たつまき


 何年か前の話になるのだが、僕が広告代理店でプランニングの仕事に関わっていたころ、IT系の大きな展示会で偶然高校のクラスメートたちと遭遇したことがあった。それも一人ではなく、三人同時に。
 とはいえ、二人は同じ会社の人になっていた……ここで「同じ会社に勤めていた」と説明できないのは、二人とも取締役だったからだ。こういうことはITビジネスで珍しいことではないらしいが、要は初期投資があまり多く必要ないからだろう。極端な話、事務所とパソコンさえあれば、とりあえず会社を始められる。数千万の機械が必要な工作工場や、整形外科医が開業するのとは事情が違うのだ。パソコン数台で始めたとしても、万が一にも上手くチャンスを引き当てられれば、大手もビックリの稼ぎをたたき出す。まあ、僕のかつてのクラスメートが始めた会社は、新しい教育市場の開拓を目指し、まだ『可能性を探っている』という段階だったわけだが。
 出会ったもう一人は、なんと、僕たち男子の憧れの女性だった佐藤知美(ともみ)さん。彼女は別格なのだ。誰もが認める高貴な存在。すらりとした美貌。決して気取らず穏やかな物腰。芸術に明るく、自分でも絵を描き、バウル・クレーのような抽象画を得意としていた。
「あれ、西高の知美さんじゃないですか?」
 僕が彼女に声をかけたのは、某イラストソフトのブースでのことだった。
「あら。ノジオさん?」
「そう。偶然だね、元気?」
「ええ。まあ」
「さっき、ツノッチとタカブーにも会ったよ。二人は出店側だから、あまりうろうろできないみたいだけど。知美さんは?」
「私は見学に来ただけ。フォントとか」
「デザイナーとして?」
「はい」
 僕たちは、まずは礼儀正しく名刺交換をした。
「やっぱりね。そうかー。知美さん、美術部だったものね」
「でも、大学は文学部だったから、回り道しちゃったけど」
 謙遜してうつむく姿は、不思議なほど昔のままだった。あれから一五年が過ぎている。もう若いとは言えない歳だけれど、すらりとした姿勢や整った顔立ちは、今でも十分に魅力的なのだ。若干、痩せすぎて、疲れているようにもみえたが、デザイナーとして多忙なのは実力が認められている証。なにより知的な目の輝きが、その事実を証明してくれている。
 僕たちは軽く近状を報告しあってから『取締役の二人に昼飯をおごってもらおう』という方向で話がまとまった。とりあえず知美さんは、今日の午前に入校を済ませ、午後はフリーとのこと。僕も、本当はやることはいろいろ抱えていたが、集中できるのはいつも日が暮れてからだったから、久々の再会をゆっくり祝っても、酒さえ飲まなければ特に差し障りはない状況だった。

 僕と知美さんは、参加企業ごとに様々なアナウンスが発せられている騒々しい会場を早足で横断し、会場の角に陣取ったハデな構えのブースに向かった。社名は『りるりる』。まあ、あの二人らしい社名だと言えなくもない。黄緑色のワンピースの女性たちが笑顔でパンフレットを配っている。僕はその一人に声をかけ、取締役の二人のことを尋ねた。ぽっちゃりとした顔の女性は、少し緊張した表情になり「お待ちください」とブースの奥に消えた。
 すぐに二人のスーツ姿の男性が現れた。長身のツノッチと、小太りのタカブー。僕は喜びを隠しきれずに言った。
「やあ、お二人さん。大ニュースだよ。さっき偶然、佐藤知美さんに会っちゃって。みんなでランチとかいかない?」
「あ、ほんとだー」とタカブーが吠えた。「知美さんじゃないっすか。元気? ねえ、元気元気?」
「おひさしぶりです」
 と、押しの強いタカブーに苦笑しつつ、知美さんは淑やかに頷いた。 
「なんだ、そうとなっては展示なんてどうでもいいぜ。どこかにずらかろう」
 とツノッチはクールに言い放った。
「いいの?」
 いきなり『ずらかろう』などと言われてしまうと、僕としても二人の立場を察して心配してみる。
「ま、どうせここで商売しようってわけじゃないんだ。うちの主戦場はビー・トゥ・シーさ。女の子がパンフレット配ってくれれば万事オッケーなんだよ」
「あいかわらず、ツノッチはクールだな」
 と僕。
「知美さんの前だと、特にな。でへっ」
 とタカブーが目を丸く見開き、横目で仕事の相棒に視線を送る。
「おい、ばか、そういうのやめろ。関係ないって。絶対、関係ないわけ。いいか、お互い、大人なんだから、ヘンなこと言うの止めよう。オーケー?」
「ねえねえ、ところで、知美さーん、まさか今日は、コンパニオンで来たわけじゃないよね?」
 おどけて質問したタカブーに、知美さんは「むりむり」と手を振った。
 僕はタカブーのたるんだ頬に、右ストレートパンチを突き刺した。
 
 というわけで、四人で会場を出ると、目の前にあったタクシー乗り場に向かった。今の時間は客よりもタクシーの方が圧倒的に多く、待つことなくドアが開いた。横幅があるタカブーが「オレ、前いくわ」と助手席に率先して乗り込み、あとの三人は後部座となった。先にツノッチが乗り、まん中に『主役』の知美さん、最後に僕。
「で、このへんって、どうよ」
 と僕が聞くと、前のタカブーが座席に乗り上がって後ろに身体を向けた。
「ホテルの中でよければ簡単だけど、他に何かある?」
「『ミワ』っていう喫茶店があるはずなんだけど」と知美さんが言った。「けっこうおしゃれな店で、甘いものがすごく美味しかった。学生時代の思い出の場所」
「き、喫茶店?」
 とタカブーの声が裏返った。
「『喫茶店』かあ」とツノッチは頷いた。「妙に懐かしい言葉の響きだな。『ミワ』っていう名前も、なんだか知美さんっぽい」
「いや、まあ、いいんだけどね」と僕はわざと東北なまりでしゃべった。「あのね、僕たちね、取締役に美味しいものおごってもらうつもりだったのね。接待って言うの? いわゆる。交際費を使うなら、今まさにこのとき、と言いたいわけね。わかる、みんな?」
「べつに経費でおごるのはかまわないが」とクールなツノッチ。「ここは知美さんの意向が一番ってことにしよう。それとも、ノジオは普段美味しいもの食べてないのか?」
「そうなの、僕、全然美味しいもの食べれてないね」
「本当に?」
 と知美さんに真顔でのぞき込まれてしまうと、僕としてもこれ以上ヘンなことは言えない。東北なまりをやめて普通に説明した。
「質素に暮らしてるからね。僕は、まだギタリストの夢をあきらめきれなくて。広告の仕事はバイトなんだ。でも、知美さんが好きな店があるなら、今日はそこに行きたいな」
「場所わかる?」
 と助手席のタカブーはすでに決定事項として処理していた。
「私、このへんは詳しいの。もう少し、道なりに真っ直ぐ行ってもらえますか。ファミレスみたいに大きいから、すぐにわかると思います」
「でも、どうして詳しいんだ? 学生時代を過ごしたのはこっちの方じゃなかったろ?」
 とツノッチが横から首を傾げた。
「彼氏がこっちだったから……」
 男三人は、声を合わせて「はっはっは」と笑った。

 思い出の店とはそういう意味かい、と少し意地悪に突っ込みたいのはやまやまだったが、知美さんはすでに自分の価値観と意向で突っ走っていて、それは高校時代の孤高な姿とも通じるものがあり、僕たちは素直に従わざるを得なかった。
 ところが、あるべき店がなかった。そこには無機質なガラス張りのビルが建っているだけだった。
 知美さんは見た目も明らかに狼狽し「道に迷ったのかしら」と、タクシー運転手に助けを求めた。しかしドライバーの答えも、やはり否定的なものだった。
「ここに店があったのは憶えてるけど、だいぶまえにビルになったよ。もう四、五年は経つんじゃないかな。どこかに移転したならそこにつれてくけど、そういう話も聞かないね」
 タクシーを道路脇に停車させたまま、唖然としている知美さんに、ツノッチが「まあ、よくある話さ」と優しく慰めの言葉をかけた。

 よくある話。
 そうかもしれない。
 ある人にとって、それがどんなに特別な、大切なことでも。
 
 呆然と前を見つめる知美さん。
 その間近に見る横顔は、やはり三十過ぎの女性のものだった。つるりとした肌の滑らかさは失われ、ファンデーションでフォローしているのがわかってしまう。

「ちなみに、その彼氏とはどうなったの?」
 と僕の問いに、知美さんは首を振って「どうにもならなかった」と答えた。 
「ノジオ、おまえ、デリカシーのない質問するなって!」
 声のでかいタカブーの指摘が正しいとわかっただけに、余計にむかついた。
「いいだろ。みんな、人生、いろいろあるんだ。そういうのを含めての再会だろ」
「ノジオはどうよ」
「僕だって、彼女ぐらいいたさ」
「ていうか、ノジオの人生なんか聞く前に、どこか店を決めないとな」とタカブーが前に向き直り、一瞬思考してから、運転手に質問した。「駅の北側に蕎麦屋さんがありましたよね。わりと有名なところ。藁葺きの門があって、昔からやっている店。なんでしたっけ?」
「たぶん『早雲』かな」
「そうそう。そこ、お願いします」
「はいよ」
 
 さすが取締役タカブー。率先して助手席に座るだけのことはある。名店には詳しい。それは認めるけど。

 そしてモダンな『喫茶店』とは対極の重厚な日本家屋で、香ばしい蕎麦を味わった。かなりの人気店らしいが、時間が遅かったのですぐに座ることができたし、注文してからの待ち時間も長くはなかった。
 蕎麦を食べ終わると、デザートのあんみつを人数分追加し、小さなスプーンでつっついた。柔らかく澄んだ味の日本茶をすすりながら、清楚な和室で昔話をするのは悪い気分ではなかった。
 ざっと近状を報告しあったところで、ふと時計を見ると、すでに三時近くなっていた。
「取締役さんたち、時間、大丈夫?」
 と僕が聞くと、二人は残念そうに首を振った。
「うん、そろそろやばいかもな」
「行くか」
 タカブーは、転がるように席から離れ、タクシー会社に電話し、会計を済ませた。

 外に出てタクシーを待つあいだ、僕は、ショートコート姿の知美さんの脚を見た。ほんのわずかに膝が内向きなところが、いじらしいほど魅力的だった。
 そして、ぼそっとつぶやいた。

「僕、知美さんのこと、好きでした」

 少し悲しい、不思議な時間が流れた。思い出の場所が、無機質なビルに変わってしまったことと似たような、落としどころのないいたたまれなさが、ふわっと四人を包み込んだ。

「今、幸せですか?」

 知美さんはうつむいて、二、三歩進んでから、空の一点を見つめて言った。
「私、たつまきを見たの。信じられる?」
 まるでそれが、なんの話の飛躍にもなっていないかのように、自然に。
「あんなすごいたつまき、本当にあるんだ、って感心しちゃった。空から龍の胴体みたいなのが下りてきて、地面につながって、いろんなものが吹き飛ばされた」
「それ、日本?」
 ツノッチのリアルクエスチョンに、知美さんは肩をすくめた。
「『ここ』よ」

 知美さんはコートのポケットに両手を入れて、よく晴れた穏やかな空を見上げた。
 目尻にしわを寄せて、苦笑して。

 ばか。
 たつまきなんて、あり得ないし。
 知美さんは、もっと、自分自身が幸せにならなくちゃいけないんだ。
 遠くから傍観してるんじゃなくて。
 破壊と不幸をもたらす、たつまきなんかじゃなくて。
 過去が詰まった喫茶店を、いまさら探すんじゃなくて。

「あのさぁ、『りるりる』が上手くいったら、美味いもの、おごるよ。また四人で集まろう。いいでしょ、ねえねえ」
「いや、タカブー、オレたちが上手くいかなくても、絶対また集まろう」
「そうだな。ノジオも知美さんも、いい?」

 僕は二人の問いが、一瞬、理解できなかった
 りるりる?
 ああ、タカブーとツノッチがやっている会社のことか。
 いいよ、と僕は心の中で返答を用意しながらも、紳士らしく知美さんの答えを待った。

「私なんかで、いいの? 本当は、ボロボロなんだよ」

「いいに決まってるだろ」と三人が同時に言い切って、ライバル心に火が点いた。
 実際はタカブーは所帯持ちで、僕には別に大切な人がいたから、可能性があるとしたら離婚したてのツノッチだけだったが。
 まあ、現実の異性関係をぬきにして考えても、スラリとしたツノッチなら、最も違和感なさそうではあった。

 タクシーが我々の前に停車すると、タカブーは助手席の扉を開け、うやうやしく頭を下げて知美さんを招いた。
「さあ、どうぞ、前へ」
「おいおい、横幅あるやつが前じゃなかったのか?」
 と僕は異議を述べた。
「うるさい。二人だけにいい思いはさせられない」
「大人なんだから、そういう下らない発想はやめようよ」
「自分が利益になるときだけ大人になってもダメだ、ずるい」
 
 知美さんに前席をゆずると、男三人は身体を寄せあって窮屈な後部座席に収まった。
 タクシーは広々とした埋め立て地の道を何の障害もなく疾走し、ビジネスマンやコンパニオンで賑わう展示会場へと向かった。


 

 
 その後、まだ四人で集まってはいない。
 それぞれに多忙だし、まだ道の半ばなのだ。

 でも、いつかきっと、再会したい。
 四人がそれぞれ、幸せな立場で再会できることを、心から祈っています。






 
(2009 1/8 /2010 10月改)