、君、40過ぎて、そういうこと、普通、ないだろ?」
「普通ないっていうか、福富さん、そもそも会話しないと婚約なんて無理なんじゃないですか?」
「お二人が驚くのはごもっともなのですが、いや、なんていうか、今は、ほら、メールがあるから」
 クールな大竹隊長がのけぞり、和田君がつっこんできた。
「ちょっと、そこ、事情を説明してくださいよ。たしかに今日のところは、二人は親しく会話をする機会はなかったけれど、それは婚約前の男女の誠実なマナー、って感じでいいことと思ったけど、ちがうの?」
「違わないかもしれないけど、でも、そういうマナーに甘え、今日も話をできなかったの。これ、悲しいけど、現実」
「福ちゃん、そんなに、あの人が好きなの?」 
 とアルコールで赤ら顔の隊長は僕の背を強くたたき、このふがいない男のことを『福ちゃん』呼ばわりすることに決めたらしい。
「過去形ということでいえばイエスだけど、今は、どうかと問われると、よくわからないんです」
「よくわからないって、なんだよ、福ちゃん。はっきりしろよ。それこそ、こっちがよくわからないよ。好きだから緊張しちゃってんだろ?」
「酔ってるからって、そんなにずばりと言わないで下さいよ、隊長」
「君、そういう問題じゃないよ、だってもう婚約してるんだろ?」
「まあ、少なくとも、それに近い状況であることは否定しないけど」
「説明して下さい」と和田君は、僕の繊細すぎる気弱さを察して、真顔で申し出てくれた。「ていうか、話すと楽になって、進展できるかもしれないし」
「そうかもね。うん、説明してみる。さっきも話したけど、再会したのは去年の年末の同窓会だったんだ。そこで、親しい者同士でケイタイのアドレス交換して、その親しい者の仲間に僕たち二人も入っていて、ケイタイの番号とアドレスはどさくさ紛れで交換したわけだけど、そのときはそれっきりでなにもなかった。むこうは結婚してて、高校生の息子がいるってことは僕も知ってたし。でも、半年後に機種変更したとき『アドレスが変わりました』ってメールしたら『教えてくれて、ありがとう』って返事が来て。ちょっと意外な気がした。でも、なんか、その一言が嬉しくて、『最近どうですか?』と送った。そしたら『うちのダンナが三年前に亡くなってるの、知ってた?』と。そんなこと、もちろん僕は知らないわけですよ。中学時代の共通の友人で、今でも交流があるような人がいれば話は別だろうけど、そんなのはいないわけで、たまに集まるのが好きな地元の人たちが開催してくれる10年に一度くらいの同窓会で、そこに便乗して、ちょっと会話するくらいだったから。でも、僕はすごく同情したんだ。連れ合いが死ぬって、やっぱり激しく悲しいことだろうし。でも、なぐさめの言葉を伝えるには、すこし時間が経ちすぎているみたいだったから、『僕にできることがあれば何でも言って』と伝えたんだ。そしたら『私、どうかな?』って」
「その意味は?」
 と和田君が、まるで僕が答えを用意しているかのように聞いてきた。
「知らないよ。今日の晩ご飯、カレーはどうかな、みたいな質問されてもさぁ。だから、ききかえしてやったんだ。 『僕は、どうかな?』って。そしたら、むこうは『いいよ』って。わけわかんないよね。なにがいいわけ? 主語はなに? でも、たしかに千村さんって、そういう人だったんだよね。あ、チムラというのは、旧姓ね。公式にはキクイリさんだけど、今はこういう話だから、中学時代と同じ千村さんにさせてもらうけど、なんか、千村さんって、不思議なアンバランスさのある人だったんだ。とても上品そうな見た目なのに、クラス一胸が大きくて、それでいて話すとあまり上品じゃなくて、むしろ男みたいで。いつだったか、僕が図書館で本を読んでいるときに、何かの用でやってきて、僕を見たら『私も文学少女しようかなぁ』って、スカートをひるがえしてくるっと回って。そのクールな姿が、とてもかっこよくて。ホント、かっこよくて上品そうで、賢くて、しかも胸が大きいって、普通、反則だろ。一番から九番まで大リーグスターでそろえたプロ野球チームみたいなもんだよ。クラスでも、多くの男子は、びびって、むしろ虐めてた。いわゆる『虐め』じゃないけど、好きな人につらく当たってしまう男子の感性みたいな? 僕は卒業前くらいに手紙を書いたんだけど、あっさり断られた。今にして思えば、クラスの男子が彼女の前でヘンな人間であったのと同じ意味で、僕も彼女から見たらヘンな男子になっちゃっていたからね。今から思えば、けっこう心当たりある。でも、僕って、根が悪い人というわけじゃないので、断ったこと以外にも、いろいろ手紙には書いてくれて、人生について考えあったりもしたんだ。ていうか、ごめんね。こういうことを思い出しながらしゃべると、彼女の褒め言葉みたいなのばっかりになってるよね。とにかく、あの頃はそんな感じだったんだ。で、そのクールな感じが、最近のメールでもやっぱり感じられて、なつかしくて、嬉しかった。だから、僕もこのペースに合わせよう、彼女のノリについていこう、と考えたわけ。『いまさらだけど、つきあうのもいいかも』とか送ったら『そうだね』って返ってきて。『そのまま結婚したりしてね』と冗談めかして送ったら『いいよ』って。おいおい『いいよ』って、どういうことよ。会ってもいないし、メールにしたって5、6回目のやりとりだよ。いや、理由は、まあ、なんとなくわかるよ。かつてのクールな美少女も、40歳を過ぎて子供もいるとなれば、大きかった胸はそれなりに重力に逆らえず、年相応に若さを失い、そんなときに昔から知っている善良な男性が近くにきたら、『いいよ』と言いたくなるものかもしれない。それはそうなんだけど、そんなこと、はっきりと質問するのもなんか違うと思ったし、まあ、現実的なことはいろいろあるにしても、昔から好きだった人に『いいよ』と返してもらえたら、やっぱり、正直、心の底から嬉しいわけで」
「で、婚約することになった、と?」
「いや、もちろん僕だって何度も電話をかけて話し合おうとはしたさ。でも、そのたびに緊張しちゃって。本当は、会ったり、電話をして語り合ったりすれば、今さらそんな緊張は必要ないとわかるのかもしれないけど、なにより、僕は、この中学生みたいな緊張を、大切にしたいと感じたんだね。壊されたくない、というか。で、そうなんだよ、結局、メールでことが進んでしまった。小説を書く自分としては、文章で物事が進むのはウエルカムと言えばウエルカムなんだけど。ただ、むこうは、やっぱり息子のことを気にしていた。『大さんは、そこはいいの?』って聞くから、僕だって負けずに返信したさ。力強くキーをタッチして、『いいよ』って返してやった。そこはやはり、負けるわけにはいかないからね」
「負けるわけにはいかないって、福富さん、あなたは何と戦ってるんですか?」
「いや、そもそもこれは『戦い』なんだよ。やっと、それが僕にもわかってきたんだ。結局、彼女のクールさのミナモトも、そこだった。彼女は、戦っていたんだ。それがわかったとき、僕は、この人のことを、本当に愛せるな、と思った」
「ははは、それは、よかった」
「それでさぁ、二人で会うのもなんだから、親しい人を集めてみようよ、ってなって、今日があったわけ」
 僕の長い話にうんざりしたのか、関口隊長は僕らの前を黙々と駅に向かって歩くだけ。和田君がかろうじて、ツッコミどころに間の手をさしのべてくれていた。
「なんか僕、すごい関係の幹次してたんだな」
「でも、ふざけているつもりはないし、ホンモノの関係という自信もないわけじゃない。でも、まだ、ろくに話せてない、というだけ。今日こそ、そこし話をするつもりだったけど、目が合って頷くところまではいったんだけど、会話はなくて」
「福富さんのケイタイ、あの人の番号、入ってるんでしょ?」
「まあ、いちおう」
「かけてみましょうよ。今。自分が出るんで」
 もちろん僕は渋ったが、彼はやる気だった。もういいかげん、僕の話にじれったくなっていたのかもしれない。僕が迷いながら取りだしたケイタイを、サッと強引に奪い、連絡先から菊入沙織を選んでプッシュしてしまった。
 彼女は、すぐに電話に出た。まだ電車に乗っておらず、仲間とお茶している、とのこと。あちらはあちらで女子会で、似たように『会話なし婚約』をネタに盛り上がっているらしい。
「福富さん、どうぞ。彼女です」
 と、我らが幹次クンがケイタイを差し出してくる。仲人みたいに。拒否したい気持ちと、感謝の思いが交錯する。こんなふうに近づくことが、理想だったのだろうか? 和田君を介することが、僕たちの理想だったのか? そもそも、これで少しでも『近づく』ことになるのだろうか?
「もしもし、僕です」
「ああ」
「今日は、ありがとう」
「こちらこそ」
「なんか、嬉しかった」
「私も」
「またね」
「ん、また」
 そして僕はケイタイを折りたたんで胸ポケットにしまった。
「おいおい、『またね』ってなんですか。『またね』じゃないっしょ。せっかくつながったんだからもう少し会話をしましょうよ」
 盛大につっこんでくれる和田君に、僕は感謝をこめて頷く。
「いいんだよ」
「よくないっすよ。もー。ちょっと、腹減りませんか? 焼き鳥食いませんか? 飲み直して、じっくり語り合う必要がありませんか?」
「いや。ごめん、今日は帰るよ。隊長もお疲れみたいだし。ほら、あそこの信号のところ、もう地下鉄の入り口だし」
「なんだかなー。世の中がこれでいいとは自分には思えませんけど」
「ごめん、和田君。ヘンな二人の幹次なんかやらせちゃって」
「それはいいんです。集まったのは、みんな、いい人たちだったし」
「そうだ、一つ、お願いがある」
「なんですか?」
 僕は、三人が地下鉄の入り口前まで近づくのを待ってから言った。
「もう一度、かけてくれないかな、これで」
「僕はあなたの秘書ですか?」
「いいじゃん。それだけだから。ほら、隊長も、もう眠そうだし」
「ていうか、そんなの、再発信すればいいだけじゃないっスか」
 と彼は無造作に受け散ったケイタイを操作して、沙織に電話をかけなおした。
「もしもし、あの、和田ですけど、福富さんがもう一度あなたとお話ししたいって」
 和田君自身が、自分の言っている内容の奇妙さに苦笑しつつ、ケイタイを返してくれた。
「はい、どうぞ」
「じゃあ、ここで、二人とは。今日はありがとうございました」
 部下に強制退去を命じる軍曹のように僕が手を振ると、二人は事情を察し、片手を上げて階段を降りていった。
 僕は手中の機械に話しかけた。
「えっと、今、地下鉄の駅まで歩いたところ。そして、二人と別れたところ」
「そう?」
「そっちは?」
「みんな、まだいる。でも、ケイタイ持って、出てきた。中庭。静かなところ」
 僕は歩道の脇に移動して、花壇のヘリに腰掛けた。
「僕も花壇のヘリに腰掛けた。静かな夜道。考えちゃうよ。僕たち、いろいろ、あったもんな」
「昔のこと?」
「ああ」
「忘れているくせに」
「そうでもないさ。ただ、恥ずかしいから、忘れたふり、しちゃうだけ」
「私は、話したいこと、いろいろあったんだよ」
「ああ」
「でもね、ま、いいか、って感じ。よく考えてみるとね」
 僕も、考えるまでもなくその考え方に同意見なので、すぐに「うん」と返事をした。
 それからしばらく静かな夜更けの歩道で、我々は無言のままケイタイを耳に当て続けた。まるで、言葉ではなく、気持ちを伝えられる未来の電話機であるかのように。まだ性のこともよくわからない頃から、僕たちのあいだにはたくさんの時間が降りつもっていたけれど、今になってみれば、なにもないピュアな草原のようなもの。僕もバカだけど、沙織だって負けないくらいバカだ。でも、それでいいと思ったし、もしも一言だけ、彼女に伝えたいことがあるとしたら『ありがとう』だったわけだけど、それを安易に口に出してしまうのは、気の効いたこととは思えなくて、黙ってケイタイを耳に当て続けた。
「ねえ、あなたと昔、歩いたとき、無言なのがすごく疲れた。でも今は、リラックスしてる。なんでかな?」
「不思議だね」
「私たち、大人になったの?」
 僕は考えを巡らせてから、ゆっくりと応えた。
「そう。たぶん、わりと素敵な大人になれたんだよ」
「よかった」
 僕は沙織の言葉《よかった》を、心の中心にぽっかりと浮かべて、いろいろな角度からながめ、その美しさに驚いた。
 いくつになっても発見はあるものだ。
 だから、あせらず、ゆっくりと。
「これからも、よろしくお願いします、沙織さん。……『さん』は、いらない?」
「うん」
「じゃあ、今度からそうする」
「うん」

 まあ、そんな感じ。






 
(2013 2/14)