Veranda


 今夜の我々は少し贅沢してロブスター料理を食べて、その幸せの余韻をかみしめながら、ホテルのベランダに出て、遠くの潮騒を聞きながらお茶を飲んだ。簡素なものだが、椅子とテーブルのセットがあったので、ハーブティとキャンドルを用意して。


「あのさぁ、反動と言うのもなんだけど、僕は豊かで幸せだと、逆に豊かで幸せではないことを言いたくなる」
「例えば?」
「最近思い出した子供の頃の記憶なんだけど、よく親と車で買い物に行ってててね、駐車場が見つからないと、線路沿いの道に停めてたことがあるんだ。そこだと列車が通るのが眺められて、わりと退屈しないし」
「車の中で待ってたの?」
「そうだね。母親が買いに走って、父親と僕たち子供は車の中で」
「で?」
「そのころは、まだよく貨物列車が走っててさ、ときどきすごく長いのが通るんだ。それをみんなでカウントするわけ。ひとーつ、ふたーつ、って。十両ぐらいだと物足りなくてハズレの気分だったけど、二十両を超えると嬉しかった。『24もあったよ!』って」
「それ、貨物の専用線というわけではなく?」
「うん。普通の『国鉄』の線路。まだ宅急便なんかなかった時代だからね」
 僕は白いカップのハーブティを口にふくんだ。やわらかな自然の甘みが広がる。
 テーブルの上には淡いパープルのキャンドルが風に揺れていた。
「この記憶で問題なのは、僕はいつも『寂しかった』ってことなんだ」
「え?」
「列車の数を数えて、楽しそうにはしゃいでいたはずなんだけど、でも、心の中は、ね。だって、僕にできることは、通り過ぎる列車を『見送る』だけだったから。僕は、家族と一緒にいることが嫌いなわけじゃなかったし、幸福な安らぎも自覚していたけれど、でも、ガタンガタンと重量を響かせて通り過ぎる列車のように、遠くに行けるわけじゃなかった」
「遠くに行きたかったの?」
「いや、うちの親は、むしろ旅行好きでね。家族でどこかに行くってことはよくあったんだ。でも、そういうこととは少し違う。『国鉄』の重い車両が通り過ぎていくってことは、うちの軽自動車で家族旅行することとは、何かが違っていた。そして、それは、超えられない『壁』のように感じていた」
「あなたは、もう『壁』を超えた人よ。……違う?」
「少しね」
 僕は苦笑して、部屋からの明かりや、キャンドルの明かりに浮かび上がる、彼女の目を見つめた。
「あえて誤解を恐れずに言ってしまえば、僕たちには、最初から『壁』なんか、なかったんだ」


 ハーブティが冷め、夜気が少し寒く感じられてきたので、僕は椅子から立ち上がり、彼女を手招きした。立ち上がった彼女を片腕で抱きしめ、ベランダの手すりにもたれて、暗い海を眺めた。
「あなたに関係あるかどうかわからないけど……」
「なに?」
「夢で『泉のそばに大切なものがある』ってお告げがあったわ」
「お告げ?」
「神さまじゃなくて、私の仕事仲間の一人だけどね。ときどき、いいこと言う人なのよ」
「探しに行く?」
「心の問題よ」
「わかってる。明日、参考にさせてもらうよ」
 

 ガタンガタンと重量を響かせて通り過ぎる列車。
 その『時間』という止まらない何かに、押しつぶされそうになる。
 この瞬間が、永遠であればいい。けれども、永遠ではないことを知っているから。

 反動。

 過ぎ去っていく『今』が、激しく愛おしくて、僕は彼女を抱きしめた。




(2008 3/5)