約束の時間


 寒々とした北の街に夕暮れが訪れようとしていた。僕は市役所で用を済ませると、約束の時間までしばらく間があったので、海に向かう道を歩いてみることにした。だらだらと下っていく道で、両脇には古く質素な家並みが続く。金属製のはずのトタンと、木製であるはずの板が、長い時間を経てすべて同じチョコレート色になっている。多くは木製の扉に四角い板ガラスがはまっていたが、たまにアルミサッシに改築した家が目に入ると、その不自然な見た目に妙に悲しくなったりした。いや、悲しいのは、むしろ石炭の匂いのせいなのだ。我々の民族の根底に結びついている、とでも言いたくなる、どこか懐かしい貧しさの記憶。石炭自体は、身体や心を温めてくれる良きものなのに、その独特の灰の匂いは、いつも悲しい。
 でも、いいのだ。これが、生きるということだから。たとえば雑草一本ない高級マンションの地下駐車場に高級車で戻ってきて、そのままエレベーターで高層階に上がって、無機質な家具に囲まれて夕日をながめたりするのよりはよほどいい。はっきり言って、貧しさこそが、我々のふるさとであり、それを知ることから、人生は始まるのだ。チョコレート色の民家は、とりあえず時間も金もないので作ってみました、といった仮の住宅のごとくであり、その「仮っぽさ」は、どこからながめても、あるいは上と下を入れ替えてながめたとしても、全く変わらない状況だったが、そこで人々が暮らし老いている。その人にとっては、仮でも何でもなく、まさしく人生そのものなのだが、その圧倒的な絶望感をすべて引き受けてさえも、石炭の燃えるぬくもりがそこにあるのなら、ゆるされてしまうものなのだ、と思う。石炭の燃えるぬくもりが、何よりもご馳走だと信じられる人は、幸いだ。なぜなら、そこには、現実があるからだ。
 
 思いがけず一つの答えに行き着いて気をよくした僕は、この街にある親戚の家を訪ねてみることにした。男やもめの叔父が一人で暮らしているが、今は期末試験を終えた親戚の中学生たちが遊びに来ているはずだった。家は大きいので、合宿というか、お泊まり会、というか。
 久しぶりにやって来た庭木のある古い家に、僕が玄関から入ると、いきなり「たいくつ」の匂いがした。寒くて外に遊びに行くこともなく、ボードゲームも飽きてしまい、叔父と囲碁を打っている一人をのぞけば、若い来訪者たちは、みな居間で漫画を読んでいた。
 これも「生活」なのだろうか? と、僕は皮肉なことを思ってみたりする。他人の休日の過ごし方に、いちいち文句を言っても始まらないが、もう少し生産的な姿勢を持てよ、とは言いたくなる。少なくとも、僕は、ここには、いられない。

 すっかり日が暮れていた。僕は遠くからも明るく浮き上がって見える街の中心部を目指して歩いた。周囲が真っ暗だから、いちおう浮き上がって見えるが、あらゆる産業が衰退し、すっかり活気の失せた街なのは逃れようのない事実だった。いや、むしろ、活気のあった昔の記憶すら、伝説のように思えてしまうほとだ。街の北に青い龍が住んでいたとか、海から人魚が現れたことがあるとか、そんなファンタジーストーリーと同じように。
 いちおう居酒屋やキャバクラのネオンが通りを明るくしている一角を横切って、僕は静かな公園にむかった。雪が、まだ、すべてを白くしている。役所に向かった昼の道は溶けかけた雪でぐちょぐちょだったけれど、公園というのは、清らかでいいところだ。街灯の白い明かりが三つ。石炭の生活臭さも、男たちの退屈臭も、居酒屋やキャバクラのハッタリ臭さも、ここにはないから、僕はようやく一つの決意をする。
 公園の先に、約束の家があった。
 
 いさぎよくブルーに塗られた洋館の、古い扉に鍵を開けて中に入ると、僕は靴を脱ぎ、そこにあったスリッパを履き、明かりもつけずに手探りで階段を探した。もちろん、階段の手すりはすぐに見つかった。ギシギシと音のする真っ暗な階段を上がると、二階の通路は、外からの明かりが窓から漏れて視界が効く。三つの扉が見えた。その一番奥を、小さくノックして、入った。

 君はベッドで眠っていた。眠るにはまだ早い時間とも言えたが、そういった常識が全く意味をなさないことは、その安らかで深い寝息こそが明確に語っていた。そう、君は、なにかと「明確に語る」のが得意なんだよね、と思って、僕はベッドの横の床に腰掛けた。
 話をしたいかというと、そういうことはいろいろ考えたはずだったけれど、ここに来てしまえば、もうどうでもいいことになっていた。その明確な変化は、予想していなかったわけではないけれど、やはり受け入れて馴染むのに、少し時間はかかる。
 それにしても、なんで「どうでもいいこと」なんだろう? と僕は自らに問いを発する。それは、ゼロであるということではないらしい。そうではなく、物事の大小の問題なのだ。もちろん、小さなことは、誤解やら、腹が立つことやらもあったけれど、そんなことは、例えてみれば、湖に落ちた小石のようなものだ。波紋が立って、ただ、それだけ。湖に抱かれてしまえば、そんなことは、もう。
 そして、僕は、苦笑する。本当は、抱かれたのは、僕だったのかな、と。恋とか、愛とか、それすら、湖に投げ込まれた、ちょっとばかり大きめの石にすぎなかった、のかもしれない。
 ごめんね、と、つぶやこうとして、僕はそれはやめた。
 反対に、ありがとう、と発することも考えたが、それも重く感じられて。
 そういうことではなく、ただ「無」でいい。
 僕は床に座り、ベッドにもたれて、その後ろには、君がいて、そういえばずっと前から、君は、そこにいた。
 呼吸をする僕たちは、ここで絶対的に生きていた。
 今日、僕が断言できるのは、唯一、それだけだ。
 
「ねえ、今、何時?」
「大丈夫。約束の時間までは、まだ少しある」
「ほんとに?」
 懐かしい、声だ。石炭の匂いが古い記憶とリンクするように、それと同じくらい、僕には。
「ああ。だって約束の時間を決めるのは、学校の先生とか、評論家とか、親戚とかじゃなくて、僕たち、自身なんだから」
「強引ね」
「そうでもないさ」
「夢を見ていたの」
「怖い夢?」
「うんん。そうでもない」

 僕は、夢の内容について質問するべきだろうか、と考えた。ていうか、夢ではないものを語る意味って、あるのだろうか? この現実も十分に、夢みたいなものではないのだろうか? 

「公園、雪で白くてきれいだった。ピュアな空気だった。古い街並みは、石炭の匂いで、少し悲しくなった。街は衰退気味だけど、ネオンは明るく灯っていたよ」
「なにもかも、大切なものね」
「え?」
「生活は、人間の、宝石」

 薄いガラスが、カランと落下して割れたような、透明な言葉に突き刺された。
 
 僕は、ドキドキしながら、やはりここに来てよかった、と思った。
 言葉に刺されることが、僕は好きなんだ。血が流れることは、怖くない。むしろ、それ以上の何を望んだらいいのか、何を望むべきなのか、よくわからない。
  





(2012 4/7)

《写真素材 足成》