Susacian Prayer   1  2-4  5-7  8-10  11-13  14-17  18-21  22-25  26-28  29-32  33-34



14 飛来


 龍人族の村に、夜明け前から緊迫した雰囲気が漂い始めた。防具で身を固めた男たちが、無言のまま足早に移動していく。
 ヒッコリーは外の気配を感じて目が覚め、カーテンの隙間からさし込む微かな月明かりを頼りに起きあがった。澄んだ水で顔を洗い、ポットに残っていた冷めた茶を一口飲み、それぞれのベッドで眠っていたタクヤとユリに声をかけた。
「おい、タクヤ、ユリ、起きてくれ」
「なに?……ヒッコリーさん?」
「まだ暗いじゃん、眠れるときには眠っておいた方がいいよ」
 ヒッコリーは表情を変えず、静かに言った。
「始まるぞ。支度をするんだ」
 タクヤとユリは、一瞬のうちに緊張に包まれた。
 
 タクヤとユリが朝の支度を終える前に、まだ暗い夜道を使いの者がやってきた。
「みなさん、この先の白い家へ。女王様がお待ちです」
 ヒッコリーは当然のことのように頷いて「わかってる、すぐに行く」と応じた。
 使いの者が去ると、タクヤは怪訝な表情をした。
「ヒッコリーさん、あえて質問させてもらうけど、それって、何が始まるかわかってるわけ?」
「歴史じゃよ。セノラさんと12人の弟子たちが起こした戦いは、3日目の朝にスーサシアの大反撃に見舞われた。言葉にするのも恐ろしいほど徹底的なものだったそうじゃ」
「それと同じことが起こるということ?」
「さあな。しかし大国が物量を投じて攻撃を整えるには、昔も今も同じ程度の時間が必要だろう。それに今、龍人たちは何かを察して用意を始めておる。もちろんスーサシアの軍部も、おまえたちがここにいることは知っているだろうから、あまり無茶なことはしないと思うが……」
「え、スーサシアの軍部が知っている?」
 目を丸くしたタクヤに、ヒッコリーはクックッと笑いをこらえて頷いた。
「そりゃあ、おまえ、そのための御招待じゃろうが。ワシが女王だったら、世界中のマスコミに発表しとるぞ。ただいま王子様一行を熱烈歓迎中ってな」
「なるほど……」
「しかし、それだけでのんびりしていられるほど、情勢は甘くはないようじゃ。支度ができたらさっさと行くぞ」
「待ってください」とユリは二人に手を差し出した。「皆が無事でありますように」
 タクヤとヒッコリーも、ユリの手に手を重ね、目をつぶって祈った。

 女王ユリは、会議用の簡素なテーブルにそろった三人にむかって言った。
「早朝からお呼びだてして申し訳ありません」
「そんなことはいい。あまり時間がないのじゃろ?」
 ヒッコリーはいつになく真剣な表情をして言った。
 女王ユリは頷き、不安そうなユリを見た。
「王の力が弱まっているのかもしれません。ユリさん、あなたは感じる?」
 ユリは無言のまま小さく頷いた。
「私たちの意図として、王は犠牲にしたくなかったので、出国中の王宮破壊を行ったわけですが、それは逆にリスクでもありました。王の力の及ばない人々による性急な反撃が来るかもしれないということ。それがどの程度のものになるか、私には想像ができません。ですが、まもなくこちらに及ぶことでしょう。あちらの巡航ミサイルが北の射程圏内に運び込まれたと報告がありました。まもなく500発ほどのミサイルがこちらを襲うでしょう。まずは防空施設を集中的に狙うはずです。防空施設はやや離れたところにありますので、このあたりへの直接的な被害は少ないと思いますが、その後の空爆や、地上軍の進行に関しては、どうなるか……」
「で、どうするんじゃ?」とヒッコリーは質問した。「そういう反撃は予定のうちだったはずじゃが」
「あなた方には護衛をつけます。ツーコア、剣の達人です。彼はこの辺り一帯、古い地下道にも精通しています」
 奥の間から表れた大男のツーコアは、龍人たち特有の黒い肌をしており、腰に大きな剣を下げていた。彼は静かに頭を下げて、低い声を発した。
「私は家族を犠牲にしました。思い残すことは何もありません。すべてをかけて、あなた方をお守りいたしましょう」
「もう一つ」と女王ユリは小さな箱を取り出した。「これは指輪のように見えますが、実は龍人が使用する特別な通信機です。人の身体の匂いの組成がパスワードになっているため、登録した本人以外は絶対に使用できません。ユリさんとタクヤさんにさしあげます。離ればなれにならないように二人でお使いなさい。さあ、指にはめてみて。最初に指にはめた人の登録が自動で設定されます」
 ヒッコリーは何か言いたそうな表情をしたが、ことの重大さを考えて我慢した。なにしろ、まもなく巡航ミサイルが500発だ。
「では、あとはみなさんにおまかせします。自由に行動し、生き延びてください。もしも私になにかあったら、私の意図を世界の人々に伝えてください」
「それって」とユリは戸惑った。「私の仕事ですか?」
「いいえ。あなたに頼んでいるのですよ、タクヤさん」
 タクヤは急に話を振られて、目を丸くした。
「なぜ? 僕っスか?」
「あなたは、憶えていないのね。素敵なことも、悲しいことも。でも、それは悪いことではないわ。あなたには予言通り、聖なる湖の記憶が刻まれました。案ずることなく、このまま未来に向かって進みなさい。それが、私たちの願いであり、希望なのです」

 女王ユリの元を去ったタクヤたちは、地下水路の入り口に向かったが、途中で空の唸り聞き、道を逸れて湖への坂道を登った。
 夜明けと共に飛来したミサイルの爆撃は『荘厳』だった。
 微かに紅色の残る雲がたなびく空を、白い線が低く何本も走り、大地が激しく揺れた。山の向こう側でいくつも煙が立ち上がり、中にはキノコ雲の形をしたものも上がった。森の縁にもいくつかミサイルが落ちた。数キロ離れた爆撃でも、森の木々がちぎられるような強い衝撃が空間を伝わって襲ってきた。
 突然の衝撃と地震に、森の動物たちは混乱し、普段は出さない奇妙な悲鳴を上げた。
「ユリ……みんな、驚いてるね」
 とタクヤはつぶやいた。
「わかるの、タクヤ?」
「ああ。みんなに説明してあげたいけど、その時間はないよね。ヒバリがね、まだ子供が産まれたばかりだって叫んでるよ。4匹生まれたんだってさ。みんな、とってもかわいいんだって。モグラの夫婦は地鳴りで耳がおかしくなって地面に飛び出してるよ。もう歳だからびっくりするのは身体によくないんだ。ネズミの家族は走り回っているけれど、どこに向かって走ったらいいかわからないらしい。カラスは恐ろしさにふるえて目を堅く閉じて、壊さないでと祈ってる。でも、何を壊さないでと祈ればいいのか、それすらもわからないままで。トカゲは倒れた木の裏に隠れて、凍り付いたようになりゆきを見守っている。アリの巣では何万というアリたちが、働きながらも恐怖でふるえている。蝿は死を覚悟をきめて森を飛んでいく……」
「タクヤ!」とユリは叫んだ。「そんなに力を解放するのは危険。使ったらダメ!」
「わかってるけど、止められねーんだよ。みんな、そこにいるんだ。本当にそこに生きてるんだよ。どーしろってさ。僕がみんなに説明すればいいのかよ。でもさぁ、自分だって、いったい何がどうなってるのか、さっぱりわかんないんだよ!」
「タクヤ、すまない」
 武人のツーコアがたくましい腕を振り、タクヤの頭を手の甲で殴った。タクヤは意識を失って、その場に倒れた。ツーコアはタクヤを肩にかつぎ上げ、「まず、洞窟に避難しよう」と残りの二人に言った。
 ユリは黙って頷いた。
 ヒッコリーはユリに「武芸の達人ってのは便利なものじゃの」と言い、大股で道を進んでいくツーコアを追いかけた。

 タクヤは薄い意識の中で、子供たちの泣き声を耳にした。
 最初のうちは自分自身が泣いているのかと思った。居場所も見つけられないまま、さまよい、理由のわからない攻撃を受ける日々。世界は広いはずなのに、何をよりどころにしたらいいのかもわからず、ただ泣くしかない……
「気がついた?」
「ユリ?」とタクヤは目を開いた。「どこ、ここは?」
「水路の脇の洞窟。ここに来る前、水路を通ったでしょ。あそこ」
 そこには50人ほどの人々が避難していた。数本のろうそくの火が、ぼんやりと人々を照らしている。幼い子供たちは簡易式のベッドに集まり、無言のまま毛布にくるまっている。寄り添う母親たちも説明のしようがないのだろう、みな言葉少なだ。
 やがて水路の奥から連結された船が到着した。血にまみれた七人の犠牲者をのせていた。人々に緊張が走った。しかし声を出して騒ぐ者はなく、みな静かに現実を受けとめていた。
「血にまみれた姿を、龍人たちは見なれている」とツーコアは説明した。「血も、死も、珍しくない。我々は怪我人を泉に運ぶ。医師にではない。なぜならほとんどの薬は使えない身体だからだ。我々にとってはありふれた消毒薬さえ、免疫のバランスを崩す原因になる」
「じゃあ、なぜ泉の元に運ぶわけ? 泉の水で治るの?」
 とタクヤは素直に疑問を口にした。
「治りはしない。怪我を治す水ではない。ただ、死にゆくものを、そこに運びたいだけなのだ。そこで死ぬことは、幸せなことだから。私も死のときには、泉の元で息を引き取れたらなと、思っている」
「私、行きます」とユリが立ち上がった。「薬が使えなくても、祈り師には何かできるかもしれません」
「そうしてやってくれ、案内しよう」
 ツーコアはユリの手をにぎり、うす暗い中を導いた。
「ヒッコリーさん、僕たちも行く?」
 タクヤは小さな声でヒッコリーに聞いたが、老人は小さく首を振った。
「怪我人たちを直視するのはつらいぞ。おまえの国の攻撃がもたらした悲惨さだ」
「わかってるよ、そんなこと。でも王宮の爆撃だって悲惨だった。僕とユリはそこでがんばったんだ」
「おまえたち二人がおると、必ずめんどうが起きるの」とヒッコリーは顔をしかめた。「少しぐらい離れておいた方がいいんではないか?」
「ヒッコリーさん、冗談言ってる場合じゃないよ」
「ははは。いや、しかし、ここにいるとなんと、なくみんなの視線が気になるの。ツーコアがいなくては、少々気まずい。おまえの素性が素性なだけな。やはりここは大人しくやつに従うにかぎるか」
「そういう問題ですか?」
「なにはともあれ」

 泉のふもとまで登ってきて、荷車から怪我人を降ろす作業を、タクヤは率先して手伝った。布にくるまれた怪我人たち。タクヤが最初に手をかした男の下半身は、奇妙に不安定だった。そこには二本の足があったのだが、片足はすでに身体からちぎれ、いっしょに布にくるんであるだけだったからだ。もう一方の足も骨が砕けだらりとしていた。
 ユリはすぐに祈りを始めた。最初に祈った兵士は、喉に穴が空き、言葉が発せられなくなっていた。喉に竹をさし、かろうじて呼吸を続けている。頬の肉がごっそりとえぐれ、片方の目はなくなっていた。しかしもう片方の目は微かに開き、ユリを見つめていた。ユリは泉の水でその目のあたりの血をぬぐい、優しく微笑みかけた。心をつなぐと、ユリの脳に衝撃が走った。兵士の目から入った破片は彼の脳を切り裂いていたが、その鋭い破片は、祈りを通してユリの脳も裂こうとした。ユリは強くならなくてはならなかった。敬愛する人への想いを心の奥で燃やし、痛みに抵抗した。ユリの愛を受け取った兵士は、しばらくすると呼吸が落ちついてきた。奇妙な雑音を繰り返していた竹が、寝息のようなものをゆっくりと発する状態になった。男は最期の苦しみを乗り越えた。
 ユリは次の負傷者に向かった。タクヤが運ぶのを手伝った男だった。切断した足の止血処理はしてあったが、すでにショック症状寸前だった。ユリが心をつなぐと、そのショックがユリにも濁流のように襲ってきた。すべての生理的機能を停止させようと強力な圧力がかかってくる。それは死への跳躍だった。ユリは一瞬の躊躇の後に、その跳躍を『祝福』した。その跳躍を無理に否定しても、また肯定して受け入れても、自分が道連れになる。ユリは頭を垂れて愛する人への想いを糧に、努めて冷静に『祝福』した。ほとんど何もしないのと同じだったし、何もしないのと同じであることは、ユリ自身が一番よくわかっていた。時間にすれば数十秒の葛藤を経て、死への跳躍を終えた男の大きく見開かれた目を、ユリはそっと指で閉じ、立ち上がった。
 ふらふらと次の負傷者に向かおうとしたユリに、怪我人を運んできた龍人たちは首を振った。
「もう、みんな、死んだ」




15 馬に乗る


 ユリは泉のふもとの高台に立ち、遠く近く四方に立ち上がる爆破の煙を見渡した。手を握りしめ振るわせている。自制のきかない嗚咽をもらしながらも、赤い目だけは、しっかりと前方を見据えていた。
 北から新しいミサイルが何本か飛んできた。目で追うのも困難なほど高速のミサイルが、細い軌跡を残し、アッという間に着弾する。煙があがる。空気を割く音が拡散し、地面がゆれる。衝撃波が顔をたたく。それがいくつも重なって連続する。大地という巨人が、無惨に殺されていく。人や動物の、ひとつひとつの営みの消失。抵抗のしようのない『力』に、それは消されてもいいものなのだろうか? 抵抗しないなら、消してしまっていいのだろうか? そこにある木々の緑は本物だし、好きな人を想う人の気持ちも本物だし、料理をしたり、洗濯をしたり、冗談を言ったり、音楽を聴いたり、朝ベッドから出るのがめんどくさかったり、仕事中に眠くなったり、美味しいものを食べて微笑んだり、意見のすれ違いで議論したり、慰め合ったり、死んでしまった人に花を添えたり、幼い子供の誕生に何かを用意したり、そういう営みは、ひとつひとつがとても大切なことではないのだろうか?
「私、あの遺跡の方に行こうと思います」とユリはツーコアに言った。「案内してくれますか?」
 ツーコアは、言葉を発することなく、静かに頷いた。
 タクヤは足の切れた死体の前にひざまづき、動かない顔をじっと見つめていた。その現実を心に刻んだ。僕も数時間後には、こうなるのかもしれない。でも、いいよ、とタクヤは思った。戦いの中心に行くこと。そのユリの気持ちは、とても正しいと思う。今日は、僕は、それにつきあうことにする。今日が、僕にとっての最期の日になったとしても、ユリといっしょなら、別にかまわない。ユリといることこそ、過去のない自分にとって、なによりも大切なことだから。
「ユリ」
「ん?」
「行こうよ。いっしょにさ。もう、どんなことがあっても、僕は大丈夫だから」
「いいの?」
「ああ」
「そこは、あなたにとって、一番悲しいことが待っているかもしれないよ?」
 タクヤは開き直って笑みを見せた。
「いいさ。ユリといっしょなら、後悔はしない」
「ちがう。……あなたにとって一番悲しいことは、たぶん私と共には訪れない」
「え?」
 とタクヤは一瞬躊躇した。
「私は、最後までは、あなたといっしょには歩けないから」
「心配するなって。僕が何とかする。がんばるから」
「タクヤ……」
「はっきり言って、死ぬ気でがんばれば、かなりのことができそうな気がするんだ。不可能も可能になるかもしれない。だから、僕のすべてを、ユリのために」
「ありがとう」
 ユリはそっと、タクヤの身体に腕を回した。
「タクヤ、本当に、ありがとう」
 ユリは顔を寄せ、彼に唇を重ねた。
 タクヤは確かにユリの唇を感じたが、そのキスは、彼が心の中で思っていたよりもずっと冷たく、むしろ罪の感触に近いのものだった。

 タクヤたちはツーコアに導かれ、泉の反対側の小道を下り、農家の畑に出た。
「水路は、怪我人優先。我々は馬で南に下る」
 とツーコアは当然のことのように言った。
「は?」
 タクヤは目を丸くした。
「みんな、馬って乗ったことあるの?」
 ユリとヒッコリーは首を振った。
 ツーコアは気にするそぶりもなく、厩のある家主に事情を伝え、馬を二頭借りてきた。
 ツーコアは黙って手綱のひとつをタクヤに渡した。
「私とヒッコリー、タクヤとユリ」
「待ってください」とユリが言った。「私、恥ずかしいけど、ヒッコリーさんよりはずっと体重が重いと思うので、馬に馴れたツーコアさんの方に乗った方がいいと思います」
「じゃあ、そうしよう」
「ちちちちちちちちょっと、まってよ! ユリがどうこうって言うより、僕とヒッコリーさんじゃ、ボケボケコンビだよ。足手まといの二乗だよ。やっぱりここは冒険らしくヒーローとヒロインが……」
 ヒッコリーが腕を伸ばしてタクヤの髪を後ろから引っ張った。
「がたがた言うんじゃないわい。祈り師とおまえが身体を密着させちゃいかんことぐらい知っとるだろうが」
「でも、僕たち、さっき……」
「そんなことより、時間がない」
 ツーコアは厳しい目でタクヤを見た。そして馬の乗り方を簡潔に説明した。なんだかややこしそうで、とてもぶっつけ本番でうまく旅ができるとは思えなかったが、タクヤが馬に触れて「とりあえず、すごく素敵な馬ではあるよね」と言うと、馬が答えた。
「そやろ?」
「は?」
「いや、アタシな、自分でも素敵だなって思ってますねん」
「あんた、誰?」
「ヒュウマと言います。なにせ飼い主が野球好きやよってからに」
「よくわかんないけど、しゃべり方も普通じゃないね」
「イナカもんやさかい、気にせんといてや」
「いちおう、君、馬でしょ?」
「ま、そうですな。なぁ、バンさんや、アタシたち、馬ですよな?」
 ツーコアが手綱を持つ馬が振り返って「当たり前だろ、んなこと」と鼻息荒く答えた。
「なんや、機嫌わるーおますな。ま、龍人のみなさんは馬の言葉もわかりませんし、世間話もなくただ乗るだけですよって、しゃーないと思いますけどな。おしゃべり好きのアタシは、こちらのお客人でラッキーでしたわ」
「僕、タクヤ。このじいさんはヒッコリー。僕たち馬に乗るのは初めてなんだけど、大丈夫かな?」
「うん〜、ようわかりまへんけど、ベツに、ただ乗って、どこにいけって言ってくだされば、それで万事オッケーというわけにはまいりまへんか?」
「まいりまへんか、って、いや、僕もまいりますような気がしますが……」
「ほな、ま、心配せんと、乗ってみなされ。アタシの脇の腹のところに、足をかけるところがありますやろ。そこから上がってみてもらえまへんか」
 タクヤは足をかけて上がろうとしたが、力の入れ方がわからず不安定になった。それでもなんとか乗り上がり、鞍にまたがった。ヒッコリーは手伝いに来たツーコアに抱えられて、タクヤの後ろにまたがった。
「ずいぶん高いね」
「そうですかの。アタシはいつもこんなものですが、お客人は落ちると怪我しはるよって、しっかりつかまっといておくれやす。で……どちらに?」
「簡単だよ。あっちの馬のあとを追ってくれればいいだけ。龍人のツーコアしか道を知らないんだ」
「なるほどですな、わかりました。簡単ですな。簡単すぎてウンコが出てしまいますな。……あ、失礼。ちょっと出してしまったようでございます。いやはや、なにせ馬というものは、たくさん食べてたくさん出しますよってからに、許してやってくださいませな」
 ツーコアは軽々と馬にまたがり、ユリを引き上げ、腕を自分の腰に回させ、しっかりつかまっているようにと言った。
 タクヤは、いちど「えへん」と咳払いして、ヒッコリーの腕を自分の腰に回し「しっかりつかまっていてよ」と真似をして言った。
「おい、タクヤ、おまえ、馬と話してるのか?」
「ま、まあ、そうですけど」
「そうしてると幸せそうじゃの」
「そ、そうっスか?」
「人間やめて馬になった方がいいんでないかい?」
「そういう問題じゃないでしょうが。そんなことより、しっかりつかまってないと、落ちて、腰、痛めますよ」
「いやー、こわこわ。腰だけは大切にせんとな」
 ツーコアは、足で馬の脇腹をけって、走り出した。
「ほな、うちらも行きますわ」
「よろしく、ヒュウマ」
「ゆれますさかい、気いつけてな」
 ふとタクヤは思った。馬のゆれって、ユリは平気なんだろうか?
 そういえば、指に通信機を持っているのだった。
 タクヤは小さなスイッチを押した。ユリの指輪がふるえて、呼び出しを伝えた。
「ユリ、聞こえる?」
「え、タクヤ?」
 タクヤは思わず微笑んだ。
「そう。これ、使えるね」
「本当にちゃんと聞こえるんだね」
「便利だ」
「でもあまり使うと電池がなくなりそうじゃない?」
「そういえば電池のことは言ってなかったな」
「ちょっと待ってて……」
 ユリはツーコアに質問した。
「もしもし、タクヤ、大丈夫だって。常に振動で発電してるから」
「なるほど。僕もそうかと思ったんだ。それよりさ、ユリ、馬のゆれって、大丈夫?」
「大丈夫じゃないよ、もー。でも、がんばるの。すごくショックなこと体験したし、強くならなきゃと思ってるから」
「ねえ、ユリ、こんなときに変な質問だけど……あれって、いいことだったの?」
「あれ、って……つまり……あれのこと?」
「うん」
 そこに訪れた奇妙な間に、タクヤはきちんと聞こえているのかなと疑問に思ったが、ユリは考えていただけだった。
「……私にも、わからない。でも、あなたのこと、大切に考えているから。この先どうなるかわからないし、とにかくそのことだけは、きちんと伝えておきたくて」
「ありがとう」
「でも、勘違いしないでね」
「なにを?」
「それは……言いにくいけど……説明できないけど……とにかく、私は、あなたに会えて、よかったと思ってるから」
「僕も。じゃあ、詳しいことはまたあとでね」
「うん」
 タクヤはスイッチを切って、にやけた。
「えへん」
 とヒッコリーは意味ありげに咳払いをした。
「な、なんだよ、じいさん。人の秘密、盗み聞きするな」
「しっかりつかまらんと墜ちたら危ないんじゃ。身体を密着させて馬に乗るというのは楽しいもんじゃの」
「もー」とタクヤは顔を赤くした。「ヒッコリーさん、長生きしろよ!」
 二頭の馬は、草地から砂漠へと変化していく小道を軽快に走り抜けていった。




16 バナの地下基地


 バナの遺跡の一帯は、すでに広範囲に地上の建造物が破壊されていた。
 砂が半ばをおおう郊外の建物まで来ると、ツーコアは馬を降りた。元は地下鉄の駅だった入り口を確認し、タクヤたちに「ここから地下道に入る」と伝えた。
「おつかれさま」
 とタクヤは馬を下りて、ヒュウマに言った。
「おおきに。お代の方はうちらの飼い主が預かってるようでしたので、私らはこれでおいとまさせてもらいますわ」
「帰り道、わかるよね?」
「じゅーぶんわかります。心配せんといてください。私の相棒のバンさんが気まぐれ起こして寄り道などせんかったら、なーんも問題ないですよって」
「寄り道?」
「いえ、なに、こちらの話でございます。ただ、たまに遠出をしますとな、この機会に新しい異性とお知り合いになりたいなどと下心を持つ場合なども、あったりなかったり。いやはや、ネイチャーですな。けど、今日は朝から、何ぞただごとではない様子でございますし、まっすぐ帰るのがよろしいかと私は思いますんですよ」
「ま、好きにやってくれよ。ありがとうね」
「おおきに。またの機会によろしゅうに。お気をつけていっておくれやす〜」
 ヒッコリーは、やっと馬から離れたタクヤを見て苦笑した。
「おまえなぁ、馬と話しているとホントーに幸せそうじゃの。いっそ、ワシよりあいつと旅するべきではないんかい?」
「この先が地下でなかったら、そうするところだけどね」
 タクヤは苦手な地下に再び入ることを思い、ヒュウマとの別れも重なって気持ちが落ち込んだ。しかしユリはそんなタクヤに気遣うことなく、揺るがぬ決意で先を急いだ。

 砂が吹き込み、常夜灯のみが点々と明かりを放つ地下道を、タクヤたちは足早に歩いていった。
 ツーコアは歩きながら無表情で説明した。
「地上の破壊は、主に爆風によるものだ。一発のミサイルで半径数百メートルほどの建物は破壊されるが、地下であれば着弾直下以外の被害は免れられる。もちろん龍人たちの組織は、今ではほとんど地下に存在している。特に東部のエスト地区は、滅びる前はビジネス街として栄えたところだ。地下に多数の会議場やコンピューター施設を持ち、スーサシアの繁栄直前までは国際金融の中心だった。地下10階を中心に、華やかなショッピングモールも存在した。これらを支えるエネルギー供給は、地熱を利用したクリーンなもので、多くの環境保護団体からも支持された。だから龍人族のルーツになった団体も、最初にここに本部を置いたのだ」
「なるほどねー。どおりで大きいわけだ」
 タクヤが積極的に相づちを打ったのは、この説明が自分に対してだけではなく、ユリやヒッコリーに対しても同様に意味があったからだ。自分だけが知らないわけではない、ということが嬉しかった。
「この地下社会の特徴は、コケを利用した空気清浄システムにある。スプロス山の湧き水と、数十種類のコケを組み合わせることで、ほぼ外気交換なしで人々が暮らすクリーンな環境を維持できる。世界が様々な新種の化学物質で汚染されていく中、外気から遮断された地下都市こそ、環境被害者たちのシェルターとなったのだ」
「でも」とタクヤは口をはさんだ。「着弾直下だったら、地下でも破壊されてしまうわけだよね?」
「そうだ」
「大丈夫なんですか?」
「タクヤの考えは、半分、正しい。やつらは地下都市の仕組みをほぼ知っている。攻撃の要点も把握している。しかし遠距離から正確にミサイル攻撃をするには、相対的な目標物の設定が必要なのだ。彼らは自らのミサイルで、地上の目標物をことごとく破壊してしまった。早朝の攻撃は我々の弱点を突き、被害も甚大だったが、すでに相対目標になる建造物は地上にほとんどない。正確さは期待できない。さらに我々の軍事施設のある南部地下都市は、巨大な岩盤の中にある」
「じゃあ僕たちは、わりと安全ってこと?」
「そうだ。地上軍さえ来なければ」
「来るわけ?」
「おそらく24時間以内に」とツーコアは頷いた。「そのとき、タクヤとユリが重要な役割を果たす」
「どういうこと?」
 前を歩いていたツーコアは立ち止まり、タクヤとユリに向かって振り返った。
「おまえたちは、龍人族を嫌いか?」
「僕は……」
 タクヤと同様に、ユリも複雑な表情をした。
「手を出せ。私の顔に触れてみろ。心配はない。移る病ではない。どうだ。この死人のような手触り。私は35歳だ。しかしもう寿命はあまりないだろう。今の私は、悲しみを乗り越えて、龍人であることに誇りを持っている。もちろんおまえたちが、我々の攻撃によって多くの苦しみをうけたことは知っている。そのことは、すまないと思う。だが我々のような現実が、すでにあることも知ってほしい。どんなにビジネスや武力で国を繁栄させても、地球破壊の現実をごまかしては、誰も生き残れない。我々告発者が滅びれば、次に滅びるのは繁栄するスーサシア自身だ」
 タクヤは、ツーコアの光る目を見て、あえて突っかかった。
「でも、それは、戦いでしか解決できないものなの? 戦ってしまったら、龍人の正義も、すべて正義でなくなってしまうんじゃないの?」
「『生きるための戦い』であれば、そうだ。よくあるパターンだ。生きることはきれいごとではないと言い、戦いで手を汚し、自らをおとしめていく者たちの、いかに多いことか。それは私が剣の道で目撃してきた現実だ。しかし、タクヤよ、人はいつか死ぬのだ。『死ぬための戦い』であれば、理想ぐらいかかげてもいいではないか。私は、この地球にだけは、生き延びてもらいたい。そのためなら、個人や、国は、どうでもよい」
「理想主義はいつでも流血の原因じゃ」とヒッコリーが口を挟んだ。「地球のためと言いながら、結局は、自分の都合で考えておる。だから、今、行動する、とな。そういうことでいいのじゃったら、物事は単純でいいの」
「な、なにを言う」
「なんだかんだ言って、自分の都合でやっとるだけじゃ。今さら止められんがな。ただな、くだらんノーガキをウダウダ聞かされると、ワシも腹が立っての」
 ツーコアは荒々しく剣を腰から抜いた。
「おい、老人といえど、言っていいことと悪いことがある」
「ははは、それは違うな。老人だから、言いたいことは、言うのじゃ」
「きさま」
 ツーコアは剣を振り下ろした。威嚇のつもりだったのだろうが、それにしても大きくヒッコリーから離れた空を切った。
「どーした、達人よ。かすり傷ぐらい負わせてみろ」
「ふざけたことを」
 再びツーコアが振り下ろした剣が空を切った。すると、アッと言うまもなくヒッコリーはツーコアの背後に回って巨体によじ登り、首に針金を当てた。そして耳元で言った。
「ツーコアよ、おまえだけが死の覚悟をしていると思うなよ。ワシは今朝、薬を飲んだ。娘たちを死に追いやった薬じゃ。人間の能力を解放し、暴走させる薬じゃ。未来が感じられる。触れずとも剣をよけ、死角に回ることができる。今のワシを、おまえには倒せん。そこで、折り入って提案したいのだが、この若い二人を、助けてやってほしい。おまえは最後に、二人を巻き添えにすることも考えておるだろう。それはな、やっぱ、いかん。まちがっとるわい。悪いが、まちがっとると言わせてもらう。もしもおまえが本当に地球の未来を思うなら、二人をここで死なせてはならん」
 ツーコアは静かに呼吸を整えた。
「ヒッコリーよ、おまえは私を救ってくれるのか?」
「悪いが、おまえを救うことは、ワシにはできんよ。ただな、おまえが愛するものは、救ってやることができるかもしれん」
「私が愛するものなど、もうこの世には存在しない」
「そう言いたい気持ちは分かる。ワシも似たようなもんだ。でもな、よく考えてみれば、それは違うはずだ。この世の中の生あるものは、すべて愛する価値のあるものなんじゃ。そのために、道を切り開くんじゃ。さ、わかったら剣を納めてくれ」
 ツーコアはゆっくりと剣を鞘に収めた。
 ヒッコリーも彼から降りた。
 タクヤとユリは言葉が見つからず、軍本部に向かって先に歩き始めた二人の男に、黙って従った。

 スーサシアの王宮にミサイル攻撃まで仕掛けた軍の本部というからには、さぞかし規模の大きな騒々しいところだろうとタクヤは想像していたが、実際には簡素なものだった。地図が壁に貼られ、レーダや通信機の端末が数台並んでいるだけで、10人ほどの龍人たちがモニターで状況分析を続けていた。二人のリーダーらしき龍人が、中央の大テーブルの前に立ち、全体を把握しつつ対応を語り合っていた。
 ツーコアは、その二人にタクヤたちを紹介した。佐々木会長と、プレーリー・ダンだった。
「ほほぉ、我々が戦っている国の王子が、こんなところに直々においでいただけるとは光栄だな」
 と肥満気味の佐々木会長は、皮肉な笑みを浮かべてタクヤをにらんだ。
「忙しいさなかで何も歓迎はできませんが、どうぞよろしく」
 と細身の黒い肌をしたプレーリー・ダンは、なめらかな口調で言った。
 ツーコアはやや戸惑い「女王から連絡は入っていませんか?」と二人に質問した。
 佐々木会長は目線で「後は任せる」とプレーリー・ダンに伝え、戦況分析に戻っていった。
 プレーリー・ダンは四人に歩み寄った。
「もちろんうかがっていますよ」
 ツーコアは少しホッとした表情をした。
「で、あなたは……祈り師の方ですか?」
「はい。ユリと言います」
 プレーリー・ダンは、その名前は知っていた、と言いたげに頷いた。
「では、タクヤ王子の症状を拝見できますか?」
「そそそそそそんな、わざわざ見せるほどのものじゃないっスよ」
 とタクヤはあわてて手を振った。
「せっかくおいでになったのですから、それだけは拝見させていただきます」
 男の言葉は丁寧だったが、有無を言わせない強引さが感じられた。
 タクヤは近くの椅子に腰掛けて、ズボンをまくった。
「ほら、こんなの、べつにわざわざ見るほどのもんじゃないと思うけど」
「なるほど。いったん毒素が皮膚に集まり、そこから再び全身を攻撃する。うわさ通りです。それにしてもこのように鮮やかな青色とは想像していませんでした。こういうものなのですか?」
 プレーリー・ダンは顔を上げ、ユリとヒッコリーに向かって質問を投げかけた。
「私はまだ祈り師として新米ですので、症状は詳しくありません」
「で、あなたは?」
 その問いに、ヒッコリーは目を細めて男を見かえした。
「プレーリー・ダン……聞いたことがある名前じゃ。カテナ村で生を受けたものではないか?」
「そうですが……あなたは?」
「ワシはずっと西の川にすんでおるヒッコリーじゃ」
「すみません、そこまでは存じません。私は幼い頃から、イラフトに移って育ったもので」
「だが、自分の親のことは知っておるのだな。あの勇敢な人々のことを……」
 プレーリー・ダンは遠くを見るような目つきでヒッコリーを見た。
「私の父を、あなた……ご存じなのですか?」
「ワシはな、あんたの父さんの仲間じゃった。一人だけの生き残りじゃ。せわになった。ワシだけ、のろまでドジなもんだから、後方に残されての。足手まといだと、セノラさんに怒鳴られて。……のう、タクヤ、ワシは今でも足手まといじゃろ?」
「そりゃあもう、最強に足手まといですよ。足手まといすぎて、かってに長生きしろってなもんですよ。バカですよ、あんた。うちで畑仕事でもしてればいいのに、無理しちゃって。誰のために薬なんか飲んでるんですか」
「ま、そういうことじゃ。けれど、ここで長い話はできまい?」
「そうですね」
 プレーリー・ダンはタクヤの足の観察を終えると立ち上がった。
「今のところは威力の弱い誘導ミサイルだけですが、翌朝にはスーサシアの地上軍がやってくる可能性があります。あちらの世論が求めるものは、主に三つです。国際的なテロリスト集団龍人族の基地の破壊、女王ユリの逮捕もしくは殺害、タクヤ王子の救出。しかし、あなた方がこの中枢にいる限り、敵も無謀なことはできない。また、あなた方は我々の真実をかいま見たはずです。この戦いの意味を正しくスーサシアに伝え、早急に国の世論を変えていただきたい。今の地球の現実は、問題の先送りを許せる状況ではない。そのことをすでに理解し、あなたたちなりの責務を感じてらっしゃる。そうですね?」
 タクヤとユリは一瞬とまどったが、すぐに黙って頷いた。
「よろしい。交渉がまとまったら、あなた方をスーサシアに引き渡します。交渉がまとまるまで、しばらく休んでいてください」
「しかし、その交渉は、まとまりそうなのか?」
 ヒッコリーが眉を寄せて疑わしそうに聞いた。
「おそらく大丈夫でしょう。地下での戦いとなれば、あちらも相応の人的被害を覚悟せねばなりません。むこうもその前に手を打ちたいと考えているはずです。また、王室のとりまとめ役になっている海軍の男が、積極的に交渉したがっているようですし」
「その男、名前はわかりますか?」
 タクヤは思わず質問した。
 プレーリー・ダンは近くのテーブルの書類を確認した。
「そう……トーマス・ラインという男ですね。ご存じですか?」
 タクヤは深く深呼吸をして、味方なのに敵のような、あの奇妙な男のことを思い出した。
「真面目な人です。でも、なんだか冷たいんですよ。本心が分からない」
 タクヤの実直な言い方に、プレーリー・ダンは皮肉そうに口元をゆがめた。
「タクヤ王子、あなたがね、素直で温かすぎるのです。珍しいと思いますよ、あの王宮の人にしては。なんだか私はあなたの声を聞いたとき、本当の意味で希望を見つけたような気がしました。やはり女王が言っていたことは本当だったんですね」
「え?」
「女王ユリは、かつて特別に優秀な祈り師だったそうです。スーサシアの祈り師の中でも、けた違いに優秀な。そして自ら世界の真実を知ってしまった。そのことは既にご存じの通りと思います。しかし、あるいは……これは私の推測ですが……王宮を去る前に、誰か重要な人物の心に何かを埋め込んできた……そのようなことも、実際にやっているかもしれません。例えば、何かをきっかけに、あることを思い出したり、逆に記憶を失うような……」
「プレーリー・ダンさん!」とユリが突然叫んだ。そして首を振った。たとえ憶測だとしても、それは口にしてはならないことだ、と伝えるために。




17 レストランにて


 タクヤたちは地下街のレストランで待機するように指示された。かつては普通のレストランだったらしく、人口レザー張りのボックス型シートが並んでいたが、さすがに『客』は誰もいない。数人の龍人たちがキッチンの奥で忙しそうに料理をしていたが、それは主に部隊への配達用だった。休憩に来る人用に、ドリンクバーと、パンのカゴが用意され、それぞれ「自由にどうぞ」と張り紙がしてあった。
 自分でカップにコーヒーを注いで席に着くと、タクヤは思いきってユリに質問した。
「ユリ、君は何を知っているの?」
 ハーブティのカップを両手でつつむように持ったユリは、温もりを額に当ててつぶやいた。
「……タクヤ……ごめん、やっぱり私には言えない……」
「なぁ、ヒッコリーさん!」とタクヤは大声で言った。「あんた、へんな薬飲んでさぁ、酔っぱらってるんなら、未来とかババッと見えちゃってさ、案外全部わかってたりするんじゃないの? 知ってるなら教えてくれよ!」
 ヒッコリーは厳しい目をして首を振った。
「今は、それは、知らんほうがいい。つらいだろうが、耐えてくれ」
 タクヤは思わず席から立ち上がった。 
「くそ、どーしてだよ! 何を隠してるんだよ! 何が起こってるんだよ! 信頼とか、仲間とか、そういうことって、どこいっちゃったわけ? こんなんじゃ、僕はいっしょに旅できねーよ。ねえ、教えてくれよ! 何をかくしてるんだよ! 僕はいったい誰なんだよ! 頼むからさぁ!」
 優しく美しいユリの顔……その濡れた瞳に冷たい光を見たとき、タクヤはある言葉を思い出した。脳裏に突き刺さる言葉。祈りの治療の際に感じられたことだが、無意識のうちに避けていた言葉。 

  ユリの死

  え?

  そうなの?

  この旅で、ユリの命は消えてしまうわけ?

  せっかく、出会って、ここまでいっしょに歩いてきたのに?

  なんで?
  
  僕はどうして、君のことが、好きなんだろう

  どうして君のことが、大切なんだろう

  そんなのわからない

  でも、もっと愛そう

  全開で好きになろう

  今だけかもしれないから

  すべてが終わる前に

  それしかないじゃないか

  わかってるんだろ?

  全部つきあってやるよ

  つらくてもさ

  君のことが好きだから

  ちゃんと見とどけてやるよ

  最後まで


「わるいんだけどさぁ」とタクヤは鼻をすすって、無理に明るく言った。「ぼぼぼぼボクは、ちょっとトイレかな。ウンコしてくるからさぁ、長くかかっても心配すんなよな。ゆゆゆゆっくりウンコできるのも、これが最後かもしれないし。この先どうなるかわかんないもんな。はっはっは」
 レストランの扉を開けて通路に走り出ると、いきなり涙があふれてきた。タクヤは涙を拭くことも忘れて前を向いて走った。『非常口』と書かれた扉があった。そこに入り、らせん階段を駆け登った。意味も考えず、まるで昇り続けることが、彼の密かな戦いであるかのように。そして地上にたどり着き、扉を開けて外に出ると、目の前に広がる破壊された荒野に向かって、タクヤは力の限り叫んだ。

「ユリ、運命なんて、全部、変えてやるからな! スーサシアの王子の力を、甘く見るなよ!」

 タクヤは、その場に泣き崩れた。自分の無力さ……その現実は、目の前の破壊だけでなく、自分の内側にもあった。どんなに叫んでも、願っても、この足は治らないし、そこから伝わってくるものも変わらない。ユリの祈りも、まだ効果が現れてはいない。何よりも自分自身が、ますますユリに負担をかけていく。
 足に潜む何か。それが何かはわからないが、確実にタクヤの運命に関与していた。思えば、最初から、その関与は存在していた。不可解ながらも重いものとして。そこにあるのは死。それは変えられないのだ、と。その『声』は、タクヤ自身のものと思われた。自分で自分にうそはつけない。


 心は、最初から知っていた。

 海からの風の意味。
 消えていく何か。
 一人で歩む砂浜。
 遠い声。
 波の音。
 空を飛んでいく鳥。
 忘れかけた幼い日の記憶。
 取り戻せない声。
 思い出せない笑顔。
 消えていくあこがれ。

 最も大切なものを失って
 それでも歩き続けなくてはならないのか。
 何を求めて?

 ずっと思い出せなかった言葉。
 道は、ひとり。
 でも、心はつながっている……

 軍の本部では、佐々木会長がテレビ電話で語り合っていた。相手はスーサシア国のライン特佐だった。 
「タクヤ王子の身柄は無事である。がはは」
「言うまでもないことと思うが、我が国の大切な王子を一介の捕虜のごとくあつかえば、どうなるかわかっているだろうな?」
「心配すんな。女王直々におもてなしをした。特に不満も言ってなかった。ま、交渉の段取りさえ整えば、すぐにお帰りいただくつもりだ。がはは」
「悪いが」とラインは冷たく言った。「交渉の段取りうんぬんを議論している時間はない。まもなく攻撃ヘリの部隊がバナの遺跡に到着する。そこですぐにお渡しいただきたい」
「地上軍の到着は明日の約束じゃなかったのか」
「約束など関係ない、これは戦争なのだ」
「まったく、無茶を言いやがる。ある意味、無条件降伏の要求ということか? 我々の組織が、一つの国家ということではなく、世界に同朋を持ち、文明の方向性を変えようと戦っていることを忘れるなよ。この戦争は、いわば表に現れた一つのメタファーに過ぎない。今日の勝ち負けは、大きな問題ではないのだ。なんならバナに核爆弾でも落としてみろ。それでも根本的には何もかわらんぞ。がはは」
 ラインは、グロテスクな虫類を見るかのように口をゆがめ、無理に作り笑いを浮かべた。
「そちらの言いたいことは理解しているつもりだ。王子の命が無事であれば、今回の作戦はいったん集結とする。国の世論、また議会の圧力は、それで納得はしないだろうが、我々は事態の緊急性とともに、根深い環境問題とリンクしている現実の深刻さも理解している。いずれ国民にも今日の判断の正しさが理解されるはずだ」
「王子を返せば、チャラにしてやる、ということか?」
「そうだ」
「ラインさんや、あんた、そんなむちゃをここで決断してしまっていいのかな?」
「王自身が、それを望んでおられる。問題の根深さも、正しく理解された上で。わかるな? つまり、そういうことなのだ」
「王の意向か。ま、そうなんだろう。信じないわけではない。しかし、どうだ、王と直接話はできんか? 王子の命は大切な我々の最後の切り札。やはりお互いボス同士が交渉して、きちんと納得するべきと思うが?」
「わかった。それは可能だと思う。では、30分後に、再び」
「よろしくたのむぞ、こちらも女王に話を通しておく。がはは」

 レストランに戻ってきたタクヤは、言葉もなく座っている三人を見て、やっぱり僕がいなきゃだめだよな、盛り上がらないよな、と思った。
「みんな、元気出そうぜ。僕なんか大きなウンコ出してきたし。出すもの出すって幸せだよ」
 ユリが苦笑して彼を見た。
「もー、タクヤって下品なんだから」
「悪いけど、僕にだってデリカシーはあるよ。そうそう、デリカシーといえば、僕とヒッコリーさんが乗った馬さ、なかなか繊細なやつだったよね。ゆれますさかい気をつけて、なんて。自分の背中に乗った人に、ゆれますさかい、なんて言うのって、なんかすごくヘンだよね」
「タクヤ……」
 ユリは心配そうな顔をした。
「なに?」
「あまりそういう能力は、解放しない方がいいと思うんだけど」
「大丈夫だよ。馬の名前はヒュウマって言うんだ。ヒュウマとありふれた世間話をしていて、それが能力の解放かっていったら、それはかなり違う気がするし。そんな大それたもんじゃないよ。ねえ、ヒッコリーさん?」
「だの。おまえは馬と話していると、本当に幸せそうじゃった。ユリと話しているときと同じくらい幸せそうじゃった」
 タクヤは急に顔を赤くした。
「あのねぇ、ヒッコリーさん、そういうふうに話をずらさないでくれるかな。あんたにこそデリカシーってものがないんだよ。ちょっとはあの馬を見習ってほしいよ」
「でも」とユリは微笑んだ。「そんなにいい馬さんだったら、やっぱり私もいっしょに乗りたかったな」
「だろ? だから言ったんだよ。こんなジジイじゃなくて、ユリといっしょだったら、きっと馬ももっと楽しめたと思うし」
「いつか、いっしょに乗りたいね……戦争とか、旅とか、全部終わって、自由に世界を行き来できるようになったら」
「そうそう、あの列車にまた乗ろうよ。ユリは列車の旅が一番幸せそうだよね。あの話が長い車掌さん、自分の車掌車が爆破されてショックだろうけど、きっと仕事は続けるよ」
「ミサイルで線路も壊されているかも……」
「大丈夫だよ、心配ないって。壊れたら、またあの筋肉モリモリの男たちがすぐに直すだろうし、あの車掌さんなら、ま、話は長くなるだろうけど、結局は愚痴をさんざん言いながら仕事にもどってるはずさ」
「私、オミヤマ師の村にもまた行きたいな。すごく空気がきれいなところだった。お魚も美味しかったし」
「でも、あそこって、海から船で行くしかないんじゃないの? どうなの、ヒッコリーさん」
「まあ、そうじゃな。陸の道は汚染されている。空気そのものが尋常じゃない」
「てことは、あそこに行くつもりなら、私、またあの船にゆられなきゃいけないわけ? いやだな、それは、もう……」
「ユリ、大丈夫だって。僕がついてるって。吐きたくなったら、いくらでも吐いていいから」
 ユリは船のゆれを思い出して、泣きそうになった。
「私、いっぱい吐いて船を汚しちゃったよね。イルカのシロにもかけたこと、思い出しちゃった」
「大丈夫だって。ベツに服は汚れなかったって言ってたし」
「タクヤ……」とユリは苦笑した。「その冗談は前に聞いたよ」
「いいじゃん、ヒッコリーさんとツーコアは初めてだし。な?」
 ツーコアは探るような目でタクヤを見た。
「おまえたち、たくさん、旅をしてきたんだな」
「そーでもないって」とタクヤは頭を掻いた。「自発的な選択でもなかったし」
「そうそう。結局、みんなに翻弄されてる、って感じよね」
「私も、旅はたくさんした」
「え?」
 タクヤは意外そうな表情を隠さなかった。
 ツーコアは前を見つめたまま、低い声でゆっくりと話し始めた。
「そもそも、私が剣を持ったのは、役者としてだったのだ。戦うための剣ではなく、見せ物としての剣だった。その頃は楽しかった。自分の家族も持ち、幸せになっていくと信じていた。しかし芸の旅を続けているうちに、化学物質の害が、おそらく食事から我々を襲った。どうにもならないイライラのなか、私は間違って役者の仲間を殺した。怪我でおさまるかと思ったが、結局、助からなかった。家族も症状が進行し、理不尽な怒りを抱えたまま、次々と死んでいった。私は一人になり、傭兵になった。テロリストだ。信念というより、私には、すべてがどうでもよかったのだ。怒りと破壊のみが、生きながらえる理由だった。そこにのみ、微かな生の意味を見いだしていた。しかし、それも長くは続かなかった。家族を襲ったのと同じ症状が、私を襲ったのだ。たまたま戦いの仲間が、龍人族のことを知っていた。私は女王に会い、泉で癒された。おそらく、私の命はもう長くはないだろう。このごろ改めて考えるのだ。命とはなんだろう、と。私はたくさんの人を殺した。テロリストとして、罪のない女子供までも命を奪った。それが、私だ。ユリ、祈り師なら、おまえは、私を癒せるか?」
「ムリじゃよ、ムリにきまっとる」
 ユリの代わりに、ヒッコリーが速攻で断言した。
「言っただろ。おまえを救うことはできん、って。しかしな、おまえが愛するものは、救ってやることができるかもしれん。それが大切なことなんじゃ。それができれば、人はたいてい幸せになれる」
「祈り師が、私を癒すのではない。しかし、幸せにはできる、ということか?」
「まあな」
 ヒッコリーに先を越されて断言されても、なおツーコアのために祈りを試してみようかと迷いを見せているユリを押さえてタクヤが聞いた。
「ヒッコリーさん、だったら僕の愛する人のことも、幸せにできますか?」
 ヒッコリーは首を振り苦笑した。
「ははは、そういうことはワシに聞くことではないだろ。ワシはツーコアの悩みで手一杯じゃ。ま、おまえのこととか、地球のこととか、そういうのはな、おまえの父である王様に相談するのが一番だ」
「え?」
「おまえのオヤジさん、スーサシアの王なのじゃろ?」
「父さん……」
「ま、心配せんでも、もうじき会える。運命はそういう方向に進んでおる。なあ、そう思うだろ、ユリも?」
 ユリは口元をきゅっと結んだまま、決意を込めて頷いた。






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