宇宙の調べ


 
 僕たちには、その音は聞こえなかった。なぜ聞こえなかったのかはわからない。可能性は二つある。音の性質によるものなのか。それとも僕たち自身の問題なのか。
 音の性質という意味では、なによりも横川さんという40過ぎの男性が関わっている。彼は最近郊外に出来た集合シアターでポップコーンなどのスナック類を売る店舗の責任者をしている人だった。いわゆる「雇われ店長」の立場。彼はまだ結婚はしていなかったが、ほとんど結婚状態と呼んでいいほど親しくしている女性はいた。横川さんは、彼女のことを「サッちゃん」と呼んでいた。サッちゃんは映画製作会社の事務職として働く中で、まだ俳優をしていた頃の横川さんと知り合ったのだ。横川さんは生まれながらの気質として、人当たりのよい、温かい優しさを醸し出せる人だったから、比較的地味な外見でありながら、映像の仕事でも脇役として重宝がられ、一度は準主役の仕事までこなした。しかしそれが韓国資本の作品であるとネット上で告発があり、炎上して広がった。それは完全な意味で正確な指摘ではなかったのだが、いわば当時発生したべつのスキャンダルを隠すためのトカゲのシッポ切りとして事務所に利用され、結果的に彼自身も韓国系俳優というレッテルを貼られてしまった。それは事実ではなかったが、彼はそれを否定する気にはなれなかった。日本だって韓国だって、良い作品を作りたいという役者としての想いに差異があるわけではない。国籍などという表面的な事象に左右されるのは、決して良いことではないはずだ、と正義感に基づいて決断した。対外的に否定することをしなかったと同時に、その想いを恋人であるサッちゃんに打ち明けた。サッちゃんは苦笑しつつも理解を示したが、彼に一つの秘密を打ち明けた。彼女が福岡で結婚生活を送っていたときに生まれた男の子が、小学校へ上がってすぐに通学途中に交通事故で死んだ。その運転手が、韓国系暴力団員だったらしく、警察による責任追及がうやむやにされてしまった。そんな現実がいやになり、離婚し、福岡を離れて、東京に来たのだ、と。それは二人が知り合う二年前の出来事だった。たった二年しか時を経ていない立場のサッちゃんの静かな態度が、横川さんには鉄の固まりのように重く感じられた。
 やがて二人は映画製作の会社から去る決意をした。仕事関係の友人知人は多く存在したが、二人を止める者はいなかった。少し困ったような仕草をして、本当はひきとめたいんだけれどそれがいいことかどうかわからないし、みたいな態度をとりつつ、その一方で肩の荷が下りたかのような安堵感も漂わせて、うっすらと笑みを浮かべる……不思議なほど、ほとんどの人が同じ様子だった。その一様な対応から伝わってくる薄っぺらさに、横川さんは彼らを軽蔑する気持ちを持たざるを得ず、自分の決意の正しさをあらためて確信したのだった。
 彼の恋人であるサッちゃんは、もうあまり多くのことを自らの人生に求めようとはしていなかった。結婚して子供を持ったところで、死んでしまえばそれまでだ。案外、人間なんて簡単に死んでしまう。テレビは時に一人の死を大きくニュースであつかうことがあるが、たいがいの死は無視されるし、その違いは放送局や広告代理店の思惑で選択されるに過ぎない。そんな社会の醜悪さを知ってしまえば、このくだらない現実にしがみついて努力し生き続けることに、たいした意味はないように思われてしまうのだった。
 二人は安アパートに引っ越して質素な生活を始めたわけだが、その安アパートの二階に住んでいたのが僕たちだった。階下に越してきた男女の関係を、ときどき小さく聞こえるあえぎ声から察することはできたが、まさかその男性の方を映画館の売店で、カラフルなオレンジのしましまシャツを着た販売員として見かけると思わなかった。しかもネームプレートには店長と書いてあった。質素で静かなアパートの生活とは真逆の、活力ある演出っぷり。ピエロではなかったけれど、それに近いおどけかた。
 僕たちは同じ安アパートの住人として、特に親しい関係を持っていたわけではない。横川という名字を知ったのも、郵便ポストに書いてあったからだ。二階から降りる外階段が、ちょうどその部屋のドアに近かったので「横川……かま飯か」と、僕たちは勝手に納得して記憶したのだった。
 二人が宇宙人にさらわれたという事実は、もちろんいくつかの証拠によってきちんと立証できる。なにより僕たちの疑いを打ち消し得るのは、彼らが彼らの人生を、事後に説明に来たからだった。それは一月の寒い日、時間は夜6時半頃だったが、すでに日は暮れていた。空は暗いが、家々に明かりが点り、まだ昼の活動の続きが継続されている時間。僕たちがテレビもつけずにパソコンで作業をしていたとき、ドアをノックする音が響いた。
「こんばんは、下の横川ですが」
 僕たちはその名前にはすぐに思い当たったが、少し前にいなくなっていたようだし、そのことについては警察からも事情を聞かれたし、突然、ノックして現れるなど全く想いもよらないことだった。妙に心臓が高鳴り、不安を感じたけれど、街が寝静まった夜中というわけでもなく、表の道にはまだ学校帰りの高校生が自転車で走っていくような時間だったから、まあめったなことはないだろうと自分に言い聞かせてドアを開けた。

「僕たちは、宇宙人に連れて行かれて、光になりました。佐知子が、上のかたに挨拶しとこう、って」

 僕たちがそこに見たものを、言葉で説明することはおそらく不可能だ。僕たちは確かに安アパートの二階にいたわけだが、彼らを見ることで、僕たちはべつの場所にもいることがわかった。そう、彼らは『普通の人』だった。40を過ぎた男女の、良くも悪くも人生経験を経た大人らしい愛情を通い合わせる関係。しかしそれを、僕たちは一つの物体として見ることが出来なかった。彼らを見るとき、僕たち自身が二つの場所に存在していた。彼らが不透明なのではなく、いわば彼らを見ることで、僕たち自身が不透明な存在になっていたのだ。
 僕たちは、よくこういうときに人が口にするように「立ち話もなんですから、どうぞ中へ」と言いたかった。しかし『中』という言葉の意味がよくわからない。なぜなら、彼らはすでに僕たちの中に存在するように感じられたからだ。普通、『中』という言葉は、部屋の中を意味するだけで、身体の中という意味ではない。しかし事実は、すでにその実感をも、超えていた。
 そして僕たちは、横川さんとサッちゃんの人生を理解したのだ。涙が出るほど感動したわけではなかったし、退屈で眠くなるほど平凡というわけでもなかった。そんなことよりも、実は僕たちが本当に気になったのは、なぜ宇宙人が二人を選択したのか、という点だった。自分たちが選択されなかったことを残念に思うというわけでもなかったが、広い日本の中で横川さんとサッちゃんを選んだ理由、そこがどうしてもわからない。
 すると横川さんは「音が問題なのです」と説明してくれた。
 宇宙人が来たときに、僕たちには聞こえなかった音を、二人は聞いていたのだった。

 さて、そういうことがあってから、僕たちの生活に何か大きな変化があったのかというと、まったくそうはならなかった。 今回の事件は僕たちの安アパートの一階で発生したことであり、僕たちは部外者であり、ただの隣人に過ぎなかった。過ぎてしまえば、またいつも通りの日常がくり返されるだけ。
 僕はある夜、ふと思いつき、もう一人の僕に質問した。
「宇宙は、いいところかい?」
 もう一人の僕は小さく肩をすくめて「どっちもどっち」と皮肉を込めて答えた。そのように答えてから、もう一人の僕は、正体がばれたことを恥じるように苦笑した。
 僕たちが「あの音」に気がつかなかった理由が、僕にもわかった。
 それは僕がいつも聞いている音だったからだ。
 
「昔のこと、思い出しましたか?」
 ともう一人の僕が、僕に聞いた。
「それは、たしか186年前のできごとかな?」
「もっと前です。桁がいくつか違いますよ」
「それからずっと、僕はあの人を愛しているんだね」
「その、まるで何かの呪いみたいな言い方は、止めませんか」
 僕は苦笑して「愛も呪いも、この地上では似たようなものかもしれないよ」と答えた。「それにしても、アパートの一階と二階くらいの違いは、あるかもしれないけど」
 僕の悟ったような言い方を聞いて、もう一人の僕は悲しそうな表情を浮かべた。
「やはり気がつかないんですね……」
「え?」
「宇宙の調べについてです」
「はあ?」
「サッちゃんの愛、ということ」
 
 宇宙人はそんなことに興味を持つのかい?
 案外、悪趣味だな。

 しかし戯れ事を言いつつも、いつのまにか僕たちは泣いていた。
 泣いても、いいと思った。
 そこに、大した儲け話があるわけじゃない。
 ただ、いつかテレビで見たホーチミンのスコールのように。
 






 
(2014 1/29)