シェアリング



 初夏のころになると、ベルガモットさんとは別に、もう一人、僕は女性の詩人と知り合った。こちらは、完全にリアルでのできごとである。
 僕がアルバイトをしている書店の新入社員で、スラリとした佐伯梨紗(さえきりさ)が、その人だった。学習参考書のフロアで働く彼女は、文字通りファッション誌のモデルのように身体の線が細く、目鼻立ちのすっきりした小顔の美女で、僕は男子として興味を持たずにいられず、それが親しくなった最初の動機ではあったけれど、まさか、そんな外見の女性が、詩を書く昔ながらの文学少女だったとは。しかも、その作風は、あられもないメルヘン調だったのだ。
 従業員用の休憩室におかせてもらっていたアップルウィンドの手作り出版物を、彼女はとても気に入ってくれて、僕に自作の詩を見せてくれたのだ。外見と、嗜好のギャップに、戸惑いを隠せなかった。レースクイーンにでもなればセンターポジション違いなしの若くスレンダーな美人さんが、ふわふわぽよぽよの少女っぽい詩を、たっぷり書きためていて、恥ずかしそうに僕にみせてくるのだ。
「篠倉さんって、ご自分で出版もなさっているのですよね」
「営業力はないけど、いいもの作ろうという誠意だけがウリで」
「あの……こういう詩、どうでしょう?」
「どうでしょう、とは?」
「本にしたら、どうなるでしょうか?」
 その薄い黄色の表紙のノートは、まるでさわやかにデザインされたレターセットの一枚のようだった。 
 僕は、男としての混乱に内心はドタバタしていながらも、いちおう編集のプロのはしくれとして、神妙に中身をはいけんし、その言葉にふさわしい、ふわふわぽよぽよの本をイメージしてみた。
「悪くないと思う。イラストがほしいけど、いい絵師の人とか、知っている?」
 佐伯さんはすぐに首を横に振った。心当りないのか……
「まあ、イラストの方はおいおい探すとして、イラスト付きでフルカラーにすると、ページ数が少なくても、けっこう印刷に金がかかる。ネットでフリー写真を探せばただだけど、 やっぱり印刷物で写真は、きれいに出づらいからね。絵本みたいなイメージで、いいのかな?」
「はい。篠倉さんのイメージにおまかせします」
「本当に、いいの?」
「私は、こういう言葉が好きだし、それを篠倉さんが気に入ってくれるなら、お金の方は、ある程度なんとかしますので」

 その詩とは、たとえば、このようなものだった。


 星空の下で

 星空の下をくぐりぬけ
 オモチャの国へ行こう

 きっとたくさんたくさん
 わくわくがそこにあるよ

 足どりかるくすすんでいくと
 空から光のスジが一本

 妖精たちが近づくと
 星のかけらを地面に発見

 私はそれをもらって
 ふわふわ帽子につけるの

 ごめんね、お星様
 今夜は私のために輝いて

 とりあえず、手書きの詩集であり、テキストデータになっていないので、熟読がてら、僕はパソコンに詩を入力し始めた。
 その一方で、さっそくアップルウィンドの専属DTPデザイナーである西麻美に、イラストレーターの心当たりがないかメールで問い合わせた。サンプルの詩もそえて。
 メールの返事はこのようなもの。

「予算があるなら頼みたい人はいなくはないけど、いそがないなら、夏コミまで待って。あの会場って、わりと叙情的なイラスト置いてる子たち多いから、バイト代出せば手伝ってくれる人が見つかると思う」

 ああ、夏のコミックマーケットか……。確かに自費出版の漫画を多数置いてある会場となれば、パロディやエロだけでなく、ふわふわぽよぽよの少女っぽい絵師も見つかりそうだ。
 ていうか、意外と佐伯さんの詩みたいなものは、ISBNをつけて書店流通させるより、完全自費出版と割り切って、コミケに持っていった方がいいかもしれない。というのは、詩集としての魅力もさることながら、佐伯さん自身がセクシーコスプレをして会場にたたずんでいれば、それだけで買い手の注目を浴びるのではないだろうか? ちょっとザンネンな臭いがしてしまう男子たちが、列をなして買い求めてくれるのではないだろうか?
 
 それにしても、本来は古典好きで、硬派な志向の自分としては、アキバやコミケなどに関わるつもりはなかったはずなのに、少しずつ侵略されているような気がする。昨年から深夜アニメも見始めてしまったし。なかでも『ゆーくりっと』は欠かさずに見ているし。
 
 僕くらいの世代で、アニメやマンガといえば、『ナウシカ』であり、高橋留美子だったように思う。高校のクラスメートにはコミックマーケットに足を運ぶ友人がいて、その恥ずかしい実態の一端を垣間見させてもらった。
 何が恥ずかしいかというと、その友人が最も活き活きと目を輝かせるのが、パンツに関して語るときだった、ということだ。ナウシカのパンツ、ラムちゃんのトラ柄のパンツ。あくまで女性の下半身をまるままはだかで見せてしまうのではなく、一枚の布でおおわれていてこそ。その曲線の、秘めやかな質感!
 僕はそれを理解できるかどうか、という以前に「理解できる人になりたくない」と感じた。
 もっとも、僕はやはり『ナウシカのパンツ』に過大な魅力を感じることはないと言えた。僕の関心は、下半身ではなく、むしろ上半身にあった。それは胸のふくらみであり、漫画においては、乳首まるみせのエロ漫画よりも、白いシャツから透けるブラや、タイトな戦闘服の隠しようのない胸のボリューム感、そういったものに魅力を感じた。
 胸フェチ、と呼ぶのだろうか?
 そうかもしれない。いや、絶対そうだ。
 というのも、これに関しては、きちんとした理由が思い当たるからだ。
 僕には少し歳の離れた弟がいるのだが、弟が赤ちゃんのときに、母と三人で風呂に入ると、母の胸を奪い合ったものだ。赤ちゃんとしては、それは自分の食糧供給源であるから死活問題だが、物心ついた幼少の僕としては、そのやわらかな手触りが好きで触れていたい。「お兄ちゃんはもうおっきいんだからやめなさい」「ヤダ」みたいな兄弟でのとりあい。すると母が「じゃあ、お兄ちゃんもオッパイ吸うの?」とマジでたたみかけられると、それも「ヤダ」と否定する幼心の複雑さ。
 うちの母は、わりと平凡かつ庶民的な体型の人で、ほとんど巨乳とは縁のない人生ではあったけれど、僕の記憶の中の、その入浴シーンだけは、今思い出しても超グラビアアイドル並みの胸の豊かさだった。
 そうやってソフトな乳房の魅力を、幼くして心に刻まれてしまったものだから。
 
 ちなみに、僕が今まで関係を持った女性たちは、かろうじて複数形として語ることのできる最少人数であったりするのだが、結果的に、二人とも胸は大きかった。そのことについては、僕がそれを望んでそういう人と親しくなったというよりも、縁あって親しくなった人が、たまたま胸が大きかった、というだけのことなのだが。
 それは、幸運なことなのだろうか? と、僕は今でもときどき自問する。
 たとえば腕を組んで新宿の街を歩いているときなど、中身がたっぷりつまって膨張しきっているブラのカップの側面に僕の肌に圧迫されて、むしろ腕の肌の方がへこまされしまう、その圧力に、確かな幸福を感じる。
 そういった、精神的恩恵があるのは事実だ。しかし、男と女としてベッドで裸になってしまえば、やはり行為のセンターポジションは、胸ではないわけで、ことが済み、心が冷静になっても、乳房は始まる前と同じようにそこにあるのはいかがなものか。終わったのちに、小さくなるとか、たたむとか、しまうとか、片づけるとか、そういった気のきかせようがない大きな乳房というものは、それはそれで、いささか困った存在だ。
 
 そういった事情もあり、巨乳はもういい、というのが偽らざる正直な気持ちだったりする。むしろ普通であることの謙虚さ、あるいは平たい胸の少年のようなピュアさに、より魅力を感じる方が、性的にレベルアップした男子のあり方ではないだろうか?
 そんなとき、僕の目を奪ったのが、書店で働くスレンダーな制服姿の佐伯さんだった。
 本作りの話が具体化すると、佐伯さんが自らうちの掲示板に書き込んでくれた。RISAの名で。


 投稿者:RISA

 はじめまして。
 わたしも、へたですけど、詩をかいています。
 こんど、こちらで、本にしてくださることになって、うれしくて、かき込ませていただきます。
 ところでこないだ、ノラネコさんと会いました。
 都会のなかでいきる神経質なねこさんです。
 なかよくはなれなかったのだけど、なぜかとても気持ちが通じるような気がしました。
 そんなこと、ありませんか? 


 ひらがなの多い、子供っぽい文章だ。
 美形の本人からはかけ離れた、どちらかというと不細工で実直な文学少女の印象。
 すると僕が書き込む前に、ベルガモットさんからの返信がついた。


 投稿者:ベルガモット

 はじめましてベルガモットです。このたび詩集を作られるとのこと、おめでとうございます。
 私はこちらの掲示板に遊びにきて半年ぐらい経ちます。今後、宜しくお願いします。
 お書きになられている、生き物との出会いに関して、少しお話します。
 私は散歩がするのが趣味で、近場ですが、色々なところに出向きます。
 神田川沿いの遊歩道を源流に向かって 散歩していた時のことです。
 寒い日、あたりは薄暗くなり、陽もまもなく沈む頃、突然、とてつもない存在感を背後に感じました。
 力強く、生き生きとした存在が後ろから迫ってきました。 
 圧倒され、振り向くことさえ出来ません。
 夕日に照らされた長く伸びた私の影さえ縮んだと思うほどの圧倒感で、
 呆然とたたずむほかありませんでした。
 その時、ふと空を見上げると、一羽の百合鴎がまるで『地球の秘宝を求める冒険者』のように
 川の道筋を辿って、悠々と飛行していくのではありませんか。
 そして、私と目が合った瞬間、きれいなUターンを描き、海の方へ戻っていきました。
 いままで、これほどまで、存在感を感じたことはありませんでした。
 コンサート会場の熱気、プロ野球の応援の迫力。そんなものが、子供だましに思えるほど。
 それは、恐怖感やそういったものではなく、異質な、否、神秘的な
 生命の個々がもつ本質的な躍動するエネルギーでした。
 それ以来、存在感というものが、体でわかったように思えます。
 マイナーだとか、有名人であるとか、特異な才能があるとかいったことではなく。
 もっとも、シンプルな存在感、でも、とても深遠で、すごく安らぐ。
 こんな、お話しか出来ませんが、ささやかな香りのたわむれを楽しんいただければ幸いです。

 なんかいつもにもまして、ベルガモットさん、力が入ってらっしゃる。
 むむっ、と僕は思ってしまった。むむっ……


 夏コミは八月なので、まだしばらく時間がある状況だった。とりあえず既存のプロイラストをネットで探し、佐伯さんの詩を配置し、いくつかイメージサンプルを用意してみた。こういう素案作りは僕が自分でこなしていく。
 お菓子のような甘いイメージ全開のものと、優しいけれど静かな雰囲気のものと、やや冷たい芸術っぽいものと、三通り。
 紙のプリントアウトと、ノートパソコンの画面、両方で確認できるように用意して、待ち合わせをしている原宿に向かった。仕事とも、デートとも、どちらの意味にもとれる待ち合わせ。そこはかとないワクワク感。
 時刻は19時、ラフォーレ中の書店で淡いブラウスとスリムジーンズ姿の佐伯さんと落ち合うと、イラストのコーナーを軽く覗いたあとで、いったん外に出て、木のテーブルの並ぶ静かな喫茶店に入った。
 僕はさっそく用意した資料をテーブルに広げた。
「こんな感じで、サンプルを作ってみました。佐伯さんの希望だけでも、なるべくはっきりしてもらえると、今後、イラストレーターを探すのに役だつと思って」
 佐伯さんは、じっと見比べてから「どれも、素敵ですね」とつぶやいた。
「イメージとしては、どういうものを想像していましたか?」
「おまかせします。私は、そういうことは、よくわからないので。篠倉さんがいいと思ったふうに作っていただければ」
「でも、本人として、希望くらいありません?」
「あるつもりだったけど、なんか、よくわからなくなっちゃった。私の中では、この明るい感じだったけど、他のアイディアも、こうしてみると、いい感じで、捨てがたいです」
「まあ、急いで決めなくてもいいんですが」
「ただ、ひとつ……」
「なんですか?」
「私、男の人、嫌いなんです」
 いつになく、きっぱりと断言した。
 僕のサンブルに、男の子がいるわけではなかったし、男っぽいサンプルを用意したわけでもなかったが、創作の方法性としての、彼女なりの注文なのだろう。
 そして彼女は、おおざっぱに、ではあるけれど、中学時代に男子からひどいめにあった過去を口にした。具体的に何をされたかまでは説明しなかったし、僕が質問しても、そこは答えようとはしなかったけれど、それが本当のレイプだったとしても不思議ではないほど、彼女は内なる何かと戦いながら、血を吐くように打ち明けてくれた。いまでも夢が怖くて長く眠れないのだ、と。ベッドで眠るのは2、3時間が普通だ、と。

「それで、こういう詩を書くようになったんですね?」
「できれば、本という、確かなものとして、残したいんです」

 普段はクールに働いている彼女にとって、ふわふわとした詩は大切な心の庭だったのだ。そこに僕は招待されたわけだ。おそらく身内以外の男性としては、初めてのことだろう。光栄なことだったが、その根本原因になっている過去の悲劇を思うと、手放しで喜ぶわけにはいかなかった。
 
 そのあと、僕たちは店を替えて、ビールを飲むことにした。ベルギービールを置いてある店を近くに知っていたのだ。そこで、こんどは僕が打ち明けた。一人で迷って小説を書いていた僕を言葉で支えてくれた、あの掲示板のベルガモットさんについて。

「あの人も、最初はとてもつらそうだった。たまたま同じタイミングで、新しい女性からメールが来て、その人がアトピーについて悩んでいる人で、てっきり同一人物と思った。自分もアトピーで悩んだことがあって、ノウハウは持っていたので、いろいろ情報交換したのだけど、それがだいたい終わって、メールが来なくなってからも、掲示板での言葉の交流は続いた。別人だったのだけど、うちのところに新しい人の書き込みが来ることは珍しいし、女性からメールをもらうことも珍しいし、それがピッタリのタイミングで重なったんだから、不思議だよ。おかけで僕たちは、言葉で支えあう存在になっていた。僕も、創作のためと思って会社を辞めて、もうずいぶんバイトだけで生活しているし、ネットの仲間と本は作ったけれど、売れているとはいえない状況で、特に去年は孤立した状況だった。うまく人と会話ができないくらいに孤立していた。本を作った仲間からは、もっと営業をしっかりやってくれ、とせがまれたけど、なにせ借金で本を作って、収入がバイトだけとなっては、やれることなんて、たかがしれている。なんとか自分の創作で経済的に打開しようと頑張ってみたし、短篇はだいぶ書いたんだけれど、ネットで公開しても、身内以外に反応がなくて、ちっとも打開策にはならなくて、賞に応募しても予選で落とされるし。そんなときに、初見できちんと良さを理解してくれる人が現れたことは、本当の意味で救いだった。で、会うことを提案したけど、どうしてもそれは了承してくれない。あちらが会おうとしないのは、もしかしたら車椅子の少女かもしれない。それでも、いいと思う。僕はもう、あの人だけは裏切れない」

 佐伯さんは最初の注文をするときには「私、たくさん食べますよ」と宣言していたが、実際は小ぶりのパスタと、ビールをグラスに半分飲んだだけで「もういいです」と微笑んで首を横に振った。

 帰りは同じ方向だったので、千代田線に二人で乗り込むと、ちょうど入れ代わりにサラリーマンたちが集団で降りていったところだったので、空いたシートに並んで座った。すると、佐伯さんは、すぐにまどろみ始めた。スラリとした美しい女性が、まったく疑いのない安らかな表情で目を閉じ、静かな眠りに入る。上体が傾き、天使の羽のような軽い質感が、思いのほか温かなぬくもりと共に、僕の肩に伝わってくる。
 ホンモノの恋人のような信頼関係。しかし僕の心には、無言のうちに重い波動が投げつけられていた。彼女がかかえる慢性化した闇。それを僕が少しでも受けとめてあげられるとしたら、とても良いことだ、と思った。
 佐伯さん、いいですよ、今は安心して眠ってください……


 投稿者:Yuki

 人の心の内に隠された闇。
 敵意や、傷つける喜びのようなものが、動物としての人間に
 もともとあるのはしかたがないとして、
 その犠牲になった者の心は、どうあるべきなんだろう?
 時間だけが、最良の薬なのか……
 
 
 投稿者:ベルガモット

 闇については、ひとつ別の視点で考えたいと思います。
 土曜日のミュージアム アンリ・ルソー展、
 それは夢を語る人と夢を探す人 現実と夢と時が行き交う
 クロスオーバした不思議な空間に 人々は賑わっていました。
 意図された不思議な ぜんまい仕掛けよって……

 冷たい雨で濡れた作品のぎこちなさが
 作品と鑑賞者にダイナミックな緊張をもたらすのです。
 なかでも湖面の『輝き』の作品は、湧き水のような
『嫌』だったものが『好』に、長い年月をかけて浄化されていく過程が描かれ
 女性と湖面をモチーフとした、きらめくような愛にあふれていました。
 闇の果て、到達点としての、ひとつの答えです。


 投稿者:Yuki

 NHK『日曜美術館』で取り上げられていた絵画展ですね。
 テレビはみたけど、よかったですか?
 僕も行こうかな……


 投稿者:ベルガモット
  
『日曜美術館』は私も見ていました。それを見て、足を運ぼうと思ったのです。
 土曜のミュージアムには、素敵な人たちが集まっていましたよ。
 取り立てて打ち合わせたわけではないのに(笑)
 世田谷美術館は初めてでしたので、道に迷いました。
 同じように道に迷っていた人が実に多いこと。
 街のティシュ配りの女性に、3人の見知らぬ人同士が同時にバス停の在りかを尋ねる偶然。
 風に誘われ集まってきた人たちでした。
 共時性が働いていて、Yukiさんもくるのではないかと期待していたのですが。
『偶然の一致』にかけてみてください、そこに私はいます。


 さすがに、僕が勝手にいだいていた車椅子の少女というイメージは、考えすぎだったようだ。
 それにしても、彼女は、別の話題を語りながらも、僕が悩んでいることを優しく包み込もうとしてくれている。その気づかいがベルガモットさんらしい。素直に反応を返すタイプではないから、人によっては「話を聞かない」と誤解されることもあるかもしれない。でも、僕には理解できたし、その発想の自由さや、隠喩を使った表現の深さに、敬意をいだくと共に、書き手としてのライバル心までわき上がってしまうのだった。
 

 投稿者:Yuki

 僕は学生の頃からよく恋愛的な想像を 自分の中でふくらませる方でした。
 ときには、それはものすごく素敵な想像に発展して、作品として書き残しても価値があると思ったし、
 実際にそういうところから小説は作られるものだったりするんですが、
 さて、現実に戻ったとき、とても困ってしまうんです。
 というのも、心の中では、すでに真実を共有したはずの相手が、実際にはまだなにもなく
 ふつうの異性の知り合いとして存在するわけですから。
 このギャップに、激しく参っちゃうわけ。
 好きな気持ちが暴走しちゃう。
 いくら「創作は創作」と切り離し、事実を受け入れようとしても、
 内なる真実は真実ですから。(苦笑)
 あふれてくる内なる事実を、めいっぱいに押さえこんで、
 なんとか現実に戻って、ひかえめに相手に好意を伝えようとするんですが、
 内なる真実に反して、そんなことを都合よくはできないわけです。
 相手としては、中間すっ飛ばしたディープさに驚き、引いちゃいます。
 だって空想の中では、抱き合うことはもちろん、すでに大きなケンカもして、
 涙ながらにわかり合って、深い結びつきを確認した、みたいな
 そういうことを一通り経たあとみたいな状況なわけですから。
 脈絡もなく、いきなりそんな表情で接せられたら、
 自分が女性でも、ゼッタイ引くと思います。
 心の病気みたいな話ですけど、創作って、ある程度は、そういうものかもしれません。
 よく問題とな、事実を事実として受け入れられないストーカーの気持ちも
 僕はわりと理解できるかも。
 ところで、自分はすれ違いを多く書くけど、それは、すれ違いの経験がたくさんあって
 すれ違いではない経験というのが、ほとんどないようなものだからからかもしれません。
 これからゆっくりと、すれちがいではない可能性も広がるといいなと
 未来を信じたいこのごろです。


 投稿者:ベルガモット

 縁について、扉を開く一つのキーワードと なると思いますので、
 私の経験をお話しします(メタファーですが)

 ある日、寒い暗闇の刻、並木道の街を歩いていると
 眩しいほどの鮮烈な光がまわりを染めていました。
 経験したことがないような光に思わず足が止まり
 言葉を失うほどに 大地の野獣さえ安らかにさせるそのシグナルは、
 『私に気がついて』という強烈なメッセージが込められ
 『受け止める誰か』を探しているようでした。

 周りには情景をメモに取る人、見守る人、優しい人たちにあふれ、
 これから旅の門出を祝うように 受け取った『透明な地図』
 そこに写されていたものは 内なる真実
 『在るべくして在り そこに在った』

 優れた作品は、作者の意図を超え 人々に受け継がれていくように
 探求しなければ 一生気がつくことができなかった 一つの奇跡
 現実の悲劇は 二つの時がもたらす すれ違い
 愛を知る人であれば 扉が開く時の 神秘的な震え
 『自由の鐘』の響きが
 時には 己の誘惑に負け 恐れとなり 
 愛が『虚無』をもたらすことも

 愛した人に 嫌われる それは この世で もっとも『残酷』なこと
 されど 宇宙から舞い降りた 唯一の『白い瞬』
 光の結晶が 降るせつな 大切なものを 感じてくれていたら
 それは、最も美しい 瞬間にもなりえる。

 さて 縁はとても不思議です。
 敵におもえる人でも 結びつけば それは美しいものに変化します。
 お互いの嫌な所を許しあう過程は とても大変ですが。
 美しい未来を信じて(笑)


 投稿者:Yuki

 全く気にしていなかった当たり前のことに改めて目を向けると
 今まで気づかなかった大切さが見えてきて驚く……
 こないだテレビで『爆笑問題』の太田氏が読書体験について語っていて
 一番泣いたのがボネガットのSF小説だと。
 人類が滅亡するような大事件が起きているというのに
 やたらとものすごくくだらないことにこだわって
 本当にくだらないことに注目していくのが最後のオチになっていて、
 それを読んだらわけわかんないくらいボロボロ泣けた、と。

 ところで『違った視点』ということでは、
 個人的にはむしろ逆の体験(気分の良くない体験)もある気がします。

 電車に乗っていて、いつものありふれた情景なのだけど
 自分の思考を英語に切り替えると、ふっと距離を感じる。
 回りの人たちの日本語による会話が、理解できない異国の言葉に変わる。
 どこだろう、ここは、と思ってしまう。
 フォリナー(異邦人)としての自分。
 今まで当たり前だと思っていて、自分も日本人と思ってきたけど、
 いざとなるとそれは、卵の薄皮みたいに貧弱な仮想現実に過ぎない。
 ていうか、電気で動く電車に乗って移動している自分が
 そもそも過去にはなく、未来には失われていく「今だけ」の現実かもしれない。
 ブラジル綿や化学繊維を身にまとった我々。
 「中田英・引退」みたいな、我々にはさして価値もない情報が踊り
 そういう情報のために、人々の脳が執拗にうごめき活動している。
 自分の求めたいものは、ここにはないと感じてしまう。
 僕はサッカーは好きだし、中田の技量も認めています。
 でも、どういうものを求め、どこにたどり着きたいのかはわからないけれど
 少なくとも、ここではない、と強烈に叫びたくなる。


 投稿者:ベルガモット

 夢幻の森、テラスの椅子 こぼれる時の雫
 陽、染みる午後の夕べ 
 風、白きしおりの頁ひらき オレンジに染め
 想い出は 一睡の夢のよう
 大切にしたい
 好きでも、嫌いでも


 投稿者:Yuki

 ところで、ベルガモットさんは木を抱いてみる人ですか?
 僕のちょっとした趣味ですけど、森では木を抱いてみます。
 木を抱くと、木の人柄が伝わってくるんです。
 それぞれ個性が感じられます。
 つっけんどんなやつもいれば、素直で親切なやつもいます。
 物静かなようでいて、じつはなかなかにやさぐれていたり、
 老木かと思ったら、若々しい活気に満ちていたり。
 共通しているのは、その感覚には、不思議と『信頼』があって、
 人の世界の阻害感を忘れさせてくれます。 
 

 投稿者:ベルガモット

 私も、もちろん、木と対話をします。
 新宿御苑の片隅に、一本の桜の木があり、
 彼は多くの意味を私と共有し、思いを重ねました。
 彼ほど私のことをよく知っている存在は、
 この世にいないと言っていいほどです。
 いつか花と散った夢を、静かに抱き続ける存在です。


 深く染み入る掲示板でのコミュニケーションとは別に、リアルでは書店の搬送用エレベーター脇にある殺風景な休憩室で、佐伯さんとよく話をした。
 彼女は、やや歳の離れた僕と親しいことを、他のスタッフには気付かれないようにしていたから、店ですれ違うときは軽く頭を下げる程度で、特に親しげな会話はしないのだが、休憩室で二人だけになると、本来は人なつっこくて素直な彼女の心が、サラサラと泉のようにあふれ出るのだった。
「私、こないだ、グレープフルーツの香りのアロマオイル、買ってみたんです」
「どうだった?」
「私は、いいと思ったんだけど、妹が『グレープフルーツ臭い』って」
「そりゃあ、グレープフルーツだからね」
「うちの妹、ヘンなんですよ。ぶりの刺身とか作っちゃうんです」
「魚、さばけるの?」
「叔父が漁師をやっていて、よく送ってくるので」
「それは美味しそうだね」
「美味しいですよ。でも、普通、女子高生は、ぶりはさばきませんよね」
「お姉ちゃんはやらないの?」
「いちどやったら、中骨のあたりがごちゃごちゃなって、見るも無残なことに。トラウマです。今は食べるの専門です」
「家族みんなで食べるんだね」
「都会の片隅の、小さなマンション暮らしです。けど、よくドライブには行きましたよ、家族で」
「海?」
「海も、山も。父がドライブ好きなので。いつも妹と二人で後ろに乗せられて、日本をさまよっていました。父の会社の人といっしょにキャンプに行くのは、今でもやっています。奥多摩とか、那須とか」
「家族想いのお父さんなんだね」
「ええ、『父』は、いい人です」

 男嫌いの佐伯さん、……けれども幸いなことに父親からの愛には恵まれているらしい。つらいときにも、守り、支えてくれた家族がいて、父がいる。そのことを彼女自身も感謝をこめて理解している。彼女は、異性としての『男』は嫌いだけれど、いつか父親のような優しい旦那さんと出会い、幸福な家庭を持ちたいとは願っている。
 
「ところで、私、あさって、誕生日なんです」
「え? 何か予定あるの?」
「ないです」
「僕も、あさっては、休みだけど……」
「私、篠倉さんのところに行こうかな」
「え、僕のところ?」
「ダメですか?」
「いや、ダメじゃないけど、でも、そういうことなら、ディズニーランドとか、どう? ていうか、ディズニーシーの方、まだ行ったことなくて、一人で行くのもなんだし、ずっと機会を逃していて」
「いいんですか?」
「僕でよければ、だけど」
「ありがとうございます。さっそく、予定、入れちゃいます。後からダメって言っても、ダメですよ」

 休憩室に他の従業員らがやってきて、親しい会話は終わった。今の一瞬の展開について、心の中で反省会をする。
 つまり『僕でよければ』なんだけど、佐伯さんはもう、その意味、わかりますよね? いちおう自分、大切な人がいるつもりなんで。言ったと思うし、掲示板を見ていればわかると思うけど。
 ていうか、問題はむしろ、自分の方なのか。「篠倉さんのところに行こうかな」の意味を、もっと真摯に察しなさい、ってことか。
 おい、やばくね?
 いえいえ、こういうことは、あくまで佐伯さんの男嫌い克服のための善行なのである。人助けなのである。ヒューマンサポートなのである。
 デートではないのだ。わかれてからメールで「アフター6パスポートを割り勘で」という奇妙な制約まで確認した上で、待ち合わせ場所と時間を決めた。

 ディズニーは夢の世界。ふわふわぽよほよの詩を書く佐伯さんには、うってつけの世界観。そんなところに『男』と二人できてしまった彼女は、ゲートをくぐったところで、急に思考停止してしまった。
「ふぅ」
「僕はもう少し空いているかと思っていたけど、平日の夜なのにけっこう混んでいるね」
「こんなもんですよ」
「どこにいこうか?」
「まかせます」
 おざなりな態度だった。前を見つめたままの硬い表情の横顔を見て、僕も少しひるんだけれど、申し訳ないけれど、僕のこころは想像以上にはずんでいたのだ。素敵な女の子とディズニーランドでデートだもの。見回せば、意味があふれている。物語から魔法によって現れたかような建物や、壁に刻まれた小さな文様に至るまで、いたずら心とサービス精神に満ちている。詩人の少女とやってきて、それらをひもとく面白さがあるのだ。これは、かなり、最高だ。思わず顔がほころぶ。
 しかし、歩みを進めるほどに、彼女の表情は凍り付いていく。アトラクションに並んでいるときも「今日はこんなことしたかったわけじゃないんだけどな、わたし、なにやってんだろ」と言葉にならない自己矛盾をかかえ、ハンカチで額の汗を叩き、いらついたような表情を見せる。僕が楽しそうに話しかけると、あきれたように肩をすくめる。
 そこまで不機嫌になられたら、僕も悟らないわけにはいかない。そりゃあそうだけど、じゃあどうしたらいいんだ? 僕は男としての解決策を見いだせず、そこそこリアルな樹脂製の岩石を、鉱山技術者が素材を確認するかのようにしげしげとなでてみたり。
 矛盾していることは、わかっている。僕がこういう場所に来るべき女性は他に存在しているのだから。しかし男嫌いの佐伯さんが、珍しく素直に心を許せる異性と出会っていることも、事実として決して軽視できない。それが僕であり、できればこのまま彼女の身体に刻まれた悪しき記憶を優しくいたわり、取り除いてしまえたら、と期待する権利が、佐伯さんにあるのはまちがいない。歳の差もいい感じに開いているし、恋愛としてつきあわなくてもいいから、男の人を信じてもまちがいではないのだ、ということを、心と体に教えてほしい、というような具体的目標は、なくはなかった状況であり、それがまして佐伯さんのような美しい女性となれば、僕なんかには100万年に一度あるかないかの奇跡的幸運といえたが、しかし、どういう状況になったとしても、一つだけ確実なことがあった。ベルガモットさんは裏切れない。それ以外のことなら、なんでもオッケーとしても、ただ、それだけは、どうしても妥協できないこと。

 複雑な心境ではあったけれど、客観的に見ればおそらく小学生でも理解可能なわかりやすい男女の矛盾をかかえたまま、半ば義務的にアトラクションを回った。
 やがてメインイベントである夜のショーが、ホテルラミコスタ前の湖を舞台に始まった。 オレンジ色に荒ぶる火炎が王。しなやかになびく噴水が姫。対立する二者の比喩的なストーリー。もちろん最後は和解してディズニーランドらしいハッピーエンドに至る。夜空に花火が打ち上げられ、幸福なエンディングに花を添える。僕はとまどったように夜空を見上げつつ、人の流れに逆らうことなく、佐伯さんと並んで出口に足を向けた。
 まあ、あまり楽しめないディズニーシーではあった。来たこと自体がまちがいだった、と言って言えないこともない。しかし、最後に出口に近い大きな売店に入り、少し別行動をしてから、再会すると、たがいに相手へのプレゼントを手にしていた。僕は佐伯さんのためにプルートーの小ぶりのぬいぐるみを。佐伯さんは僕のためにミッキーのコーヒーカップを。それが、少なくとも僕たち二人が今日、ここに来た証だった。しばし人混みを離れて、ブルーライトに輝く噴水の前でプレゼント交換した。純粋な幸福感に包まれた。子供のように「ありがとう」と言ってみる。そんな素直な言葉が似合う瞬間だ。二人だけの宝物だった。もしここで一線を越えてしまえば、得るものもあるが、失うものもある。その手前で、踏みとどまること。思えばディズニーランドは、制御された架空世界であり、船といいながら水中のレールを移動するだけ。「リアルを持ち込まない」という約束ごと。それは僕と佐伯さんとの関係にも、最後にはフィットしていて、帰りの電車で一人になった僕は泣きそうになりながら苦笑していた。

   ◆ ◆ ◆





つづく