花火大会の思い出

「あのさ、女の子と花火大会を見るの、初めてなんだ」
 と正平は友香に言った。
「本当かなぁ」
 白地の爽やかな浴衣(ゆかた)を着た友香はいぶかしげな顔を正平に向けた。
「もちろん、その気がなかったわけじゃないんだ。でも、なぜか縁がなくて。結局いつも一人で見てた。一人で見る花火も心にしみて悪くないんだけど、でもやっぱいつか誰かと見たいと思ってたよ」
「よかったね。今年はちゃんと可愛い女の子と一緒に見れて」
「可愛い?」
「あの、文句あります? 120パーセント可愛いと思いますが、なにか?」
「まあ否定はしないけど」
「けどぉ?」
「いえ、すみません、やっばり可愛いです、ホント、マジ」
「それ、なんだかむりやり言わせてるみたい」
「つうか、むりやり言わせていると思うんですけど」
「はぁ?」
 友香に腕を引っ張られた正平は、あわてて付け足した。
「だって、それ、かなり似合ってるから、ドキドキしちゃってさ。素直に可愛いって、言えない感じなんだよね」
「もー」と友香は首を振った。「良いんだか、悪いんだか」



 正平は就職のために東京に出てきてから広い土手のある川の側に住んできた。その川縁では毎年八月最初の土曜日に、大規模な花火大会が催されるのだ。
 その日は夜七時頃から、ずしんと大地をふるわせるような音や、パラパラとなにかがはじけるような音が挑発的に響いてくる。アパートの窓からはビルが邪魔で見えないが、前の道路に出ればはっきりと見えるし、十分も歩けば見上げるような角度になる。さらに人混みを気にしないで突き進めば、打ち上げをしている川縁までもさほど遠くない。
 正平は友香と歩いて土手まで行こうと考えていた。そこで座って見てもいいし、さらにもう歩いて川縁の仕掛け花火が見れるところまで行ってもいい。まだ始まったばかりだ。終了までは一時間以上ある。



「花火を見るとね」と友香は暗い土手に出ると、まじめな顔をしてしみじみと語った。「死んだおじいちゃんのこと、思い出すの」
「なんで?」
「なんでかな」
 二人はお互い腕を相手の腰にまわして、身体をくっつけて歩いていた。正平はときどき漂ってくる友香の髪の匂いにうっとりとした。シャワーを浴びた後だったし、さわやかな夜風に吹かれて抱き合って歩くのは幸せなことだった。
「正ちゃん」と友香が言った。「これ、大切な話なの。まじめに聞いてくれる?」
「もちろん」
「あのね、おじいちゃん、ガンで亡くなったの。そもそもいい年だったんだけど、末期ガンってことで、最後はずっと病院にいたの。ちょうど夏だったんだ。私、夏休みだったし、毎日お見舞いに行ってたの」
「学生のときの話?」
「そう。高校のとき。おじいちゃん、いい人でね。ちょっと気むずかしいとこもあったけど、私にはやさしかった。男には気をつけろよ、とか、そんなこと、よく言ってくれたっけ」
「僕からも言っとくよ、男には気をつけろよ」
「でね」と友香は正平のボケを無視して続けた。「最後の頃はもう喋るのもおっくうになってて、あんまり話もしなかったんだけど、ある日ね、私に、なにか言いたがってるわけ。なに言ってんだかわかんないんだけど、とにかく、なにか」
「弱ってて声もよく聞き取れなかったんだね」
「そうなの。痛み止めのせいもあったのかもしれないけど、まあだいたいぼんやり遠くを見つめているようなことが多かったんだけど、そのとき、なにか言いたがってて。う、う、えーき、とかって。私、わかんなくて、看護婦さんにも聞いてもらったんだけど、よくわからなくて、お母さんが来てから、まだなんか言ってるから、聞いてもらったのね。そしたらね、ステーキだって」
「ステーキ?」
「そう。実はね、心当たりはあったの。曾おじいちゃんもそうだったんだって。死ぬ前にね、猪が食べたいって言って、わざわざ猪をさばいてもらって、それを食べてうまいうまいって言って死んでったそうなの。そういうことがあったから、やっぱ来るべきものが来たなって感じ。ステーキなんか弱ったおじいちゃんが食べられるのかなぁって思ったけど、しょうがないじゃん、最後のお願いなんだから」
「最後の晩餐だね」
「そう。でね、ステーキを用意したの、私」
「友香が?」
「だって、私、料理うまいもん」
「そういう問題かよ」
「つまり、来るものが来たってことで、お母さんは病室から離れたがらなかったし、お父さんは仕事だし。仕事っていうのは、お葬式で連休とる前にやることやっておかなきゃという意味での仕事ね。だから私がデパートに行って、一番美味しそうなお肉をちょっとだけ買ってきて、病院の調理場でニンニク味にして焼かせてもらったの」
「ふむふむ。友香のニンニク風味のステーキは美味しそうだね。で、ちゃんと食べられた?」
「それがね、私が料理して、お皿にのっけて、ベットの横で小さく切り分けて、口元に運ぶんだけど、食べようとしてくれないの。私、悲しくて」
 友香の声がふるえた。
「末期ガンじゃ仕方がないよ」
 正平は彼女を慰めるように肩をさすった。
「そうじゃないの。この話、あまりに素敵すぎて、涙なしじゃ語れないわけ。だって、口元のステーキを、かすかに首を振って、断るような仕草をして、あ、とか、うー、とか、なにか言うの。あ・う。あ・うじゃわかんないよおじいちゃん、って、私、おじいちゃんの口元に耳を持っていって、なんとか聞き取ろうとしたの。そしたらね、わかったの、わかっちゃったの。おじいちゃんが言ってたのはね、うそ、だって。うそ?って聞き返したら、おじいちゃん、ぴくっと動いて、あ、笑ったなって感じで。そうか、なんだ、冗談だったんだ、おじいちゃん、死ぬ前に、最後に私たちを笑わせようとしてくれたんだ、って」
 友香は肩をふるわせて笑いをこらえながら、同時にぼろぼろと涙をこぼしていた。ぎゅっと正平にしがみついて。
 もちろん正平も友香の話のすばらしさに心動かされ、もらい泣きしそうになった。が、なにぶんそのおじいちゃんの人柄を全く知らないので、腕の中で劇的に笑い泣きしている友香ほどには感動できず、いい話だけど、さて、今夜の花火とどういう関係があるのだろうか、なんてことを心の中では考えたりした。



 二人は土手の草の上に腰掛けた。見物客はたくさん来ていたが、けっして窮屈なほどではなく、適度にばらけて暗い土手に腰掛けていた。友香の涙は止まっていたが、まだときどきヒクッとして、鼻をすすった。
 タームの合間に数十秒の間隔をあけながらも、大型の打ち上げ花火が続く。身体に響く破裂音もいいが、黄色や赤や青など鮮やな色も素晴らしかった。今夜は少し風があるからよかったのだ。風がないと煙が宙に立ちこめて色をぼやけさせてしまう。
「ひとつ訊いていい?」
 正平は友香に言った。
「なに?」
「さっきのおじいちゃんの話、いい話だったんだけど、花火とどういう関係があるんだ?」
 友香は微笑んだ。
「おじいちゃんが死んだ日が、町の花火大会だったの。ステーキの翌日」
「なるほど」
「そういうこと」
 正平としては、ちょっと複雑な気分だった。いつも一人で見ていた花火を、今年はやっと女の子と二人で見ることができたわけだが、友香はもちろん異性である女の子としてだけこの世に存在するわけではなく、それなりに人生があり、彼女を育ててくれた家族があり、友人や、仕事もある。頭の中ではもちろんわかっていることなのだが、まさかおじいちゃんの話を聞かされるとは予想していなかった。こうなると正平としても、これから花火大会を見るときは、友香の関係とともに、友香のおじいちゃんのことも思い出さずにいられないだろう。できれば友香だけであってもらいたかったが、そういうわけにもいかない。とはいえ、それはさほど困ったということでもないし、嫌だというわけでもなかったのだ。ただ、なんだか今まで関係のなかった責任のようなものをずっしりと感じないではいられなかった。



「ねえ、私も、このさい、ひとつ訊いていい?」
 と友香が正平に言った。
「もちろん」
「ねえ、ほら、あの浴衣のちっちゃな子、すごく可愛くない?」
「うん、可愛いね」
「私も、子どもがほしいな」
「え?」
「そういうのは、嫌?」
 嫌だ!! と正平は叫びたかった。おじいちゃんの上に、子どものことかよ。ちょっと待ってくれと言いたい。我々は、一人の男と、一人の女として、一対一で邪魔者なしにピュアに愛を育めないものなのか? この美しい花火と、しみじみと心に響く大音響。なぜか懐かしくて、切ない気持ちにさせられる花火を見て、子どもの頃のことや、おじいちゃんのことを思い出してしまう気持ちはわかる。やさしかったおじいちゃんを思い出し、人の死のことを考えれば、人の誕生のことも考えたくなるかもしれない。そういう友香のこと、僕は好きだし、そういうこともありなのかもしれないけど、ちょっと待てってくださいと言いたい。もっと純粋にこの場を楽しむだけではダメなんだろうか。
「嫌なのね?」
「い、嫌じゃないよ。嫌じゃないけど、たださぁ」
「なによ?」
 正平は友香と目が合って、この大切なひとときを、大切なひとときとして味わおうよ、と言いかけたが、しかし大切なときだからこそ、最も大切なことを話題にするべきなのかもしれないと連鎖的に考えるに至った。
「妊娠とかしちゃうと、やっぱその間はエッチなこととかできなくなっちゃうだろうな」
「バカ、なに考えてんの、まったく」
 正平は苦し紛れに早口で言った。「でも、子どもが欲しいなら、その前に結婚だよね。友香、僕と結婚してくれる?」
「いいよ」



 やれやれ、初めて女の子と花火大会を見に来たらこれだ。やっぱり花火大会なんて、女の子と二人で見に来てはいけなかったのだ。これじゃあまるで、トランプのババ抜きではないか。ババを引いて悲しむ人と、ババを相手に引かせて喜ぶ人。そんな関係。絶対にこのままでは引き下がれない。シャッフルして、また友香にババを引かせよう。そう、この「ババを引いた気分」を、次は逆に友香に味わせてやる。
 まあ、なにはともあれ、トランプのような関係は楽しいけど。
 楽しいから、まあいいけど。



 花火大会は終わりが近づき、打ち上げが連続して続いた。バチバチとはじけるような音響と、黄色や、緑や、赤や、青の、重なっていく光のきらめき。その最後の激しい勢いにあおられて人々が歓声を上げる。
 爆発音と歓声の響く土手で、正平と友香は堅く抱き合ってキスをした。
 正平としては「まあ、キスでもしておくか」という気分だった。とりあえずそういうふうに考えておかないと、自分が壊れそうな気がしたからだ。自分がこの大切な一瞬に「まあ、キスでもしておくか」と考えたことは、そのうち誰かに話すことがあるかもしれない。そんなことまで密かに心の底で思った。男の子なら、きっとわかってくれると思う。まあ女の子でも、笑い話ぐらいにはなるかも。
 最後の数分間のクラッイマックスが終了すると、音のない空間が突然ぽっかりと現れた。
「おじいちゃんって立派な人だったんだなぁ、死のまぎわに笑わせようとするなんて」
 と正平はつぶやいた。
「今頃、なに言ってるの」
「いや、しみじみとね、そう思ったんだよ。自分もそうなれるかなぁ、って」
「大丈夫だよ。今でも正ちゃんは結構ボケ入ってるから。案外歳とってからも、いいボケするようになると思うよ」
「そうか。まあ確かに、それは言えると思うんだ」



 もう、ヘンな人だ、と友香は思った。そういうことが問題じゃないと思うんですけど。私を幸せにするってことが、この場合、いちばん重要な問題だと思うんですけど。そういう決意のほどをわざとらしく宣言するとか、そんなドラマのような嘘っぽいことは別に望んじゃいないけど、それにしても、こういうふうにボケるかなぁ、こいつ。
 まあいいや。案外この人なら死に際に意表を突いたヘンなもの食べたいとか言っちゃうかもしれないし。ヘンすぎても困るけど、少しぐらいヘンなところもあった方が、なんだか人生楽しくなりそうだし。



 二人はそのようなことをお互いに考えながら、その場に居合わせたたくさんの人々と同じように花火の余韻にひたりつつ、手をつないでアパートへの帰路についた。


(2000年夏/2007夏改)