エスケープ



 五月の雨上がりの午後、仕事の用事が早めに済み、新宿の書店でぶらぶらと本を見ていたら、『逃げる』という言葉がやたらと目についた。特に、今の若い世代向けの本に。そうか、みんな逃げてるんだな、と思ってしまった。

 もちろん昔から『大人の社会と若者世代の断列』みたいなことはあるし、それ自体を良いか悪いかと言っても始まらないと思うけれど、少し前まではダメモトでも『ぶっ壊そう』という意志がはたらいていた。オレたちの居場所がない、こんなの嫌だ、壊してやる、と。それは安定した大人の社会にしてみれば、迷惑行為の場合も少なくないかもしれないけど、自分たちなりの新しい何かを造っていこうという前向きな意志は、確かに働いていた。

 けれど、最近はそうはなっておらず、上からの押しつけがあまりに完全で強力すぎて、戦いを放棄して逃げるしかない、とりあえず逃げながら自分のことを考える、という生き方が主流になっているらしい。




 これから僕が書くのは、悲しい話だ。ショートストーリーにはいろんな余韻があるものだけれど、これは『涙』で終わらせたい。全ての人が『涙』を感じることを期待したい。




 もう四、五年ほど前になるのだが、ひょんなことから高校生の英語を教える機会があった。僕など、学校の英語は超ダメダメで、テストのたびに赤点だったけれど、大人になってから英会話学校に学んだおかげで、かなりできるようになっていた。英語で話すのは好きだし、センター試験くらいならさほど苦労なくこなせるようになっていた。

 それは某グループでのアメリカ旅行の途中だったのだ。僕は通訳代わりということで安く参加させてもらい、トイレが詰まっていることをホテルの人に伝えたり、電話で公園までタクシーに来てもらったり、というような役割をこなしていた。そういうことをわりとスイスイこなす僕を見込んで、いっしょに参加していた女子高校生が「夏休みの英語の宿題手伝ってください」と言ってきたのだ。
 高校の英語なんて赤点ばっかりの僕が教えちゃっていいのかな、と思ったけれど、そういう過去があるだけに、頼られると特別に嬉しかったりもした。帰りの飛行機での退屈な時間の半分は、彼女との英語学習についやした。

 彼女が取り組んでいたのは、長編小説の読破。テキストは映画にもなった有名な恋愛小説だった。学生運動が盛んな頃のアメリカで、超リッチな男子学生と貧しい女子大生が恋に落ち、親の反対を振り切って結ばれようとするけれど、最後は彼女が癌で死んでしまう、という『泣かせる恋愛ストーリー』の王道のような展開。
 完全なオリジナルではなく、第二言語としての英語学習用に簡易な表現に直したもののようだったが、かといって子供用というわけではなく、ボリュウム的には原作とさほど変わらず、表現の細部が語学学習者用に易しくあらためられたものという感じだった。僕はたまたまペーパーバックも買うほどよく知っている作品だったので、多少のアドバイスはできるかな、といっしょに取り組んでみた。

 作品は、確かに、悪くない。主人公の二人が最初は険悪なところも、妙にリアリティあるし。
 
 問題は『問題』だった。テキストは英語圏の本だったが、日本語の小冊子が差し込んであって、そこに設問と答えが書かれているのだ。テキストを読み、設問と回答に目を通しておく。夏休み明けに学校でテストがある、という段取りだった。

 日本の試験というものは、国語でも英語でも「以下の文章を読んで設問に答えない」というスタイルで、このことに疑問も持ったことのない人が大多数かもしれないけれど、限度というものがあるだろ、と僕はいつも思う。

 そこにあった設問。

「二人が恋に落ちたのはいつですか」

 小冊子の末尾に載せてあった正解はこう。

「スケートセンターで二人の目が合ったとき」

 
 はあぁ?


 いや、まあ、スケートセンターで目が合ったときもドキッとしたかもしれないけれど、その前に図書館で会ったり、いろいろしているわけだし、そもそも人が異性を好きになるのは、目が合ったからとは限らないし、目が合ったから恋をしたなんて、そんなこと誰も断定できないだろ。最新の精神科医や恋愛哲学を持ってしても、恋に落ちた瞬間を「スケートセンターで目が合ったとき」と断定できる研究成果など、あるわけがないだろ!

 しかし、なによりも問題だと思ったのは、この設問で「スケートセンターで二人の目が合ったとき」以外の答えをすると『不正解』になることだった。本当は出会った瞬間から特別な関係になることを予感していたかもしれないし、声を聞いたときに特別な人だと意識したかもしれないし、女性の胸元のふくらみやリッチマンの着ている服にクラッとしたかもしれないし、そういうことはケースバイケースだし、人によってそれぞれだし、それぞれに心の感じ方や恋愛の進行があるはずだ。いろんな想像をして小説は楽しめばいいはずだ。

 ところが正解は「スケートセンターで目が合ったとき」であり、それ以外は×。

 理屈は、おそらくこういうこと。・・・出会った頃の二人については、恋愛を意識した記述はなく、「恋に落ちた」と書いてある直前の遭遇が「スケートセンターで目が合ったとき」だから、ここが恋愛発生点になります。

 たしかに、人間の感情など全て無視して、記号の集積として文章を読み、「以下の文章を読んで設問に答えなさい」の指示通りに、『以下の文章』以外の可能性や想像をスッバリと切り捨てて、その文章の中だけでロジカルに思考したら、そういう答えになるのかもしれない。

 しかし、そんなことのために小説があるわけではない。この作品をそういうふうに読むことは絶対に間違っている。

 僕は心底あきれて「スケートセンターで目が合えば、人は恋に落ちるのか? あり得ない。こんな設問、バカじゃねーの」と嘆いた。
 しかし、女子高校生の反応はいたってクールだった。
「別にいいの。テストだから」
「はあ?」
「学校のテストってこういうのばかりだし。いちいちモンク言っても始まらない。点が取れれば、それでいいの」
「本当に、それでいいのか?」 
 彼女は肩をすくめて「仕方がないもの」と、世の中はこんなことばかりよ、なにをいまさら、という表情をした。

 これが日本の現実。
 僕の世代がなんとかしなくちゃいけない状況。
 けれども今の僕はなにもできない。


 新宿の書店を出てから、たくさん人々の声や靴音や音楽やアナウンスがドロドロのシチューのように溶けあう雑踏をぬけて、郊外に向かう電車に乗り、少しずつ視界が広がっていく風景を眺めながら『逃げる』しかない今の若者のことを考えていたら、僕自身が一人の大人として、なにも世の中を変えられていないことに気がつき、急に目に涙があふれてきたよ。

 ごめんなさい。


 






 
(2009 5/9)