バレンタインの夢


  
 猜疑心(さいぎしん)という言葉がある。わりとよく耳にするし、自分でも使う言葉だけれど、漢字にするとやたらといかめしい。見た目からして「狭い心で相手を疑う」という攻撃的な方向性がグイグイと伝わってくる。
 ところでこの猜疑心というものは、最初から何も信頼がない状態では、意味がないものだと思う。「ただの通りすがりどおしで猜疑心」というのはヘンな話だ。ある程度は信頼し合ったうえで、というか、むしろ八割がた信頼し合っているうえで、妙に「いらっ」とくるようなことがあると雰囲気のでる言葉なのではないだろうか。

 僕がこれから書こうとしていることも、猜疑心の一つのバリエーションと言っていいと思うのだが、その前提として「信頼し合う二人の関係」というものがあることを理解していただかなくてはならない。
 僕と彼女。二人はそれぞれにアニメ製作に関わる仕事を続けながら、最近、郊外に古い農家の空き家を借りて同居を始めた。僕たちには「つきあい始めて何年」と、はっきり言えない事情があったりはするわけだが、少なくとも昨日今日つきあい始めた恋人同士というわけではない。
 そんな彼女が「バレンタイン当日は仕事で忙しいから、今日のうちに渡そうと思うの。街まで出てきて」と僕にメールをよこしてきたのが、今日の午後。
 彼女が休日を利用して久々に買い物に出ていたことは知っていたから、「荷物持ちに向かえに来てよ」という意味もありそうなことは察しがつくわけだが、なににしても『バレンタイン』という言葉を『カノジョ』から聞くのは妙に嬉しいものだ。愛されている、という意味だけではなく、そういう恥ずかしいことを女にさせてしまっていてる勝利感、というか。というのも、本当は彼女はこういった社会的風習に振り回されることをよしとはしないタイプなのだ。真の人の想いというものは、そういったことに左右されないはず、と言いきるプライド。それは彼女らしさの一面であり、魅力的な個性と言って言えないことはないわけだが、なにによらず頑固な女かと思うと、たまに今回のように女らしく社会に迎合して嬉しそうにしてみたりするところもあるのが、どうも僕にはよくわからない。まあ女なんて、我々男子には永久にわかりようのない生物なのだ、と開き直った方が話は早いのかもしれないが。

 さて、せまくるしい都会のアパートから郊外に逃げ出したのはいいのだが、田舎暮らしには当然のように不便さがつきまとう。例えば、買い物に便利な街まで、約3キロもある。「サンダルでコンビニに」みたいな都会生活とは異なるのだ。この距離を、我々は主に自転車で走る。いちおう安い小型自動車も買っていないわけではないのだが、彼女はこれをよしとはしない。「家に帰る」という気持ちの切り替えの時間を、一人で持ちたがるからだ。出かけるにしても、戻ってくるにしても、そこには精神的な変換が存在する。それは、例え愛する同居人であっても、犯してはならない絶対個人的領域というわけだ。だから悪天候などの理由がない限り、我々はそれぞれ一人で自転車を走らせる。
 彼女は言う。「自動車は、魔物よ。すごく怖い……」
 こういう奇妙な発言を、おおむね柔軟に受け取れられるのが、彼女にとっての僕のよさ、というわけだ。あまりこういう男性はいない、ということに関しては、僕にも少し自信がある。

 二月に入り、だいぶ日は長くなりはじめていた。僕は花粉対策のマスクをして、夕暮れの道を自転車で街に向かう。元々杉花粉が体質的にダメなことはわかっていたから、可能な限り現地調査をして、そういう木々が少ない田舎を優先して選んだ。だから、このあたりはさほどでもないのだが、それにしてもシーズン中はいろいろ遠くからも飛んできてしまうのはしかたがない。田舎のいいところは、コンクリートとアスファルトの都会のように、舞い降りた花粉が再び乾燥で舞い上がるようなことはない、ということだ。土に落ちれば、それまで。自然というものは、やはり理にかなっている。

 駅前の街は、小さな一角ではあったが、きちんとしたスポーツサイクルショップがあった。いわゆる「自転車屋」だが、在庫の半分以上はロードタイプで、タイヤなどのパーツやサイクリスト向けの衣類までも品揃えが充実している。我々は自動車については激安国産小型中古車だったが、自転車は二人ともわりといいものを使っていて、いつもこの店でメンテナンスをしてもらっている。
 僕は自分のロードタイプをショップに持ち込むと、後輪のタイヤ交換がてら、いつものメンテナンスをお願いした。本当は自分でいじる楽しみも大切にすべきなのかもしれないが、ここの店長にお金を払って頼んでしまうと、ブレーキやリムの調整を全て完璧に仕上げて、ぴかぴかに仕上げてくれる。プロのメンテの味、というやつだ。これを知ってしまうと、つい甘えたくなってしまうのはしかたがない。帰りは、荷物を持って歩く覚悟をしていたから、取りに来るのは明日以降で、と伝える。

 街に一つだけ存在するログハウス風の喫茶店で、彼女と待ち合わせて、ピザを食べることにした。店の看板料理であるマルゲリータがとどくまで、彼女の今日の一日について報告を聞いた。洋服選びとか、ネイルサロンとか、男子の僕には事故報告だけで十分な『女子ワールド』だった。彼女がそういったことに夢中になるのは、ある意味「僕のため」と言えなくもないわけだが、僕から言わせてもらえば、それは真空管アンプにこだわる男の趣味の女性バージョンのようなものだった。感謝はするが、嬉しいということは特にない。もちろん彼女も大人なので、そういうことはだいたいわかっている。わかったうえで、それでも誠意いっぱいに報告してくれる。ピザがテーブルに運ばれてくると、話を一段落にして、食べ始める。しかしそれも「熱いうちにね」と、ゆっくりすることなく、せっせと食べてしまう。
「さて、バレンタインのプレゼントで〜す」
 と彼女がテーブルに載せた白い手提げ袋に入っていたのは、なんと『日本酒セット』だった。
「おいおい、新築祝いじゃないんだから」
 と僕が苦笑すると、彼女は首を振った。
「おしゃれなのよ。ボトルをよく見て。発泡日本酒セット。セットと言っても、関係ないメーカーのもの三本だけど、それぞれに素敵なボトルでしょ?」
 たしかに、スマートなピンクのボトルと、ずんぐりしたターコイズブルーのボトル、そしてシンプルな透明ボトル。それぞれにファッショナブルではあった。花瓶にしても使えそうだ。
「あと、その奥に少しだけど、チョコも入ってま〜す」
「ありがとう」
「それと、あとこの洋服のだけ、持って帰ってもらっていい?」
「うん、もちろん」
「じゃ、そういうことで」
 彼女は、アイスティを一気に飲み干し、立ち上がった。
「え、もう行くのか?」
「うん、仕事だから。明日からの集中に向けて、夜道を走って、いろいろ考えたいの」
「気をつけろよな、まだ、このへん、絶対に安全とわかってるわけでもないし」
「うん、何かあったらすぐケイタイする。防犯セットも持ってるし」
「そうだけど、しかし、その、ぼーっと考え事してるのが、本当は一番悪いと思うんだけど」
「そうかもしれない。でも、リスクのない人生なんか、得るものないし。私だって、こんな日はあなたと手をつないで帰りたいとは思うけど、それで集中が成り立つかと言えば、やはりそうではないわけです」
 僕は彼女と握手をしてから、優しく言った。
「わかっているよ。グッドラック」

 店を先に出た彼女が、手袋をつけて、愛用のマウンテンバイクにまたがり、僕に手を振って去って行く。子供の頃から運動は得意ではなかったと言うが、自転車で走り去る姿は、なかなかスポーティだ。OLのお姉さんがパンプスとでママチャリ通勤するような姿とは根本的に異なる。たとえ彼女を襲おうとした男がいたとしても、適切にギアを切り替えて本気で走り去る彼女に追いつけるやつは、まずいないだろう。ショートコートに眼鏡とマスクをした彼女が、LEDライトを点滅させながら国道に向かって高速で下っていく。
 その姿を見送りながら、僕は彼女が残した買い物袋を探ってみた。甘いものを食べたいと思ったからだ。チョコなんて、本当に入っているのか? やはり、素直じゃない。彼女が用意していたのはクッキーだった。薄い角形クッキーが、チョコクリームを挟んでいる。苦笑しつつ、透明の包みを開いて食べてみると、意外にもしっかりとチョコの味がした。余韻は、明らかにチョコだ。彼女らしい、ちょっとひねくれたプレゼント。
 僕はコーヒーをおかわりして、持ち歩いていた小型ノートを広げて、この「クッキー→チョコ」の変換を作品に活かせないかと、イヤらしくも創作応用型の思考をしばし続けた。

 僕は帰りは歩こうと思っていたけれど、このくらいの荷物なら自転車でも帰れそうだった。やはり愛用の自転車は、できることなら手元にあってほしい。閉店しかけたショップに声をかけて「やっぱり今日は持って帰ります」と、わがままを言ってしまう。「まだタイヤ交換しかしてませんけど」とのことだけれど、それだけでもずっと走りやすい自転車に変わることを僕は知っている。新品のタイヤは、しなやかに路面を受けとめる。
 
 荷物が多いので、自転車にはまたがったけれど、まあ、のんびりと。

 それにしても、僕と彼女の関係って、なんなんだろう。
 一般的な意味では、あまり恋人っぽくはない、と言っていいと思うが。

 そもそも「一般的な意味での恋人関係」とはどういうことだろう?
 生物学的には、二段階に分類される、という話を聞いたことがある。最初の二年はラブラブなのだ。これは初産に関わる状況なので、妊娠から出産、そして初期育児までのあいだ、ラブラブのべたべたで男は女を守る。しかしその魔法は長くは続かず、二年ほどで消えてしまう。いつまでもラブラブべたべたでは生産性に支障をきたしてしまうからだ。その後は、恋人というよりも、協力し合う家族という位置づけとなる。いわゆる夫婦ってやつ。べたべたではなく、むしろ精神的に近すぎることにより小言やケンカは発生するが、それでも唯一無二の関係として、まったりと継続していく。
 今の自分たちが、このどちらに当たるのか? たぶんどちらも正解ではない。その理由となっているのが、我々は共にクリエイターであり、「一人の人間である」という立ち位置が、精神的に必要不可欠ということ。我々なりの誠実さとして、作品は現実を凌駕する。ここが、受け手と作り手の違いだと、僕は信じている。ユーザーは、何よりも自分の生活があったうえで、その作品を楽しめばいいし、そこが逆転してしまうのは、むしろ病気といっていいほどのことになってしまうが、作り手はそうではなく、現実を越えるリアリティを作品の中に見いだし、育んでいくことが基本であり、それなしには仕事になりえない。「でっち上げたもの」と簡単に見透かされてしまうようでは、お金をもらえる仕事とは言えないのだ。要するに「本気さ」が必要ということ。それがなくては話にならない。作品という仮想世界に本気さをぶつけるとなれば、実際の我々の生活(こちら側の日常)は、何らかの犠牲を強いられることになる。それはもう必然なのだ。もちろん人によっては「そこをコントロールするのがプロの仕事だ」とクールに説く人もいるけれど、僕は(そして彼女は)そのように要領よくやっていくことはできない体質なのだ。

 では、僕は、彼女を愛しているのか? 好きなのか?

「はい。もちろん」と、素直には、答えられない。愛していないわけではないと思うが、一般的な意味での愛とは違うと思うし、そこは誤解してほしくないところなわけで、だから話は簡単ではない。
 
 極論してみよう。たとえば、僕は、こんな彼女を許せる。
「私はあなたのことを愛していない」

 それが本当だとしても、それはそれで彼女の有り様の一つなのだ。否定したってしかたがない。愛していない、嫌い、別れる、それもまた、肯定する。それらを肯定したうえで、それでも僕には、彼女以外の関係は考えられない。
 
 いや、話をわかりにくくしてしまった。もっとシンプルに考えよう。

 作品は、現実を凌駕する。だから、もしも作品の中で本当の恋愛を作り上げていれば、僕たちのリアルの関係は、作品に負ける。作品の気持ちの高ぶりの嵐に比べれば、現実的な生身の関係など小さなものだし、感情としては「もう愛していない」という事実となりうる。
 でもそれは、そのときの感情が「愛していない」という事実に直面するだけの話であって、それ以上でもそれ以下でもない。

 究極的に、身体は、こちら側にあるのだ。

 人としての愛の有り様を、生産のためのビジネスとして利用し、男女の愛の神聖さを陵辱している。こんなことは、正直に言ってしまうと『罪』だと思う。けれども罪だからといって、クリエイターである僕たちは、それを犯さないわけにはいかないのだ。そして、この罪の意識は、実は恐ろしく早い段階から自覚していた。僕も、彼女も、中学時代には、はっきりと。

 共犯者。
 それが僕たちにふさわしいネーミングかもしれない。しかも一回では終わらず、何らかの鉱脈と悟れば、とことんえぐり続けていく。リアルの相手が傷つくことなど気にしてはいられない。むしろ実験的な意味で、リアルの相手をとことん傷つけてみて、そこから何かを得られるとしたら、それも仕事の一部なのだ。

 だから僕たちは、せめて、仕事自体を清いものに保とうとする。作っていくものが清く正しく日常的であれば、たとえ現実を凌駕しても、現実の方がぶちこわされることはなく、平たく言えば、別の現実のレイヤーにシフトチェンジするだけ、となるはずだから。

 これは、甘えだ。本当にそう思う。作品を楽しみにしている多くのユーザーは、そんな平易さは望んでいない。

 でも、僕たちは、仕事に対する基本の姿勢がシリアスであるだけに、甘えはしかたがないもの、と考えている。パンパンの筋肉で武装したマッチョな精神力を持っている人たちなら話は別だろうが、僕たちは、あまり強くはないし、逆に、弱さこそがコミュニケーションツールとなっているくらいだ。はかなく弱いものの、いとおしさ。それもまた、創作においては『武器(ウエポン)』のひとつなのだ。

 今、何かに飛び込もうとしている君を、僕は応援する。
 でも、それは「がんばって」と声をかけることだけではなく、僕自身が裏切られて、傷つけられることまで、必然的に含んでいることを受け入れる、ということである。

 もちろん、おたがいさま、なんだけど。

 さあ。考えながらだと、3キロの夜道も短いものだ。僕は明かりのついた古い木造の納屋に自転車を停めて、いつもの玄関に向かう。部屋からの明かりが磨りガラス越しに見える。確かに彼女は帰ってきている。僕たち二人しか暮らしていない家だから、明かりがつき、物音がしていれば、それは僕か彼女かのどちらかしかない。
 僕は、目を閉じて、たたずんでしまう。
 喜びと、怖さ。
 身近さと、埋められない距離。
 好きという想いと、理解できない男女の関係。
 
 でも、そういった様々な感情や思考に溺れそうになりながらも、僕は「我が家」に明かりが灯っている嬉しさに満たされていた。
 がらっ、と妙に日常的な雰囲気を醸し出して玄関を開けると、彼女が首をかしげて立っていた。
「あら、幽霊ごっこ?」
 と彼女は、なかなか入ってこず、入ってきても無表情の僕を皮肉ったらしい。
 僕は、一回、鼻をすすって、土間に視線を落とした。
「僕は、いつまで、君と一緒にいられるんだろう」
「永遠じゃないの?」
「それは違うと思うな、残念だけど」
「私を泣かせたいの?」
「いや、そういうことじゃないんだ。クッキーサンドは、ちゃんとチョコの味がしていた。美味しかったよ。ありがとう」
 これから始まる小冒険に向けて、愛の担保を受け取ったし、その意味を理解していることを彼女に伝える。
 彼女はホッとして、頷いた。
「静かな夜よ、私たちの」
 それは彼女らしい、少しかすれた声だった。
「君は、僕のことを見ていない。僕は、君のことを見ていない」
「それは、あなたが昨日書いた原稿ね?」
「現実は壊れやすいんだ」
「うん、知ってるよ」
 
 僕は玄関を閉めて、手に持った荷物を上がり口の縁に丁寧に置いてから、彼女に向き直って、両腕を彼女の身体に回して抱きしめた。
「プレゼントのお礼として、何か望みはない?」
 と聞いた僕の問いに、彼女はナチュラルに答えた。
「キス」
 
 この瞬間が、永遠であればいい、と願った。今だけで終わるのではなく。夢や幻のように消えてしまうのではなく。

 しかし人間の思考というものは、本当に不思議なものだ。
 夢や幻のように消えてしまわないことを願った瞬間、実は、全てが夢であったことに気がつく。

 僕は自室のベッドに寝ていた。それが『こちら側の現実』だった。
 夢オチかよ、と悪態をつく間も惜しんで、記憶が消え去っていかないように、あわてて回想していく。さながら時間制限のあるバーゲンに押しかけた主婦のようにバタバタと。郊外の家のこと。夜道のこと。自転車のこと。バレンタインのプレゼントの発泡日本酒と、チョコクリームサンドクッキーのこと。

 僕は最後に、質問を口にした。
「君は、何が望みだい?」
「抱きしめられてキスしてるときに、その質問は、ちょっと」
 彼女は首を横に小さく振ったまま、身体が透明となり、僕の腕の中から消えていった。

 没入した小説が想定外の場面でいきなり終わったときのような、あるいは四車線のハイウエイが行き止まりになってその先には農道すらないような状況に出くわしたときのような、やりようのない重い気持ちが残ってしまう。

 現実に意識が戻り、夢の全体をふり返ったとき、
「静かな夜よ、私たちの」
 そう言った彼女の、少しかすれた声が、意外にもはっきりと耳に残っていることに気がついた。

 静かな夜であること、それだけが、僕たちを永遠へとつなげていた。





 
(2013 2/14)