本当の道


 慶子が覚えている最初の嘘は、新しく家に来た男性を「お父さん」と呼んだことだった。母親からは「新しいお父さんよ」と教えられたけれど、幼いながらも慶子は本当の父親が別にいることを知っていたし、二人めの父親が正しい父親ではないことも理解できた。最初は拒もうとしたが、母親や、母親の親戚や、新しく一緒に暮らすことになった男性は、慶子が彼のことを「お父さん」と呼ぶことを期待していた。大人たちが期待することには応えなくてはならないと思った慶子は、それが嘘であることを知りながら、新しく来た男性を「お父さん」と呼んだ。

 それ以来、慶子にとって嘘をつくことは特別に悪いことではなくなった。表向きには賢く善良な子女として育った慶子だったが、嘘はよくついた。
 中学に入ると、クラスメートに頭がよくて喧嘩も強いスラリとした男子がいた。慶子は「好きです」と告白した。それが本当のことだったら、慶子自身も気持ちが動転していたところだったが、本心としてはさほど強く好きという気持ちはなく、ただ学年で一番かっこいい男子だから自分のものにしたいというだけだったので、計算高く行動した慶子は、予定通り彼を自分のものにした。
 卒業してからもつきあおうと約束した仲だったが、高校に入るともっとかっこよく賢い男子がいて、中学時代の彼氏のことは無視した。既に経験のある慶子は、再び計算高く、失敗することなく、新しい彼氏をものにした。
 自分を演じることに自信が持てるようになった慶子は、もっと高みを目指すことを考えた。芸能人だ。体操でスタイルを整え、発声の訓練を始めた。最初はうまくいかなかったが、むしろあまり意図的にならず、自分の若さや未熟さを恥じらいつつ、しかし惜しまずさらけ出すようにすると、いろんなことが上手くいき始めた。
 オーディションに合格し、写真集を出版した。ほどなくテレビで人気番組のアシスタントをこなし、ドラマにも出演した。ドラマの仕事は、慶子にぴったりだった。現実ではない自分を演じること、つまり嘘をつくことが仕事になる。金にもなる。多くのスタッフによって嘘の世界が作られていく。慶子は水を得た魚のように仕事を楽しんだ。かつて母親が幼い慶子に嘘を期待したのは、こういう仕事で活躍するためだったのかもしれないとも思った。

 慶子は24歳で広告代理店の高給取りと結婚したが、相手は慶子よりも嘘をつくのが上手い男だった。子供が生まれ、30歳になった慶子は、実は旦那に三人の『ガールフレンド』がいることを知った。本当は四人だったのだが、捨てられた一人が腹を立てて、慶子に全てを暴露したのだ。旦那は「仕事上のつきあい」と言い訳したが、そういう言い訳よりも、慶子は逆に自分がだまされたことの方がショックだった。自分の甘さを反省し、すぐにその男と離婚した。
 もちろん慶子なりに伏線は用意していた。テレビ局のディレクターと入籍したのは、離婚してから二ヶ月と経っていなかった。今度の男は嘘が上手につけるタイプではなかった。慶子は元旦那の仕打ちに怒り、そのエネルギーを糧に、新たに幸福な人生を歩むことを誓った。
 子育てのある慶子は役者の仕事をしなくなり、代わりにテレビドラマの脚本を書くようになった。テレビ局に勤める新しい旦那が才能を見いだしたのだ。もちろん最初から放送で使われたわけではないが、現実ではない人物たちが、現実ではない人間関係の中で右往左往するストーリーを紡ぐことは、慶子にとって新しい喜びとなった。嘘の人物が、ドラマの中でも嘘をつく。慶子の才能は開花した。二人目の子供も生まれ、多忙な日々ではあったが、レギュラーのドラマを常に二本は抱える人気脚本家となった。
 取材もかねて海外で暮らすことの多くなった慶子に、やがて旦那と旦那の家族が不満を呈し始めた。仕事も大切だけれど、母親なのだから家庭も大切にしてもらいたい、と。それはそうだが、両方を100パーセント満たすことは現実的に不可能だったし、脚本家としてのステイタスは家庭的な些事よりも優先した。その不満が、様々な形で慶子にぶつけられると、彼女はますます海外に逃避するようになった。
 海外で暮らす慶子には多くの出会いがあった。学生時代に返ったような気分で、計算高く男性を誘うことを繰り返した。そういう経験は、もちろんドラマのネタとしても活用した。「取材もかねる」という言い訳に正当性があることが、母親としての慶子に精神的な救いとなった。
 子供のことは、慶子も大切に思っていた。母親としての本能かもしれないし、妊娠して出産したという事実だけは、絶対に嘘のつきようがなく、いわばこの世界で唯一の揺るぎようのない真実と言えたからだ。慶子にとって『父親』というのは嘘を含んだ存在だった。しかし『母親』はいつまでも一人だ。慶子と親の関係においても、慶子と子供の関係においても。
 テレビ局に勤める旦那が管理職となり、いよいよ慶子に家にいるよう強く求めてきたので、慶子は再び離婚することにした。ちょうど才能あるピアニストと親しくなったところだった。
「音楽は、全てが真実なんです」
 とピアニストは語った。
 これは、慶子には、とても不思議に感じられる考え方だった。表現するということは、全て嘘を作ることであるはずなのに。表現を仕事とする人が、全て真実だと語る。真実を語ったら『ドラマ』にはならないのに。しかしピアニストは本当に嘘をつくことを知らない純粋な男だった。
 ある時、二人の間で年齢の話になった。彼は40歳だと言った。慶子は「偶然ね、私もよ。なーんだ、同じ年だったのね」と微笑んだ。本当の慶子は46歳だった。
 慶子なりの作戦として、脚本の仕事で徹夜してピアニストと会うようにした。
「もう、昨日も徹夜なの。若くないのに、疲れちゃって。疲れた顔してるでしょ? ごめんね」
 もちろんピアニストはその言葉を全て信じた。
 いよいよテレビ局の旦那と離婚し、ピアニストと籍を入れるという段になって、本当の年齢がばれてしまった。そこでの対応は、既に慶子は考えていたし、演技の練習までしていた。
「ごめんなさい・・・、でもここまできて躊躇したら、告訴しなくてはなりません。そんなお互いが不幸になるようなこと、イヤでしょ?」
 三度目の結婚生活で、慶子はピュアなピアニストの心をずたずたにした。慶子が女として衰えていくイライラや不満のはけ口として、絶好の対象だったからだ。ストレスにさらされ、心臓を悪くしたピアニストは、40を過ぎてから天才的な演奏を残し、45歳でこの世を去った。

 ピアニストが死んでから、慶子は高校生になっていた長男と、大きな公園に行った。息子はアメリカの大学に行きたいと慶子に言った。私もアメリカに行こうかなと慶子は言った。
「母親と一緒に行くなんてやだよ」
「じゃあ、学生として応募しようかな」
「バカじゃん。幾つだと思ってるの?」
「アメリカでは50を過ぎたって大学に行く人は行くわよ」
「そういう問題じゃないんだよ」
 考えてみると確かに慶子は、本当は自分がなにをしたかったのか、よくわからなかった。美貌と才能に恵まれ、多忙な日々を送ってきた。お腹を痛めた息子だってちゃんと二人いる。母親としてのDNAは引き継いだし、二人の息子はそれぞれ優秀で、老後も心配なさそう。
 しかし老後について考える自分であることが、慶子には自分でも信じられなかった。自分の人生はまだこれからスタートするように感じていた。それは希望というよりは、本当の人生はまだスタートさえしていない、という実感によるものだった。
「ねえ、お母さんさ、本当に大学に行ってみようかな」
 慶子が冗談ではなくそう思っていることにあきれた息子は、母親を公園の中心の大きな草原に連れていった。そこでは初夏の風が、たっぷりとした光をゆらめかせ、空には真綿のような雲がぽっかりと浮かんでいた。
「いいところね」
 と慶子は深呼吸した。
「じゃ、僕、行くから」
 息子は去っていった。
 慶子はその後ろ姿を、喜びと切なさの混ざり合った気持ちで見つめた。たくましい息子。しかし反抗期で、そろそろ去っていく年頃なのだ。仕方がないことなのだ。
 草原にたたずむ慶子は、だんだん全てが幻であると感じ始めた。この世界も、人生も、全てが。
 そして本人が気がつかないうちに、いろんなことを忘れていった。銀行の暗証番号を忘れ、貸金庫の鍵のありかを忘れ、貸金庫を持っていたことも忘れ、サンフランシスコで買った土地のことも忘れ、三人の旦那の名前も忘れた。
 初夏の太陽は、少しずつ慶子を透明にしていった。指が消え、手のひらが消え、腕が消えた。靴の中でも、指先から消えていき、スカートから伸びる脚も消えた。
 脚が消えそうになったとき、生まれて初めて、慶子は真剣に焦った。全てが消え去っていくとしても、自分の立脚するものだけは残ると思っていたからだ。自分が二人の息子の母親であること、慶子なりに大切にしてきた家族の営み・・・。もちろん残る部分はある。しかしそれは慶子が考えていたよりも、はるかに小さなものだった。
 慶子の身体が消えていく。美しかった容姿も、豊かだった才能も、日差しを受ける雪のように消滅していき、やがて慶子の意識だけが、小さな草となって広い草原に残った。
 初夏の風は、周囲のたくさんの草と同じように、草になった慶子をなでた。
 慶子にはこの現実が信じられなかった。そしてこのような場合に昔からしていたように、嘘だと思うことにした。自分が草になったことなんて嘘だ。私は私であり、他の何ものでもない。嘘をつくことなら得意だ。自分をだますことぐらい、やろうと思えばやれないことではない。
 やがて夏の盛りになり、草原に蝉の声が響いた。
 美しい夏が終わりに近づき、トンボの群が草原を飛ぶようになっても、慶子は草としての自分を認めなかった。虫に葉を囓られても、母親として母乳をあげているだけなのだと、自分に嘘をついた。
 秋になり、草は枯れる季節となった。慶子は最期のときをむかえた。そろそろ自分についていた嘘を、自分で認めるべきときだった。
 すると今まで見えていなかった『本当の道』が、霧が晴れたように見えてきた。素朴だけれど確かな土の匂いのする素晴らしい道だった。まだ手つかずの人生である『本当の道』は、ちゃんとあったのだ。それも、すぐそこに。
 私の一生はなんだったのだろうと、激しい後悔が慶子の身体をつらぬいた。今さら道が見えても遅すぎる。襲ってくる後悔と、悲しみばかりの心に愛想をつかし、やがてじたばたすることをあきらめ、慶子は草のまま枯れていくことを受け入れた。

 薄れていく意識の中で、慶子は真実を悟った。
 慶子をだましていたのは、慶子自身だった。なぜならそれは、自ら『本当の道』を無視するためだった。そのことに気づくと、安らかな気持ちになった。
 慶子は大切なものを守り通した。『本当の道』には、嘘つきな自分はいない。汚されていないままだから。



(2005 2月 / 2006 12月改)