月を確かめる人



 こんな話は少々退屈かもしれませんが、私にとっては妙に忘れがたい何かが残っている話なのです。なぜいつまでも心に引っかかって消えようとしないのか、自分なりになんとなくわかったように気になって納得しようとはするのですが、やはり正確にはよくわからないというのが正直なところ。

 あれは、私が月を確かめに、東の丘に向かったときのことです。「月を確かめる」というのは、あまりご存じない方もいらっしゃるかとは思いますが、私たちの暮らしの中ではごくごく日常的なことなのです。これも定かな説明はしようがなくて恐縮なのですが、月は私たちの心を映す鏡のようなもの。月から何かを得るというよりも、月によって何かを気付き、確認するようなところが、昔からあるのです。もちろん月がすべてというわけではありません。月は多くの対象の一つに過ぎませんが、とても身近で、よく役に立つものの一つであることは、私個人の経験からも確かなものですし、広く私たちの間で常識のようになっていることなのです。

 さて、それは六月の夜のことでした。夏には早いはずながら、じめじめとして、蒸し暑いとも言えるほどの夜でした。私は一人で月を確かめに夜道を歩いておりました。その誰もいないはずの夜道に、自転車でこちらに向かってくる女性の姿がありました。正確に言うと、私が彼女に気づいたのは、ほんの数メートルの近さになってからでした。というのも、私たちが月を確認するといえば、それはとても精神的な瞑想状態に近づくことであり、現実の出来事に気付きにくくなるのも致し方がないところ。自転車の女性はあわててハンドルを切り、衝突は逃れました。あるいは彼女も何か考え事をしていたのかもしれません。驚いてハンドルを動かした弾みで、バランスを崩し、脇の草むらにつっこんでしまいました。
「大丈夫ですか」
 と私とは声をかけました。
「だ、大丈夫・・・と思うけど・・・」
 女性は立ち上がり、ポンポンと衣類の草を腹って、自転車を起こしました。
「私は大丈夫ですが、でも、ケイタイをなくしたみたい」
「は?」
「あなたに気がつかなかったのも、ケイタイでメールの確認をしていたからなんです」
「草むらの中に落としてしまったのですか?」
「ええ、そのようです」
「では、いっしょに探しましょう」
「よろしいのですか?」
 私は苦笑して「さして急ぐ用があるわけではありません。ただ、あの丘に月を確かめに向かおうとしていただけなのです」と説明しました。
 すると女性は眉をひそめて「月ですか?」と聞いてきました。
「そうですよ、月です」
 彼女の中で何かが引っかかったようですが、はっきりとは思い出せないらしく、とりあえず身をかがめて草むらをさぐり始めて。
「白いやつです。わりと見つかりやすいと思うけど」
「私もケイタイを持っていたら、かけて鳴らせばすぐにわかるのですがね」
「持ってないのですか?」
「はい」と私も身をかがめて草むらをさぐりながら言いました。「月を確認するというときに、ケイタイが鳴ってはいけませんからね」
「そうですか。まあ、きっと、繊細なお仕事なんでしょうね」
 私は苦笑した。「そうでもありませんよ。ただ、繊細な部分もないわけではない、ということでしょうか。それが、なかなかにして繊細すぎるものだから、あなたのような誤解もまねくのでしょう」
「私は、地を這い、ケイタイ探し」
「は?」
「忙しいのでしたら、ほっといてもらっていいのよ。自分が悪いのですから。自分で探します」
「そ、そんな。申し上げましたが、私とて、さして急ぐ用というわけではありません」
「そうかもしれませんが、なんというか、その、『ヒマだから探してあげます』的な態度、気に入らないのよ」
「ですが、こう草が茂っていては、なかなか見つかりませんよ。明かりとて、月や星のみが頼りでは」
「じゃあ、あなたが探して」
「は?」
 女性は上体を起こし、探すのを止めた。
「あなたの責任で、必ず見つけだしてください」
「いや、まあ、私としても協力はいたしますが、私の責任で、というのは少し違うかと」
「だって、ヒマなのでしょ?」
「お言葉ですが、全く用がないというわけでもないのです」
 女性は、頬によってきた蚊を叩いて、ため息をついた。なにか思い詰めている雰囲気。あるいはケイタイで確認したメールというのは、気が乱れるような訳ありの内容だったのかもしれません。
「何か取り乱す事情が、あなたにはおありかも知れませんが、私は気にしていませんよ。いくら草が深いとはいえ、さほど遠くまで飛んでいったということもないでしょう。もう少し、二人で探せば、きっと見つかります」
「ていうか」と女性は私をにらんだ。「あなた、もう拾って持ってたりしない?」
「は?」
「だって、私の白いケイタイが、そんなに見つかりにくいとは思えないし。たぶん、落とした辺りのところは、もう探したと思うのよ。それで見つからないとしたら、可能性は一つしかないと思うの」
「どういう意味ですか?」
「あなた、持ってません?」
「盗んだ、とおっしゃりたいのですか?」
 女性は、女性なりの負けん気と闘争心を前面に出し、厳しい目をして頷いた。
「あの、まってくださいよ。私は善意で捜し物におつきあいしたというのに、見つからないのは私のせいだとおっしゃるのですか? それは、あまりというものではないでしょうか」
「否定するなら、証拠を見せてください」
「どうやって?」
「草むらから、ケイタイを見つけだしてください。もしあなたがすでにお手元にお持ちでも、今見つけたかのように草むらから出してもらえれば、私はこれ以上何も言わない。何もなかったかのように立ち去りますから。それで、お互い、さっぱりした気分で別れることができるでしょ」
「確かに、もしも私が持っているなら。しかし、持ってはいないし、まだ見つかってもいない」
 実は私も、月を確認するという精神的な道程のことで、安らかな気持ちになっていたはずなのですが、ここまで言われては、もう穏やかでいられません。そもそも、よけいな善意など見せず、サッと立ち去っていたら何事もなかったのです。善意が逆に誤解を生んで、相手を怒らせ、私も嫌な気分になる。このような巡り合わせは、実際にときどきあることですが、やはり困ったものです。
 女性は開き直ったように言いました。「は、誰が悪いの? あなたよ」
 そのとき、私は生まれて初めて、女性の頬を思いっきりはたいていました。何も考えませんでした。気がつくと、そのようなことをしていました。
 女性は泣き叫び、大声で悪態をついていましたが、私は振り返らずに歩き始めました。あとの捜し物は一人でしていただくしかありません。せいぜい探し回っていただきましょう。

 月の光の届くベンチに腰掛けて、私は彼女のケイタイを開き、中を調べました。あまり恋愛を匂わせるようなメールはないのが残念でしたが、あのような女ではしかたがないだろうと思いました。おそらく彼女を動転させたと推察される最後のメールも、実際にはこんなものでした。

「やっぱり私、伸次クンと晩ご飯食べていく。ごめんね。ユリより」
 
 二人は伸次君をを巡って争っていたのでしょうか? そのわりには、そのケイタイに伸次君らしきアドレスもメールも発見できませんでした。やはりあのように短気な性格では、異性との関わりも深まりようがないのでしょう。

 さて、そういったことがわかってくると、私としてもこのケイタイを安易に捨ててしまうのは、罪深いことのように思われてきました。たくさんの異性と節操なく関わっているようなら自業自得と納得できそうなものですが、そうでないだけに、なおさら。どうしたものかと考えた末に、このようなものをまつる祠(ほこら)を作るといいのではないかと考えました。いろいろと、すれ違った善意や、内なる悪意を、聖なるものとして奉ること。贖罪のためには、それが最も適切なように思われました。またこのようなことは、私には仕事柄、これからも起こりえると思えたのです。

 私は家に帰ってから、本棚の一角に聖なる奉りものの場を定めました。そこに最初に白いケイタイを置きました。

 しかし、以後、そこに何かを追加して置くということはありませんでした。引っ越しのさいに、白いケイタイも処分し、聖なる奉りものの場も、再び作ることはありませんでした。
 もちろん私の仕事柄、他人との関わりを勝手に利用することは今でもあります。ある意味、聖なるものとして奉った方がいいような罪の意識を感じることも、無いわけではありません。そんななかでも、やはりあの白いケイタイだけは、やりすぎであり、結果的に私の中でやっていいことと悪いことのボーダーラインを作ったように思います。やはりあれは後悔の方が強かったのです。
 ま、そういった私の心境は、おそらく話をここまで聞いていただけた方なら、ご理解いただけるかと思います。
 ですが、さらに私の心に引っかかるのは、それとは少し異なることなのです。初対面の女性が、私のことを「繊細な仕事」ときめつけ、それこそが実は、行為の直接の原因になっていたということ。もちろん月を確認に行くという、その行為はとても繊細なものですし、「繊細な仕事」という表現が全くの間違いでないことは当然のことです。しかし、そればかりでないのが現実です。本当の繊細さとは、繊細でないものが鳥の尾羽のように重心を支え、バランスを取ることで、成り立っているのです。

 さて、ここでみなさまに質問です。私は繊細な男でしょうか? もう答えはわかってらっしゃるはず。繊細な部分もあるが、そうでない部分もある。特別なことではありません。ただただ、そういうことなのです。そして、これが、この話のオチです。退屈な話で申し訳ないとは思うのですが、それは最初にお断り申し上げた通り。
 ただ、一つだけ、申し添えさせてください。ずっと私の中で、何かが忘れがたく残っているように、すでにみなさまの心にも、今までなかった何かが、残ってしまった・・・きっとそれは確かでないかと思うのです。
 


(2006年6月)