Susacian Prayer   1  2-4  5-7  8-10  11-13  14-17  18-21  22-25  26-28  29-32  33-34



8 砂漠の駅


 タクヤとユリが朝食を食べ終えるころ、食堂の内線電話に連絡が入った。ノジャの駅に二人を連れていけという指示だった。電話を受けたおばちゃんは、大声で二人に伝えた。
「さあさあ、連絡が来た。急いで支度しなよ。着替えやら金やらは、うちらで持たせてあげるからね。むこうさん、あわててるらしくて、だいぶ支払ってくれたようだ。ちゃ〜んと旅の支度して出してあげるから、心配するんじゃないよ」
 ユリはコーヒーカップを持ったまま朗らかな笑顔で「ありがとうございます」と応えた。
「で、ノジャまでは、漁船で送るからね。それ飲んだら、港にむかうよ」
「はぁ?」
 ユリが大きく目を見開いた。
「あんたら、このあたりの陸路は全部ダメって聞いてるだろ?」
「でも、列車でって……」
「そうだけど、駅までは船さ。きまってんだろ、そんなこと。誰かの漁船で送ってもらうよ。なに、二時間ほどで着いちまう。心配するこたないよ」
 ユリの顔から完全に生気が消えた。
 漁船……流れの速い海……二時間……
「もう、やだ」とユリはタクヤに愚痴を言った。「私ね、旅は嫌いじゃないよ。楽なことばかりじゃないけど、タクヤといると面白いし。こんなところに来ちゃったけど、来てみたらみんな親切だし、食べ物だってすごく美味しい。でもさでもさ、なんでこう船ばっかりなわけ? 私、神さまの機嫌を損ねるようなことした? そりゃ私だってカンペキじゃないのはわかってる。でも私なりに真面目に誠実であろうと努力はしてるのよ。なのに、なんでこうなっちゃうの? なんで船ばかりなの?」
 もちろんユリの胃の中には、消化がいいとはいえないカラス貝が、すでにたっぷり収まっていた。

 さきほど小屋に使いにやってきた子供がバックを持ってきて、おばちゃんに「はい、これ」と渡した。おばちゃんは受け取って、海賊流トラベルセットとも言える中身を確認すると、タクヤに投げ渡した。
「んじゃあ、いくよ」
「え……も、もうですか……」
 ユリが泣きそうな顔をした。
「あんたらこそ急いでるんじゃなかったのかい?」
「そ、そうですが……はあ……」
 おばちゃんに急かされつつ、タクヤとユリが食堂を出て、港に向かうなだらかな下り道を歩いていると、またヒッコリー老人が現れて声をかけてきた。
「なあ、おばちゃんよ、このお二人さん、砂漠の列車に乗せるって本当か?」
「そうさ」
「なるほど。したら、ワシがついてってやろうかの」
「はぁ?」
 おばちゃんは目を丸くした。タクヤたちも同時に目を丸くした。
「あのなぁ、なんて言ったって、砂漠の列車は危険がいっぱいじゃ。王子さまの一行となれば、武芸のたつ者が警護するのがふさわしいが、今日のところは男たちはみんな漁に出てしまった。だから親切にも、ワシがその役をかってやろうと言うておるのじゃ。ありがたく思え」
「大丈夫かい、あんた?」
 おばちゃんがあきれて聞いた。
「大丈夫。ちゃんと薬は持ったわい」
 タクヤはそれを聞いてさらにあきれ顔になったが、おばちゃんは納得したらしく「オッケー、オッケー。したら、よろしく頼むよ」と頷いた。
 老人はユリに手を差し出して握手した。
「ワシは、命に代えても、あんたを守るぞ。よろちくな」
「あのさぁ」とタクヤは不満な気持ちを隠す気もなくなり、きっぱりと老人に向かって言った。「僕だっていざとなったらそれなりにがんばるし、ユリのことは命に代えても守る。むしろ老人同伴じゃあ、逆に先が思いやられるって感じなんですけど」
「ほっほっほ」
 とヒッコリー老人は笑った。
「そう突っ張りたい気持ちはわからんでもない。しかしおまえさん、よく考えてみ。この先は二人でない方がいいぞ。外にある危険のことだけでない。『二人はつらい』のじゃ。その意味、わかっとるはずじゃぞ。彼女が祈り師となれば、これからはますますつらくなる」
 タクヤはたじろいで、クラクラした。この老人はどこまで知っているのだろう? 確かにユリの祈りを経験した人ではあるが……
「ま、心配せんでいいわい。ワシがついとったら千人の軍隊が守ってるのと同じじゃ。経験と、知恵が、旅の安全を保障する。それに、おまえたちが個人的に何してようが、ワシは気にしないしの。そもそも、いくらなかようちたくても、なかようなれんところが、このストーリーのいいところでな。ははは。なあ、そうだよな、おばちゃん?」
「どうでもいいけど、あんた、あまり無理しなさんな」
「わかっとるわい」
 タクヤとしては、この老人が『老人』でなかったら、ぶっとばしてやるところだった。でも、老人だから、とりあえず勘弁してやるけど。僕が勘弁してやるような老人が旅の護衛ですか? やれやれ、だ。

 港に待機していた漁船は、ユリの想像よりもはるかに小さな船だった。それでも波の荒い外洋を進んでいけるように、船首部分は高く盛り上がっていた。ユリは船に乗り込む前から、すでに足が地に着いていないような気分になった。
 船の主はやはり老人で、板を渡って乗り込んできたヒッコリーと親しげに挨拶を交わした。
「ヒッコリーさん、あんたが行くのかい?」
「そうじゃ」
「あんたじゃなきゃダメなのかい?」
「たぶんな」
「それでいいのかい?」
「まあな、薬は持った」とヒッコリーは苦笑した。「それに、ワシも、自分の目で見ておきたいのじゃよ。この世界のことを」
「ん、ま、気をつけてな。あんまり無理すんなよ」
 操縦士の老人は、三人が乗り込むと、渡し板と伴綱を外し、操縦席に戻ってエンジンのレバーを押し倒した。
 おばちゃんは豪快に「お二人さん、元気でな。またいつでもおいで〜」と言ったけれど、ユリはすでに操縦席の後ろのベンチに腰掛け、両手でポールを握って神に祈り始めていた。
「……ゆれませんように……ゆれませんように……」
 しかしユリがいくら神頼みしても、荒れた海を進む小型漁船がゆれないわけがなかった。入り江から外海に出ると、すぐに船首の上下動が始まった。うねりにぶつかると船首が高く持ち上がり、飛沫が左右に飛び散る。そのうねりを越えると、谷底に落ち込むかのような落下が待っている。次のうねりにカガンと当たる。うねりが少しでも斜めにあたると船が不気味に傾ぐ。傾いだまま持ち上がり、峠を越えて飛沫が飛び散り、またストンと落ち込む。
 ユリは3分もこらえきれずに、船縁に顔を出してゲロを吐こうとした。しかし揺れが激しすぎて、せり上がってきた船縁がユリの顎をたたいた。跳ね返されたユリは、ペンキのはげかかった木の甲板倒れて、そのままゲロを吐いた。美味しかったはずの朝食が、変わり果てた姿で甲板に広がった。激しく揺れる船の上では自力で汚物をかたづけることもできない。
「もうやだ……」
 泣きそうなユリを、タクヤが抱いて支えた。
「大丈夫だよ! ゆれてるけど、船は沈まない!」
「いっそ沈んでくれた方がどんなに楽だか」
「そんなこと言わないで。僕がついてるから」
「だったら、お願いだから、この揺れをなんとかして! 」
「そ、それだけは……」
 ユリは「うぇーーーーん!」と大泣きした。もうこうなったら、泣くしかなかった。大声で泣いて、泣いて、泣きまくるしかなかった。

 ユリには永遠かと思われる悲惨な航海だったが、実際には二時間もかからずに目的地のノジャについた。
 防波堤の内側に入ってからでも、ほんの小さな揺れで、ユリの内蔵はキュンと収縮した。船着き場に横付けしてさえも、まだ微かな揺れにユリは落ちつかず、一刻も早く船を下りようとした。ヒッコリー老人が渡し板を置くと、すぐさまそれを伝って船を下りた。懐かしい大地。……しかし今までの揺れが身体に残っているために、足下が固定されると、今度はユリ自身の身体がゆれているような錯覚を感じて、それでまた吐きそうになった。
 タクヤは船を操縦していた老人に礼を言った。
「すごいうねりの中、ありがとうございました」
「なに、別にあのぐらいはいつものことだよ。たっしゃでな。オレも、ここでちょっと降りて、買い物して帰るからよ。しばらくはここに停めとくんで、戻りたくなったらまた乗ってくれ」
 タクヤはユリをちらっと見て「それはないと思います」と言った。
「では、いくか」
 と、ヒッコリー老人は腕を後ろに回して、腰をたたいて歩き始めた。
「ヒッコリーさん、まず、どこに行くんですか?」
「きまっとる。うまいものを食べに行く。おまえのバッグには金がはいっとるじゃろ。さあ、出陣じゃ!」
「あの」とタクヤは苦笑して言った。「若くないんですから、あまり大食いしないでくださいよね」
「わかっとるって。なにせ、午後になったら長い列車の旅じゃ。つかの間の休憩を大いに楽しもうではないか」
 さっそうと歩いていく老人を先に行かせて、タクヤはユリの様子をうかがった。
「顔、真っ青だよ、大丈夫?」
「死にそう……でも、陸に上がったので、じきに落ちつくと思う」
「食欲ある?」
「わかんないけど、すっかり出しちゃったし、空腹と言えば、空腹かも……」
「あのじいさんさぁ、なにか勘違いしてるよね。一人だけエンジョイしちゃってさ」
「でもヒッコリーさん、膝はひきずってない……よかった」
 タクヤは「ユリって本当にいい人だよな」とあきれた。
「あなたの足も、早くよくなるといいんだけど」
「あのさぁ、ユリは人のことじゃなく、自分のことをもっと心配しようよ。とりあえず船酔いが落ちついたら、しっかり食べて、元気になること。力をつけなきゃ、旅も、祈り師も、つとまらない。そうだろ?」
「はいはい」とユリは苦笑した。「あなたって、あのおばちゃんに影響された?」
「やめてくれよ。まあね、あのおばちゃんは悪くない人だけど、あんなにパワフルにはなれないよ。僕はもっとマイペースさ」
「タクヤ王子のマイペースで優雅な旅?」
「ほんと、そうあってもらいたいよ」
 タクヤは愚痴っぽく言って肩をすくめた。
「でも、ほら、私たちも苦のあとに楽あり。ここからは列車だし、きっと大丈夫よね」
「当たり前だよ。大丈夫でなきゃ困るよ」

 港から古ぼけた煉瓦作りの倉庫街をぬけると、モーテルやドラッグストアの並ぶ通りに出た。ヒッコリーは妙に嬉しそうに足を早めて通りを渡り、『ニュープラネット』と書かれたけばけばしい看板の目立つレストランに向かった。屋根の上に作られた看板の横には、ピンクのユニフォーム姿の巨大な女性が、胸のふくらみをタップリ見せつけてウインクしている。あまりレストランらしいオブジェとは言えなかったが、何を頼んでもボリュームたっぷりなことは察せられた。
 広い駐車場には泥で汚れたピックアップトラックや、錆で開いた穴をテープでふさいだボロ車が並んでいた。店の入り口で丸太のような腕の大男とすれ違うと、タクヤはびびったが、店内に入ってみれば、たいがいがそんな大男ばかりだった。BGMにブルースが大音量で流れ、大男たちもそれにまけず大声でしゃべっていた。
「なんか自分が子供になったような気分にさせられるレストランっスね」
「私たち、いいの? こんなところに入って?」
「ちゃんとした客じゃ。悪いこたあない」
 ヒッコリーはニタッと笑うと、さっさと空いていた奥の席に向かって歩いていった。大男用のボックスシートに小柄な身体を滑り込ませると、染みの付いたメニューを一目見て「Bランチにする」と宣言した。
 タクヤとユリはその場の雰囲気に圧倒されて、よくわからずに同じものを注文した。本当はウエイトレスに料理の内容のことなどを質問したかったのだが、オーダーを取りに来た女性は、ユニフォームだけは店の上の看板と同じピンクだったものの、新参者の質問に丁寧に応えてくれそうな雰囲気などまるでなかった。
 Bランチ三つのオーダーを取って去ると、ウエイトレスはすぐに大きなマグでコーヒーを運んできた。さらに数分ののち、巨大な肉の塊の入ったシチューがテーブルに並べられた。
 ユリは一目見てため息をついた。
「どうした?」とヒッコリーはにたっと笑った。「うまそうだろうが。カテナ村の食事は健康的でいいんじゃが、面白味に欠ける。たまにはワイルドにいきたいもんじゃ。ま、ワシが若いころはあのへんも活気があっての、でかい車を乗り回して女を誘っておったもんじゃ」
 ヒッコリーはナイフで切った肉を口に入れて、BGMにあわせて「オー、イェィ」とうなった。
「ヒッコリーさんって、もしかして、不良さんだったのですか?」
 とユリは肉塊をフォークで突っつきながら質問した。
「不良かどうかはともかく、昔は、なんでもかんでもむかついたの。親がなにかをしろって言えばむかついたし、学校がこうしなさいって言えばむかついたし、信号が赤なだけでもむかついた。目の前に赤信号がともっているだけで、石を投げてぶっこわしてやりたくなった。実際に石を投げて命中せんかったらよけいむかつきそうだから、本当に投げることまではせんかったが。ま、世間から見ればワシは不良かもしらんが、ワシから見たら、世間がまちがっとった。なんの権利があってワシに指図するんじゃ。くそったれが。大人なんて、みんなくそったれじゃ!」
「でも、おじいさんは、もうとっくに、大人すぎるほど大人だと思うんですけど」
 とタクヤは苦笑した。
「わかっとるわい、あほんだら。しかし、こんなとこに来ると思い出すわけよ。そもそも、このごろのワシはな、昨日のことはよく思い出せないくせに、若い頃のことはよく思いだすんじゃ。喧嘩ばっかりしとって、負けてばっかりじゃったが、このままでは終わらんぞ、と、ずっと思っとった」
「で、強くなったんですか?」
 ユリは素直に質問した。
「いや、強くはならなかったよ。正直、強くは、なれなかった。しかし、なんて言うか、深くはなれたな。人にはそれぞれ生き方ってもんがあるんじゃ。いずれおまえたちにもわかるじゃろ」
 ヒッコリーは肉を口に入れて、また「オー、イェィ」とうなった。

 食事の途中、突然のできごとだった。
 タクヤの目の前が暗くなり、全ての音が消えた。
 横のシートで見たことのない幼い少女がシチューを食べている。
 なぜか少女だけがぼんやりと白く輝いている。
 タクヤは「誰?」と聞いた。
 少女は小さく首を傾げた。
 ……あなた、不安なの?……
 声と共に、ぼやけていた姿が明らかになる。
 血に染まった服。
 確かにそれは模様などではなく、少女自身の血の色だった。
 メリルの横で死んでいった片腕のない少女?
 タクヤは恐怖に襲われ逃げようとする。
 身体が硬直して動けない。
 ……なぜ?…… 
 わからない! わからないことばかりなんだ!
 ……逃げないで……
 血の気のない少女が、音もなく身体を寄せてのしかかってくる。

「わっ!」
 思わず声を上げ、タクヤは我にかえった。
「おい、おまえ、ちょっと、助けてくれ」
 革のバンドを腕に巻いた大男が脇に立っていた。放心状態のタクヤを見下ろしている。
「オレの娘がどっかいっちまってよ。先に食って退屈しやがって、勝手に外で遊ばせてたら、地下道に入りこんだらしい。それが細っこい地下道で、俺にはとても入れそうもないんだ」
 ヒッコリーがうなずた。「昔のパミラ族の穴じゃな。奴等は身体は小さいが、よく鼻が効いた。意外なところから金鉱を見つけてくるので有名じゃった」
「たのむ」と大男がタクヤに言った。「あの穴に入っていけるやつ、ここらで見回してもおまえぐらいしかいないんだ」
「僕が穴に入って探せと?」
「そういうことだ」
「ま、まあ、お力になれるのでしたらやりたいですが、残念ながら僕たちもこれから出発の予定がありまして……」
「シュッパツ?」
「そう、ここから急行列車に……」
「だったら心配するな」と大男はしっかりとうなずいた。「オレのアニキが列車の運転士だ。ニキータがいなくなったと言えば遅らせてもらえる。しかし、少しだけだ。たくさんはむりだ。そういうことなら急いでもらおう。こっちだ」
「え……」とタクヤはヒッコリーを見た。「どう思います?」
「手伝うしかあるまい」
 タクヤはユリを見て、悲しそうな顔をした。
「ねえ、ユリは船が苦手よね。僕は暗くて狭いところが苦手なんだ。思い出したよ。そういうの、本当に全然ダメなんだ」
 ユリはタクヤの肩に手を置いた。
「人助けよ。がんばろうね。『優雅な旅』の王子様」   

 アレックスと名乗った大男は、レストランの裏手に建っていた小屋の前まで来ると、バッテリー式のライトのついたヘルメットと懐中電灯をタクヤに渡した。
「ほら、そこの小屋だ。ちゃんと鍵かけてないから子供が入っちまうんだ。食ったばっかりなのにわるいが、よろしくたのむ」
「崩れてきたりしませんよね?」
「おいおい、オレの娘が迷いこんでんだぞ。縁起が悪いこと言うな」
「親の教育ってものもあると思うんですけど」
「うるせぇ」
 太い声に、タクヤは首をすくめた。
「それよか、おまえ、地図はあるのか?」
「はあ? 地図ですか?」
「あるわけねえか。じゃあ、この袋を持ってきな」
 何か細かいものがたくさん入った布袋だった。
「普通は地図って、紙でできた……」
「地下の洞窟ってやつは立体だから、紙じゃ描けねんだ。俺たちの世界じゃこれを使うってことになってる。ペレットをつなげていくと立体地図になるんだ。大きくなるとじゃまくせえが、道を憶えちまえば必要なくなるものだしな。最初はこれで確実に歩くのが俺たちの伝統的なやり方なんだ」
「なるほど」
「同じ色が二個ずつになってるだろ。地図に足したら、もう一つを壁にも刺しておく。そうすると、ぐるっと回って同じ道に戻ってきたときもわかるってわけさ」
「そ、そんなややこしい地下道なんですか?」
「まあ、目的地に着けばいいってだけのトンネルじゃないんで、それなりに入り組んではいるだろ。ま、しっかり頼むぜ」
 ユリは地図に興味を持ったようだ。
「ねえ、タクヤ……、私、子供のころ、これで遊んだかも。あの……私も行っていいですか?」
「冗談よせ」とアレックスが眉をしかめた。「あんたみたいな娘に行かせるために頼んだんじゃないぜ。それに女が坑道に入るのは縁起が悪い」
「でも、地図を作りながら歩くのなら二人の方がいいし、私なら使い方わかりますから」
 タクヤは急に明るい表情になって「マジ?」と聞いた。
「うん、王宮の地下道の探索とかもしたよ、これを持って」
「ナイス!」
 ヒッコリーが「二人で行って来い」と言い添えた。「で、なるべく早く帰ってくるんじゃ。ていうか、ぐずぐずしてこの町で一泊なんてなったら、困るのはあんたらじゃろ」
「はい」
 ユリもアレックスから明かり付きヘルメットを受け取った。そして二人は地下への石階段を下りていった。




9 もう一人の女の子


「ユリ、どうして僕が怖がっているかわかる? いや、いいんだ。本当は狭くて暗いことが理由なだけじゃなく、へんな夢みたいなものを見たんだけど、それは、君に教えるには恐ろしすぎるから……」
「わかるよ」
「え?」
「だって、私、あのときの子供だから……腕がなくて、痛いの……」
 血まみれの子供……血まみれの……ユリ?

 いきなり変な想像が暴走し、タクヤは失神した。壁により掛かり、しゃがみ込んでしまう。
「ねえ、タクヤ、しっかりして」
「あ……ユリ……君は……」
「まだ入ったばっかりよ。大丈夫?」
「い、いや……大丈夫じゃないよ。ゼンゼン大丈夫じゃない。だって、ユリが……」
「私はちゃんとここにいるから、ほら、しっかりしてください」
「わかってるけど、だってさぁ、こんなとこ……」
 タクヤはため息をついて、周囲を見回した。
 小屋から地下に続く石段があったのは、最初の入り口付近だけだった。そこからさらに20メートルほど進むと、小さな明かりがひとつだけ点いた広場になっていた。そこからさらに三つの坑道が奥へと続いていた。
「いきなり、分岐点だよ……」
 腰の引けたタクヤをフォローし、ユリはそれぞれの入り口で「ニキータちゃん!」と呼んでみたが、反応はなかった。
「だめね」
「深いのかな?」
「こういうのは順番に丁寧に探っていくのが得策よ。右から入っていきましょう」
「右の入り口って、なんか他より小さくない?」とタクヤは顔をしかめた。「僕は狭いところって苦手なんだけど。言ったと思うけど」
「そういう問題じゃないの。やるときはやるの。さあ」
 ユリは子供時代の遊びを再現しているかのような活き活きした表情で、地図のペレットを入り口の壁に刺し穴に入っていった。

 トンネルはカーブしながら下降していった。足下に段がない割には角度が急で、ときどき足が滑りそうになったので、二人は手をつないだ。
 タクヤは「ユリの手が少し冷たいな」と思った。もっと温めてあげたい。けなげに行動するユリのことを、もっともっと温めてあげたい。お互いの温かさにふれあうことは、素晴らしいこと。いっそ手だけではなく、身体全体でつながりあいたい。それは善きことであり、気持ちのいいことなのだ。

 ふと、タクヤは妙な匂いに気付く。
 やわらかく甘い匂い。
 意識がぼんやりしてしまう。
 ユリに身体を寄せ、もういいよ、と思ってしまう。
 二人でいられれば。
 二人なんだから。
 君は女だし、僕は男だし。
 それがすべて……

「タクヤ、ダメ!」
 ユリはあわててタクヤの肩をゆすった。
「ここ、空気がヘン。何かガスが溜まってる。危険!」
「あ……ああ……そうかもしれないけど……」
 タクヤは夢のような気分だった。
 ユリの身体のソフトな感触。
 どこだろう、ここは。
 僕たちのほか、だれもいないよ。
 雨の道?
 平原がエメラルド色。
 どこまでも広がっている平原。
 さびしさに胸が締め付けられる。
 指図をする人はいない。
 批判する人も、じろじろ見る人も。
 ただ誘惑の天使が、僕たちの心の中にいる。
 きっと天使は、長い間はなればなれで、さびしかったのさ。
 ひとつになりたがっているよ。
 すぐそこにある愛しき身体。
 しがみつく……
 
 ユリはよろめきながらも、タクヤの腕を肩に回し、なんとか広間まで戻ってきた。土の壁に寄り掛かり、しゃがみこんだ。
 タクヤは微かに目を開き、ユリを見た。女性としてのユリ。しなやかな体つきや、身体の丸み。二人が男性と女性であることは、もちろん頭では理解していたけれど、タクヤとしては、こんなに強烈に意識したのは初めてだった。ユリが美しい女性であることに、タクヤは今さらながら呆然としてしまう。ユリを、今すぐ抱きしめたい……
「今、すごいことに気づいた……」
「なに?」
「僕たち、男と女なんだ……」
「そ、そうですけど」
「僕たちが、結ばれることは、罪なんだろうか、抱き合うことは……」
「ねえ、なに言ってるの? しっかりして!」
 ユリはタクヤの肩をゆすった。それでも意識がはっきりしないようなので、強く頬をはたいた。
「あ……ユ……ユリ……」
「あなたがしっかりしてくれなくちゃ、私だってダメになっちゃうよ。ねえ、お願いだから」
 ユリの涙声。
 その切実な声を聞いて、ようやくタクヤは自分を取り戻した。

 二つ目の坑道は、さほどのようなきつい下りにはならず、ほぼ真横に続いていた。足下にはたくさんの岩がころがっており、二人は懐中電灯で、足下と、穴の先を、交互に照らしながら、慎重に進んでいった。
 やがて奥の方に明かりが見えた。
「なんだろう、あれ」
 ユリがつぶやいた。
「みつけた?」
「そうだよ、きっと」
 探している女の子が持つ明かりであることを期待したが、近づいてみると誰もいないようだ。奥の壁面が反射して輝いていたのだった。
「金なの?」
 ユリが息をのんだ。
「そうだね。元金鉱だとは聞いていたけど、こんなに光輝く世界が存在していたなんて」
「なんで残していったんだろう。こんなに輝いているくらいだもの、ちゃんと調べて集めたら大金持ちじゃないかしら……」
 しかしその輝きは、間近に移動すると、消えてしまう。そこにあったはずなのに、手には触れられない。さっきまで輝いて見えた壁は、光をあてて探ってみると普通の土だった。
 
 カサカサ

 ふと、不気味な音が響いた。
 小さな音だったが、一瞬にして二人に緊張が走った。
「なに、今の?」
「ひとつ? いや、違う……」
 
 カサカサ
 カサカサ
 カサカサ

「天井だ!」
 タクヤが上に明かりを向けると、黒い虫が天井いっぱいにはいずり回っていた。
「きゃー!」
 ユリの叫びのせいか、あるいは明かりを向けたからか、虫が上からバラバラと落ちてきた。動きの鈍いゴキブリのような虫だった。顔を覆ってしゃがみ込むユリに、黒い虫が覆うようにたかる。
「なんだよ、ふざけんな!」
 タクヤは自分の髪にからみついた虫たちと、ユリの頭や肩の虫たちを必死ではらい落とし、ユリの手をつかんだ。
「逃げよう」
「だって、ムシが! いや!」
「こんなの大丈夫だって。払ってやるから、早く逃げろ」
 タクヤはとり付く虫を除こうとするが、バラバラと落ちてきてきりがない。まずはこの場を逃げることが先決だった。タクヤはユリを引っ張り、よろめきながらもと来た方へ走った。
 広間まで戻り、天井が安全であることを確認してから、懐中電灯をあててお互いの身体からムシを取り去った。幸いなことにヒルやダニのように皮膚に噛みついて血を吸うムシではなかったようだが、それでもしがみついてくる足の棘による小さな傷は首や腕にたくさんついた。
「くそ、痒いぞ」
「私も……」
「ああ、まったく! なんでこんな洞窟に入んなきゃいけないんでしょうね!」
 タクヤの叫びを無視して、ユリはムシを取り去ったはずの髪や服をしつこくいじっていた。

 二人は最後に残った三つ目の坑道に向かった。脇と天井が木で補強され、今までのものよりもきちんとした坑道のようだった。足下には枕木のようなものも残っていた。すでに線路は取り払われていたが、かつてはトロッコが走っていたのかもしれない。もちろん忘れずに天井の安全も確認しつつ。
「こんなところに一人で入って行っちゃう女の子ってすごいよ。さすが坑道で働く男の娘だ。ぜんぜん泣き声もしないし」
「私たちの方が泣きそうよ」
「ていうか、先の二つがあんなんだから、ここにいることは間違いないよね。逆に言えば、ここは安全ってことだ。そうだろ?」
「どうかしら」
「……それはおまえたちしだいだ……」
 男の声だった。姿は見えないが、意外なほど近くから聞こえた。
「だ、だれ?」
「ふふふ」
 不気味な笑い声が応えた。
「ま、この穴だって何もないとは思いませんでしたけどね! どーせ、何かあると思ってましたけどね!」
 タクヤはやけくそで叫んだ。
 ユリは言葉を失い、タクヤの身体にしがみついた。
「おまえたち、珍しいものを持ってるな。特別な匂い。大切なもの。金になるもの」
 それでも男の姿は見えなかった。代わりに二人が入ってきた広間の方から、不気味なざわめきが聞こえてきた。懐中電灯の光を当てると、それは蛇の群れだった。何十匹もの蛇が、絡まり合いながら、洞窟の床をふさぎ、ぬるぬると近づいてくる。
 ユリは目を見開き、口をパクパクさせた。声も出ない。
「まじかよ! 奥に行くしかないじゃん!」
 二人はしかたなく奥に向かって進んだ。分岐点ではペレットを刺し、地図を追加して迷わないようにした。迷わないように入っていけば、万が一にも戻れる可能性はあるかもしれない。
 蛇の群は速くはなかったが、確実に二人を追ってきた。しかし「それはおまえたちしだいだ」と言っていた男の姿はどこまで行っても見えない。洞窟自体がしゃべったのかもしれないとも思われた。
 五カ所ほど分岐点を過ぎて、次の道を選んで入ろうとしたとき、明かりの先に大蛇の姿が映った。あわてて引き返し、もう一つの道に向かって走ったとき、ユリは足下の石につまずいて転んだ。ペレットをつなげて作った地図が砕け、バラバラになった。
 地図を失った二人は、言葉もなく立ちつくした。

 一瞬、タクヤに、夢の続きが襲う。
 エメラルド色の雨。
 いつまでもやまない。
 遠くまで続く平原の道。
 そこにたたずむ少女。
 君は、誰……
 少女のもとに一匹の犬が現れた。
 親しげに駆け寄ってくる。

「だから、オイラはやめようって言ったんだよ」
「え……チャーリーか?」
 と、タクヤはつぶやいた。
「こういうことに関わったらさ、ただじゃすまないってわかってたしさ、なんかいやーな予感はしてたんだよね。おねえさんもそう思うでしょ?」
 タクヤは息をのんだ。ユリをうかがうと、確かにユリもチャーリーを見ていた。これは夢ではない。現実なのだ。
「おねえさん。オイラ、まっとうな健康状態じゃないわけ。だからちょっと元気ないわけ。でも、言うことは言うよ。そのペレットのことはよく知ってる。オモチャじゃなくて、大人が仕事で使ってるやつは、一度くっつけると番号がつくんだ。一番最初は「1」。「1」にくっつけると「1」、これでくっついたことになるわけ。犬でもわかるぐらい簡単さ。そこに何かをくっつけると「2」と「2」。そういうふうに自動的に数が表示されるんだ。もしばらけても、その番号はそのまま。おおもとの機械でリセットしない限り消えないんだ」
 最初はぼんやりと幻のように見えた犬の姿が、だんだんくっきりしてくると、閉じた右目から血を流していた。
「チャーリー、どうしたんだ……」
「少年よ、全く、感謝してほしいね。なんでオイラはこう人助けばっかりしちゃうんだろうね。ま、持って生まれた心根の美しさってとこかな」
「……チャーリー……おまえ、死んだのか?」
「ま、心配すんな、少年よ。さっきコンクリが崩れてきちゃってさ、あっと言う間の出来事だったし、思ったほど痛くなかった。それにしても、こうやって死んでまで人助けするんだから、オイラはきっと神さまも一目おくね。死後は保証付きのハッピーパラダイスだよ。ね、おねえさんもそう思うでしょ?」
「ありがとう」
 ユリはチャーリーの頭をなでた。
「あ、やっとオイラの言うこと、わかってくれました?」
「ええ、チャーリー。あなたの言うこと、わかる」
「ほんと? まじ? よかったー。嬉しいねー。オイラ、死んだかいがあったってもんだよ。小汚い少年が唯一の理解者だったら、死んでも死にきれないし。化けてたたるところだったよ。よかったー」
 チャーリーの幻が薄くなっていく。
「ホント、よかったよかった……」
「ねえ、消えないで、チャーリー!」
「そうだよ、チャーリー、いっしょにこの洞窟を出よう! なんなら一緒に旅しよう。ヘンや連れは、おまえが最初じゃないし」
「あのさ、嬉しいけど、そういうこと、オイラに言われても困るわけ。なんか無理みたいだし。でも、一つ、約束しておくよ。おいらが消えると、他の幻も消えるから。いろいろ見たと思うけど、それはおいらと同じような、何かの残響みたいなものだから。あんたたちに、たかって、奪おうとしているのが、きっとたくさんいるから。でも、おいらが一線をひいとく。良くも悪くも、それができるのがおいら、ってわけ。ま、おいらでなくても、死者の役割ってとこだ。とにかく最期にお姉さんと話ができてよかったよ。さいなら……」
 チャーリーはゆっくりと消えた。
 タクヤとユリはたまらない気持ちになり、呆然と立ちつくした。しかしせっかく教えてもらったことを無にしないために、気を取り直して地図の復元を始めた。仕組みがわかってみると、確かに番号は見やすく表示されていて、思ったほど難しくはなかった。
 地図の復元が完成すると、二人は再び歩き続けた。蛇の群がいた出口の方向に向かうが、確かに蛇はもういない。
「あいつさ、バカなんだよ。死んだら、こんなとこじゃなく、もっと大切なとこに行けって。あいつが来なくて、ユリと二人で迷って出られなくても、あいつのことなんか誰も恨まないし。親とか、親類とか、好きな人とか、そういうところに行けばいいのに。じゃましやがって。ユリと二人で地下で死ねたら、なんのあとくされもないエンディングだったのに。ホント、バカだよ、チャーリー。大バカだよ。人助けばっかして、自分が死んだら終わりだろって」
「ね、タクヤ」
「ん?」
 ユリは鼻水をすすって「心は、つながっているよ。祈ろう」と言った。
「ああ。治療じゃないやつね?」
「うん」
 二人は目を閉じて、頭を垂れ、チャーリーの冥福を祈った。 

 タクヤとユリは悲しみを分かち合うように手をつなぎ、広場に戻ってきた。
 広場の小さな明かりに照らされた先で、何かが動いた。
「え?」
 黒い固まりが移動したと思ったら、そこから強い光が発し始めた。みるみる強くなっていき、坑道を充たした。タクヤはユリをかばうように抱いた。白い光が二人を呑み込んだ。
 
  広大な草原に風が吹き抜ける。
  さっきまでの雨は上がっていた。
  白い光の中に
  幼い少女が輝いていた。
  君は、誰?
  まるで寝起きのようなぼんやりした表情。
  タクヤを見て、小さく首を傾げている。

  私に、名前はあるの。
  でも、本当の私は、わからない。
  それを見つけてくれるのは、あなた。

  僕が?
  なぜ?
  そんなことができるわけねーよ。

  私を探しているのでしょ?
  
  だって、僕は君のこと、知らないし。

  私を知らなくても、あなたは私を探していたよ。
  最初から、ずっと。
  これからも、ずっと。

  わけわかんねーよ。
  あんた、誰だよ。
  だいたい、何も聞いてないんだ。
  いったいどうなってるんだよ。
  いいかげんにしてくれよ。
  僕はもう死んでるみたいじゃないか?
  これは死後の世界なのか?
  だったらもういいよ。
  そういうサービスは望んじゃいないんだ。
  なにもしなくていいからさ。
  いいかげん、ほっといてくれよ。 

  ちがうの。
  タクヤ、ごめんね。
  私の輝きの全てを、あなたのために。
  
  え?

  タクヤ、あなたは、死んではいない。
  生きることは悲しいこと。
  悲しみは、時間。
  美しさも、時間。
  道は、一人。
  でも、心はつながっている……
  

「やっと、気がついたわね」
 タクヤが目を開くと、ユリの顔が間近に見えた。光の加減でいつもより少し目鼻立ちがくっきり見えるユリの顔。いきなり見つめ合った驚きはあったけれど、ユリはいつものユリだった。
「ねえ、ユリ」
「ん?」
「ユリは、いつものユリだよね」
「そうだけど?」
「別に、光輝いたりはしてないよね」
 ユリは笑みを見せて、タクヤの手をにぎった。
「私は、私。何かご不満ですか、王子様?」
「いや、別に、ご不満じゃないんだけど、なんだか、あれって、ユリかと思ったんだ」
「何が?」
「何がってことではなく、道に輝いていた人」
「どういうこと?」
「草原の中のエメラルド色の雨の中で……いや、わからないよ」
 タクヤは強く首を振った。
「わからないんだ。さっぱり。何がどうわからなってるのか。説明もできない。そんなことばかりなんだ。望んでもいないのに、よけいなことばかり。なんでこーなっちゃうんだよ、ホントに!」
「落ち着いて、タクヤ。大丈夫だから。とにかくニキータちゃんは見つかったわよ」
「え?」
 そこには赤いジャージのぽっちゃりとした女の子がいた。疲れているせいか、ぼんやりとタクヤを見ている。鼻水を垂らした普通の女の子だった。別に血を流してもいないし、光輝いてもいなかった。




10 列車の旅 1


 大男アレックスはニキータを肩に抱き上げ、ごつごつとした大きな手をタクヤとユリに差し出した。「ありがとう、すまなかったな」と握手し、急ぐために皆を車で駅まで送ると宣言した。
 車はぼろぼろの小型トラックで、三人はアレックスにかつぎ上げられ荷台に乗せられた。初めのうちこそ風をうけていい気分だったが、近道の悪路に入ると激しくゆれて振り落とされそうになった。ヒッコリーは世界中を敵に回したかのような悪口を連発した。
「アホ、バカ、いてっ、間抜け、死ね、たわけ、くそったれ、いてっ、やめて、くそ、たこ、ボケ、いてっ、死ね、あほんだら、アホ、やめろ、いてっ……」
「じいさん」とタクヤは叫んだ。「舌噛むよ!」
「うるさい、ワシは入れ歯じゃ、くそ、バカ、いてっ……」
 タクヤはユリに「入れ歯って舌噛まないの?」と聞いた。
「わかんない」
 ユリは鉄パイプを握りしめ、じっと耐えていた。陸だから楽というわけでもないことを、吐き気と共に痛感しながら。
 揺れは激しかったが、近道しただけのことはあり、さほど時間はかからずに駅に着いた。アレックスは列車の近くに車を停めて、三人をかかえて下ろした。
「あっちだ。待たせてるから、急いで乗ってくれ」
「はい」
 ユリはふらふらしながらも真面目に頷いた。
「あのなぁ、アレックス、今度ドライブするときはもっといい車で、いい道を走ろうな」
 とヒッコリーは愚痴を言った。
 助手席から降りてきたニキータは、タクヤに手を振った。
「さよなら、おじちゃん」
「あのなぁ、おじちゃんじゃなくて、おにーさんと言わないと、もう探しに行ってあげないよ。とにかく、あんなところ、もう絶対に一人で行っちゃダメだよ」
「わかった。つぎは、おじちゃんといっしょに行こうね」
 タクヤはユリを見て、やれやれと首を振った。
 列車の後ろの車両から、車掌が降り、走って近寄ってきた。
「みなさーん、乗るなら早く。ていうか、さっさと乗ってくれないと運転手が発進してくれないのですぞ。私は困るのですぞ」
「しかしのぅ」とヒッコリーは言った。「せっかく来たからには土産や弁当を買わんと……」
「そんなの困ります困ります。ていうか、この駅にそんな売店は存在しませんぞ」
 ニキータが線路のむこうの小さな売店を指さして「あれ、なに?」と聞いた。
「お嬢ちゃん、あれは見ちゃいけないものですぞ。あんなもの見なかったことにして、さっさとご乗車ください。早く乗らないと出発してしまいますぞ。ていうか、みなさんが早く乗ってくれないと運転手が出発しないのですぞ。他のお客さんもいらいらして、それをなだめるのは私の仕事なのですぞ。みんな、こーんな筋肉たっぷりのお客さんだというのに、私はいったいどうしたらいいというのですかと言いたいですぞ」
「この人、よくしゃべるね」
 ニキータは、腕組みしている父親に言った。
「車掌はしゃべるのが仕事だからな」
「すみませんすみません、私がしゃべっているばかりに、かえってご乗車が遅れていたら困りますぞ。とにかく、ほしいものはご乗車になってからお買いになってください。お弁当もありますし、飲み物もあります。ビール、ウイスキー、フライドポテトなどはいかがでしょうか、ってダメじゃないですか、こんなこと言い始めたらつい無意識で台詞がつながってしまいますぞ」
「車掌さん、トイレある?」
 とタクヤが質問した。
「もちろんです。二号車の後方と四号車の前にあります、停車中のご利用はご遠慮ください、って、またいつものアナウンスがつい口に出てしまいましたが、ようするにトイレはあるので、心配しないで早くご乗車ください。ていうか、みなさんもう乗っていたりしますようですね。どうもいつも私がしゃべっているうちに物事が進んでいってしまう傾向があるようなのですが、私は一通りしゃべってからでないと気持ちが落ちつきませんで困りますぞ。ていうか、みなさん、私はみなさんに切符を売らなくてはならないのですがどうしましょ」
「乗ってからでいいよね?」
 タクヤがタラップから聞いた。
「もちろんもちろん、乗ってからということでかまわないのですが、私をおいていってもらっては困りますぞ。それではお見送りの方は列車からお降りください、っていうか、今さらお見送りの人は乗ってなかったりしますが、ついでにどうぞお気をつけておかえりください、と、お見送りの方の帰宅の心配までしてしまう私は、鉄道マンの鏡と自負していたりしていては、ますます発車が遅れてしまいますので、それでは私はこれで失礼しますぞ」
「待たせて悪かった」とアレックスは車掌に言った。「アニキによろしくと伝えておいてくれ」
 ニキータも手をあげて「よろしく」と言った。

 列車の座席はかなり大型のもので、ユリの倍ぐらいの体格の人が座ってちょうどいいサイズだった。そういうシートが通路の左右に二つずつ並んでいる。全体の半分ほどが客でうまっていた。
 タクヤは窓際の席をユリにゆずり、通路側のシートに洞窟の探検で疲れた身体を沈めた。
 ヒッコリーは二人の前のシートに座ったが、すぐに立ち上がり「どうもおちつかん」と言って座席を反転させ、タクヤたちと向かい合わせにした。
「列車の旅っていうのは楽しいもんじゃの。なぁ、タクヤ君、ユリさんや」
「僕は」とタクヤは横のユリを見ながら言った。「ヒッコリーさんが向こうむきだったら、もっと楽しいかもって思いますけど」
「私は」とユリは頭をシートにもたれかけて言った。「楽しいっていうより、正直、ちょっと疲れました」
「言いたいことはわかるぞ。しかしワシはおまえたちが地下に行ってるあいだ、退屈でなぁ。食後の昼寝をしたもんだから、もう元気いっぱいじゃ。うきうきしとるぞ。さあ、いっしょに楽しく列車の旅をしよう。二人とも、こんなワシを退屈にしたらダメだゾ、逮捕しちゃうゾ、ってわけで、よろちくな」
 列車が動き始めると、車掌によるアナウンスが放送された。
「このたびはノジャ高速鉄道をご利用くださいましてまことにありがとうございます。高速鉄道というわりにはすっかり定刻を遅れての発車となってしまいましたが、みなさまにはおかれましては、どうかご理解いただきたく謹んでお願い申しあげさせていただきますぞ。途中停車駅は、東山、中山、西山、山はずれ、終着駅のイラフト国ウエストセントガル駅には午後21時到着になる予定です、が、だいぶ発車が遅れてしまいましたので、そのへんの詳しいことは、追々この車内放送でお知らせしてまいりますので、なにとぞよろしくお願いいたしますぞ。この列車のトイレは二号車の後方と四号車の前方にあります。なお停車中の利用はご遠慮ください。車内販売は、途中、東山駅まで。なお、後ほど車掌が切符の拝見にまいりますので、その際はなにとぞよろしくお願いいたします。本日のノジャ砂漠の天候は、気温摂氏28度、東の風2メートル、おだやかな快晴となっており、心地よい旅をお楽しみいただけるかと存じますが、山越え前後に軽い砂嵐の発生が予報されておりますぞ。当列車の運行には支障がないものと予想されますが、砂嵐の際は窓をきちんと閉めていただきますようあらかじめお願い申しあげます。では、すっかり話が長くなってしまって申し訳ありませんでしたが、みなさまよい旅を。次の停車駅は東山、東山です」
 長いアナウンスが終わると、ユリは「すごく個性的な車掌さんね」とあきれ顔で言った。
「きっと僕たちを待っているあいだも、ながーーーーい説明で乗客を退屈させなかったんだろうね」
「ま、こうベラベラしゃべられちまうと、下手に苦情など言おうものならどんなことになるか、それを考えただけで文句言う気がなくなっちまうの」
「つまり『かしこい』車掌さんなのかもしれませんね」
「かしこいって言うかさあ、性格的なものだと僕は思うけどな」
「おやおや、タクヤ君はなかなか冷静な分析者でおられるの。なあ、ユリさんや」
 ユリは首を傾げてタクヤを見た。
「坑道の中で、いろいろあったもの。ね?」
「ていうか、あそこではユリがいてくれて助かったよ、ホント。男の自分としては、もっとタフであるべきなのかもしれないけど、一人で行ってたらと思うと、今さらながらぞっとする」
「まあ、ワシらもノジャの町におったら、もっとタフにならなきゃと思ってしまうわい。そういう町なんじゃな。たまにはよいもんじゃ。ところで、おりいって質問させてもらうが、あんたら、二人で地下を探検して面白かったかの?」
「ヒッコリーさん」とユリは首を振った。「面白いなんて、そういうことはないです。私たち、死ぬかと思いました」
「そうっスよ、マジで大変だったんだから、僕たち」
「しかしな、べつに岩盤が崩れてくるとか、そんなことはなかったろ。パミラ族はいい穴を掘るので有名なんだ。大きな事故はここ半世紀で一度も起こしていないはずじゃ。そういう意味では、ワシはすっかり安心しておったわい」
「でも、深く行くと、気味の悪いガスが溜まっていたり、道が複雑に分かれて迷路のようになっていたり……」
「私、虫がいるなんて聞いてませんでした!」
「ははは、やつら食用に虫を飼うからの」
「え、食用なんです?」
「気がつかんかったか? レストランのメニューにもあったぞ」
「そんなこと、思い出したくもないです、私」
「いろいろあったけど、結局、最後に、僕は気を失ってしまったんだよね」
「ほお、そりゃまた、なんでじゃ?」
 ユリは横のタクヤを見て「わからない……わよね?」と聞いた。
「うん。なんだか、急に強い光につつまれて、気を失って、気がついたら、もうユリがニキータを見つけたあとだった」
「ははは、要するに、男子は役立たずだった、というわけじゃな?」
「そんなことないのよ、ヒッコリーさん。タクヤは自分では憶えてないみたいだけど、本当はニキータは彼が連れてきたの」
「……え、僕っスか?」
 タクヤは自分でもビックリしてしまった。
「おいおい、どういうことなんじゃ?」
「本当に不思議なの。気を失ったタクヤが、ふと、ここで待ってて、と言って、一人で奥に行って、じきにニキータを連れて帰ってきて、懐中電灯を私に渡して、その場に横になって、また気を失ったの。そんなに時間はかからなかったわ。私もなんだか夢を見ているみたいだった」
「そんなのゼンゼン憶えてないし……そんなことが起こったなんて、初めて知った」
「おまえ、気を失っているあいだの記憶みたいなものは何かないんかい?」
「そうよ」とユリも言った。「ねえ、憶えてることってないの?」
 タクヤは答えに困ってしまった。
「まあ……なくはないけど、それは、なんだか夢みたいなもので……」
 そのとき車掌が横に来た。
「あの、お話中すみませんが、乗車券を拝見させてください、ていうか、乗車券を売らせてください、ですね。みなさま、どちらまで?」
 大切なところで話を中断された不機嫌さを隠さずに、ヒッコリーが「終点までじゃ」と言い捨てた。
「はいはい、わかっております。もちろんでありますぞ。いちおうこの列車にも途中停車駅はありますが、砂漠や山の中の駅なものですから、降りたり乗ったりする人は限られているし、はっきり言ってそんな人はみんな顔馴染みなのですぞ。みなさんは私の顔馴染みではないですから、もちろん終点のイラフト国ウエストセントガル駅、つまり大都市までと、当然のごとく予想しておりましたですぞ。では、こちらが切符で、お代はまとめてでよろしいですか? はいはい、もちろんでございますな。では、お代をいただきまして、計算させていただきまして、一応偽札でないかどうかも確認させていただきまして、大丈夫のようなので、ではでは、おつりはこちら、と。ありがとうございます。何かご不満なことや、おわかりにならないことなどがございましたら、私が通りがかりましたおりにでも、お気軽に声をかけていただければと思います。一通り切符の拝見が終わりましたら、お弁当なども売ってまいりますので、ぜひご利用ください。では、他に何かございますか?」
 三人はそろって首を振った。ボリュームたっぷりのランチも食べたあとだったので、弁当にも興味がわかなかった。
「では、ありがとうございますってことで、存分に列車の旅をお楽しみください。ではでは失礼いたしますぞ」
 車掌が去ると、タクヤはひとつ大きく溜息をして、立ち上がった。「僕はちょっとトイレに行って来るよ。話の続きはそのあとでね」
「おいおい、逃げるのか?」
「逃げるわけじゃないよ、ヒッコリーさん。……ただ、自分でも混乱してるから……」








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