湖畔で魔法使いと

 僕たちはその日、山の奥地の湖畔でキャンプをした。紅葉の季節にはまだ早いが、それでも都会よりはずいぶん気温が低いように感じられた。昼のうちは半袖で山を歩き回って写真を撮ったりしていたが、日が暮れて空に星が見え始めると、長袖のシャツを着てもまだ寒いくらいになった。僕たちは薪を集めて火をおこし、持ってきた食材でスープを作り、肉を焼いた。
 
「静かね」
「平日に来ちゃったからね」
「ん」

 僕たちが食事を終えて、たき火のそばに置いたコンクリートブロックに腰掛けて茶を飲んでいると、近くの暗い森から魔法使いが音もなく現れた。黒いローブを羽織った人物は、僕たちの前に立つと言った。
「今日は、二人だけか?」
「そうみたいです」
 と彼女は頷いた。
「あんたたち、恋人か?」
 そのまっすぐな問いに、僕は苦笑した。
「いえ、友達ですよ」
「私たち、まだきちんとした『存在』ではないの」
 彼女の説明に、魔法使いは黒いフードの中で「ふう」とため息をつき、僕たちが脇に用意しておいた薪を拾って、たき火に追加した。
「きちんとした『存在』ではないとはな、やれやれ」
 魔法使いは本当に困ったようだった。その仕草が僕にはずいぶん微笑ましく感じられた。
「あなたは、魔法使いですよね?」
「そうだが?」 
「なにか、食いますか?」
 僕は親切に尋ねたつもりだったが、魔法使いはあまり積極的に応じようとはしなかった。
「いや、それよりも、ワシはおまえたちにとって、邪魔な存在か?」
「とんでもない」
 僕は首を振った。横の彼女の目を見ると、同じように「どうぞ、気にしないで下さい」と言った。 
「そうか。では、ソーセージでも、もらうかな」
「どうぞどうぞ」
 彼女が新しく鉄串に太いソーセージを刺し、僕がそれを火の近くの地面に刺した。火に近づくと、顔に熱が感じられて、さて、ソーセージを焼くのはたき火の方が美味いのか、魔法の方が美味いのか、などと、ふと考えたりした。


 魔法使いは熱いソーセージを「ふーふー」としながら「今日のテーマは何だ?」と質問した。
「いえ、僕たちにテーマなんかないと思います。強いていえば『自然との一体感』でしょうか」
 彼女は、僕の冗談を理解して、くすくすと笑った。
「ま、おまえたちが一体化するのはけっこうだが、その前にはっきりさせておくことがある。『さびしさ』という、昔ながらのテーマについてだ」

 僕はいつも、確かに、決定的に、さびしかった。『さびしさ』は自分の血肉となっていた。それは一人でいるときも、たくさんの人たちと交流しているときも、あまり変わらずに自分の中にありつづける捨て去りようのない透明な何かだった。
 そして僕は、この人生で、ようやく自分と同じ『さびしさ』を持つ女性と出会った。それがここに来ている彼女だった。

「その『さびしさ』とは、つまり、人を愛するということの裏返しなんでしょうか?」
「まあな」
 と魔法使いは、僕の問いに、ぶっきらぼうに答えた。
「しかし問題は、『さびしさ』とは、あんたら二人の専売特許ではないということだ。誰だって『さびしさ』は持っている。そういう人と新たに出会えば、おまえはまた、その人を好きになるだろう」
 僕は腕を組んで考え込んだ。即座に否定出来るならよかったが、そうではない。もしかしたら魔法使いの言っていることは、僕にとって真実かもしれない。
 横から、彼女の不安が、無言のうちに伝わってくる。しかしその不安は、逆に、僕自身のものでもある。彼女にしたって『さびしさ』を内に抱いてきたという意味で、事情は同じなのだ。
「好きになることは、ぶっちゃけ、たくさんあります」
 と、僕は意を決して、開き直った。
「はあ?」
 と、魔法使いはあきれた。
「それは本当です。『さびしさ』を持つ美しい女性と親しくなると、僕はほぼ100パーセント、その人を好きになります。でも、それは、例えてみれば、子供の頃、遊びに来てくれた叔父さんを、子供の僕が好きになるのと似たようなものじゃないでしょうか。楽しくて、幸せで、別れるときに胸が苦しくなって。叔父さんに抱きつきたい気持ちになるけど、それはグッとおさえて『バイバイ』と手を振る。叔父さんがどういう仕事をして、どういう苦労をしているか、それは子供の僕にはわからない。しかし、その出会いは嬉しいし、叔父さんが好きだし、別れは悲しい。こういうのって、いいことでしょ?」
 魔法使いは、フードの影でほくそ笑んだ。
「よいことを、まるごとひっくり返す魔法もあることは、ご存じかな?」
「いいえ。そういうことは、必要ないです」
 僕がきっぱりと答えると、魔法使いは首を振った。
「やれやれ、おもむきのない」 


 魔法使いは論理的説明を少し追加した。
「『さびしさ』は『さびしさ』と出会うことによって、この世から消滅する。つまり、魔法のようなもんだな」
「それは、いいことなんでしょうか?」と、今度は彼女は急に焦った口調で聞いた。「私にはわからないんです」
 魔法使いは、天を見上げた。
「空に星が瞬くということは、いいことなんでしょうか? ワシにはわからないんです」
 すると風が、火の周りを踊り始めた。風を受けて、火が赤く勢いを増したり、炎をなびかせたりした。
 僕は、ぼそっと、試しに言ってみた。

「みんな、嘘なんだろ?」

 結論から言えば、魔法使いは、彼女自身だった。
 つまり最初から、僕たちは、二人だけだったのだ。


「やっと気がついたみたいね?」
「ああ。さすがだね」
「ん」
「君はなんでもできるんだね?」
「そうよ」
「そうか。ようやく気がついた。ま、これからもよろしく」
「こちらこそ」


 その夜、僕はギターを弾き、彼女は淑やかに歌った。

 やがて東の空から登ってきた鮮やかな半月が空高く輝くと、湖面は音もなく銀色に染まり、手つかずの大地のように眼前に大きく広がった。




  

(2007 10/14)