《ネットナショナリズムの彼方に++》

ピンク・キャットの懐で

 ゴーストタウン化した港東地区から、新千葉経由で敵の背後に回り込もうとした僕とボウスーだったが、郊外の雑木林で突然の砲撃を受けた。数発のミサイルが右前方から飛んできて、ジープはあっけなく破壊された。激しいボウスーの叫びに、転げるよう飛び降りた僕は、そのまま木立に逃げ込み、二時間ほど走り続けた。摂行の役目を果たしながら進むボウスーを追い、なんとか予定の領内にはもぐり込んだが、すでに我々には手持ちの武器も食料も、ほとんど残されていなかった。
「すみません」と僕は人気のない林に入り、乱れた息を落ち着つけてから言った。「チェックしていたはずなんですが・・・」
「ゲリラ戦なんてこんなもんだ。謝ったってはじまらねえ。それよか、怪我は大丈夫か?」
 僕の腕は肩からの出血で赤く染まっていた。
「見てもらっていいですか?」
「どれどれ、肩か・・・骨は避けて突き抜けてるなようだな。これなら抗生剤飲んどきゃ死にゃしない」
 ボウスーはウエストバックから止血剤をとりだして塗り込み、きつく包帯を巻いてくれた。
「ボウスー、どうします、これから?」
「このまま逃げて帰るわけにもいかんだろ。きちんと借りは返してやらねえとな」
「どうやって?」
「それを考えるのは、ユキオ、おまえの役目なんじゃねえのか?」
「そ、そうですけど・・・とりあえず、落ち葉にでも隠れましょう」
 と僕は秋の谷間の吹きだまりを指さした。
「だな。敵が静まるまでは、しばらく身を隠すに限る」

 今回の戦闘は、あまりにも急に始まった。ピンク・キャットと呼ばれる裏組織の存在は、ANA情報部にも一年ほど前から知られていたが、大規模な戦闘に発展することを予想した者はいなかったし、その圧倒的な展開スピードも全くの想定外だった。
「だいたい、なんで急にこんなことになっちまったんだ? 情報だってろくなもんはない。ユキオはやつらについてどの程度知ってる?」
「実は、意外と知ってますよ」
「はぁ」とボウスーは目を丸くした。「どういう意味だ?」
「マトリックス内で、去年の後半から、非常に話題になったプログラムがありましてね。僕もプライベートではそれなりに手を出していましたから」
「ピンク・キャットか?」
「僕自身、すでに電脳のピンク・キャット化を、少なからず受け入れている身です」
「やばいんじゃねーの、そりゃ?」
「どうでしょうね。少なくとも話題になった一連のプログラムは、善良な匂いに満ちあふれています。ナチュラルフードみたいなヘルシーさで。その実体がどうだかについては、おそらくピンク・キャット発のデータに関わったほとんどの人が、その裏の事実を邪推していたのですが、そもそも、それもピンク・キャットにとっては作戦のうち。僕の知る限り、本当のところは、実は、善良なんです。ただ、甘くはない。そこが見えるかどうか・・・」
「そりゃ、おめえ、ちっとも具体的な情報とは言えねえな」
「そうでもないです。ピンク・キャットの核は、なんだかわかりますか?」
「中心という意味での核か?」
「ええ。中心は、ミーシャなんです」
「冗談よせよ。ミーシャってのは、俺たちが助けてやった女の子のことか?」
「そうですよ。面白いでしょ?」
「おいおい、面白いかどうかって問題じゃねーだろ。ミーシャが敵だなんて、聞いちゃいねえし、はっきり言って、あの才能じゃ危険すぎる。そりゃ、おまえがなんとかしろ、って話だ」
「わかってます。でも、女子と男子にはいろいろありまして」
「冗談言ってる場合じゃねえ。ここは戦場だぞ! 人命がかかってんだぞ!」
「わかってます。ほら、僕の怪我だって、本物だし」
「で」とボウスーは乱れかけた気持ちを静めて言った。「作戦はあるのか?」
「ないというわけでもありません。でも大切なのは、神の声に耳を傾けること。目先の情報にふりまわされれば、我々の負けは目に見えています」
「フェイクか?」
「ピンク・キャットというのは、いわばタマネギみたいなものなんですよ。皮をむき続ければゼロになる。皮自体が食品であること、それをまず悟らなくちゃいけません」
「俺は、今回の攻撃を見る限り、やつらに核心がないとは思えねえ。そこを見定めて攻め落とすことこそが、俺たちの仕事じゃねえのか?」
「もちろんそうなんですけど、目に見える核心というものは、本当の核心ではない、ということです。やつらに常識は通用しません」
「天才電脳戦士の言うこたぁ、わけわかんねえな」
「つまり、やつらには『逃げる』という行為が、存在そのものとして実体化しているわけです。それを追いかけたあげくの答えは『追う』です。『追う』ことが我々の存在として実体化する。そうなってしまえば、出口のないスパイラルです。だからそれを避けるためには、やつらの『逃げる』という行為を考えてみる必要があります。やつらはそれをおとりにしつつ、自らがそこに飲み込まれることはなく、危険なピンク・キャットとしての位置を絶え間なく保持し続けている。同じことは、逆の意味で、我々にも可能なはずです」
「第三の視点か?」
「シロタマをつれてくればよかったかな・・・」
「そういう問題かよ?」
「ま、冗談はさておき、要は、逃げるものを追うだけでは問題は解決しない。大切なのは『逃げるものを追うこと』で問題を解決することなんです」
「ちっ、わけわかんねえな。それができねえから、どうするか、って話だろうがよ」
「難しいけど、ここが肝心なところです。逃げたら追う、それはスパイラル、と普通は思う。でもそうじゃないかもしれない。逃げたら追うこと、それが実は、タマネギの実そのものかもしれない」
 ボウスーはしばらく考えた。身体にかぶせた落ち葉のすれる音が、妙に大きくガサガサと響いた。
「で、ユキオ、勝算はあるのか?」
「ないわけではない、というのが正直なところ。今はそれ以上は、ちょっと」
「おまえらしい。が、俺は不安だ」
「そっちこそ、らしくないですね。いまさら不安だなんて」
「男は、がたいがでかくたって、勇気とあそこの大きさは同じなんだ」
「それ、冗談に聞こえませんよ」
「うるせぇ。で、俺はどうすりゃいい?」
「とりあえず、休憩ですね。日暮れから武器や食料を探しましょう。僕も日が暮れたら、この近所にハブリックデバイスがないか探してみます。ここならピンク・キャット内のストレージにコンタクトできる回線が発見できるかもしれません」
「いくらやつらの勢力圏内とはいえ、そこまで段取りが進んでいるとは思えねえけどな」
「本当はね、僕はすでに二回ほど、内側からのコンタクトを試みているんです。まあ、ここだけの話ですが」
「で、反応は?」
「マトリックスに、若干のエコーが」
「ちっ、つかえねーな」
「反応はわずかですが、僕は失敗だったとは思っていません。少しでもエコーがあったということは、ミーシャが真の愛に気づき始めた証です」
「真の愛だぁ?」
「ボウスーは、愛の話はきらい?」
「よせや。言っただろ、男は勇気とあそこの大きさは同じなんだ!」
「それ、全然関連性が感じられない暴論です」
「だからこそ、愛なんじゃねえか。俺にとっちゃ、暴論であること、それこそが、な」
「ま、いいや」と僕はため息混じりに言った。「少し眠りましょうよ」
「だな」
「そういえば、少し心配なんだけど、ピンク・キャットの武器には、毒が仕掛けてあるって噂、本当だと思いますか?」
「さあな。そういうことは、俺よりおまえの方が詳しそうだが?」
「リアルは別ですよ。やつらの使う『武器』に関しての疑問です」
「よくわからねえが、おまえのその傷が、ヘンな毒入りにやられねえよう、祈っといてやるぜ。今はそれぐらいしかできねえだろ?」
「なんとも頼りがいのあるアイディアです」
「神を信じろって言ったのは、ユキオじゃねえか」
「僕は、信じるのではなく、神の声に耳を傾けろ、と言ったんです」
「おんなじじゃねえか。まあ、聞くとか、探るとか、そういうのは、おまえにまかせるけどさ」
「ボウスー、しょせん僕のカンなんてアテにならないけど・・・」と、ふと思いついたことを口にした。「今度の戦いは、意外に長期戦になるかもしれない・・・そんな気がしない?」
「そもそも、ゲリラ戦に終わりなんてねえよ」
「永久に戦い続けるのか・・・」
「それはスパイラルではなく、それこそがタマネギの実だって、さっきからおまえはそれが言いたいんじゃねえのか?」


 僕は苦笑した。
 晩秋の枯葉に沈んだ身体と、隙間からのぞく青く澄んだ空。
 うぬぬぬ、あの空に届くまで、僕は負けないゾ。(笑)


 ていうか、ここ、笑うとこじゃないっス!