冷たく暗い冬がゆるんで、この海辺の町にもようやく温かな日差しが戻ってきた。そんなお昼どきに、彼はウグイスの鳴き声を聞いた。ちなみに『彼』というのは、老いた犬のことである。名前は特にない。飼い主から「おい」と呼ばれると、それだけで用は足りるので、それを特に不満に思ったことはなかったのだ。
 見回せば、まだ木々の枝振りは冬のままで、みずみずしい新芽がでているような木は全く見当たらない。ずいぶんと気が早いウグイスだ。彼は声の主を探り、歩いてみることにした。
 菜っ葉畑の奥、農家の庭先にある梅の木にとまって、やつは鳴いていた。白い花が満開だ。さほど大きな梅ではないが、整えられた枝振りは中々味わいがある。近くに赤い梅も数本、並んで咲いている。
 おいおい、いささか、絵になりすぎているではないか。そもそもウグイスが鳴く正しいシーズンは、桜の季節のあとではなかったか。これはひとつ、説教でもしてやらねばなるまい。
 そう考えた老犬は、ひょこひょこと痩せた身体を揺すって、畑の脇から梅の木の元までやってきた。見上げると、ウグイスと目が合う。彼はここで、きちんと吠えておこう、と思っていたわけだけれど、ぴちぴちとした若々しいウグイスの姿を見てしまうと、急に気持ちがなえて、吠える代わりに、賢者のようなため息をついて、まあいいわい、と、その農家をあとにした。

 帰りの道は、なだらかなくだりで楽だった。くだりついでに、海辺まで出てみることにした。人影のない静かな砂浜だ。その砂に足を踏み入れると、昼の光で温められていて、とても気持ちがいい。いつもの防波堤にむかう。その近くならば、コンクリートでも、砂でも、どちらでも状況によって選べるからだ。とりあえず今は、風が弱いので、サラサラとやわらかな砂の方にする。
 しばらくは、ここで時間をつぶそう。
 いったんはきちんと座って、遠くの海をながめたりしてみたが、身体の節々が痛いのと、やっばり砂のぬくもりを全身で感じたくて、人目を盗み、ごろんと横になった。少しでも風が吹くと目に砂が入るのが困ったところだが、目を閉じて、匂いや音で世界を感じてみるのも、悪くない。

 そもそも彼は、海が大好きというわけではなかった。彼の飼い主は大学の先生で、いちおう社会学者ということになっていたが、音楽が趣味で、金さえあれば大きなオーディオ機材を買ったり、音楽CDを買ったりしている人だった。おかげで彼は、うんちくを傾ける飼い主とともにカウチでそれを聞かされ、すっかり音楽に詳しくなっていたが、そのことは別に犬にとって役にたつことでもなく、まあ、それが彼なりの生き方だった、と思うしかない。
 先生は、彼を連れてCDショップに行く。散歩コースなのだ。そこで注文の品を受け取るときに、いつも「領収書をください」と言う。おそらく大学の先生として、学問に寄与するものであるから経費で落とす予定なのである、ということを店の人に暗に主張したかったのだろう。しかし、帰ってきてみれば、その領収書は、いつも『領収書入れ』に重ねられて、たまっていくだけなのだ。本当は、領収書というものは、どこかに提出してこそ意味があるはずだが、そういうことは一度もなく、まるで何かの記念品のように、ただただ、たまっていく。カーボンの渋い匂いのするCDショップの領収書というものが、年月をかけて少しずつたまっていく様子は、なにかもの悲しく感じられた。なぜこういうことをするのかわからないが、そもそも先生は悲しい曲を聴くことも好きな人だったから、なにかの思惑は、あの人なりにあるのかもしれない。

 彼は、犬として、海は、ことさら好きというわけではなかった。知り合いの猫たちは、とにかく生の魚が大好きで、海と共に暮らす意味が多分にあるのは明らかだったが、犬というものは、生でなければ魚ではないとか、そんなことを気にする方でもなかったし、まあ、食べてみて美味しければそれに越したことはないが、それが海とリンクする嗜好というものは、特に持ちあわせていなかった。
 むしろ、犬にとって、海は、匂いの宝庫だった。そういう意味では、退屈したことがない。匂いなんかで腹が充たされるものか、と猫たちはバカにするだろう。それは、まあ、そのとおりなのだけれど、しかし、なにか遠くから、たぶん自分が犬である以前から、そっと寄りそい続けてきてくれたような、そんな心持ちがしてしまうのだ。その本当の意味が何かとか、具体的なはっきりしたことを指摘できるわけではなかった。ただ、それは最初の瞬間から感じたことだった。先生と初めてこの町にやってきて、この砂浜に腰掛けて海をながめたときから。思えば、先生がよく口にする、ある女性への気持ちの、多少なげやりだけれど、常に変わらぬ信頼感が伝わってくる独り言にも、なんとなく通じるものがあったかもしれない。海の匂い、というものは。

 本当は、海で捕れる魚も大好きで、しかも匂いも大好きとなったら、言うことはないが、それほどぞっこんというわけではない。たとえば、これが、どこか別の場所であったとしても、それはそれ、と思う。正直、飼い主があの先生でなくても、ちゃんと気づかってくれる人なら、べつに、それもそれ。ただ、自分の場合は、音楽が好きな先生と、時間を越えたような気持ちになれる不思議な海の匂いに囲まれて、なんとかここまでやってきた、というわけだった。
 そして気がついた。海辺に来れば、悲しくない、ということに。
 彼は目を閉じて、海の音と匂いを感じながら、再び覚めることのない眠りについた。





写真素材 足成

(C)NaokiHayashi2012





ある春の死