Susacian Prayer   1  2-4  5-7  8-10  11-13  14-17  18-21  22-25  26-28  29-32  33-34



11 列車の旅 2


「僕には予感があったんだ」と、シートに戻ったタクヤは二人に語った。「あのワイルドな店で大盛りのランチを食べているときから、見たことのない幼い女の子がいるような気がして。実際のニキータと似てはいなかったけど、何かつながりがあるのかもしれない。あの坑道で気を失っているときにも、同じ子と再会した。その女の子は、平原にいて、まっ平らで、どこまでも広く広がっていて、その無限の広がりが、とてもさびしくて。……平原は、そう、雨だった。最初は、確かに雨だった。……雨が上がったときも、女の子は、やっぱりそこにいた。その子は、メッセージめいたことをしゃべっていたけど、よく憶えていない。過去にも、未来にも関係している大切なこと……とても悲しいこと……そう……わからないといえば……」
 タクヤは横を向いてユリを見つめた。
「僕は、誰なんだろう?」
 ユリは唐突な疑問に戸惑ったが、すぐにタクヤの手に自分の手を添えて言った。
「タクヤが誰であっても、今、ここにあなたがいるのは本当なんだからね。だから、信じて欲しいな」
「うん、そうだね。僕は確かにここにいる。ありがとう」とタクヤは真面目に頷いた。「でも、それは本当に本当なんだろうか? 僕や、ユリや、ヒッコリーさんや、この列車も、本当はただの物語の中のことにすぎない……そんな不安を、僕はすごく感じるんだけど」
 ヒッコリーはクックッと笑って言った。「そりゃそうじゃ。こんなの、みんな物語の中のことにすぎんわい」
 ユリは「そ、そんな……」と痛々しげにつぶやいた。
「ワシはな、もうけっこう歳じゃし、身体もあちこち具合悪いし、頭の回転もにぶってきとるし、現実ってものがしんどいのじゃな。それだったら、物語の中みたいな、あまり身体の不自由さを意識しないでいられる夢の中の方がいいにきまっとるわい」
「そりゃお年寄りはそうかもしれないけどさぁ、僕はお年寄りじゃないんだよね、悪いけど」
「そりゃそうじゃが、しかし人ってものは、今ここにポッと生まれて存在しいるのと違うわい。何億年も前から、男と女が出会って子供が産まれて、また男と女が出会って子供が産まれて、そんなことを延々と繰り返してきた結果が、ここにいる我々じゃ。そう考えるとな、じつは今ここで見ている風景や、乗っている列車なんかも、本当は、地球が見とる夢の一部みたいな、つまり長い長い夢の一シーンみたいな、そんな気がせんこともない」
「でも、それはさぁ……」とタクヤは強く言いかけたが、一瞬とまどって、口調をゆるめ、小声で言った。「ヒッコリーさんが、自分のつらい過去を、現実として認めたくないからなんじゃありませんか?」
「きついこと、言うのう」
 ヒッコリーは目を閉じた。
 三人はしばらく沈黙した。
「ま、そうかもしれん。ま、ワシに関しては、それは言えてるかもしれん」
「でも」とタクヤはあわてて明るく付け加えた。「問題は、僕のことなんですよね、この僕」
「ねえ、タクヤ」とユリは優しく言った。「ヒッコリーさんとあなたって、似ているのかもしれない。私は人の悲しい部分を見つめるのが仕事だから、なんとなくわかるの。もちろんまだかけ出しだし、えらそうなことを言う気はないんだけど、時間を飛び越えれば、本当は『同じ人』なんじゃないかって気がするぐらい。つまり、漠然とだけど、何かから逃げているような……」
 タクヤは急に棒で殴られたような気がした。逃げている? 確かに、逃げているのは、自分自身かもしれない。
「でも」とユリはすぐに続けた。「私はね、二人とも大丈夫だと思うの。この世界で起こり始めていることに、きっとタクヤはすごく深く関わっているのだろうけど、私はちゃんと応援しているから」
「ユリって、やっぱり強いよ」タクヤは頭をかいて苦笑した。「強くて、大きなものを見ている感じがする。いつも包み込むような感じで、他人のつらい気持ちを受けとめちゃうんだよね。僕なんか、とても真似できそうにないよ」
「つまり『スーサシアの祈り師』ということじゃな。ま、大変な仕事じゃ」
 ヒッコリーも深く頷いた。
 しかしユリは納得する二人に、強く首を振った。
「ううん、そうじゃないよ。そうじゃなくて、うまく言えないんだけど、喜びって、つらさのむこうにあるような気がしてる。本当のつらさを越えないと、きっと、本当の喜びも見つけられないの。もしも、喜びを受けとめるだけが仕事だったら、私はむしろ、そっちの方が大変だと思う。そこには、今の喜びだけで、その先には救いがないもの。息苦しくなるだろうし、受けとめるだけで終わってしまう。つらいものを受けとめているから、私は、その先を見ていける。だからね、たぶん自分なりに正しい道を選んでいるんだ、と思ってる」
「ねえ、何かきっかけはあったのかな? ユリが祈り師を目指すようになったのは」
 とタクヤは素朴な疑問を口にした。 
 ヒッコリーも「そうそう、それが聞きたい」と頷いた。
「かっこいいな、って、憧れがなかったわけじゃないのよ。子供の頃はね。でも、そんなに強いものではなかった。それよりは、普通の暮らしの方がいいな、って、漠然と思ってた。私は、本当は、普通の生き方に、すごく憧れていたんだよ。母が早くにこの世を去って、お母さんの記憶っていうのがあまりなくて、だから、いつか自分が母親になって、子供とお母さんの関係の幸せみたいなもの、きちんと作っていきたいなぁと思って。普通の暮らしの、普通の大切さ、っていうか」
「でも、それは別に今からでもできるわけだろ?」
「どうかな、タクヤ……ダメと決まっているわけではないよ。祈り師は独身でないダメ、みたいな、そんな決まりはないし。でも、実際はね、なかなか難しいと思う。時間も、能力も、決して無限というわけじゃないし、結婚したら、やっぱり自分の家庭を大切にしたいけど、それは簡単なことではないし」
「大丈夫だよ」とタクヤはきっぱりと言った。「そういうふうにあれこれ考えちゃうのが一番よくないと思う。考えてわかることなんか、どうせ大したことじゃないんだ。他人は他人。ユリなら、祈り師の仕事も、家庭も、きちんと両立できる」
「どうしてそう思うの?」
「どうしてって聞かれても、ぼ、僕は、困るけど……」
 急に顔を赤らめて焦るタクヤを見て、ヒッコリーは向かいの席でクックッと笑った。
「やれやれ、若いってのはいいもんじゃのぅ」
「うるさいなぁ、ほっといてくれよ、もう」
「ところで」とユリはふとシートから上体を起こし、姿勢を正した。「あなたの足の方はどうなっているかしら?」
「え……、別に特に痛みはないし、同じだと思うけど」
「ちょっと見せてくれる?」
 タクヤは、ヒッコリーの横の向かいの席に足を乗せて、ズボンの裾をまくった。
「ほら、別に変わりなしって感じだろ?」
「そうね……」
 しかしヒッコリーは驚きを隠さず、青く色づいた皮膚を前にして「こ、これは……」とつぶやいた。
「どうしたの、じいさん?」
「もしかしてあんたたち、ヤマトアザミと関わっとるのか?」
「ええ、まあ。自分ではどう使うのかわからないんだけど、王様が持ってこいってことで。ほら、これですよ」
 タクヤはジャケットから白い包みを取り出した。
「僕たちはこれを届けるために、わざわざ旅をしているようなものなんです」
「なんてこった……」
「どうかしたの?」
「ヒッコリーさん、何かご存じなんですか?」
 ヒッコリーはため息をつき、頭をかいた。
「まあ、知らんこともない。知らんこともないが、それはちょっと長い話じゃ。今はちょっと、頭が混乱してきおった。わるいが、しばらく話しかけんでくれるかな」
 老人は肘掛けに頬杖を突き、そっぽを向いた。 
 タクヤは急に不安になってユリを見つめたが、ユリは彼の目を見て、きっと大丈夫だから、と無言のまま頷いた。

 砂漠のむこうに見えていた山地が間近に迫ってきたころ、ヒッコリーはボソボソと語り始めた。
「そもそもな、ワシらにとって、ヤマトアザミは薬じゃったんじゃ。特に工場から排出される化学毒に対して万能薬でな。副作用もない天然の良薬、身体を浄化する作用アリってことで大騒ぎよ。これで救われたと、誰もが思ったもんじゃ。ところが、ないはずの副作用が、いつの頃からか目につくようになってきた。身体がだるくなったり、原因不明の熱や、皮膚の炎症が続いたり。関節の痛みや、やがて内蔵にまで炎症が広がるようになって。ずっと原因不明だったが、ある年に新聞がスクープしたんじゃ。ヤマトアザミそのものが、実はすでに汚染されていた、と。しかしその薬に頼らねばならない人も、すでに多かった。うちの娘たちが死んでいったのも、だいたいその頃の話じゃ」
 老人はしばらく口を閉ざし、窓の外の行き過ぎる風景を眺めていた。
「ま、いろいろ議論が続いたが、やがて別の作用が注目されるようになった。脳への作用……、脳というのはよけいな物質が入ってこないように血管バリアみたいなものがあるらしいが、そこを通過することができる成分がヤマトアザミにはあってな。それがとても不思議な効果をもたらすらしいのじゃ。まず第一に、快感。とても強い心地よさ。そして、能力の解放。未来を感じるとか、何キロも離れた人の動きを感じるとか、別の人の心を操るとか、そういう超能力的な潜在能力の解放だな。確かに死ぬ直前の娘たちは、少し普通ではなかった。苦しみながらも、快感を感じ、この世に別れを告げながらも、遠い未来を見ていた。……そう『未来』なんじゃ。ワシはな、最初は『過去』と思った。普通は人は死ぬ前に過去を振り返るもんじゃろ。でもな、ちがったんじゃ。あいつらは、未熟な頭と心で、この世界の未来を見て、満足していた。それはワシにとって、一番の救いだったんじゃが……」
「でも」と、ユリは口を挟んだ。「私の父は医師ですが、ヤマトアザミのことはあまり知らないようでしたよ? それに祈り師の資料に書いてあることは、『祈り師の成立』に関係するほど、とても古い記録のようでした」
「王宮の人たちには最近のゴタゴタは知らされてないのかもしれん。豊かなスーサシアだからな。汚染を押しつけられた貧しい下層国では常識だったことも、わざわざ話題にせんでいいと情報操作したやつらがいても不思議ではない。ま、麻薬みたいなもんだからな。いやしかし、ヤマトアザミの不思議な力に関しては、ずいぶんと話題になり、買い占めも起こったらしいぞ。もともと海の近くの特殊な場所でしか栽培できない植物だったそうだが、金になるとわかれば、独占したがるやつがいても不思議はない。ま、大国では、意図的に隠蔽されていたのかもしれんが、我々のところでは大騒ぎじゃ。しかしな、汚染の健康被害のことや、一部の上物の快感のことが知られてからは、金持ちのお楽しみ専用ってことで、普通のところでは手に入らなくなってしまった。あんな副作用を知ってはこっちから願い下げだが、そんな事情だから、スーサシアの一般の医師は知らなくても当然かもしれん。まあしかし、娘たちの命を奪っていったものを、現代の医師が知りもしないということは、怒りを越えて、悲しいほどのことではあるがの」
「ヒッコリーさん」とタクヤは言った。「ヤマトアザミはここにあるし、その患者が、僕なんです」
「ああ、そうだな」
 ヒッコリーは頷いた。
「おまえ、いろいろやっかいごとを抱えているのだな?」
「まあ、要するに、そんなとこっス」
「やれやれ。いったいこの世界で、何が起ころうとしておるのかの」

 列車が東山駅に到着した。屋根も駅舎もない。ただ土レンガを積んだだけの黄色いホームだった。あのおしゃべりの車掌が、つまらなそうに「東山、東山」とアナウンスしただけなのは、よぽどまれにしか利用がないからだろう。
 タクヤが立ち上がって窓を押し上げると、乾燥した熱い空気が流れ込んできた。
「外は暑いよ。冷房がいつのまにか入ってたんだね」
「砂漠の列車じゃからな」
 タクヤは初めて経験する砂漠の匂いを心に刻んでから、体重を乗せて窓を下ろした。
「僕たちは列車の旅でよかったよ。あの車掌さんに会ったときにはどうなるかと思ったけど、走り出してみるとなかなか快適な旅だよね。はらはらする冒険とか事件とかなくていいから、このまま目的地まで到着してほしいもんだ」
 ユリは真面目に頷いた。
 ブレーキを解放するコンプレッサーの音が響き、列車は再び進み始めた。しかしさほど加速することはなく、数分ほど進んだところで、また停車した。
「当列車はこれより山岳走行に入りますため、機関車を一台追加しますぞ。連結作業が終了次第、再び出発しますので、しばらくお待ちください」
 タクヤはアナウンスを聞いて不思議がった。
「そんなに高い山があるようには見えないけど?」
「ひとつだけ高い山がある。スプロス山といって、そこには泉と森があるのじゃ」
「こんな荒野の中に、森と泉ですか?」
 とユリが質問した。
「湧き水だろう。昔はちがったはずじゃ。地球の温暖化が進む以前は、そもそもこの辺り一帯は豊かな森だったのだ。ところが気温が上昇して、大気の流れが変わり、このあたりにはさっぱり雨が降らなくなった。こういう大変動というものは、普通は何千年もかけて進むものだと思うが、このへんの砂漠に関しては、ここ50年という、ワシの人生一代だけで、こんなにも変わってしまった」
「すごいことですね」
 ユリは神妙に頷いた。
 しかしタクヤは他人事のように言った。「でもまあ、こうやって快適に列車が進むならベツにいいよ。ほら、見なよ、窓の外。砂煙が上がってる。車かな。馬みたいだよ。大変だよね、こんな暑い砂漠を馬で移動するなんて。僕たちは列車でよかった。……あれ……あの人たち、なんだかこっちに近づいてきてない? わりと大人数だよ。30人ぐらい? ……こっちに近づいてきて……え? 銃を向けてる?」
 タクヤたちの隣の席の窓が、銃撃で割れた。乗客たちは悲鳴をあげて頭を下げた。続いていくつかの銃声が聞こえ、ガラスがたて続けに割れた。
 タクヤがそっと顔を上げて外をのぞくと、馬に乗った男たちが間近に来ていた。濃い灰色の鎧を着て、顔もスカーフみたいなもので隠している。
 最初のいくつかの銃声の後、彼らは二手に分かれて、先頭の機関車と、最後尾の車掌車に向かった。
 やがて車掌のアナウンスがとぎれとぎれに車内に響いた。
「……あの……やめ……とはいえ、説明はしな……お願いです、暴力は……」
 そして、話がついたらしく、あらためてアナウンスされた。
「みなさま、本日はご利用いただきまことにありがとうございます。当列車は、ただいま龍人族の襲撃をうけ、困っております。車掌の私も、まいっております。予定通り発車して、みなさまを安全に終着駅までお届けしたいのはやまやまなのですが、私たちは警察ではありませんので、武器と申しましてもウサギさんをなんとか殺せる程度のかわいい拳銃がひとつあるだけですので、とてもこれでは太刀打ちできない、というか、こんな申し訳程度の武器ならないほうがいいぞって思ってみたりしてみますが、我々は鉄道マンの鏡といたしまして、みなさまの安全を第一に考えたく思っているしだいですので……はい、わかってます……で、では、ここで、龍人族の方にご要望をご説明いただきたいと思います。どうぞ」
 ガサガサとマイクが手放される音がした。すぐに太い声が響いた。
「我々は、危機的消費文明から地球を守るために立ち上がった龍人族。悪魔のスーサシアより迷い込んだ王子がいるはずだ。すみやかに車外に出ろ」
 そこでアナウンスの電源は切れた。
 タクヤはユリと目を合わせた。
「ど、どうしよう」
「私たちのことね? ……恐い気がするんですけど……」
 そのとき、車掌が扉を開け、あわててこちらの車両に入ってきた。通路で倒れて「は、早く、ドアを閉めて、誰か……」と言った。
 後部に座っていた男がドアを閉めると、数秒後に爆発音が響き車両がゆれた。
「あ、あ、あ、あいつら、わ、わ、わ、わ、私の車掌車を、爆破しやがりましたぞぉ!」
 馬に乗った男たちが、外で車両を取り囲んだ。
 ボスらしき大男が叫んだ。
「王子、さっさと出てこい。早くしないと次の車両も爆破する」
 タクヤたちの車両に乗っていた大柄の金鉱労働者が立ち上がった。
「おいおい、呼ばれてるやつはさっさと外に出ろよ。関係ねーオレたちを巻き込んだら、今度はオレたちがただじゃおかねえぞ」
 車掌は立ち上がり、よろめきながらタクヤたちの席に来て「お願いしますよ」と泣き顔で言った。乗客に詳しい車掌は、よそ者であるタクヤたちの正体を察しているようだった。
「車掌さん、僕たち、とっても素敵な列車の旅で、喜んでいたところなんですよ。これでお別れなのは、ものすごく残念っス。でもやっぱ、行くしかなさそうですね」
「はひ、わたくしも非常に残念であります。本当に本当に残念で仕方がありませんです。でも、そうみたいでございます。行っていただくしかなさそうでございます」
 タクヤが立ち上がると、ユリとヒッコリーも立ち上がった。
「いや、僕だけでいいから」
「なにを言うか、たわけ。ワシはおまえを守るためにおるのだ」
 だったら守れよ、と、タクヤは言いたかったが、ぐっとこらえた。
「私も行きます。だって、そのための祈り師です」
 ユリもきっぱりと言った。
 タクヤは二人を見てから、しっかりと頷いた。

 三人が列車のドアを開けて身を乗り出すと、男たちが駆け寄ってきた。馬を下りた男たちは、三人を疑うこともなく、すぐに担いで馬車に乗せた。
 ホコリだらけの馬車に、外から棒を通して扉をロックすると、すぐにかけ声をあげて走り始めた。疾走する馬車の揺れは激しく、三人は何度も頭を低い天井にぶつけた。
「くそ!」とタクヤは叫んだ。「車掌がおしゃべりでもさぁ、列車の方がよかったよな。エアコン付きの馬車とかないの?」
「おまえら、よっぱど普段の行いが悪いんだな。ワシは一緒にいて災難続きじゃ」
「ついに龍人族……私たち、殺されるのかなあ……」
 ユリは、泣きそうな目をして、座席の縁をぎゅっと握りしめた。
「僕たちを殺したってさあ、地球はどうにもならないよ。何かに使うんだろ。取り引きとか。また金目当てじゃないの?」
「おまえ、金目当てならまだいいが、今度は龍人族だ。半端なことはせんだろ。ワシはやつらは好かん。言ってることは正しいが、いつもやり方が強引すぎるのじゃ。ユーモアを理解せん」
「僕たちの状況って、ユーモアとは関係ないと思うんですけど!」
「タクヤくん、年長者の知恵じゃが、ユーモアをバカにしたらいかんよ」
「バカにしてないけどさ、そもそも根本的にそういうこととは違うでしょ、ってことだよ!」
「ヒッコリーさん、わ、私も、そういう問題ではない気がします……」
「やれやれ。若い二人は『笑拳』って知らんかな。笑顔を持って、戦いを征す。北斗伝来の極秘拳法じゃ。笑う角には福来たる」
 タクヤは無視した。
「ねえ、ユリ、僕が間違ってなかったら、龍人族って、王宮の爆撃をしたやつらだよね。メリルや、子供たちや、善良な人たちを、殺したやつら。そうだろ?」
「ええ、そうよ」
「こっちから行く前に、向こうから来やがった、って考えたらダメかな」
 タクヤは今まで経験したことのない力が、自分の中からわき上がってくるのを感じていた。愛する人たちを守りたいという、憎しみと愛の混ざりあった激情だった。
「タクヤ、ワシが言うのも何だが、世間知らずもほどほどにしとけよ」
「どういう意味だよ、ヒッコリーさん」
「おまえみたいな細腕で、いったい何ができるかっちゅうことじゃ」
「力がないのはわかってるよ。そんなことぐらい僕だって。そうじゃなくてさぁ、他にも何かやれることはあるんじゃないか、って意味だよ。それって大切なことだろ?」
「いや、しかし、龍人族だぞ。ワシは関わりとうないわい。くわばらくわばら……」

 龍人たちは荒涼とした谷間を土煙を巻き上げて走り抜けていった。途中、崖の脇からトンネルに入った。人工衛星からの追尾をさせないためだった。スーサシアの主だった衛星は陰に入っていたが、一台だけ東の空に残っていることがわかっていた。それを避けるため、西側に切り立った崖沿いを選んで走ったのだ。もちろん馬を使っているので、金属探知系のレーダーにはひっかからない。電波も発していない。クラッシックな襲撃スタイルには、きちんと意味があったのだ。
 やがて100年前には大型国際都市であった『バナの遺跡』に入り込み、蹄の音のうるさく響く地下道を30分ほど進んで、ようやく谷間の小さな集落にたどり着いた。
「降りろ」
 龍人たちが馬車のドアを開けた。
 一旦は意気込んだタクヤだったが、やはり龍人たちの大きな体格と、本物の鎧や武器を目にすると、むやみに反抗する気にはなれなかった。いずれチャンスをうかがって、王子としてやれることをやろう、と心の中で決意して馬車を降りた。

 三人は男たちに囲まれ、古い木造の小屋に連れて行かれた。中に入ると、地下に降りる階段があった。指図されるままに階段を降りると、最下層に薄暗い中に地下水路があった。トロッコのような小舟を連結した乗り物が浮かんでいた。
 タクヤたちはその船に乗せられた。一つの小舟はタクヤたち三人が乗るのが精いっぱいの大きさで、龍人の男たちは前後の船に別れて乗った。
 男たちがオールを操り、薄暗い水路を進んでいく。水音の長い響きで水路の奥深さが察せられた。カーブではランプを掲げた先頭の船の男たちが、無言のままオールで壁を押し方向を定めた。いくつかのカーブを経て、ようやく出口が見えてきた。
 水路を出ると、タクヤは一瞬、まぶしさで目がくらんだ。しかし目が慣れてくると、周囲の美しさに目を見張った。
 そこは静かな森と、シンプルな建造物の調和した、夢のように美しい世界だった。木々が高く茂り、樹下を守るようにおおっている。遠くの方には下草を食す鹿たちの姿が見えた。小鳥たちの澄んだ声が、手荒な招待をわびるかのようにこだまする。
 水路を通ってきた乗り物は、木製の古い桟橋に横付けされた。そこでタクヤたちは降ろされた。指図する龍神たちの声までもが、ここでは礼儀正しく気品あるものに変化していた。
 三人は案内されるままに、森の小道をたどり、頭上の茂みが開けているところまで来た。
 丸い広場だった。石のテーブルがあり、奥に美しい女王が座っていた。龍人族とはちがう、白い肌の女性だった。
「ずっとお待ちしていたのですよ。おかけなさい」
 と女性は優しい笑みを浮かべた。
「ようこそ、みなさん。私は龍人族の女王、ユリです」




12 二人のユリ


 タクヤの横で、ユリは言葉を失った。
「あなたが……」
「そうです」と女王ユリは静かに頷いた。「私がユリです」
 タクヤは何が起こったのかわからず、ヒッコリー老人に問いかけるように振り返った。しかしヒッコリーも混乱しているらしく「ワシもしらんぞ」と首を振った。
 周囲の龍人たちは、褐色の防具を身につけたまま、静かにたたずみ、ことの成りゆきを見守っていた。兵士としての礼儀を守っているというよりは、やはり何か重大なことを知らされ、心の底からの覚悟を決めて次の指示を待っている、といった雰囲気だった。
「まず、私たちだけで、少し話し合った方がよさそうね。私とあなたで。ね、ユリさん」
 と女王ユリは、祈り師ユリに言った。
「いゃぁ、そうかのう」とヒッコリーが話に割って入った。「ま、若いもんはともかく、ワシはいっしょにしといた方がいいと思うぞ。知識も知恵もあるし。若いタクヤ君には、ワシからあとで話をするってことで、な?」
「ありがとう、ヒッコリーさん」と若い祈り師ユリは冷静に首を振った。「でも、ごめんなさい。これは、たぶん私たちだけの話だと思うの」
「そうです。みなさんはここでお待ちになっていてください。すぐにお茶が届くと思います。ユリさんは、どうぞ、こちらへ」
「はい……」

 二人のユリが森の奥に消えてしまうと、タクヤは眉をしかめて「なんなの、あの二人?」とヒッコリーに聞いた。
「まあ、同性愛ではないと思うがな」
 タクヤはいらついてテーブルを叩いた。
「やめてくれよ、ヒッコリーさん。別に同性愛が悪いって言いたいわけじゃないけどさぁ、ユリはちがうよ。僕はいっしょにいて、すごく素晴らしいものをたくさん感じて、こんなへんてこな旅が終わったら、きちんとデートしようと考えてるんだ」
「おまえ、あの子のこと、好きなんじゃな?」
「ななななにを突然」とタクヤはのけぞった。「そういうこと、あえてハッキリ言われると困っちゃうけどさぁ、ま、否定はしないよ。こんなわけわかんないこと、さっさと終わらせて、二人でデートするんだ。そのときは絶対、ヒッコリーさん、ぬきでね!」
「ユリを好きなタクヤ君か。しかし、おまえは、まだ自分自身を知らない。自分の過去を知らない男が、現実の女を愛せるかな?」
「ダメだって言うのかよ」
「いや、ダメとは言わんが、難しいじゃろうな」
「難しいだけなら、なんとかなると思うよ。いや、絶対になんとかする。こうみえて、僕は結構がんばる方だし」
「しかしな、問題はそれだけではない。おまえもわかっとるじゃろ?」
「な、なんのことだよ」
「列車の中で彼女が語ったことは、おそらく現実のほんの一面にすぎん。祈り師になった経緯のことだが、そのむこうに、何があるのか。ま、ワシにはわからんよ。わからんけれどな、何かがあることははっきり伝わってきた。おまえも感じたはずだ」
「僕は、特に、そんなこと、感じなかった。あのさぁ、急にヘンなこと言って、僕を不安にさせようとしたって無駄だからね」 
「そうか? だといいがな。ところで、おまえ、彼女に祈りの治療をしてもらっとるのだろ?」
「あたりまえだよ。そのためについて来てもらってるんだから」
「祈りを受けるとき、何か感じないか? おまえ、ただ病を癒してもらっているだけではあるまい。何か、伝わってこんか?」
 タクヤは急にとまどい、小さく首を振った。
「ごめんなさい……ヒッコリーさん、悪いけど……それは……それだけは、言えないよ」
 ヒッコリーは頷き、ため息をついた。
「だな。こまったもんじゃ」
 やがて肌が黒くざらざらの龍人の女性が、白いティーカップを二人の前に置いた。やわらかなハーブ茶の香りがひろがり、ゆるやかに森の空気にとけていった。
 
「ごめんなさい、手荒な招待になってしまって」
 女王ユリは、簡素な部屋にユリを招き入れ、窓際のテーブルを示した。
 ユリは難しい表情のまま、そこにあった椅子に腰掛けた。
 女王ユリは自らカップに冷茶をつぎ、ユリの前に置くと、向かいに座った。
「馬に乗って列車を襲撃するなんて、大昔の映画のようだけど、やはり砂漠にはむいているし、人工衛星の追尾をかわすには一番いいの。それでも、もちろん私たちの行動が知られていないとは思わないけど……」
「私たちというのは、あなたと龍人たちのことですか? それとも、あなたと私たちのことですか?」
「そんなに話を急がないで」と女王ユリは苦笑した。「あなた、あの二人と旅をするのって、楽しい?」
「楽しいこともありますが、大変なことも多いんです。ゆれる船で吐いたり、狭い馬車で頭をぶつけたり……」
 女王ユリは楽しそうに、若いユリを見つめた。
「ねえ、オミヤマ師の村に行ってきたのでしょ? みなさん、お元気だったかしら?」
「ええ、とても」
「セノラのおばさまも?」
「はい。……でも、あなたは、そこまでご存じなんですか?」
「私もここにたどり着くまでに、いろいろとたどってきた道があるの。でも、それをここで説明している時間はないわ。本当は、あなたとは、いろんなことを、すべてを語り合いたいけどね」
「そして、あなたは王宮を破壊した。ですよね? たくさんの罪のない人たちを巻き添えにして」
「私は、現実を美化したくないの。目の前の環境破壊が、美化できないのと同じことよ。そのことを、はっきりさせたかった」
「でも、スーサシアのマスコミはそうはとらえていないですよ。気の狂った環境過激派。そんな集団の主張に、まともに耳を貸すことは出来ない、無差別テロは絶対に許さない、と」
 女王ユリはため息をついた。
「マスコミは、いつの時代も頭の悪い人たちなのよ。自分で考えることをしないのね。受け手が望むことを、俗っぽく発信するのがお仕事。気持ちよくて、面白いことをね。マスコミも、政治家も、程度は同じ。水は下に流れるの。愚かな人たち。そういう人たちが大国をリードしていることを、とても悲しいことだと思います」
「でも、良識がある人たちもたくさんいますよ!」
「私も、昔はそう思っていたわ。希望を失いたくなかったのね。でも、それは、本当の世界を知るまでの話。まあ、厳しい現実のことは、あとで、あのお二人も交えていっしょにお話ししましょう。みなさんを案内したいところがあります。でも、今は、私たち二人の話」
 若いユリはつばを飲み込んで、決意を固めた。
「それは、つまり……アリューサ王のことですか?」
「そうよ」
 女王ユリは、滑らかな肌のユリの顔を間近にみつめて、優しく言った。
「あなたは、あの方のことを、愛しているのね? アリューサ王のことを」
「はい」
 ユリは小さく、しかしはっきりと頷いた。その目に涙がにじんだ。どんなに強い決意をしていても、女王ユリの前では、隠すべき涙を止められなかった。

「あのさぁ」と、よい香りのハーブ茶を飲んでもイライラを隠せないタクヤが言った。「あの二人、遅すぎないっスか? 僕たちって、結構、急いでいる旅だった気がするんだけど。本当は今日中に砂漠を渡りきって、むこうのイラフトっつう国にいかなきゃいけないんでしょ? いいのかなぁ、もう、ホントに」
「とらわれの身では、何もできんて。あきらめることじゃ」
「ていうか、ヒッコリーさん、あんた、なんのためについてきたの? こういうときにこそ活躍する予定だったんじゃないの?」
「おいおい、うまくいかないことを他人のせいにするなよ。ワシだって巻き添えは食らいたくはないと思っとるのじゃ」
「巻き添えって、そうゆう問題じゃないと思うですけど。全然違うと思うんですけど」
「いやしかし、美しい森じゃ。砂漠の中にこんなところが残されていたなんてなあ、ワシも全然しらんかった」
「あのねえ、のんきに観光客みたいなこと言うの禁止!」
「ははは、茶がうまい」
「あのさぁ、ヒッコリーさん……」

「おそらく」とユリは昔のことを思い出しながら言った。「あなたが宮殿を去ったすぐあとに、私は喚ばれたのだと思います」
「いくつのとき?」
「四歳です」
「早いわね」
「でも、すぐにではありません。宮殿の裏の診療所に預けられて……」
「それは、私と同じ」
 と女王ユリは微笑んだ。
「だったら、もしかして、ベッドの脇の柱に、人の顔に見える節目があるの、知ってます?」
「ええ。二つね」
「もしかして、王宮に来る前の、本当の名前を憶えていたりします?」
 女王ユリは、そのことには首を振った。
 ユリも首を振った。
「昔を思い出せないって、悲しいですか?」
 女王ユリは、そっと首を振った。
 ユリも首を振った。
「祈り師になったこと、後悔していますか?」
 女王ユリは、その質問にはすぐに答えず、しばらく考えてから、ユリを見つめて言った。
「後悔しても仕方がないことね。これが、私の人生だから」
「でも、王に抱かれること自体は、私たちの自由意志だったはずです」
「もちろんよ。私は、あの方を慕っていました」
 ユリは嫉妬を感じながらも、幸福な笑みを浮かべた。
「そうですよね。あの方は本当に素敵な方です。いつも、私にとって一番大切な方です。重い責務をはたされ、人知れず誰よりも誠実で、疲れ切っていても、優しく微笑んで、私を受け入れてくださいます」
「決して外には見せない悲しみが、まるで宙を漂う聖なる水のように、壊れやすく輝いていた」
「お言葉ですが、それは過去のことではありません。それは、今このときも、まったくその通りです。正直に言うと、私の祈り師としての仕事は、あの王宮の爆撃の日が初めてだったんです。その日、たくさんの人が診療所にかつぎ込まれ、亡くなっていきました。私は、自分が壊れそうになるのを感じました。本当に、自分自身がぎりぎりで。でも、そのつらさを乗り切れたのは、やはりあの方の、こんなことよりもっともっと大変な、大きなことをかかえて、なお強く生きてらっしゃる美しいお姿を知り、あの方を敬愛している自分の心が、揺るぎなく存在していたからです」
「よりによって、私があなたの愛を確信に変えてしまったということ?」
「そうかもしれません。関係なくはないです。もし、あなたが、あの爆撃を指示した人であるなら」
 女王ユリは口元に皮肉を込めた笑みを浮かべた。
「まわりくどい話は止めましょう。もちろん私の指示よ、あの爆撃は。ただし、私も、あの方を愛している。それは間違いない。もともと心開かれ、愛にあふれる素晴らしい方ですからね。でも、あの方を取り巻くシステムは間違っている。私は、自分の愛ゆえに、根本から破壊するつもり。これは、愛であり、揺るぎない決意よ。私一人でどこまでできるかはわからない。でも、やれるだけのことはやってみせます」
「多くの罪のない人々を巻き添えにしても?」
「巻き添えにしているのはどっちなの?」と女王ユリは険しい表情になった。「あなたはまだ、本当のことを知らなすぎる。でも、まあ、いいわ。それはこれから、あなた自身の目で確かめればいい。でも、ひとつ、これだけは、はっきり言っておくわ。あなたの愛は、正しくない。そのことは、あなた自身が、一番わかっているはず。ほら……彼、なんて言ったかしら? いっしょに来てくれた男の子」
「タクヤ?」
「彼のことは、どう思っているの?」
「いっしょにいて楽しい人。いい人。真面目な人」
「王と比べると?」
「比べるまでもありません」とユリは苦笑した。「つまり、比べるには、まだタクヤは幼すぎます。父である王と比べることは、フェアではありません」
「もちろん、彼の心はまだ幼くピュアね。ほんの子供かもしれない。でも、そのピュアな心……汚される前の存在こそ、あなたにはきちんと見つめてほしい。システムに巻き込まれる前の、本来の心の有り様を」
「お言葉ですが、そのぐらいだったら私にもわかっていると思います。いっしょに旅もしてきましたし、むしろあなたより、よっぽど私の方がわかっているはずです」
「いいえ。あなたが感じているもの以上のものが、そこにはあるわ。もしかしたら、あなたは最後まで、そのことを否定するかもしれない。でも、だからこそ、はっきり言っておきます。ピュアであることを、軽く見ないで。そこには私たちを最後に救う何かが存在するかもしれない。広くフェアに真実を見つめるということは、決して簡単なことではないのよ」
「私は」とユリは背筋を伸ばし、毅然とした態度で言った。「一人の人として、そして、一人の女性として、理念や哲学で男の人を愛するわけではありません。何よりも、私は一人の女です」
「でも、あなたも、もう、わかっているはずよ。彼を救えるのは、あなたしかいない」
「どういう意味ですか?」
「タクヤは、死ぬかもしれないのでしょ?」
「そ、そうですが……」
「あなたの成功を祈っています」
 女王ユリは立ち上がり、最後に優しく言った。
「心から、あなたの幸運を祈っていますよ。うまくいくようにね。私は、もう行きます。あなたは少し考える時間が必要でしょ? しばらく一人にしてあげる。その柱の時計が四時になったら、さっきの森の奥のテーブルのところに戻っていらっしゃい」
「一人の時間なんて必要ありません。そんな時間でも作って、あなたはまた非情な爆撃でも指示するのですか!」
「ユリ、大丈夫だから。そんなにあせらないで。あなたは、きっとアリューサ王の元に戻ることはできる。でも、問題はそれだけではないの。そのことを、よく考えてほしい。すでにあなたは、いろんなことを見てきたはずよ」
「私、そんなに多くのものを見たとは思いませんけど」
「だから、少し考える必要があるの」
 言葉のトーンは優しかったが、実際には有無を言わせぬ指示だった。女王ユリが去ると、ユリはテーブルに突っ伏し、目をつぶり、自分の中の、愛と、怒りと、欲と、悲しさに、思いをはせた。
 旅の行程で忘れていた想い。
「早くアリューサ王にお会いしたい。会っていろんなことを御相談したい。敬愛する方の声を聞き、その存在を身体で受けとめ、愛を心に刻みたい」
 そんな想いが強くよみがえってきた。




13  聖なる泉


「どうしたの、大丈夫?」
 ふらふらと歩いてきたユリに気づいたタクヤは、思わず駆け寄って声をかけた。
「なんかへんなことされた? ちょっと普通じゃないように見えるけど?」
「大丈夫」とユリは作り笑いを浮かべた。「ただ、あの人とは、少し個人的関係があったみたいで……」
「知ってる人だったわけ?」
「うんん、会うのは、たぶん、初めて」
 タクヤに導かれて、ユリは石の丸椅子に腰掛けた。
「意味深じゃのう」とヒッコリーが言った。「これはぜひぜひ、詳しく説明を聞かなくては」
「あのさぁ、ヒッコリーさんは黙ってなよ」
 とタクヤはヒッコリーをにらんだ。
「ほら、じいさんだってユリがショックを受けてることぐらい、見ればわかるだろ? こういうときはさ、何も聞かずに守ってあげるのが、僕たちの役目なんじゃないの?」
「はいはい」
 ヒッコリーはぞんざいに手を振った。
「タクヤって……」ユリはうるんだ瞳で彼を見つめた。「……やさしいんだね」
 タクヤは急に激しく照れてにやけた。
「いやー、そんなことないって。当然のことだって。とにかくこの旅のあいだはさ、僕たちしかいないんだから、きちんと信頼しようよ。ね? 今さ、待たされているあいだに考えたんだよ。僕はユリのこと、誰よりも信じようって。それが一番大切なことだから」
「ありがとう……」
 ヒッコリーはあきれた表情で耳の穴を掻いた。
「やれやれ、若いってのはいいのぅ。次は何か起こるのかのぅ……と思ったら、あの方のお出ましじゃな」
 女王ユリがしなやかな足どりでテーブルに戻ってきた。
「お待たせしてすみません。そろそろ夕方が近くなってきました。これからみなさんを泉の方にご案内したいと思います。今日は、そのあとは食事をなさって、ゆっくりとお休みになってください」
「えっと……」とタクヤは頭を掻いた。「お休みになって、って言うか、僕たちって、その、襲われて、捕虜なんじゃないの?」
「もしそういうお泊まりがお望みでしたら、バナの遺跡の方に古い牢獄もありますので、遠慮なくお申し出ください」
 タクヤは調子が狂って、言葉が続けられず、困ったようにヒッコリーを見た。
「ま、暴力的じゃないってことは、ワシは賛成じゃな。それにだ、これにはいろいろ意味がありそうじゃ。まず、ワシはそれを知ってから考えたい」
 ユリはヒッコリーの案を受けて「ですね」と頷いた。

 女王ユリは三人を丘に続く道へと導いた。 
「龍人族が、そもそも人と別の種であるとか、特殊な信仰を持った部族という考え方は、間違っています。本当は、ただ化学物質による生理的な反応を積みかさねて、外見が変化してしまったというだけ。白人であろうと、黒人であろうと、汚染された環境で暮らし続けることで、私たちの身体は、生存そのものが危ぶまれる状態になっています。それは、何かが壊れていくというよりも、壊そうとする力が、内側からわき上がってしまう、と表現した方が正しいでしょう。私たちの身体に深く組み込まれた、いわば一種の安全装置です。私たちはそのように理解しています。世界の人々が環境を破壊し、贅沢を極めていくことに対して、地球的な意味だけではなく、なによりも私たち個人の身体が、変化を受け入れられず、反抗し、警告しているのです。
 一般論として言うなら、もともと多くの病気や死が、私たち自身の中から生まれてくるものです。もちろん細菌やウイルスのように、外から来る病気はあります。事故で亡くなることもあります。ですが、老いや、ガンなど、ほとんどの死は、自らの身体の内側から発生ものです。人とは、そのようにできているのです。誰もが死ぬべき運命を持つ個体なのです。そして死と誕生の世代交代を続け、全体としてのバランスを保っていきます。
 冷酷な考え方と思われるかもしれませんが、私は、死を否定的には考えていません。個としての生命体の死は、安らかな眠りです。心が空に還ることです。もちろん、別れは悲しいもの、特に愛している人との別れは、とてもつらい。けれど、死そのものは、生命の誕生以来続く自然なことです。誰もが一度は体験することです。つまり死とは、この世でがんばり続けた人が、人生の最後に手にする神さまからの贈り物のようなものです。死を受け入れず、かたくなに生へ執着する人は……ある意味それも自然な生理的反応なのですが……そんな生き方に、生命の真の答えはありません。
 すみません、少し話がそれてしまいましたね。私が申し上げたいのは、私たちの身体の中には、環境破壊という暴走に対して、ブレーキとして働くところの、生理的な仕組みが組み込まれていた、ということです。
 もちろんブレーキというのは、大きな視野で見たときの冷めた呼び方です。実際には、直視できないほど、激しく悲惨なもの。私たちの身体が、私たち自身の矛盾を攻撃してきます。はるか原始の時代から、細菌やウイルスと闘い、私たちの身体を守っていた免疫機能が、内側から私たちの身体を破壊していく。肌、関節、内蔵など、炎症が収まらず、それを鎮めるホルモン薬を多量に使い続ければ、やがて薬の副作用により死に至ります。
 そういったぎりぎりの状態になった人たちが、この場所を訪ねてきます。そして自らの内側に溢れ、破壊する力を、社会を壊す外なる力に転換していきます。そうすることで、ようやく生き延びることが可能になるのです。外なる力が良いか悪いかという議論は、彼らにおいては意味がありません。そうしなくては、生き延びることができないのです。そんな人々が現実に存在するのです。
 人の自由、豊かさ追い求める心、長寿への望み、命を救う慈しみの心……すべて大切なものと思います。しかしそれは、無限の大地が存在してこそ味わうことのできる贅沢です。残念なことに、この大地は無限ではありません。
 また、頭の中で無限ではないとわかっているだけでも、なんの解決にもならないのです。実際に、誰かが、答えを模索し、闘わねば。今、そこにある苦しみを回避するためには、それしか方法がありません。
 私は、ごらんの通り、龍人ではありません。ですが、ある旅でここを訪れ、祈り師としてつくしました。病み、死に逝く人たちを看取っているうちに、私が信じていたことの愚かしさを悟りました。考えないわけにはいいかなかったのです。私は国に戻り、真実の語り部として、多くの人に問題の深刻さを伝えようとしました。
 その結果は、理解ではなく、無視でした。むしろ時代に逆行する私の主張の隔離。
 私は個人的に、ある国のリーダーを敬愛していました。彼は、いつも言っていました。わかっている、と。そのようなことはすべてわかっているが、文明の発展をあきらめ、原始的な生活に戻るわけにはいかない。国の経済は、多くの人々の生活に直接関わっている。緩やかに『方向性』は変えていきたいが、それには時間がかかるのだ、と。
 私の息子が四歳になったとき、突然、深刻な発作が起きました。それは花火の導火線に火を付けたようなもので、みるみるうちに激しい炎症が全身に広がりました。抑える薬といっても、幼い子供に使える量は限られています。私は幼子を連れ、再びこの地を訪ねました。幸いだったのは、我が子が道程に耐え、ここにたどり着けたこと。最期に息子は、泉の水に触れて、笑みを取り戻しました。みなさんをこれから案内するのは、その泉です。あの丘の上にあります」

 静かな夕暮れの泉。
 スプロス山から湧き出た水が、丘の中腹の眺めの良い場所に溜まり、小さな湖になっていた。
 多くの病んだ者たちが水辺に腰掛け、ぬらした布を傷に当てている。ほとんどのものは全身の肌に炎症が広がっていた。健康な肌はもう探しても見つからないほどになり、まぶたさえも外皮がはげ、血とも汁とも涙ともつかない液体がにじんでいた。
 女王ユリはそんな人たちの一人一人に優しい言葉をかけ、痛みに触れて、少しの間、目をつぶった。症状は激烈な人が多かったが、女王に触れられた人々の表情は和やかだった。やっとここにたどり着いたこと。泉の水と、女王ユリの心に触れて、確実に安らぎを得ている。
「もしよかったら」と一通り言葉をかけ終えた女王ユリは、タクヤたちに微笑んで言った。「泉につかってみてはどうかしら」
「どういうこと?」
 タクヤは意味がわからずに聞き返した。
「服を脱いで、泉につかっていってくださいな。そうすれば、あなたたちにも、本当のことが、少しはかわかっていだけるはずです」
「ふ、服を脱ぐんですかぁ?」
 タクヤは自分のこともあったが、ユリをかばう気持ちもこめて声を大きくした。
「いきなり、ってのはちょっと。そういうのは、またあとにしたいんですけど」
「大丈夫です。ここは、とても神聖な場所。あなたたちにとっても、神聖な経験になるはずです。恥ずかしがる必要などありません。そんなことよりはるかに大切な意義が、ここにはあります」
 女王ユリにそのように言われ、率先して服を脱ぎ始めたのはユリだった。
「タクヤとヒッコリーさんはあっちむいてて。私はこの人の言うこと、試してみたい」
「え!」
「ま、そうかの」とヒッコリーは頷いた。「じゃ、タクヤ君よ、ワシたちはあっちの方で脱いで入ることにしようか」
「いいんですかぁ? こんなことをしている場合じゃないような気がするんだけど」
「そうは言っても力で勝てる相手ではない。ていうか、おまえ、ぐずぐずして、ユリが脱ぐの見てるつもりか?」
「ち、ち、ち、ちがいますよ。馬鹿なこと言わないでよ。いや、まあ、見たいっていえば、見たいけどさぁ、でも……あ、ごめん、ユリ。もぉ、なんでそんな簡単に脱ぐかなぁ! 早すぎるよ! わかったよ! 僕も脱ぐ! 脱いでやるよ! 早くあっちいこうぜ、ヒッコリーさん」
「あのな、タクヤ君、このぐらいでヤケになることもないんではないのか? もっと素直に、この神聖な湖の雰囲気を受け入れたらどうじゃ?」
「一人だったら、そりゃ、そういうこともわかるけどさぁ、みんないるんだよ」
「あ、もしかしてタクヤ君としては、ユリが人前で裸になるのが気にくわんのか?」
「ていうかさぁ、ちがうんだよね。ゼンゼンそういう問題じゃないわけ。もー!」
「じゃあ、なんなんじゃ?」
「わかんないよ、そんなの、自分でも。とにかく、僕はもう脱いだ! 先に入るからね。年寄りには心臓によくないかもしれないから、気をつけて入んなよ」
「冷たいんか?」
「うん……いや、そうでもない。あれ? 最初、冷たかったけど、なんだか不思議とあったかい……」
 タクヤに続き、ヒッコリーも水に入った。タクヤがふと視線を振ると、ユリがゆっくりと泳いでいる姿が目に入った。泉の真ん中に向かって、白い影が伸びやかに進んでいく。波紋が水面全体に広がり、ユリは中心まで来ると、泳ぎをやめて立ち、そこからまっすぐタクヤを見つめた。
 二人の目が合った。ユリは笑みを浮かべていたけれど、その顔が濡れていたのは、泉の水のせいだけではなかった。ユリの両目から、涙がこぼれ落ちていた。神聖な水に濡れて区別がつかないはずの涙だったが、実際には激しく泣いていたのだ。
 タクヤはそのことに気がつくと、深い『無力感』に捕らわれた。二人の距離は、そんなに遠いものなのだろうか? ちがうよ、とタクヤは心の中で叫んでいた。ユリだけが、すべてを抱え込むことはないんだから。喜びも、悲しみも、苦しみも、分け合おうよ。この旅は、ただの始まりだし。ここから、未来に続く関係にしていけばいいんだから。ユリと分け合うことができるなら、僕は、自分が誰かとか、自分の過去とか、そんなことちっとも気にしない。そんなことより、もっと大切なものが、今の僕にはある。そのために、本気で努力するから。泣かないで、ユリ。君のたくさんの涙が、いつかすべて、笑顔にかわりますように……

 泉のある丘から戻った三人は、今夜泊まる部屋に案内され、質素ながら身体に染み渡るような夕食をごちそうになった。心の警戒を解いてみると安らげるのは、あのカテナ村と奇妙なほど共通していた。
 食べ終えてから、ユリが「今夜の祈りの治療は、泉のところに行っておこなおうか?」とタクヤに提案した。
「いいけど……」
「あの水はきっとタクヤの足にも効果があると思うんだ」
「でもさ、こんな時間に出歩くこと、あいつらが許してくれるかな?」
「大丈夫だと思う。それに、今夜は満月だし」
 タクヤにはなぜ大丈夫なのか、さっぱり理解できなかったが、ユリはなぜか自信を持っていた。夜気に冷えないように薄手の毛布を持って外に出た。
 東の空に黄金色の丸い月が昇っていた。龍人族は二人を見ても何も言わなかった。捕虜としてより、女王の客人と考えてくれているようだ。夜警のグループはいたが、出歩く二人とすれ違っても静かに頭を下げるばかりだった。
 月明かりに照らされた坂道を上がり、湖のある丘に向かった。湖の周囲には、まだ病を癒し続けている人の姿が散見された。
 ユリは泉の横のベンチに、持ってきた毛布を広げた。
 タクヤは横になった。
「ねえ、ユリ」
「ん?」
 ユリは水を手にすくい、タクヤの足の青い皮膚にかけて広げた。
「ヒッコリーさんがね、ユリには、まだ僕たちに話していない何かがあるんじゃないかって言ってた」
「そう……」
「僕にはよくわからないんだけど、それって、悲しいこと?」
 ユリは、その問いは答えることなく、ゆっくりと呼吸を整え始めていた。
「ユリが何を抱えているのか、僕にはかわからないから、すごくとんちんかんなことを言うかもしれないけど、でも、僕はユリのこと、ちゃんと応援してるから。それだけは本当だから。絶対に一人だなんて、思わないでほしい。わかる?」
「ありがとう、タクヤ」
「僕って、変なこと言ってる?」
「ごめん」とユリは小さな声で言った。「祈りのときは、個人的なことは考えられないから」
「そうか……だね……」
「この水は、やっぱり効果があるかもしれない。なにかいつもとは違う気がする。強い痛みが走るかもしれないけど、我慢してね」
「ああ」

 やがてタクヤの足に温かみが広がった。
 二人の心がつながる。
 けれど、それは本当の心なのだろうか? 
 つながりは永遠なのだろうか?
 つながりの過程の中で、大切なものが消えてはいないだろうか?

 濃い霧のかかった宮殿の中庭。
 笑顔の少女が『彼』を導く。
 楽しそうに、早くおいでよ、って。
 こんなに深い霧は初めて。
 誰にも見られずに思いっきり言える。
 あなたのことが好き。
 そんなこと、言ってはいけないのに。
 霧の中の少女には顔がない。
 少女が好きと言っている相手にも顔がない。
 誰なのか、わからない。
 どうしてこんなに近くにいるのに顔がないの?
 君は何を見ているの?
 過去?
 未来?
 現実?
 僕?
 僕の存在の……

 タクヤの足に激痛が走った。痛みは暴力的に足から内蔵や手や頭にまでグングンと広がっていった。異質な何かが内側から肉をえぐっていく。タクヤは自らの意志に反し、全身がばたつくのを止められなかった。
 耐えきれないほどの痛みに、薄れてゆく意識の奥で、タクヤは自分の病の深さを思い知った。もう死は、すぐ近くにあるのかもしれない。

 激しく暴れた後、タクヤは気を失った。
 疲労したユリは、祈りを終えると、乱れた呼吸を整えて、タクヤの脇にこしかけた。満月の白い明かりのもとで、じっと横たわるタクヤを見つめ、彼のしなやかな髪に触れて、そっとつぶやいた。
「ごめんね、タクヤ……私は……ダメかもしれないよ……」






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