シェアリング


  『シェアリング(sharing)』をお届けします。
  原稿用紙換算約230枚。
  ややコンパクトな長編作品となります……

  (2012/8/3改)



 僕はこの『小説』を、美しい田舎の風景を描写することから始められたらよかった。若々しい六月の森が、豊かな光を受けて、安らかに枝葉が風にゆれている、そんな日本らしい風景を前にして、大切な記憶の回想を始めていくのは、少しばかり退屈なやり方であるにしても、やはり素敵なことだと思う。
 ところが、日本では2012年3月に原子力発電所の重大事故が発生した。本来は絶対に閉じ込めておかねばならない凶悪な放射性物質が、森にも川にも海にも畑にも都市にも多量にばらまかれてしまった。 
 多量とはどういうことか。「1ベクレル」のセシウム137の数は約7億個だ。つまり「1平方メートルあたり1000ベクレルの汚染」ということは、7000億個のセシウムというとてつもない量が、見えない粒子となって大地に混ざり合ったことになる。その一つ一つが人生を破壊する時限爆弾なのだ。このような事実を知ってしまうと、東日本に暮らす自分としては、もう素朴に自然を謳歌するのは難しくなってしまう。
 しかし、黙していても、何も始まらない。
 放射能をばらまいてしまったのが人間なら、ここに生きている僕もやはり人間なのだ。
 これは、ほぼ確定的なことだと思うが、我々の世代が生きているあいだに、汚染のない里山を再び無心で愛でることはできない。環境に放出された放射能を、回収したり、無毒化したりすることは、残念ながら人類にはできないのだ。それこそ宇宙の彼方の異星人の協力のもと、放射能除去装置でも運んでこないことには。
 そんな事実を引き受けてなお、日々の営みの中から、人生を肯定できる何かを見つけシェア(共有)することができれば、希望くらいは見つけられるかもしれない。
  

   ◆ ◆ ◆


 この作品は100%作者の想像だけで書かれており、現実する団体や人物には一切関係ありません。

 ……よくある決まり文句。これを最初にことわっておく。
 どうか、誤解のないよう。よろしくお願いします。

 
   ◆ ◆ ◆


「おまえは、玲子について、本当のことを知らない。残念な男だ」

 そのメールは、確かに僕のケイタイに届いていた。デタラメにアルファベットを並べただけの見覚えのないアドレスからだったが、タイトルが「Yukiへ」となっていたから、僕あてなのは間違いない。僕の名前は篠倉由樹(しのくらゆき)……漢字で見るとすぐには気がつかないかもしれないが、「ゆき」という名前は女性に多いものだ。初めて名前を呼んだ教師に、女性とかんちがいされたことは何度もあり、子供の頃はかなりのコンプレックスだった。しかし大人になってからは、その中性的な意味合いがむしろおしゃれに感じられて、親のセンスに感謝しつつ、わりと気に入っている。
 強い敵意を感じるメール。砂をかんだような気持ちになる。内容には心当たりがなかった。ただし「心当たりがない」というのは、「玲子」という女性を知らないという意味ではない。彼女は僕が愛する女性だ。「愛する」などという言葉は、明言すると赤面しそうになるが、玲子とは7年も前にネット上で知り合い、ずっと大切に思い続けて、やっとこれから会う予定になっている。

 こういった恋愛関係が、パソコンが普及した現代にあって、どの程度一般的なのかはわからない。しかし全く前例がないことでもないはずだ。インターネット上には様々なコミュニティが散在し、そこで出会った二人は意見交換を経て理解を深め、信頼関係を育み、たがいに大切な存在となっていく。
 それは、まぎれもない精神的恋愛であり、電脳を介した人生の奇跡だ。もちろん出会いがバーチャルである以上、実際に会うにはタイムラグが発生する。「来週会おう」とスピーディに展開する場合もあるだろうし、数ヶ月以上たってから、場合によっては数年かかることも珍しくはないはずだ。
 我々の場合は、最後のパターンだった。
 
 もう一度、あらためて携帯の画面を覗いてみる。

「おまえは、玲子について、本当のことを知らない。残念な男だ」

 僕は、40歳を過ぎているが、いろいろ事情があって独身でいる。その中心的な理由が、やはり玲子の存在であり、彼女とは言葉を経てたくさんの交流をしてきた。
 玲子のことを、どの程度知っているのか? ……じつは僕は、世界中のすべての人の中で、最も彼女のことを理解していると言っていいはずだった。それについては、自信があるし、具体的な理由もある。

 
   ◆ ◆ ◆


 玲子は、わかりやすくいってしまえば『芸能人』だ。そういう職業に分類される仕事であることを、僕はすでに知っている。
 アニメ『ゆーくりっと』の主役を演じたことで知られる声優・千崎(せんざき)ひかる、それが本名・綾木玲子(あやきれいこ)の表向きな名前だった。声の仕事ということもあり、テレビで顔を出して歌ったり演じたりする芸能人とは事情が異なるだろうが、報酬や名声と引き替えに様々な束縛を受けることに変わりはない。

 声優・千崎ひかるの名前を広く知らしめたアニメ『ゆーくりっと』はバトルも恋愛もない、独特の清楚な雰囲気ただよう日常アニメだった。とはいえ、ヒロインの立場は、特殊だ。ある北陸の小さな町に、宇宙から一人の少女がやって来る。その使命は「地球人についてのレポート」を書き上げること。
 タイトルの元となっているユークリット幾何学と同様、宇宙少女は最も基本的なところから人々を観察していく。「地球人と地球人はちがう」「地球人と地球人は会話する」「地球人のウソに同じものを加えた場合、その合計は不等である」……
 少女が幼いころからいだいていた青い星への憧れと、宇宙史に残るりっぱなレポートを書き上げたいという真面目な熱意。しかしそんな壮大な願望にもかかわらず、少女のふわふわとした天然ボケは、人間よりも人間くさく微笑ましい。地球の片隅の、日本の田舎で、ちぐはぐな異星人交流が始まる。最初に知り合った上原家の夕食の「なぜか大豆発酵食品攻めっ!」に始まり、廃れていく地方の駅前商店街や、親子の不和など、普通の人々の日常を、温かく、面白く、叙情的に描いていく。新年を迎える正月、御盆の墓参り、夏の祭り、学校行事など、日本人にとってはあたりまえの行いを、宇宙少女は「なぜそんなことするの?」といちいち首をかしげ、やがて意味を発見していく。いつもエンディングは「アルキメ先生、地球人、あなどるべからずですっ!」のセリフで締めくくられる。
 その誠実なストーリーは、監督やスタッフらにも恵まれ、続編をふくめて合計4クール、計52回のヒット作となった。

 その宇宙少女、レクジューチャ・レミオ(愛称・れっちゃん、または、単にレミオ)役を演じたのが千崎ひかるだった。初主役ながら、透明感と甘さの同居した独特の声が人気となり、しかも実際の本人はなかなか美人なおねえさんということもあり、じわじわとファンを広げていった。
 アニメの国・日本らしいサクセスストーリーだ。
 ただし千崎ひかるは、この作品収録のとき、すでに三十歳を過ぎていた。見た目も、声も、どちらも若く感じられる女性だったので、実年齢が高めであることはあまり問題にならなかったし、製作関係者のあいだでも20台の彼女が何をしていたか、詳しく知るものはほとんどいなかったはずだ。「ナレーションの仕事をしていたお嬢様」程度の認識が普通だったろう。

 実際の玲子の二十代……それは高校時代に憧れをいだいていた上級生の男性と、東京に出てきて偶然再開したところから始まった。社会人としてのスタートを二人で切り、たどたどしく愛しあい、幸福な恋愛に発展した。ところが、それからまもなくが癌で死んでしまった。恋人が死を迎えることに対する十全な知識も、最後の別れの言葉も、なにも用意できないうちに、すべてが終わってしまい、途方に暮れ、絶望と後悔の日々をさまよった。やがて、罪を罪とも思わない、なげやりな行為を重ねた。そういう自暴自棄で大胆な行動がなかったら、ナレーション中心の所属事務所から回ってくる端役程度のアニメ仕事しか経験のない彼女が、深夜とはいえ地上波で広域放送されるアニメの主役を、いきなりまかせられることはなかったかもしれない。
 
 千崎ひかるの素直な人柄は、アニメだけでなく、インターネットラジオでも人気となった。宇宙幼女『レミオ』と似ていたのは、優しい人柄である半面、他人の話に耳を貸さない自分なりの世界をもっていたこと。「もともと、そうでもなかったんだけど……」と言いながら、自分の演じるキャラの特徴を受けとめ、聞くものを飽きさせない個性的なトークを積み重ねていった。
 人気声優としての顔と、その裏にある決して人に見せない暗く重い記憶。その二面性は、最初のうちは彼女にとって「皮肉なできごと」程度のバランスで受け入れられていた。内と外の両義性。あまりにも自分そのままの人柄を仕事上の役回りとして引き受けるよりは、ある程度の差異はむしろあった方が健全と言えるだろう。
 しかし、スタッフに恵まれた『ゆーくりっと』は、確実にファンを増やし、グッズの販売が伸び、宇宙少女『レミオ』の青いタータンチェックの衣装はコスプレの対象にもなっていった。これらは、必ずしも資金潤沢とはいえない製作会社を潤す貴重な収入源となり、主演声優の千崎ひかるは手足をしばられた。多くのハゲタカが、彼女を四方からついばんだ。自由が制限され、欲望にうごめく売り手と買い手のゲームに吐き気を憶えながらも、主役を演じる栄光が彼女の魂を輝かせ、その内面は人知れず破壊されていった。

 彼女の内なる真実、それを正しく知るものは多くない。マネージャーですら、全てを知らされることはなかっただろう。千崎ひかるは、生来の頑固な性格だった。語らないと決めたことは絶対に語らなかったし、どんなに異性から言い寄られても……ファンのみならずスタッフやスポンサー関係者からあからさまな好意を寄せらたとしても、女性としての本心を開くことは一度もなかった。有名になってからのそのかたくなな態度は、マネージャーサイドとしては安心できる「よいこと」だったし、何か個人的な理由があることは察していただろうが、そこから先の詮索は、本人が拒否する以上、誰も知り得ないことだった。

 そんな千崎ひかるが、翻弄される心の内を、匿名ながらも正直に打ち明ける場所が、ネット上に一つだけ存在した。それが僕の出版社のホームページに設置されていた掲示板だった。

 
   ◆ ◆ ◆


 僕は、主に詩集を作っている小さな出版社を営んでいる。従業員など一人もおらず、安アパートで、企画から、経理まで、全て一人でこなす。実収入を支えるアルバイトも並行して続けている。もともとはネットで知り合った仲間たちと、自らの作品を書籍にするところから始まったわけだが、ヒット作があるわけでもなく、売り上げなど最初から微々たるものだった。ただ、編集・印刷から、取り次ぎとの契約もふくめ、書籍製作のノウハウは身につけたので、デザイナーや校正者などの協力を仰ぎながら、自費出版の請負を始めたのだ。もちろん大規模版元のような営業力はないが、ひとつひとつ丁寧にデザインし、最適な仕上げを模索していく、その時間的労力を惜しまないのが、僕なりの誠意であり、ビジネスだった。
 版元の名前はアップルウィンド(AppleWind)。直訳すると「リンゴ風」で、そんな英語表現は正式には存在しないと思うけれど、ただの屋号なのでよしとさせていただく。自分は食べ物としてのリンゴも好きだったけれど、なによりマッキントッシュのコンピューターを長く愛用しており「アップル」の名前が入った屋号にしたかったわけだ。(そのわりにはマックとウィンドウズを混ぜたようなヘンな語感だけれど)

 そんな個人経営の出版社のホームページに、代表である僕自身の個人的な創作物(主に短篇小説)を公開しているエリアと、掲示板があった。そこに、ある秋、新しい人物が現れた。新しい人からの書き込みは年に数回あるかないかのことだったから、そのときのことは今でもはっきりと憶えている。

 
 投稿者:bergamot

 言葉を分かち合う責務に追われ
 疲労にあえいでいた私の心に
 こちらの短篇は渇いた咽を潤す水のように
 沁みてまいりました。


 投稿者:Yuki

 はじめまして。
 僕のつたない作品を読んでいただきありがとうございました。
 これからもよろしくお願いいたします。
 ちなみに、お名前は、アロマの「ベルガモット」からですか?
 

 投稿者:bergamot

 こちらで拝見した小説……
 電車の中で再会し会話をする二人のすれ違った気持ちが
 理解できる気がして、嬉しくなったのです。

 ベルガモットは柑橘系でありながら
 複雑なトーンをもっています。
 紅茶にも利用されアールグレーとなります。
 大好きな精油の一つです。


 投稿者:Yuki

 まあ、たいがい、人の心はすれ違うものだし
 男と女となっては、これがまた……(苦笑)
 でも、そうやって未完成で終わっていく関係も
 一つ一つが美しくあればな、と思ったりします。
 ところで、スペルが難しいので日本語で「ベルガモット」さんにしません?


 投稿者:ベルガモット

 夢見る人 ハンモックで、世界を揺り 恋の睡魔を誘う 
 降る雪、一瞬の夢果てしなく アメジストの珠 空に舞わす 
 ひとつ ひとつの夢 キャンバスに描く


 ところで、この件に関しては、ひとつ、不思議なオチが存在する。
 じつはそのとき、僕のところには、新しい女性からメールも届き始めていたのだ。僕はかねてからソーシャル・ネットワーキング・サービスのアトピー議論に参加していたのだが、そこで僕が書いたことに共感して、わざわざメールをくださった女性がいた。関西の主婦の方だった。ネットでの出会いに下心は一切なく、あくまでアトピーの情報をもとめてコンタクトしてきたのだ。なぜそのようなことをするかといえば、そのつらい症状が、医者に行って薬で治ることなら問題ないのだが、医者から処方される薬は、ステロイドでも保湿剤でも、症状を一時的に抑えるだけのものだけであり、薬をきらすと悪化するし、薬を連用したら様々に悪影響が出てくる。そもそも「アトピー」という名前は「原因不明」という意味であり、原因が医学的に解明されていない。よって、解決のためには、自分たちで情報をやりとりし、日常生活を改めていくしかないのだ。合成洗剤を止めたり、農薬や化学肥料の少ない食事を心がけたり。最もつらいのは、症状が身体の表面に現れることだった。他人に隠すこともできずにボロボロになる苦しみは、本気で死を考えてしまうほど深刻なものだ。僕自身はあるていどノウハウを心得て、外見だけではほとんど気がつかれない程度までよくなっていたが、一時はかなり悪化していたし、共通した苦しみを分かち合える人とメールでのコミュニケーションできるのは下心なしでも十分に嬉しいことだった。
 その一方で、掲示板には、心の痛みを綴った詩の投稿が続いた。
 まるまる一ヶ月、僕はメールでの交流と、掲示板への詩の投稿が、同一人物のものだと信じきっていた。
 ベルガモットさんがアトピーを患う女性と思い込んだ僕は、詩で綴られていく心の闇に、我がことのように共感し、口先だけではない励ましを、心の底から送り続けた。
 
 一ヶ月ほど過ぎてからだった。状況的にはわかりきったことながら、いちおう確認のつもりで、僕はメールに、掲示板の話題をふってみた。あの詩のつらい気持ち、やっぱりそうですよね、と。すると、先方からは意外な内容がかえってきた。

「たしかに、まるで私が書いているみたいな不思議な感じです。そんな気にさせられますが、でも、ベルガモットさんは、私とは別人です。ごめんなさい」

 はあ?
 目が点になる、とはまさしくこのことだ。 
 内容的にも、タイミング的にも、全く疑いようのないことだった。僕が見ず知らずの女性からメールを受け取ることも、掲示板に書き込んでもらうことも、どちらもきわめて珍しいことなのだ。それが、何の関係もない別人から、完全にタイミングを合わせて始まるなんて、確率的にありえない。
 状況的に疑う余地はない。冗談だろうと思い、再度メールで確認したが、やはり答えは同じだった。別人とのこと。

 アトピー仲間の女性とは、一ヶ月あまりで情報のシェアをほぼ終えて、別人だと断言されたところで、交流は途絶えた。しかし、それとは別に、掲示板でのベルガモットさんの投稿は続いた。

 アトピーとは関係ない人と知ってからも、彼女の文章は、どこか重くて痛々しい印象がつきまとっていた。
 自分なりにイメージしたのは、車椅子の少女だった。交通事故で脊椎損傷し、ひっそりと車椅子の生活を送っている文学少女が『ベルガモット』というハンドルネームで、かなわない願いや、他人の言葉に傷ついた心や、逃れようのない苦しみを、書き綴ってくれているのではないか?  

 なによりも僕が書いて公開する短篇小説に対する彼女からの反応が、いつも的確すぎて驚いてしまった。こちらの心が見透かされていると思えたし、普通ならばなかなか理解されなかったり、むしろ逆の意味にうけとらたりしがちな微妙な文脈まで、全く僕と同じ感性で受け取ってくれる。孤独に小説を書き続けている者にとって、これほど嬉しいことはない。
 
 言葉って、なんなんだろう、とあらためて考えさせられた。

 もちろん、僕が詩や小説を書いたり、出版したりという、いかにも儲からなさそうな仕事にこだわって模索し続けているのは、基本的には言葉の可能性を信じているからだ。ただし、それは、よく人が期待をこめてロマンチックに語るところの『言葉の可能性』とは、少し意味が異なる。
 僕にいわせれば、言葉とは記号の集積にすぎない。『赤』とはどういうものかを、形容詞だけで説明することは不可能だ。
 ただし、言葉には、ときどき『カウンターパンチ』が発生する。
 これがもし映画だったら、ポテトチップスを食べながら寝そべって見ているだけでも、わりとすんなりと感情移入できる。受け身でいるだけで感動できるのだ。しかし、小説はそうはいかない。自ら文章を読み、状況をイメージし、人々の思いを理解し、雰囲気を盛り上げていかなくてはならない。いささか面倒ながらも、そうやって自ら入りこんだところに、何かしらの『よきもの』が存在すると、カウンターパンチとなり、心に響く。それは人生を変えるほど強烈なインバクトとなる。
 そして、僕が白いiBookを通じて、未知のベルガモットさんとやりとりしていく中で、直面したのは『愛』だった。僕などたいした恋愛経験もなく、現実における愛だってよくわからないというのに、言葉だけのコミュニケーションに何を見いだそうというのか。なんの可能性があるというのか。そんなもの、解体すれば、すべて「0」と「1」のデジタル情報にすぎないのに。
 
 その年の暮れに、彼女は「連作」と称して、数行の短い詩を、ほぼ連日、書き込んでくれた。イルミネーションがきらめく華やかの街の片隅で、一人ギター演奏を続ける演奏家についての、孤高の詩だった。
 その意味は、小さな出版社を営んでいる僕の比喩のようにも受け取れたし、彼女自身の立場をメタファーとして説明するものとも受け取れた。両方の意味で受け取れた。それはたぶん、実際に両方の意味だったのだろう。
 僕は冬の都会の道を一人で歩きながら、彼女の詩のいくつかのフレーズを思い出し、喜びとも悲しみともつかない感情が、まるでグラスに注がれた白ワインのように芳香をまといながら、人知れずゆらめくのを感じた。

 年が替わり、春になったところで、いったん現在の掲示板は終了になるとアナウンスした。ホームページのサーバをべつの業者に替えるためだ。新しい掲示板は時間的間隔が空くことなくスタートできるが、ログを引き継ぐことはできない。
 その新しい掲示板に、主宰の僕以外で最初に書き込んでくれたのは、やはりベルガモットさんだった。
 

 投稿者:ベルガモット

 『ヘルメスの杖』の祝福を受ける十分に
 価値あるかだだとお見受けします。
 『愛』に疲れた孤高なナイトに
 「旅立ち」「出会い」「狂気」「戦闘」それぞれのメタファーに立ち向かい
 考えることだけではなく情動に触れることも大切だと知ったナイトに
 癒しの水を差し上げます。
 いくら頑張っても、世の中を変えることはできません。
 星降ることに願いがかなわなくても 考えごとを一休みし、
 大いなる海に身を委ねてみましょう。
 喜怒哀楽を自然体(それ)として受け止めてねって。
 自ずと答えが出てきますよ

 
 投稿者:Yuki

 ついさっきまで小説を書いていました。 
 もう少し手直し入れて、公開は金曜の夜になると思います。
 よろしくお願いします。
 それにしても、ベルガモットさん、すごい。
 ちゃんと啓示になっていますよね。
 僕は正直、『癒しの水』の存在を信じてはいませんでした。
 一般的な意味ではなく、自分自身にとってのものは。
 よく「あなたは神を信じますか」「あなたはUFOを信じますか」って問いがあるけど
 人はたいてい「自分で見たら信じます」と答えますよね。
 僕も同じです。
 癒しの水の話は聞いていたし、それっぽいビジネスはよく目にするけど
 本当に信じる気になれたことは ほとんどなかったと思います。
 でも、あったんですね。 


 投稿者:ベルガモット

 『孤独な猫ついて』考えていたのです。
 三匹揃った猫、一番感情発達した猫さんが、ケニスベルグの橋で迷子になっているのです。
 それも、雪の降るとても寒く、誰もいない場所です。
 アンデルセンの故郷のようなとっても寒いところです。
 猫さんを見つけ出すために、私は思ったのです。
 雪に埋もれた土に、エモーションの種をまこうと。
 春にならなければ、芽は出ませんが、猫さんが『それ』をみつけることができると信じて。 

 
 ヘルメスの杖は、タロットカードでは恋愛の象徴でもある。すでに自分たちの関係が異性間の恋愛に近いことを意識していたが、しかしハンドルネームの元での言葉のやりとりだけで、人は相手を愛することができるものだろうか? 
 正直、難しいと思う。そもそも、恋愛とは、性的なことであり、男は女性の丸い胸とかお尻とか、ちょっとした女の子らしい仕草などに、ハッとして、恋に落ちていくものだ。記号としての言葉に、そういう刺激はないわけで。
 むしろ僕には、原始的な何かにつながっているような、時空を越えた運命のようなものをばくぜんと感じていた。
 僕自身は、前世とか来世というとらえ方をあまり信じてはいないのだけれど、目に見える現実を越えた何かが存在することはうすうす信じているし、何かそういう不可思議な力で異性と出会うということは、ありうることだと思っているのだ。

 実際、我々のやりとりは、超現実的だった。
 ベルガモットさんが、ヘルメスの杖の余談として、ヘビについて書いてきたことがあった。
 幼少の頃、特にヘビは怖いものとは思わず、仲良く遊んでいたものだが、いつの頃からか、大人がヘビを非常に恐れており、怖いものだと諭された。すると、ヘビが怖くて、触れなくなった。かつては、仲良く遊んでいたのに……

 このことについて、たまたま掲示板を読んでいた、アップルウィンドの専属DTPデザイナーである西麻美は
「咬まれて怖くなるのはわかるけど、大人に言われて怖くなるって、おもしろいね」
 と、僕に電話で感想を伝えてくれた。
「見ていたんですか?」
「チャチャ入れようか迷ったけど、今は静観中」
「もう……」
 すでに旦那のいる西麻美は、ほとんど収入にならないうちの仕事を嫌がらずに手伝ってくれる貴重な人材だった。ときどき掲示板がヒマすぎると、息抜きの書き込みもしてくれる仲間の一人だ。
「ねえ、ベルガモットさんって、誰なの?」
「知らないです。いろいろ考えているんだけど、わからない。僕たちが本を作ったときの関係者が、匿名で応援しているのかな、西さんかな、とか、そんなことまで考えたりしたけど」
「ずいぶん凝った文章を書くものね。筋金入りって感じ」
「いつも僕の小説の感想をくれるんだけど、的確すぎて驚かされる。僕は創作のとらえ方みたいなことに関しては、人に負ける気がしたことないんだけど、あの人はべつ。正直、自分の方が負けているかも」
「確かに才能ある人っぽいよね。文章がうまいというわけじゃないけど」
「西さんがそれを言うかな」
「だって、ほら、ヘビのこともそうでしょ。物事をああいうふうに捕らえて語れる人、あまりいないよ。もともと仲良く遊んでいたのに、大人に諭されて、怖くて触れなくなった、って」
「西さん、似たような経験、ある?」
「デザインの仕事って、素敵だと思っていたけど、やってみるとしんどい、みたいな?」
「それは、ちがう」
「ま、ハルマキみたいなものよ」
「ハルマキ? なんで?」
「理由なんて、ない」
「理由がないと、会話にならないんですが」
「私の専門はデザインなもので。感性よ」

 そして、このことを、さっそく、掲示板に書き込んでみた。


 投稿者:Yuki

 あのヘビの話、ハルマキみたいだっていう人がいたよ。
 うちのデザイナーですけど。
 アーティストとしてどうよ、って思いますよね。


 投稿者:ベルガモット

 それはとても興味深い話です。
 共時性は 時空を越えて、つながりを現します。
 じつは、私の今日の夕食がハルマキです。

 
 投稿者:Yuki

 それも運命と呼ぶべきなのだろうか?
 何か気になっていると、関係ない人が同じことを話題にしたり、
 偶然テレビで同じことが取り上げられていたり、みたいなことはあるものですが。


 投稿者:ベルガモット

 静心について。

 静かな心の状態とは どのような状態でしょうか。 
 今日も少しだけお話しますね。
 まずは、目を閉じてみましょう。 
 文章が読めないですね(笑)
 いいから目を閉じてください。 
 目を開けたらだめですよ。 
 5分でいいので目を閉じてください 我慢して〜〜  
 では、本番です。 
 一体何を想像してるんですか(笑) 
 あはは  そうじゃなくて
 今日は とてもとても 重要な話なんです。
 目を閉じていた間に 心でおしゃべりしてたでしょ  
 『心のおしゃべり』
 少しドキドキした?(笑) 
 お話はこれで終わり 
 また、ゆっくりとお話します。


 投稿者:Yuki

 ジャック・マイヨールが10歳の時に唐津の海で
 初めてイルカと出会ったときの話を思い出してしまった。
 僕たちは想いを共有したり、心がつながることを 
 一般的にあまり信用していないのです。
 そんなものを信じたら、だまされて、奪い取られるだけ、
 と警戒心をみなぎらせて。
 でも、現実のバタバタとしたさざ波が消えたところに
 豊かな世界は広がり、つながっている。
 本当のおしゃべりって、そういうことかも。
 静心、ときどきやってみますね。

 
   ◆ ◆ ◆




つづく