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ハワイが現れて、そのようにタクヤに言った。
僕が喚びたい人は、もういないよ。
タクヤさま……
そこにいるハワイさんの、素直な優しさにしがみつく。
心がつながっていく。
愛って、気がつけば身近にあるものなのかもね。
理想と現実は違うって、誰かが言ってた。
こういうのって、案外、幸せ。
むしろ本当の幸せってやつかもしれない。
夢や理想を求め過ぎていたのかな。
でも、べつに君が役不足って言いたいわけじゃないよ。
ごめんね、ハワイさん。
気がつかなかった僕が、バカだった。
いつも僕を見ていてくれたね、素敵な人がそばにいたのに。
愛に気がつくって、大切なことだね。
愛は追い求めるものでも、無理に作るものでもない。
ただ、気がつけばいいだけなんだ。
ちゃんと君は、そこにいたのだから。
二人で歩んでいこう。
二人で、ぐんぐん成長していこう。
それは、小さな芽。
大地に生えた苗。
二人だったら、きっと大きく育つよ。
ぐんぐん大きくなって、天に昇る。
天に届いた木は、さらに枝を伸ばして国中に広がる。
どんどん広がって、じゃまなものをなぎ倒してしまう。
とても強い魔法の木。
枝を切ろうなんてするやつは逮捕する。
だって僕らの木は絶対だから。
二人の愛は、完全なる正義。
誰にもじゃまはさせない。
枝を爆破しようなんて、バカなやつら。
正義を邪魔するものに対しては、容赦してはならない。
それは歴史の必然。
法は罪を裁く。
正義を壊すものは、悪しき罪人。
愛するものを守るために、戦わねばならない。
罪人たちを処分し、罪人たちをかくまおうとした者たちも処分する。
さらに二人の愛の木は大きく成長し、すっかり大地をおおう。
大地をおおいつくし、空間を埋め尽くす。
息が苦しい……
どうして……
なにが間違っていたのだろうか……
空気が、もうない……
また、誰もいない……
タクヤ。
ん?
ごめんね。
ユリ? ……どうして?
私、あなたのお父さんのこと、愛しているの。
いいんだ。もう知ってるから。関係ないって。僕はさっさと大人になるんだ、じゃますんなよ。
ちがうの。
なんだよ。
私、あなたのことも愛しているの。
は?
私、ラインさんのことも愛しているの。
だからさぁ、いいじゃん。僕にはかんけーないよ。すきにしてろよ。
関係なくない。あなたは、私の大切な人だから。
わけわかんねー。
わかってもらおうとは思わない。
もういいからさぁ、どっかいっててよ。オヤジとでも抱き合って、幸せにしてればいいだろ。
ねえ、幸せってなに? 一緒に暮らしつづければ、人は幸せになれるの?
どんな人でも、いつかは死んで、別れなくてはならないのよ?
だからさー、そんなこと考えても仕方がないじゃん。
ユリはユリで、自分がしたいように勝手にやってればいいんだよ。
僕にはもう関係ないんだから。
うそつき。
1 . 行こうよ。いっしょにさ。もう、どんなことがあっても、僕は大丈夫だから。
2 . いいさ。ユリといっしょなら、後悔はしない。
3 . 心配するなって。僕が何とかする。がんばるから。
4 . 死ぬ気でがんばれば、かなりのことができそうな気がするんだ。
不可能も可能になるかもしれない。だから、僕のすべてを、ユリのために。
みんな、あなたが言ったことよ。
私の心に刻まれた言葉よ。
責任とってよ。
だってそのときは、ユリのことよく知らなかったんだから、仕方がないじゃん。
誰かが、誰かの全てを知るなんて、本当に可能だと思うの?
そんなの無理。あなたのようないいわけが可能なら、人はなんだって言える。
そういう問題じゃないよ。だって自分の父親が絡んでくるなんて、普通じゃないし。
あなたが想像できない現実なんて、世の中にはいくらでもあるわ。
ていうか、ユリっていいやつだけどさ、逆に言えばさ、うざったいよね。
ややこしいの、僕は嫌いなんだ。
逃げるの?
かもね。いいじゃん。おあいこだし。
最低。
女なんて、しょせんそんなもんだって、だれかが言ってたよ。
だいたい、いい女なんて、金で買えるんだ。王子だったら、べつに金には困ってないんだよね。
めんどくさいの、イヤじゃん。金で済むことなら、楽だから、歓迎かも。
そうだよ、楽、だよ。
楽、って、大切だよ。
そうか、やっと自分が求めていること、わかった。
楽、したいんだ。
疲れてるしさ。
えっと……イルカで作った薬を打つんでしょ?
さっさとやろうよ。
あれは、かなり気持ちよかったよね。
僕、気持ちいいこと、嫌いじゃないし。
ドクターはタクヤの全身から緊張がぬけてきたことを確認した。いったんは乱れた脳波も、今ではすっかり安定し、ハワイともユリとも違う独自のリズムを刻んでいた。ドクターは隣室で待機していたイルカの解体チームにゴーサインを出した。
最初のイルカがレーザ装置の付いた処置台に乗せられた。神経に麻酔が注射され、手早く頭部が切開された。
すると横に待機していたイルカが騒ぎだした。
「ななななななななにすんの? これって、病気の治療とかじゃないわけ? 予防注射とかじゃないわけ? 実験かなんか? 実験は、平和的にお願いします。とか言ってるまに、あれ、その方、脳味噌まるみえ? え、血管になにをしてるの? 血を採ってるの? そんなところから血を採ったら、イルカの命はどうなるって言うの。ほら、もうご臨終じゃあーりませんか。まじかよ。アンビリバボー。ていうか、もももももももももしかして、次はオイラっスか? ほら、みてみて、オイラはおっぽが白いだろ? おっぱいじゃなくて、おっぽ! こういうのはまっとうなデータを提供しないよ。こういうイルカは食べてもうまくないよー。ていうか、変なことしたら化けてたたるぞー。ていうか、イルカの怨念は恐いぞー。ていうか、死んだふりー。とか言っても、誰も聞いてらっしゃらないですか? じたばたするなって? オウジョウギワが悪いって? うそうそ、誰か助けてー。といっても、人間でオイラの言うことがわかってくれるのは、あのパッとしない少年ぐらいだったしなぁ。この際、あいつでもいいからさぁ、オイラ、この際、なーんもぜいたく言わないからさぁ、あのパッとしない少年でいいから、お願いだよ、オイラを助けてくれーーーーー!」
タクヤは、ふと目をさまし、周囲を見回した。
「あれ……その声は、シロ?」
30 陰謀
成人の儀が終わったあと、王はルカを自分の居間に招き、打ち合わせをかねてランチを共にした。
もっぱら話題は、エネルギー事情に関することだった。そもそも王がイラフトに来た理由も『環境会議』という名目ではありながら、実質的にはエネルギー分配に関する交渉ごとがメインだったのだ。
経済の縮小を恐れる『エネルギーの節約に消極的な勢力』と、龍人族のように地球環境に危機感を抱き『エネルギーを節約しようとする勢力』の狭間で、調整役としての任を果たしているのが大国スーサシア……それが表向きの現実だった。
しかし裏では、はるかに切迫した状況が進行しつつあった。スーサシア国内にも、地球環境破壊を避けられない現実ととらえ『軍事力により争奪の時代を勝ち残る』と行動を始めている人々がいた。軍事産業とリンクした投資グループは、平和を前提とした経済中心の世界勢力地図を、軍事力主導のものへと塗り替えようとしている。
そんな裏の力学の中心的存在の一つが、軍事企業と根深い関係を持つイラフトの財界であり、その代表的財閥『ルクフェール』の娘がルカだった。
ルカは食事を終えると、カットグラスから水を一口飲んで、壁一面の強化ガラスの外に目をむけた。
「だいぶ嵐が激しくなってきました。早めに空港に移動した方がよさそうね」
王の居間から、白波の立つ湾内の海が見えた。遠くの防波堤に大波が砕けている。
「ルカには、スーサシアに先に行っててもらおうかと思っている」
「え、どういうことですか?」
「私はやはりタクヤの治療が気になる。ドクターに任せるしかないのだが、自分も同じことを経験しているだけにな」
「好奇心?」
「そうかもしれない。自分の原点を振り返るには、よい機会でもある」
「振り返ったら、何かが変わりますか?」
そのストレートな問いに、王は苦笑した。
「別に変わりはしない」
「でしたら、本来の優先順位を守られた方がよいのでは?」
「ルカらしい考え方だ」
「エネルギー省の件がなければ、もちろんゆっくりしていただいていいのです。しかし、こちらでの交渉の成果を早急に予算案に反映させるために、なるべく早くことを進める必要があります。特に軍事予算に関しては、投資家との連動を無視できません」
「わかっている。ルクフェールの者たちをいらつかせては面倒なことになることも」
「龍人族への武器供給にも関わる重要な問題です」
「まあ、それは信仰やら元NPOのやつらが絡むから簡単ではないがな。いやしかし、思い出すな。君の父はいつか『奇妙な果実』と表現していたよ。全てを手中に収めるよりも、適度に戦わせておいた方が儲かる。テロリズムを無くすることではなく、存在することにより、平和な世界が維持する。人の矛盾を内包したダイナミズムだ。歴史のシナリオを創るとは、芸術と似ている。科学が、究極的に宗教と似ているのと同じように。ま、いずれにしても、私も今日中には発つようにはする。少し遅くなるかもしれないが、心配することはない」
「しかし急がないと、この天候では専用機が飛べなくなる可能性も……」
「いざとなったら、空軍に頼むさ。戦闘機に乗れば、嵐なんか簡単にぬけられるんだ。離陸する場所だけ確保できれば問題はない」
「アリューサ王……」
「ルカ、私の身体を心配してくれる気持ちはわかる。戦闘機なんて、一番心臓によくない。でもな、やはりタクヤのことは、ないがしろにできないのだよ」
「そうですか……」
「それに、戦闘機もたまに乗ると楽しいものだぞ。エンジンに直にまたがっているような気分でな。馬のようなもんだ。最強の暴れ馬だ。とはいえ、ルカにいっしょに乗ってくれとは頼めない。だから先に行ってくれ。君にはマシーンを同行させる。むこうでのことは一切心配いらない」
ルカは席を立ち、王に歩み寄って身体に腕をまわした。
「どうぞ、ご無事で」
「そんなに案ずることはない。私だってまだ死にたくはない。それに、空で死ぬとは思っていない」
「それは『予感』ですか?」
「ああ。少しだけな。自分自身のことは、少ししか見えない」
「そのお力が、地球を救うのです。大切なお方……」
「違うよ、ルカ。私は、妻の一人も救えなかった男だ」
「王には、まだ大切なことが、そして私たち二人の人生が、待っているのではないでしょうか? 私は、それを信じたいのですが……」
ルカの示唆する想いに応える言葉が見つからず、王は黙って彼女に顔をよせ、キスをした。お互いに心の内を託すような、時間をかけたキスだった。
王が居間から去ると、マシーンがワゴンを押して入ってきた。
「マシーンさん」とルカが言った。「王は、残られるそうです」
「どういうことですか?」
「タクヤさまの治療を見るために。遅くなったら、空軍の戦闘機でかけつける、と」
「しかし、それでは……」
「もちろん、私はできる限りのことは言いました。でも、王自身の選択を変えることはできません」
マシーンは食器をワゴンに移した。
「やはり、そうなってしまいましたか……」
「ここのころは、初めから灰色でしたからね。マシーンさんの責任ではないわ。財団はこの結果を肯定的に受け入れます」
「しかし……カリシア家の、あの方のこと、ワタクシはよく存じあげません。王の母違いの弟様とはいえ、幼少の頃から全く王宮へはお近づきになっていない方ですから……」
ルカは立ち上がり、サッパリした表情で両腕を上げ、伸びをした。
「その点は心配いらないわ。全て調査は済んでいます。正直言って、私は、むしろその方が嬉しいの。あの、小娘に気もそぞろの、老いた『平和主義者』よりはね」
「そうですか」とマシーンは頷いた。「女性の方は、お強いですな」
「そうね。それは昔から歴史の事実。女性といえば、マシーンさんは、結婚はしないの?」
「結婚ということになってしまうと、やはり仕事への熱意が鈍ってしまいそうですから。王宮との関わりは、ワタクシにとって仕事以上のものです」
「でも、それはいずれは両立しましょうよ。あなたを愛する人も、きっと存在するわ。そんな人のことを、きちんと大切にすること。そういうことの正しい積み重ねが、結局は正しい歴史を作っていくのです」
「おっしゃるとおりかもしれません。さて、新しくお茶をお持ちしましょうか?」
「ありがとう。でも、私は部屋に戻って出発の用意をしないと。あなたも……ですよね?」
「はい」
「この船に思い残すこと、何かある?」
「最後にタクヤさまとユリさんにお会いしたかったですが、それはもう無理なのでしょうね」
「今ごろ頭に電極をたくさんつけられて、改造人間のようにさせられているわよ。そういえば、ドクターの救出は、ハワイにまかせてあるけど、大丈夫よね? あの人の才能と経験は、良くも悪くも、必要不可欠だから」
「はい。救命具を確認しているはずです。爆破をシミュレートし、避難路も確保してあります」
「海は荒れてるけど、頑張って泳いでもらいましょう。とにかく船の外に出れば死ぬことはないわ」
「では、30分ほどでお迎えに上がります。もう桟橋は外されているので、ヘリポートからのご出発になりますが……」
心配そうなマシーンに、ルカは明るく微笑んだ。
「私、乗り物は大丈夫だから。プライベートなことなのでまだ教えてなかったけど、あなたには言ってもいいかな。私ね、航空免許を持っているの。操縦だけなら、ジェット戦闘機でもできるわ。さすがに射撃の実践訓練まではしなかったけれど、宇宙に行くには最低限必要なことだし、まあ、これからの時代を考えれば当然でしょ?」
マシーンは微笑んだ。
「さすが、ルカさまです」
クローゼットの奥に閉じこめられたヒッコリーは、ガスを吸っても意識が薄れていかなかった。
あらかじめ飲んでおいた薬の効果によるものらしい。
あいつ、船が沈むと言っていたが、眠れないままおぼれるのか?
ワシの人生ってのは、どこか、いつもついてない。
だいぶがんばったぞ。
それはそうだ。
賢くもなった。
それは自分でも認めていい。
『鮮魚』を用意をしたことも、いざと鳴れば必要なことだった、間違ってはいない。
そしたら、偶然、もっとひどい悪巧みをみつけちまって。
いや、偶然ではないぞ。
むちゃくちゃ考えた。
おいぼれの頭をフル回転させてな。
こうしてルカまでたどり着いたのは、ま、大手柄じゃ。
自分で自分を、ほめてつかわす。
しかしなぁ、マシーンとは予想していなかった。
あいつ、何者なんじゃい。
薬でビンビンになっとるワシが気付かずに背後を取られるとは、ハンパじゃないぞ。
やはり王の側近だけあって、プロなのだな。
ルカに「見かけにだまされたな」と言ったのは、ワシだぞ。くそっ!
ま、ワシもワシだよ。
いつも、最後の最後でドジしよる。
思えば、昔と同じじゃな。
いい加減、同じ過ちを繰り返すのはやめなきゃ。
結局、人生の最後までそのくせは治らなかったというわけか。
これがワシの人生ってことか。
神さまってのは、クールじゃの。
またノジャの肉、おもいっきり食いたいわい。
タクヤのことをからかって、船やら列車やら馬やらヘリやらに乗って。
そう、人生の最後は、ま、なかなか楽しめた。
ツーコアの背後をとって針金を首に当てたときなど、我ながらかっこよかった。
タクヤはまだまだ甘いし、将来不安だが、ユリがいるからな。
ユリには、最初に膝を祈ってもらったとき、涙が出そうになった。
ああ、こんなやつがいたんだ、と驚いたよ。
良いやつってのは、いるもんなんだな。
ワシの人生の結論にしてもいい……ユリは確かに最高のやつじゃ。
素晴らしすぎるから、きっと短命なのじゃ。
ワシみたいな間抜けが、長生きしよってからに。
ま、それも、そろそろ潮時か。
……
そういえば、ワシは両肩を打ち抜かれて、催眠ガスにまみれているはず。
もしかして、ひょっとすると、もう死んどるのかな?
暗くてわからんが、えっと、どこで死んだのかな?
う〜む……
いや、しかし、死んでいるなら、ルカに化けて出てやりたいぞ。
ていうか、化けて出てやりたいやつは、いっぱいいるぞ。
いやまて、ワシが死んだら、ちゃんと迎えがあるべきではないのか?
ワシだっていちおう愛する妻も娘もあった身だぞ。
このヒッコリーさんがご臨終の時に、誰の迎えもないのか?
それは、あんまりではないか。
……いや、足音がするな。
よかった、よかった。
これで、終わりじゃな。
ワシはここだよ。
ちゃんと天国に連れてっておくれ。
クローゼットの扉が開いた。
まぶしい光の中に、男のシルエットが浮かび上がった。
男?
違う違う。
そうじゃなくて、かわいい娘がいいな。
妻でもいいけど、女性だったら他の人でも許す。
だから、男っていうのはNG。
もう一度、再スタート。
口にハンカチを当てた軍服の男が冷静な早口で言った。
「ヒッコリーさんですね、よかった、意識があって。怪我は……肩ですか。むごいことをするな」
男はクローゼットのガスが薄まったのを確認してから、口からハンカチを外し、ヒッコリーの口にまかれたテープを外した。
「あ、あんたは?」
「ラインです。ユリさんから、あなたのことが心配だから調べてみてくれと言われました」
ヒッコリーは自分の瞑想と現実とのギャップに戸惑った。
「ってことは……ワシは……まだ死んでないのか?」
「そうですよ、よかったですね」
「いや、確かに、よかった。死のお迎えが、あんたみたいな男だったら、がっくしじゃ。ワシは、マジで、今、そう考えておったのだぞ。死んでも死にきれん」
「死のお迎えは、昔から黒装束の大がまを持った悪魔と決まっています」
「あんた、見かけによらず古風じゃな」
「私は、古いものとお年寄りが好きなんです」
「はぁ?」
「私の趣味なんですよ」
ヒッコリーはクックッと笑った。すると上半身に痛みが走った。痛がりながら、おかしそうに笑った。
「ラインといったな。あんた、ワシを医務室に連れて行くだろ? けど、その前に話しておきたいことがある。ユリには、まだ全部は話していない。ルカに会ってはっきりした。身体を張って取材した衝撃の真実じゃぞ。助けたくれた礼に、おまえには全て話してやる」
「しかし、その話をうかがうのに、一番安全なところは、どこだと思いますか?」
ヒッコリーは、再びクックッと笑った。
「ここじゃ。ルカのひかえの間。犯人は自分の部屋は盗聴せんからな」
31 医務室
タクヤは、ふと目をさまし、キョロキョロした。
「あれ……その声は、シロ?」
「どうしましたか?」と、ドクターはとまどった。「まだ治療の途中ですが……」
「ほら、やっぱり聞こえるよ。あの、アヒルが粘着テープを踏んでバタバタ騒いでいるような声、まちがいなくシロだよ。懐かしいかも。なんでだろう。どうしてイルカがここにいるの? おーい、シロ、いるの?」
「いますいます」とシロが隣の処置室から応えた。「もうじき殺されてしまいます。アンビリバボー。化けてたたるぞー。ていうか、イルカの怨念は恐いぞー。ていうか、死んだふりー」
「おまえ、もうちょっと説得力あること言えないのかよ」
「だって、一生懸命言っても、どうせ理解するのがさえない少年だけかと思うと、その知能レベルに合わせて主張してしまうわけですな。イルカの知能は高度に発達しているが故に、お馬鹿な人間たちの実験に使われてしまう運命なのか。ああ、神さま、どうして私をお見捨てになったのですか」
「見捨ててないって。だいたい、なんでおまえがそこにいるんだよ」
「それは長い話になるので、そんなことより早く、なんとかしなさい」
「命令するかよ」
「じゃあ、なんとかすることを許すぞ」
「許してどうする」
「あー、もう、オワライごっこしている場合じゃないんですよ! 貴重なイルカの命がかかってるんですよ! ほら、もうそこに不気味な機械のさきっぽが!」
「オワライしてるのはどっちだよ。イルカって、基本的にサービス精神旺盛なのか?」
「そうそう、サービス精神旺盛で、助けてくれたらたっぷりサービスしますよ。イルカに乗った少年で世界をぐるっとひとまわり。サービス、サービスゥ。あっ、そ、そこは、ダメ……」
「シロ!」
タクヤはドクターに叫んだ。
「このバンド、はずして。となりにいるイルカ、友達なんだ。なにもしちゃダメ!」
「しかし、タクヤさま、これはあらかじめ決められた……」
「うるさい! 僕は王子だぞ。本人の主張をムシすんな! 細かいことは後でまた考えるから、いいからさっさと言うとおりにしろ! ちょっと! となりの人たち! そのイルカに何かしたら、僕が許さないぞ。クビにして、火あぶりにして、死刑にするかなら!」
となりの部屋で作業していた男たちは手を止めた。ドクターは腕を組んでタクヤを見つめた。
「タクヤさま、今日はカンペキに近い経過でしたのに、たいへん残念です。このままカンペキに終わらせたかったですが、ま、仕方がありませんな。ここまでの経過をむだにしないためにも、昨日と同じ薬で眠っていただきましょう」
タクヤは治療台の上でバタバタと暴れた。
「やめろ、やめろ、やめろ! なんでシロがいるんだよ! なんで助けを求めてるんだよ!」
「タクヤさまが昨日の最後に経験したことです。点滴により、とても素敵な経験をなさいましたよね? あれは、イルカの生体から抽出した成分です。ヤマトアザミをイルカの脳に流すことで、精神の解放と、快感を両立し、かつ全く副作用のない素晴らしい成分が抽出できるのです。王にしか許されない贅沢であり、その開かれた精神が、国の未来を正しく導くのです。完璧なシステムです。タクヤさまには、その大切な役割を担っていただく義務があるのです。何億もの人々が期待を込めて待ち望んでいることです」
「きーてねえよ!」
「聞くとか、聞かないとか、そういう問題ではありません。むしろ余計な知識は、精神の解放のじゃまになります」
「何もなくったって、じゅーぶん、じゃまだっつーの。いいから、さっさとこれ、はずせよ!」
ドクターは隣室に「一本筋肉注射してから再開するので、イルカはそのまま待機していてくれ」と伝えた。そして自分の手でアンプルを開き、小さい注射器を用意した。
「では、少しじっとしていてください」
「いやだ、いやだ、いやだ!」
バタバタと暴れるタクヤの腕を、助手が持ち、台に押しつけて動きを止めようとした。しかしタクヤは必死で身体を揺さぶり、針が皮膚に刺さらないようにした。
「おまえたちなー、こんなことして許されると思ってるのかよー。やめろよ。こういうの、最初からイヤだったんだ。ヘンだよ。女王ユリが言ってたとおりだよ。薬とか、ダメだってみんな言ってたよ。ヒッコリーさんの娘たちは死んだんだ。龍人たちは消毒薬も使えない身体になった。身をもって大切なことを教えてくれた。イルカだからいいとか、そんな問題じゃないんだ。こんなの、全部まちがってるよ!」
「まちがってはいない」と、ドクターが動くタクヤに強引に針を刺すと、抵抗するタクヤの動きで針が曲がってしまった。「ちっ」
新しい針を注射器にセットしながら、ドクターはいらついて言った。「はっきり申し上げますが、タクヤさま、あなたが『あなた個人の感情』で、物事を判断してはいけない。国というシステムは、はるかに複雑なものなのです。何千万、何億という人々の意思、地球さえ滅ぼす核の力、限度のある化石燃料や食糧の供給、加速する温暖化。タクヤさまが、これから担なわなければならない現実は、単なる個人のセンチメンタリズムを超えている。とうてい個人の感情で乗り切れるものではありません。おそらく、神や、救世主が実在してさえ、なお真に世界を救えるかは疑問です。イルカは犠牲であり、タクヤさま自身も、人民の犠牲になる覚悟が必要です。我々は、そのようなシステムの上にしか、可能性を見いだし得ないのです」
「わけわかんねー」
「わけわかんない、か……」
「え?」
ドクターが振り返ると、治療室にアリューサ王が入ってきていた。
「心配で見に来てやった。国に戻らなければならないのだが、こっちも大切なことだからな」
「ほとんどカンペキだったのですが」とドクターは説明した。「隣室のイルカの騒ぎに、タクヤさまが目を覚まされまして」
「知り合いなんだよ!」とタクヤは叫んだ。「シロっていうんだ。勝手に殺すなよ!」
王は手をふり「もうい」とタクヤを押さえつける助手をやめさせた。
「タクヤ、おまえは自分が担うものの大きさを知っているか?」
「知らないけど、いいじゃん。知りたくもないよ」
「それは、知らなくてはならない。運命なのだよ。担わなくてはならないのだ。……しかし、どのように担うか、何が正しいのか、それは、正直なところ、私にもよくわからない」
「アリューサ王……」
ドクターは怪訝そうに眉を寄せた。
「ドクター、君はこのシステムの実行者であり、番人だ。しかし私は、システムそのものに責任がある。システムに疑問がないわけではないのだ」
「困りますな」とドクターは冷たく言った。「時代の変革に添い、国の行く末を判断していただくのは、王としての大切な任務です。それがどのように進もうが、それは私の関知することではない。しかし、道を実践なさる王は、確固たる存在であることが必要です。凡人では困ります。リーダーに求心力のない国は、欲望に迷走し、堕落してしまう。我々には正しい指導者が必要です。正しい指導者を作らねばなりません。まさに今、我々の行為にこそ、地球の未来がかかっているのです」
「だからこそ、薬なんかに頼っては、いかんのではないだろうか?」
「では、どうしろと?」
王は黙ってドクターから注射器を受け取り、そのままタクヤの腕に刺した。
「えっ!」
「ふふふ」と王はほくそ笑んだ。「タクヤ、おまえは、まだまだ甘い。すぐに気を抜く。それではいかんよ。ちゃんとドクターの言うことを聞いて、大きくならなくては」
「て、てめぇ……」
すでに薬は注入されていた。
「タクヤ、おまえはまだ私のことを思い出していないな? 女王ユリによって刻み込まれたものは深い。おまえはもっと、根本的に心を壊す必要がありそうだ。女王ユリ自身を連れてきて、つなぐ必要があるかもしれない。祈り師のユリではなくてな」
王は注射器をドクターに返した。
「女王ユリへの協力要請か……考えたくないが、やむを得んときもあるだろう。まあ、我々とて地球環境の大切さを認識しとらんわけではない。今回の件では、あちらから手を出したという決定的な事実もある。環境派も含めて、国際世論は我々の側に傾いておるし、歩み寄りを強要するチャンスでもある。なんだかんだいって、運命は我々の見方だ。きちんと成すべきことを成していかんとな。では、私はいったん国に戻ることにする。ドクター、君の努力には感謝するが、あまりあせらなくてもいい。なにせこいつは幼年時代から埋め込まれた精神操作だ。簡単ではないのだからな」
「ま、その方が、やりがいがあります」
ドクターは皮肉を込めて口元を歪めた。
王はドクターの肩を叩いた。
「タクヤに薬が回ったら、昨日と同じように、あの薬の点滴までやっておいてくれ。またイルカを使って、贅沢な話だが、なにせ成人の日だからな。そのぐらいの贅沢はさせてやろう。イルカの友人とやらの関わりも、この場合、いいタイミングかもしれん。そいつから作った薬でいい気持ちになったという既成事実があれば、タクヤの心もさらに変化するだろう。意外にそのへんが突破口になるかもしれん。むしろ、ユリや、ハワイのような、中途半端な異性よりもな。今日のデータはあとで私にも報告してくれ。では、あとはよろしく頼む」
手を上げて去る王に向かって、ドクターと助手たちが頭を下げた。
そのとき、船内にアナウンスが流れた。
「私は海軍所属のライン特務二佐です。館内のみなさまに緊急報告です。テロリストにより、マンスフィールド号に時限式爆破装置がセットされました。一部は発見しましたが、まだ多数セットされている可能性があります。タイマーにより、爆破は15分後です。大至急、救命具を身につけ、船外に避難してください。必要であれば海に逃げ、爆破を回避してください。繰り返します。海に逃げ、爆破を回避してください。現在、船は水深の浅い湾内にいますので、沈没に引き込まれる心配はありません。すでに救助も要請してあります。しかし船内に残るのは大変危険です。爆破の規模は、全く予想がつきません。大至急、船外に避難してください。繰り返します、この船は……14分後に爆破されます。救命具を身につけ、船外へ避難してください」
王は驚いて振り返り「そんなバカな!」と叫んだ。「この素晴らしい船が爆破される? 警備の者たちはなにをやっていたのだ」
「やはり、あいつですね」とドクターは言った。「タクヤさまが連れてきたお友達がいましたよね。老人で、愛想よくふるまっていたようですが、何かありそうでした」
「そんなことはわかっている! だからマシーンに頼んでおいたのだ。マシーンがそんなへまをやらかすとは思えん」
「人はカンペキではありません」
「しかし……」
「そして」とドクターは天井のスピーカーを見た。「これはライン特佐の声。彼がイタズラであんなことを放送するわけはありません」
「当然だ。くそ。15分と言ったか? この船はガスも動力に使っている。さっさと避難しないと爆破に巻き込まれるぞ」
ドクターは助手に「ここは私がやるから、急いで」と言い、ユリとハワイを解放するよう指示を出した。救命具の用意も指示し、イルカのチームにも避難するよう伝えた。
助手が部屋から去ると、王が「私も手伝おう」とタクヤの身体をしばっていたバンドを外し始めた。ドクターも一つを外したが、すぐになにかを思い出したように、そこを離れた。
王がいくつかのバンドを外し、足首のバンドまできたとき、そこだけロックされていることに気がついた。
「おい、ドクター、このロックをはずせ」
ドクターはすでに出口の扉を開けていた。
「アリューサ王、あなたの時代は終わったのです」
「なに?」
「女王ユリの悪影響は、タクヤさまだけではない。アリューサ王、あなた自身にも十分ありますね。このへんで交代していただくことが、得策かと。幸い、お身内の方に優秀な方がおられます。母親が別だったために、女王ユリからは離れてお育ちになった、パルシファー様」
「……つまり、爆破は、テロではなく、内乱なのか?」
「関係はあります。テロ装った内乱です。マシーンさんから教えていただいたシナリオの素晴らしさに、私は自分の身の振り方を考え直したというわけです」
「まさか、きさまたち……」
「時代は、もう、平和ではいられません。環境も、資源も、有限なのです。そうですね? ならば、強く賢い者につくしかない。申し訳ありませんが、ご理解ください。最期に、この親子で死ねるシナリオに、感謝してください。では、私はこれで」
扉が閉まり、外からロックして密閉するコンプレッサーの音が響いた。
別室では助手によってユリとハワイの催眠がとかれ、身体を止めるバンドと、頭につけられた電極が外されていた。
治療室から出てきたドクターは、二人の女性の脈と瞳孔を診た。そして助手に言った。
「ハワイは連れていって。ユリはこのまま」
「しかしドクター、時間が……」
「ユリはまだすぐに動かすのは危険だ。なに、注射を一本打っておくだけだ。五分で終わる。心配はいらない。王が戻ってきたら、二人でいっしょに運ぶから、先にハワイを連れていってくれ」
「わかりました。お気をつけて。もう10分ほどしかありません」
「大丈夫だよ。私はライン特佐の性格を知っている。彼はこんなときに多少余裕を持って物事を知らせる人だ」
ドクターは手早くアンプルを探し、注射の用意を始めた。
「10分きっかりに爆破ということはない。あと20分はある。あわてずに逃げればいい。ハワイをよろしく頼む。泳ぎはうまい人だと聞いているが、覚醒直後に十分に泳げるとは思えない」
救命胴衣を両手いっぱいに持った看護士が部屋にやってきた。
ドクターは彼に向かって頷いた。
「ありがとう。ここには、王、タクヤ、ユリ、私、四つ置いていってくれ。もう奥に残っている者はいないな? では、急いで避難しなさい。あとは私がかたづける」
助手たちが去ると、ドクターはユリの腕に注射を刺した。
ユリは痛みを感じて目を開いた。
「これは?」
「ユリさん」
「え?」
「どうでしたか、タクヤさまとの交わりは」
「なんだか、複雑な、気分です」
「男と女が信頼を築くことは、昔も今も簡単ではありません。でも『よかった』でしょ? 人生の最期に、そういうことがあって」
「え?」
「この船は、まもなく沈みます。湾内ですから、深海に沈没するわけじゃありません。たぶんあなたの遺体もすぐに発見されるでしょう。爆破はあるようですが、発見されたときに怪しまれないよう、注射をさせていただきます。死因は、水死です。あまりジタバタして、他の要因で死んでもらっては困りますのでね。リラックスできる薬です。苦しまずに死ねますよ。ですから、私をお恨みにならないでください」
「な、なんのことですか?」
「動かないで。そのまま。まだ催眠が十分に解けていないのです。力を抜いて、椅子に腰掛けたまま。そう、薬に身体をゆだねなさい。タクヤさまと同じ薬です。お二人が仲良く、同じ夢を見られますように」
ドクターは注射を終えると、立ち上がってユリを見つめた。力の抜けたユリを見ていると、この女を犯したいという強い衝動にかられた。しかしそれはできないことだ。船が深海に消え去るのなら、最初からそのように計画を立てたが、今回は仕方がない。検死でよけいな証拠が発見されてはならない。
ドクターはわざと用意していた『鉄の破片』で、三つの救命具を引っかいて穴を開けた。何かに引っかけて開いた穴に見えるように。
そして注射やメスなどの器具を全て乱雑に鞄に詰め、自分の救命具を持って部屋を出た。扉を閉めて、外からロックした。
32 魚雷攻撃
ラインは艦橋からの船内放送を終えると、前後二隻の駆逐艦にむかっても電話で指示を出した。
「マンスフィールド号は17分後に爆破される。爆発物は小型だが、多数セットされている可能性あり。動力および燃料への引火が予想され、爆破までは距離をとって待機。爆破後、人々の救出を急がれたし。救急等各方面への連絡はお任せする。各艦の判断で適切におこなって頂きたい」
ヒッコリーは横にいた。両手が全く使えないので、近くにいた船員に頼んで、ポケットからお守りを出してもらおうとしていた。
「いや、それは違う、ケチャップの袋じゃ。そうじゃなくて、布でできた……そうそう、それの中身を出して、ボタンがあるじゃろ、それを押して、ワシの口に近づけてくれ。違うって、キスをするんと違うわい、くっつけてどうする。そんな感じで、少し離して、ちゃんとボタンは押してるな? ……えっと、こちらはセノラさんの知り合いのものじゃが、なんと内乱が起こってしもうた。ワシのよりもずっといい鮮魚が、たくさんばらまかれておる。びっくりじゃ。ワシは怪我をして両腕がうごかん。魚を食べるのは、15分後じゃ。すまないが、大至急、ワシの師匠に、船をよこすように伝えてくれ。こっちの船は湾内で沈む。爆破は激しくなりそうじゃ。人助けは感謝されるぞ。……よし、ボタンを離して、ポケットに戻してくれ。ありがとう」
お守りをポケットに戻してもらうと、ヒッコリーはウインクした。
ラインの船内放送を聞いた艦長が、あわてて艦橋に走り込んできた。
「特佐、この船は湾内にいるのだ。水深は30メートル程度。艦橋に避難させれば水に沈まなくてすむぞ。すぐに放送を」
「ちがう」
とヒッコリーが否定した。
「やつらの目的は船ではなく、人なんじゃ。ガスの動力源に火をつけてくる。爆破に巻き込まれる前に海に逃げるべきじゃ。船に残っていたら助からない。やつらの目的は船ではない、人だ。そういうふうに『計画』されているんじゃ」
「うっ……」
言葉を失った艦長に、ラインが言葉を添えた。
「急げば、まだ時間はあります。船内の人々に救命具をつけてもらい、全て海上に避難させてください。爆破終了後、すぐに駆逐艦から救助が始まります」
「それしか方法はないのだな?」
「はい」
艦長は各部署への連絡に走った。
「おい、ラインさんや」
「なんですか、ヒッコリーさん」
「ワシの傷は海に浸かったらしみるかな?」
「実は私も、先日、腕を撃たれまして。怪我をしているんです」
「そうは見えんが?」
「しみるときは、いっしょです」
ヒッコリーは苦笑した。
「だが、海に逃げる前に、ワシには寄らなきゃいかんところがある。案内してくれんか?」
「それは医務室ですね?」
「タクヤやユリがいるんだろ。違うか?」
「タクヤさまは間違いなく。ヒッコリーさん、走れますか? 私が抱きましょうか?」
「だからな、あんたに抱かれても、ワシは嬉しくないって。そういうのはNGなんだって」
「では、走りましょう。こっちです」
ラインは艦橋わきの螺旋階段にヒッコリーをみちびいた。エレベーターを使わなくても、その士官専用の階段なら一本で全ての階につながっている。ヒッコリーは両手が使えなかったが、動きは機敏だった。急ぐラインの後を素早く追っていった。
海賊船の艦長席にいたオミヤマ師は、海中にも届く低周波通信で龍人のプレーリー・ダンからの報告を知り大笑いした。
「鮮魚がたくさん見つかったってか? がはは、大きな国は自ら滅ぶ。昔からそうだな。いやしかし、ヒッコリーに罪をなすりつけるっていうのは、えらく気にくわねぇ。世の中にはひでぇことをするやつらもいるもんだ。海賊から良心でも学んでみろってんだ。とりあえず心優しい我々としては、救助ボートを出すことにするぞ。たくさん救出して、たくさんもてなして、たくさん感謝してもらおう。これで稼げば、来たかいがあったってもんだ。浮上用意!」
「艦長」とソナー係が言った。「例のベータ型潜水艦ですが、港の入り口付近に移動していますね。まもなく射程距離内に入ります」
「気にするこたぁねえ。だが、こっちの魚雷の照準だけはきっちりと合わせとけよ。いつでも撃てるように。周囲の警戒も怠るな。そもそも、ベータ型が単独でうろうろしているってのが怪しいからな」
そのときソナー係が驚きの声を発した。
「ベータ艦、魚雷発射。連続して……計四本です!」
「なに?」
「待ってください、魚雷、遠ざかっています。こちらではなく、港にむかって発射されました」
「なんでだ? マンスフィールドは爆破されるんだろ?」
「艦長、ほら、湾内の駆逐艦が……」
「げげ、仲間撃ちかよ。まさか、駆逐艦による救出をさせないってか? どっちがどっちだ? ベータ型は悪巧みの仲間ってことか? だな。ここはオレたちとしては、仲良くすべきか、喧嘩をすべきか……。もちろん『喧嘩』だ。ヒッコリーももちろんだが、ユリやタクヤも良いやつだった。死なすわけにはいかんな。おい、ベータ型の魚雷発射管は前方だけか?」
「そうです」
「だったら、先制攻撃しても、反撃はすぐには来ない。先に沈めればいいわけだ」
「はい」
「今か?」
「ですね」
「だな。いや、しかし、追尾装置付きの魚雷は高いぞ。ヤミ価格でも黒マグロ一本ぶんだ。俺たちに元が取れるかな?」
「艦長、ババンといきましょう。ほとんどの艦艇は龍人警戒のために港を出てます。全く追撃も心配ない状況です。へたに情けをかけて、あとで我々の救助ボートが襲われでもしたら困ります」
「だな。いや、しかし、リーダーとしては、お金の算段もしとかないとな。このへんがなんも考えなくていいんだったら話は楽なのだが。って、ぐずぐずしてる場合ではないか。いくぞ、ものども。魚雷戦、用意急げ」
すぐに「魚雷、発射準備完了!」と射手から返事が返ってきた。「てか、最初からプログラミングしちゃってましたけどね、ヒマだし」
「ソナーは依然、目標を捕捉中!」
「よぉし。攻撃目標、ベータ型潜水艦。A管発射ののち、敵の回避運動確認後、プログラム修正してB管も発射する。B管発射後、ただちに撹乱ソナー作動のこと」
「了解!」
全員の声がそろった。
「よし、いくぞ。A管、発射!」
「A管、発射します!」
最初の魚雷発射を確認したソナー係は、撹乱ソナーの遠隔スイッチと、自らのソナーのボリュームとを、両方指をかけてつぶやいた。「……漂流しながらばらまいといたブイに、撹乱ソナーがついているとはね。原始的だけど、これが効くのよ。反撃を許さないもんな。まさに、網にかかった魚、って感じだよね、ふふふ。ま、貧乏な我々としては、あとでシケの海から回収するのは面倒だけど……」
アリューサ王はタクヤの足のバンドをはずそうと試みたが、やはり鍵がないとムリだった。医療用のメスがあればバンドごと切ることも可能だったが、この部屋にはそのようなものはない。
「そうだ、イルカだ!」
王は隣室にかけ込んで、イルカの切開に使われた器具を探した。
しかしその部屋に、メスのたぐいは一つもなかった。すでに誰かによって持ち去られていた。全て計画されていたのだ。
王は脇にいた白い尾のイルカを見た。ちょろちょろと吹き出す海水のシャワーをあびなから、台の上でクークーとうなっている。
「私もタクヤのように言葉がわかってあげられたらいいのだがな。私の能力はそういうふうには解放されていないのだよ」
王はタクヤの元に戻った。
王が打った注射が効き、タクヤはすでに意識を失いつつあった。
「おい、タクヤ、しっかりしろ。足のベルトを外したいのだが、なにか考えはないか? おまえがここにいるあいだに、やつらがダイヤルロックしたはずなんだ。思い出せ!」
「……うん……思い出すことはなにもないっス。記憶がないから……」
「タクヤっ、私のことではなくて、番号だよ、番号!」
「……うん……わからない……」
「まったく、動物と話ができるだけではなんの役にもたたんだろうが! ま、おまえは昔から草とかムシとか、役にたたんものばかりに興味を持つやつだった。おまえの母親はピアノや詩に興味があってな。私も、そういう家族生活に憧れがなかったわけではないが、いざとなると、なかなか疲れたぞ。タカコは、おまえを普通の人のように育てたがった。あいつ、小さいときに貧乏していたって、それをすごく誇りにしていた。ま、ユリのことやらいろいろあったが、こうして二人きりになってみると、ここにタカコがいないのが寂しいな。ま、あいつは、ちょっと先にいっただけか……」
突然、船に爆発音が響きわたった。いくつかの小型の爆発が続き、振動が船体をゆらした。ガラスが割れる音が響き、ダクトから煙の匂いが漂ってきた。
王はタクヤの台にしがみつき、揺れに耐え、せき込んだ。
「国のこととか、いろいろあるが、おまえを残して逃げる気はせんよ。私も、バカだな」
医務室そのものは爆破の対象にならなかったようだが、足下に海水が広まり始めるのに時間はかからなかった。ダクトの一つが濃い煙を出したかと思うと、煙は炎に変わった。
「くそ。水も、火も、か。こんなことならタクヤにした注射を、自分にしておけばよかったぞ。そうすれば苦しまずにすんだのに」
そのとき、入り口のロックが外からはずされ、扉が開いた。
ライン特佐が、まだふらつくユリを脇に抱えて立っていた。
「アリューサ王、やはりここにいらっしゃいましたか。すぐに避難を」
「ライン! できないのだ。タクヤの足のベルトに、鍵が」
「なんですと?」
「なんじゃと?」
ヒッコリーがラインをすり抜けて、タクヤに駆け寄った。
「くそ、手が使えれば、こんなもの簡単に開けられるのじゃがな。鍵開けは盗人の基本じゃ」
すでに海水は膝のあたりまで来ていた。ユリはふらつき、ラインに支えられながら、台のところまで来て、倒れ込むようにタクヤを抱きしめた。
「タクヤ……私が目を覚まさせてあげる」
ユリはふらつく自分を律して、姿勢を正した。
「私、少し、祈ります」
「そんな時間は……」とヒッコリーは言いかけたが、ユリは毅然として目をつぶった。
タクヤの身体がビクンと反応した。
ユリはタクヤの意識に語りかけた。
タクヤ!
ここは危険、起きて!
危険かもしれないけど、起きたってしょうがないじゃん。
起きるより、寝ねてるまま、死んだ方がましだよ。
苦しくなさそうだもん。
それにさ、こんなときになったって、オヤジのことも思い出さないんだぜ。
母さんの名前は、タカコ?
知らないっつーの。
いったい、なんなんだよ、これって。
一番大切だと思っていたユリは、わけわかんないことになっちまうし。
もういいよ。
僕は、この世界に、ミレン、ない。
ツーコアの言っていた気持ち、わかるよ。
愛するものがないなら、生きてたってしょうがない。
みなさんには、せいぜい幸せになってもらいましょう。
僕は、もう、いいっス。
ほっといてくれ。
違うよ、タクヤ。
そんなの、間違ってる。
あなたは、愛されることを期待してるけど、それは子供っぽすぎ。
生きるってことは、自分から愛することよ。
あなたが、私のことを好きだって言ってくれたとき、すごく輝いてた。
ホントに、タクヤが輝いていたのはよくわかったよ。
私にはその輝き、まぶしすぎるほどだった。
これからだって、もっともっと輝けるよ。
タクヤは、そんな素晴らしい人だもの。
アリューサ王の誇るべき息子だよ。
そんな素晴らしいことを、どうでもいいだなんて、私は許さない。
絶対に、許さないから。
これが私の、あなたへの『愛』。
さあ、起きて。
いっしょに、逃げるの!
でも、バンドははずせないよ。
足でも切りますか?
ちがう。
タクヤには、外せる。
アリューサ王は、未来を感じる力を持つ人。
でも、あなたは違うでしょ?
自然と語り合い、変化をくわえられる。
鍵がかかっているなら、その鍵を理解すれば、通じ合える。
ラインさんを、背後からよろけさせたことがあるって、あの夜に言ってたよね。
あなたには、きっとまだ知らない力がある。
試してみて。
試しもしないまま、あきらめたら、絶対にダメ。
ユリの全開の祈りに応えて、タクヤがようやく目を覚ました。すでに水はベッドの高さまで来ていた。
タクヤはユリの示唆するとおりに、上体をおこし、足のベルトに手をかざしてみた。意識を集中すると、なぜか鍵の内部が見えて来るような気がした。一つ一つの部品が、指先とつながるのがわかる。
たぶん、開けるために必要なのは、人差し指を引くこと……
指を動かすと、カチンと、鍵が、開いた。
タクヤは、喜びよりも、むしろその事実に恐怖を感じた。触れてはいない鍵が開いてしまったのだ。自分の知らない能力の、重みと責任のようなものをずっしりと感じた。
タクヤの台の横に、水が充ちることで台から解放されたシロが泳いできた。ユリのお尻を口で突いて、クイクイと頭を縦に振った。
ユリはびっくりしたが、すぐに気がついて、イルカの身体を抱きしめた。
「なんだ、君もきてたんだ。よかった!」
「さあ、では行こう」と王は力強く言った。「我々の存在は、ここで終わるわけにはいかない」
そのとき、今までとは異なる重い爆発音が立て続けに響いた。衝撃はけた違いに激しく、室内に海水がなかったら全員が壁や台にたたきつけられて大怪我を負っていただろう。
「なんじゃい、あれは?」
ヒッコリーは、身体を支えてくれたラインに聞いた。
ラインは躊躇なく答えた。
「この衝撃は魚雷のようです。しかしこの船ではない。だとすると、駆逐艦がやられたのか……いったい、どうなっているんだ……」
「人助けも許さないってことじゃな。女のやることは恐ろしい」
「誰のことだ?」
アリューサ王が聞いた。
「ルカじゃよ。あんた、いっしょに戻るはずじゃなかったのか?」
「私はタクヤが気になって……」
「はっ!」と老人はあきれ顔で天を仰いだ。「はめられたな。女として落とせないなら、みんなまとめてブチコワシじゃ!」
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