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キッチンで働いていた龍人が「できたてだから、どうぞ」と言って、キノコのスープを持ってきてくれた。タクヤたちはスープとパンで、つかの間のなごみの時間を楽しんだ。
食べてしまうと、ヒッコリーは「少し疲れた」と言い、別のソファーに移って横になった。ツーコアも同様に休んだ。
ユリはタクヤのカップも持って立ち上がり、ドリンクバーでコーヒーとハーブティをつぎ足してから、テーブルに戻った。
「どうぞ、タクヤさま」
タクヤは苦笑して「ありがとう」と受け取った。
「私も、疲れたかな……」
「ねえ、ユリ」
「ん?」
「身体、大丈夫?」
「うん。少し疲れてはいるけど、まあ、なんとか」
「本当は何か深刻な病気を抱えているとか、そんなことはない?」
「どうしたの」とユリは苦笑した。「いきなり」
「いや、ちょっと心配で」
「べつに、深刻な病気とかはないよ。あなたを前にして、申し訳ないけど」
「本当に?」
「うん。健康だけが取り柄だからね」
「そうか……」
タクヤは一人で混乱してしまった。
「ごめん。な、なんか、どうしたんだろ、自分でもわからなくて」
「ねえ、どうしたの?」
「あのさ、勝手な想像でもうしわけないんだけど、ユリって、なにか、すごく重大な決意をしてない?」
「まあ、それは、そうかも。……だって、ほら、いろんな厳しいことがあったし。こうしていっしょにいるあなたは、戦争をしている国の王子様でしょ。そんな人と共に旅をしていたら、私だってなにか決意をせずにはいられないよ」
タクヤは頷いたが、しかしそれでは全く話の筋が通っていない。
「ねえ、ユリ、せっかく美味しいキノコスープとかいただいて、なごんでいるときに申し訳ないんだけど、僕さ、さっき、トイレに行くって言って、外に出てって、本当は思いっきり泣いてきたんだ。わかる?」
ユリはまっすぐにタクヤの目を見た。
「僕なりに悩んでるんだ。つらくてさ。いつもユリに祈りの治療をしてもらって、そのときに心がつながって、僕なりに感じるものがあるんだ。言葉にするのは、とても恐いことだけど」
「どうしても、はっきりさせておきたいのね?」
タクヤは、ユリの目を見て頷いた。
隣のシートでヒッコリーが「う〜ん」とうなった。
タクヤは、じゃますんなよ、と言いたげにそちらを睨んだ。
「私ね、新米の祈り師だし、すべてをわかっているわけではないし、どこまで答えられるかわからないけれど、いいわ。この先のことを思うと、今、語り合っておいた方がいいかもしれない。言ってみて、タクヤが、感じてること」
「ホントに、いいんだね?」
「はい」
タクヤは頷き、思いきって質問した。
「ユリって、死ぬつもり?」
「え?」
「違う?」
ユリは戸惑い、苦笑した。
「私……そんなこと言った?」
「いや、言いはしなかったけど、感じるってゆうか、想像したってゆうか」
「そういうつもりはないよ。そりゃ、龍人族の人たちの覚悟を前にしたら、私も本気にならなきゃって思うけど、だからってすぐに死ぬことを考えるのは、あまりに短絡的すぎでしょ?」
「じじじじじゃあ、なんなんだろう。あのときに感じるのは。ごめん、自分でも混乱してきた」
「私こそ、ごめんね」
「謝らなくていいよ、ユリが悪いんじゃないから」
「ねえ、一つだけ、あなたには、きちんと言っておかなきゃって思ってることがあるの。どうしても、ずっと言えなくて、そんな自分に、いつも自己嫌悪を感じてきた。でも、それでタクヤは、私が死ぬことまで心配してくれて、泣いてくれて、そんなことまでさせて、ごめんね。私って、ひどすぎるよね。ホントに」
「ねえ、お願いだから、そんなこと言わないでくれよ。僕は何があっても、ユリのこと、信頼してるし。いっしょに歩いてきたこと、大切なことだし。だから、ユリが元気で、いっしょに歩いてくれるなら、僕は何があっても大丈夫だから」
「私ね……」
ユリはひとつ大きく息を吸ってから言った。
「私、愛している人がいるの」
タクヤは一瞬、それは自分に対する愛の告白だと理解し、心臓が高鳴った。
「タクヤのこと、すごく大切な人だと思っているし、これからも信頼を失ってほしくないんだけど、本当は、私は、愛している人がいるの」
「え? 誰?」
「ごめん。それだけは、今は言えない。わかってください。とても大切な人だから」
「そんなに、大切な人なわけ?」
ユリは静かに頷いた。
「とても大切な人なの。その大切さは、言葉で説明してもわからないと思う。あなたにとても近い人だし、今はまだ……」
タクヤは大きくため息をついた。何を勘違いしていたのか。気がつくのも恐ろしい事実。そしてコーヒーを一口飲んだ。
「ねえ、その愛ってさ、もう、お互い、通じ合っているということ?」
ユリは正直に頷いた。
「それって、つまり、愛し合っているってこと?」
ユリは再び頷いた。そのひとつひとつの頷きに、タクヤはナイフで心が切り刻まれているような気がした。
「まさか、ユリ、結婚してたりしないよね?」
「それに、近いの。ある意味、イエス」
「マジで?」
「ごめんね、タクヤ」
「いや、なんて言うか、まあ、ユリが幸せならさ、僕は、別にいいんだけど。そういう大切な人がいて、ユリは幸せなんだろ?」
ユリは、その問いには躊躇した。
「幸せかどうかということは、簡単じゃないし、一般的な意味では、私たちが幸せになれないことは自覚している。でも、すごく大切な人を、心から愛し、想いが通じているという事実は、やっぱり何よりも幸せなのかもしれない。今は、私には、これ以上は言えない。ごめんなさい」
タクヤは「わかったよ」と軽く手を上げた。「愛しあってるなら、それが一番だと思うよ。幸せって、やっぱそういうことだと思うし」
「ねえ、私、こんなこと、言わない方がよかったかな?」
「いや、そんなことないって。ユリって、いいやつだし、かわいいし、そりゃ付き合ってる人ぐらいいても不思議じゃないよ。そんなことで驚いていたら、命がけの旅なんてできないよ。彼氏がいたって、ユリは僕にとって大切な旅の友さ。ところで、ほら、コーヒーのお代わりしてくるけど、ユリは?」
ユリは首を振った。
タクヤは席を立ち、ドリンクバーに行って、ぎくしゃくと震える手でコーヒーをサーバーからカップに注いだ。席に戻ってくると、腰掛ける前にユリに言った。
「僕もさ、ちょっと、疲れちゃったかも。悪いんだけど、あっちの席で休んでていい? ちょっとだけ」
タクヤは、ユリから離れたシートに腰掛けた。そのまま脱力して横になり、天井の茶色くなった古い壁紙をじっと見つめた。
自分の想いの浅はかさに、自らあきれ果て、これ以上思考することすら、バカバカしく感じて。
19 母
そういえば、小さい頃は、なんだかいつもさびしい食事だった……
「ねえ、せっかく旅行にきてるんだからさぁ、もうちょっと、おいしいものとか、そういうの食べようって思わない?」
「お父さんが忙しいから」
「そーかなー? なんだか、そうは思えないんだけどなー」
「まだタクヤには、わからないことがいっぱいあるのよ」
「父さんって、いつも夜になると、どっかいっちゃうよね」
「男の人はそういうものなの」
「どうしてお母さんはいかないの?」
「私がいっても喜ばれないから」
「男の人だけ?」
「そう、男の人だけ」
「じゃあ、僕は?」
「子供もダメなの」
「やっぱり? そうだと思った。いいよ、母さんといっしょだから」
「私も、タクヤといっしょなら、別にいい」
「ねえ、二人だけでどっかいっちゃおうか?」
「そうね……外に月を見にいこうか?」
「そうしようよ。ねえ、カメラとか持っていく?」
「いいわよ」
「でも、夜の空とか月とかって、うまくとれるのかなぁ」
「マシーンさんがいたら、こまかく教えてもらうんだけどね」
「いいよ、あの人はこっちにいないもん。とりあえず、もっていくね」
二人は宿泊施設から庭に出て、無人のゴルフ場に入り、銀の砂のように月明かりに輝く芝の上を歩いた。緩やかな坂を上り、丘の上のコース脇のベンチに腰掛けた。タクヤは何枚かシャッターを切ったが、うまくとれているかどうかわからないので、カメラはわきに置いた。
「もういいや、カメラ」
「ふふふ、本当にきれいなお月さまね」
「ねえ、祈り師のユリさんがしてくれたお話、してもいい?」
「いいわよ」
「えっとね、戦場にさく花の話。むか〜し、ある国で戦争がおきました。とても、すごい戦争で、みんな家を捨てて逃げちゃったそうです。おわり」
「え? それだけ?」
「うそ。本当はすごく長いの。えっとね、そこに、しょーすーみんぞくがいました。戦争で、しょーすーみんぞくの人たちは、みんなから虐められて、殺されたり、ものを奪われたりしました。だから、しょーすーみんぞくたちは逃げました。最初は、お金のある人もいたのですが、逃げて、あちこちいくうちに、だんだんお金もなくなってしまいました。できるだけ遠くにいくために、みんながんばったけど、お金のなくなった人は、もうそこから先にいくこともできなくて、そのへんで生活しました。だから……えっと、なんか他にもいろいろあったんだけど、とにかく、ある女の人は、そこで旅をやめました。そこで、働いて、歳をとりました。すっかりおばあさんになってから思いました。私は、生まれた国から逃げて、やっと生活はしてきたけど、なんにも残ってない。あるのは狭い部屋と、毛布だけ。これが、私のすべて。最後に、どうか、神さま、お願いをかなえてください。私が死んだら、花を供えてください、って。
そして、おばあさんは死にました。村の人が埋めてくれたけど、花なんてない貧しいところだったから、誰も花を供えませんでした。でも、ある日、死んだおばあさんを埋めた土地から、芽が出てきて、花がさきました。最高にきれいな花でした。おわり」
母はしばらく月を見上げてから、タクヤの肩を抱いた。
「ユリさんって、お話が上手なのね」
「うん、いろんな話をしてくれるんだ」
「いい人ね」
「どうしたの? なんだか、悲しそうだよ?」
「いいの。ほら、よく言うでしょ、いつまでも、あると思うな親と金、ってね。王室では言わないことだけど」
「どういうこと?」
「私のあと、ユリさんにお願いしておこうかなと思って」
「なにを?」
「ううん、なんでもない。タクヤは、ユリさんのこと、好き?」
「好きだよ。ちょっと恐いとこもあるけど、でも、普通の絵本なんかより、よっぽど面白い話をしてくれるし」
「そっか。よかったね」
「ねえ、母さんって、どっかいっちゃうの?」
「いかないわよ。いつまでもタクヤといっしょ」
「本当に?」
「本当」
「いつまでも?」
「そう。私はタクヤの側にいる。ずーっと、いつまでも」
20 夜間飛行
レストランでの浅い眠りの中、時間が逆行したような懐かしい気分の夢を見ていたタクヤだが、ふと気がつくと、側にツーコアが立っていた。
「タクヤ、おまえたちのむかえが来た。行こう」
「え、ああ、もう来ちゃったのか」
タクヤは起き上がり周囲を見た。ユリはテーブルに頬杖をついて考え事を続けていた。開けなくていいものを開けてしまったかのような気持ちで後悔しているのかもしれない……
ヒッコリーは立ち上がってドリンクバーに行き、何かぶつぶつ言いながら新しい茶をカップに注ぎ、うがいをして呑み込んだ。
タクヤはツーコアを見上げて言った。
「ツーコアもいっしょに行くんでしょ?」
「いいや、私はここからは出られない。よその国の変化や食事に、耐えられる身体ではない」
「なるほど」
タクヤは頷いてから、ツーコアの深い目を見た。
「ありがとう。いろんなこと、教えてもらった気がするよ。最初は憎しみしかなくて、事情もよくわからなかったけど、というか、今でもよくわかっているとは言えないかもしれないけど、でもさ、見るべきものは見させてもらった気がする。もしも僕が、本当にスーサシアの王子なら、きちんとした王子として、君たちのこと、絶対に忘れないから。ツーコアや、女王ユリのこと。だからさ、また会おうね」
ツーコアは奇妙に口元をゆがめて微笑んだ。
「また会おうとは、考えてみれば、面白い挨拶だな。そんなことは馬鹿にしていた。明日などないと覚悟し、瞬間を極限まで生きることが理想と信じていた。戦いぱかりの現実の中で。『また会おう』……なるほど、それもまた、いいかもしれない」
「長生きしてくださいよ。さて」
タクヤは立ち上がって、ユリに声をかけた。
「ユリ、行こうよ。ここからまた、新しいなにかが始まるんだ。そうだろ?」
ユリは、むしろユリ自身が傷ついているかのような、つらそうな表情で顔を上げた。それでもいつも通りのタクヤの前向きな姿勢に接すると、やっと笑みが戻ってきた。
「ですね」
周囲を埋めた砂煙が移動するのを待って、タクヤたちは爆撃を逃れたハッチから順に外に出た。高く巨大に舞い上がった砂塵の雲から、徐々にヘリコプター編隊の姿が現れてきた。
ローターの回転がゆるまった機体から、ライン特佐と部下たちが降りてきた。
ラインはなめらかな動きで歩み寄り、プレーリー・ダンとツーコアに軍隊式の挨拶をした。そしてタクヤに身体を向け「お迎えにあがりました。ご無事でなによりです」と、以前と同じクールな声で言った。
タクヤはこんな時、王子としてどう対応すればいいかわからず、とりあえず「わかってるよ」とだけ言って頷いた。
タクヤの気持ちとしては、これは迎えというよりも、やはり一種の強奪という気がした。海賊や龍人たちは、確かに手荒に強奪した。もちろんラインたちは丁寧な態度だ。しかしタクヤ個人の意思を無視しているという意味では変わらない。『自分の意志』ってなんだろう、とタクヤは考えた。少し前までは、こういうごたごたからすべて離れて、ユリと二人っきりでのんびり過ごしたいと思っていた。そればかりを願っていた。親密に愛を語り合うとか、あからさまにいちゃつくことではなくとも、とにかく二人で親しく時を過ごせれば、それでいいや、と。しかし既に今は、そんな簡単なことではなくなっていた。ユリと二人きりでいたとしても、ユリが慕っている人は別にいるのだ。それでも、ユリと二人で歩いていきたい、とタクヤは強く願った。友達として大切な人だから? それともユリをその相手から奪ってしまいたい? 自分が本当に王子なら『奪う』ということは可能なのではないか? もちろんユリに嫌われては本末転倒だけれど……もちろん今は、そんな個人的なことを考えている場合ではないけれど……
ムシされる『自分の意志』。
公式行事ふうの引き渡し手続きが進む間、タクヤは無言のまま、そんなことを考え続けた。
先導する10機の攻撃ヘリに続いて、タクヤたちの乗ったヘリがローターの回転を速めて離陸すると、ユリはいきなり吐き気を憶えて、手で口を塞いだ。
「……やだ……もう……」
タクヤは軍の人から受け取った汚物入れの袋を開き、ユリの肩を強く抱いて「大丈夫だから、僕たちがついてるから!」と言った。
二人の様を見たヒッコリーは、轟音の中で大笑いした。
「おまえたち、仲がいいのぅ! ある意味、ヘリに感謝じゃ。なあ、タクヤくん!」
「ちがうんだよ! そんなんじゃないわけ! なんにもわかってないじいさんは、黙ってればいいんだよ!」
「黙っとってもいいが、その方がつらいぞ! こういうのはな、冷やかしたり、喧嘩したり、わいわいやっとった方がいいんじゃ! ほー、いい眺めじゃのー。おっと、反転したぞ。抱き合ってうつむいてないで、外でも見ろ。砂埃でなにも見えんわ!」
「ヒッコリーさんって、ホント、バカだよ! やなジジイだよ! いつも肝心な時になにもしないし、だから成す術もなく連れてかれちゃうんだ。なんのためについて来てるのか、さっぱりわかんないよ!」
「そりゃあ、ジジイはジジイだからの! お年寄りは大切にしましょう!」
その一言が、ユリにうけた。肩をふるわせて笑い、タクヤに「大丈夫だから」と頷いた。
ヘリは上昇を止め、前のめりの水平移動に移った。
タクヤはユリから離れ、あらためてヒッコリーに愚痴を言った。
「ヒッコリーさんってさ、ホント役にたってるのか、たってないのか、サッパリわかんないよね! まあ、びみょーに役にたってるって言えば、たってるのかもしれないけどさぁ!」
「人間とは、深いのぅ!」
「でも、ある意味、じゃまな存在だよね!」
タクヤの正直さに、ヒッコリーは大笑いした。
「わからんぞ。そのうちワシより、ユリがじゃまな存在になるかもしれん!」
「そんなこと、あるわけないじゃん!」
「そう思うだろ? ところが、いろいろあるんじゃい!」
「どういう意味だよ!」
「まあ、ユリに限ったことではないが、男は恋人ができるとな、逆にその恋人がじゃまに思えてくるんじゃい!」
「別の人っていう意味?」
「違う。『つれあいの、好きも過ぎれば、じゃまなだけ』……完璧!」
「あのさぁ、それはヒッコリーさんの個人的経験でしょ。自分がそうだったからって、他人もそうだって勝手に決めつけないでもらいたいよ!」
「決めつけるっていうか、人類共通の『愛』のネイチャーだと思うがの!」
「なんてったって自分は自分! だよね、ユリ?」
話を振られたユリは、タクヤの目を見て頷いた。そして意気込む二人に、ゆっくりと窓の外を指さした。
既に太陽は地平線に沈んでおり、昼の名残の淡い光が薄紫色となって雲のない空に大きく広がっていた。終わりと、始まりの、狭間の時間。このフライトの果てにたどり着く場所では、全ての事情を把握し、彷徨する息子からの問いを待つ大国の王がいる……
タクヤの胸に熱いものが溢れてきた。この先に待つものの大きさと重大を思い、身が引き締まる。
神秘的な夕暮れの空を滑るように、ヘリは高度を保ちつつイラフト国へと急いだ。
日暮れからさらに四時間ほどのナイトフライトの後、いよいよ眼下にきらびやかな都会が見えてきた。最初はぼんやりとした星雲のようなものだったが、だんだんと大きく拡大し、やがて輝きの一つ一つがはっきりしてくる。ビルやハイウエイの生々しい明かりが、ヘリの移動によって、遠く近く、立体的に折り重なってずれていく。タクヤはその美しさに我を忘れて見入った。
ヘリの降下はユリに吐き気をもよおさせたが、気流の乱れによる揺れはほとんどなく、滑らかに国際会議場脇のヘリポートに着陸した。
タクヤたちは、すぐに待機していたリムジンに乗せられた。警察による護衛のバイク数台を従えて、王の滞在しているホテルに向かった。全てが計画されたままにことが進み、タクヤとしては心の準備をする暇もなかった。
VIP専用の閑散として広い入り口から、専用のエレベーターで最上階のエリアに向かった。エレベーター前の広間のような通路で、ラインたち軍人からフロア責任者に引き継がおこなわれた。そこからは白いロングドレスを着た女性たちが、三人を王の滞在する一角へと丁寧に案内した。
長い廊下と、いくつかの扉を開けてたどり着いたところは漆喰の部屋だった。そこには緩やかな普段着姿の王が、二人の従者を従えて立っていた
「よかった、元気そう……だな?」
「王様もお元気そうで何より」と、返事に困っているタクヤに代わってユリが答えた。「体調が悪く、急いで届けなければならないと聞いていたので、心配してました」
「まあ、私も内面的にはいろいろあるわけだが、まあいい。おまえたちの引き取りが無事に済んで、もめ事の方もひと段落だ。ずっと緊張が続いていたが、これで一段落だ。ここでは遠慮はいらない。ユリと……あなたは?」
「ワシはヒッコリー。タクヤとユリを守るために同行した。あんたの嫌いな海賊の村の者じゃ」
王は一瞬奇妙な表情になったが、大したことではないと判断したのか、すぐに頷いて、三人をさらに奥の部屋へ導いた。
壁面がガラスでつくられた開放的な部屋だった。壮観な都会の夜景が広がっている。タクヤたちは美しい従者に勧められてソファー座る。すぐに象牙色の優雅な衣装をまとった新しい女性がやってきて、フルーツの盛られた銀の皿をテーブルに並べ「お飲物などいかがでしょうか?」と三人に声をかけた。
タクヤとヒッコリーは、すっかり場違いなところに来てしまったかのような緊張感で顔を見合わせたが、ユリは落ちついた表情で「話が済むまでは、三人ともお茶かなにかで」と答えた。
象牙色の衣装の女性は柔和な笑みを浮かべて席を外した。
「さて、なにから話そうかな」と最後にソファーに腰掛けた王は、三人を見回した。「とりあえず、タクヤは、記憶がないのだな?」
「そうです」
「私のことも思い出せないか?」
「はい」
「たしかに、さっきから『あんた誰?』って感じの顔だ。母のことは?」
「旅の途中で、少し夢を見ました。もしかしたら、実際の記憶なのかも。でも、その程度です。はっきりしたことは何も憶えてません」
「それは、もしかしたら、いいことなのかもしれない。このタイミングで記憶を失うことはな。タクヤ、おまえは今、成人の期間なのだ。足に変化があるはずだが、それは王位を継ぐものとしての自覚を完成させる密かな行いの一部だ。ヤマトアザミは持ってきているな? よろしい、受け取っておこう。これがあれば大丈夫。明日、船に移って儀式を続けよう」
「足のことは予定されていたことだったんですか?」とタクヤが疑問を口にした。「それにヤマトアザミは、王のために使うのではなく、僕のために使うものだったんですか?」
「両方だよ」
先ほどの象牙色の衣装の女性が、ワゴンにティーセットを乗せて戻ってきた。しなやかな手つきでカップにハーブティを注ぎ、四人の前に置いた。王のカップを置く際に、マスコミへの対応に関して小声で耳打ちした。王は頷いて「ラインにまかせてあるが、必要なら30分後に連絡をくれるように」と伝えた。
そして三人に向かって言った。
「いい機会だから紹介しておこう。こちらは祈り師候補のルカ。こちらは息子のタクヤと、祈り師のユリ、海賊の村から来た……」
「ヒッコリーと申す」
「はじめまして」と女性は優雅に微笑んだ。「みなさんご無事でなにより」
「ルカはな、祈り師の勉強のため、私の身のまわりのせわをしてくれている。おいおい、ユリ、そんなに驚いた顔をせんでくれ。ルカは前から親しくしているイラフトの電力会社の社長の娘でな、国際交流の一貫として引き受けさせていただいたわけだ。わざわざ私がこちらまで来た理由の一つなんだ。もう一人、祈り師候補にハワイという女性もいるが、これはあとでおまえたちにつけるから、わからないことがあったらなんでも教えてもらうように」
ユリは戸惑いを隠せなかった。旅で汚れた外見も気にしているようだった。
「ルカ、今は下がってくれ、ありがとう。さて、成人の儀式の最中に、タクヤが過去の記憶を失ったこと、まさに悪魔のはからいというべきだが、私はこれを利用しようと考えている。なんでも前向きにとらえるのが好きなのだよ。そういうわけで、タクヤ、私といるときは親子を意識しなくていい。どうせ憶えていないのだ。な?」
タクヤは口を歪め、黙って頷いた。
「それでいい。私のことは、アリューサ王とか、王とか、好きに呼んでもらっていい。親子というより、成人した大人としてつきあおう。それがたぶん私たちにとっても正しい一歩だからな。まあ、しきたりにうるさいマシーンたちは別のことを言うかもしれないが、私は素直にまっすぐ物事をとらえたい。状況変化を取り込んだ最善策、というやつだ。自由な発想を大切にすることは、我々の『建国精神』だしな。自由を獲得するためにこそ、多くの勇気ある賢人たちが努力を傾けてきた。そして今の、このスーサシアの繁栄がある。
おそらくおまえたちは、寄り道先でいろいろ諭されたこともあるかとは思うが、スーサシアやイラフトのような自由主義国家が、単に搾取で贅沢さを謳歌しているとか、恵まれない人の生命や自由を軽んじているとか、そのようなことはないので、まあその目でもう一度しっかり見て考えてもらおう。情報を得て、学び、判断は自分自身でしていく、それが成人の意味でもある。その判断に対して、他者が意義をはさむことは、もちろんありうる。それはまた、意義をはさむ者の権利であり、自由だ。そういったダイナミックな衝突をへて、我々の未来は善き方向へと決定されていく。決して『臭いものには蓋をする』式の、安直にでっち上げられた希望ではないのだ。真に悩み、真に議論するところから、全てが始まる。それが我々の未来というものだ」
「じゃあ、龍人族のことは、どうするんですか?」
とタクヤは突っかかるように質問した。
「我々のスタンスは、とてもシンプルだ。テロは許さない。テロに関わったり、支援する者たちも許さない。我々の国民の生命は、なによりも優先される」
「地球の未来よりも?」
タクヤの疑問に、アリューサ王のよどみない説明が一瞬止まり、小さく咳払いをした。
「地球の未来は、もちろん大切だ。しかしそれは遠く未来に続くことだ。国民の命は、今のことだ。同じではない。同じではないものを、天秤にかけて考えるのは正しくない。両方を、それぞれに最善であるよう努力すべきなのだ」
タクヤには要領が良すぎる考え方のような気がしたが、ここではそれ以上議論する気にはなれなかった。タクヤが自分の目で見てきたものを、簡単に説明できるとは思えなかったから。
「とにかく龍人族との戦いは、いったん収束した。王子の奪回というニュースで、国民には納得してもらおうと思う。もちろん、もっと厳しく龍人たちへ報復すべきと主張する人々は多い。既に多くの罪のない人々の血が流されているのは事実だからな。しかし、今は、いったんこれで終わりとする。女王ユリも、久々に私と直接話をした。あちらも言いたいことは言ったはずだ。しばらくは静かにしていてくれるだろう。エネルギー問題を扱った環境会議も、まずまずの成果を残して終えることができた。これで明日から、タクヤの『成人の儀』に向かう用意が調った。問題は山積してても、きちんと善き方向に進んでいる。もしよければ、シャンパンでも持ってこさせようか?」
「そんな気分じゃないです」
と、タクヤは苦々しい表情で首を振った。
「では、そろそろ、今夜の部屋の方に案内させよう。その前に、もしもなにか言っておきたいことがあったら聞くが?」
「あのな……」
と、ヒッコリーが口を挟んだ。
「会議におけるエネルギー問題の成果って、なんだったんじゃ?」
「簡単に言えば、資源の有効利用と分配に関わる、先進国と発展途上国の交渉ごとがメインだった」
王はマスコミに接するときのような落ちついた口調で説明した。
ヒッコリーが王を睨んだ。
「要するに『どう使うか』という会議じゃの?」
「もちろん、そのようにも言えるが」
「『どう節約する』か、ということではなく?」
「当然、節約の視点は含まれている」
「しかし、環境会議でありながら、節約は成果ではない……のじゃろ?」
「自由主義経済において、経済が後退することは、成果とは言わない。それは基本的な常識だ」
「常識、か。で、成果を得たわけじゃな?」
「ヒッコリーさん」とユリが立ち上がった。「そういう話は、また次の機会にしましょう。今日は、疲れちゃいました。アリューサ王も、そうですよね?」
「けっ、次の機会なんてあるんかい」とヒッコリーはぐちを言ったが、その答えは自分でもわかっているようだった。「いずれにしろ、ここで言ってもはじまらん。んじゃ、ま、行くかの。タクヤは残るか?」
「僕も行きます。だって、特に個人的に積もる話があるというわけでもないし……」
三人は王におじぎをして去った。扉の外でひかえていたルカも、親しげに頭を下げた。そしてロングドレスの女性たちが、それぞれタクヤたちを部屋に案内するために現れた。
ヒッコリーは通路を歩きながら苦笑した。
「タクヤ、おまえはバカ正直だな。いちおうオヤジさんだろ。お世辞でも、積もる話はありますが、ぐらいに言っておけばいいものを」
「なるほど……でもさぁ、記憶がない僕にそんな気の利いたこと、期待されてもむりっス」
「わかっとるがの」
「あ!」
急にユリが立ち止まった。
「私、ちょっと戻る。タクヤの祈りの治療が今のままでいいのか、アリューサ王に確認するの忘れてた。先に部屋に行ってて」
止める間もなく、ユリは早足で戻っていった。
タクヤは、自分でもよくわからないまま、ユリの後ろ姿を見つめた。真摯に治療のことを考えてくれているユリに感謝の気持ちを抱きつつ。いつもタクヤのために労を惜しまないけなげな姿が、重々しいドアのむこうに消えるまで。
一時間ほどしてから、タクヤの指の通信機が振動した。
「もしもし?」
「あ、タクヤ、祈りのことだけど、アリューサ王に確認したら、今日は必要ないって」
「え、そうなの?」
「明日、船の方で、持ってきたヤマトアザミを使って新しいことをするから、今夜はなにもしないで早く眠った方がいいって」
「明日、なにされるんだろう?」
「私もわからないけど、悪いことじゃないみたい」
「痛かったり苦しかったりしたらやだな」
「そういうことは少しはあるかもしれないけど、でもきっと私の治療よりは有効だと思うよ」
「そうかなぁ……」
「ね、私も疲れちゃったの。今日はこのまま休んでいい?」
「ああ、もちろん。もう部屋なの? そっちの部屋、広い?」
「うん、広いよ」
「こっちも。広くて眺めが良くて清潔で。なんだか違和感強いんだよね。もともとの僕って、こういうのが当たり前の生活をしていたとは思うんだけど」
「あなた、気がついてから、ずっと旅が続いていたものね」
「ユリと二人で二段ベッド、みたいな方がよかったな」
「う、うん……」
「ユリはこういう贅沢、違和感ない?」
「あのぉ、王子様が違和感、感じるなんてヘンよ」
「そうだけどさぁ、でも、冗談ってわけでもないんだよね」
「私は……違和感ないこともないけど、これはこれで素敵なことだし」
「そうだね。これも前向きに考えた方がいいのかもしれない」
「タクヤ、ごめん、私、お風呂のお湯、出しっぱなしなの。もう切るね」
「ああ、おやすみ。また明日」
「また明日」
ところで、指にはめている通信機なのに、なんでお風呂のお湯を止めるために切らなくてはならないのだろう?
世の中って、まだまだ謎に満ちているな。
知らないこと、いっぱいあるな。
父親に会っても、なにも思い出さなかったし。
それにしても、この大きなベッドは寝心地がいい。
一日の最後に、ユリの声も聞けて、よかった。
ユリがその部屋で「誰といたのか」など、タクヤは考えもしなかった。今夜はやらなかった祈りの治療を頭の中でイメージし、祈りのときにも、共に歩むときにも感じるユリの誠実さを、胸が苦しくなるような気持ちで思い出した。そしてユリへの『信頼の灯火』が、まだ心の中で消えていないことを確認しつつ、未来に向けた淡い期待に包まれて、タクヤは目を閉じた。
21 王の息子
久々にゆっくりと眠ったタクヤに、新しい一日が訪れた。
まず午前中にホテルの会議室で、王と共にテレビの取材をうけた。問答の内容は、あらかじめ用意された短いもので、それだけなら憶えるのに苦労するほどではなかった。事務局からは「非常に微妙な国民感情があるので、それ以外は絶対にしゃべらないでください」と強く念を押されていた。その内容は、特に女王ユリを非難する言葉はなく、問題を平和的に解決していこうとする前向きなものだったので、タクヤはとりあえず指示に従うことにした。
若草色のしなやかな衣装をまとったタクヤが、王と共に広い会議室に現れ、撮影用の照明で輝く紅と金色の絨毯の上を進み、200人ほど集まった取材陣を前にした。
王が全体を総括するいくつかの質問に答えた後に、事件の当事者であるタクヤに対しても、いくつか質問が行われた。。
質問「女王ユリはどんな人でしたか?」
タクヤ「強い信念を持った人でした」
質問「ご自身の命の危険は感じられましたか?」
タクヤ「捕らわれているあいだは、特にそういうことはありませんでした。ミサイルの飛来は不安でした。あちらに暮らしている人のすべてが不安を感じたことでしょう」
質問「今後のことについて一言」
タクヤ「実際の戦いが、どういう結果をもたらすのか、身を持って学ぶことができました。ぜひ平和的な解決をお願いしたいと思います。お互いのために、心から」
取材を終えて控え室に戻ってきたタクヤに、ヒッコリーが言った。
「けっ、なんじゃあれは。ケツの穴が痒くなるわ」
タクヤは赤面した。
「だ、だって、しょうがないじゃんよ。ひじょーにびみょーなコクミンカンジョウ、なんて言われたら、僕にはどうしたらいいかわかんないもん。自分のことだけだったらいいけどさ、そのむこうには何億もの人たちがいるんだよ」
「おまえ、記憶は全部失ってても、いいやつっぽい素質はたっぷりあったからの」
「モンクある?」
「言ってもはじまらんじゃろ。ま、これは最初の一歩じゃ。おまえは、じきに『ただの飼い犬』になりさがる」
「どういうことだよ?」
「いや、だから、いいって」
と、ヒッコリーは投げやりに手を振った。
「なんだよ、その態度、むかつく!」
「気にしてもはじまらん。おまえの好きなようにしろ。こういうことは、人に言われてどうこうするって問題じゃない。おまえ自身の生き方の問題じゃからな」
「あのさー、だったら最初から何も言うな」
「ところで、おまえ、いい服着たら、やたら態度がでかくなってないか?」
「少しはそういうこともあるかもしれないけど、しょうがないだろ。僕だって人間なんだからさぁ」
「おだてられたら木に登る、か」
「おだてられるっていうかさぁ、まあ、そういうことはないこともないかもしれないけど、でもさぁ、やっぱ、大変なことだと思うよ。人億もの人たちの前に立ってものを言うってことは。失敗できないセキニン、っていうかさぁ」
「はいはい、よーくわかりました。ま、がんばってください」
「なんだよ、その言い方。もー。ねえ、ところでヒッコリーさん、ユリは見なかった?」
「先に船にいっとるらしいぞ」
「船? またぁ?」
タクヤはあきれて目を丸くした。
「おいおい、こんどはユリがゲロするようなちんけな船じゃないわい。王宮の大型船じゃ。昨日はたまたまホテルに泊まったが、基本的におまえの親父さんは船に滞在する人らしいぞ。外国に自分の船を派遣して、そこを宿にするんじゃと」
「なんか、それって贅沢なんじゃない?」
「贅沢も贅沢、贅沢の極み。おまえも行ってこい。贅沢でもなんでもしてきたらいい。なんてったって王子様じゃからな」
「ヒッコリーさんは?」
「ワシは港で魚でも釣っておる」
「は?」
「女を釣るほど若くもないのでな」
「そういう問題ですか?」
「ま、わりとそういう問題かもしれんぞ」
「……」
ヒッコリーが去ると、入れ替わりに、すらりと背の高い若い女性と、気むずかしそうなスーツ姿の男がワゴンを押して現れた。
「タクヤさま、こちらが普段着でこざいます」
女性はタクヤに淡いブルーの衣装を渡した。柔らかな手触りでありながらしなやかな芯のある絹の服だった。
「ありがとうございます」
「これからは、私、ハワイと、こちらのマシーンが、タクヤさまのお世話をしてまいりますので、なにとぞよろしくお願いいたします」
「ハワイさんと、マシーンさん? よろしくです」
「タクヤさまは、やはりワタクシのこと、憶えてらっしゃらないのですね?」
と男は悲しそうな表情を見せた。
「ワタクシ、マシーンは、王宮の問題児なのです。なぜ問題児かというと、ずっとお世話させていただいたタクヤさまが記憶を失われ、ワタクシのことを思い出していただけないことに対して、悲しみをかくせないからです」
「ごめんね、マシーンさん」とタクヤはあわてて言った。「でもさ、そんなに気にしないで。だってさ、僕なんか、父親に会ったって全然ピンとこないし、母親のこともほとんど忘れちゃってるし。なんか、一から出直し、『新装開店』って気分だからさ。今はそんな状況を、逆に楽しむしかないって感じ。だから、ほんと、よろしくお願いします!」
ハワイはマシーンにウィンクした。
「ほら、やっぱり本物ね。よかった」
「え?」
タクヤは目をぱちくりした。
「とても気さくなタクヤさま。私はあなたをユーワクしようとして何度断られたことか」
「は? えっ? なんのこと?」
「ていうか、本当はもうタクヤさまと私は、他人の関係ではないの。憶えてらっしゃらないかもしれないけど、身体の関係なのよん」
ハワイは目を細めてタクヤを見つめた。
「マ、マ……マジ?」
「うそ、ふふふ」
「あのさぁ、なにそれ! 記憶のない人をからかうなんて酷いよ、酷すぎるよ!」
タクヤは首を振ったが、急に懐かしい関係に戻ったような気もした。
「ねえねえ、タクヤさま、王様にないしょで学校の仲間とゲームショップを開いたじゃないですか。憶えてません?」
「ごめん、全然憶えてない。それもうそじゃないの?」
「これは本当よ。だってその店の名前『新装開店』ってつけたのタクヤさまですもん」
「は?」
「しんそーかいてん。いろいろ王宮のお宝とか持ち出して店の飾りにして。でもさぁ、店の名前が面白いのはいいんだけど、トラブルも多くてね、大変なんだから。はいこちら『新装開店』です、ではね。いつまでたっても『新装開店』なの」
「す、すみません……」
「いいのよ。おかげさまで、今はまあまあ軌道に乗ってるわ。店長のトムヤン君も頑張ってるし。ますます太ってきたけど、汗流して働いてる。タクヤさまに、よろしくって」
タクヤはハワイの朗らかな顔を見て、嬉しいような、悲しいような、複雑に気持ちになった。
「僕の知らないこと、たくさん知ってるんだね……」
マシーンは、優しくタクヤの肩に手を置いた。
「お気持ち、お察しいたします。タクヤさまの苦しみ、それは私たちが一番よくわかっているつもりです。王宮の執事として20年、ワタクシはいろんなことを知っておりますが、なにもできません。知っていても、いつも、なにもできません。だからいつもワタクシは王宮の問題児なのです」
「ねえ、その問題児って、……ほんとうは、むしろ僕のことだったりしない?」
「いえいえ、問題児はワタクシです。ですから、タクヤさまは問題児ではありません。外でもたくさん遊ばれましたし、様々な庶民的な体験を、王妃さまが大切に守ってらっしゃいました」
「でも、死んじゃったんだよね」
「はい……」
マシーンは目を潤ませて鼻をすすった。
タクヤはその話をいつかきちんと聞いてみたいと思ったが、今はまだその時ではない。
「じゃあ、まあ、僕は着替えることにするよ。で、このあとの予定とかあるの?」
マシーンは再び礼儀正しい執事の態度に戻って説明した。
「マンスフィールド号に移って、午後の治療のための検査をしてから、ライン特佐と軍事会議へのご出席。昼食の後、先の爆撃でなくなられた王宮の方々への追悼の儀式にご参列いただき、午後四時ごろには『治療』に入る予定です」
タクヤは一回では聞き取れず、同じことを三回言ってもらった。そして感想を述べた。
「ねえ、その予定ってさ、ちょっと無理っぽくない?」
「ですから、急がねばなりません。急がなければならないことがわかっていながら、こうやって久々の再会に胸をふるわせて話し込んでしまうから、ワタクシは王宮の問題児なのです」
「はいはい、もうわかったから」
とハワイはマシーンを押しやった。
「ね、その服の着方、わかるでしょ? ただ腕と足を通して腰をしばればいいだけだから。外で待ってるから、すぐ来てくださいよね。じゃ、またあとで」
タクヤはシンプルなのにフィットする素晴らしい服に袖を通しながら、王宮暮らしも悪くないかな、と思い始めた。
着替えを終えると、ハワイ、マシーンと共に黒塗りの公用車で港に向かった。丘を越えて港が近づき、その船を見たとき、あまりの美しさに思わず息をのんだ。
真っ白で優美な大型船、それがマンスフィールド号だった。前後に二艘の駆逐艦が停泊していたが、その三艘の並んだ眺めは、まるでタージマハルのように荘厳だった。これが自分の父親の船なのか……タクヤは鳥肌が立ち身体が震えた。すばらしい。すばらしすぎる。
たくさんの警備の人たちに頭を下げて、桟橋の近くで車を降りた。
うやうやしくスタッフに導かれ桟橋からマンスフィールド号に入ると、船内の美しさは外観以上であることを強い衝撃と共に思い知らされた。赤みのある落ちついた色彩のフローリング床、ポリエステル素材を巧みに使った壁面、品よく惜しみなく配された金細工、スーサシア国の象徴である白と蒼のベルベット生地、黄色と紅色の大胆なコントラストが美しいエネルギッシュな壁画……
「わお……ねえ、ぼぼぼぼぼ僕って、ななななななななにしに来たんだっけ?」
「まずは検査です」
マシーンは努めて事務的に返答した。
「うん、そうか、検査、そうだよね。でも、なんだっけ、検査って?」
「血液や皮膚を採取する程度だと思いますが」
「そうかー、なんかさ、すごいね、この船。ハンパじゃないね。世の中には、すごいものって、やっぱあるんだねぇ」
ハワイは「医務室に顔だしてくるから、先にタクヤさまを部屋に案内してあげて」とマシーンに言って去った。
マシーンは、きょろきょろして足取りの遅いタクヤをせかして、王子の部屋に案内した。エレベーターで移動し、警備区画を通り過ぎ、廊下の奥の部屋にたどり着いた。
「こちらでございます」
その部屋には、タクヤは見覚えがあった。入ったなり、立ちつくして見回した。
王宮で目覚めた最初の朝の、あの寝室と似ている。夢から覚め、ここがどこなのかもわからずに戸惑っているタクヤに、最初に声をかけてくれたのはメリルだった。
えっと、……ここは、どこ? あなたは、誰?
おふざけになってもダメですよ。今日は大切な日です。
ご迷惑でなければ、どうか、ごいっしょに乗り切ってまいりましょう
不思議な美しい色彩の服を着たメリル。首が変な具合に傾いて定まらず、最期にユリの祈りで表情がなごみ、この世を去っていった人。
タクヤはフラッシュバックに翻弄され、ソファーに倒れ込んで目を閉じた。
「お疲れですか?」
とマシーンが声をかけた。
「あ、ああ」
「のちほどお声をおかけしますので、しばしおくつろぎください」
「うん、ありがとう……」
タクヤは目を閉じた。
子供の頃のシーン。
女の子が小川の縁にたたずんでいた。
庭園から下る小さな流れ。
女の子は、枯れた小さな花を持ち、キスをしている。
タクヤは言った。
生きているものは、みんな死ぬんだ。
美しいものは、みんな失われていくんだよ。
だからこういうことは大したことじゃないんだ。
女の子はただ立ちつくし、泣き続けた。
そして振り返って、なにかを言った。
眉毛までの前髪の少女、
彼女がなんと言ったのか、憶えていない……
指輪が振動した。
「あ、ユリ?」
「私よ」
「偶然だね、今、ユリのこと、思い出していたんだ」
「私のこと?」
「ああ、たぶん、ユリだった」
「旅行中のこと?」
「ちがうよ。たぶん、もっと、ずっと昔のこと」
「記憶が戻ったの?」
「わからない。夢みたいなものかもしれないけど」
「どんなこと?」
「ユリは、あの時、なんて言ったんだろう……」
「なんの時?」
「小川の前に佇んで、枯れた花を持って、花にキスをしていた」
「わかんないけど、飼っていた鳥が死んだときかな」
「そんなこと、あったんだ……」
「とても悲しかった。私、一人で来たばかりのときは寂しくて」
「一人?」
「昔のことよ」
「そう……」
「どうしたの? なにかあった?」
「いや、自分の部屋に入ったら、王宮の寝室に似ててさ。急にメリルのこと、思い出したり。ノスタルジーかも」
「今ね、ハワイさんがこっちに来てたの。ドクターといっしょにそっちに向かったから、部屋で待っててくれればいいって」
「ユリは?」
「私はまだちょっとやることがあるの。でも、このあとの会議には、タクヤといっしょに出る予定よ」
「会議?」
「王も出席する軍事会議。いろいろあったこと、いちおう報告しておかないとね」
「僕は気が進まないな」
「とりあえず、王と幹部の数人が出席するだけの身内の会議だから、緊張しなくていいって。それより、あなたが言いたいことがあると思うなら、この機会にこそ、言っておくべきかもしれない」
「そうか……わかった。じゃあ、考えておくよ。またあとでね」
王の船で医者となれば、ドクター・シライに会えるかともしれないとタクヤは期待したが、やはりこちらには来ていなかった。代わりに30代の若い医師が二人の助手と共にやってきて、てきぱきとタクヤから採血し、足の皮膚を数カ所採取した。
それが終わると、すぐに会議室へ向かわねばならなかった。アリューサ王、ライン特佐他、数名の軍人幹部が出席する会議だった。
タクヤはユリと並んでテーブルにつき、質問に答えた。
もちろんスーサシアの高度な調査力の前では、タクヤたちが生身で体験してきたことは、すでにほとんど報告されていた。龍人族は馬やロウソクを使い、衛星調査が通用しないこともわかっていたし、軍事的な要塞が地下の岩盤の下に集中していることもわかっていた。それらの正確性を確認し、現場に居合わせた二人の視線での修正を期待するような質問が20分ほど続けられた。
「問題はその聖なる泉を爆撃するタイミングです」とライン特佐は最後に冷たく言い放った。「タクヤさまはどう思われますか?」
「え?」
タクヤはびくっとして息をのんだ。
「信仰の象徴の破壊は、決定的な上に、とても容易です。ただし、中途半端な状況でそれをやってしまっては、かえって世界から過剰な反発をうけかねない」
「ていうか」とタクヤは思わず立ち上がった。「あんた、あの泉を爆撃するって、マジで考えてるわけ?」
「そうですよ、タクヤ王子。報復としては最も効果があり、人的被害も最小限に抑えられる。外交的にも軍事的にも、当然、視野に入れるべきことです。信仰的求心力の要所を破壊するのは、必ず効果がある」
「効果って言うか、やっていいことと悪いことがあるんじゃないんですか? 彼らだけでなく、もしかしたら僕やあんただって、身体に異常が現れれば、あそこが唯一の救いになるかもしれないんですよ!」
ライン特佐はアリューサ王を見て苦笑した。
「それは、タクヤ王子が記憶を失われ、現実の一部しかご存じないからですよ。我々の医学は進歩しています。率直に申し上げて、女王ユリの考え方は、10年ばかり古い」
「そうだ」とアリューサ王は頷いた。「十分とは言えないまでも、我々の対応は確実に進歩してきている。現在の国際的な関心は、環境の保護そのものよりも、それを実践することによって、世界経済が恐慌に発展する危機があるとことに移っている。短期的な経済ショックだけでなく、長期成長を前提にした発展途上国への経済援助は、国際的デフレによって国家的不良債権化の懸念が高まっておる。危機におちいった市場経済の健全性を、我々の努力で維持していかなくてはならない。そのことは、世界平和はもちろん、マクロ的な意味での恒久平和、地球的環境保全にも、絶対に必要不可欠な要素なのだ」
「バランスの崩壊こそ最も懸念されることです」とライン特佐が続けた。「もしももう一度世界大戦などということになったら、今度の爪跡は銃弾や爆撃の穴ぐらいでは済まないし、その後の復興はさらに困難なこととなるでしょう」
ラインとは異なる制服を着た将校が、異論をはさんだ。
「いや、世界大戦は起きませんよ。国同士がぶつかることは、既に現実的ではない。国境はあってなきもの。現在となっては、ほとんど儀礼的な遺物です。しかし『信仰』は違う。龍人族をリーダーにした環境過激派たちのネットワークは、すでに国境を越えているし、いざとなれば、このセントガル市内に核爆弾を持ち込んで点火することだってあり得るのです。彼らのネットワークは、このイラフト国にも確実に広がりを見せている。そのことを甘く見てはいけません」
「マスコミを使えよ」とアリューサ王がいらついた声で言った。「この国だって、我がスーサシアのようにマスコミが龍人をたたけば、彼らを擁護する声も立たないのだ」
「そのようなスーサシアの世論は」と別の軍人が意見を述べた。「大手の広告スポンサーたちによる『やらせ』、つまりはエネルギー資源獲得のための利権誘導だという世論も、ここイラフトでは広がっておりますぞ」
「うむ……まあ、それは単なる『世論』でなく『事実』だからな」
と、アリューサ王は急に大声で笑った。
その場に同席したタクヤは、難しい話はよくわからなかった。
しかしユリは、王が発言するたびに、丁寧に頷いていた。ユリって賢くて思いやりのある素晴らしい女性だと、タクヤはあらためて思った。やはりスーサシアの王子がつきあうとしたら、ユリしかいない……