Susacian Prayer   1  2-4  5-7  8-10  11-13  14-17  18-21  22-25  26-28  29-32  33-34



2 ヤマトアザミ


 三度にわたる突然の爆撃に、多くの人々が死傷した。診療所に怪我人が集まってきたが、助かる見込みのない重傷者はユリの元に運ばれていった。ユリの祈りが最期の苦しみを癒すのによい効果が発揮されたからだ。ユリはほとんど休みなく、必死で祈り師としての作業を続けた。悲しみと、絶望と、怒りに、自分を見失いそうになりながら、目の前の現実への対処として、とにかく祈り続けるしかなかった。
 通りすがりの家臣たちが、タクヤを見るとつぶやいた。
「王子様、なぜこんなことに……」
 タクヤはうなだれながらも、心の中では叫んでいた。「しらねーよ、僕に聞くなよ、僕はなんにも知っちゃいないんだからさぁ!」そんなタクヤの本心は、もちろん誰に対しても口にすることはできない。これほどの悲惨な場に居合わせて、自分だけが関係ないような態度をとることは、いくら記憶のないタクヤにもできることではなかった。ユリの祈りではないが、少しでも状況をいい方向に持っていけることがあるなら、神頼みでも、慰めの言葉をかけることでも、なんでもするしかない。せめてタクヤにもできることとして、居合わせた診療所で必死に手伝った。苦しがる怪我人を診察室に運び、死んだ者を別室に移す。回復の希望のない者は、ストレッチャーに乗せて直接ユリの元へ。
 数人しかスタッフのいない診療所に、これほど多くの怪我人が運ばれてくることを、最初はタクヤも不自然に思った。しかし止血処置だけでうずくまっている男が持っていたラジオのニュースを耳にして納得した。三回の攻撃のうちの一つは王宮の近くの大型病院に被害を与えていたのだ。建物だけでなく、そこへ向かう道もがれきの山とのこと。病院にけが人を搬送することすら困難らしい……
「政府は緊急対応として軍の出動を要請し、戦時対応とすることを閣議決定しました」
 と緊急ニュースが伝えた。

 すでに多くの怪我人が集まっていた診療所に、白いコックコートの料理人が、息を切らせて入ってきた。
 男は額から血を流し、まぶたが血糊で固まりかけていた。しかし真のけが人は彼ではなく、彼が背負っている女性の方だった。
「この女、瓦礫といっしょに上から降ってきた。息はあるが、頭を打って意識がない。急いで診てくれ!」
 血で赤黒く染まっていたが、見覚えのある鮮やかな衣装……タクヤは通路の瓦礫やけが人を飛び越えて駆け寄った。
「メリル」
 それまで無心に奔走していたタクヤは殴られたような衝撃を受け、両目から涙が吹き出した。
「なんでこんなことに」
「なんでもどうしたもねえよ。医者はどこよ、医者は!」
 ふと見ると、ドクター・シライの診察室に続く廊下は、うめきながら痛みに耐えている人々でいっぱいだった。
 タクヤは男から奪うようにメリルを背に譲り受け「すみません! すみません!」と怒鳴りながら怪我人の隙間を縫って急いだ。
「すみません、この人、診るだけでもすぐに!」
 ドクターは胸を強打した男の気道を確保する作業を続けながら、視線だけタクヤに送り「そのベッドの端に下ろして」と指示した。
 すでに二人の大人が横になっている狭いベッドに、タクヤは後ろ向きに屈んで、メリルを腰掛けさせた。肩を支えて、回り込むようにして脇に立ったとき、彼女の頭が不自然な角度で斜めに倒れた。
 作業を看護士に引き継いだドクターは、厳しい目をしてメリルの首に手を当てた。
「折れてるな」
「もちろん助かりますよね?」
「それはもう……ムリに決まってる。脈も弱まっているが、薬はとっくに底をつきている。呼吸を確保しようにも、装置の電源すら止まっている。……さあ、ユリのところへ連れていってくれ」
「ドクター!」
 涙も拭かずに立ちつくすタクヤに、ドクター・シライが「早く連れて行け!」と怒鳴った。
「だって、そんな、ひどすぎますよ。何かないんですか。いい人なんですよ。まじめに考えましょうよ」
 ドクターはすでに次の患者に向かい、タオルを真っ赤に染めた動脈出血の処置を始めていた。
「悪いが、このあたりの医師は、王宮のむこうの国立病院が頼りなのだ。そこがつかいものにならないとなったら、腕と脚をもがれた運動選手みたいなもんだ。文句があるなら爆弾を落としたやつらに言え……いや、言ってください」
 手が二つしかないことをもどかしそうに急きがながら感情を押し殺すドクターの気迫に圧倒され、タクヤは再びメリルを背負った。瀕死の女性の温もりを背中に感じ、はげしく嗚咽したまま祈りの部屋に向かった。
 そのときユリは、片腕のない子供に最期の祈りを捧げているところだった。血に染まったタオルに横たえられたその子の横に、タクヤは背負ってきたメリルをそっと横たえた。ふと見ると、傷だらけの子供の顔に、微かな笑みが浮かんでいた。母親に面白いお話を聞かされて眠りにつく子供のような安らかな表情で。
 ユリの片手がメリルの胸にあてがわれると、彼女もまた苦しみを超えた安らかな表情に変わっていった。微かに薄く目を開けたが、もう首の折れた彼女の口から言葉が発せられることはない。しかし「お会いできてよかったです」と、優しげな目から、意志がタクヤに伝わってきた。タクヤはおもわず顔を寄せた。涙ながらに声を張り上げた。
「ねえ、僕たち、まだ会ったばかりですよ。早すぎますよ。もっと生きて、いろんなこと教えてよ。ねえ、ホント、僕って、なんにもできなくて、わからないことばかりで、メリルさん、ねえ、お願いだから、まだ……」
 するとメリルは、さも面白い冗談を聞いたかのように、口元をほころばせた。笑みを浮かべたまま、目から命の灯が消え、全てが止まった。

 時間の感覚が、すっかりなくなっていた。夕方のオレンジの光が血にまみれた診療所に差し込んだとき、タクヤは初めて一日が終わろうとしていることに気がついた。
 すでに軍の救護部隊は到着していた。救護テントが設営され、ドクターや看護スタッフもそろい、がれきに埋まった人々を救助するレスキュー部隊も活動を開始していた。遠くの海上には空母と護衛艦の姿が、シルエットとなって確認できた。
 混乱を極めた悲惨な現場を軍人たちに引き継ぐと、タクヤは体力の限界まで祈りを続けたユリの手を引いて、外に連れ出した。ふらつく身体を支えて、防波堤の上まで来た。
「あら……もう、夕方だったんだ……」
「そうだよ。一日たっちゃったよ」
 鮮やかな夕日を前にして、二人はコンクリートに腰掛けた。
「早いです……今朝、イルカといたとき、あなたが来たのは、ついさっきのことのような……でも、たくさんのことが起きました……」
 起きたんじゃない、死んだんだ……という事実を、タクヤはむりやり心の中で飲み込み、代わりに「祈る人って、大変だね」と優しく言った。
「私も、実際の仕事は、初めてみたいなもの。それが、いきなりだもの」
「疲れたろ?」
「そう……この勉強を始めて、最初に教わるんだけど、祈りって、自分の生命力を削る行為なの。一度にたくさんすると、死んでしまうほど。軍の人たちが来て、あなたが連れ出してくれなかったら、私はどうかなっていたか……」
「わかる気がする。がんばりすぎだよ。理屈はわかんないけど、君が限界までがんばってたってことだけは、僕にもよくわかる」
「そうね……初めてのわりには、がんばったよね、私……」
「ああ。すごいよ。マジで」
 ユリの上体がふらつくと、タクヤはその華奢な肩を抱いた。
 ユリは「ふー」と息をつき、タクヤに寄りかかった。
「タクヤさまも、みんなのために率先してお働きになって、素晴らしいと思いました」
「ねえ」とタクヤはユリの肩を抱いたまま苦笑した。「その、突然敬語になるの、やめてくれない? 僕のことは、ただ『タクヤ』でいいよ。まあ、僕が本当にタクヤなら、って話だけど」
「そ、そんな……」
「気にしなくていいって。そもそも『さま』なんて呼ばれる事情が、自分にはちっとも、さっぱり、全然、わかってないんだから。はっきり言って、そんなの好きじゃないし。それに、こんなところで、いちいち『さま』とかつけてたら、仕事にならない。だろ?」
「それはそうね。でも、人前では、やっぱり『タクヤさま』ですわ」
「はいはい、それはまぁ、しかたがないことなんだろうね。ワタクシもその件に関しては目をつぶってつかわすぞ」
 ユリはリラックスした笑みをもらした。
「今まで知らなかったけど、確かにあなたって、あまり『王子様』ってタイプではないのね」
「それ、どーいう意味よ」
「怒った?」
「べつに怒りはしないけどさぁ……」
 ユリは下からタクヤを見て、小さく「なに?」と聞いた。
 タクヤはその美しい目を間近にすると、急に自分でも理由のわからない熱いなかが洪水となって体内にあふれてくるのを感じた。
「あ……い、いや、ただ……な、なんでもない。ははは。ま、よけいなこと、考えないでいいから、今はボーっとして、リラックスしなよ。僕がちゃんと支えてるから」
「うん、そうですね。ありがとう」
 ユリの素直な目の命の輝き……抱き支えた身体のしなやかな手触り……汗と血の混じった匂い……
 やはりこれは夢なんかではない、現実なんだ、とタクヤは自覚した。

 軍人が持ってきた携帯テレビが、診療所の待ち合わせ室で国内の惨状を繰り返し伝えていた。首都で破壊されたのは王宮と、経済省、そこに隣接する国立病院、そして空港施設。
 そしてニュースは緊急ニュースを伝えた。
「龍神族より声明が入りました。セントガル国際環境会議の決議に抗議する龍人族より『富を独占し大地を汚す悪魔の国に鉄槌をくらわせる』と……」
 日頃からニュースは悲惨な事実を伝えるものだが、このニュースは、誰にとっても他人事ではなく、画面からはただならぬ重々しい雰囲気が伝わってきた。
「これは環境主義者たちによる狂気じみたテロと呼ぶべきなのでしょうか?」
 アナウンサーの質問に、横の解説委員は否定的に答えた。
「まず、国民にみなさんには、冷静になることをお願いしたい。すべてのことがはっきりするまでは、もう少し時間が必要です。しかし、ここであえてはっきりと申し上げさせていただけば、今の現実は、テロと呼ぶよりも、すでに戦争と考えるべきでしょう。このような一方的な破壊が、許されるわけがありません。政府による全力の外交努力と合わせ、今後、さらに惨劇を繰り返さないためにも、主犯と考えられるグループや国家そのものを直接攻撃することを、早急に検討していく必要があると思われます」
「報復攻撃を検討すると?」
「いえ、報復ではなく、あくまで自衛です。これほどの被害が現実のものとなっている以上、必要最低限の実力行使は、正当、かつ当然の権利と言えます。もちろん最終判断は議会と国王がすることではありますが、国民の生命財産を守り、これ以上の被害を出さないために、どうか妥協のない決意ある対応を早急に行ってもらいたいものです」
 
 夜になると、タクヤは皆と同じ支給品の毛布を受け取り、一人、通路の隅で横になった。王子としての自覚がないタクヤは、その行為が奇異なものであることにすら気がつかなかった。
 そこに軍のリーダーらしき男がやってきた。
「海軍特務二佐のラインと申します。タクヤさま、このようなところで休まなくとも、キャンプか、もしくは艦隊の方にお越しいただければよろしいのに」
「すみません、僕だけそういうのって」とタクヤは口ごもった。「なんだかここまできたら、ちょっとね。逃げ出したい気持ちはあるけど、僕としてはみんなと一緒に、現実にむきあわなきゃな、と思って」
「尊敬いたします。さすがアリューサ王のご子息。しかし、ご不自由はございませんか?」
「いろいろあるけど、そういうのは僕に聞くより、王宮の人やドクターに聞いてくれた方がいいと思いますよ」
「いえ、全体的にはそうですが、タクヤさまにおかれましては……」
「いいの。そういうの」とタクヤは疲れた声で言った。「気にしないでよ。お願いだから」
「失礼いたしました」
 タクヤは、この男の慇懃な態度には、きっとどんなときに会っても、何年つきあっても、絶対に馴れることはないだろうなと思った。
「ところでタクヤさま、セントガル環境会議に出席されているアリューサ王ですが、王宮がこのようなことになってしまっては、この先もセントガルでの滞在が長くなりそうです」
「セントガル?」
「イラフト国の首都です」
「は、はあ……」
「我々も明朝、船であちらに向かおうと考えておりますが、この際、タクヤさまもごいっしょされてはいかがでしようか?」
「ここを離れるってこと?」
「実は、今朝の爆撃以来、まるでそれにあわせたかのように、王の様態が悪化しているとの報告が入っております。元々持病はある方とは聞いておりますが、やはり王宮が破壊され、タクヤさまのことがご心配なのではないでしょうか。ぜひ行って、この厳しいとき、他国訪問中のアリューサ王を励ましてさしあげてはいかがかと存じます」
 タクヤとしては複雑な気持ちだった。そもそも、アリューサ王なんて、知らないし。その人が、父親なの? 自分の父親がどんな人か、全く思い出せない。そんな人に会いに行って、励ますの? それはいいことなのだろうか? ここに残って、傷ついた人たちの手助けをすることの方が、大切なのではないだろうか?
「タクヤさまもお気づきの通り、こちらがこのようなことになっては、予定されていた『成人の儀』も難しいことになってしまいました。ただし、実は、マンスフィールド号の滞在しているセントガルで、平和を祈る国際行事として、両国の共同の元で開催するという案が、すでに内々では動き始めております」
「はあ……よくわかんないけど……」
「このような時にこそ、自由と平和を尊重する我が国の良識を広く内外に知らしめるには、大変よい案と思われます。しかしそのためには、まずタクヤさま御自身があちらに向かい、用意を始めねばなりません。このような重大事を、このような場で直接お伝えせねばならない失礼を、どうかお許しください」
「べつに失礼とか、そういうことはいいんだけど……」
「お心の広さに感謝いたします。そして、タクヤさまには、もう一つ、王からの直接のお願いを伝えさせて頂きます。これは、私にも意味がよくわからないのですが、『ヤマトアザミの根を見つけて届けるように』とのことです」
「え?」
「ご存じですか?」
 タクヤは今朝、ドクターに言われたことを思い出した……ヤマトアザミは、薬が効かず、祈るしかない……
「まあ、聞いたことはありますよ、名前だけならね」
「では、その件、なにとぞよろしくお願いいたします。では、明朝、診療所の先の船着き場で。もちろんタクヤさまも我々とご同行なさることを、信じております」
「あ、あの、ちょっと待ってよ。お願いします、って言われたって、ヤマトアザミって、そんなにすぐには見つからないと思うよ。僕もよく知らないし、それに、なにもかも、このありさまだし」
「ですが、出航も長く待つわけにはまいりません。あちらに運ばなければならないものもありますので。では、正午までに。それまでにお見えにならなければ、先に出航させていただきます」
「船は先に出てもいいから、物だけあとで郵送しちゃダメ?」
「タクヤさま」ラインは厳しい眼差しをした。「今、どういう状況にあるか、ご存じではありませんか?」
 タクヤは「ただの冗談だよ」と口元をゆがめた。
「龍神族のゲリラは、様々な対空兵器を所有しています。航空機での移動はリスクが大きく、当面は船の方が安全なのです。誤解のないように、もう一度申し添えますが、明日、正午までに、ヤマトアザミの根を持って港においでください。よろしいですね。では、失礼いたします」
 ラインという堅苦しい軍人が、意味不明かつ手がかりもなしの難題を押しつけて、クールな態度ですたすたと去っていく。タクヤはむかついて、後ろ姿に舌を出して「べー」をしてから、手を「えい」と振った。
 すると、たくましい軍人が転んだ。
 え?
 ラインが突然転んだことと、タクヤが手を振ったことは、無関係には思えなかった……

 タクヤは診療所に戻った。軍の医療スタッフが働いている診察室を横目に、通路を進んで、職員に許可を得てから、ドクターらが暮らすエリアに入った。明かりが点いたままのドクターの部屋はすぐにわかった。遠慮がちにノックすると「どうぞ」と小さな返事が聞こえてきた。
「僕です。疲れてるとこ、申し訳ないんですが、ちょっといいですか?」
「ああ……」
 ドアを開けて中をのぞいたタクヤに、ドクター・シライは奥のベッドから放心したような視線を向けた。身体を起こそうともせず、かすれた声で「入っていいよ」と言った。
 タクヤは中に入り、ユリの祈りの部屋にあったものと同じ白木の椅子に腰掛けた。
「ドクター、今日はお疲れさまでした」
「タクヤさまもな。メリルさんのことは、残念でした」
「はい……でも、彼女だけではありませんから……」
「そうですな」
 ドクターは、内なる想いに蓋をするように、上を向いて、きつく目を閉じた。
「お疲れですね?」
「ああ……」
 しわの多い目尻が、小刻みにふるえていた。
「あの……お疲れのところ申し訳ないんですが、今夜、どうしても相談したいことがあって」
「なにかな?」
「この足の原因になったというヤマトアザミなんですが、どこに生えているか、ご存じじゃないですか?」
「さあな」とドクターは目を開けて上体を起こした。「どうして、そんなことをこんなときに?」
「王がほしがっているらしいんです」
「うむ……それは私に聞くより、自分自身に聞いた方がいいと思うぞ」
「そ、そうなんですが、でも、憶えてないんです」
 ドクターは目をこすり、わずかな記憶を探った。
「それはな、海に近いところに生えていることは間違いない。海と関係があるらしい。それに、やたらと自然に生えるものでないこともわかっている。……私に言えるのは、その程度ですな」
「王が個人的に栽培していたような話は、聞いたことありませんか?」
「そりゃあ、あっても不思議ではないが、私は知らないし、王の間の方は、直撃を受けてほとんどがれきの山らしい。王の身辺に関わる人で、無傷の者は多くないだろうし……」
「ですね。実は、明日、僕は、王のところに船で行くことになったんです。……ていうか、そうした方がいいらしいので。で、そのとき、ヤマトアザミの根を持ってきてほしい、って言われて」
「ふむ……」
「だから、今晩中に探さないと」
 ふと、なにか心当たりがあったかのように、ドクターが眉を上げた。
「もしかすると、あれがそうかもしれん。ユリのところに、王からもらった小さな鉢が……」
「鉢?」
「そう。ユリのところに行って、聞いてみてくだされ」

 タクヤはユリの部屋を前にして、ドキドキしながらドアをノックした。
「僕だけど、ごめん、ちょっといい?」
 しばらくしてからユリが出てきた。ドアを開けたユリは、死人のように青ざめていたが、タクヤを見ると、無理に笑みを浮かべた。
「どうしたの?」
「疲れているとこ申し訳ないけど、ちょっとドクターに言われて、確認したいことがあって」
「やはり足のほう、もう一度祈っておいた方がいいのかしら?」
「いや、そうじゃないんだ」とタクヤはあわてて首を振った。「ユリが疲れ切ってるのは知ってるし、そんなこと頼んだりしないよ。そうじゃなくて、ある植物を探してるんだ」
「ショクブツ?」
「ああ」
 ユリはタクヤを部屋に招き入れた。
「それ、どんな植物かしら?」
「ドクターから聞いたんだけど、王からもらった小さな鉢があるとか……これ?」
 タクヤはちょうど目に入った、窓辺の小さな鉢を指さした。
「それは、2年ほど前の誕生日に、王様からいただいたものよ。海水をあげるの。なかなか育たない不思議な植物……」
「名前は知ってる?」
「いいえ」
「他に王からもらった植物ってある?」
「これだけです」
「じゃ、まちがいないね」
 タクヤははっきりと頷いて、鉢を手に取った。
「ヤマトアザミだよ。王が必要らしいんだ。明日、船であちらに行くんだけど、この根が必要なんだって。ま、もちろん、これでは小さすぎるだろうけど、これと同じものを探せばいいってわけだよね」
 ユリは急に不安げな表情になった。
「明日、船で、ですか?」
「そうだけど、なにか?」
「そうですか……では、やはり、私も行かないといけませんよね。船であっても……」
「なぜ?」
「だって」とユリは言葉を詰まらせた。「えっと……つまり、今朝、あなたはイルカと話をしていたでしょ? あれ、少し思い当たることがあって。ほかにも、なにか、不思議なことができたりしていませんか?」
「不思議なこと?」
「そう、いわゆる超能力のような」
「そういえば、少しあるかも……。さっき、明日の船のこととか知らせに来た軍人がいたんだけど、なんかガチガチでさ、悪い人じゃないのはわかるんだけど、ちょっとむかついて、去っていく後ろ姿にベーして、で、こう、さっ、って手を動かしたら、その人がそれにあわせて転んだよ」
 タクヤは笑い話のつもりで言ったのだが、ユリの目は真剣だった。
「タクヤさま」
「ねえ、その『さま』って、やめる約束じゃん」
「ご、ごめんなさい、つい……本当に、ごめんなさい、私……」
「ねえ、どうしたのさ、さっきから」
「今は、足に痛みはありますか?」
「動きすぎて、疲れて、筋肉痛っぽいけど、腫れているところはべつに痛くはない」
「そうですか……その腫れは、おそらく、能力の解放に関わるものだと思います。だからいろいろ不思議なことができたりするの。祈り師の資料で読んだことがあります。でも、その解放は、とても危険で、その解放を伴った身体……つまりタクヤさんは、死んでしまうかもしれない」
「死ぬ?」
「つまり、病で熱が出るように、能力が発散されるの。危険なことなのだけど、有効な薬はなく、一週間が峠と聞いたことがあります。祈り師の資料によれば、助かる確率は……」
 もしも今日の惨劇がなければ、その先を聞くことは、タクヤにはつら過ぎたかもしれない。けれども今は、この突然の混乱にぶつけるあてのない怒りまでも感じていた。動じない眼差しでユリを見つめた。
「教えてもらっていいかな。知らないままでは、いたくないんだ」
「タクヤさま……その資料によれば、五分五分。助かる確率は50パーセント。効果があるのは、ただ、毎日の祈り師の祈りと、本人の精神力だけ」
「まじ? すごい話だね」
「すみません」とユリはうつむいた。「やはりこんなこと、言うべきではありませんでした……」
「そんなことないよ。むしろ、ありがとう!」
 タクヤは鉢を持っていない左手で、ユリの手を強く握った。
「僕は、少しでも本当のことが知りたいんだ。何も憶えてないし、ヘンなこと続きだし」
 ユリは黙って頷いた。
「ねえ、もしかしたら、僕の記憶がないことも、この足の病気と関係しているのかもしれないよね」
「そうかもしれません。いえ、きっとそうです」
「なるほど」
 タクヤは自分でも意外なほど前向きな気持ちになったた。
「ありがとう、ユリ。なんだかやっと『事情』がわかってきたよ」




3 犬と話す


 タクヤとユリは、まず王宮の裏の浜辺の公園に歩いていった。海水で育つという植物なので海に近いところに生えていると考えたからだ。
 公園には濃いグレーの軍のテントが目に付いた。男たちがたき火を囲みタバコを吸っている。
 そこに一匹の小型犬がいた。軍が連れてきた犬のようだ。
「もしかして、あれは災害救助犬かしら?」
 ユリは何気なくつぶやいたが、捜し物なら犬が役立つことに、二人はハッと気がついた。目を見合わせて頷くと、犬のつながれたテントに向かって小走りで近寄った。シートをめくって中に声をかけ、犬のことを質問すると、背の高い男が出てきて説明してくれた。
「そうだよ。災害救助犬。生き埋めになった人を捜すのが任務なんだ」
 すり寄ってきた薄茶色の犬を、男がかがんで抱き寄せた。
「チャーリー、明日もまた、夜明けから仕事だぞ、しっかり頼むぞ」
「すみませんが、この犬、ちょっとお借りできませんか?」
「はあ? なに言ってんだ、おまえ」と男が厳しい目で睨んだ。「明日もちゃんと仕事できなきゃ、人の命に関わるんだぞ」
 ユリも「お願いします」と男に頭を下げた。
「これと同じ植物を、今夜中に探さなくてはならないんです」とタクヤは手に持っているものを差し出して説明した。「鼻の利く犬の協力がもらえると、すごく助かるんと思うんですが」
「おいおい、おまえら、人命と、ちんけな植物と、どっちが大切かぐらいわかるだろ?」
「そ、そうですが……」
 仕方なくユリは男に素性を明かした。二人が、王の息子と、その祈り師であることを。
「え、タクヤさまと、祈り師さん? まじっすか?」
「もちろん、明日の大切なお仕事のことはあると思うのですが、私たちも、今夜中に探さなくてはならないものがあるのです。無理を承知で、ぜひご協力をお願いしたいのですが」
「そういうこと。よろしく頼みます」
 男はタクヤとユリを交互に見て、言葉に詰まった。
「そ、そんなこと、いきなり言われてもなぁ。だいたい、なんでいきなり来るかなぁ、こんなとこに。困るんですよ。ま、ちょっとまってください。とりあえず、隊長に相談してきますから」
 男はテントのシートをまくり、顔を入れて「隊長どこ?」と質問してから、すぐに走り去っていった。男の態度は明らかに否定的だったが、軍の上部まで話がいくと、すんなりと許可が下り、ついでに二人が希望するものは何でも貸し与えるようにとの指示までもらってきた。必要であれば小隊の協力出動も検討する、と。
 タクヤは「とりあえずシャベルと、ランプと、犬だけ貸してください。ダメだったらまた来ます」と伝え、真面目に感謝の気持ちを伝えてから、ヤマトアザミ探しを再開した。

 まずチャーリーと呼ばれる犬に匂いを憶えさせるため、タクヤが小さな鉢を差し出した。
「ほら、この植物を探してるんだ。よく匂いを憶えてくれよ」
「……なんか、へんな匂いだな……」
「は?」
 と、タクヤはのけぞって驚いた。
「は?」
 と、犬も身を引いて驚いた。
「チャーリー、今、しゃべった?」
「あんた、今、しゃべった?」
「すげー」
「すげー」
「僕、犬ともしゃべれるよ!」
「おいら、人間としゃべれるよ!」
「ちょっと待て。勘違いするなよな。おまえが人間と話せるんじゃなくて、僕が犬と話せるんだから」
「そうかなぁ。あんたが犬と話せるんじゃなくて、オイラが人間と話せるようになったと思うんだけどなぁ。じゃあ……ねえ、そこのお姉さん!」
 ユリは犬に吠えられて、チャーリーの前にかがんで「なに?」と質問した。
「ほらみろよ、ちゃんと通じてるじゃないか、はっはっは!」
「通じてないっつうの。疑うんなら、もっと複雑なこと質問してみろよ」
「おねえさん、オイラの頭なでてみて」
 ユリは、いいこいいこ、とチャーリーの頭をなでた。
「ほらみろ少年よ、カンペキに通じてるぜ」
「通じてないって。もっと質問してみろよ。人間と話せるようになっているかどうか」
「おねえさん、オイラの言うこと、わかりますよね?」
 ユリはクンクンとうなる犬に顔を寄せて「どうしたの、お腹すいたの?」と聞いた。
「お腹って、あの……」
「だろ?」
「うぉー、これはゼッタイ逆であるべきだよ。きれいなお姉さんがオイラと話せて、小汚い少年は話せなくて!」
「あのなぁ、小汚いのは爆撃でいろいろ人助けしたからだよ。知ってるだろ?」
「オイラだって冗談で言ってんだよ。知ってるだろ?」
「むむ、おまえ、けっこうむかつく犬だな」
「おまえこそ、むかつく人間だな」
 にらみ合うタクヤとチャーリーを見て、ユリは悟った。
「あなたたち、話せるのね?」
「うん」
 タクヤが頷くと、ユリは悲しそうな顔をした。このようなことの一つ一つが、タクヤの命を縮めているのかもしれないからだ。しかし、わかってしまう言葉を我慢したからといって、よくなるものでもないだろう。すぐに気を取り直して、立ち上がった。
「話ができるのなら、ちょうどいいわね。ヤマトアザミ探しも、はかどるかもしれません。行きましょう」
「そうだ、さっさと終わらせて寝るぞ」
「賛成!(ワン)」

 タクヤたちは、まず海沿いの浜辺や船着き場の方を歩いた。
 チャーリーはぶつぶつとつぶやき続けた。「う〜、今までこんな匂いはかいだことがないぜ。無駄だよ、意味ないよ……」
「おまえ、うるさい犬だな」
「ちゃんと探してやってるから状況報告してんだろ、わかれよ少年」
「そんなにぶつぶつ言う閑があったら、さっさと見つけろ」
「わかってるよ。犬づかいあらいなぁ。どうもこっちにはなさそうだぜ」
 やはり海辺の公園など外周部を探すだけでは無理のようだった。
「やっぱり王宮の中の方に行くしかなそさうだな」
「そうね」とユリは頷いた。「タクヤさまの……いえ、あなたの足のような症状って、私、見たことないし……」
「ユリ、いいんだよ。僕のことは、タクヤで」
「わかったよ、タクヤ」
「おい!」とタクヤは犬をにらんだ「チャーリー、おまえが言うことないだろ」
「あんた、タクヤ。おいら、チャーリー。なにか?」
「うっ……」
 ユリは「どうしたの?」と質問した。
「あいつが僕のこと、タクヤって呼び捨てにするんだ」
 ユリは微笑んで「そっか、じゃあ、私もいいわね?」と言った。
「そうそう、もちろんだよ」
「おい!」とチャーリーは再び吠えた。「タクヤ、そこ、人間だけで勝手に納得するな」
「これは人間の話なんだ。おまえには関係ないの」
「ちっ、そんなこと言うとな、おいら、仕事放棄するぞ、いいのか?」
「犬の仕事放棄なんて、聞いたことないんですけど」
「うっっ、バ、バカにするな、おいらだって……うっっ、ダメだ……おいらの中の、り、良心が、目の前の仕事を怠けてはいけないと、おいらを突き動かすぜ」
 ノドに食べ物を詰まられたかのごとく身をよじらせるチャーリーを見て、タクヤは笑った。
「素晴らしいことじゃないか。さあ、ここはもういいから、あっちの方に行ってみよう」
「くそ……憶えてろよ……」
 タクヤたちは管理用の小道に入り、破壊された丘の上方に向かって歩いていった。

 途中、畑の横を歩いているとき、枯れかけたトウモロコシたちが「どこにいくんですか?」と細い声で語りかけてきた。
 タクヤはびっくりして飛び上がった。
「え、だれ?」
「私たちは、母なるトウモロコシ。忘れられた存在」
「トウモロコシ?」
「はい」
「どうしてそんなに悲しそうなの?」
「悲しいけれど、不幸とは思っていません。運命なのです……」
 タクヤは同じ体験を以前にもしたような気がした。けれども今はトウモロコシと語り合っている暇はない。そのまま通り過ぎようとした。
 そのとき、ふと思いついた。動物ならイルカとも犬とも話せたけれど、植物の声が聞こえたのはこれが初めてだ。同じ植物なら、何か知っているかもしれない。
「すみません、トウモロコシのみなさん、僕はいま、この植物と同じものをさがしています。どこに生えているか、心当たりはありませんか?」
「ああ、ヤマトアザミさんだね」と、トウモロコシはゆらゆらとゆれる声で応えた。「この丘の中腹、東のはずれに、長年すんでらっしゃるよ。海水を好むってことで、ご近所からはよく思われていなくて、有名なのさ」
「本当に?」
「ああ」
「助かります。ありがとう、トウモロコシさん!」
「忘れてはいけないよ。素敵なことほど、悲しいということを」
「は?」
「『愛』という旅は、到着するところが、出発するところなのだよ」
「は、はい……」
 タクヤは、よくわからず、首を傾げつつ頷いた。
 ユリはトウモロコシを前にたたずんでいるタクヤの足が、微かに光を発していることに気がついた。発散していく能力。それを封じる術もなく、少しずつ危機は深まっていく。ユリは自分の祈りによって解決していくしかない現実の難しさを、改めて心に刻んだ。

「これだね」
 ランプに映るヤマトアザミ。それは30センチほどの高さで、普通のアザミと同じように紅色の花を付けていた。
「あのさぁ、こんなの探してどうするっていうんだよ」
 とチャーリーはますます怪訝そうにグチを言った。
「うるさいなぁ。僕だって知らないよ。知らないことばっかりでうんざりしてるんだから、いちいち質問するな」
「なんだよ、逆切れかよ、勘弁してくれよ」
「ほっとけ」
「タクヤ、さあ早く」とユリはランプを作業しやすいようにかざした。「見つけたのだから、ぐずぐずしないですませちゃいましょう」
「そりゃそうだ」
 タクヤは借りてきたシャベルを使い、茎の刺に気を付けながら、慎重に周囲の土を掘っていった。
 やることのなくなったチャーリーは、犬の立場でぶつぶつと苦言を続けた。
「おいら、こういうのって好きになれないよ。きっと、なんか悪いことになるぜ。そういうタイプの匂いだよ。あのさぁ、おいら、べつに賢いとか強いとかってことはないけど、事故はいろいろ経験してるわけ。同じ人間の匂いでも、生きている人と死んでいる人では、違うってわかるんだ。だから、不安なんだよ。こいつはさ、死んだ人の匂いに似てるよ。同じじゃないけど、なんか似てるんだ。いいものか悪いものかってのはさ、匂いでわかるもんさ。だから、こんなの、絶対よくないよ」
「うるさいなぁ」
 深くまで根が張っていることにいらついたタクヤが厳しく言った。
「人間にはな、良薬口に苦しって言葉があるんだ。美味しくなさそうでも、必要なことはあるんだよ」
「そうは言うけどさぁ、でもさぁ、なんかさぁ、へんなんだよね、すごく。ねえ、おねえさんもそう思わない? ……いや、まあ、そうやってなでてくれるのは嬉しいんだけどさぁ、でも、おいらは真面目に言ってるんだけどなぁ、なんかイヤな感じだよ、ほんと、あとですんごく困ったことになるよ、だってこの匂い、ホントにイヤな感じだもん……」

 ヤマトアザミの長い根を掘り出し終えると、とりあえずユリのハンカチでとげのある茎を包んだ。そして急いで丘を下りた。
 チャーリーは文句をつぶやき続けたが、海岸のキャンプに戻ると、素直にキャンプ脇の定位置にしゃがみ込んで口をつぐんだ。
 タクヤとユリは「ありがとうございました」と借りたものを軍の人に返した。そして「捜し物は見つかったからって、ラインさんに伝えといてください」と伝言を頼んだ。
 ユリは最後にチャーリーに「もうおねむさんなのね、疲れているところごめんね、ありがとう」と感謝をこめて頭をなでた。チャーリーはむにゅむにゅと口のあたりを動かした。しかしチャーリーが愚痴ばかり言っていたことを知っているタクヤは「明日も働くんだから、早く寝ろよ」と素っ気なく言ってその場を去った。

 タクヤは捜し物が見つかった安堵から、急に激しい疲労を自覚し、診療所への入り口でユリに「おやすみ」とだけ言って別れると、瓦礫のわきに作った自分の眠る場所にふらふらと戻り、倒れ込むように毛布にもぐり込んだ。

 一日の終わり。
 やっとだ。
 こんな悲惨なこと、すべて夢だったらいいのに。
 眠ったら、消えてしまう、夢……
 
 浅い眠りの中で、たくさんの印象がよみがえってくる。
 人々の死。
 なぜか、闇に消えていくユリの姿と重なる。
 ユリ? 
 いたまれなくなって、目を開く。 

 え?

 ユリの死?

 奇妙なほどリアルな予感。
 思わず身体がふるえる。
 命の危険があるのは、僕のはず。
 どうしてユリが?
 そんなこと、あるわけがない。

 タクヤは夢とも現実ともつかない曖昧な意識の中で、ユリの死という不吉なイメージを無理矢理に頭の外に押しやって、動物と会話ができた楽しさや、防波堤の向こうで美しいユリの姿を見かけたときの喜びを、記憶の奥からたぐるように思い返しながら、やがてこの世界で眠りについた。




4 船出


 あまり眠れないままに朝を迎えたタクヤだったが、目が覚めてしまうと、もうそれ以上横になっている気にはなれなかった。攻撃により破壊を受けた現実は、夢ではなく確かに現実として周囲に存在した。眠りの中で忘れかけていた重苦しい悲惨さが、再び心にのしかかってくる。
 そんな気持ちを振り払うかのように、タクヤは人けのない歩道を一人で海辺へと下っていった。昨日の混乱が嘘のように静かな診療所脇を通り、庭園を抜けて防波堤に上がると、早朝の海が眼前に広がった。
 タクヤは突端のコンクリートに腰掛けた。太陽は水平線よりも上にあるようだが、まだ雲に隠れている。雲の端が薄く紅色に染まる神秘的なひととき。上空にはほとんど雲がなく、深い蒼色の空が広がり、その色彩が穏やかな海面にも映っていた。
「おはよう」
 背後からユリの声が聞こえ、タクヤは驚いて振り返った。
「あ、おはよう。早いね。眠れた?」
「あなたこそ」
「いろんなこと、あったからね。でも、ここで海を見てたら、僕も少し気が楽になってきた」
「そうね」ユリはタクヤの横に立ち、夜明けの海原を前にした。「海って、不思議ね」
「みんなの心が、この海のように広くて平らだったらいいのにね」
「でも、海だって、荒れるときはすごいよ」
「そう?」
「台風のときなんか、この防波堤がぶるぶる震えるぐらいの大波が打ち寄せることもあるの」
「そ、そうだね……」
 タクヤはそれ以上、どう言ったらいいかわからなくて、鼻をすすって立ち上がった。
「さて」
「ね、タクヤ、顔はもう洗った?」
「いや、そういうことは、特に」
 タクヤはふと、昨日のメリルの気づかいを思い出した。いっしょに乗り切ってまいりましょう、と朗らかに言っていたメリルはもういない。
「僕……これから、どうしたらいいのか、わからない」
「じゃあ、まずは、うちに来て、顔洗おうよ。で、いっしょに朝御飯食べよう」
「ありがとう。でも……そうだ、せっかく海があるんだから、少し泳いでからにしていいかな?」
「え?」
「うん、そうする。いいよね!」
 タクヤは思いつくと我慢できない衝動を感じ、さっとシャツを脱いでユリに渡すと、コンクリートの端から海に飛び込んだ。
 水は少し冷たかった。しかし確かに本物の海だ。体が覚えている泳ぎの感覚。力をこめて水をかく。
 一度深く潜ったタクヤは、輝く水面を目指して上昇し、朝日の差し始めた海面に出ると、妙にスッキリとした顔を上げ、ユリに叫んだ。
「ありがとう! すぐ、行くよ。本当に、ありがとう!」

 ユリとドクターと三人での朝食を終えたタクヤは、ユリと共に軍がキャンプしている入り江に向かった。昨夜親しくなったチャーリーの姿はもうない。おそらくすでに仕事を始めているのだろう。
 海軍のライン特佐は、タクヤたちの姿を見かけると、上体をまっすぐにのばしたまま歩み寄ってきた。
「おはようございます、タクヤさま、ユリさん。ずいぶん早く来ていただけましたね。部下からお探しのものは見つかったと聞きましたが?」
「まあね」とタクヤは皮肉を込めた笑みを浮かべ、ジャケットの内ポケットから白い布でつつんだヤマトアザミを取り出した。「とりあえず、これね。足りるかどうかわからないけど、これがヤマトアザミであることは間違いないです」
 ラインは丁寧に布をめくって中をのぞいた。
「意外に小さなものですね。しかし根がすごい」
「掘り出すの大変でしたよ」
「わかりました。では、これはタクヤさまがお持ちになっていてください。不思議な力のある植物と聞いています。タクヤさまが御自分でお持ちになっていた方がよろしいでしょう。……いや、ちょっと待ってください」
 ラインは小型の無線機で「ライン特佐だが、例のジャケットを持ってきてくれ」と伝えた。すぐに迷彩服の部下が走って、サバイバルジャケットを持ってきた。それは軽量ながらも防弾繊維で作られたジャケットで、隠しポケットが付いていた。ラインはその機能を説明しながら、外からはわかりにくい背側のジッパーを開いて、布にくるまれたヤマトアザミを隠した。
「これでタクヤさまがいなくならない限り、ヤマトアザミがなくなることはありません」
「ラインさん、それ、冗談っすか?」
「いいえ」と男は表情を変えずに否定した。「冗談ではありません。さあ、着てください。では、まいりましょう」
 タクヤは軍用のジャケットを着させられ、こんな無愛想な男といっしよに旅をするのか、とうんざりした気持ちになった。
 しかしユリはそんな軍人に対しても礼儀正しく「どうぞ、よろしくお願いいたします」と丁寧に頭を下げた。軍人的な態度にも特別な違和感はないようだった。
 タクヤはさらにこの男に敵意を抱いたが、そんなタクヤの気持ちに気付くことなく、ラインは歩きながら具体的な説明を続けた。
「ここから小型艇で沖に出て、キャンベル号という高速の輸送船に移っていただきます。その高速船でセントガルに向かいます」
「それ、目的地までどのくらいかかるんですか?」
 タクヤとしては当たり前の質問をしたつもりだったが、ラインはいぶかしげに眉を寄せた。
「二日ですが、ご存じでは?」
「いや、まあ、だいたいは知ってるんだけどさぁ、軍の船だと速かったりするのかなーと思って」
「すごく速いわよ」とユリがタクヤの耳元でささやいた。「普通は一週間くらいかかるはずだもの」
「え? マジ? すごいかも……」
「どうしよう」とユリは彼の耳元で続けた。「私、船酔いするの。スピードを出す船だと特に……」
 タクヤは、にこっと微笑んで頷いた。
「ユリがダメになったら、今度は僕がユリのために祈ってあげるよ。だから大丈夫。ね?」
「う、うん……ありがとう、って、言いたいとこだけど……」

 連絡用の小型艇は波をけって進み始めた。するとすぐにユリが「もう少しゆっくりお願いします」と泣きそうな声で懇願した。船はラインの指示でスピードを半分ほどに緩めた。スピードを緩めれば揺れがおさまるというものではなかったが、ガンガンという破壊的な揺れは、角の取れたゆったりした揺れに変わった。
 タクヤは船の先端近くで、水を切りわけて進む様子をながめていた。するとそこに一つの黒い固まりが姿を現した。船と同じスピードで進むかたまりは、尾の傷が白く水中で光った……シロ?
 イルカは頭を上げてジャンプして、早口でタクヤに言った。
「あんた、何してんだ? は?」
 タクヤが応える前に、イルカは水に落ちた。
 再びジャンプ。
「寝る前に、歯、みがけよ」
 またタクヤが応える前に、イルカは水に落ちた。
 再びジャンプ。
「おしっこもしとけよ」
 水に落ち、さらにジャンプ。
「風呂、入れよ」
 なんだよ、こいつ、とタクヤは思った。イルカってジャンプするとき、こんな馬鹿なことを言うものなのだろうか……
 そのとき船底からユリが駆け出てきた。一瞬、タクヤは、シロに気づいたユリが喜んで出てきたのか、と思った。シロもそうだった。ちらっと視界に入ったユリの姿に、喜んで大きくジャンプした。すると我慢できずに海に向けて吐き出したユリのゲロが、イルカの額に命中した。

 赤ら顔の船長は、ユリを気遣って船をアイドリング状態にした。イルカもそれにあわせて泳ぎをやめ、水面から顔を出し、タクヤに語りかけた。
「オイラ、こんなことになるなんてビックリだよ。なんか旅立ちっぽいから見に来たら、いきなりゲロだもんなぁ」
「イルカもイルカなりに大変だねぇ」
「いいってことよ、べつに服は汚れなかったから」
 まるで駅の通勤途中のサラリーマンみたいな言い方に、タクヤは大笑いした。
「シロって、なかなかユーモアの才能あるよ」
「オレを育ててくれた人間がテレビ好きでね、水槽にテレビ向けてれば退屈しないと思ってたんだ。おかげでいろいろ学んだよ。まあ、オレには吸収できる才能があったんだ。でもさ、なかなか人間はわかってくれなくて。やっとわかってくれたと思ったら、よりによってあんたみたいなさえない少年だ。やれやれ。やっぱ天才イルカは不幸なのだ」
「おまえ、自分の不幸を僕のせいにしてないか?」
「それよか、大丈夫なのか、彼女?」
「心配するなよ、ただの船酔いだから。昨日のことがあって疲れてるしね」
「ちちちちちちちよっと、なに? 船酔いって? そんな病気、あるのか?」
「だって、船に乗ってゆれると気持ち悪くなるだろ? ……って言っても、イルカにはわからないか」
「うん、オイラ、わからない」
「いいんだよ、わからなくても。ま、世の中はいろんな不思議に充ちてるんだ」
「テレビでも不思議のことはよくやってたな」
「そうそう、そんな感じ」
「って・・・おい、少年、今、わざと話をはぐらかしただろ」
「本当に世界はわからないことだらけさ。なんてったって、僕なんか自分が誰なのかもわからないんだから」
「なんだよ、それ? 哲学の話か?」
「ちがう。これはね、僕たちの『愛』の話さ」
 シロは口を水面に付けて、たっぷりと水をタクヤにはねた。
「ばか、何すんだよ!」
「ははは、おまえ、そうやってオイラをイルカだと思ってバカにしてるとな、おまえもじきにイルカになっちゃうんだぞ、ははは」
 タクヤはシロの言葉にショックを受けた。次に目が覚めたら王子でなくイルカですか? 実際にこうしてイルカと話を続けていると、すでに気分は半分イルカみたい……

 小型艇はゆっくりと沖に向かった。ユリはまだ具合が悪そうだったが、すでに吐く物は胃に残っていない。
「あいつ、心配してたよ。船酔いって言ってもわからなくて、病気だと思ったみたい」
 タクヤはユリを気遣いつつ、楽しげに言った。
「ごめんなさい、私、こみ上げてくるものを止められなくて」
「いいんだよ。シロも言ってたよ、別に服は汚れなかったからって」
 ユリは苦しそうに微笑んだ。
「きっと、私たちの旅、ついてきてくれるよね。今度会ったとき、ちゃんとごめんなさいを言おう」
「ついてくる?」
「だって、私たち、もうずっといっしょなの。心は、つながっているよ」
「そういう問題っスか?」
「そ。そういう問題なのでーす!」
 ユリはヤケクソ気味におどけた。
「あいつさぁ、見た目は普通のイルカだけど、しゃべってみるとオヤジっぽかったよ。言うこと古いし」
「いいもーん。私はオヤジイルカさんでも」
 タクヤはやれやれと首を振った。バカげた会話だった。それはわかってた。しかしこんなバカげたことを語り合っていると、あの悲惨な記憶が少しだけやわらぐ気がした。
 そんな二人の時間をじゃまするかのように、ラインが寄ってきた。
「ユリさん、大丈夫ですか?」
「すみません、私のために……」
「ご心配には及びません。ほら、近づいてきました。あのキャンベル号に移れば、もう大丈夫でしょう」
 タクヤは白いスマートな船を見た。
「あれですか? 確かにスピード出そうだ……」
「そうです。このさきは急ぎます。急がねばならないのです」
「なぜさ?」
 タクヤは敵意を隠さず、まっすぐに質問した。
 ラインは眉を上げた。
「それはもちろん、あなたのお父さまがお待ちですから」

 タクヤは頭痛を感じた。
 なんのこと?
 聞いてねーよ。
 お父さまって、誰よ。
 僕は、誰で、なんのために生きてるんだ?
 なんにもわかんねーよ。
 みんなヘンだ。
 どうかしてるよ。
 
 タクヤは自分の身体の中で、きしむような痛みを感じ、思わず顔をしかめた。
 その瞬間、雷鳴のような音が海上に響きわたった。ラインは「空軍です、進路の確保が目的ですよ」と、不安げに顔をもたげたユリに教えた。
 低空を飛ぶ戦闘機の編隊は、空気を引き裂く轟音を残し飛び去っていった。
「戦争なんですか?」
 とユリは問いかけた。
「『戦争』という言葉の定義は難しい。現在では、昔のように国と国が戦う単純なものではありません。行き詰まった文明の有り様が問われてる……しかし、ええ、確かにこれは『戦争』です。互いに武器を向ける避けようのない現実なのです」






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