美しい瞬間2002



 僕は幼い子供のころ、いろんなものを捨てられずに残していた。贈答用の紅茶が入っていた木箱に入れて。
 たとえば秋葉原の交通博物館の入場券。電車の写真が印刷された紙切れが重要だったわけではなく、親戚のおばさんたちとみんなで行って楽しい時を過ごしたことが、とてもとても重要であり、その重要さにリンクしているものは、たとえ不必要な半券とわかっていても、捨てられずに保存するしかなかった。

 そうやって、なにかの行為の記録みたいなものを、いろいろ引きずってためこんできた。でも、ためこんでばかりでもいられない。大人に向かうために、いったん古いことをリセットすることができたのは、いわゆる反抗期というアグレッシブな生理反応のおかげだった。そこで、捨て去ること、思い出を絶ちきることを、経験した。

 もちろん、だれだって大人になれば『博物館の入場券』などいちいちとっておかないし、僕が幼い頃にためこんだものも、すでになくなっている。ただ、そうやって楽しい記憶とリンクしているものを残したくなる心情というのは、そういえば、人が死に際して『墓を作る』ということも、広い意味では同じタイプの行為なのかもしれない、と、ふと気がついた。

 というのも、じつは二人目なのだ。親しい人の死。あるいは親しかった人の死。自分より年下の人の死。

 先日、喪中のはがきが届いた。紳士服のDMなどとはちがうシンプルな見た目だし、そろそろそういうものがとどく季節でもあるので、ぱっと見ですぐにそれとわかった。ただ、自分が受けとったそういうものは「親戚で不幸がありましたので年賀状は失礼させていただきます」的な内容がほとんどだ。一度だけ「妹が永眠したので」という、ちょっと他人事とはいえない深刻な喪中はがきを受けとったことはあるけれど、それにしてもその妹さんと自分が会ったことがあるのは高校時代に彼の家に遊びに行ってたときにちょっとだけ、という程度のことだったし、やはり広い意味での『身内の不幸』に分類される、というのが自分なりの認識だったりする。これからも基本的にこの傾向は変わらないだろうし、今回もてっきりそんな感じだろうと軽い気持ちで文面を読んだわけだが、内容を知り、いきなり思考停止した。そこに書いてあったのは、自分が親しかった人、その『本人』の死の知らせだったからだ。ルーピーヒルのデザインをしてくれたUさんが、9月に永眠なさったとのこと。おそらく彼女と僕の年賀状のやりとりから、だんなさんが察して、喪中のはがきをこちらに送ってくれたのだ。
 
 Uさん。そういえば直近の年賀状で、そろそろ仕事(デザイン)を引退しようかな、みたいなことがちらっと書いてあった。僕は深くは考えず、たぶん子育てが忙しくなってきたんだろう、くらいにしか思わなかったけれど、それが死につながる病気のことだったのだろう。

 僕がUさんと知り合ったのは、ルーピーヒルの本を作る少し前のことだった。仕事上の付き合いだ。その頃の自分は、広告の企画などをなりわいとする個人事務所に籍を置いており、そこで発生する企画用のラフ案、パンフレット製作、新ブランドのロゴなど、デザインに関することはほとんどすべて外のデザイン事務所におまかせしていた。そのデザイン事務所のデザイナーがUさんだった。互いの事務所は原宿と青山、打ち合わせをお願いすると、彼女はいつも自転車でせっせとやってきてくれた。
 僕はじきにその個人事務所を辞めて、ネットで知り合った仲間と自費出版をした。それがルーピーヒルなのだが、デザインの話をUさんに持ちかけると、無償で手伝うこと(出世払い)を笑顔で了承してくれた。デザインからDTP版下作成まで、すべて本当の仕事のように、きっちりこなしてくださった。
 
 ルーピーヒルの本は、もちろん今も手元にある。それは今見ても、たしかに書籍編集の経験のない素人の作ったものだ。なにがどうというより、とにかく「こなれた感じ」が全体を通して全くない。もし何冊か作ってきたプロなら、こういう『雰囲気』ものはけっして作らないだろう。作ろうとしても作れないだろう。初めて感が、外見からも中身からもにじみ出ている。
 でも、だからこそ、一般の書籍にはない手作り感が、ういういしい繭のようにすっぽり包んでいる、とも言える。デザインについても、クライアントのある仕事とはちがって、Uさんなりの優しくてスッキリした個性が、ちょっとはずかしいくらい素直に現れている。

 そのころの自分たちは、なんの成功のあてもなく、ただやみくもにそれを作った。編集とデザインについては、僕とUさんがただ働きするとして、意外に高額だったのは印刷費の中の製版費用だった。ページ数の多い小説本は製版台をたくさん作らねばならない。それがたとえ本文テキストのみモノクロ単版でも、4冊分の費用となると自動車一台を買うくらいにはなった。僕はギター(村治佳織さんが愛用しているポール・ジェイコブソン)を売ったり、消費者金融のカードを新しく作ったりして、なんとかそれを工面した。トラックで印刷製本上がりの書籍の山(20冊ごとにクラフト紙で包んであるもの)がうちの安アパートに着いたときは、ちょっと衝撃的だった。4千冊の新書籍を、せっせと汗をかいて二階に運んだ。あらかじめ空っぽにしておいた押し入れに積み上げて、さらに部屋にもあふれる状況だった。もちろん現物ができあがっても、それだけでは販売ルートがないので、地方小出版という自費出版専門の配本会社にお願いして、なんとかAmazonでも通販できるようにしてもらった。書店からの注文も、期日はかかるが、可能にすることができた。

 はたからみれば、ムダなことに、見えるかもしれない。実際のところ、収入的には、どう考えても、ムダなことだった。「ムダ」という結論をハンコにつくって、ポンと押されることに、あがらうすべを僕は持たない。
 それでも、やはり作ってよかった。作ってよかったのだと、と今になって、あらためて強く思う。Uさんに手伝ってもらって本当によかった。その作品が、素人っぽい文章も、デザインも、今、ちゃんと手元にあることが、たとえようもなく、うれしい。

 正直に書くと、僕はUさんが好きだった。ドキドキしたり、つらくなったり。そういう生理的な反応は「好き」と説明するしかないものだった。
 そこにはもちろん、つきあいたいとか、他人ではない関係になりたいとか、そういう男子らしい願望がないわけではなかったけれど、しかし、それだけ、ということでもなかった。スラリとして姿勢のいい、長い黒髪とカラージーンズがトレードマークの、ひかえめで優しくて、めんどうな修正にもせっせと前向きで、ときどき小さな口からボソッと毒を吐いて眼鏡の奥のつぶらな目を細めて笑う彼女の、優しくてスッキリとした『デザイン』が好きだったのか……つまり『女性としての彼女』と、『デザイナーとしての彼女』の、どちらが好きだったのか、僕には、よくわからない。たぶん、両方であって、どちらか一方では、僕の場合は、話しが済まないのだと思う。
 
 ちなみに、我々がこの自費書籍作りをしていた頃、彼女は、もともと長くつきあっていた元カレとの、幸うすい関係を清算しようと抗っていた。相手に対しても、彼女自身の内面に対しても。そして別の真面目な人と、よき人生を送ろうと、自らを律する努力をしていた。実際、ルーピーヒルのスペシャルサンクスには、新しい名字にかわった彼女の名前が記載されている。

 元カレと新ダンナ、その間に僕が割り込む余地はなかったのか? 全くゼロというわけでもなかったと思う。
 
 なんのときだったか、詳細はもう憶えていないが、たしか仕事の打ち合わせで、二人で中央線に乗り小出張した帰りのことだった。行きは仕事のことで緊張していたけれど、帰りはリラックスして、しかも日暮れ時間の上りという、通勤とは逆の余裕ある車内で、並んでシートに座り、日が暮れたばかりの向かいの車窓をながめながら(荻窪や高円寺あたりは高架橋になっているので人の暮らす街がなごやかに一望できる)、プライベートなことや、創作やデザインのことなど、いろいろ話をした。手をにぎるとか、そんなことは一度もないながらも、心情的には、もう他人ではないような親しみと、信頼感でつながっていた。そして電車が新宿に着き、ホームで別れるとき、彼女はふと姿勢を正してたたずみ、僕をしっかりと見て、発作的に涙を流した。僕が驚くと、小さく一度頭を下げて、無理に笑みを浮かべ、羞恥心も忘れて、あふれる涙をぬぐうこともなく、彼女は苦笑した。「ありがとうございます、でも、そういうことです」と、表情で伝えてくる彼女に、僕は「わかってる、幸せになって」とうなずいた。
 
 その涙に濡れた彼女の顔が、帰宅勢の多くなったホームの中で、スポットライトを浴びたように光り輝いていた。街中でいきなり真っ白い孤高の鶴に出くわしたかのようなものだ。僕はとっさには、どう受けとったらいいかわからなかった。あふれる涙も、無理な笑みも、意味するところは、たしかに理解することができた。たぶんその瞬間、彼女は結婚相手を決めたのだ。けれども、そういった『意味』を察するのが、そのときの僕にはせいいっぱいだった。その涙の『美しさ』のことまでは、とても思考が回らなかった。

 だから、今、その瞬間のUさんは最高に美しかったと、きっちりと全力で断言する。

 最高に美しいと、迷いなくきっちり断じることができる瞬間に立ち会えたなら、人はそれだけで、ぼうだいなムダに思える行為の積み上げも、はては自分が生まれて存在したことの意味までも、一切不満なく喜びうるほど、超絶的に価値があることなのかもしれない。金を払ったり、なにか高価なものと交換で得られるというものでもない。計略や欲望で手にできるものでもない。だれかに自慢できるものでもないし、だれかから嫉妬されるものでもない。その瞬間が記録として残っているわけでもない。
 ただ、二人がそこにいたこと。それだけ。

 僕は、そういう幸せを、いただいた。

 Uさん、ありがとうでした。





(2017/11/22)(C)Naoki Hayashi