その村は砂漠の中にぽつんとあった。現地の言葉で『天国』という名のオアシス村だ。何百年も昔は、その名前に意味があったのかもしれないが、今では深い古井戸がひとつあるだけの小さな集落だ。しかし敵はそこを襲ってきた。僕は運良く地中に逃れ、命拾いした。そして戦渦が止み、完全に破壊された村で、あの人と出会ったのだ。あの人が声をかけてくれなかったら、僕は生還することはなかっただろう。噂には聞いていたが、生き残る人はいるものだ。最初は僕も不思議に感じた。彼の生還には、実際には運が大きく関わっているのだろうと。けれどしばらくいっしょにいると、あの人は生き残るべくして生き残る人だとわかってきた。

 前触れのないロケット攻撃を受けたとき、僕が生き残ったのは文字通りの奇跡だった。
 ヘリの新米パイロットとして物資を運んできて、物資を民家の倉に運んでいる最中に襲撃が始まったのだ。目立つヘリは真っ先にロケット砲をくらって吹っ飛んだ。その正確さに僕はガクガクと膝がふるえた。これはゲリラなどではなく正規軍の襲撃であることがすぐに察せられた。
 もともと輸送ヘリの操縦ぐらいしか取り柄のない自分としては、反撃のことなど考えもせず、すぐに倉の地下に逃げ込んだ。ただの縦穴かと思ったが、意外にも脇から小さな横穴が奥に続いていた。オアシスの時代に地下水路として使われていたものらしい。吹き込む砂で半ば埋まっていたけれど、古い石組みがのぞいている。
 僕はそこに隠れた。唯一の希望は「敵はこんな村に長居はしないだろう」ということだった。
 僕は無意識のうちにリュックを引っ張り込んで、外の悲鳴や叫び声を無視して地下に居続けた。やがて倉は爆破され、地下への入り口はふさがってしまった。地上からはわからなくなったはず。微かに叫び声や、戦車の進む音がしたけれど、真っ暗で、どこまでも続く狭い横穴に、僕は身体を横たえて時が過ぎるのを待った。



 音のない暗闇の中、ライターで状況を確認し、埋まった砂をアルミコップで奥に移し続ける。ときどきリュックから携帯食料を口にはこび、水をなめ、眠る。急ぐ必要はなかった。急いで出る方が危険だったし、深い横穴の空気は意外なほど澄んでいた。ヘビやサソリがいないとも限らないが、そんなことは考えるだけムダだと自分に言い聞かせた。
 実際には三日二晩かかったようだ。歴史的遺物かもしれない横穴に、せっせと砂を押し込んで地上にでたときには、夜明けの紺色の空に、まだ星がいくつか残っていた。東の方角を判断する感覚はまだ残っていた。
 もちろん村は徹底的に破壊されていた。泥煉瓦の家はほとんどが壊され、残っている建物も壁が砕かれ半壊状態だ。教会だけは残されていたが、様子を見に行ってみると(様子を見るような建物はそこしかなかった)、残されているのは外観だけで、内部はやはり焼け焦げていた。床に死体が並べられており、なんのためにこの建物が残されたかが察せられた。死体置き場・・・死んだ人間を教会に並べたからどうなるというものでもないが、墓を掘って埋葬するよりも簡単というわけだろう。地下から抜け出したときに吸った砂漠の夜明けの空気は確かに清らかだったけれど、この教会を覗いて爽やかな気持ちはすっかり吹き飛んでしまった。窓は破壊されて砂漠が丸見えなのに、それでも強い匂いがこもって。
 村の中心の井戸に行ってみた。井戸は残されていた。砂漠の民の攻撃のマナーというところか。奥に水面が見える。滑車はなくなっていたが、下に続く周囲の石組みには段差がついており、ムリをすれば下に降りられるようになっていた。他にやることも思いつかなかった自分としては、とりあえず降りてみることにした。村人に見られたら怒られるだろうが、もう一人も生きていない。
 少し前に地下から這い出てきたばかりの自分が、まだ井戸に降りるというのは変な気分だった。べつに暗い地下が好きというわけではない。むしろ子供の頃から地下は嫌いだった。狭いところは苦手なのだ。イライラするし、そのまま身動きできなくなってしまいそうなのが恐い。高いところとは違う怖さだ。むしろ高いところの方が僕は気にならない。子供の頃、よく海で泳いだからだと思う。ヘリの操縦をしていると、いつも深い海の底を覗きながら水中を漂っていた子供の頃を思い出す。海を泳ぐ感覚で操縦するのがコツなのだ。慌ててバタバタしない。ゆったりと空に身をまかせ、しなやかに動く。
「おい」
 と上から声がした。
 僕は慌てて石段から落ち、隠れる場所を探した。しかしそんなものはなにもない。足首ほどの水に浸かって、上を見る。舞い落ちる砂のむこうに、誰かがいる。
「飲むなよ」
 と男の声。
「毒が入っているからな」
 僕はかわいた咽に、生唾を呑み込む。
「あんた、誰?」
 僕の声は石に跳ね返され奇妙に響いた。
「仲間だ。おまえさん、パイロットだろ? オレは葬儀屋だ」
「そーぎや?」
「いいから。そこにいると、水が美味そうだろ。飲めないのもつらいもんだ。早く上がってこいよ」

 僕にはわからないことだらけだった。その男が誰なのか、なぜ生き残っていたのか、なぜ僕のことを知っているのか、なぜ井戸に毒が入れられていることを知っていたのか。
 以下はその答え。

 Q.その男が誰なのか?
 A.歩兵。本上和男。
 
 Q.なぜ生き残っているのか?
 A.砂に潜っていた。
 
 Q.なぜ僕のことを知っているのか?
 A.ヘリの到着を見ていた。
 
 Q.なぜ井戸に毒が入れられていることを知っていたのか?
 A.自分でなめて確認した。

「で、唯一の生き残りなんですね?」
「あんたと、オレな」
「自分は相馬と言います。いちおう少尉ですが・・・」
 僕の軍服の肩を見て、皮肉っぽく口をゆがめた。
「もういいだろ、そういうのは。戦争は終わったんだ」
「え?」
 おもわず目を輝かす。
 彼は無邪気な子供に接したかのように苦笑した。
「この村ではな」



「どうするんですか、これから」
 と、年齢的には僕よりもかなり上らしい本庄さんに質問してみた。
「朝飯だ」
「え?」
「それから、昼寝」
「いやまあ、それはそれでいいんですけど」
「死んだ兵隊のリュック集めてあるから、まだ食い物はあるんだ」
「は、はあ・・・」
「あいつらが持ってったのも結構あるけどな。不味そうなものだけおいてった」
「ないよりマシです」
「そうだ」
 僕と本上さんは、日差しを避けて残った土塀にもたれて、携帯食を少しずつ胃に流し込んだ。
「もしかして、教会に死体を運んだのは本上さんですか?」
「ああ」
「生き残ってから、そんなことしてたんですね」
「病院で死ぬと・・・って、これは戦場の話じゃないんだけどな、看護婦さんが死後の処置をしてくれるんだ。身体ふいたり、肛門に綿を詰めたり。オレもそんな感じで、丁寧にやらせてもらったよ」
「死後の処置を?」
「持っているものをとりだして」
「シルバープレート?」
「食料と水だ」
「死人をあつかいながら、よく食い物のこと考えられますね」
 彼は急に『ものすごくおかいし冗談』を聞いたかのように、口を開けて笑って「そうだな」と頷いた。食欲のことも尊敬するが、こんな状況で笑える人というのがすごい。みかけは普通のやせ形の人だった。秋葉原のパソコンショップでジャンクパーツなど売っていたら似合いそう。
「本上さんって、砂漠に派兵される前は何をやっていたんですか?」
「さあな、なんだったろうな」
「最初っから職業軍人?」
「だったら、砂に潜って隠れたりしないだろう」
「確かに」
「オレは、わからないんだよ」
「何がですか?」
「何かになる、ってことが、どういうことだか」
「というと?」
「女の子が『素敵な人と結婚してお嫁さんになりたい』って言うだろ。でもな、結婚した日はお嫁さんだけど、一生お嫁さんではいられんだろ」
「でも、本屋さんは、一生、本屋さんですよ」
「ちがう。それはな『本屋』という役を演じているだけだ。その人の本質までが本屋になるわけではない」
「まあ、難しく考えればそうですけど・・・」
「ひとつ言えるのは、オレは何かを演じる気にはなれないということだ」
「は、はあ・・・」
「不器用、って言うのかな」
「たぶん。・・でも、わかりますよ。戦場に来ちゃうと、常識的なことって、バカバカしい」
「正直、普通になりたいと思うこともあるんだよ。ときどきは自分でも、今から普通になれるんじゃないか、ってな」
「本上さんの、そういう正直なところ、いいですね」
「『仲間』だからな。もうここには、見渡す限り、二人しかいない」
「敵じゃなくて、よかったです」
「ああ、相馬クン、君がいてよかったよ」



 八時になると「ニュースの時間だ」と言って本上さんは無線機のスイッチを入れた。ラジオ番組ではなく、戦場から流れてくる電波の傍受だった。
「昨日からの様子だと、ここを通った部隊は南下しているらしい」
「どこかで衝突しますね」
「というか補給線を絶とうとしてるんだろう。賢いとは言えないが、勇気はあるんじゃないかな。移動も速いようだ」
「空軍は?」
「さあな。空はおたくの専門じゃないの?」
「自分も陸軍です」
「そういうことではなくて」
 僕は首を振った。「どっちにしても、新入りなもので、さっぱり」
「ま、いいさ」
 本上さんはリュックを枕にして横になり、タバコを吸った。
「いい天気だな」
「砂漠ですから」
「ははは」
 この人は本当によく笑う人だなと僕は思った。
「どうするんですか、これから?」
「どうしたい?」
「帰りたいです」
「どこに?」
「自分のところに」
「国か?」
「それはそうですけど、とりあえず自分の基地に」
「西に行けばいいみたいだ」
「え?」
 哲学的な話題かと思ったら、いきなり現実に戻ってとまどう。
「ディナだ」
「ああ」と頷く。その町の名前は僕も知っている。「しかし、近くはないはずですよ」
「どのくらいだ?」
「ヘリでも1時間近く、たぶん120キロぐらい」
「ま、歩けない距離ではないな」
「そうですけど・・・」
「昼は暑い。ニュースでも聞いてのんびりするさ」
「ここは安全なんですか?」
「すっかり忘れられてるみたいだ。オレたちが救助信号を出せば話は別だろうが、そんなカケは恐くてできないしね」
 僕はふと思い出す。そういえばこのオアシス村に来る前に、誰からだったろう、噂は聞いていた。生き残りの達人がいること。全滅した地域から何度も生還している奇跡の男。戦場の神話みたいなものだと思っていた。本上さんがそれほどタフなタイプには見えなかったので、頭の中でリンクしなかった。
 僕はそんな噂を聞いたことはなかったふりをして「僕たち、生還できますかね?」とわざと訊いてみた。
「生還したいかい?」
「もちろん」
「生還することに何の意味があるんだ? それで、何かいいことあるか?」
「考えても仕方ないじゃないですか。とにかく、生きれるだけ生きる、それだけです」
「まあ、いいけど。しかしな、そんなに結論を急いじゃ退屈じゃないか。時間はあるんだ。ゆっくり考えようや」
 確かに昼は暑すぎて歩くのは危険だ。日が傾いてから移動を始めるのが砂漠流なのだった。



 無線によると、午後から東の地区で大規模な戦闘が始まったらしい。それを確認すると、本上さんはようやく移動の仕度を始めた。水や食料を集めると「相馬クン、あんたに全部持ってもらっていいかな」と言った。
「え、どういうこと?」
「オレはべつに運ぶものがあるから」
「なんですか?」
 本上さんは黙って手招きした。
 教会に向かい、扉を開ける。暴力的に濃い臭いが充満しているが、彼は気にすることなく中に入り、並べられた死体を見てまわった。動脈を裂かれた死体はどす黒い血にまみれていた。頭をやられて死んだボディは見た目の損傷はあまり酷くない。もっともそれは身体だけで、うつぶせの身体を起こすと、顔がどんなことになっているかは想像したくない。
「これにしようか」
 本上さんはひとつの死体を抱き上げようとした。軍人ではなく、村の女性の死体だった。
「どうするんですか?」
「背負っていくんだ」
「なぜ? 知り合いなんですか?」
「そうでもないが、話し相手がほしいだろ」
「いらない。話し相手なら、僕がいます」
「ちがうよ」と本上さんは悲しそうな苦笑を浮かべる。「・・・病人を背負っているというふうに見えた方が、助かるだろうからな」
「え?」
「見つかったときの話さ」
 本上さんが抱き上げて肩に背負った死体からは、すでに強烈な腐敗臭がたたよっていた。教会の中では他の匂いと混ざってはっきりしなかったが、外に出るといよいよ激しい。
 僕は何をどう言ったらいいかわからなかった。ただ「マジっすか?」と吐き気を押さえてそれだけ。
「この女はよく臭うし、だからよけいに助かりそうに思える」
「臭わない方にしません?」
「そんなのないだろ。それに、せっかくだからよく臭った方がいいよ」
 彼は苦笑して、ずり下がる死体を「よいしょ」と担ぎなおした。 



 本上さんは死体を担ぎながらゆっくりと砂漠を歩いていく。後ろから見ると、死体が自分で歩いているようにも見える。死体が歩く、そんな映画やゲームのことなど思い出して。
 僕は後ろから、二人分の荷物を詰めたリュックをしょってついていく。
「早くディナーにつきたいな」
 と本上さんが言う。ディナの町をわざとディナーと言って。僕はそれだけで吐き気。
 あと何日だろう。朝夕の移動で、普通に歩いて、三日か。死体担ぎで、プラス一日。迷ったら、さらにプラス一日。だから本上さんは、井戸で僕に声をかけたんだな。もしも食料や水が少なかったら、声はかけなかっただろう。僕は、井戸で水を飲んで、死んでいたはず。食料や水が、死人の持ち物から確保できたから、彼がほしかったのは、荷物の担い手。自分が死体を担ぐために。狙撃兵や戦闘機からみつけられても銃撃されないように。

「生還することに何の意味があるんだ? それで何かいいことあるか?」

 悲しそうに苦笑する本上さんの、秋葉原のパソコンショップでジャンクパーツを売っているおじさんみたいな声が、ぐるぐると頭の中を駆けめぐった。何度も何度も。バカでかい空の下、永遠の吐き気と共に地を這う僕たち。
 人が生きるってこんなもんかな。




(2005 11月/2006 6月改)